2020年9月27日日曜日

『三輪眞弘祭 清められた夜』にネットワーク越しに立ち会う:ライブ配信視聴の記録

ぎふ未来音楽祭2020『三輪眞弘祭 ―清められた夜―』

三輪眞弘 《鶏たちのための五芒星》(2020サラマンカホール委嘱・世界初演)
ヨハネス・オケゲム 《死者のためのミサ曲》(15世紀) MIDIアコーディオンとオルガン版
フォルマント兄弟 《霊界ラヂオ》+ボイパと《海ゆかば》(2020)
三輪眞弘 箏と風鈴のための《もんじゅはかたる》(2019)
三輪眞弘 《神の旋律》+《流星礼拝》(2020版)

作曲・企画:三輪眞弘
映像監督:前田真二郎
フォルマント音声合成:佐近田展康
詩:松井茂
写真:麥生田兵吾

出演:
川口隆夫(ダンス)
岡野勇仁、西村彰洋(MIDIアコーディオン)
塚谷水無子(オルガン)
ほんまなほ(ルバブ)
マルガサリ(ガムラン・アンサンブル):恵美須屋直樹、大井卓也、黒川岳、谷口かんな、中川真、西村彰洋、森山みどり
公募パフォーマー:石田正人、小野馨、鏡あすか、黃芃嘉、ごとうたくや、佐藤優太郎、杉野智彦、高木実咲、中路景暁、新美里奈、花太郎、林暢彦、原惟奈、洞口はるか

6羽の鶏

2020年9月19日 23時開演(26時終演、22時よりスタンバイ配信開始)
サラマンカホールよりライブ配信(無観客開催・視聴無料)

主催:サラマンカホール
共催:情報科学芸術大学院大学、京都大学人文科学研究所

* * *

 『三輪眞弘祭』が2020年9月19日、この文章を綴っている時点から丁度1週間前の深夜に岐阜のサラマンカホールで開催された。新型コロナウィルス感染症の流行により「緊急事態宣言」が発せられ、あくまでも「禁止」ではなく「自粛の要請」という形ではあるが、通常の形態でのコンサートの開催が事実上不可能になってから半年、日本では第2波の流行にお構いなく―今度は明確な「緊急事態宣言」という形式を踏まずに、在宅7割の要請が出たのち、それ自体については明示的な解除がなされないまま、いわばなしくずし的に―、"GoToトラベル"と称する国内旅行を促すキャンペーンが政府主導で行われ、コンサートの開催についても再開の兆しが見える中(もう半月先には、”GoToイベント”なるものも開始されるとのことである)での無観客公演がライブ配信されるのをネットワーク越しに、自宅で受信するかたちで立ち会うことになった。

 公演をこの形態で行うことは、既に半年前にまさに新型コロナウィルス感染症の第1波が猖獗を極める状況下で決定され、告知が行われた。その後この形態での公演を前提にした企画・構成が進められ、準備が行われた上での公演であり、この半年間の未曽有の経験とその記憶が集約されたイベントとなったように感じる。実際このイベントは、単なる無観客でのコンサートの実況中継ではなく、初めからライブ配信されることが前提に組み立てられており、ネットで配信することもまた作品の一部であるようなメディア・アートのパフォーマンスとして捉えるのが適切であろう。実際、配信されたのは前田真二郎さんによる映像だけではなく、まさにその映像の中に舞台の上を動き回る様が映り込んだ麥生田兵吾さんが撮影した写真がインスタグラム(https://www.instagram.com/masahiro_miwa_festival/)に公開され、Twitter による実況中継が行われ(https://twitter.com/miwafest)、更には松井茂さんの詩「聖、或いは、日知り」が映像と並行してメール配信されており、そうしたマルチモーダルな配信の総体が一つの「作品」であるという点にまず留意しておきたい。

 要するにこれは、本来、サラマンカホールの舞台上で、観客を前に行われる筈だった「生演奏」の色褪せた代替としてのライブ配信ではなく、新型コロナウィルスの蔓延によって顕在化した、だが既に伏在していた今日の状況に対する「応答」として企てられたものとして受け止めるべきなのだ。プレイベントで三輪さん自身が発言されていたように、録音された音響の再生を「録楽」と呼んで、人間がその場で演奏する「音楽」と峻別する立場からすれば、無観客の公演は端的に「音楽」の否定であり、実演にその場で接することができない限りにおいて、これは三輪さんの定義する「音楽」ではないのだが、それを踏まえた上で「音楽でない」何かを提示する試みとして位置づけられているのである。

 そういう意味では、当日のライブ配信だけが「作品」なのではなく、例えば事前に8月28日に開催されたプレイベント『プロローグ「音楽の終わりの終わり」はここからはじまる――。』も含め、或いはWeb上に設けられた専用サイト(https://miwafest.net/)も含めて、一つの作品として捉えるべきであろう。もう一言加えれば、本稿を書くに先立って、この公演の共催団体である京都大学人文科学研究所の教授であり、プレイベントにも参加されていた岡田暁生先生の『音楽の危機 《第九》が歌えなくなった日』(中公新書, 中央公論新社, 2020.9.25刊)に接することができたのだが、この著作はその執筆期間がまさにこの公演の準備期間と重なり、刊行のタイミングもほぼ同じ、内容上もプレイベントでの発言と密接に関連しており、随所に三輪さんへの言及を含んでおり、私には『三輪眞弘祭』と双子のような関係にあると感じられた。或る意味ではこの著作もまた『三輪眞弘祭』の一部を為すという捉え方さえ可能ではなかろうか。

 専用サイトの設置やプレイベントの開催自体は、通常の形式のコンサートでも、今日、マーケティングの手法として普通に行われていることに違いないのだが、当たり前のこととして何の違和感もなく受け止めているそうした「仕掛け」の自明性が括弧に入れられ、今日、ネットワークの端末の先にぶら下がるようなモードと、身体を移動させてある場所に集い、視線や言葉を交わすといったモードとの間をごく当たり前のように往還している我々の存在の様態そのもの、そしてそれといわば共犯関係にある「音楽」の在り方そのものを問いに付すような出来事として企てられたものなのだ。ここで試みられたことは、新型コロナウィルスの蔓延の中で数多く見られたような、予め確立された主体が新型コロナ禍で分断され、離れ離れに孤立しているのをどのようにして結びつけるかといったコミュニケーションの水準の問題の水準ではなく、つまりは既成の音楽を如何に取り戻すかといった地平に留まるものではない。コロナ禍以前からテクノロジーの浸食により仮借なく進んできた「音楽」のきえさり(それは「ひとのきえさり」に他ならない)を現実として直視した上で、残された可能性を探る試み、「音楽(でないもの)」の上演を経験することによって都度生成し、立ち上がっていく主体の様態に纏わる水準の問題なのだと私は捉えたい。予め確立された「自己」を備えた主体の分断、コミュニケーションの断絶という捉え方は、それ自体が或る種の臆見(ドクサ)であって、本当は事後的に形成された「自己表象」という虚構を実体視しているにすぎず、実際には「自己」は外部との接触の都度立ち上がる可塑的で一時的なインタフェースの如きものなのであるという認識に立った時に初めて、この試みの射程を正確に捉えるための出発点に立てたことになるだろう。

 企画全体やその中で上演された個々の作品に込められた作者の思いについては、上記のサイトを通して、あるいは―イベントそのものとは異なって、こちらは記録映像にアクセスし、再生することが今現在でも可能になっている―プレイベントを通じて知ることができるので、ここで屋上に屋を架することは慎みたいが、上のような立場に立った時、この一度限りのイベントーWebページにある通り、例えば映像に限ってしまえば技術的には可能であるにも関わらず、映像記録の公開の予定はない―に立tち会った何百人かの中の一人として、自分がそこでどのような経験をしたかを記録しておくことには何某かの意味があるであろうと考え、以下に記すことにしたい。どんな形であれ、「それが起きた」ことを記憶し、再生(可能に)し、記録することは、出来事に立ち会ったものの責務であり、出来事の意味や価値に比して、それ自体が取るに足らないものであったとしても、或いは受け手の受容能力の制約を受け、更には機構上、無意識であれ意識的であれ、編集・加工が為されたものであることは避けがたいとはいえ、そうすることによってしか「それが起きた」ことを証しすることはできないだろうからである。その一方で、以下に記載する内容がその場の印象に限定されると宣言せざるを得ないこと、『三輪眞弘祭』が備えている筈の広範な社会的・文化的文脈における含意についての言及が以下の記録にほとんど為されていないことについては、自分がそれを受け止め体験したその場で、それに対して反応するだけの蓄積を持たないためであることを率直に認めざるを得ない。だがそれは寧ろ、例えばこの催しの共催者である、岡田先生をはじめとする京都大学人文科学研究所の諸先生方の領分であるから、今回は特に安心して委ねる先があることになる。そのことも踏まえた上で、以下の記述については自分が経験したものを記録するという目的に範囲を限定することとしたい。

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 それが生演奏であれば、開演の何十分か前にコンサートホールに到着し、自分の座席の位置を確認して開演を待つことになるのだが、今回は自宅で、受信する端末の前に座り、Webページを開くことになる。開演前から配信は始まっていて、私が接続したのは開演の15分くらい前からだっただろうか。通常のコンサートであれば、公演のためのセッティングがされた状態で、でも誰もいない空の舞台を、こちらは少しずつ埋まっていく客席から眺めることになるのだが、今回はいきなりモノクロームの映像で、公演の準備で多くの人が行き交う舞台の様子が映し出された。6羽の鶏は既に舞台の上を動き回っている(後でtwitterで確認したところでは22:06分に舞台の上に放たれたようだ。ちなみに私はtwitterのアカウントを持っておらず、普段は使っていないこともあって、リアルタイムではチェックしていなかったし、接続を開始した時点での過去ログのチェックもしなかった)。「音楽」のお通夜としての「清められた夜」という設定に相応しい23時開演・26時終演予定という時間枠は、通常のコンサートではまず実現困難だろうが、ネット配信に立ち会うのであれば、多少生活のリズムを調整すれば大きな困難はない。

 私は過去に一度サラマンカホールを訪れたことがあり、その時の記録は後述のように本ブログの別の記事として公開しているが、プレイベントの映像等で見ることができたカラーでのホール内部の映像が、自分が訪れたホールを想起させるのに対して、前田さんによって意図的にそのように選択された結果であるモノクロの映像で見るホールは、かつて自分が訪れたという既視感を呼び起こすこともないし、ライブ映像のリアリティを感じさせることもない。ワヤン・クリを意識したらしい画像の肌理は、未だ映像記録がモノクロのみであった時代の記録とも微妙にずれを呼び起こして、映像の向こう側の光景から現実感を奪い、時間上の位置づけの感覚を麻痺させてしまうかのようだ。強いて言えば、色彩の感覚がぼやけた夢の中の光景の感触に一番近いだろうか。それに加えて現実に客席に座っていれば原理的に経験しようのないカメラアングルの切り替わりも、ライブ感覚よりも、夢の中での場面転換に近いように感じられる。しかも公演開始の23:00までは無声なので、余計にその感覚が増幅されるように感じた。夢の映像というのは、過去に経験した映像の記憶を素材として無意識の裡に変形・加工が行われたものだろうが、そういう意味でも夢が一番近いように思われる。ともあれ、モノクロでしかも壁面がビニールで覆われ、舞台の上で鶏が動き回る映像は、かつてサラマンカホールを訪れたときのエピソード記憶を些かも呼び起さない。かといって既視感がないわけではなく、かつて一度も訪れたことがないのに現実感には事欠かないという奇妙な感覚は、一般的なライブ配信における現実のコピーとは全く異なったものだ。

 松井さんのメールの配信については当日の開演数時間前に登録を行ったので、画像を受信する同じPCでメールの確認も並行してできるように準備をしておく。登録したメールアドレスは今回のために使い捨てのものを用意したわけではないので、可能性としては、他のメールの着信が一緒に確認される可能性もあり、それはそれで興味深い経験になっただろうが、現実には、翌朝まで、他のメールはスパムも含めて、当該アドレスには着信しなった。「メールの確認も並行してできるように」とは書いたものの、着信の自動通知はしていないので、着信の確認のためには前田さんの映像が映っているウィンドウから一旦フォーカスを切り替え、かつ手動でメール着信の確認をする必要がある。つまり「詩」がライブ公演の時間を区切り、同時性の確認をするための或る種の証拠として機能するという企図からすると、初めから画像との「同時性」については制限付きの状況にある。一方で、instagramについては、これもtwitter同様、普段使っておらず、アカウントも持っていないため、この文章を綴っている現時点でさえ、ログインしてすべての写真することができないのだが、当日の公演中も、写真を確認することは全くしなかった。結果として、舞台の上を動き回って写真を撮影する麥生田さんの姿を、つまりは撮影行為そのもののみを確認することになった。(従って、本稿では撮影された「作品」としての写真についての言及はないことを予めお断りしておく。)

 舞台上に描かれた五芒星のすこし外側に餌が撒かれ、あちこち動き回っていた鶏が餌をついばみ始めてしばらくすると開演の時刻となり、すると音声が入ってくるようになる。映像の中継は最初のうち、途中何回か「映像配信中です」といった告知の画面が(恐らくは意図的に)挟まる以外は滞りなく受信されて、その意味での連続性が途切れることはなかったように記憶する。

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 開演後しばらくは『五芒星』の演奏・パフォーマンスが続く。四角形が五角形になった違いはあるけれど、舞台の上の動き、カラーパイプの音(これも今回はガムランの音階に調律されたので、厳密には従来とは異なるのだが)、進行を監視する「悪魔」の存在、間歇的に起きる拍手といった要素は、三輪さんの同じ系列の先行作品で馴染みのものである。五角形になったために出来た中央のエリアには、「鶏の精」たるダンサーが座り、頂点から出発して中心の近傍を通過して反対側の頂点に移動するパフォーマーは、中央のエリアをかすめる際に五芒星の頂点において柄杓に掬った「清めの白粉」をダンサーに振りかけ、「防疫」を行うが、この所作もまた、例えば『みんなが好きな給食のおまんじゅう』で、こちらは四角形の中心に立つ人間の口に強制的に押し付けられるおまんじゅうの変形と捉えることができるかも知れない。ガムランもまた然りだが、従来との違いとしては、今回はガムランの演奏もまた舞台の上のパフォーマンスと同じ状態遷移の規則から直接導かれたものとのことで、音響的には、例えば『59049年カウンター』のそれが重層性や広がり、そして暖かみを感じさせるものだったのに比べると、よりコヒーレントで禁欲的なものに感じられるのはそのせいかも知れない。この印象はネットワーク越しに聴いていたからに過ぎない可能性もあるけれど、一度きりで後で映像や音響の記録を再確認することができない以上、それを確認する術もなく、だがそうした私の不正確な印象は措いても、作品の構造上のコヒーレンスの点で、この作品はこれまでの三輪さんの先行する様々な作品の集大成と言えるのではないかと思われる。

 ガムランの楽器の中核は各種の金属質の打楽器であり、一部で膜質打楽器が、更には「生の声」の代理でもある擦弦楽器(ルバブ)が加わるが、特に打楽器群の音響は、直接会場の空気の振動として伝わるのと、如何に同時とはいえ、録音されたものを手元の端末で再生するのとでは全く質感が異なる。映像と同様(或いは映像との相互作用の結果かも知れないが)、それもまた夢の中とか回想の中で聴覚印象が心内で再生されるのに近いように感じられる。リアリティを欠いているというより、リアリティの質が変わってしまっているように感じられるのだ。とはいうものの子供の頃以来、何十年も「録楽」に慣れ親しんで来たせいか、不自然さを感じることはない。

 途中、舞台上でのパフォーマンスにエラーが発生して、演奏が止まり、誤りを訂正して再開となる。エラーはその後も何度か発生することになるが、いわば「想定内」の事態であり、悪魔が誤りを検出し、ゴンを鳴らしてパフォーマンスを中断し、一旦は音楽的時間の持続は断ち切られるが、やがて何事もなかったかのように再開する。結果としてそれは時間の流れの方向を変えたり、別の状態への遷移を惹き起こしたりすることはないように感じられる。

 これは私の環境固有の問題に起因するのだが、メールによる「詩」の着信についてはちょっとしたハプニングが起きた。使用しているメーラーには迷惑メールの自動判定機構が備わっているのだが、どの判定ルールに抵触したものか、最初の着信が迷惑メールとして判定されたのだ。迷惑メール用のフォルダからメールを受信箱に戻し、システムにそれが迷惑メールでないことを通知してしばらくすると、二通目以降は普通に届くようになった。一方でメールの着信のタイミングを確認する限り、『五芒星』の状態遷移の時間の流れと同期しているようには全く見えなかったため、「日知り」の意図(つまり、どういうルールでメールの送信タイミングを決めているか)は読み取れず、不思議に感じていた。この件については、今回の上演が「単なるライブ中継」ではないことを示す興味深い事実が後で判明したので、その点については後程報告したい。

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 私の個人的な体験を、この調子で同じ詳細度で時系列に沿って語り続けるのは煩瑣なだけで、報告としても意味あることとは思えないので、以下では気付いた点をトピック的に述べることとしたい。先走って行ってしまえば、私個人としては、とにかく無事に最初から終わりまで立ち会うことができ、この「出来事」の傍観者、証人としての最低限の責任を果たしたような気持ちになり、ほっとするとともに、翌日は(普段の生活リズムとはかなり違うことをしたせいもあってか)ちょっと気が抜けたような状態になった。といっても今回は、演奏が行われているその場で咳一つして空気を振動させることさえも私はできなかったわけで、(正直に言えばしばしば苦痛を伴う)場所の移動がなかったこととともに、その点が通常のコンサートでの経験との決定的な違いだったように感じる。

 ライブ配信を視聴しつつ感じたのは、自分の反応が相手に伝わるかどうか―例えば、咳をすれば会場の空気を伝わって、舞台上にも、他の客にも聞こえてしまうわけだが、そういうことはライブ配信の視聴においては生じない―もっと言えば、具体的なインタラクションが生じるに至らずとも、単に自分が見られていると思うかどうかという事さえ、臨場感にとってプラスに機能するのではないかということである。技術的な制約もあり、現在のネットワークや機器の性能から、参加人数がさほど多くない場合に限定されるだろうが、例えば視聴する側もカメラをONにして、会場からも他の視聴者からも見えるようにするだけでも違いは出たのではないかというようなことを、これは後知恵ながら考えもした。例えば、客席に大きなスクリーンを張って、そこにネット接続して視聴している人たちをギャラリー・ビューの形態で映し出せば、少なくともZoomでのWeb会議と同程度の緊張感は生まれたのではなかろうか。そんなことが足しになるものかという反論がありそうだが、コロナ禍でzoomでの会議が普通になれば、その状況に適応して、それなりの空気感を感じ取れるようになる程度には、人間の認識のモードというのは柔軟性があり、勿論、対面で直接会って話をするのと同等とは行かないにせよ、単なる音響の記録に過ぎない「録楽」を「音楽」と同一視して疑わない程度には、そこに「現実」を見出すようになるのではないかというように思わずにはいられない。

 ここで問題なのは、「あたかもその場にいるような」臨場感のある映像の見せ方ではなく―それならそれで『もんじゅはかたる』で用いられたような拡張現実用のゴーグルを用いるなど、技術的手段はあるだろうが―、画像の方は、今回前田さんが意図してそうしたように、疑似現実感を拒否して、寧ろ「見たまま」のそれとは異なった別の現実を提示しようとするものであったとして、あたかも夢の中の人物に見つめられて見つめ返すように、そこにサーキットが構成されるという点である。所詮は「因果性」も「自由意志」と同様に、主体の抱く「感じ」に過ぎないのであれば、それを惹起するような回路さえ確保できていれば、「同時的」な出来事であると同時に、それゆえに「事後的に」しか受け取ることができないという、リアルタイム配信された画像を一方的に受け取るだけの時に生じる疎外感は(決してその場限りの誤魔化しなどではなく)解消できるのではなかろうか。

 実際、メディアによって通信にかかる時間的なコストは異なるが、時として、電子メールですらない「往復書簡」のような媒体を通じてさえ、否、比喩ではない文字通りの「投壜通信」ですら「同時性」を、他者の息遣いを感じることは可能であろう。リアルタイムではない、電子メールや往復書簡、投壜通信といったメディアもまた、それ固有の時間を持ち、固有の「同時性」を、「現実」を持つと考えるべきであり、そこではそのモード固有の「自己」が都度生成されるのだと考えるべきではなかろうか。実演にその場で接することの替わりにそれらがなるという訳ではなくとも、現実に、言語能力を獲得し、文字を使用し、自分の直接経験できる世界を超えて、自分の生まれる以前の過去や自分の死後の未来についての了解を持つようになった人間は、実際に多重の時間の流れを、その分岐や合流を現実に生きている筈である。そう思えば、今回の試みは、新型コロナウィルスの蔓延によってこのような環境におかれたことによって偶々可能になったとも言える新たな「現実」と対峙することにより、稍々もすれば通常の演奏会の経験からは喪われ、その存在が忘却されがちであった、人間の心の奥底に潜んでいる何物かを見出すためのエクササイズではなかったかと思えるのである。

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 公演全体の構成について言えば、『五芒星』の演奏と並行して、オケゲムの『レイクエム』、霊界ラヂオとボイス・パフォーマンス(『海ゆかば』)、『もんじゅはかたる』『流星礼拝』が順次上演されるという事前の説明を聞いた私は、うっかりして(良く考えれば三輪さんがそうしたことをしないことはわかりそうなものだが)、例えばケージのナンバーピースのように、本当に複数の作品が音響的にもオーバーラップするものと思い込んでいた。その結果として『五芒星』の音楽的時間がコンサートの開始から終わりまでを支配し、音響的にも、或る時には背景としてであれ、途切れることなく持続するものと何となく思っていたこともあり、オケゲムのレクイエムが、舞台の奥、オルガンの演奏卓が設置されたバルコニーで始まると同時に、ガムランの演奏が止んだことに一瞬、虚を突かれた感じになった。勿論、舞台上のパフォーマンス自体は続いており、説明に偽りはないのだが。

 オケゲムの『レイクエム』の演奏によって私の中に呼び起されたのは、以前サラマンカホールを訪れて、その場で実演に接したペルゴレージの『スターバト・マーテル』第1曲のMIDIアコーディオン(アルト)と人声(ソプラノ)による二重唱(オルガン伴奏)のことだった。(2015年9月12日、三輪眞弘がフェスティバル・ディレクターをつとめた「電子音響音楽祭」にて。その時の感想は、本ブログの記事「サラマンカホールでフォルマント兄弟編曲によるペルゴレージ「悲しみの聖母」を聴く 」https://masahiromiwa-yojibee.blogspot.com/2015/09/blog-post.html として公開しているので、詳細はそちらを参照されたい。)今回は、本来は全て人声によりアカペラで歌われる作品が2台のアコーディオンによる人工音声とオルガンによって演奏されたのだが、サラマンカホールとオルガンとが、本来どのような場所であり、楽器であり、どのような作品が演奏されることを目的としたものであったかを思い起こさずにはいられないという点は、以前に電子音響作品を聴いた後でペルゴレージの『スターバト・マーテル』を聴いた時にも抱いた感慨である(それは要するに、ガムラン音楽はこうしたホールにはそぐわないように感じられたということに他ならない。ガムラン音楽については私はほぼ何の知識の持ち合わせもなく、単なる思い違いかも知れないが、それは寧ろ野外で演奏されるためにあったのではないかという気が何となくするのである)。だが前回のコンサートとの決定的な違いは、前回が人間とMIIDIアコーディオンの重唱であったのに対して、今回は人声が全く排除されていることである。そもそもMIDIアコーディオンの重唱が行われたのは今回が初めてとのことであったが、人工音声とともに響くオルガンの音色は、それもまた(ラテン語の歌詞こそ歌えないものの)人工音声の一種であるかのように感じられた。尤もオルガンは、そもそもがフォルマント合成に近い発想で多彩な音色の変化を可能にしている楽器であって、予めハードコードされたシンセサイザーの祖型のような存在であり、(今回の演奏における音栓の選択は公開されてないが)もともと人声を模した音色さえあることを思えば、そうした印象は当然なのかも知れず、ここで追悼されるべき音楽のいわば「アイコン」である筈のオルガンが、逆説的にも、実は人工音声合成の試みの遠い先駆であったことを寧ろ想起させてしまう、或る意味では皮肉な事態が起きたようにも感じられた。第一義的には奏者お二方の超絶技巧の賜物なのだが、歌詞が典礼文であることもあり、更にはネットワーク越しであることも手伝ってか、MIDIアコーディオンによるラテン語の歌唱はこれまでにも増して自然に感じられた。その声は性別を欠いたような奇妙なものであり、モノクロの映像の効果もあってか、「今、ここ」で行われている現実の儀礼に自分が立ち会っているという感覚は希薄であり、やはり夢の中で聴いたかのような質感を帯びていたように感じる。

 オケゲムの『レイクエム』の演奏が終わると、再びガムランの音色が戻るが、舞台上でのパフォーマーが交代しただけでなく、ここでテンポが変動しているのは、『レクイエム』の演奏が『五芒星』に干渉してもたらした変化というように感じられた。その一方で、舞台上の状態遷移の順序の方は変化することなく、事前に定められた通りに行われ、誤りが発生すれば、それを訂正して再開、という動作が繰り返される。続いてフォルマント兄弟の『霊界ラヂオ』の「演奏」と、MIDIアコーディオンによる『海ゆかば』によるボイス・パフォーマンスが始まるが、ここでネットワーク越しに聴くMIDIアコーディオンは、それが本来帯びている筈の「身体性」―それが機械であることを考えればこれは適切な言い方ではないのだが、にも関わらず、そのように呼ぶのが適切という他ない、不思議な存在感を備えていることを私は以前の幾度かの実演で経験しているので、敢えてこういう言い方をさせてもらうことにする―が、どこかに消えてしまう一方で、それが「ラジオ」の形態をしていることによって、響いてくるフォルマント合成の結果があたかも霊界からの幽霊の声に聞こえるという趣向と思われる『霊界ラヂオ』との差異がぼやける印象を私は持った。想像するに、どちらも人工音声合成技術を用いた2つの「楽器」によるこのパフォーマンスは、その場で実演に接してでないと、その微細な差異が喪われてしまうのではないか。「生演奏」の場合とは逆に、映像そのものがリアルタイムの現実というよりは、夢ともうつつとも判別し難い肌理を備えた今回の公演では、それを「幽霊」であると言うならば、その場で演じられている筈の『五芒星』すら幽霊性を帯びずにはいなかったような気がするのは、私の個人的な印象なのだろうか。「生演奏」であれば、恐らくは舞台の空間の只中に特異点が生じて、そこから異界からの声が響いてくるインタフェースとしてラジオという機械=メディアがあるのだとは思うのだが。端的に言えば、ライブ配信の形態をとったことで、こと私にとっては、「幽霊」の声が響いてくるのがラジオからではなく、目の前にある端末としてのPCからであるという当たり前の事実が妨げになっているように感じられるのだ。ここで思い当たるのは、「録楽」で聴く『歌え、そしてパチャママに祈れ』と実演での聴体験のコントラストである。今回の公演の中においても、このパフォーマンスについてだけ言えば、会場のマイクが拾った音ではなく、ラジオが発した音をそのまま送信する、或いは更に―実際にそのようなアイデアも検討されたと聞くが―、いっそのこと受信者の手元にあるPCが勝手に呟きだすといった、空間の多重性を逆向きに縮減していく方向性の趣向の方が私にはより興味深く感じられたのだが、実際に接してみると尚一層、そうしたオリジナルの企図が実現しなかったことが惜しまれる。

