◆構想
「古代」村落の想像的根拠としての宮古島狩俣から「極東の架空の島」としての「狩俣島」へ
藤井貞和の<うた>の起源についての「双分観から三分観へ、中心(ミヤーク)を意識する」プロセスとジュリアン・ジェインズの<二分心>から意識への変容プロセスに並行性が確認できることから、両者に構造的な連関があるという仮説を導き、その妥当性を検討する。
□実施期間:2018年10月~2019年8月
上記のプロセスを分析・検討するために、藤井貞和『古日本文学発生論』に基づき、宮古島狩俣の事例に問題設定の場を求め、文字記録以前の狩俣村落の形成のプロセスの推定復元を、主として考古学的調査の結果・史料に確認できる歴史的事実、および社会学的・地理学的側の調査・分析の結果に基づきつつ、試みた。フィールド調査は行わず、文献調査と狩俣村落の地図を用いた検証のみを実施した。
狩俣村落の変容プロセスの復元推定の結果を以下の資料にまとめ、また調査・分析の過程で収集・参照した資料を文献リストにまとめた。
・狩俣村年代記 ver.1.10
2019.8.11版
・「狩俣村年代記」説明 2019.8.11版
・参考文献リスト 2019.8.11版
・狩俣について論じた文献に関し、比較的容易にアクセスできる著作・論文は一通り収集して内容を確認することができ、引き続きの分析・検討のための準備ができた。
・狩俣村落の変容プロセスの復元推定については、文字記録を欠いていることもあり、実証性を欠いた脆く朧気な構築物が得られたに留まった。
・本来の目的である、藤井貞和の「双分観から三分観へ、中心(ミヤーク)を意識する」プロセスとジュリアン・ジェインズの<二分心>から意識への変容プロセスの構造的な連関の検討については、その仮説を前提として、知られている事実や伝承に基づき、一応の整合性を持った通時的過程の復元推定を試みたが、細部における分岐の可能性を指摘する作業に終始した結果、構造的な連関の検討まで到達できなかった。
□予定期間
2020年6月27日~8月11日
検討の対象
A.<二分心>と自伝的自己を伴う意識:言語の獲得の影響、<二分心>崩壊から意識の誕生の過程に、今日に至る祭祀の発生の起源をみること
B.双分観と三分観:外部との接触による村落の変容のプロセスの反映として
C.社会集団の構造(社会システム)と成員の心の構造(心のシステム)の関係:社会脳。超越的な存在とのコミュニケ―ション・プロトコルとしての祭祀/村落の社会統制の手段としての祭祀
村落の外部との関わりと、それに伴う構造の変容(社会のオートポイエーシスの水準)を、
細胞と外部の関りと、それに伴う構造の変容(生命のオートポイエーシスの水準)や
心の外部との関わりと、それに伴う構造の変容(心のオートポイエーシスの水準)
とパラレルであり、アナロジーが成り立つものと仮定して考えてみる。
□検討の方法
A.<二分心>と自伝的自己を伴う意識(第1章)
- 系統発生的=進化論的な自己の発達モデル(トリーおよびミズン)、および個体発生的=発達論的な自己の発達のモデル(やまだ)と<二分心>モデルの比較検討を通じた<二分心>の位置づけの確認。言語獲得の副作用としての<二分心>モデルの権利上の妥当性の検証。
B.双分観と三分観(第2章)
- 三分観の背後にある双分的な認識の複合に見られる不整合に注目して、そこに村落の形成・変容の過程の反映を読み取る。更に一方では村落複合体の内部に埋め込まれた部分集団の水準、他方では村落がその要素となる村落群の集合(ここでは仮に「狩俣圏」と呼ぶが、これは単なる便宜上のラベルに過ぎず、実態を踏まえたものでは必ずしもない。実態を踏まえるならば、寧ろ「大神圏」と呼ぶのが適切かも知れない。)の両方の水準を検討し、統一的な構造把握を試みた。特に後者の水準の検討は、今年度新たに行うものであり、同一の祭祀を持つ、他の村落との比較を通じて、狩俣の独自性を確認する。
C.社会集団の構造(社会システム)と成員の心の構造(心のシステム)の関係(第3~5章)
- 今日存続する祭祀を<二分心>時代からの存続としてではなく、<二分心>崩壊から意識の誕生の過程における心的システムの変容への「対抗措置」という意味合いを持つ村落の社会統制の手段として見ること。更にその目的のために仮構された起源の<物語>によって、意識の外部として産出された超越的な存在とのコミュニケーション・プロトコルとして捉えること。