 ところがそうした空間の多重性の印象は、或る意味では逆説的な形をとって、次に演奏された『もんじゅはかたる』においては確かに起きたような気がするのである。
 
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 『霊界ラヂオ』が終わると、またもや『五芒星』のパフォーマンスにガムランの演奏が重なるのだが、ここでまたテンポが変化して、今度は楽器の種類も変わる。既に開始から2時間近い時間が経過していて、時間の感覚が麻痺しつつあるが、テンポの傾斜もまた、時間が停滞していくような印象を強めていたように感じられる。視覚的には、悪魔がパフォーマンスの間違いをチェックする「帳面」(といってもカメラ越しに書いてある内容が確認できるような巨大なものだが)が最後のページに到達し、その中途の「(Da Capo)」と書かれた終点に状態遷移の系列が近づいていることが確認でき、2時間と20分位が経過した時点で『五芒星』のパフォーマンスは一旦終わってしまう。悪魔はそれまでチェックしていた「帳面」の紙を引き裂くように剥ぎ取ってしまい、その後の舞台には暫し沈黙が支配する。そしてその沈黙の最中で舞台の向かって右手前の位置にシートが敷かれ、箏が用意され、巫女風のいで立ちで榊を持った奏者が客席から舞台に上がって『もんじゅはかたる』の演奏が始まる。ここで、この公演で初めて、人工であったり代理であったりするのではない「生の」人の声が舞台に響き渡るのである。

 ここで私が咄嗟に思い浮かべたのは、一つには、これまた上でも触れた以前サラマンカホールを訪れた際のことだが、ペルゴレージの『スターバト・マーテル』の後に演奏された、さかいれいしうさんの歌唱による架空の新興宗教の歌という体裁の独唱曲『訪れよ、わが友よ』であり、もう一つには、その後、名古屋での公演に接したモノローグ・オペラ『新しい時代』の終わり近くで響いた同名曲の、これも同じくさかいれいしうさんによる独唱であった。正直に言えば、公演の進行に対して、私はこの時点でかなり混乱していたように思う。まず最初にも述べた通り、私は当初、公演の全体を『五芒星』が音響的にも覆うのだと思っていた。その思い込みはオケゲムの『レクイエム』の地点で覆されたのだが、それでもなお、公演の途中で『五芒星』が終わってしまうとは思っていなかったのだ。そして、(これも考えてみれば迂闊であって、初めからわかりきっていたことにも関わらず、)『もんじゅはかたる』で「生の声」が舞台上に響くことになることを、すっかり失念していたようなのである。その理由の一つは単純で、三輪さんが「生演奏」以外で、生の人間の声を用いることはない、という或る種の「規則」が念頭にあったためだと思う。最初に述べたように、今回はライブ配信であり、その限りでそれは「音楽でないもの」である。しかるがゆえに、そこには生の人間の声が入り込む余地はない、とそのように思い込んでいたところに『もんじゅはかたる』が始まってしまって、そこでは「生の声」が舞台上に響き渡るという当たり前の事実に慌てふためいたのだった。

 だがその混乱に更に追い打ちをかけることが立て続けに起きる。『もんじゅはかたる』では、奏者は演奏の間はAR用のゴーグル(ホロレンズ)を付けており、その意味では舞台上にはいないのだ。にも拘わらず、「声」だけは、まごうことなき「生の人間の声」がその場に響くのを私はネットワーク越しに視聴しており、会場に響いている筈の声はマイクで拾われてネットワーク越し私の耳にリアルタイムに届いている。あたかもメビウスの輪とかクラインの壺のように、時空が捩れて、ネットワークの向こうの演奏会場という「現実」に穿たれた特異点の向こう側に、ゴーグルをつけた人にしかアクセスできないもう一つ別の「現実」があって、しかもそれがネットワークの隔たりを別の隠れた次元で横切って直結しているかのような印象と言えばいいのだろうか。ライブ配信されている筈の歌唱は、だが、そこで生の声が鳴り響いている筈の現場において、実は既に幽霊的に、別の現実から響いてくるものなのだ。幾つもの点で逆転が起きているにも関わらず、やはり「生の人間の声」を巡って通常とは異なった捩れが生じている現場に立ち会った過去の経験としては『新しい時代』が思い浮かぶ。こちらは会場に実際に響き渡って客席の私にも確かに届いた「生の人間の声」が、閉ざされたカーテンの向こう側の(見えない筈の)室内の映像、しかもこちらは意図的に時間的に遅延が起きるように操作された映像に加えて、サンプリングされた「生の声」の変調を交えた再生が交錯していく場面のことを思い起こさずにはいられない。更に言えば、何か見聞きしてはならない秘儀の一部を、禁忌を破って聞いてしまったような印象は不思議と両方に共通していて、何か既視感のようなものすら覚えたように記憶している。そして恐らくはそのことと関係するのだろうが、以前サラマンカホールの空間を振るわせ、確かにその振動を受けめた「本物」の「人の声」によって歌われるのは、いわばフェイク、紛い物の宗教歌であるのに対して、今回、サラマンカホールの空間の振動を直接感じることができないままネットワーク越しに、いわば「贋物」を聞くしかなかった筈の「人の声」は、『五芒星』の儀礼の後で「ひとのきえさり」を語ることを通して、今しがた終わった追悼の儀礼の後に来るものを用意する、いわば特異点として機能しているように私には感じられたのであった。それは『三輪眞弘祭』を一連の「儀礼」として捉えたときの句読点、一時休止(チェズーア)であり、「息の転換(Atemwende)」であり、追悼から追悼の後に来るものへの推移が起きる瞬間(ただし抽象化された極限としての幅のないそれではなく、有限の持続を持つ、時としてその内側に永遠を包含すると言われもするそれ)のように感じられる。同時にまた、三輪さんの作品はしばしば、それが「奉納」として儀礼性を帯びているが故に「外部」に対しての開口部を具体的な形で持つのだが、今回の『三輪眞弘祭』を一連の「儀礼」として捉えたときにまた同様に、そうした外部への開口部の存在を感じた。今回の場合はその開口部を、私は『もんじゅはかたる』の、こちらからは決して窺い知ることができないAR用ゴーグル(ホロレンズ)の向こう側に見出したということになるだろうか。恐らく、演奏会場で聴く声とネットワーク越しに聴く声は、全く異なったものであるだろう。だが、この作品に関しては、前者が本物であることは果たして自明だろうか。三輪さんが今回のライブ配信のプログラムの中で恐らく例外的にここにだけ「人の生の声」による歌を含めたのには、そういう背景があるのではないかと思われる。

(だが、だからといって、今回のような形態が『もんじゅはかたる』の上演の本来の姿であると言いたいわけではない。これもまたコロナ禍でしばしば試みられたと聞くが、いわば神事にリモートで立ち会うようなものであり、神事が営まれているその場で神事に参加することとの差異は埋めがたい。だがその一方で、傍観者・立ち会い人として、その神事が行われたこと、仮にそれが私のいる「今、ここ」でではなくても、(ネットワークの向こうの)いつかどこかで行われたことが確認できれば、それが神事である限りにおいてはーつまりそれが「外部」に向けられたものである限りにおいては―充分ではないか、その場に集い、直接それを見聞きするというのは、あくまでも社会的動物として進化してきた生物としての人間側の都合に過ぎないのでは、本当にそれが「外部」に向けられている儀礼は、その場での傍観や立ち会いを拒絶する(だからそれはしばしば「秘儀」として営まれる)のではというような気もするのである。そしてそれが後付けの合理化の際の論理的な帰結として得られたものではなく、ネットワーク越しではあるけれど、確かに「生の人の声」が響くのに立ち会ったという点に懸かっているということを確認しておきたい。)

 その印象は『もんじゅはかたる』をうけて、一旦終わった筈の『五芒星』が再開される、その演奏のされ方によって補強される。まずテンポがここで初めて上がる。実際にはそれは前回のサイクルのある部分のテンポと同じであり、客観的には一旦落ちた果てで停止したものが文字通り再開したということなのだが、だからといって同じことの繰り返しというわけではない。寧ろそれは、この文脈においては、全く異なった新しいテンポであるというべきであり、単に速度の変化に留まらず、最早誤りをチェックする「悪魔」の姿は見えず、パフォーマーは最早、五芒星の中心の近傍を通過しても「清めの白粉」を「鶏の精」にかけて「防疫」することを止めてしまう。ネットワーク越しのモノクロの映像を通しても、その場の空気の調子が変わったことは伝わってくるように感じられる。

 しかし、なおも続けて疑問が頭をもたげてくる。時間は既に開始から2時間30分が経過している。終演は26:00の筈なのに、このタイミングで2周目を開始して、最後はどうするのか?ライブ配信は終えるが、舞台の上での儀礼はその後も続くのか?こうした問いは、今度は『流星礼拝』のサイン波による「神の旋律」がオーバーラップして置き換わっていくことによって一旦遮られる。これについてだけは或る意味でもともと自分がイメージしていた終わり方なのだ。『五芒星』がフェードアウトして、『流星礼拝』に変容していく。だが、それと同時に、サラマンカホールの以前の公演において歌曲の独唱が終わった後、オルガンが「神の旋律」を奏し始めるのだが、しばらくするとそれがスピーカーから流れる音に置換され、その音が徐々に変調して最後はサイン波になったことをふと思い出す。私が持っていたイメージの根拠はそこにあったというわけだ。ちなみにその時には、会場全体の空気を直接震わせていたオルガンの音がスピーカからの音響に切り替わった地点があからさまに聞き取れて、そこに生じた断層のようなもの―その場で鳴っているオルガンの音と、スピーカーの向こうの「異界」から響いてくる音の質的な隔たり―に気付かされたのだったが、今回は、最初から「ライブ配信」であるが故に、そうした断層はあからさまなものとはならない。

 もう一つ『もんじゅはかたる』から『流星礼拝』に引き渡されたものがある。それは鈴の音だ。『もんじゅはかたる』では、扇風機の風によって鳴り響いた風鈴の音が、『流星礼拝』では、「神の旋律」に反応して発生する電気刺激によって、奏者の腕に装着された鈴が、いわば受動的に不随意的に鳴らされる音に置換されるのだ。ここに至って時間を支配するのは永遠に続く「神の旋律」となり、従って、いつ終わっても違いはなくなり、ライブ配信は終わり、あとは「布教放送」に引き継がれることが宣言されて公演は終了となる。時刻は25時50分くらいだったろうか。急に夢から醒めたように、PCの画面から映像が消え、自分がリモートで自宅でライブ映像を受信していたことに気付く。

* * *

 だが実を言えば、私にとって疑問はすっかり解消されたという訳ではなかった。まず『流星礼拝』に先行して再開された『五芒星』の行く末が気になる。「またりさま」がそうだし、より一般にはヴォルフラムのセル・オートマトンが良く知られているだろうが、同じ状態遷移規則に従うにしても、初期値によって得られる系列は異なる場合があり、この場合も、今回の上演で用いられた1980ステップで初期状態に戻る系列以外の系列があるだろう。二回目としてそうした別の、より短い周期を持つ初期値を選択する可能性を考えたのだが、三輪さんに後で確認させて頂いたところによれば、実際にはそうではなく、全く同じ初期状態から始めたとのことであった。実際、私が思いついた選択肢が選択されたならば、「日知り」のための松井さんの詩の配信―それは後述するように、実際には全部で15回行われたのだが―はもう1回余計に為された筈であり、なおかつその追加された1回は、他の回とは異なった状態遷移過程のログとなった筈である。だが実際には配信は15回、最初の周期がクローズするまでに限定して行われたのであり、再開された二回目については最早「日知り」が行われることはなかった。逆にそのことによって『もんじゅはかたる』において生じた亀裂の後、二回目が、一回目の単なる反復ではなく、別のものであるという私の印象が裏付けられたようにも感じた。

 だがそれは松井さんの詩の配信について起きたことが了解できた後の話であり、ライブ配信が終わった時点での私の最も大きな当惑の種は、既に述べた通り、寧ろ松井さんの詩の配信の背後にある規則についてであった。「日知り」として暦のような周期性を知らせる役割を果たすことが意図されていたかに見えて、実際には着信のタイミングからはその規則が全く予想できず、かつ詩の「内容」たる状態遷移の系列との関係もまた不明なままであった。後で紹介するように、着信の順序で並べたとき、一見したところ昇順に排列されて最後に0に戻っているかに見える「詩」の「標題」にあたるメールのサブジェクトも、途中で順序が入れ替わっている部分があり、その入れ替えが持つ意味合いもまた掴みどころが全くないのである。だが更なる困惑が、公演の翌朝、普段通りにメールの着信を確認した時に起きた。松井さんからのメールは、公演が終わった後も何通か届いており、最後の着信は終演後1時間以上が経過した3:12であったため、再び私はライブ配信が終わった後も、布教放送の背後で儀礼は継続していたのではないかという疑問に捕われたのである。この疑問は、三輪さん、松井さんに経緯をメールにて尋ねたのに対して回答を頂けたことにより解消したのだが、判明した事実は、今回の公演の狙いを踏まえると非常に興味深いものと私には思われたので、対応頂いたことに対する謝意も込めて判明した事実を記録しておくことにしたい。

 先に質問のメールを送ってみて、後からふと気付いたのは、別に問い合わせるまでもなく、電子メールなのだからヘッダを見れば発信の時刻はわかるだろうということだ。そこで早速調べてみると、以下のようになっていたことが確認できた。

 以下、各行が1通のメールの情報を表し、左から1列目がメールのサブジェクト(ここでは詩の題名だが、これは演奏が始まった時点を起点とし、各メールの詩が「書かれた」時点の15進表現であり、いわばタイムスタンプの如きものとのことで、従って昇順に規則的な増分を持った等差数列を形成する)、2列目が演奏会場で行われたメールの発信時刻、3列目が私の端末へのメールの着信時刻である。視聴の記録ということだと本来は順番は着信順にすべきだが、ここでは第1列と第2列の持つ規則性のわかりやすさを重視し、送信順に並び変えた。実際には演奏会場でのメールの送信は、宛先がプロバイダが規定する1回あたりの送信先数の上限を超えたために、1通につき2回に分けて送信されたとのことで、私が受け取ったのはそのうちの一方ということになる(だがそのことは、原理的に受信した私には知りえないことである)。メディアの制約により演奏の進行の周期性によって行われる筈の持続の分節そのものが、実は初めから2つに分裂していたことになる。否、寧ろ「詩」の配信という経路における時間の流れ方は他とは異なっていて、その結果、「同時性」の定義もまた、個々の時間の流れ毎に異なると考えるべきなのだろうか。いずれにせよ既に配信の段階で、演奏の時間とも、それに対して時点をラベリングすべくタイトルが書かれた時間ともずれていたということになる。

24E 23:11:39 23:12:33
4A5 23:19:25 23:20:19
711 23:28:16 00:01:46
972 23:37:40 00:02:00
BE5 23:46:54 00:35:28
E27 23:55:09 00:57:26
1167 00:03:36 01:31:34
13A2 00:12:12 01:31:41
15EA 00:20:45 02:12:42
1854 00:29:28 02:13:06
1AAB 00:38:22 02:09:42
1CEB 00:46:57 01:42:16 
2039 00:55:16 02:54:18
2287 01:03:59 02:54:44
0    01:17:45 03:12:49

 これを見てわかることは、大幅な配信の遅延が起きただけではなく、―そういう場合にしばしば起きることだが―、発信の順序すら保存されず、先に発信したものが、遅れて着信する順序の逆転が起きているという事実である。一方、送信側に注目すれば、ほぼ8分と数十秒間隔で規則的に発信されており、まさに「日知り」を意図したことが窺える。「詩」の中身は、松井さんが事前にテキストで告知した通り、演奏の「ログ」、より正確には舞台上の状態遷移過程自体を数値で表現したもので、1行が1ステップにあたり、132ステップが1単位で1編の詩として配信されたようだ。これが15回繰り返され、132×15=1980ステップで完全に初期状態に戻るのだが、15通のメールの本文を比較すればただちにわかるように、15個の部分(「ターン」と呼んでいるとのこと)の間にも対称性が存在し、パフォーマーのIDを無視した移動パターンに注目すると5種類のパターンが各3回繰り返されるし、同じものを今度は移動するパフォーマーのIDの順序に注目すると3種類のパターンが各5回繰り返されるという非常に美しい構造を持っており、詩の区切りは、状態遷移パターンが持っている周期性を反映したものとなっていることがわかる。松井さんが事前に告知したテキストのうち「周期性(Κλειώ)が時間(Κρόνος)を制定する」という部分がまさに企図されていることがわかる。しかしながら実際にはメールの配信が大幅に遅延したことにより、「周期性(Κλειώ)が時間(Κρόνος)を制定する」という意図は着信側からは読み取ることができなくなったのである。何しろ周期性が前提としている無時間的な順序(「逆シミュレーション音楽」では規則の生成の相であり、ライプニッツにおけるモナドの世界の秩序に相当する)が保存されないのだから、「規則」が与える順序に対して具体的な持続の測度を導入する「解釈」において、致命的なエラーが生じたようにも見える。

 だがそれでは、これは意図を無効にするようなトラブルだったのだろうかと言えば、同じ松井さんの文章の中に書かれている詩の意図を確認すると、必ずしもその限りではないことが読み取れるようなのである。そこでは「演奏された時間、タイトルが書かれた時間、配信され受信される時間、メディア越しに見える時間の差異の際立ちにある」と述べられているが、メール配信の遅延によって、ライブ配信の前提であった筈の同時性が、いわば脱臼させられ、単に時間の流れるスピードが変わるのみならず、本来なら測度が与えられても保存される筈の順序さえ逆転してしまい、メディア(媒体)を通過することにより意図せず偶然に編集・加工されたものが着信側には「現実」の時間の流れとして認識されたということであるから、「メディア越しに見える時間の差異の際立ち」については寧ろ申し分なく達成されたという見方すら成り立つのではなかろうか。それを遅延やトラブルとして「本当はそうではなくて、こうなる筈だった」と捉えるのではなく、むしろ今回の上演の中に存在する複数の時間の流れのうちのある部分においては、他の部分とは時間の流れ方が違っており、事後的にみると「同時性」が破綻し、「現在時」の分岐が生じていた、そしてその結果、ある部分においては(私は実際に、一度はそのように考えたのだが)、別の部分での上演=配信が終わってからも儀礼が続いていたというように捉える方が、今回の上演のコンセプトには即した見方なのではないかと思うのだ。ちなみに言えば、送信されたメールは文字通り複製されて、メールの配信を希望した複数の人間にばら撒かれた訳だが、着信の時間は、確認のネットワーク上のトポロジー上の位置であったり、各自の端末の環境であったりに応じて、それ自体の中で差異を孕んだものであった筈で、それはこの公演の配信を受け取った人の数だけ、異なる時間の流れが生じたということに他ならない。

 実は私がこの企画のお話を伺った時に思ったのが、そもそも認識における「現実」というもの自体が、実は無意識的に仮構されたものであるという心理学的な事実であった。わかりやすい例で行けば視覚における「盲点」のことを思い浮かべても良いし、一見すると絶対的なものと思いなされる時間的順序の認識ですら、ベンジャミン・リベットの有名な実験の結果が示しているように、意識下で行われた編集作業の結果であることは、今や良く知られた事実となりつつある。勿論水準は違うけれども、まさにリベットの実験の結果のような「時間の差異の際立ち」が今回のライブ配信において確認できたことは特に印象的であった。

 既に述べたように、コロナ禍においてコンサートホールに集まった観客を前にした上演が不可能となった状況に対して、今回の『三輪眞弘祭』の企画は、無観客のコンサートホールでの上演をその場で経験できたに違いない「現実」に出来るだけ近づけるべく、「リアリティ」を追求する方向を目指すのではなく、メディアを介した配信も含めたプロセスの全体を「作品」として捉えることで、通常の様式での演奏では経験不可能な新たな「現実」を構築し、提示することを試みたと言えるだろう。その観点から、今回のマルチモーダルな配信の一つであった「詩」の配信において上記のようなことが起きたことは、どのように位置づけられるだろうか。

 『霊界ラヂオ』のところでも触れたが、企画の途中では、単なる配信に留まらず、ネットワーク越しに、受信側の端末でMIDI音源をリモートで再生させるようなことも検討されたという。容易に推測されるように、そうした試みはセキュリティ上の問題を惹き起こす可能性があることから、セキュリティ面を配慮した配信を行うための技術的な工夫が必要となるだろう。実際にはそうした試みは実現せず、配信自体は一見したところありきたりのライブ配信の形態となったようだが、通常自明と考えられている「同時性」や「リアルタイム性」を、ひいては「リアリティ」を揺るがせ、聴き手が(ここではネットワーク経由で)パッケージ化されたコンテンツを受け取るというコミュニケーションの図式を問いに付し、それらが仮構されたものであることを示す批判的な意図は、全体の上演の構成の点でも、映像の点でもそうであるのに加え、詩の同時配信というマルチモーダルな試みにおいて偶々発生した―だが、この発生は想定外ということはなく、寧ろ起こりうることは十分想定可能だった筈である―トラブルを通してもまた、達成されていたのではないかと私には思えるのである。

* * *

 というわけで、3時間(ただしメールによる「日知り」モードについては更にその後も)にわたるライブ配信の間、色々なことを感じたのだが、敢えて全体としての印象の整理を試みるならば、映像に関しては、敢えて臨場感やライブ感の追及から背を向けて、「いつそれが起きたか」に関する感覚を宙づりにすることで、例えば夢も生きられる一つの「現実」であるといった意味合いでの「出来事」のリアリティを追求していたように感じられた。複数のカメラを用いた視線の切り替えについても、コンサートのライブ中継で同様のことが行われるのとは異なった感触(夢の中での時間の流れの不完全性の印象に近い)が感じられたように思う。ただしそれが例えば映画のような「映像作品」が持つ固有の時間の自律性とどう違うのかについては私には判断がつかない。確実に言えることは、それが(実際には可能なのかも知れないが、少なくともさしあたりは)録画されたものを再生する(映画を何度も見るとに近づくだろう)ことが出来ない以上、私にとっては、夢から醒めた時に自分が見た筈のずの出来事の朧げな痕跡を辿るのと同じことしかできないということである。

 一方でそうした映像と比較した時、音響については、正直に言えば、やはり「録楽」に接した時と同じような感覚を持たざるを得なかった。詳細はわからないが、会場で演奏された音をマイクで拾う他ない作品と、そうではなく、音源からの音を直接流すことができる作品という区別が今回の場合には存在したように思うのだが(電子楽器については論理的には後者が可能であるように思われる)、いずれにしてもネットワーク越しに聴いた当然の結果として、全てが幽霊性を帯びてしまい、例えば『霊界ラヂオ』とMIDIアコーディオンによる『海ゆかば』の朗読との間にあった筈の微妙な差異、会場においては否応なく生じてしまう、何が鳴っているのか、どこから音が聞こえているか、どのように音が空気を伝わるかということに関する微妙な差異が消えてしまうような印象を避け難く抱くことになった。もしかしたら、そのあたりについても実は非常に繊細な操作が行われていたのかも知れないが、私のPC端末と、何より(あまり立派な性能を持つとは言い難い)私という「端末」の限界からか、もしそれがあったとしなたらば、私はそれを捉えそこなったことになる。だが開き直る訳ではないが、それ自体は―特に後者は―実は実演に接した時にも起きている問題だから、今回のライブ配信の「せい」だという事はできないだろう。その中で私にとって印象的だったのは、会場に響いたとはいえ、ホロレンズの向こう側の世界から響いてきたものでもある『もんじゅはかたる』の「生の人の声」が、或る種の特異点のようなものとして、本来は(これも実質はマイクで拾った音をネットワーク越しに聞いているのだから)存在しない筈の差異を感じさせ、時間的にも亀裂を生じさせていたように思えたこと、それに対し『霊界ラヂオ』の方は、三輪さんの先行する幾つかの作品で同じように「特異点」としての役割を担ってきた機械=メディアの一つであるにも関わらず、今回は(寧ろ、意図された通りというべきなのかも知れないが)特異点としては機能せず、ラジオの向こう側(それは、受け手とトポロジー的には対称的な、演奏会場の外にあるネットワークかも知れないが)としての「外部」を指し示しているようには感じられなかったのが、或る種の違和感として残っている。実際には映像と同様に、音響に関しても途中で様々な操作・加工が行われたものが届いている筈だし、それを際立たせるために、それとわかるノイズの除去や変調をしたり、或いは遅延させたりといったことをやればいいというものでもないだろうが、電話越しの声やラジオ放送、更には「録楽」に慣れきってしまっているからか、更には新型コロナ禍にあってzoomでの会議などでネットワーク越しの会話に適応してしまっているからか、或いはそうした環境にも関わらず、臨場感ということに関して、耳の方が遥かに保守的で頑固であり、演奏会場でもスピーカからの音と、その場で鳴る楽器の音を同時に聴くことに対して強い違和感を感じるというような事情が影響してか、結局のところ「コンサートホールでの実演は、ライブ配信とはやはり違うのだ」という平凡な事実を突きつけられることになったようにも思える。

 だが初めからそのように告知されていたことを踏まえれば、「これは音楽ではない」ということの提示として、「音楽」の追悼として、更には、今回はそれに直接接することができなかったが故に「…かもしれない」「…という夢を見た」という括弧に入った形ではあるけれど、「音楽」が持っている力、持ちうる力が反語的に浮かび上がってくるという点で、今回の試みは強い説得力を持つものであったように感じる。してみるとここでは、もともと三輪さんの作品の多くには、「…という夢をみた」という由来が伴い、「逆シミュレーション音楽」の3つの相においても「命名」が「音楽」を構成する必要条件として規定されている(「命名」を欠いた「規則」の「解釈」は、未だ「音楽」ではない)ことを思い浮かべ、今回経験したことを反芻してみるべきなのかも知れない。

 「詩」の同時配信については、改めて繰り返すまでもないが、メール配信の遅延により、図らずも(松井さんは、実はそれをある程度予想していたかも知れないが)、「場の共有」や「同時性」や「リアルタイム性」が実は仮構されたものであることを暴き立て、ライブ配信のフレームを揺さぶり、複数の時間を浮かび上がらせた点で、得難い経験をすることができたように感じる。

* * *

 鶏の存在もまた、舞台の上で複数の時間が流れていることを感じさせる点で、実に印象的だった。当たり前のことではあるが、彼らは別にホロレンズを付けなくても我々とは別の現実を生き、別の時間を生きているのだ。そして彼らは粉まみれで五芒星の中央に崩れ折れてしまうダンサーが自分達の精であることを知らない。そうした彼らが、平常時には居られるはずのないコンサートホールの舞台の上を、自分の興味の赴くままに歩き回り、時として演奏の妨げにさえなりそうになる姿は強い印象を残す。もともとが芝居小屋という由来もあってか、オペラ等では本物の動物が舞台に登場する場面にもしばしば出くわす(鳥ということなら、例えばペルゴレージのアニヴァーサリーにゆかりの土地であるイエジで上演された彼のオペラの一つ『シリアのハドリアヌス』では、よく調教された鷹が歌手とともに舞台に登場したことが思い出される)が、ことコンサートホールに関しては通常時ではそもそも考えられないことであり、このような状況下とは言えそれが実現したのも、これまでも三輪さんとのコラボレーションを行ってきた実績の積み重ねがあってのことだろう。だが結果として鶏たちの存在がこの公演にとって不可欠であったことは、上演に立ち会った多くの人間が同意することと思われるし、そうした継続的な関係こそが、このような状況において意味を持つのだということが実感させられる。今回ネットワーク越しに垣間見たホールは、以前訪れたあの美しいホールとは些か異なるものであった。だが、状況に呼応して、このような「変容」が達成できたという事実が今後のポストコロナでのホールの在り方に及ぼすものは決して小さなものではないに違いない。無観客での開催、無料での配信ももちろんのことだが、そうした点についてもホールのこれまでの活動と併せ、今回の英断に敬意を表したい。