- 狩俣の祭祀の構造における重層性:狩俣の祭祀における神歌の継承における口承性を巡る様々な側面を検討し、神歌における言語の行為遂行的機能の優位と意味内容の副次性の具体的な様相を確認すること。特に傍観者であり、神歌の唄う役でもある男役の存在とその意味合いに注目すること。つまり、歴史的には狩俣の神歌が編纂されるプロセスにおける外部の侵入、そして共時的には、神歌が記録され、保存されるに至るプロセスにおける外部の侵入(神歌の採集という研究自体を指す)の何れにも媒介としての傍観者の層が本質的に係っていることを認識すること。そしてそれが発生論的には<二分心>から意識への移行に並行した出来事であり、意識の構造と祭祀の構造に同型性が見られること。また事後的な観察においては、そうした祭祀の構造の存在が、意識から<二分心>を覗き込む通路の存在を保証すること。
なお、狩俣の事例の検討・分析については、昨年度の検討を踏まえ、特に以下の点に留意して進める。
- 本永の「三分観の一考察」で提示され、藤井が「双分観」から「三分観」への移行として動態化した構造主義的視点を分析のベースとする。第1年度に調査した地理学的・社会学的・考古学的・歴史的事実は「双分観」から「三分観」への移行の相を解明する目的に限り、その真偽を問題にするのではなく、あくまで地理認識・歴史認識が記載された資料として利用する。
- 藤井貞和『古日本文学発生論』およびその後の狩俣の神歌に関する藤井の論考を常にそこに立ち返る参照点、根拠とする。本永清のいう、「神話・儀礼・神歌」の相に集中し、心の構造と社会の構造の対応をそこに見出すことに重点を置く。
- 内田順子『宮古島狩俣の神歌 その継承と創成』
に注目する。(神歌のテキストの資料としてではなく、神歌を中心とした儀礼の遂行プロセスに全般に関する資料と捉える。)
更に、
- 真下厚『声の神話』の狩俣関連部分
- 居駒永幸『歌の原初へ』
- 奥濱幸子『祖神物語』
- 比嘉康雄『神々の古層③遊行する祖霊神 ウヤガン〔宮古島〕』
- もろさわようこ「太古の系譜」(『上井幸子写真集 太古の系譜』所収)
も適宜参照する。いずれも事実に関する資料としてだけではなく、聞き取り調査の結果得られた、祭祀に参加する当事者の儀礼における心的姿勢に関する資料として捉える。
◆謝辞
本論の成立の背景、構想、経過については上に述べた通りです。それ故、まず最初に、本稿の最初の着想を思いついた時に相談にのって頂き、藤井貞和先生と本稿に関連するやりとりをメールでさせて頂くきっかけを作って下さった三輪眞弘さんに御礼申し上げなくてはならないと感じます。
そして勿論、「古代」村落の想像的根拠としての宮古島狩俣から「極東の架空の島」としての「狩俣島」へという本稿の構想が藤井貞和先生の著作と三輪眞弘さんの活動に導かれているが故に、更には本稿の執筆の経過を見守って下さったことに対して、藤井貞和先生と三輪眞弘さんに御礼を申し上げます。その一方で、お二人の巨大な成果に比べた時、本稿がそれに対する応答とするにはあまりにささやかで取るに足らないものであることについては唯々お詫びする他ありません。折しも、本編執筆から公開までの間に、本稿を書き始めるきっかけとなった藤井先生の著作『<うた>起源考』(青土社)の毎日出版文化賞受賞の報せに接しました。本稿公開が、ささやかながら受賞のお祝いとなったことを大変嬉しく思います。
更に本稿のための調査や執筆の期間は、京都大学人文研究所による「「システム内存在としての世界」についてのアートを媒介とする文理融合的研究」(通称「三輪プロジェクト」)と並行しています。本稿の内容は、本ブログに別途公開している研究会での発表内容やイベントの記録と直接関わる訳ではありませんが、もしそれらと本稿の両方をお読み頂いた方がおられるならば、その方にとっては明らかであるように、両者は密接な関係を持っており、本稿がいわば対位法における対旋律をなすものであることは明らかです。研究会をオーガナイズされている岡田暁生先生を始めとする研究会の先生方に対して、そもそも私のような門外漢を寛容にも受け入れて下さっていることと併せ、この場を借りて御礼申し上げます。研究会でもご一緒させて頂き、本稿に関してはβ版をお読み頂いた後で興味深いコメントをお送り頂いた松井茂先生には、三輪眞弘さんの活動に対する私の反応を「三輪学」と命名して頂きましたが、本稿はまさに「三輪学」の成果の一つであると認識しており、それ故私個人としては、もしご承認いただけるのであれば広い意味での研究会の成果に加えて頂くのが適切であると考えています。
なお当然のことながら、上に記載したような諸先生方から刺激を頂かなければ成立しなかったものであるとはいえ、本稿の内容に誤りがある場合には、それは全て執筆者である私に帰するものであることを付け加えさせて頂きます。(2020.12.20)
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