* * *

 以上をもって、私が当日経験したことの記録を終えることにする。上に記したような、その場で感じたこと、記録を綴る途上で思ったことはそれとして、この出来事を正当に受け止めるためには、別途まるまる一篇の論考が必要とされるであろうが、それについては後日を期することとし、最後にこの上演に関わった方々に対する敬意を感謝の気持ちを記して、ここで一旦、視聴の記録については筆を擱くこととしたい。(2020.9.26-27初稿, 28公開, 12.20演奏者名を追記)

2020年8月11日火曜日

「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ(12)公開にあたって:執筆の背景・構想・経過・謝辞

 構想

「古代」村落の想像的根拠としての宮古島狩俣から「極東の架空の島」としての「狩俣島」へ

 但し、「古代」村落の想像的根拠は藤井貞和『<うた>起源考』を典拠とし、「極東の架空の島」は三輪眞弘「極東の架空の島の唄」を典拠とする。

 最初の問題設定

藤井貞和の<うた>の起源についての「双分観から三分観へ、中心(ミヤーク)を意識する」プロセスとジュリアン・ジェインズの<二分心>から意識への変容プロセスに並行性が確認できることから、両者に構造的な連関があるという仮説を導き、その妥当性を検討する。

 ◆第1年度実施内容・結果と課題

□実施期間:201810月~20198

 □実施内容

上記のプロセスを分析・検討するために、藤井貞和『古日本文学発生論』に基づき、宮古島狩俣の事例に問題設定の場を求め、文字記録以前の狩俣村落の形成のプロセスの推定復元を、主として考古学的調査の結果・史料に確認できる歴史的事実、および社会学的・地理学的側の調査・分析の結果に基づきつつ、試みた。フィールド調査は行わず、文献調査と狩俣村落の地図を用いた検証のみを実施した。

 □結果

狩俣村落の変容プロセスの復元推定の結果を以下の資料にまとめ、また調査・分析の過程で収集・参照した資料を文献リストにまとめた。

・狩俣村年代記 ver.1.10  2019.8.11

・「狩俣村年代記」説明 2019.8.11

・参考文献リスト 2019.8.11

 □成果と課題

・狩俣について論じた文献に関し、比較的容易にアクセスできる著作・論文は一通り収集して内容を確認することができ、引き続きの分析・検討のための準備ができた。

・狩俣村落の変容プロセスの復元推定については、文字記録を欠いていることもあり、実証性を欠いた脆く朧気な構築物が得られたに留まった。

・本来の目的である、藤井貞和の「双分観から三分観へ、中心(ミヤーク)を意識する」プロセスとジュリアン・ジェインズの<二分心>から意識への変容プロセスの構造的な連関の検討については、その仮説を前提として、知られている事実や伝承に基づき、一応の整合性を持った通時的過程の復元推定を試みたが、細部における分岐の可能性を指摘する作業に終始した結果、構造的な連関の検討まで到達できなかった。

 2年度の構想:

□予定期間

2020627日~811

 目的

検討の対象

A.<二分心>と自伝的自己を伴う意識:言語の獲得の影響、<二分心>崩壊から意識の誕生の過程に、今日に至る祭祀の発生の起源をみること

B.双分観と三分観:外部との接触による村落の変容のプロセスの反映として

C.社会集団の構造(社会システム)と成員の心の構造(心のシステム)の関係:社会脳。超越的な存在とのコミュニケ―ション・プロトコルとしての祭祀/村落の社会統制の手段としての祭祀

 □検討を導くモチーフ

村落の外部との関わりと、それに伴う構造の変容(社会のオートポイエーシスの水準)を、

細胞と外部の関りと、それに伴う構造の変容(生命のオートポイエーシスの水準)や

心の外部との関わりと、それに伴う構造の変容(心のオートポイエーシスの水準)

とパラレルであり、アナロジーが成り立つものと仮定して考えてみる。

検討の方法

A.<二分心>と自伝的自己を伴う意識(第1章)

  • 系統発生的=進化論的な自己の発達モデル(トリーおよびミズン)、および個体発生的=発達論的な自己の発達のモデル(やまだ)と<二分心>モデルの比較検討を通じた<二分心>の位置づけの確認。言語獲得の副作用としての<二分心>モデルの権利上の妥当性の検証。

B.双分観と三分観(第2章)

  • 三分観の背後にある双分的な認識の複合に見られる不整合に注目して、そこに村落の形成・変容の過程の反映を読み取る。更に一方では村落複合体の内部に埋め込まれた部分集団の水準、他方では村落がその要素となる村落群の集合(ここでは仮に「狩俣圏」と呼ぶが、これは単なる便宜上のラベルに過ぎず、実態を踏まえたものでは必ずしもない。実態を踏まえるならば、寧ろ「大神圏」と呼ぶのが適切かも知れない。)の両方の水準を検討し、統一的な構造把握を試みた。特に後者の水準の検討は、今年度新たに行うものであり、同一の祭祀を持つ、他の村落との比較を通じて、狩俣の独自性を確認する。

C.社会集団の構造(社会システム)と成員の心の構造(心のシステム)の関係(第35章)

  • 今日存続する祭祀を<二分心>時代からの存続としてではなく、<二分心>崩壊から意識の誕生の過程における心的システムの変容への「対抗措置」という意味合いを持つ村落の社会統制の手段として見ること。更にその目的のために仮構された起源の<物語>によって、意識の外部として産出された超越的な存在とのコミュニケーション・プロトコルとして捉えること。
  • 狩俣の祭祀の構造における重層性:狩俣の祭祀における神歌の継承における口承性を巡る様々な側面を検討し、神歌における言語の行為遂行的機能の優位と意味内容の副次性の具体的な様相を確認すること。特に傍観者であり、神歌の唄う役でもある男役の存在とその意味合いに注目すること。つまり、歴史的には狩俣の神歌が編纂されるプロセスにおける外部の侵入、そして共時的には、神歌が記録され、保存されるに至るプロセスにおける外部の侵入(神歌の採集という研究自体を指す)の何れにも媒介としての傍観者の層が本質的に係っていることを認識すること。そしてそれが発生論的には<二分心>から意識への移行に並行した出来事であり、意識の構造と祭祀の構造に同型性が見られること。また事後的な観察においては、そうした祭祀の構造の存在が、意識から<二分心>を覗き込む通路の存在を保証すること。

 □狩俣の事例の検討・分析の方法

なお、狩俣の事例の検討・分析については、昨年度の検討を踏まえ、特に以下の点に留意して進める。

  • 本永の「三分観の一考察」で提示され、藤井が「双分観」から「三分観」への移行として動態化した構造主義的視点を分析のベースとする。1年度に調査した地理学的・社会学的・考古学的・歴史的事実は「双分観」から「三分観」への移行の相を解明する目的に限り、その真偽を問題にするのではなく、あくまで地理認識・歴史認識が記載された資料として利用する。
  • 藤井貞和『古日本文学発生論』およびその後の狩俣の神歌に関する藤井の論考を常にそこに立ち返る参照点、根拠とする。本永清のいう、「神話・儀礼・神歌」の相に集中し、心の構造と社会の構造の対応をそこに見出すことに重点を置く

 文献の中では、まず地理学的・社会学的・考古学的・歴史的資料としては、第1年度の調査結果に基づき、真偽を問うのではなく、地理的・歴史的認識が記録された資料として捉える立場から、検討上の必要に応じ、古いところでは戦前の田村浩の研究を含め、琉球大学、沖縄大学によって行われた各種フィールド調査の報告を中心とした各種資料を改めて参照する。

 一方、狩俣の「神話・儀礼・神歌」の相に関する文献の中では、特に、「よまれている神歌を対象として「神歌」のかたちを取り出そう」(下掲書, p.198)と試みるとともに、「出来事としての神歌を考察の対象とし」(同上)ている

  •     内田順子『宮古島狩俣の神歌 その継承と創成』

に注目する。(神歌のテキストの資料としてではなく、神歌を中心とした儀礼の遂行プロセスに全般に関する資料と捉える。)

更に、

  •     真下厚『声の神話』の狩俣関連部分
  •     居駒永幸『歌の原初へ』
  •     奥濱幸子『祖神物語』
  •     比嘉康雄『神々の古層③遊行する祖霊神 ウヤガン〔宮古島〕』
  •     もろさわようこ「太古の系譜」(『上井幸子写真集 太古の系譜』所収)

も適宜参照する。いずれも事実に関する資料としてだけではなく、聞き取り調査の結果得られた、祭祀に参加する当事者の儀礼における心的姿勢に関する資料として捉える。

◆謝辞

 本論の成立の背景、構想、経過については上に述べた通りです。それ故、まず最初に、本稿の最初の着想を思いついた時に相談にのって頂き、藤井貞和先生と本稿に関連するやりとりをメールでさせて頂くきっかけを作って下さった三輪眞弘さんに御礼申し上げなくてはならないと感じます。

 そして勿論、「古代」村落の想像的根拠としての宮古島狩俣から「極東の架空の島」としての「狩俣島」へという本稿の構想が藤井貞和先生の著作と三輪眞弘さんの活動に導かれているが故に、更には本稿の執筆の経過を見守って下さったことに対して、藤井貞和先生と三輪眞弘さんに御礼を申し上げます。その一方で、お二人の巨大な成果に比べた時、本稿がそれに対する応答とするにはあまりにささやかで取るに足らないものであることについては唯々お詫びする他ありません。折しも、本編執筆から公開までの間に、本稿を書き始めるきっかけとなった藤井先生の著作『<うた>起源考』(青土社)の毎日出版文化賞受賞の報せに接しました。本稿公開が、ささやかながら受賞のお祝いとなったことを大変嬉しく思います。

 更に本稿のための調査や執筆の期間は、京都大学人文研究所による「「システム内存在としての世界」についてのアートを媒介とする文理融合的研究」(通称「三輪プロジェクト」)と並行しています。本稿の内容は、本ブログに別途公開している研究会での発表内容やイベントの記録と直接関わる訳ではありませんが、もしそれらと本稿の両方をお読み頂いた方がおられるならば、その方にとっては明らかであるように、両者は密接な関係を持っており、本稿がいわば対位法における対旋律をなすものであることは明らかです。研究会をオーガナイズされている岡田暁生先生を始めとする研究会の先生方に対して、そもそも私のような門外漢を寛容にも受け入れて下さっていることと併せ、この場を借りて御礼申し上げます。研究会でもご一緒させて頂き、本稿に関してはβ版をお読み頂いた後で興味深いコメントをお送り頂いた松井茂先生には、三輪眞弘さんの活動に対する私の反応を「三輪学」と命名して頂きましたが、本稿はまさに「三輪学」の成果の一つであると認識しており、それ故私個人としては、もしご承認いただけるのであれば広い意味での研究会の成果に加えて頂くのが適切であると考えています。

 なお当然のことながら、上に記載したような諸先生方から刺激を頂かなければ成立しなかったものであるとはいえ、本稿の内容に誤りがある場合には、それは全て執筆者である私に帰するものであることを付け加えさせて頂きます。(2020.12.20)


「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ(11)あとがきに替えて

 あとがきに替えて

心のシステムは神経回路網の学習によって後成的に形成されて行く側面があるため、既に生物学的水準でも可塑性・柔軟性を持っていたが、ヒトに至って、脳の急激な発達と言語の発達による現実世界とは独立の仮想的な概念による領域を獲得したことにより、どのような構造を規範として学習・調整を行うかに関して、生物学的界面でのそれを大幅に超えた自由を獲得することになった。だが、ということは、人間はこの先自らをどのような方向に向けて心のシステムや社会のシステムの変化をドライブしていくかについて、大数の法則に支配された統計学的なゆらぎに起因する偶然を受動的に当てにするのではなく、意図する、しないに関わらず、より急激な、ということはより制御不能に陥る危険の高い選択・調整を行い続けていく宿命にあると言って良い。人間は既に自らを単純な開放系におけるゆらぎのみを扱う類の複雑系から遠く離れて、カオス力学系の中に身を投じているという自己認識を持つべきなのである。<二分心>から意識への道程は、一旦その軌道に捕らえられてしまえば必然的とも見えるものであったかも知れない一方で、好むと好まざるとに関わらずカオス力学系ベースの複雑系の常として、非可逆なプロセスでもあり、最早後戻りは利かないのだということを認識すべきなのだ。自伝的自己をベースとした近代的自我を範例とする責任と自由による社会統制のメカニズムが予期せぬ弊害を引き起こしたからといって、<二分心>の昔に戻ることはできない。人間にあっては寧ろ起源は自己認識をその礎においた仮構に過ぎない。「隠れたる神」が再び身近に甦ることはないし、「自己」が常に自己に対する表象や了解の複合であるに過ぎないように、過去の楽園は自らが産みだした幻想に過ぎない。

近代的自我の規範が弱まるにつれて、自己の規範も変容を蒙りつつあって、それは例えば精神病理学の領域では、躁鬱病の重症化と病態の多様化とともに、統合失調症の軽症化をもたらしているとの指摘を加藤がしているが、そうした環境の中で、だが、<二分心>の名残を留め、<二分心>から意識への移行の証言者でもある狩俣圏の祭祀システムは、自己を継続することを停止してしまった。それは時代が逆行を始めたのではなく、<二分心>から意識への道筋を、<二分心>からますます離れる軌道に乗って移動を続けているからに他ならないだろう。

人間は今後も社会的動物として、その自己の構造に集団的な側面を残し続けるだろう。だが、社会統制のためのインタフェースとしての<二分心>が可能にした、時間方向・空間方向両面における集団への帰属は、別の仕方で、従って全く同じというわけではないにせよ、同程度には強固な集団への帰属を成員に求める近代的な自己を規範とした時代を経て、今や集団への帰属の価値自体が変容し、希薄化しつつある。結果として人間は、社会的動物としての性質を弱めており、かつその傾向に棹差すどころか、その傾向を一層強化する傾向にあるようにさえ見える。

そうした中で今や可能性は、過去の祭祀を単純に復活させることの中にではなく、意識が獲得した能力である、現在と異なったものを想像し、創造することができる能力の下に、古代」村落の想像的根拠としての宮古島狩俣を出発点にして、「極東の架空の島」としての「狩俣島」を構想することの裡にあるのではないかと思えてならない(なお、ここで「狩俣島」という時、例えば狩俣と実在の他の島との関わりを示唆する意図はない。例えば国内では五島列島に属する若松島は、恐らくその島の形状から「狩俣島」と呼ばれたようだが、そこから稲村賢敷『琉球諸島における倭寇史跡の研究』以来の倭寇の琉球諸島への影響を踏まえて両島の関わりを想定すること、或いは海外まで目を拡げれば、砂川明芳『宮古島郷土史考』の「南への連想」のようにボルネオ島の更に南西にあるカリマタ諸島にまで連想を拡げる向きもあろうが、ここではあくまでも三輪眞弘が、柴田南雄の『音楽の骸骨のはなし』に着想を得て制作した「極東の架空の島の唄」の作品群の延長線上に位置づけられるものという意味で、「島=シマ」が村をも意味することを踏まえてそのように命名したものである)。それはドイッチュが『無限の始まり』で述べた、持続可能性をではなく、新たな始まりを追求すべく、想像力と創造力を行使せんとするヴィジョンへの共感を表明するものでもあるだろう。それは楽観主義などではなく、寧ろ「神々の沈黙」の時代、「隠れたる神」の時代を生きる最終走者として、一方では自分が産出したシステムが制御不可能となり、自らの存続のための基盤を損なう危険に常に脅かされつつ、他方では過去において無意識の裡に抱き続けてきた「人間」の特権性・優位性を、知性や創造的な感性といった領域に至るまで自らの手で相対化してしまった現在を生きる、つまりジュリアン・ジェインズの言う<二分心>以降、レイ・カーツワイルの言うシンギュラリティ(技術的特異点:レイ・カーツワイル『ポスト・ヒューマン誕生』を参照。)以前の時代を生きる人間に課された宿命に対する誠実な応答なのではないか。この試論は、その達成を目論むものでは到底あり得ないが、そうした可能性の存在を裏付け、そうした試みに向けた補助線を描くことを目的としたものである。だがその成否については読者の判断に委ねる他なく、一先ずここでは、その結果の如何によらず、藤井貞和と三輪眞弘のこれまでの業績の上に、新たな社会の形態を目指した「極東の架空の島」の儀礼が産み出されることを祈らずにはいられない。



「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ(9)付論

 (付論1)新型コロナウィルス感染症が祭祀・芸能・音楽芸術に及ぼす影響について

本論では<二分心>の崩壊の過程において生じると仮定される双分的発想から三分観への移行を、宮古島狩俣の村落の構造の変容プロセスや神歌の継承のあり方において確認することで、それが一度は「亡滅」を潜り抜け、存続してきたものの、前世紀末に停止してしまった経緯を辿ったが、本論の検討および執筆は、新型コロナウィルス感染症の対策として、各種の祭祀・芸能・音楽芸術の上演や公開が不可能となるという、まさに「亡滅」の危機に晒されるという状況下で行われた。そこでそうした状況に対して本論の検討から言いうることを以下に瞥見しておくことにする。

まず、新型コロナウィルス感染症における「音楽芸術」の死は二重のものに思われる。

A.「音楽芸術」が傍観者=聴衆を必要とする(制度的にも、経済的な意味においても)ように構造変容した結果、聴衆を呼べないこと=公演ができないことで破綻するという側面。この側面に対して三輪は、2020年9月にサラマンカホールで予定されている公演において、ライブストリーミングの意味を変容させることで乗り越えようとしているように見える。一方で聴衆が制度的・経済的な支配者になった地点で、<二分心>的な祭祀と結びついていた奉納の様式としての「音楽」は終わっているという見方も可能であり、その意味では音楽は、これまで数世紀に渉り、長い死(という余生)を生きてきたということになる。今回のコロナ禍は、その引き延ばされた死(という余生)の終焉となるかも知れない。

B.もう一つは舞台の上に「解釈者」が集まれなくなることでそもそも祭祀が行えなくなるという側面。祭祀自体が停止することに他ならないが、こちらについては、三輪の9月公演は、いわば正面から抵抗していることになるだろう。祭祀自体の停止は社会統制のあるモードが破壊されることに他ならない。だが、そんなことが本当に起こるのだろうか。これは身勝手な妄想だが、自粛による中止の陰で(ウヤガン禁止令の例のように)、この水準での祭祀は秘かにいつもと変わらず行われているのではなかろうか。継続実施されてきた反復の中で、偶々一回だけ例外が発生したとしても、それはいずれ新たな反復により、元の軌道に復帰するのではないか。この水準は社会システムのオートポイエティックな存続にとって基本的な回路であって、この水準での停止は、そのままシステム自体の停止、即ち「死」に繋がるのではなかろうか。

話を現実の狩俣圏に戻せば、狩俣も島尻も、継続すべき祭祀は、別の理由で既にないわけだが、狩俣の祖伸祭が生きていたら、恐らくは外部をシャットアウトした上で、いつものように祭祀は行われたのではないか。その意味では気になるのが、狩俣圏で唯一断絶したとの報告のない大神の祭祀がどうなるかだろう。狩俣の場合とは異なり、永らく外部には全く秘されてきた経緯もあり、一部の神歌などが知られるようになったとはいえ、現在でも門外不出の秘祭であり、更にこれまたコロナ禍とは別の理由で既に長きにわたり規模が縮小し、最低限のものになっていると想像されるので、寧ろコロナ禍の影響を受けにくいという側面もあるだろう。

だが上でも示唆したように、三輪はサラマンカホールの公演を音楽そのものへの追悼として捉え、コロナ禍の下で「音楽」が、単に経済的な意味合いで成立しなくなっただけでなく、本質的なレベルで不可能となったことを、まさにその公演自体によって示すとともに、ライブストリーミングの意味を変容させることで、新たな祭祀の可能性を探っているという見方も可能なように思われる。そこで本論における「極東の架空の島」としての「狩俣島」へと至る可能性の追求という観点で、三輪の試みがどのように捉えることができるかについて、以下で素描を試みたい。

まずは「音楽芸術」が傍観者=聴衆を必要とする(制度的にも、経済的な意味においても)ように構造変容した結果、聴衆を呼べないこと=公演ができないことで破綻するという側面についてだが、聴衆がコンサートホールに集えないことに対する手段として、ライブストリーミング等によってネットワーク越しに聴き手に演奏を配信すること自体は、少なくとも現時点においては既に特段目新しいものではなく、寧ろ、真っ先に思いつく選択肢ですらあるだろう。そしてそのことは、実際にそのような形態でのコンサートが開催されていることからも窺える。

そもそもライブストリーミングのような画像・音響の配信の技術は、今回のコロナ禍への対策として新たに編み出されたものではなく、これは既に長い歴史を持つFM放送やテレヴィジョンでのコンサートの実況中継の延長線上にあると捉えることができるだろうし、更に広い文脈では、録音した音響を再生するという音楽の享受の形態を支えるテクノロジーの中に位置づけることができるだろう。三輪はそれらに関する音楽活動を「録楽」と定義し、ある特定の場所と時刻を持つ一回性の上演に関するそれと峻別してきたのは周知のことだが、それは「録楽」が、音楽を単なる音響であるという了解を生み出し、聴取を演奏の結果としての音響をパッケージ化したものの消費と同一視することを自明のこととして疑わない態度を生み出してきたことの批判であるとともに、記号論的な三分法(それ自体そのような了解の産物といった側面を持つのだが)における生産と演奏のレベルもまた、音楽が恰も自律的で、独立した価値を有するものであるという了解の下、祭祀のために用いられてきたといった歴史的文脈を離れ、コンサートホールにおいて消費されることを目的として再組織化されてしまったことへのラディカルな批判をも含むのであり、「逆シミュレーション音楽」の3つの相は、そうした問題意識から、あるべき(それは同時に「ありえたかもしれない」でもあり「ありうべき」でもあるのだが)「音楽」を、これ以上の抽象化はできない程根本的なレベルで再定義したものに他ならない。

そのような立場からすれば、今回のコロナ禍がもたらした状況が、ライブストリーミングを生演奏の単なる代理物と見做すような立場に比べて、遥かに深刻なものとして受け止められることは容易に了解できよう。だがその一方で、そのような立場に立った時、ライブストリーミングを自明の確立済みの配信手段として捉えるのではなく、寧ろ「音楽」のありうべき姿を追求するための契機として利用するという見方が可能になるように思われるのである。例えば、コロナ禍ですっかり定着したzoomのようなビデオチャットの仕掛けの上で、手元で再生した音響を送信するのではなく、音源自体を配布してリモートで再生させるといったことを考えてみることができるだろう。或いは目的は異なるが、ビジネスの領域でも、リモートからホストPCの制御を奪って遠隔操作するツールが在宅勤務用に広く用いられるようになっているが、その延長線上に、MIDIデータを送ってリモートで遠隔操作させるといったような可能性が考えられるだろう。そのようなところに単なる演奏のビデオ配信ではなく、配信そのものを演奏、上演の一部とする発想の転換の可能性が秘められているように思えるのである。今や音声にしても高画質の映像にしてもリアルタイムで 配信ができるとはいえ、単なる演奏の映像や音声の配信ではなく、リモート(聴き手のPC)でMIDIシーケンスを再生させるという遠隔操作をしようということになれば、まずもってはセキュリティ上の問題から、受信側で事前設定する必要はあるだろうから、少なくとも事前に(勿論それは直前に、その都度でもいいが)専用のアプリケーションをリモート側にインストールすることが求めされるだろう。ここでの難しさは、単にメッセージを送りつけるのではなく、リモートで操作をしようとしていることに存するのだが、ここに分界点があるという点は「自己」というのを考えるときにもヒントになるのではなかろうか。

勿論、技術的な水準では、散文的なセキュリティの問題(リモートでの実行を認める認めないの話)に過ぎないが、この場合にはそうしたレベルを離れて、リモートでMIDIコードが実行されたとき、一体「誰の身体で誰がうたっていることになるのか」ということが問題になるのではないか。すると直ちに思い浮かぶのは、まさにウィルスの伝染のような例であり、免疫系についての議論が「自己」についての議論そのものであることにも思い至る。とはいえ予め確立された「自己」が離れ離れに孤立している状況で、どのように「自己」間のコミュニケーションを回復するかという発想だとコミュニケーションの話にしかならない。現実のコロナウィルスに纏わる話も(これは音楽に限らず、より一般的な様々なレベルでの社会的・集団的活動一般についてだが)多くはその水準で論じられているが(そしてセキュリティの話というのもまた、こちらは技術的な界面での議論であるものの基本的には同じ水準の話だが)、そうではなく、ここで問題にすべきは、「自己」の(その都度の)成立に纏わる話なのではないかというように感じられるのである。

それはどんなに控えめに言っても、聴くこと、演奏会に参加することがどういうことなのかということの問い直しにはなるのではなかろうか。例えばラジオをつけてダイヤルを捻って…、或いはCDを選んでプレイヤーにかけて…、はたまた音楽を聴くアプリに聴きたい曲をダウンロードして…、etc.に対して、ここで聴き手がやっていることは何になるのか。あるいは自宅のプレイヤーズ・ピアノでダウンロードしたMIDIシーケンスを実行することと比べたらどうだろうか?ここではMIDIデータは予め存在する「私」がダウンロードするわけではないことに注意すべきであろう。そもそも「自己」というのは発生論的にも他者との関わりの中で生成し、維持されていくもの(しかもそれが維持されることは必ずしも自明なことではない)であり、エピソード記憶が持てるかどうかといったレベル辺りまでは確実に生物学的なレイヤーの話であったとしても、どこかから上は実は生物学の話ですらなく、神経回路網は文化的・社会的に調整されることを思い浮かべよう。その調整の幅は、ある社会では「病的」と呼ばれるようなレベルからそれこそ統計的な平均である「典型」までかなり幅があることを思えば、ダマシオの言う延長意識=自伝的自己というのは、ここで問題になっているネットワーク技術に類比するのであれば、例えばVPNの一部の実現方法(SSL-VPN)がそうであるように、TCP/IPにおけるアプリケーションレイヤにおいて仮想的にインプリメントされているメカニズムに基づいたソフトウェア的なものと考えた方がいいように思われる。そして実は「自己」が独我論的に孤立しているように見えるのは、「自己」が成立してから内側から眺めているからであって、「自己」に対する自己自身の表象に過ぎず、「自己」自体は外部との関わりにおいて形成されるインタフェースのようなものなのではなかろうか。些か粗雑な対比になるが、津田一郎の『心はすべて数学である』第2章「「私」はいつ生まれるのか」に出てくる「集合的な心」にあたるものは、ここでは事前にダウンロードしておく専用アプリケーションに相当するのではないか。

「何人もの他者の心が入り込んだ「集合的な心」、コミュニケーションを通じてダイナミックに変化していくもの―脳とはこういうものであると考えると、「脳の活動が心を表現している」というように現象的には見えていても、やはり順序としては逆ではないか、原因はむしろ“心”のほうにあるのではないかと考えられる。

つまり、他者の心からなる「集合的な心」のようなものがあって、それが個々の脳を通して私の心」として表現されていく、ということです。この現れ方の違いが、私たちの個性でもある。すると、「脳とは集合的な心を個々の心に落としこむための生物学的な装置である」ということになります。個々の脳が個々の心を作り出すのではなく、他者による心が私の脳を作る、脳の独特の構造によって個々の心が表現される。だから自己とは他者を表現したものだと考えられるし、集合的な心をそれぞれの脳が「自分の心」として変換している、そんな感じがするのです。」(津田一郎『心はすべて数学である』, p.55)

津田は脳という生物学的装置について語っているが、ジョゼフ・ヘンリックが『文化がヒトを進化させた』で述べているような文化と心の共進化を考えるならば、更にはベルナール・スティグレールが『技術と時間』で、或いはまたアンディ・クラークが『生まれながらのサイボーグ』で述べている通り、文化の中でもとりわけテクノロジーが身体を補綴し、延長することで我々の「意識」が構造化され、「心」が形作られているとするならば、ここでの専用アプリケーションはそうしたテクノロジーによる補綴装置の一つとして一般に「心」と呼ばれるものを構成する部品であり、それはまさにインタフェースに過ぎないという見方ができるのではなかろうか。そこで演奏するのは「私」ではない、他の誰かなのだ。この観点では、三輪が『流星礼拝』において用いた電気刺激で鈴を鳴らす仕掛け(「新しい時代の《流星礼拝》」を参照。 『三輪眞弘音楽藝術 全思考1998-2010』所収, p.56~58)は、「誰が演奏しているのか」という点で興味深く、また、これまた原理的にネットワーク越しである(インターネット・ストリーミングが前提とされている)点も注目される。ここでは仕掛け(=楽器、ただしこの場合、それは自分の器官の延長とさえ言えない、自己にとって不随意な反応を惹き起こすものだ)が「自己」の生成の起点になって、「神の旋律」という他者からの呼び掛けに受動的に応答するという仕方で「自己」が立ち上がっているようだ。これは受容と排除の違いを措けば、予め存在する「自己」が反応するのではなく、反応によって「自己」が立ち上がるという点において、ウィルスの侵入に対する抗体反応というかたちで自己が立ち上がるという点にも通じるものがある。 

しかしながら考えてみれば、そもそも三輪が考えている「儀礼」としての演奏会においては、実は仮想的な形でこうしたことが常に起きていて、そこでは「自己」の(その都度の)成立が問われているのではないだろうか。今回のコロナ禍では、コンサートホールでの演奏会が不可能であるということによって、聴き手の前で演奏が行われることが音楽にとって必須の契機であることが逆説的に明らかになったと捉えるべきで、三輪の「逆シミュレーション音楽」の定義がそのことを非常にラディカルな形で明らかにしていることを思えば、今回のコンサートが、音楽の成立の不可能性を、死を宣告しているということの持つ意味合いが了解できるであろう。けれどもその一方で、コンサートという場が「自己」のその都度の成立の場であることを踏まえ、三輪が単なるコンテンツのストリーミングではない形態に拘っていることを考えあわせると、今回の試みは、コンサートホールでの演奏を前提とした伝統的な音楽の喪である反面で、通常の演奏会での「上演」が不可能であることを逆手にとって、その仕組みを一旦解体した上で、そのからくりを明示的に実行してみせる試みではないか、「自己」の生成=蘇生を試みる、壮大な「逆シミュレーション」として捉えることができるのではないかと思われるのである。

引き続いて冒頭に述べた2つ目の観点、即ち舞台の上に「解釈者」が集まれなくなることでそもそも祭祀が行えなくなることに対して、三輪の方法論がどのように対応しうるかを検討してみよう。

場の共有に関し、奏者と聴き手の間ではなく、奏者間でのそれについて考えてみると、直ちに想起されるのは『万葉集の一節を主題とする変奏曲または“海ゆかば”』における「非合奏」 のことである。そこでは室内管弦楽の奏者は舞台上にいるのだが、通常のような指揮者を取り巻くような配置を取らず、楽譜で指示されているように「ソリスト以外の(オーケストラの)演奏家はステージ上の任意の場所に、任意の方向を向いて演奏する」(スコア記載の指示による)。そして「メトロノームの代わりに、それぞれに異なるテンポを奏者のスマートフォン画面に表示する」(同じくスコア記載の解説による)IAMASメトロノームサーバーの指示するテンポに従って別々に演奏するので、そこにはクラシック音楽におけるような間合いも呼吸も存在しないのである。

この場合「非合奏」は状況に強いられたものではなく、その作品の意図に応じて意図的に選択されたものだが、今回問われているのは舞台の上に居ながらにしての「非合奏」ではなく、そもそも聴き手のみならず奏者もまた上演の場に集まれないという状況への対応であることを思い、コロナ禍にあってビジネスに携わっている人間が、状況の変化に合わせ、自分の組織、協業者と顧客の安全衛生と事業継続のバランスに配慮しつつ、「現場の対策」のようなものを立案して実施し続けているような視点で演奏会に纏わる現実的な側面への対応に思いを致したとき、今回の上演におけるガムラン楽団の配置や舞台上のパフォーマーに対する指示といった「芸術上の演出」もまた、同時にソーシャル・ディスタンスの確保や、飛沫接触の防止といった別の現実的な意味合いを持っているのではということを考えずにはいられない。

だが、三輪の方法論が今回のような状況にどのように対応しうるかに関しては、上記のような或る特定の作品を指摘できるに留まらない。三輪の「逆シミュレーション音楽」の具体的な構成を見ると、それは今回のような事態にたいしても、或る種のロバストネスを備えているように思われるからだ。

これは所謂記譜法の問題とも関わるが、三輪の作品の中でも「逆シミュレーション音楽」の系列では、奏法の指示(「解釈」)のみがあって実現される音響がどうあるべきかを直接指定しない。もちろんそうであっても上演するときには奏者の間に「周期」についての引き込みが生じ、「同期」が起きることによってリズムが生じ、一定の テンポでの演奏が行われることになるのだが、それは西洋の音楽の記譜法が求める同期性、アンサンブルとは異なるものである。それに対し、三輪の「逆シミュレーション音楽」の「解釈」においては、あくまでも「原理的には」というレベルかもしれなくとも、例えばネットワークによって結ばれた離れ離れの奏者の間で、音がホケトゥス的に受け渡されるといったリアリゼーションの可能性があることが思い浮かぶ。(別途確認すべき点だが、三輪がガムランを非常に重視し、今回も新作においてガムランアンサンブルを用いるのも、ガムランが西洋の音楽とは大きく異なった時間の組織化を行うことと関わりがあるのではなかろうか。) 

これは伝聞だが、緊急事態宣言の最中においては、ネットワーク上でビデオチャットのようなツールにより接続した奏者達が、その場で「合奏」を試みるといったことも試みられたらしい。だがそれは概ね「合奏」というものが持つ本質にそぐわないものとならざるを得なかったと聞く。恐らくそこで本来的に求められていたのは、常には当然のように成り立っている「合奏」のための基本的な条件を充足させることの妨げとなる、ネットワークでの接続に伴う様々な技術的な問題を一つ一つクリアしていくような緻密で綿密な作業を通して、あるべき「合奏」の姿から「逆算」した上で演奏を作り上げていくといった作業であったり、「合奏」自体の定義の見直しに基づくありうべき新たな演奏の仕掛けを試みるといったことである筈で、だから即興的にその場に集まったからといってどうなるものでもなかったのではなかろうか。

そうしたことを考えたとき、三輪は既にこれまでも、西欧音楽にとってはデッドロックであるような状況に対する応答を色々と試みてきたし、今回の企画もまたそうなのではないかという思いを強くする。それは、西欧の伝統の延長線上にある「音楽」の成立の不可能性と、死を宣告していると同時に、異なる原理と方法論によって「極東の架空の島」における、ありうべき祭祀を復活させる試みでもあるように思われるのである。

(付論2)順序と周期性について

本論では神歌の旋律やテキストの構造にフォーカスした具体的な分析には到達できず、それらは残された課題であるが、ここではその課題に向けての第一歩として、狩俣の神歌の旋律の持つ構造に関して、順序と周期性の観点から、三輪作品の中でも特に「逆シミュレーション音楽」との比較対照を試みた結果を以下に記載し、順序と周期性とを区別して検討を行うことの持つ意味と射程を示したい。

その旋律の巨視的構造について力学系としての把握をすれば、三輪の力学系は、長い周期を辿って、やっと最初に戻る軌道を描き、アトラクタとしてはリミットサイクルであるのに対し、狩俣の神歌は同一のパターンの単純な繰り返しで、アトラクタとしては点ということになる。狩俣風には、「ひとのきえさり」を最初から最後まで順番に、同じ旋律で延々と繰り返すだけということになる。歌詞が何十番もあるような唱歌に近いという見方もあるだろう。狩俣の神歌にあっては、歌詞は変わるが節回しは変わらず反復される。しかも、先唱・唱和の反復が埋め込まれる。二周で一組。勿論、更にそうしたブロックがテンポや旋律を変えて継起するような二元的構造を持つこともあるが、総じてそれは双分的発想をその起源に持つものと言えるだろう。それに対して「逆シミュレーション音楽」はリミットサイクルであり、極めて長周期の軌道を、一度だけ、或いは何度か繰り返して踏破することが求められている。軌道発展の基本単位はあり、基本単位を繰り返していくのだが、軌道は少しずつ変わっていく。そしてこの水準には歌詞がない(どちらかというと身振りのシークエンス)。

一方、例えば「59049カウンター」における詠唱は、同じ旋律の繰り返しであり、7音節でかつ厳密な音韻の制約に従って書かれた詩「ひとのきえさり」の詩節を一節ずつ詠唱していく。そのタイミングは力学系の発展規則により厳密に制御されているが、詠唱のみについて言えば、狩俣の神歌と大きく変わらない。違いは、彼らはそのタイミングも、詠唱する詩節も、それらを記憶しているわけではなく、身振りのシークエンス(蛇居拳舞楽:与次兵衛流)をリアライズする「桁人」からキューと詩節を指定されて詠唱される点にある。原理的にはキューは決定論的なので、そのタイミングを記憶し、対応する詩節を記憶しての演奏も可能な筈だが、仮にそうしたとしても2人いる詠唱者どうしは先唱・唱和といった関係にはなく、別の周期で、独立に「ひとのきえさり」の異なる箇所の詠唱を、同じ旋律で反復して行うことになる。総じて三輪の作品は、その原型的とでもいうべき原理の単純さにも関わらず、複数の層の関わり合いに関して、直観的ではあれ、極めて意識的な操作を介したものになっており、狩俣の神歌において、概ね自然発生的に双分的な構造が重畳していく発展形態をとっているのに比べると、その「芸術」としての「作者」の意識の介入は明らかであると言えるだろう。勿論それは、楽曲の構造の次元のみならず、用いられるテキストの構造についても同様に言いうる。「ひとのきえさり」に見られるアクロバティックと形容したくなる厳しい制約の下での創作が、複数の層の間に立った調整という、際立って高度で集中的な意識の介在の結果が凝集された結果であることは明らかであり、まさに詩の作者である藤井貞和が『<うた>起源考』の冒頭において「懸け詞」に詩の成立を見る際に指摘する以下のような心の働きが、実践されたものと受け止めることができる。

「(…)懸け詞なら懸け詞をつよく意識するとは、そういう中間集中によって起きる何ごとかではなかったか。詩は技巧か、それとも技巧によってもう一つ高めた位置から自由に出入りできる精神的な行為であるか、問いかけることになる。きわめて意図的な言語の凝縮性に根ざした営為としてそれらはあろう。詩の成立を、そのような集中型の行為から導き出すことができるのではないか。」(同書, p.19~20)

ところで、ごく断片的なものであれ、このような水準での比較分析がそもそも可能になるのには構造的な根拠があり、三輪がアルゴリズミック・コンポジションの様々な手法の中で、特にオートマトン的な離散力学系を選択したことによる。それは「逆シミュレーション音楽」においては「規則の生成」と呼ばれる相に関わる。重要なのは、ここで論じられているのは具体的な音響的な実現の様相ではなく、それを可能にする規則の構造から直接導かれる「順序」の構造が問題になっているという点である。これは現在「音楽」ということでまず思い浮かべる、西洋音楽の伝統に属するものを含め、多くの音楽の構造が、小さな動機や楽節を単位にして再帰的に木構造を階層的に組み上げていく方法を採用していることに対し異質な側面を持つ。

木構造的な構成方法は、その発展の末において、規則的な楽段の構造に基づいた長大な持続の上に起承転結を持った壮麗な楽曲を生み出すとともに、その構造を複雑化し不規則化して、文学における小説に喩えられるような物語的・散文的な楽曲をも生み出すことになった。このような音楽の構造は、それを生み出す「心」の構造の相関物であって、まさに<二分心>崩壊後に発生した、比喩による内的な空間を持ち、アナログな自己の表象を持ち、自己と世界について絶えず物語を構築して自己をその中の主人公とすることで世界について視点を持ち、ゲシュタルト化に抽象的な認識を「世界の直接的な認識」であると思いなす、反省的で自伝的な自己を備えた意識の構造の反映と見做すことができるだろう。そしてそれは、音楽の構造に「感じ」を引き起こすシステムの構造のある部分がマップされており、総じて音楽を時間の「感じ」(feeling)についてのシミュレータとして捉える発想に導く。(この点に関しては、拙論「「時の逆流」および時間の「感受」のシミュレータとしての「音楽」に関するメモ」https://masahiromiwa-yojibee.blogspot.com/2019/09/blog-post.html を参照されたい。)

それに対して同じく再帰的な構造を持ってはいても、オートマトン的な離散力学系は明らかに異質であり、寧ろ物理現象、化学的過程のような自然現象のモデルとして用いられることが多かった。一方でデジタルコンピュータの原理がチューリングマシンとして定式化できることから、コンピュータとの親和性が高いということもでき、コンピュータを用いた自動作曲の手法の一つとして、コンピュータでの処理に対する親和性という観点から論じられるのが一般的な了解だろう。だが、その選択が結果として、儀礼に用いられる神歌のような音楽の起源に近い、古代的な音楽との構造的な比較を可能にすること自体、まず極めて興味深く、検討に値することに思われる。

三輪の作品における順序の重要性は明らかであり、それは更に「解釈」における記譜法の問題とも関わって、「逆シミュレーション音楽」において「解釈」は奏法の指示として示され、実現される音響がどうあるべきかを直接指定しないことから、実現される音響の具体的な実現に関して大きな自由度を可能にしている。もちろんそうであっても上演するときには奏者の間に 「周期」についての引き込みが生じ、「同期」が起きることによってリズムが生じ、一定の テンポでの演奏が行われることになるが、そこで求められるのは、西洋の音楽の記譜法が求める同期性、アンサンブルとは異なったものでありうるのである。この点においても、狩俣の神歌のような対象を分析するにあたり、三輪の方法論から示唆されるものは大きい。

勿論、「逆シミュレーション音楽」が音楽の必要十分条件として3つの相を定義していることからも直ちに帰結するように、順序のみ、規則の生成のみで「音楽」を論じることはできない。ニューラルネットワークの再帰性とそれが生み出すダイナミクス が、時間の「感覚」を産み出し、「意識」を産み出し、ひいては「音楽」を生み出していくプロセスにフォーカスした時、「音楽」が「感じ」に、クオリアに関わるものである限りにおいて、離散力学系が実装される媒体の性質というのは決定的であって、媒体が異なれば生じるクオリアが異なり、結果として、例えばシリコンチップで同じ離散力学系を実装してもその結果は決して人間の聴く「音楽」になることはないであろう。そしてこのことは「逆シミュレーション音楽」においては「解釈」の相に関わるのである。私見では、「自己」や「意識」の問題における機能主義的モデルを巡る議論の混乱は、ここでの「解釈」の相を見損じていることに起因しており、また三輪が本論著者とのロームシアター京都での対談『AI(人工知能)と音楽の未来』において、AIによる音楽は不可能だと主張する点にも関わる。(この最後の点については、上記対談の抄録を含む『ASEEMBLY 02』の該当箇所, p.32および拙論「人工知能と音楽の未来・梗概と補遺」https://masahiromiwa-yojibee.blogspot.com/2018/12/blog-post.html を参照されたい。)

「音楽」は「媒体」(身体も、楽器も、コンサートホールも、それが放送されるなら、その通信の環境も含まれるし、録音・再生されるなら記録媒体・再生装置を含む。まさに「システム」そのものである)を必要とし、上演されることを必要条件とする。「順序」だけでいいなら「逆シミュレーション音楽」の3つの相は不要ということになり、「周期」は「順序」に基づくとは言え、それを同一視するのは肌理が粗すぎるのである。 順序は持続を前提としないが、周期は有限の持続を前提とする。同期・非同期もまた然りであって、順序から「リズム」が出てくることはないが、そもそもリズムなしの音楽というのはありえないだろう。(ちなみに「録楽」と「音楽」の対立も広く取れば「媒体」の違いの問題であり、「時間」の質の問題であり、「順序」に抽象してしまえば、対立はなくなると思われる。)

そして三輪の「逆シミュレーション音楽」の「解釈」において、原理的には、例えばネットワークによって結ばれた離れ離れの奏者の間で音がホケトゥス的に受け渡されるといったリアリゼーションも可能な筈である。仮にその結果がケージのOrgan2/ASLAPのように、人間の知覚では最早音楽的持続としてゲシュタルト化できないようなものであったとして、通常の人間が聞き、消費する音楽としては成立しなくても、それが「礼拝」であり、何者かに対する奉納であるとするならば、その何者かに固有のリズムへの同調として捉えることが可能ではなかろうか。つまりここでは「解釈」によって実現する持続やリズム、周期に関して、誰に対する「奉納」なのかが問われているのだ。その「誰」は、その「誰」の主体がそこで成立している媒体に制約された固有のリズムと周期を備えている筈なのである。ここで問われているのは、恐らく久保田晃弘が『遥かなる他者のためのデザイン』の「第5章 人間からの離脱」、特にその中の「計算アミニズムと人工知能」(同書, p.424)以降で想定しているような他者なのだ。もっとも狩俣の神歌に関して言えば、「遥かなる」は寧ろ過去への遡行を意味するのかも知れないが。 

そう考えると、神歌の演唱における様々な所作、手拍子や杖によって拍子をとることといった側面もまた、「解釈」の相における周期の持続やリズムを決定する要素として、極めて重要であることが確認できる。そしてそれはジェインズが<二分心>の一般的パラダイムで提示する「誘導」であることは、本論においてそれが「逆シミュレーション音楽」における「解釈」に対応することを示したことからも明らかであろう。ジェインズが「トランス」ということで捉えようとしたのは、奉納の対象をいわばアトラクタとして、祭祀固有のリズムと持続の中で、祭祀に関わる者(神役だけではなく、傍観者も、より広くは祭祀に立ち会う外部の人間もそこには含まれる筈である)の間に同期を確立することが求められているということに他ならない。かくして狩俣の神歌の旋律に関して三輪作品との比較対照を周期性の観点から試みることは、音楽の抽象的な構造の中において、<二分心>から意識へ、あるいは双分的発想から三分観へというプロセスを辿る可能性に通じていることになりそうである。

そしてそれが具体的な音響として実現された持続のレベルではなく、それを生み出す、いわば「モナド」の世界の秩序としてのオートマトン的な順序関係のレベルで論じうる点もまた、三輪の「逆シミュレーション音楽」の3つの相が明らかにした点ではあろう。言い替えれば、内井惣七が『ライプニッツの情報物理学』で明らかにしたライプニッツ的な実体と現象の関係として、特に時間的関係における順序と持続の関係として三輪の「逆シミュレーション音楽」を捉えることができるのではないかということである。(なお、内井自身、上掲書において「モナドロジーと音楽」という章を設け、モナドと楽曲の声部のアナロジーを論じていることを指摘しておきたい。上掲書p.195以降、特にp.203の表6を参照のこと。ここで注目すべきは、表6の「状態変化」の比較において、ライプニッツのモナドが「規則(プログラム)に従った順序」であるのに対し、楽曲の声部は「規則(プログラム)に従った順序(状態の長さの比率を含む)」とされている点に対し、三輪の「逆シミュレーション音楽」には、内井が指摘する差異を含まず、ライプニッツのモナドロジーとのより厳密な類比が実現されている点である。)だが、この点についての詳論は、具体的に狩俣の神歌を順序と周期性の観点から分析することを通して音楽の構造にマップされている「感じ」を引き起こすシステムの構造を読み取り、そこに見出されるであろう<二分心>から意識へ、あるいは双分的発想から三分観へというプロセスの痕跡を辿ることで時間の「感じ」(feeling)についてのシミュレータとしての「音楽」の始原的な形態を垣間見る作業同様、後日を期することにしたい。

「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ(10)参照文献

 ◆参照文献

本文中で参照・引用した文献に限定し、再録文献からの引用を行った場合については、わかる範囲で論文の初出も掲げた。


『南島歌謡大成III宮古篇』, 角川書店, 1978

『日本民謡大観(沖縄・奄美)』宮古諸島篇(日本放送出版協会、1990)

狩俣康子「神事に関わる歌」(『日本民謡大観(沖縄・奄美)』宮古諸島篇(日本放送出版協会, 1990, 所収)

CD『沖縄の古謡 宮古諸島編』上巻(沖縄県文化振興会, 2012)

新里幸昭『宮古の歌謡』, 沖縄タイムズ社, 2003

内田順子『宮古島狩俣の神歌 その継承と創成』, 思文閣出版, 2000

真下厚『声の神話』, 瑞木書房, 2003

居駒永幸『歌の原初へ』, おうふう, 2014

奥濱幸子『祖神物語 琉球弧 宮古島 狩俣 魂の世界』, 出版舎Mugen, 2016

奥濱幸子「琉球弧宮古諸島に視る古層の環世界」, 宮古島市総合博物館紀要, 2012 

上地太郎『狩俣民俗史』私家版, 出版年不明

狩俣吉正『沖縄・宮古島狩俣民俗誌』, メディア・エクスプレス, 2011

砂川明芳『宮古島郷土史考』, 私家版, 1976

琉球大学民俗研究クラブ『沖縄民俗』第12号 狩俣・熱田部落調査発表, 1966

「狩俣村落における村落構造と変遷」(沖縄大学沖縄学生文化協会『郷土』第9号 宮古 狩俣部落調査報告, 1970 所収)

もろさわようこ「太古の系譜」(『上井幸子写真集 太古の系譜』, 六花出版, 2018,所収)

比嘉康雄『神々の古層③遊行する祖霊神 ウヤガン〔宮古島〕』, ニライ社, 1991

田村浩『琉球共産村落之研究』, 岡書院, 1927

『明治36年沖縄県統計書』, 沖縄県第一部, 1905

稲村賢敷『琉球諸島における倭寇史跡の研究』, 吉川弘文館, 1957

仲松弥秀「宮古諸島の地理」(琉球大学沖縄文化研究所編『宮古諸島学術調査報告書』地理・民俗編,琉球大学沖縄文化研究所,1966 所収,馬淵東一・小川徹編『沖縄文化論叢3 民俗編II』, 平凡社, 1971に「村落の立地と種類」の部分を再録)

島村幸一「琉球弧の神歌の人称表現」, 口承文藝研究 34, 2011

洲鎌成子「神役の空白による祭祀の衰退と現状」, 文化環境研究6号, 長崎大学, 2012

佐渡山正吉「地名と屋号で見る狩俣集落の変遷」, 宮古島市総合博物館紀要, 1994

本永清「三分観の一考察」(『琉球史学』4号, 1973所収, 日本文学研究資料叢書『日本神話II』, 有精堂, 1977に再録)

本永清「神話・儀礼・神歌」(古橋信孝・三浦佑之・森朝男編『古代文学講座3都と村』, 勉誠社, 1994 所収)

野口武徳「宮古島北部の社会と儀礼」(東京都立大学南西諸島研究委員会編『沖縄の社会と宗教』, 平凡社,1965所収)

長濱幸男「宮古島の牧と沖縄北部のマキ」, 宮古島市総合博物館紀要, 2019

岡村恵昭『宮古島の信仰と祭祀』, 第一書房, 2011

岡村恵昭「資料紹介:『島尻吉之助ノート』より―狩俣部落のあゆみ・野田部落移住についての思いで― ノート原題「部落のあゆみ・明治以降」」, 宮古島市総合博物館紀要, 1996

『平良市史 第7巻 資料編5(民俗・歌謡)』, 平良市教育委員会, 1987

『平良市史 第9巻 資料編7(御嶽)』, 平良市教育委員会, 1994

藤井貞和『古日本文学発生論』思潮社, 1976, 増補新装版, 思潮社,1992

藤井貞和『「おもいまつがね」は歌う歌か―古日本文学発生論・続―』, 新典社, 1990(藤井貞和『甦る詩学 「古日本文学発生論」続・南島集成』, まろうど社,2007 に再録)

藤井貞和『日本文学源流史』, 青土社, 2016

藤井貞和『<うた>起源考』, 青土社, 2020

谷川健一『南島文学発生論』, 思潮社, 1991

コルネリウス・アウエハント『HATERUMA』(邦訳:中鉢良護, 榕樹書林, 2004), 

レヴィ=ストロース「双分組織は実在するか」(邦訳:荒川幾男・生松敬三・川田順造・佐々木明・田島節夫訳,『構造人類学』,みすず書房,1972 所収)

ジュリアン・ジェインズ『神々の沈黙』(邦訳:柴田裕之訳, 紀伊國屋書店, 2005)

やまだようこ『ことばの前のことば ことばが生まれるすじみち1』,新曜社, 1987

やまだようこ『ことばのはじまり 意味と表象』, 新曜社, 2019

加藤敏「統合失調症の現在 進化論に注目して」(第104回日本精神神経学会総会教育講演), 日本精神神経学会誌 111巻3号, 2009

J・メイナード・スミス、E・サトマーリ『進化する階層』(邦訳:長野敬, シュプリンガーフェアラーク東京, 1997)

テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン『動物感覚』(邦訳:中尾ゆかり, 日本放送出版協会, 2006)

オリヴァー・サックス『火星の人類学者』(邦訳:吉田利子訳, 早川書房, 1997)

フラー・トリー『神は、脳がつくった』(邦訳:寺町朋子訳, ダイヤモンド社, 2018)

スティーブン・ミズン『心の先史時代』(邦訳:松浦俊輔・牧野美佐緒訳, 青土社, 1998)

アントニオ・ダマシオ『無意識の脳 自己意識の脳』(邦訳:田中三彦訳, 講談社, 2003)

ジェラルド・M・エーデルマン『脳は空より広いか』(邦訳:冬樹純子訳, 草思社, 2006)

津田一郎『複雑系脳理論』, サイエンス社, 2002

津田一郎『心はすべて数学である』, 文藝春秋,2015

日本臨床心理学会(編)『幻聴の世界 ヒヤリング・ヴォイシズ』, 中央法規, 2010

兼本浩祐『なぜ私は一続きの私であるのか』, 講談社選書メチエ, 2018

道元『正法眼蔵』(水野弥穂子校注, 岩波文庫, 全4冊, 1990,1990,1992,1993)

エマニュエル・レヴィナス『全体性と無限』(邦訳:熊野純彦訳, 岩波文庫 全二冊, 2005)

エマニュエル・レヴィナス『実存から実存者へ』(邦訳:西谷修訳, 朝日出版社, 1987)

エマニュエル・レヴィナス「時間と他なるもの」(合田正人編訳『レヴィナス・コレクション』, ちくま学芸文庫, 1999,所収)

ハーバート・A・サイモン『システムの科学』第3版(邦訳:稲葉元吉・吉原英樹訳, パーソナルメディア,1987)

芋阪直行、越野英哉『社会脳ネットワーク入門』, 新曜社, 2018

デイヴィッド・ドイッチュ『無限の始まり』(邦訳:熊谷玲美・田沢恭子・松井信彦訳, インターシフト, 2013)

ジョセフ・ヘンリック『文化がヒトを進化させた』(邦訳:今西康子訳, 白揚社, 2019)

アンディ・クラーク『生まれながらのサイボーグ』(邦訳:呉羽真琴・久木田水生・西尾香苗訳, 春秋社,2015)

ベルナール・スティグレール『技術と時間1 エピメテウスの過失』『技術と時間2 方向喪失-ディスオリエンテーション』『技術と時間 3: 映画の時間と〈難 ― 存在〉の問題』(邦訳: 石田英敬監修・西兼志訳, 法政大学出版局, 2009 2010 2013)

レイ・カーツワイル『ポスト・ヒューマン誕生』(邦訳:井上健監訳・小野木明恵・野中香方子・福田実訳, 日本放送出版協会, 2007)

久保田晃弘『遥かなる他者のためのデザイン』, ピー・エヌ・エヌ新社, 2017

内井惣七『ライプニッツの情報物理学』, 中央公論新社, 2016

谷淳「力学系に基づく構成論的な認知の理解」(土井利忠・藤田雅博・下村秀樹(編)『脳・身体性・ロボット 知能の創発をめざして』, シュプリンガー・ジャパン, 2005, 所収)

嶋津好生「ロボットが神々の声を聴くとき」, 九州産業大学工学部研究報告, 2006

柴田南雄『音楽の骸骨のはなし』,音楽之友社, 1978 

三輪眞弘『三輪眞弘音楽藝術 全思考1998-2010』, アルテスパブリッシング, 2010

三輪眞弘『ピアノとチェロ(あるいはコントラバス)のための、極東の架空の島の唄I』, マザーアース, 1991

三輪眞弘『フルートとピアノのための、極東の架空の島の唄II』, マザーアース, 1991

三輪眞弘『オーケストラのための、村松ギヤ・エンジンによるボレロ』, マザーアース, 2003

三輪眞弘『逆シミュレーション音楽 またりさま 完全版』, マザーアース, 2005

三輪眞弘『弦楽六重奏のための、369ハルモニアII』, マザーアース, 2006

三輪眞弘『2人の詠人、10人の桁人と音楽を奏でる傍観者達のための59049年カウンター』, マザーアース, 2014

三輪眞弘『万葉集の一節を主題とする変奏曲または“海ゆかば”』, マザーアース, 2015

「「いま」を考えるトークシリーズ:AI(人工知能)と音楽の未来」(抄録は『ASSEMBLY 02 特集:集まりの現在』, ロームシアター京都, 2018所収)

山崎与次兵衛「人工知能と音楽の未来・梗概と補遺」(ブログ『山崎与次兵衛アーカイブ:三輪眞弘』所収 https://masahiromiwa-yojibee.blogspot.com/2018/12/blog-post.html

山崎与次兵衛「「時の逆流」および時間の「感受」のシミュレータとしての「音楽」に関するメモ」(ブログ『山崎与次兵衛アーカイブ:三輪眞弘』所収 https://masahiromiwa-yojibee.blogspot.com/2019/09/blog-post.html )

山崎与次兵衛『狩俣村年代記 ver.1.10  2019.8.11版』, 未公開(参考資料として、以下から取得可能 https://drive.google.com/file/d/1MSxVcH57m8fOd2Zg2MPK4A7r2fzYQYXz/view?usp=sharing

山崎与次兵衛『「狩俣村年代記」説明 2019.8.11版』, 未公開(参考資料として、以下から取得可能 https://drive.google.com/file/d/1zdF7lBLNfwfPH1viN3DG8IucfbNWFRb4/view?usp=sharing


「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ(8)まとめと結論

 まとめと結論

A.<二分心>の位置づけ

・<二分心>における神の声は社会統制の機能を果たすものと想定される。だが、<二分心>抜きの説が多く存在する(というより多数派である)ことからも想像されるように、<二分心>概念は、構造的なギャップを埋める必然的なものとして位置づけられるというより、今日、多くは病理的な状態で現れるとされる幻聴が古代においてはごく普通の出来事であったということが文献から読み取れるという事実を出発点にして、逆にそこから、言葉を持ちながら意識を持たなかった段階というのを理論的に設定した仮説である。そして本論での検討の結果は、<二分心>は、言語あり、意識なしの社会脳というものである。そして<二分心>の一般的パラダイムを自然主義的に解釈し、(ジェインズに反して、狭義の)幻聴やトランスを必ずしも必須の要件としない。

(a)幻聴は(1)意識への移行過程で生起する、または(2)意識が備わった段階からの或る種の退行で生起する現象と考えられる。いずれにしても「幻覚」には定義上、意識が絡む筈である。純粋な<二分心>では「意識されない」から(「幻聴」としては)存在しない。一方、無意識の幻聴(相当)は存在しうる。

(b)幻聴がストレスの結果ならストレスなき<二分心>(=言語あり、意識なし)状態を考えることはできないか?必ずしも意識への移行過程・意識からの退行過程を考えなくても、ストレスがなければそもそも無意識の幻聴相当すら存在しないことになる。もし、幻聴なき<二分心>がないとしたら、高ストレス時のモードとしての<二分心>に対するデフォルトモードの存在を考えなくてはならない。だが寧ろそちらをこそ<二分心>とすべきと考える。

・<二分心>を言語を介した「規範」の(再)内面化過程と捉える。「規範」の内面化は、言語なし・意識なしでも成立するし、言語あり、意識ありでも成立する。生理的基盤を求めれば、言語獲得に伴う再帰レベルの積み増しが生じたことによる神経回路網の再構成に相当する。ただし<二分心>では「規範」を自覚するには至らない。「規範」を「規範」として認識するのは、<二分心>が崩壊し、反省的・自伝的な意識が確立してからのこととなる。

・フロイトの超自我の成立過程として捉えた時、意識が覗き込む無意識は<二分心>では最上位レベルであり、超自我を、自己の内部の他なるものと認識する自我は存在しなかった。いわば超自我(神の声)がエス(中核自己)に働きかける構造に相当するのが<二分心>であったと見做せる。自我が分離し、超自我が自己の中の他者として分化することは、規範に無意識に従うのではなく、規範を規範として自覚することを意味する。<二分心>の崩壊による意識の発生により、津田=スマリヤンの推論者の階層において階層の上昇が起き、「正常」である(3型の推論者)だけではなく、「正常」であることを知る(4型の推論者)に至ったと考えられる。

・ミズンの「認知的流動化」の説との関係では、<二分心>は、言語獲得による認知的モジュールの再組織化の後の「認知的流動化」による社会的・一般化の過程の産物と位置づけられる。反省的・自伝的意識の確立は、モジュール化への逆行ではなく、認知モジュールと一般的知能の関係の再組織化として捉えるのが適切であるように思われる。

・心の発達段階には、再帰的な構造の階層化に関わる反復が存在し、そしてそのうちの一度には言語が本質的な役割を果たす。<二分心>はまさに言語獲得の副作用である。意識に先立って言葉があり、言葉の獲得と神概念の成立には相関があり、神はまずは声として、つまり聴こえる言葉として、自己に対して現われたという<二分心>の理論の論点は、ヨハネ伝の冒頭を思わせる。あたかもヨハネ伝の著者は、言語の獲得と神の発生とが発生した人類の歴史の中における決定的な転回点の事を語っており、いわゆる「歴史」意識というのは、そこを起点として、それより前には遡行しないということを告げているかのようだ。

・<二分心>仮説の成否によらず、意識は、ほぼ必然的に神概念を生み出すような構造を備えている。それは意識が成立するための構造上の条件である再帰性の階層がもたらす、意識の自己表象が備えている自律性、オートポイエティックなシステムとしての自閉性と相補的である。その意味で、意識の極限形態は無神論であり、神は常に「隠れた神」という仕方でしか意識には立ち現れない。だがそれはあくまでも、意識自身の主観的パースペクティブな制約に起因するものであり、その発生の段階においては、意識は自己が帰属する集団内の他者との関わりによって発生するものであり、従って「自己」(の表象)は常に集団的なものである。


B.双分観と三分観

・狩俣村落の世界観として本永が提唱した三分観について、村落の地理的構造、祭祀や各種の風習に見られる各種の双分的構造との関わりを検討すると、その双分的構造には幾つもの反転があり、双分観として理解しようとすると矛盾が生じるが、そうした構造上の歪を通して、村落が経てきた変容のプロセスを垣間見ることができ、その到達点として三分観を捉えることが可能である。そしてこの結果は、レヴィ=ストロースが「双分構造は存在するか」で指摘した双分構造と三分構造の間の関係についての理論的な考察を裏付ける事例と見做しうる。


C.社会集団の構造と成員の心の構造の関係

・狩俣の祭祀は<二分心>の一般的パラダイムを充たしており、狩俣の祭祀システムと<二分心>から意識への心のシステムへの移行過程には、密接な連関を窺わせる並行関係を認めることができる。狩俣の事例が貴重なのは、この構造が際立って明確な仕方で保存されていた点にあると思われる。即ち狩俣の場合、研究者を瞠目させた「狩俣祖伸のニーリ」を唄う男役は、祭祀においては傍観者に過ぎないが、祭祀の外では村落の指導層の方々なのである。それは確かに「亡滅」以前を今に伝えるものだが、二分心の崩壊と意識への移行のヒュポスタシスという「亡滅」の構造自体を内部に抱え込んでいるが故に、それが可能になったという点が私には重要に感じられる。その意味で「狩俣祖伸のニーリ」は古代性そのものでなく、「古代性」に対する後からの介入の結果そのものなのであり、まさにそれを媒介にし、通路にして我々は「古代性」を垣間見ることが可能となったという構造がそこには存在するのではなかろうか。

・狩俣の村落の変容プロセスは、絶えず外部との関わりにおいて自己を維持してきたことを告げているし、村落の構造や神話と儀礼と神歌の内容に刻印された双分観から三分観への移行もまた、狩俣が、自らの構造変容に対する「柔軟性」、即ち動的に変容を重ねることで、重層し複合する構造の内部に、いわば「自覚的に」古代性を保持することを可能にする特性によって「亡滅」を逃れてきたことの証と見るべきである。それは二分心の崩壊と意識への移行のヒュポスタシスの痕跡でもあるが、それを見出すことができること自体が、狩俣が「亡滅」を逃れて古代性を保持し得たことを証言していると考えられる。


祭祀についての若干の一般的な帰結および三輪作品に関する幾つかのトピックに関する帰結

「逆シミュレーション音楽」の3つの相は、<二分心>の一般的パラダイムと厳密な並行性を示しており、<二分心>の一般的パラダイムの自然主義的な解釈から、「集団内で強制力を持つ共通認識」としての「規則」を生成し、徹底した解釈の身体化による規則生成の自動化を達成すること、つまり「方法マシン」となるという意味合いにおいて「トランス」の生起を「誘導」するべき「解釈」を定め、「古い権威」としての由来を定義する「命名」によって、意識の成立の条件に遡り、<二分心>から自己が都度立ち上がる場としての「祭祀」を仮構することに他ならないというのが本論の重要な帰結の一つである。

そしてこのことから導かれるより一般的な帰結および「逆シミュレーション音楽」とその後の三輪眞弘の作品における「傍観者」の構造上の位置づけや機能に関する帰結は以下の通りである。


(1)幾つかの一般的な帰結

・秘儀的な祭祀は、祭祀のシステムとしては<二分心>的であり、それは「外部」を「知らない」が故に、外部に対してある意味では頑健だが、無防備でもある。

・「傍観者」を内部に持つ祭祀は、見物人なしで成り立つ。寧ろ、見物人を排除する。それは構造的に、システムとして閉じている(オートポイエティックな系である)ことの帰結である。「傍観者」は「自覚的システム」の完成のための最後のピースであり、システムの内部と外部を区切る「膜」の如きものである。それは意識が外部との高水準インタフェースであるように、祭祀と外部との間に介在し、システムの動作の継続にとって重要な役割を担うようになる。

・芸能・音楽芸術は、見物人に見せることで、見物人も含めたシステムとしてみた場合、「傍観者」を内部に持つと言えるようになる。


(2)三輪眞弘の作品における「傍観者」の構造上の位置づけや機能について

・「逆シミュレーション音楽」の3つの相自体には「傍観者」は含まれていないように見えるが、そうだとすれば、それは、意識なき、<二分心>の構造と同型の「祭祀」の構造を抽出したものと考えられる。

・一般に「祭祀」というのは、意識が成立してしまって以降は、<二分心>の時代と比べた時にその意味合いが変容し、<二分心>の残滓として、祭祀が行われている間だけ起源へと遡行することを可能にする通路、窓のようなものになったのだろうと思われる。

・「傍観者」は、そうした意識発生に伴う祭祀の変容の結果というか構造的な証拠である。それはかつて村落に到来し、村落を併呑して服属させた外部の勢力であった支配層の関与の痕跡でもある。「傍観者」は政治的・経済的には支配者であることは、三輪作品において「傍観者」が、作動する「逆シミュレーション音楽」のシステムの外部にあって、その「規範」(つまり「生成規則」)を認識し、必要に応じて、作動するシステムに介入し、教示することができる立場であるというかたちで抽象化されている。

・傍観者の存在は、それを要素とするシステムを「自覚的システム」たらしめる。その意味で、狩俣の祭祀の在り方は、狩俣の社会システムが「自覚的システム」であることを示している。必ずしも因果関係はないにせよ、それは狩俣の村落の構成員が「自覚的システム」である(ジェインズ的な意味での)「意識」を備えた存在であることと関連している。そしてまた、狩俣における傍観者の位置にいる男役が謡う「ニーリ」が神話を<物語化>したものであり、反省的な歴史意識の産物であることとも関連している。

・<二分心>の崩壊とともに発生した意識にとって神は「隠れた」存在となった。祭祀は「隠れたる神」と接するための通路という意味合いを帯びるようになった。だがその祭祀に傍観者が加わって「自覚的システム」となった時、それは既に祭祀の「亡滅」の徴候ではないのだろうか。勿論、傍観者の存在が、祭祀を停止させるわけではない。だが傍観者を含むタイプの祭祀を実施する社会集団は、潜在的に祭祀が停止へと至る可能性をも持つようになったということは言えそうである。傍観者は「神と出会う」ことはできない。それは<二分心>とは異なる、自覚的意識独特の心性の結果として、反復される起源としての<二分心>の代替として、起源の物語化による歴史意識を得ることになる。結果としてそれは「幻聴」や「憑依」のような心的状態の変性によってしか<二分心>の状態を想像できなくなっている。それらは既に「神々の沈黙」の「隠れたる神」を生き延びるための手段であり、結果であろう。そしてそれが支配的になったとき、祭祀は終焉を迎え「神の死」が訪れるのではなかろうか。

・だが、そのようにして訪れる祭祀の停止(オートポイエティックなシステムにおいて停止はそのまま死を意味する)が<二分心>的心性の、或いはさらにそれを遡る基層的な心性の完全な停止を意味しない限り(そしてそれは技術的特異点の向こう側のポスト・ヒューマンでもなければ、権利上も事実上も不可能なのだが)、傍観者の存在は両義性を帯びているように思われる。傍観者を介して採集され、保存された記録は、自覚的・意識的な仕方で祭祀を再構し、その中で自分の基層としてなお存続する心性へのアクセスパスを確保することを可能にするように思われるからだ。言い替えればそれは傍観者的な立場を一時的にであれ中断することだが、かといってそれは単純な起源への還帰を標榜する無意識への退行、意識の中断によって生じた無秩序の放恣な濫用ではなく、新たに規則を作りだし、自覚的に規則に従うことを通じて意識の手前に到達することに他ならない。そしてそうした可能性の追求、即ち「古代」村落の想像的根拠としての宮古島狩俣から「極東の架空の島」としての「狩俣島」へと至る可能性の追求として、三輪眞弘の活動を捉えることができるというのが本論の結論なのである。

残された課題:狩俣の神歌の詳細な楽曲分析・テキスト分析

神歌のテキストの分析に加え、「音楽言語」(藤井貞和『<うた>起源考』,2020)の相にフォーカスし以下の先行文献をコーパスと見立てる。

- 『日本民謡大観(沖縄・奄美)』宮古諸島篇(日本放送出版協会、1990)所収の33曲

- CD『沖縄の古謡 宮古諸島編』上巻(沖縄県文化振興会, 2012)所収の8曲

これまで、神女役が唱える神歌と、男役が唱える神歌の関係の分析、更には通時的な系統関係についての議論もされてきたし(例えば『南島歌謡大成III宮古篇』の外間守善の解説などを参照)、神歌と(語りとしての伝説の形態で伝承される「神話」の関係(例えば居駒『歌の原初へ』第1章神歌と神話 特に 2.ユーヌヌス神話と神歌など)や他の地域の伝承との比較(真下『声の神話』第2部説話の伝播と伝承 第2章始祖神話伝承の形成 および 第3章神婚神話伝承の形成を参照)も行われてきた。また内容だけではなく、節回しや所作などの面での関係も論じられている(先駆的な分析としては藤井貞和「「おもいまつがね」は歌う歌か」『「おもいまつがね」は歌う歌か』所収、『甦る詩学』に再録)があり、それを承けたより詳細で多面的な分析としては、例えば、内田『宮古島狩俣の神歌』第7章 神歌のかたちを参照)。

本論での検討は、この視点を一歩進めて、神歌のジャンルの間の差異に、狩俣の祭祀の構造や祭祀を支えるより一般的な構造を読み取る手掛りを求めるものであるが、基本的には、藤井、内田の検討の枠内での議論に留まっており、神歌の「音楽」そのものや「ことば」そのものに即した分析・検討には至っていない。

「音楽」そのものに関しては、本稿でも主たる参照先とした内田の『宮古島狩俣の神歌』が若干扱っている以外では、『日本民謡大観(沖縄・奄美)』宮古諸島篇 所収の「南西諸島の音楽文化概観」(同書, p.7以降)や「宮古諸島の音楽概観」(同書, p,23以降)「宮古諸島の歌謡―研究略史・形態的分類・歌形」(同書, p.28以降)、更には「神事に関わる歌」の解説(狩俣康子による。同書, p.113以降)くらいしか見当たらない。(なお、内田が参照している狩俣康子のもう一つの論文「狩俣の神歌」は未見である。)こちらについては、三輪眞弘の「極東の架空の島の唄」連作の契機となった柴田南雄『音楽の骸骨のはなし』が日本民謡に対して行った分析を、狩俣の神歌に適用することを初めとして、今日であればコンピュータを用いた様々な分析も可能であろう。

一方、テキストに関する分析は枚挙に暇がないにも関わらず、管見では、藤井貞和が神田秀夫の業績を参照しつつ、『<うた>起源考』あとがきにおいて『古事記』について述べているような、テキストに見られる「地層」に関する具体的な分析は狩俣の神歌については未だ存在しないようである。かろうじて記述が行われているに過ぎない方言の更に通時的な変容を辿ることは事実上、極めて困難だろうし、そうした観点での言語資料の採集も行われているわけではない。一方で既に継承が途絶え、調査の記録のみが利用可能な資料である状況も進んでおり、現在手にしている資料から何を言いうるかを検討していくことになるだろう。だが、神田秀夫が指摘した層が文字記録として残ったものの表記などを手掛かりにしたものであることを踏まえると、基本的に口承であり、文字記録が研究者による採集が行われる近年まで為されなかった狩俣の神歌に関して、同様の手法の適用は極めて困難であるのは明らかなことと思われる。

それゆえ神歌群間相互の関係については、従来の研究では、主として内容に関する分析・考察が中心であった。但し、内容の分析は、神歌の語彙の古さから、そもそも意味内容を大まかにさえ把握すること自体が困難であり、外間守善・新里幸昭の採集時点での解釈(それは概ね琉球方言一般に関する知識を前提としたものであったようだ)を記載した『南島歌謡大成III宮古篇』の解釈と、その後の新里が単著として刊行した『宮古の神歌』の間にすら少なからぬ変更が発生しているし、近年では狩俣吉正『宮古島狩俣民俗誌』のように、狩俣出身者が、狩俣方言に基いて解釈し直した結果として、特にフサ群について従来とは大幅に異なる解釈を提示しており(既に本稿で触れたが、狩俣吉正『沖縄・宮古島狩俣民俗誌』, p.199を参照。)、神歌の解釈については未だに統一的な見解があるとは思えない。また記録されたテキストの差異に関しては、近年の内田、真下、居駒等の研究は程度に差はあれ意識的であるが、いずれについても差異を通時的な層の違いとして把握しようという視点はないように思われる。

そうした現状を踏まえると、現実にはテキストに見られる「地層」に関する具体的な分析は困難そうであるが、部分的、断片的であれ、そうしたことを示唆する手掛かりが得られないか、具体的には、例えば、ジェインズが『イリアス』について行ったように特定の語彙の出現やその意味の変遷について注目することが、狩俣の神歌についてできないものかについては検討の余地があると考える。或いは狩俣の神歌について特徴的な演唱者の性差の区分が、神歌の内容や形式的な諸特徴と何らかのかたちで相関していることはないのか、という視点での検討作業は可能ではなかろうか。勿論、その結果は神田秀夫が見出し、藤井貞和がその重要性を強調する通時的「層」の共時的な断面とは異なったものだろうが、狩俣の神歌の形成過程に関する何らかの構造的な示唆を与えるものとなる可能性はあるだろう。

男役によって謡われるニーリのような周縁部が新しく、後から加わった部分であり、より以前から存在した部分にたいする反省的な意識による再解釈、<物語化>が見られるのは確かであっても、だからといって、今残存しているより古い層に由来すると考えられる部分が、古い層のそのままの状態を残しているとは限らない。寧ろ、それが古い層に由来するが故に重要な部分であるならば尚更、構造的な組み換えによる祭祀の再編成の結果、そうした中核にこそ新たな支配層の意思を反映した、より新しいものが埋め込まれる可能性が高いと考えるべきではないか。一例を挙げるならば、直接的な裏付けとなる史料上の証拠はないものの、大城元に祀られているアマテラスなどは、最も古いと考えられる部分にも後から改変が加わっている可能性があることを示唆する最も顕著な例であるように思われる。

実際、アマテラスの位置づけは興味深い。それが大城元という狩俣の祭祀のまさに中心的な集団の祭神であり、最高神女であるアブンマの次の位格を持つヤマトンマ(大和母)という神女が抱くとされているのだが、狩俣の始祖神としては、ンマディダ(母太陽)であるンマヌカン(母の神)が別にあって、アマテラスはあくまでも大和から到来した外来神として、区別されているのである。(この辺りの記述は、奥濱『祖神物語』に依拠している。同書p.87以降参照。)かりに新しい支配層による書換えが完全で、新しい要素によって古い層が全く上書きされたのであれば、ンマティタであるンマヌカンとアマテラスは太陽神という性格、女性という性別からして習合が起きたという想定もできるのではなかろうか。宮古島統一後、琉球支配下において狩俣は、「御嶽由来記」からの記載に窺えるように、平良の漲水御嶽の宮古大安母を頂点とする祭祀組織に組み込まれ、その痕跡は今なお、アブンマが漲水御嶽への報告を行うといったことに残っているとはいえ、一方では居駒が『歌の原初へ』の第3部神歌の現在の第4章狩俣の神歌と神話で紹介しているように(同書, p.279以降参照)、1767年の与世山親方宮古規模帳のウヤガン祭禁止令に見られる通り、狩俣の祖神祭は形の上では琉球の祭祀組織に組み込まれたとはいえ、完全に統合されたものではなく、基本的には独立のものとして営まれ続けていたことが窺える。ヤマトンマの成立やアマテラスが大城元で祀られるようになった時期が史料によって客観的に実証されるというのは非常に困難であろうが、アマテラスが狩俣の祭祀において占める位置づけそのものが、そうした歴史的な経緯を裏付けるものであると考えることはできないだろうか。そしてもし、この問題について、間接的ではあれ傍証が得られる可能性があるとしたら、それは狩俣の神歌のテキストそのものの詳細な分析を通して、神歌自体の中から通時的な<層>のようなものが浮かび上がってくることによってというのが最も有望であるように思われるのである。

またそのことは、これもまた藤井が『古日本文学発生論』にて「祓い声」に注目(同書、「シルエットの呪謠」の章の中の「叙事の部分」の節, p.78参照)して以来、しばしば検討が行われてきた神歌の人称表現の問題にも関わる。(藤井の指摘を承けた従来の検討としては、例えば島村幸一「琉球弧の神歌の人称表現」があり、内田も『宮古島狩俣の神歌』の第5章 神の思い の5.「私」とはだれか において取り上げて検討している。)ここで「私」とは神自身のことであり、それを神役がよむということは、狩俣の祭礼において文字通り、神役が「神となる」ことを意味するが、ここで「神となる」は何ら神秘的な意味合いでなしに、まずは「神を演じる」ことであろう。勿論それが、<二分心>の一般的パラダイムにおける「誘導」であり、神人一体といった形容がなされる「トランス」状態に至るための戦略であることは確かだが、一人称表現が、固定化されて伝承される神歌の詞章としてあること、つまり島村の言う「定型の言語表現」としてあること自体、「トランス」状態における神人一体の際の前言語的なマントラ的なものや、いわゆる「異言」とは明確に異なる位相に属することを告げている。であるとするならば、そうした「定型表現」が通時的な<層>のどこに位置づけられるかが問われるべきと考えられるのである。論理的にはそれは、ニーリの持つ物語性に比べれば、遥かに基層にあたる部分に由来すると考えられるが、神役が神を演じること、神の言葉を代理で発するという、後日の演劇的な台詞に通じるような表現が可能となるためには、相当程度高度な心性の介在が想定される。それゆえ、このような言語表現の水準も併せて神歌の詳細について検討していくことが重要と思われるのである。

既に述べた通り宮古島狩俣の神歌に関する具体的な分析は今後の課題とする他なく、その実施には大きな困難が想定されるが、宮古島の史歌に関してであれば、ここで課題とされている分析は既に藤井貞和によって行われている。以下でその概要を参照することにより、今後の課題に取り組むための出発点としたい。

藤井は『日本文学源流史』第5章 琉球弧の神話文学において、稲村賢敷『宮古島旧記並史歌集解』(1962)の記述を整理し、稲村賢敷の定義する「史歌」の編年の考え方を以下のように示している。

「(1)「にーり」(ニイラ)が史歌発達の最初。

(2)偉人の業績を述べ讃えるのが「あやご」(アーグ)。

(3)多良間島には後世になってできたニイリもある。

(4)仲宗根豊見親の最盛期ののち、叙事詩述作が終わる。

(5)長あやぐ(叙情歌謡)の時代。」

(同書, p.123)

その上で、本論でも取り上げた「狩俣祖神のニーリ」に関して、以下のように述べる。

「狩俣村ウヤガン(祖神)の史歌である「狩俣祖神のニイリ」は、フンムイに天降りしてきた祖先の事績、村草創の歴史をうたうから、ニイラアグから始まった、とする。(一)~(五)という展開があって、各編は語調も曲調も違う、別個のうたとしてある。ことに「ニイリ(四)」が座ニイリと立ニイリという二様の謡い方からできていて、ニイリ歌謡の最盛期だろう。(一)~(五)全部ができるのに二、三百年またはそれ以上の期間を要した、という重要な推定がある。」(同書, p.123)

そして、上記のような稲村の編年の貴重さを述べつつ、「神話という語を稲村が使うわけではないが、“神話と歴史と”のあいだに“編年”が割ってはいる。」(同書, p.126)と指摘し、その例として上記編年では(3)に属する多良間島のニイリを具体的に取り上げ、「“神話か歴史か”混沌として分けられないのはかれらばかりでなく、われわれにとってもそうだということを強調したい。」(同書, p.126)と述べている。ここではその詳細には立ち入らないが、今後の課題として提起していることとの関係でいえば、神話から歴史へという移行に対応したニーリからアーグへという史歌のジャンルの通時的な変遷の中に、共時的な神話と歴史の混淆を見出すというアプローチを、狩俣のニーリ以外の神歌群に適用できないかということになるだろう。通時的にはニーリから逆に遡行して、フサやビャーシ、タービについて、呪詞的・祈禱的な部分と神話・歴史的な層を見分け、例えばその混淆の在り方とジャンルとの関係を探るといったことが考えられる。

だがここで注目したいのは、宮古島の史歌の検討を承けて、起源の探求の場を日本神話に移した後の『古事記』歌謡の分析である(同書, p.131以降)。そこでは過去をあらわす機能語「き」の連体形といわれる助動辞「し」が出現する箇所に注目して、歌謡の分析を行っている。即ち、まず、歌謡のなかの比喩的表現というべき部位に「し」を配置することで、その部位を起源譚としている歌謡(A類)に注目し、まず、史歌(B類)の代入によって比喩的表現を抱える歌謡(A類)となり、起源譚が成立するという構造を見出す。更にニーリ的とでも言うべき(B類)の進化形としてアヤゴ的な(B’類)を位置づけ、古代歌謡の中に層を見出そうとしているのである。のみならず、比喩的表現を手掛かりに、枕詞もまた起源譚から来ることがあることを指摘している。

ここでは古事記歌謡について、宮古島の史歌の検討を経て、アヤゴ的/ニーリ的という対比を認めることにより、そこに層を見出すことに成功している。本論の課題に照らせば、これと類比的な分析を、宮古島の神歌に立ち戻って行う可能性が考えられるだろう。

だがここで注目すべきは、そのことよりも寧ろ、歌謡の分析の焦点が、歌謡自体が持っている二つの異なる層の結節点にあり、その層序が「比喩」に関わっている点ではなかろうか。そこから直ちに思い浮かぶのは、本論でも言及した通り、ジェインズが『神々の沈黙』において、<二分心>を論じるに先立って、意識の成立に比喩が与かっているという仮説を唱えていることである(同書, 第1部 人間の心 第2章 意識)。

「(…)したがって、こうは考えられないだろうか。言語の語彙は有限個の集まりであり、これらの語の比喩によって無限の状況に対処できる。そして、そうすることで新たな状況すら生み出せるのだと。

 (意識がそのような新たな創造物だという可能性はあるだろうか。)」(同書, p.68)

ジェインズは検討の結果、この問いに肯定的な回答を与える。

「(…)意識は、私たちの言語表現の<投影連想>によって生成されるときは<被比喩語>だ。しかし、意識の機能は言わば復路だ。復路では、意識は私たちの過去の経験に満ちた<比喩語>となる。未来の行動や意思決定など未知のことや、部分的に覚えている過去、私たち自身がそのもの何者であるか、そして何者になるかについて、たえず選択的に働きかけている。こうして生まれた意識の構造に基づいて、私たちは世界を理解する。」(同書, p.78)

さらにこの点を、藤井の『<うた>起源考』序章における、懸け詞―それが近代において喪われたという点も含めて―を出発点とする、詩の中における屈折・転轍への注目と重ね合わせることはできないだろうか?

「(…)一首の前半部と後半部とのあいだに一つ屈折があるとすると、双分的発想では流れるように受け取るかもしれないところを、


前半部― → ―後半部


三分観の発想だとおなじ歌の中間で意識が屈折する。


前半部― (屈折) ―後半部


双分的あるいは三分観とは、私なりに親しんできた構造主義のヒントのもとにある。懸け詞なら懸け詞をつよく意識するとは、そういう中間集中によって起きる何ごとかではなかったか。詩は技巧か、それとも技巧によってもう一つ高めた位置から自由に出入りできる精神的な行為であるか、問いかけることになる。きわめて意図的な言語の凝縮性に根ざした営為としてそれらはあろう。詩の成立を、そのような集中型の行為から導き出すことができるのではないか。懸け詞という中心をつよく意識するか、前半部と後半部との対立と見るか、屈折はそこにある何か―歌の地下にある何か―を覗きこむ装置であって、そこから深く降りてゆくことなる。」(同書, p.19~20)

本論はここで出発点に立ち戻ったことになる。なぜならば、<二分心>から意識への移行と、双分的発想から三分観への移行との間に想定される並行性こそ、本論を導くモチーフだったからである。そして本論では、その並行性を神歌の中に直接見出すのではなく、村落の構造認識、祭祀組織や祭祀の形態、神歌の行為遂行的な側面での分類といった間接的な仕方で確認しようとしてきたことになる。検討の成否についての判断は措くとすれば、その結果として漸く神歌そのものに向かう準備が整ったというように認識している。その出発点の確認を以て、本論を閉じることとしたい。

最後に『<うた>起源考』が上に引用した冒頭から、「深く降りてゆく」その往きつく先を確認してみよう。それは、文語定型からの距離感もまぶしい「<次世代>短歌が引き返し不可能なシーンで二十一世紀を進化させている」(同書, p.431)状況である。そこで実作例を取りまぜて示しつつ藤井は以下のように結んでいる。

「短歌に見る二つの文法―意味論的な<文法>とそれを下支えする主体の文法と―が限りなく同一化し自在な作歌へとさらに進化するのだろう。そのことは現代詩においても次世代詩が進行するから、両者のまがきは低くなって、いつか定型と非定型とだけが向き合う終末に至ろう。」(同書, p.431)

これを承けて、当否に是非はあろうけれども、ジャンルの違いを超えることをここでも敢て試みるならば、宮古島狩俣の神歌から三輪の「逆シミュレーション音楽」へと往きついた先にも構造的に同型な状況があるとは言えないだろうか。結局のところ本論は、極めて断片的な仕方、予備的なものに過ぎないとはいえ、そうした道行に誘われて踏み出した第一歩なのではなかったかというのが、本論を終える地点での偽らざる実感である。その実感を噛みしめつつ、更に少しでも前に進むことを期しつつ、ここで一旦筆を擱くこととしたい。


「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ(7)第5章 社会集団の構造と成員の心の構造の関係(3):祭祀と神歌における心の社会性

 第5章 社会集団の構造と成員の心の構造の関係(3):祭祀と神歌における心の社会性


1.狩俣の神歌の体系内に層を見出すことができるか?

既述のように、狩俣の神歌の中で最初に注目されたのは、男役の唄う「狩俣祖神のニーリ」であった。そしてこれの成立年代は、その内容の最も歴史的に新しい部分(与那覇原戦ないし平良の目黒盛の軍勢の狩俣襲撃とそれと戦った真屋のマブコイの武勇伝)から、仲宗根豊見親による宮古島の統一期を遡ることはないと考えられる。狩俣の神歌の採集を試みる研究者がまずアクセスするのは、その当時の部落会の会長を初めとする村落の指導者達であり、彼らはしばしば神事において男の神役の経験者でもあったから、ニーリに関しては自分自身が継承者であったのだ。そうした指導者が自ら、村落の歴史や習俗、神歌をまとめた書籍を刊行することもあり、その例として『南島歌謡大成III宮古篇』の外間守善のあとがきや、『宮古の歌謡』の新里幸昭のあとがきでも言及される上地太郎が著した『狩俣民俗史』があげられる。

今日ではそこに記述されている伝承はしばしば誤りを含むものであることや、彼等男役からの情報に基づいて調査を行った記録が同じように誤りを含むものであることは、その後、神女たちに直接聞き取りを行うことのできた女性研究者たちによって、例えば以下のように指摘されるところではある。

「1966年から1975年まで狩俣自治会長をつとめた上地太郎さんは、その著『狩俣民俗史』において、狩俣創世の女神を「テラヌブズ」と記している。女神「テラヌブズ」が大蛇と交わり、「マヤーマツメガ」を生み、それから幾世か経た後、「ウプグスクマダマ」という人が七人の子を生んだ、と〔上地 刊行年不詳:9〕。

一方、神歌のよみ手であるアブンマは、「テラヌブズ」は男の子で、狩俣創世の女神ンマヌカンの子供だと語る。フサやタービでそうよんでいるという。「テラヌブズ」が狩俣創世の女神であるなど、フサやタービという神歌のよみ手であるアブンマにとっては、ありえない話なのである。フサやタービがよまれている場には、男性は立ち会うことができない。上地太郎さんのように、狩俣の民俗伝承を熱心に勉強した人であっても、狩俣で生まれ育った男性であるからには、村の創世に関わる神歌がよまれる場に立ち会うことは許されなかった。神歌によまれている世界は、すべて村人に平等に開かれているのではないのである。」(内田『宮古島狩俣の神歌』, p.55-6)

しかし、一方で私のような外部観察者の視点からすれば、村落の伝承知識のシステムというのは、それが様々な禁忌を含むものであるが故に、後で取り上げるように、超越的な視点の不在と展望主義的な歴史意識によって特徴づけられるもので、それ自体が共時的にも幾つかのレイヤによって構成されており、さしづめ男の神役の知識についていうならば、その周縁的なレイヤを形成しているに過ぎないようにも見える。より中核的な神女達のレイヤ自体、その神役の重要度に応じた情報アクセスの制限に応じて更に複数のレイヤに分かれており、それぞれがアクセス可能な知識が限定されており、全体として各レイヤの内部では、限定された情報の範囲内で整合性が取れるように合理化が行われた結果として、異なるレイヤの間では逆に、情報はしばしば矛盾を含むものとなったのであろう。

そうした狩俣の村落内の成員間での情報の偏在を踏まえた時に、狩俣の神歌の体系内に層を見出すことができるかということが問いとして立てられるだろう。そして最初に述べたように、それは内容的にも、より始原的な層とより新しい層に分かれるであろうし、例えばより始原的な層に属する神歌は、語彙や統語、あるいは節回しや所作といった非言語的な側面も含めて、より古い層の特徴を留めているということが観察できないか、ということが問いとして浮かび上がってくるように思われるのである。それは藤井貞和が『<うた>起源考』あとがきで言及する以下の『古事記』に関する指摘に並行するものとして考えられるだろう。

「朝日古典全書『古事記』上・下(神田秀夫・太田善麿、1962)を産んだ、神田の『古事記の構造』(明治書院, 1959)には、六世紀代の「古層」、七世紀代の「飛鳥層」、そして(現行の)「白鳳層」を分けており、私にとっては取り組むに値する起点となった。「構造」と言い、層的な視野と言い、私にはぞくぞくされられる内容ばかりで、いつかそのあとをフォローしたいと思いつつ、いまに至る。 」(藤井『<うた>起源考』あとがき, p.454)

だが本章では直ちに神歌そのもの中に体系内の層別の手掛りを求めることはせず、まずは儀礼において神歌に対して当事者たる神役達がどのような姿勢・態度で向き合っているかという、主観的な姿勢を確認するところから出発したい。そこで注目されるのは、儀礼の遂行においては内容よりも行為遂行的な側面の重視であり、継承においては神歌の意味よりも、神歌の部分部分が祭祀において果たす機能の直観的な把握の重視である。その上で神歌と神役の関わりに注目し、儀礼におけるパフォーマンス(よむ/うたう)の区別に着目して神歌の分類を行うことを通して、神歌そのものというよりは儀礼や祭祀組織も含めた横断的なレイヤの存在を浮かび上がらせることを試みる。その上で狩俣の祭祀の特性としての空間性に言及した後、最後に改めて狩俣の祭祀を<二分心>との関わりで眺め、その構造がジェインズの言う<二分心>の一般的パラダイムに一致するとともに、三輪眞弘の「逆シミュレーション音楽」の構造とも一致していることを示すことで、未来へと通じる可能性を孕んでいることを示したい。


2.儀礼における行為遂行的側面の重視

儀礼は行為遂行的一回性を持つが、それと同時に、仮構された起源の想起として、反復して遂行されることを要請されていて、「形式」を与え、様式化を行うことが求められるのはそのためである。憑依による神託を一時的な神がかりの神託と捉え、それに対して伝承の結果としての様式化との単純に対立させた内田の以下の言及は、その限りで勇み足であろう。

「ウヤーンの祭儀でよまれるフサ<祓い声>は、憑依との関連から多くの言及がなされてきた。それらの先行研究が教えるところは以下である。<祓い声>は、神が一人称で自身の来歴を叙事するものである。ここには、巫者の祈願のなかに神があらわれ、のりうってくるという、神託・神話の古い形式がのこされている〔小野1977:69/藤井 1980:78〕。しかし<祓い声>は、憑依による神託には直結できない。なぜなら<祓い声>は、一時的な神がかりの神託ではなく、共同体の整えられた祭儀のなかで伝承されているものであり、すでにそのものとして様式化されているものだからである。<祓い声>が神託のように見えるのは、それが神自身のことばのように生み出されたからである〔真下1995:22-25〕。神歌は、神のことばを装う様式を持つ必要があったのだ〔居駒 1996:39〕。」

ここでは2つのことが見過ごされているように思われる。一つには、様式、形式が持つ機能的な側面で、それが形式を持ち、様式化されているからこそ、憑依の契機になりうる、寧ろ、<二分心>崩壊後の祭祀にとって、形式や様式は、遡行のための通路ではなかったか(たとえばマントラ・呪の如きもの、或いはその行為遂行のされ方、即ち反復による身体への記銘とそれと表裏をなす意識の希薄化)という観点であり、もう一つには、憑依現象として想定されているのがデルフォイの神託の如き「内容」に関わるもののようだが、それは<二分心>時代の「近い神」からの悪しき類推であり、ここで本永のいう神話・儀礼・神歌間の構造連関があり、歴史意識に媒介されている限りにおいて、参照対象として適切ではないという側面である。

特に前者は内田自身の「かたち」の分析の枠組み自体に跳ね返ってきかねず、少なくとも藤井がまさに引用した著作の冒頭において「詩がなんらかのかたち(鋳型)を要求することと、詩は外から付着するようにして個人をおとずれる」という現代日本語の経験を起点に、古代詩の問題として「前者は定型を詩が必要としていったのは何故か、という問題へつらなり、後者は、宗教的欲求が詩的能力を育成していった次第を端的に説明する」(藤井貞和『古日本文学発生論』, p.14)と述べた問題設定からすれば筋違いに思われる。最近でも、懸け詞を例に「詩は技巧か、それとも技巧によってもう一つ高めた位置から自由に出入りできる精神的な行為であるか」(藤井貞和『<うた>起源考』,p.20)と述べる立ち位置にいることを思えば、寧ろ内田は自分の探求の理論的フレームとして藤井に依拠する立場にあったのではないかと問いたくなる程である。

寧ろこの点については、以下の真下の伝承という垂直の時間的方向と、祭祀を共同で行う神役たちの間の相互作用という水平の集団的方向の両面の伝達・共有が、形式を生み、それを洗練させていったという指摘の方が妥当であろう。

「狩俣の女性神役たちの場合、こうしたものと同様に神そのものとして振舞うのであるが、彼女たちは深いトランス状態にあるわけではない。その神事に朗誦される呪詞と演じられる舞踊とは長年にわたって人から人へと伝承されたものである。したがって、これらは型を備えたものとなるのである。しかも、彼女たちの舞踊は集団的なものであるから、聴衆はいなくとも、互いの視線が意識の上で、または無意識のうちにはたらいて洗練されてゆくのであろう。」(真下『声の神話』p.237

それでは記憶の継承の具体的な様相はどのようなものだろうか。この点に関して近年の研究が明かした興味深い事実として、基本的には口承性が重視される狩俣の神歌の継承においてさえ、文字記録がメディアとして活用できることがある。居駒は大正時代、神歌の継承に文字記録を利用されるようになった事実について、以下のように記している。

「アーグヌシュに選ばれると、287行(狩俣昌喜さんのノートによる)のニーラーグを覚えなければならない。その重圧は大変なものだと3人とも口をそろえて語った。平良さんの場合は手紙のような小型のノートに書いて、毎朝家族が起きる前に誰もいないところで覚えたという。その努力は並大抵のことではない。狩俣さんもノートを持っている。(…)ノートはすべて片仮名で書かれている。平良さんは前任の久貝さんのノートを写して教わったが、最初はまったく意味が分らず。音だけで覚えたという。(…)ノートの起源は昭和の初め頃の前里太郎と、その名前まではっきりと記録されている。狩俣さんの祖父の世代からの明確な伝承なのであろう。しかし、池宮正治が紹介した前掲の狩俣新茂ノートが大正年間にすでにあったことは、狩俣では知られていない。」(居駒永幸『歌の原初へ』,p.122-4)

もっとも文字記録になっても、記録され継承されるのは意味ではなく音韻である。何世代もの間の継承によって、かつては自明であったであろう意味はわからなくなっている。また節回しが記譜されることはなく、口承されることに注意。いわゆる「歌」としての記譜法のシステムはない。口承性の重視というのは、謡本が存在し、伝書が存在する能楽においても、特にその継承のフェーズにおいて永らく重視されてきた。結果としていわゆる能役者の家柄に生まれ育った子供が、古語で書かれた謡の意味を理解することなく、或いは誤解したまま、謡を覚えて身体化するというようなことは起きているようである。一方、文楽における床本のように、上演時に文字記録媒体を利用する芸能もあるものの、能がそれを上演時に用いることがないという点においては狩俣の儀礼は能楽により近いと言えるだろう。

「(…)村落の祭祀を担当する神役が保持する神話は、その祭祀の根幹に関わる神聖なものとして、次の神役に厳しく伝えられてゆくものである。その伝承のかたちは当然、声を主としたものである。しかし、韻律をもつ神話は神事のなかで誦みあやまることが不都合であるため、文字によって伝えている場合もある。宮古島狩俣の場合、高梨一美氏が報告されたように、神話内容を含んでいるフサやタービと呼ばれる呪詞は就任時に前任者である神役のノートを借り受けて書写するのだという。フサを朗誦する役のフサヌヌスの一人は研究者のまとめた書物から書写したことを前任者のフサヌヌスからとがめられたことがあったと語っておられる。必ず前任者の神役でなければならないというのであって、伝承への厳格な意識がうかがわれる。(…)

 しかし、先にも述べたように、これらの呪詞は文字から受け取られることばだけのものではなく、その抑揚・旋律が学ばれねばならない。フサヌヌスの場合、ノートから書写したあと、その前任者から教授されるのだという。その詞章の意味については、内田氏によれば、それを考えることなくことばを記憶するのだという。これは、これらの呪詞の詞章のほとんどが神話としてのストーリー性を持つものであるため、それが朗誦されることによって朗誦者の感情が移入され、詞章が改変されやすいということを避けようとしているのだと思われる。」(真下『声の神話』, p.6)

この最後の意味を考えないことの理由は余計であり、感情移入による改変という何ら認知的な裏付けもない説明を持ちだすのは却って問題の所在をわかりにくくするだけのように思われる。

ただし、感情移入を持ち出すようなことをしなければ、上記の真下の指摘自体は正鵠を射ていると言える。つまりそれは、神歌が儀礼の場で機能する限りにおいて、意味内容ではなく、正確さが権利上優越するということであって、正確さを担保するために形式化、様式化が要請されていると考えるべきである。実際、神歌の意味内容である神話は、別の形態で、例えば昔話や伝説の類として、独立に伝承され、伝播されうるが、その過程で意図的に、或いは無意識的に改変や構造上の変換、他の説話との融合などといった多様な変容を蒙りうる。同じ内容を扱っている筈の男性神役のニーリが既に、女性神役の担う神歌との間でずれを起こしていることを、真下は別の所で以下の通り指摘しているが、これは裏返せば、儀礼においては、意味内容というのが副次的なものであって、その神歌がどの場面で、どのように歌われて、どのような機能を果たすのか(従って、同じ内容が、別の場面で、別の目的で歌われることもまた、ある訳である)の方が第一義的に問題とされていることを物語っていると思われる。

「狩俣の祭祀集団ウプグフムトゥの始祖神話は、祖神祭り第二回のイダスウプナーでの第四日の山下り、および第五回トゥティアギでの第五日の山下りの際にのみアブンマが主唱して朗誦されるものであるが、男性たちが果たす役割はこの場にはない。したがって、彼らはこの神話を耳にすることがないのである。

 (…)この呪詞はアブンマが主唱するものであるが、その詞章の順序は間違えてはならないもののようである。あるとき、間違えたことに気づいて朗誦し直されたことがあった。こうしたことから考えると、泉巡行の順序なども変わってはならないことであろう。

 しかるに、男性長老たちの伝承ではカナギガーとクルギガーの順序が入れ替わっているのである。彼らは村落の祭祀を中心とする民俗について書物として刊行しておられるような知識人である。(…)」(真下、同書, p.v)

またしても、ここでの真下の解釈はちぐはぐである。言ってみれば、抽象化されたゲシュタルトが問題なのではなく、細部のあり方こそが問題なのだ。概念化を過剰に行ってしまう現代的な意識を備えた人間よりも、動物の認知に近いとの指摘のある(例えばグランディン『動物感覚』での考察や、オリヴァー・サックスの『火星の人類学者』に収められた例を参照のこと)自閉症患者の認知に適したような、細部が問題になるということであり、それを思えば、知識人でさえ間違えるのではなく、知識人「だから」間違えるというべきところの筈である。

意味よりも行為遂行性の優位ということでは、神歌の内容についての了解が流動的であることを傍証として挙げるべきかも知れない。神歌は狩俣方言の古語によっており、一般的な宮古方言では勿論、現代の狩俣方言でその意味を了解することさえ困難であるとされる。最も近年の例では、フサの内容に関して、狩俣吉正『沖縄・宮古島狩俣民俗誌』において、従来の解釈、例えば以下のような記述の前提となる解釈に対して、全く異なる意味内容を持つという解釈を提示しているのである。

「(…)谷川健一『南島文学発生論』はフサの内容に不条理性と指摘しています。毒殺する話とか、墓地を争って殺してしまうとか、とても残酷なフサもあるとしています。

 例えば、このようなフサです。夫がウヤーンをつとめる妻の神衣装を隠し、箱に入れて海に流してしまいました。妻が探したら、幸いにもその箱は木に引っかかっていました。それを開けると、神衣装の腰の紐が蛇に変わり、神事の邪魔をした夫を大木の幹に巻き付けて殺したとするのです。これはトーナジのフサです。また、女中が主人の子供を産んで本妻を追い出してしまうイソドゥヌぬフサ、雇い主の子供を死なせておいて、下男がやってきたら骨を見せるなど強迫するギザ(下男)のフサ、親戚同士が墓地を奪い合うミャームギのフサなどがあります。非常に残酷だったり、悲劇的であったり、そういうフサがよまれます。」(居駒『歌の原初へ』, p.274)

これ対して、狩俣吉正は以下のように述べる。

「これらのフサの内容について、これまで解説紹介されてきた内容と狩俣方言で読み解いた内容に大きな違いがある。これまで狩俣の神フサは恐ろしい内容が多いと聞かされてきた人が多いのはこうした解釈ミスによるものと思われる。これから紹介するフサをお読み頂ければお解りのとおり、どれを取ってもすばらしい内容の詩である。前に説明したとおり「フサ」というのは神様が現世の人々に語り教える歌だから、怖い話で現世の人々を脅かすような詩であるはすがない。」(狩俣吉正『沖縄・宮古島狩俣民俗誌』, p.199)

一つだけ具体的に狩俣吉正の解釈を例示しよう。居駒の言う「イソドゥヌヌフサ」について、狩俣吉正は以下のように述べる。

「このフサは「磯殿」が側室を娶って本妻を追い出す歌だと紹介されているが、狩俣方言でよみ解くと内容は逆になる。磯殿が伊良部島へ渡り、そこの女性を娶るにあたって家の者に青く輝いた宝玉を贈り婚姻を許される。夫婦になったことを平良の豊見親に報告して狩俣に住むようになるが、伊良部島から嫁いだ女は海が大好きで、解任しても毎日海に出ていた。やがて激しい腹痛に見舞われ流産騒ぎになった。予定日の月に入っていたので激痛を耐えて待っていると元気な子を授ることが出来た。これは神様の神力と御加護によるものだと大喜びの磯殿は、我が子を抱いて村中を歩き廻った、という内容である。夫婦和合、嫁を取る時の礼儀(結納品)、子の誕生を通じて神様の御加護の重要性を教えている歌である。」(同上, p.215)

ここでは狩俣吉正の解釈の当否を問うことはしない。寧ろそれよりもここで注目したいのは、仮に狩俣吉正の解釈が正しかったとしても、当事者である筈の神役達自身の認識として、従来の解釈が受容されたという事実である。それは例えば、以下の内田の記述から窺うことができるだろう。

「(…)注目されるのは、狩俣のフサという神歌は、そうしたネガティブ世界について、きわめて饒舌にかたる神歌だということ。神役をつとめたけれど、神様なんて実感しなかったと語った女性は、フサについて次のように、口ごもりながら語った。「神様の歌というけれど、あんまりいい歌とはいえないものもあるよ。」狩俣においては、神役になるという経験によって、神の世界のネガティブな側面を知る場合もあるということを示している。」(内田, 前掲書, p.51)

少し前には、恐らくは上とは別人と思われる神役の経験者が、神役をフサをよむかどうかで区別したという証言があるが、少なくとも内田は、フサが上記のような内容を含むという了解が神役に存在するということを前提に、そうした区別の意味合いを理解していると読み取ることができるし、それは内田個人の主観であるというより、内田が聞き取りを行った当事者である神役経験者の了解の前提であったことを強く示唆する。

ここから言えることは、それが間違いであったとしても、そうした間違った了解の下で祭祀は実施され、継承されうるということであり、勿論、その限りで意味内容は一定の効果を祭祀の実施に及ぼす可能性はあるものの、実のところ祭祀の遂行という観点からは、意味内容の理解は控え目に言って副次的なものに過ぎないということであろう。価値判断基準に照らして正反対の了解の下であっても、祭祀は継承され、継続してきたのである。寧ろ狩俣吉正の解釈が提示された時には、既に祭祀は停止し、その継承は途絶えてしまっていたことを思えば、仮にその解釈が正しいとしても、その水準での解釈の正しさは、祭祀の実体に対しては無関係であることになるだろう。

実際以下に見る通り、神歌の伝承の現場では意味内容の継承は行われていない。どういう場面で、どの神歌を、どういう順序で、どういう所作で歌うかのみが問題であって、歌の意味内容の詮索は、神役の能くするところではないということは強調してもし過ぎということはないだろう。

この証言で注目すべきもう一つの点は、「意味」の発生のありようというのを極めて正確に記述している点である。ここで語られているのは、AIや認知科学、構成主義的ロボティクスの基本問題の一つである記号接地(シンボル・グラウンディング)そのものなのだ。そして同時にここでの価値づけの基準となっているのは、概念レベルにおけるカテゴリカルな意味合いでの妥当性ではなく、より形式的で、或る意味では表面的な同一性であり、それはグランディンの指摘に拠れば、高次の意識を備えた人間の認知よりも寧ろ動物の認知に近いとされる自閉症的な認識の水準に近接するという見方さえ可能であろう。そしてそれは同時に、<二分心>的な心性に接近するための手掛りとなる可能性さえ秘めているように思われる。

「狩俣においては、神歌は変えてはならないものとされ、前任者から教えられたものを、そのままおぼえてよみあげる。だから、神歌の「順序」というのは、サスになりたてのころであっても、十年たっても、変わるものではない。教えられた順序のまま、その通りよみあげるだけである。ただ、十年もサスをつとめていると、神歌をよみあげつつ、「こっちはこうだ、あっちはこうだ」というようなこと、すなわち「意味」がわかってくるのだという。よみあげる順序自体は変わっていないのだが、それから意味をうけとれるようになるのである。与えらえていることばそのものは変わっていない。神歌をよむ人は、与えられていることばに順序を見いだし、意味をうけとるのである。それができるようになるまでには十年を要する。なぜなら、誰も教えてくれないからだという。

サス経験者のTさんは、「むかしのおばあたちは、ぜったい無言だったのに」と語る。神歌をならったときには、詞章については「話も聞いていない」と。だから、「ことばじたいがわからない」と語る。

 別のサス経験者Mさんもまた、「意味はいちいちは聞いていない。モンクだけサーサーサーっといって、意味はわからない」と語った。

 アブンマも次のように語ったことがある。「私なんかはいちいち意味を聞いていないさねえ。昔のエイゴだから」と。昔のエイゴのように、意味不明のことばがあるというのだ。

(…)

神歌の継承者にとって、神歌の意味というのは、先輩からならうようなものでもなく、神歌を継承する人が、自分でみつけだしてゆくものという一面を持っていることが指摘できる。神歌のモンクはすでに決まっている。フシも決まっている。声の出し方、所作、よみあげる場等々もすべて決まっている。先輩からならうのは、第一にそうした決まりであり、神歌の継承においては、意味は第二のものである。」(内田, 前掲書, p.67-8)

神歌の継承において内田が要約した最後の点、つまり、祭祀という場面においては、言語の持つ意味的な側面は副次的なものであり、言語の行為遂行的な側面とそれを支える様式こそが優越しているという指摘は、単に継承の側面においてのみ当て嵌まるわけではなく、まずなによりも儀礼の遂行そのものの場面においても当て嵌まる。総じて様式化は、儀礼における行為遂行と分ち難く結びついており、儀礼の遂行の正確さを担保し、同期・引き込みにより儀礼に参加する個人の集団への参与を容易にし、新たな継承者による習得、身体化を容易にするにあたって本質的な役割を果たしていることに留意すべきであろう。

結果として、以下の内田の指摘こそ、狩俣の祭祀における言葉の在り方を端的に要約しているものと考えたい。

「(…)私たちは、日常生活を営むとき、意味を伝えるものとしてことばを使っている。ひとつのことばは、ある意味と、言語共同体の成員が共有している「記号体系=コード」によってしっかりと結びつけられているので、私たちはその結びつきにしたがってことばを用いれば、その結びつきを共有するものどうし、意味を伝えあえると信じて疑わない。

だから私たちは、通常は、ことば意味を伝えるものとして用いている。コミュニケーションの道具として使っている。意味のないことばというものを、ふつうは考えない。神歌の歌詞がわからないということが、神歌をよむ人たちによってしばしば強調されるということそれ自体が、狩俣においても、通常は、ことばが意味を伝えるものとして考えられていることを示している。

意味がはぎ取られた状態で与えられることば。それが神歌のことばである。(…)」(内田, 前掲書, p.68)


3.神歌の意味内容と祭祀における機能、文脈による分節作用

だが、だからといって、神歌が全く無意味な音の羅列として唱えられるだけというわけではない。神歌のある箇所の単語の意味、そこで語られている内容がわからないとしても、神歌のその箇所は、それが或る所作や応答を引き起こすという点で、祭祀の文脈における機能を担っていることが、以下の内田の報告からわかる。

「ところで、神様のことばで名前を呼ばれたときに返事をするという動作は、おそらく、神様のことばがなにをさししるしているのか、意味との結びつきを学習していくのに役立っていると考えられる。

たとえば、「あまてらすおおみかみ かんがなしぃ みょーぶぎ」とよまれた時に、ヤマトゥンマがある所作をする。そのことばが、ヤマトゥンマのある動きを導くものとしてはたらいたということである。その動きを、神役たちは「返事」ととる。あることばがよまれたら、ある神役が返事をするのである。それによって、そのことばは、ある神の名前としてはたらくことになる。神歌がよまれる場では、ことばとその意味との結びつきを、このように学んでゆくことができる。

ここで述べている「意味を学ぶ」というのは、「あまてらすおおみかみ かんがなしぃ みょーぶぎ」ということばそれ自体の意味を学ぶということではない。そのようによまれたら、ひとりのサスがある動きをするということを学ぶということである。そして、その動作が「返事」であることを学ぶのである。」(内田『宮古島狩俣の神歌』第3章 神の名 4 返事する)

だが、ここで論じられているプロセスこそが、「ことばの前のことば」の次元で、音のつながりが、それが発せられた文脈においてある役割を持ち、行為を誘発するという、意味の発生の現場そのものではないのか。順序が逆になるが、内田が上記に先行して報告している「神の名」に関する神役たちの反応もまた、音の繋がりの分節と、その音がその文脈において持つ意味の分節が生じる場面を書きとめたものと考えることができる。

「カミフツの世界では、狩俣は、ニシシブ、ナカシブ、ヒガシシブと大きく3つに区切られている。(…)祭儀を行っている場所が、ニシ・ナカ・ヒガシのどこであるかによって、A4でよみあげる神の名は違ってくるのである。(…)

カミフツをよまない人の耳には、カミフツは、変わりばえのしない神様の名前が連綿とうち続いてゆくだけの単調な響きにすぎない。けれど、カミフツをよむ人は、それを部分として認識している。そうでなければ、ここではこの神、あちらではこの神というふうに、「取るのは取るし、入らすのは入らす」ことはできない。どこまでがひとりの神の名前になっているのかがわからなければ、取ったり入れたりはできない。」(内田『宮古島狩俣の神歌』第3章 神の名 4 返事する)


4.狩俣の神役の位置づけ

ところで内田は狩俣の神役の位置づけについて、著書の最初で、一般的な了解として良く知れられている神役と神の対応づけについて以下のように述べる。

「(…)狩俣には、多くの神々と、それをまつるサスと呼ばれる神役とがある。ここで強調しておきたいのは、ひとりのサスは、ひとりの神の司祭として存在している、ということ。集落の人たちは、サスを通じでなければ、それぞれの神を拝むことはできない。」(内田『宮古島狩俣の神歌』第1章 神をまつる人たち、1.神の司祭=サスたち, p.35)

だが、実際の祭祀における神歌とそれが駆動する所作から言えるのは、神役は単なる担当司祭というのではなく、文字通り、その神の役を演じる存在であり、憑依しているわけでなくても、祭祀においては神の代りの役割を果たしていると見做すのが適当そうだということである。そして狩俣の神は性別を持っているが、その性差に依らず、神役はすべて女性でなくてはならない。例えば、史実におけるクバラパアズの神格化である、クバラパーギィは狩俣までの道を整備した神とされ、性別は当然男だが、クバラパーギィを担当するサスであるスマヌヌス(島の主)は女性である。

一般に、狩俣の祭祀が女性だけで行われるということは狩俣の祭祀の個別研究をするような場合には、寧ろ前提に属することであるせいか、祭祀における男役の役割についての記述は乏しいが、男性神役の中で、神歌に関わりの深いアーグ主(ヌシュ)への聞き取りの記録である居駒『歌の原初へ』第1章神話と神歌 4 ニーラーグとアーグヌシュ を除けば、例えば以下のような記述を拾い上げることができるだろう。

「なお、神謡は男性が詠むものではない。また、儀礼で謡う男性も、神謠(ふさ)を詠むとは言わない。男性集団は、集落立ての創成神や勇者としての神のことを節に乗せた「祖神のニーリ」を<粟ブーイ(夏の収穫祭)>、<正月祈願>、<里大宴>などで謡った。」(奥濱『祖神物語』第5章昔の霊力のままに p.)

『南島歌謡大成III宮古篇』の外間の解説 狩俣部落の神祭りと年中行事では、以下のように「狩俣の男の神職」が整理されている。(p.510)

日取り主(一人) 神行事の日を選ぶ役目をする。神の使いであり、神の命によって百日を選ぶ。狩俣では毎月朔にその月の行事日程を大城元でアブンマに報告する。この報告をアブンマは各元の責任者である神女ウヤバーに報告し、氏子に伝えられる。最高神女のアブンマと並んで位の高い男の神職であり、敬われる。原則的には大城元と志立元の人がその役につくことができる。

アーグ主(二人) 神行事の時、男性側の神歌(ニーリ、ビャーシなど)の音頭をとったり、謡ったりする役目をする。二人のうち先輩を兄主と呼び、後輩を弟主と呼ぶ。日取り主も加えて、これを三役という。

佐事の主(二人)

ニウ(柄杓)の親(一人) 接待係で、柄杓を扱い神酒を注ぐ役。

ボーザの主(一人) 賄いの係。給事をする。

水ブー(一人) 水の係である。お茶を入れる時やその他給事に必要な水を準備する。

上記の2つの引用で注意が必要なのは、奥濱が神謠ということで、振ってあるルビが示すようにフサを示しており、それを女性が「詠む」ものとして扱われており、それに対して男性が「謡う」ものとしてはニーリが挙げられているのに対し、外間の解説の神歌は、神事に関わる歌謡全般を示しており、その中でも男役が謡うものとして、ニーリとビャーシが挙げられているという点である。

上地太郎『狩俣民俗史』で詳しく説明している通り、元の建物も女性用の上の屋、男性用の南の屋というような双分的な構造を備えており、男役も祭祀において対等と言わないまでも、それなりの役割を担っているように見える。

だが奥濱が指摘する通り、男役も祭祀に参加するが、全てではない。祭祀に参加する場合でも、神女が行うように神の役を演じることはない。神職ではあっても神役ではない、という言い方もできる。

男性神職で最も位が高いビューヌシュ(日取り主)は神事暦を司る役割であり、祭祀が生活の中で大きな比重を占める村落の生活の年間予定を実質的に決定する権限を持っており、外交でいけばロジスティックスの責任者の立場。ビューヌシュは神の使いであり、神の命によって暦を決定すると言われるが、その「神」がどんなものであるか、神とビューヌシュがどのようにして関わりを持つのかについての記述は見かけない。

ビューヌシュ、アーグヌシュは大城元か志立元から選出されることになっており、政治的・経済的な現実の村落運営の体制とは必ずしも一致するわけではないにせよ、祭祀における役割を考えれば、まず祭祀の運営の現実面を担い、現実の村落運営の中での祭祀の遂行に関して、実質的な権限を持っていること、一方で、祭祀そのものに内部においては、その周縁に位置づけられ、神女が行う祭礼の遂行を見守る「傍観者」(但し祭祀に文字通り、立ち会い、その過程を観察できるわけではないのだが)の立場であると考えられる。男役も一部の祭礼において、ニーリを謡うなどによって神事に参与しているという見方もあるだろうが、ニーリを謡うことは、実質的に祭祀の本体部分である神女が遂行する儀礼には全く関与していない。いわばそれは並行して、独立に周縁で行われるものなのであり、後述の通り、真下が芸能との比較の文脈で述べているように(真下『声の神話』)、寧ろ観客の立場に近いとさえ言いうるように思われる。そしてそうした男役が祭祀において占める位相について、奥濱が「詠む」と「謡う」を峻別している点は、そうした構造的な区分が神歌の内在的な形式に反映している可能性を示しており、これについては別途検討したい。


5.宮古の歌謡の分類における狩俣の神歌

ここでは狩俣の神歌としてビャーシ、タービ、フサ、ニーリを取り上げる。だがこの4つを取り上げることは、従来宮古島の歌謡の分類として立てられた説からすれば自明の選択とは言い難い。

『南島歌謡大成III宮古篇』の外間の分類では、上記4つは呪禱的歌謡に分類されて、叙事的歌謡、抒情的歌謡と対比される。なお呪禱的歌謡には、ニガリ、マジナイゴト、トゥクルフンも含まれている。一方、新里の『宮古島の神歌』では、外間の分類への批判として、嘉味田の説を取り上げているが(同書 序にかえて, p.21)、そこでは、となえごと(誦詠)としてのニガリ、マジナイゴトに対して、謡(あーぐ)(歌謡・うた)を立て、その下位区分の一つに宣り謡(あーぐ)=ニーラーグとして、ビャーシ、タービ、フサ、ニーリ、トゥクルフンを含めている。新里の見解は、再び外間とほぼ同じ大分類の呪詞・呪禱的歌謡にニガリ、ヂーユンとともにここで扱う4種を収めるものの、呪詞・呪禱的歌謡は嘉味田の説を容れたかたちで、呪詞であるニガリ、ヂーユンと呪禱的歌謡である残り4種類に下位分類されるので、ここで取り上げるものは新里では「旋律化した謡いもの」(同書 p.26)としての呪禱的歌謡の分類と一致することになる。だが、新里は奥濱の指摘する「詠む/謡う」の区別には無頓着であり、全てを謡いものとして一括してしまう。その証拠にフサについても「謡われる」というように書いている。だが、これは奥濱の聞き取りによれば、少なくとも当事者である狩俣の神役の主観的な認識とは隔たったものである。だがここでは、当事者の意識として存在する「詠む/謡う」の区別を出発点として、宮古の歌謡全体を俯瞰した場合には「呪禱的歌謡」として一括されてしまうジャンル間の内部構造に注目したい。

その理由の一つは、外間や新里が、宮古島および宮古諸島(多良間島も含む)全体の歌謡を包括する視点をとったのに対して、ここでは狩俣以外では、「狩俣圏」とここで仮に呼ぶ、大神、島尻までを範囲とし、しかもいわゆる神行事で用いられる歌に限定した検討を行うからである。しかし実は、外間・新里の言うところの「宮古の歌謡」なるものに、狩俣の神歌が単純な仕方で帰属するかどうかにたいして疑念なしとしないというのがもう一つの理由である。見方を変えれば、宮古島および宮古諸島で採集された歌謡のジャンルの全てを無差別に単一の空間において、それらに対して外部からの観察による分類をあてがうことの妥当性について疑念なしとしないというのが本論の立場である。

勿論、地域的には狩俣にせよ、狩俣・大神・島尻の「狩俣圏」にせよ、宮古島や宮古諸島の一部を為すわけだから、「宮古の歌謡」というものを考えた時に狩俣の神歌がその一部として帰属するのは一見したところ自明に見えるかも知れない。しかしながら、ここで取り上げる4種類の歌謡についてのみ言えば、まずフサについてはそれが採集されたのは、専ら狩俣においてのみであり、島尻ではスサと呼ばれて、同じものが存在したであろうことが推測されるのみ(新里、前掲書、p.29)だし、タービについても「タービは狩俣のものが記録されるだけであり、他の部落の記録はない。おそらく、大神島や島尻でも謡われていたものと推測されるが未詳である」(p.28)と記載されており、従って、それは「狩俣圏」固有のものである可能性が高いようなのである。

残るビャーシとニーリはいずれも宮古諸島の他の場所でも記録があるようだが、ビャーシについては狩俣でのその機能は、祭祀の形態の特殊性を反映して他と異なる点もあるようだし、ニーリは多良間や砂川でも謡われるものであるが、狩俣の祭祀の中でのその位置づけは、フサやタービに比べると周辺的なものと見做すのが適当に思われる。そしてこの事情は、狩俣の祭祀のうちその中核をなすウヤーン(祖神祭)が狩俣圏独自のものであるのに対し、ビャーシやニーリが謡われる祭祀は、他の地域との共通性を備えたものであることに寧ろ由来すると見るのが適当のように思われる。一方、「狩俣圏」の内部を見た時、祖神祭の中核となすフサが島尻でも伝承されていたことが確実視され、またビャーシについても島尻で採集されたものが幾つか知られているのに対して、ニーリが狩俣独自のものである点は、前の章で述べた、「狩俣圏」内部における狩俣の特性を踏まえた時、特に注目される点であり、この後、少し詳しく見ていくことにしたい。

控え目に言っても、祖神祭を中核とする神行事は一連のシステムを形成していると考えるべきであり、そうだとしたら、狩俣圏独自のフサやタービは勿論、ビャーシとニーリについても、その機能や構造上の位置づけは異なったものと考える方が自然であろう。つまり祭祀のシステム自体、宮古島の祭祀一般があり、その一部として狩俣があるわけではないという事情と並行して、歌謡についても、宮古島の歌謡一般の一部として狩俣のそれがあるというより、狩俣固有の祭祀・歌謡と、宮古の他の地域と共通の祭祀・歌謡があるという見方の方が、採集された資料の総体の在り方に対して忠実ではないかと思われるのである。

そこで本論では、奄美・沖縄、或いは宮古の歌謡の中で狩俣の歌謡を検討することを敢えて行わずに、狩俣の祭祀の体系の中で、祭祀で用いられる4種類の歌謡について検討するアプローチをとることにする。そしてその時に注目すべきは、神歌の間にある差異の構造であるという立場をとりたい。

真下は、こちらは更に広く、奄美・沖縄の全体を俯瞰する視点から、『声の神話』の冒頭において、まず神話を、「声によってのみ生成・伝承される神話」と「文字によって書き記されて今日の我々の目の前にある、いわゆる文献神話」と対比させる(真下『声の神話』, p.5)。そして更に前者である「声の神話」の形態として、「日常の会話のかたちで話されるもの(説話としての神話)と特別の韻律と抑揚・旋律とを有した言語表現のかたちで発せられるもの(呪詞としての神話)とがあることはよく知られている。」(p.6)と述べる。狩俣は『声の神話』で参照される具体的な事例の主要なものの一つであるが、狩俣について言及する際に、「呪詞フサ」(同上)と呼び、内田の研究を紹介しつつ、フサのよみ方に注目し「神役たちがこうした韻律あることばの神話を生み出す際の意識やその発し方についての彼女たちの解釈については、このような神話が厳しいタブーを伴っているためなかなか明らかにしがたいが、声の表現方法とその意識というテーマは重要である」(p.7)と述べており、本論と観点の一部を共有する。だが、ここでは、真下が注目する声の表現方法と意識については後に検討することとして一旦措いて、そうした問題意識の下で、一旦、全てが「呪詞」と把握されているかに見える真下の議論において、神歌のジャンルの違いがどのように扱われているかを見てみることにしたい。とりあえず、各ジャンルの神歌が参照される箇所での真下の表現に注目すると、以下の通りである。なお、網羅的な検討は主旨に照らして不要なので、以下は幾つかをピックアップしたものであるが、一見してわかる通り、真下は神歌のジャンルの内部での区別についてはそれを重視していないように見受けられる。

「(…)ニーリという呪詞を朗誦する」(p.8)

「フサと呼ばれる数多くの呪詞が朗誦されている。」(p.21)

「「ハライグイ」という呪詞」(p.21)

「この夏の祭りに女性の神役によって朗誦される呪詞がタービやビャーシである。」(p.21)

勿論ここでの目的は、奥濱が指摘する神歌のジャンルの区別に対する神役たちの認識に対して、真下が無頓着であることを批判することではない。既に記した通り、真下においては「声の神話」の中で説話と呪詞とを対立させるという視点があり、その限りでは呪詞の細部の区別は重要ではないということに違いなく、その限りでは呪詞の内部を更に細分化しないことを批判するのは筋違いということになるであろう。だが一方で、真下が「韻律あることばの神話を生み出す際の意識やその発し方についての彼女たちの解釈」を重視するのであれば、それらを呪詞として一括して、内部の差異に立ち入らないことが、その意図に対して制約となっていないかについては検討が必要ではなかろうか。

新里が、外間の呪禱的歌謡を、呪詞・呪禱的歌謡と捉えなおし、狭義の呪詞と呪禱的歌謡とを区別していることからすれば、寧ろ外間の分類に近いということになり、叙事的・抒情的に対立する「呪禱的」という特徴づけがここでは内容的な観点で「神話」として把握されていると見ることができるだろう。

目的や方法からすれば妥当と思われる真下の捉え方は、だが、本論の目的からすると不十分な感を免れない。新里が呪詞・呪禱的歌謡と区分する後半4種類の神歌の内部ですら、神役の意識のレベルでは、その表現方法について看過できない差異が認められるし、狭い意味での呪詞というのは、その機能は第一義的には祭祀における神への呼び掛けという言語遂行的側面にあるのであって、必ずしも「神話」を含むことはその条件ではないと考えられるからである。

ここでも恐らく、真下が、奄美・沖縄という極めて広大な領域を俯瞰する視点を持っていることが原因の一つとして考えられるだろう。外間・新里においては宮古島・宮古諸島という範囲において、フサやタービが狩俣ないし狩俣圏固有のものである可能性は少なくとも意識はされているのに対し、真下の視点はより広大であるが故に、狩俣の祭祀のシステム、神謠のシステムの特殊性よりも、それを広い意味での「声の神話」の中の呪詞の一例として扱うことで皮革対照が可能となると事情があるのであろう。だがそれにしても狩俣の祭祀や神歌の特徴が、そのシステムの構造にあるのだとしたら、やはり呪詞として捉えられた神歌内部のジャンルに対する神役の意識や表現方法の差異を無視したとき、無視されてしまう点が検討上の制約とならないかという懸念は残る。

ともあれ繰り返し述べるように、本論ではあくまでも狩俣ないし狩俣圏に範囲を限定し、その祭祀のシステムの中での神歌のあり方を構造的に把握するという視点を維持することにしたい。

そうした観点からは、真下と同じく奄美・沖縄の全体を領域に収めながらも、神歌の表現方法から分類についての問題提起を行った、藤井貞和の「おもいまつがねは歌う歌か」(藤井貞和『おもいまつがねは歌う歌か』所収、p.26以降)の指摘は、それが狩俣のニーリを取り上げているという事情も相俟って、ここでの検討にとって、一つの根拠としての重要性を持つ。それはまさに、奥濱が現地の聞き取りによって取り出した、神役の側の、いわば主観的な詠む/謡うの対立に対して、客観的に外部からのアプローチを試みたものと捉えることができる。実際、ここで行われているのは、タイトルで参照されている「おもいまつがね」を初めとする奄美のユタの記録、狩俣のニーリの記録、『おもろさうし』の記録の3つの「声」の記録に対して、「歌う/歌わない」という区分との関わりを論じているのである。そして藤井は、それまで自分が<歌>の原型として想定してきた「おもいまつがね」のような歌は、「歌う歌」ではなく、寧ろ「歌わない歌」であり、「演劇的には「唱え」ると言い、「うたう」とも言うように「呪詞」はまさにそのどちらでもあるような状態にあろう。」(p.29)として、山下欣一による「呪詞」という規定を受け入れるべきではないかと述べる。そしてこの文章では結局論じられず、次章に持ち越される「おもろ」についてはこちらは明確に歌謡であるとしている。そうした中で狩俣のニーリについては、以下のように述べる。

「演唱の仕方はまあ単調と言っていい節回しの繰り返しにつぐ繰り返しである。まさに『唱える』といった感じであるが、これを「歌う」ジャンルの演唱であるとは容易に認めにくい。だが「おもいまつがね」とはまたずいぶん印象が違う。かれはシャーマンの神懸りのもの、これは村落の祭祀における合唱によるもので、特に後者はあたかもカムイユーカルの「サケヘ」のように折り返し句を有していてすこぶる興味をかきたてられる。

 おそらくジャンルをあえて問うことがおかしいのであろう。これは<うた>であるよりまえに<にーり>なのだ、と素直に承認することが正しい。<ふさ><びゃーし><あーぐ>などこまやかに区別を持つ宮古島の伝承の実態をこそ大切にすべきなのであって、あれも<うた>これも<うた>と一緒くたにしてしまっては、微妙なそれらのあいだの違いを無視したことになる。自戒しなければならないことであった。」(p.38-9)

まさに本論とその視点を共有している、というよりも正確には、本論はこの藤井の認識を出発点にしているというのが正しく実態を表しているのだが、更にここの問いは、その差異から構造を読み取ることができないかということに存する。なお藤井の『唱える』「歌う」の区別は、勿論直接に「歌わない」/「歌う」という、この論のモチーフとなる対立を背景にしているのであるが、ここで注目すべきは、一旦、ニーリを「歌わない」側に分類しているように見え、それを『唱える』ということばでピン止めしながら、そこで立ち止まることなく、「歌わない」/「歌う」という区別自体の問い直しに向かう点である。一見すると論理的には「歌わない」に分類されておしまいであって、そこから「歌わない」/「歌う」の対立自体を疑問に付すような要素は見当たらないように見えるかも知れないが、後に奥濱が、神役たち自身の認識としては、ニーリを「謡う」(うたう)もの、フサを「詠む」(よむ)ものという対立を自覚していることを知ってしまうと、ここでの藤井の直観の鋭さが冴え渡る感じを禁じ得ない。

更に藤井がこのニーリについて、上の引用箇所に先行して、「このニーリは「ふさ」などのように神話の伝承を主題とするというよりは、神話から歴史へと意図して構成された感じの<作品性>が見て取れるようだ。」(p.35)と指摘している点も重要で、これが祭祀の中では周辺的な位置づけであることや、通時的には後補され、当時の狩俣支配層の歴史意識が反映されていると見做すべきという本論は、この藤井の認識を根拠にしたものと言って良い。

内田の『宮古島狩俣の神歌』は、神歌の形式に着目した分析に主眼があり、神歌のジャンルの区分についても一節を割いており(同書, 第7章神歌のかたち 6.ジャンルの区分)更に、上で参照した藤井の検討についても参照しており、それについて「(…)藤井が、「歌う歌」と「唱える歌」を区分しようとしていることがわかる。」(同書, p.193)といった了解を示した上でそれをsyllabic/melismaという、演唱の様式上の区別の試みと見做した上で、藤井が「彼はこの考えを取りさげているのだが」と断りつつ、それをそれがうまくいかないことを示している。

「(…)ひとつのジャンルの中に、シラビックなものもメリスマ様式のものもある場合もあって、狩俣の神歌では、声をどれだけ引き延ばすかが、ジャンル区分の決めてとはなっていると考えられる。」(同書, p.133-4)

内田の上記の指摘の正しさを認めた上で、しかし、藤井は必ずしも内田の了解の水準での区分を問題にしていたとは言い難く、藤井がこの考えを取り下げたのは、その水準では捉えきれないものを直観していたことがほぼ確実であることもまた既に述べた通りであって、問題は藤井が直観したものを一部であっても探り当てることに存する筈である。既に述べたように、藤井は古橋の所説の「国家成立以前的段階から以後へという展開が、意識の次元でとらえられているという決定的な弱点」を指摘しているのであれば、内田が聞き取りによって確認した、神役の主体的な区別についても、権利上、それを他に優越する決定的な論拠とすることには慎重であるべきで、寧ろ、分析の素材の一つとして捉えるべきだと考えられる。

そうしたことを念頭に置きつつ、以下では改めて、狩俣の神歌の構造上の位置づけの整理を試みたい。


6.狩俣の神歌の構造上の位置づけ

神歌の名称を、(A)それが用いられる場の区別などの機能的な区別(客観的区別)、(B)歌に伴う所作のような祭儀上の歌自体に内在する要素以外の外的・付加的要素による形式上の区別(客観的)、(C) 歌自体に内在的な形式構造上の区別(客観的)、(D)神役自身の詠む/謡うの区別(当事者の主観的区別)という観点で整理してみる。

まず、居駒『歌の原初へ』第1章 神歌と神話 1.狩俣の祭祀と神歌群の関係のp.19 の表から逆に、神歌の種類と行事の対応を整理してみると以下のようになる。(A)それが用いられる場の区別などの機能的な区別に相当する。

フサ(女性神役)

ウヤガン(祖神祭:ジーグバナ・イダスカン・マトガヤー・アーブガー・トゥディアギ)

タービ(女性神役)

年ヌバン・片口祭り・東山・麦穂祭り・夏穂祭り・我解き祭り・ウトゥガウプナー

ビャーシ(記載なし。他の文献によれば、男性神役・女性神役とも)

年ヌバン・麦穂祭り・大世鎮め・御風鎮め・夏穂祭り・我解き祭り・

ウプユーグミ・ウカジダミ

ニーラーグ(ニーリ)(男性神役)

正月願い・ムトゥ御願・夏穂祭り・里祭り

居駒はビャーシについての説明をしていないが、フサ、ビャーシおよびタービの区分については内田の以下の記述が明解である。

「では狩俣の女性神役たちは、どのようにして神歌のジャンルを区別しているのであろうか。

例えばアブンマは、「ウヤーンでよむのは、みんなフサだよ」と説明する。フサというジャンルの神歌は、音楽的にゆたかなかたちを持っており、その性質は一様ではない。一方で、詞章や旋律が、他のジャンルの神歌と共通するものもある。したがって、フサをほかの神歌から区別する際、アブンマは、歌詞や旋律などの歌そのものの特徴からなるよりも、「ウヤーンでよむ」ということをフサというジャンルを規定するものと考えているようである。

またタービの場合、アブンマは、「私がこうやってよんだらタービだよ」と説明してくださるが、そのときには、神衣を額のあたりにかざす所作をして見せる。その所作によってタービというジャンルを他から区別していることがわかる。

ビャーシの場合も同様で、アブンマが「私がこれをやる」と語りながら手拍子をして見せれば、それはビャーシをよむということだ。祭儀の種類や所作の特徴が、神歌のジャンルを規定しているのである。」(内田、前掲書、第7章神歌のかたち 6 ジャンルの区分, p.194)

ここで注意したいのは、内田は「祭儀の種類や所作の特徴」というように区別していないが、本論が上に掲げた分類方法によるならば、神歌のジャンルの区分というのはタービとビャーシについては(B) 歌に伴う所作のような祭儀上の歌以外の要素による形式上の区別から来るものであって、(A)それが用いられる場の区別などの機能的な区別には関わらない可能性が高い。一方でフサとニーリは(A) それが用いられる場の区別などの機能的な区別として考えられていることがわかる。そしてそれが(D)神役自身の詠む/謡うの区別の根拠となっていることがわかる。少なくともこの界面においては(C) 歌自体に内在的な形式構造上の区別というのは、仮に客観的には実在したとしても(もっとも内田のsyllabic/melismaの対立の検討の結果はそれに対して否定的だったが)、少なくとも主観的には意識されていないようであることが確認できる。ここまでで結果として言えるのは、神歌の区別の観点は複数の側面からなる重層的な構造となっており、単一面で何種類に分類されたり、単一視点での細分化による階層構造を持つというものではないということである。

更に上の引用からも窺うことのできる、奥濱が指摘する謡うニーリ/詠むフサの対立が内田においてはどのように把握されているかを確認してみると、以下のようになる。

「例えばアブンマは、「ウヤーンでよむのは、みんなフサだよ」と説明する。」(内田、前掲書, p.134)

「(…)アブンマは「私がこうやってよんだらタービだよ」と説明してくださるが(…)」(同上)

「(…)それはビャーシをよむということだ。」(同上)

「サスが先唱するフサの中には、「祓い声」「ナービ声」「ヤーキャー声」という三種の旋律を用いて、ウヤーン祭儀の次第を叙事する長大な曲がある。先唱するサスは、ジーと呼ばれる神の杖で地面を突きながらよみあげてゆくが、旋律が変わると杖の突き方も変わる。」(同, p,135)

内田が、神役の主観的な区分を、本人の語りとして明示的に引用しているだけではなく、一貫して「よむ」を用いて、その区別を踏襲していること、辛うじて「先唱」という言い方で、ここでの「よむ」が「唱える」こととして内田に把握されていることが窺える。結果として、奥濱の指摘する区別は、内田の研究によっても裏付けられ、また内田の所説においては分析の前提として受け入れられていることがわかる。ただし内田が対象としているのは、女性神役のよむフサ、ビャーシ、タービのみでありニーリが主題的に取り上げられることはない。とはいえ例えば、冒頭の狩俣の神歌の採集の歴史を述べるくだりでは

「稲村の仕事に触発された外間守善は、1964年から狩俣調査に入り、男性の歌うニーラアーグの研究を行った」(同書, p,8)

と記しており、唱える・よむ/歌う の対立について自覚的であることが窺える。

狩俣の神歌の特徴は、男女が一緒に歌う(交唱含む)ことがなく、性差による双分制が厳密に守られていることであろう。それはジャンルによって、女性のみ、或いは男性のみによって歌唱されることがある点に表れている。だが、性差による双分制は更に、女性神役のみが詠むタービの中でも、祭儀において歌われる神歌が違い、参加できる神役が違うという点にまで徹底していることが、内田の以下の記述により確認できる。

「タービがよまれる代表的な祭儀は、旧暦三月のムギブゥーイ〔麦まつり〕と旧暦六月のナツブゥーイ〔夏まつり〕である。この、「夏」のタービのほかに、「冬のタービ」というのがあり、その時には、男の神様のタービはよまないのだという。(…)なにを入れ、なにを抜くのかということに、男と女という神の性別が関わっていることがわかる。

冬には男のタービを抜く。この原則は、神歌だけの問題ではない。冬の祭儀、すなわち、ウヤーンと呼ばれる祖先の神の祭儀には、男の神のサスは参加することが出来ない。」(内田、前掲書、第7章神歌のかたち 5 男と女, p.191~2)

そしてそれが祭儀の季節に重ね合わされる。これまで述べてきたことを整理し、季節の双分制、性差の双分制、神歌の表現に基づく双分制を考慮してまとめると、以下のような構造になっているのである。


図3:狩俣の祭祀の構造



ウトゥガウプナーは、夏の祭祀の掉尾をなす儀礼であり、夏の終わり・冬の初めに行われることで季節の変化点を示しており、双分制の対立における中間点として両義的な性格を持っている。ただし、三分観におけるミヤークのような集積的な中心としての性格はなく、孤立的な境界としての性格を持っていると見做すことができると思われる。

祖先祭祀はそれ自体、冬季の数か月にわたり5回に分けて行われるもので、固有の内部構造を持っているが、それは暦の持つ季節循環の時間性とは異質の時間性に基づくものであり、外部から見た場合には無時間と捉えるのが適当であろう。

狩俣の祭祀における性差の区分は極めて非対称性の強いもので、単純に冬の祖先祭祀がブナリ、夏の農耕儀礼がビキリといった二項的な把握は、構造を正しく捉えたものとは言えず、あくまでも祭祀においては女性が優位であり、だがその祭祀のロジスティクスを支え、村落の活動千躰の中で適切に機能するように調整する、祭祀からみればあくまでも裏方的な役目を通じて、村落の活動の全体を統制するのは村落の指導者層である男性であるという構造上のパランスによって村落の統制が行われていたと捉えるべきではなかろうか。

かくして、男性が農耕儀礼においてうたうニーリの祭祀および神歌における構造的な周縁性は明らかなものとなる。


7.システムの「外」を包含する儀礼:傍観者

この場合、儀礼の広義での参加者全員が<二分心>の様態に逆行するわけではないだろう。儀礼の「傍観者」は通常の意識の様態であろうし、神女にしても祭祀に参加する全員が全て<二分心>的様態になっているというわけではあるまい。是非は別として「形だけ」の参加というのは、意識の発生以降、可能性としては常に起こり得るし(極端なケースとして口承での継承が途絶えた祭祀で、過去に録音されたテープを流して替わりとするとか、法事等において読経をテープの再生で済ませてしまうようなことも現実に起きているわけだし)、寧ろ、こちらの方が普通なのかも知れず、その割合が増えるに従って、祭祀の継続が困難になる、という構造があるように見受けられる。更にはこうした補助的なメディアの利用自体が「形だけ」の参加を可能にするという、まさにそのこと自体によって祭祀を停止へと導くに寄与しているのではないかという問いを立てることすら可能のように思われる。そしてもしそうした事態が傍観者的な立場において起きることはさして問題ではないが、<二分心>的心性への逆行が要請される神女においては起きないのであれば、それはそれで儀礼の継続についてある種の機能不全を引き起こすということにはならないだろうか?(実はこれは全く異なる文脈における「音楽」の上演についても言いうることかも知れない。つまり例えばこれは、世俗化した「コンサート」についても言いうることのように思われる。)一般には神役に対して<二分心>的心性が要求されることはない。もちろん稀に起きることはあるし、それは価値としては特権的なものとして顕揚されるという構造にはなっているであるが。否、逆にそれは「隠れたる神」を求めることに構造的に並行して、実は常に希求されており、逆に「傍観者」「悪魔」は求められていないのか?(もう一度、他の音楽のジャンルに目配せするならば、上演に参与するのではなく、批評をして、ランク付けをするような聴取はどこに位置づけられるのだろうか?しかし、この最後のケースは更にまた別であり、「傍観者」でも「悪魔」でもないのではなかろうか?)

翻って三輪の「逆シミュレーション音楽」においてはこのあたりについてはどのようになっているだろうか?そこではしばしば「悪魔」や「傍観者」の役割が明示的に指定されるのだが、もしかしたら「悪魔」「傍観者」の存在の要請というのは、<二分心>的心性と意識的な心性の共存の要請というように理解すればいいのかも知れない。その時これは、狩俣的な儀礼の規範とは異なる意識の水準を、「隠れたる神」のエポックの儀礼として要請しているということになるのだろうか?それは世俗化したコンサートの上記のような構造に対する批判として機能するのだろうか?

少なくとも確実に言いうるのは、「悪魔」「傍観者」を同じ舞台の上に乗せることが、「他者」を内側に取り込み、再帰的に埋め込むことであり、内部に外部を穿つことである。これはまさに意識の自己言及的な成り立ちと並行していると考えられる。そしてそのことによって「逆シミュレーション音楽」における「悪魔」は、軌道が逸脱して別の系列に入り込んだ結果、演奏が終わらなくなる(逆にあっという間に終わってしまうかも知れないが)ことを防ぐという、現実的・実用的な機能を担うことが可能になる。それは上演の内部に巣食う外部の視線である。

なお真下が、宮古島狩俣祖神祭りにおける芸能的要素として指摘している以下の点は、まさに「傍観者」、外部の視線の存在の指摘と見てよいだろう。

「もっとも、この神事は、「ウプヤマビキリャ」のなかで叙述されているように、かつては男性集団が祖神たちを遠くから拝むものであったのかもしれない。現代の祭祀においても、ウプグフムトゥの庭に現れて舞踊する祖神たちをバイヌヤーに籠もる男性集団が三十三拝をしながら拝む場面がみられる。そうであれば、そうした視線を受けていっそう洗練されることになろう。もちろん、男性集団にとって、また彼女たち自身においても、女性神役たちは神そのものとして受け止められているのであるから、芸能のように観衆の批評を呼び込むものではあり得ない。しかし、他人の視線が存在することが無意識のうちに彼女たちの所作を整えることにはたらいてゆくのだと考えられる。」(真下『声の神話』,p.237)

そしてこの外部を狩俣の祭祀は、祭祀の外部としてではなく、まさに祭祀の一部として包摂していることに留意すべきではなかろうか。しかもその部分、男役の唄う「狩俣祖神のニーリ」は既に見たように、恐らく歴史的には最も新しい層であり、まさにビキリ・ブナリ構造における女性優位の宗教が村落の統制原理であった時代から、宮古島統一の中で、その一部として狩俣が包摂され、男性優位の軍事的・政治的支配の時代へとの移行のタイミングで、支配層の視線からの起源の物語の整備といった文脈で整備されたものと考えられるからである。「狩俣祖神のニーリ」の発見は、狩俣に「亡滅」の前段階を垣間見ることを可能にし、ひいては文学の起源と垣間見ることを可能にした、画期的なものであったが、実際にはそれ自体、既に外からの視線を狩俣の祭祀が取り込んだものであったのだ。これは仮定になるが、大神や島尻は、狩俣の「祖神のニーリ」に相当するレイヤを持っていなかった/持っていないのではなかろうか?この要素は、狩俣が、大神・島尻との関係において、息子という立場であることと恐らく間違いなく関係している。そして狩俣のみが、その祭祀と神歌を外部に公開し、記録することを許容したことも恐らくは偶然ではない。

この点は、真下が狩俣の男性について述べる以下のような指摘と軌を一にするものである。

「狩俣の男役は、女性に比して、こうした神事のなかで神を祀る重要な役割を担うことが少なく、したがって神話からも遠いということになる。ただ、夏季の豊年祭ナツプーズでは聖所ウプグフムトゥの庭で祖神たちの系譜に沿ったニーリという呪詞を朗誦する。こうしたニーリを朗誦する役割の年齢層を退き、その責務を果たした長老たちは村落行政の責任者ともなって、その指導者的地位についてゆく。そうした人間は村落社会の知識人ともみることができよう。しかしこのような人物であっても、神話についての知識は確かなものではないのである。」(真下『声の神話』, p.8-9)

ここで注目すべきは、直接狩俣の社会の構造に関わる側面では、男役が村落行政の責任者、指導者的地位についてゆく点が第一義的であり、真下の強調する彼等の知識人として側面ではないし、後者については、それが更に外部の研究者とのインタフェースとなり、女性の神役たちの「声の神話」を文字記録するための通路となっている点にこそ注目すべきだと思われるが、それでも男役の祭祀のおける役割の従属性、周縁性の指摘としては重要なものと言える。

その意味で「狩俣祖神のニーリ」は、確かに「亡滅」の前段階の通路であったが、厳密には、それ自体は前段階そのものなのではなく、文字通り媒介・通路であった。実際、男役が祭祀の傍観者として存在するという構造は、そうした傍観者が神女たちに対して神歌を(学問研究の目的で)公開することを説得して、禁忌の侵犯を引き起こしたという点で、まさに内部に穿たれた外部であったとも言える。その意味で、狩俣は純然たる古代性を有していたのではなく、寧ろ、古代以降の要素を取り込んだ、より後の複合的な形態であることにより、その裡に含みもつ古代的な部分に外部からアクセスすることが可能になったのであり、そのことは、少なくとも研究にとっては大きな幸運であったと言って良いだろう。

だがしかし、ここでの論点からすれば、それは単なる幸運と捉えるに留まるのは、不十分に感じられる。実は、傍観者が後から追加されたことは、<二分心>から意識への移行と対応しており、祭祀の構造と意識の構造の間には同型性が存在すると見るべきなのではないか?そして、意識を備えた構造であったからこそ、事後的に、意識の時代から<二分心>の時代を垣間見ようとした時に、その入り口になりうるのではないか。

そしてこの狩俣における「傍観者」の機能を「逆シミュレーション音楽」の側に送り返すことも考えられるだろう。傍観者を含む祭祀のシステムは、心のシステムにおいては、まさに自伝的自己を備え、<物語化>をすることができる意識のそれと同型なのだ。いわば「逆シミュレーション音楽」に対して、傍観者を加えた一連の作品は。「逆シミュレーション音楽」と異なる推論のレベルに属し、それは「自覚的システム」であると言えるのではなかろうか。


8. 神役の機能分化がもたらす超越的視点の欠如

以下では、狩俣の祭祀における神役の機能分化がもたらす超越的視点の欠如についてトピック的に書き留めて置きたい。まずは継承機能の儀礼システムへの内在化について、真下の証言を出発点に取ることにしよう。

「イダスウプナーにおいて新しく祖神に就任した女性神役は、先にも述べたように、祖神を引退した先輩の老女から行列の際の足の踏み方について指導を受けていた。」(真下『声の神話』, p.236)

ここで継承ということを考慮する必要があるように思われる。一方で、狩俣の祭祀の場合にも、世代間の継承というのは伝統の存続のために極めて重要な課題であって、少しでも継承を容易にする工夫が凝らされているとしても不思議はない。神女には役割分担があり、ある個人についてみた場合、役割を交替しつつ、徐々に経験を重ねていくライフステージのようなものが存在する。一般にこうした次元は「音楽」外のものとなっており、「逆シミュレーション音楽」でも、自伝的自己を備えた奏者の自伝的自己における「音楽」の埋め込まれ方自体を構造化しているわけではないけれど、少なくとも「音楽外」ではなく、それを由来の形で包摂する可能性を「命名」の次元で残している。

「狩俣においては、神歌は、ある役の先輩から、その役の後輩へと継承されるのが基本だが、それがどうしてもできない場合は、他の神役の協力を得たり、もっと前の代の先輩からならうこともある。狩俣では生前に神役の交代がなされるので、同じ役の経験者が複数存命する場合もあり、こうしたことも可能なのである。

 ひとりからひとりへという神歌の継承方法は、その神役にしかわからない独自の部分を生む。先輩の死亡・病気などの非常事態には、この継承方法では神歌の消失をまねきやすくなる。しかし神歌には、各サスが共有する部分があり、その部分については、別の神役が教えることも可能である。また、生前に神役を譲るというありかたが、先輩のさらに先輩からならうことを可能にしている。非常事態にあっても、複数の神役経験者によって、ひとりのサスの神歌を再構成することができるのである。狩俣の神役継承のありかたは、前任者の急死や急病という非常事態が生じても、神歌が、変容・消失する危険をより少なくしているといえる。」(内田『宮古島狩俣の神歌』, p.64)

結果として狩俣の歴史に関する超越的な視点が不在となり、その結果と歴史意識は展望主義的で、全体は様々な視点からの展望の複合によってホログラム的に浮かび上がるものでしかない。

「(…)タービによまれる「歴史」にどのように接触できるのかは、男であるか女であるか、神役であるかそうでないか、元のどこにすわるのか、どれほどの関心をもってタービを聞いているのか等々に応じて異なってくるのである。

 神歌の世界が、村の人々すべてに対し、平等に開かれてはいないということについては、次のような証言もある。

サスの経験者のJさんは、「狩俣の歴史は、おばあたちになってからだけわかるようになっている」(…)神歌のよみ手としての責任を負った人のみに開かれる「民話」「歴史」というものが、狩俣にはある。」(…)(内田『宮古島狩俣の神歌』p.59)

「歴史」は或る意味では集合意識ではない。それは「平等に開かれてはいない」。世代間で継承されるという点はあるものの、役割に応じた視点の違いがあり、それぞれの歴史的了解は一致しないし、必ずしも整合性さえ保障されない可能性がある。神役ですら、全ての知っている(それが権利上であれ)特権的な誰かが存在するわけではない。するとここから導かれるのは、ある種の展望主義ということになるのだろうか?

これを更に拡張して、「ありえたかも知れない音楽」の伝承について、情報の部分性を意識した設定をすることが考えられる。それは「規則の生成」の相において全てを知っている/一部しか知らない/規則自体は知らず、実現された特定の系列しか知らない、という区別を、同様に解釈においても、更には由来においても、同様の区別を、上演に関わる複数の奏者に対して設定することを意味する。(これについては「村松ギヤ・エンジンによるボレロ」のようにパート譜と相対的な音高の変更規則のみが与えられるケースを、類似例として挙げることができるかも知れない。)場合によっては、離ればなれの各奏者は、自分が演奏しているパートしか知らず、全体がどのような音響の実現になっているのかを知らないような条件の設定も考えられる。(これについてはオートポイエティックな複数の部分システムの社会により、高次の次元の秩序が創発することのアナロジーに類比して考えることもできるだろう。)そして、継承においても同様の部分性を考えることができるだろう。但し、その条件としては、或る水準で口承性を意図的に組み込む必要があるかも知れない。

超越的な視点の不在は、祭祀の遂行そのものについても言える。神役には序列はあるが、だからといって、序列の頂点にいるアブンマが祭祀の全体を見渡し、統括しているわけではない。傍観者たる男役の動きも含め、祭祀は重層的に幾つものステップが同時並行的に進行し、複数の時間の流れが存在し、その間で緩やかに同期が図られる。全体を統括し、単一の時間の流れに統合するような中心は存在せず、儀礼の進行の正しさについても、当事者間の相互チェックによるしかない。

「神歌は、ジャンルによって、よまれる場や時、よみ手が厳密に規定されている。その場に参加する資格を有していなければ、神歌がよまれている場に立ち会うことはできない。狩俣において、神歌は誰でも聞くことができるものとしては存在していない。どのような神歌のよみ手であるのかということとともに、どのような神歌の聞き手であるのかというところから、狩俣の人たちは、さまざまな規定をうけているのである。」(内田『宮古島狩俣の神歌』 p.35)

これは演奏者のコミュニケーションのあり方として極めて興味深い。しかしこれも、能楽におけるシテ・ワキ・囃子方・アイ方の役割分担と、その伝承の独立性に、非常に近いものがある。能楽の場合には流儀により章句や奏法に違いがあり、また、これも同様に流儀によって異なる小書きによるヴァリエーションがそれに加わるが、その組み合わせがもたらす多様性にも関わらず、いわゆるリハーサルは「申し合わせ」と呼ばれるゲネプロに相当する一回のみであり、稽古は個別に独立に行われる。アブンマに相当するのがシテであり、外部に独立した演出家やプロデューサーが居るわけではない点も能楽と一致する。三輪眞弘の音楽でこれに近い形態が実現できる可能性のある作品の一つとしては、「59049カウンター」のような複合的な作品を挙げることができるだろう。もっとも相違点もまたあることを見過ごしてはならない。所謂楽譜は手順書に過ぎず、部分の組み合わせで成立する音響像が提示されることがない点は共通だが、各パート毎に他のパートに対して未公開ということはないし、実演にあたっては、理念的には超越神かラプラスのデモンのような立場にいる「悪魔」が全体の成り行きを監視しエラー時には介入する点で、奏者の相互チェックしか手段のない狩俣の儀礼とは大きく異なる。


9.神話の上演の場としてのリアルな「場所」:移動性を持った場所の記憶としての巡礼

狩俣の祭祀に限らず、多くの祭祀はその儀礼の手順の中で場所の移動を伴う。狭義での礼拝や奉納の儀式は拝所で行われるものであっても、まず最初に定められた順路に沿って、拝所への参拝の道行があり、礼拝や奉納が済めば、今度は拝所からの退出の道行が定められている。この構造で直ちに連想されるのは、またしても能楽を引き合いにだすことになるが、能舞台の橋掛かりであろう。

この点において狩俣の祭祀が興味深いのは、拝所が一箇所に定まっておらず、村落の各所に分散した拝所を、いわば巡幸するようにして祭祀が営まれる点であり、敢て能舞台に対応を求めるならば、橋掛かりが単なる通路ではなく、舞台の一部として使用されることに通じる側面を見出すことができるだろうか。比嘉康雄が、その『神々の古層』シリーズ中のウヤガン祭を取り上げた巻のタイトルを「巡幸する祖霊神」としているのはそうした特徴を的確に踏まえたものと思われる。

そうした文脈で儀礼と神歌の関係を眺めると、儀礼自体が神話の上演であり神歌も神話の叙述であることと、移動を伴うという祭祀の特徴に関わりがあることに直ちに気付くことになる。

何か祈願する目的が決まっている祭祀の場合には、祈願の成就を促すパフフォーマティブとしての言葉という位置づけになるだろうが、狩俣の神歌は寧ろ神話的な出来事の想起と反復として、過去の出来事の反復として「由来」語りを含む夢幻能のような芸能の原基的形態であるかのようだ。だが能舞台とは異なって「場所」は「舞台」として様式化されておらず、前後の道行も、拝所への「参入」「退出」として抽象化されてるわけではない。まさに野外の「現実の」空間を利用し、具体的な「場所の記憶」の想起がここでは問題になっているのである(一方で薪能のような能楽の上演形態は、一見したところそうした由緒への回帰に見えて、実際には流儀毎の「礼拝所」たる能舞台を離れて、例えば「六浦」をその作品自体の固有の場所である称名寺で奉納するような例外を除けば、何らの記憶も持たない屋外で、それらしき雰囲気を演出ひ、情緒を喚起することよって集客の道具としているに過ぎない点で、もともとの形態への遡行どころか、それに対する忘却の徹底となっていることに注意すべきだろう)。

即ち、まさに比嘉の言う通り、ここで巡幸する神女達は祖神そのものであり、起源の神話の様々な位相において祖神が訪れた場所を巡幸することによって、起源における道行を反復しているというように見ることができるだろう。いわば狩俣の祭祀の場合、村落とその周辺の環境全体が装置となって、土地全体が、起源の出来事の反復を経験するのだ。

だとしたら神歌において「場所」の認識自体がどうであるかということが問題にされるべきなのだろうか?つまり双分観的な場所認識なのか、三分観的な場所認識なのか、といったことが?もし祭祀が、<二分心>から意識への構造間の移行・併存の過程の中を潜り抜けてきたものであるとした時、儀礼の行為遂行的な水準および神歌の内容の両方において<二分心>=双分観的な場所認識が再現される等ということが起きるということであろうか?

このうちの後者、即ち神歌の内容の詳細な分析は本論のスコープを超えるため、後日の課題として残すとして、ここでは儀礼の行為遂行的な水準について若干の検討を試みる。

まず祭祀が5回に亘って行われるが、北の山に山入りして下山する(祖神の顕現)という点では共通していても、細部においては違いがある。第1回目は神を迎えることが主たる内容であるのに対して、第2回目は新しいウヤガンの家を訪れて、北の山に連れて行くこと(つまり神役の就任儀礼)、第3回目が村落の家のお祓い、第4回目は畑のお祓い、そして第5回目は神を送ることが目的となる。

場所の観点で興味深いのが、第2回目と第5回目に、ユーシと呼ばれる神の森の東の端、島尻へと通じる道の途中にある場所を訪れることである。この場所は草冠に使うキャーンを採る場所で、草冠を与える神の在所ということになっているのだが、この場所への順路が第2回目と第5回目とでは異なることが興味深い。つまり第2回は北の山の尾根道を通って訪れるのに対して、第5回では一旦村落に降り、東の門を通って訪れ、同じ道を引き返して山に戻るのである。

更に第4回アブガーの畑のお祓いでも座から出発した神女達は、東門を通って、途中何箇所かでの祈禱をしながら、村落の畑地の南端にあるアブガーという場所(名称から井戸があった場所と想定される)に至るのであるが、これは第4回目が豊作を願う祭祀であり、穀物と井戸に関わりがあることから、狩俣村落の第2段階の村落の原住民(仲間+大城元/新たに移住した職能集団(志(=尻)立元+仲嶺元)の双分制の後の項との関わりが深いことを示していると思われる。

そしてそこから、第2回、第5回のユーシへの経路の違いを考えれば、凡そ、北から神を迎え、ミヤークの家の祓い、ミヤークの外の畑の祓いと東南に降りて行き、最後は南へと神を送るという構造を祖神祭が持っていることと対応していると考えるのが自然であろう。最後は南へと神を送るという点については、第5回トゥディアギの下山(顕現)の記述の中で、比嘉が以下の指摘をしている点も注目されるだろう。

「(…)ウヤガンたちは一列の祭列になり、マイニヤームトゥの後方から同ムトゥの横を通り、ザ―へ向かう。この時に移動の神謡を、杖を地面に突き調子をとりながら、今までの神謡の調子とは違って、力強く明るい調子でうたいながら行列する。ウヤガンたちの表情も明るい。この神謡の中に「ウプドゥンミ(南の浜にある岩礁)に来年もまた来て待っていたら神々は来臨する」というようなことがうたわれていて、狩俣の始祖たちが南方から来たことを示唆しているとも考えられる。」(比嘉『神々の古層③遊行する祖霊神 ウヤガン〔宮古島〕』, p.91~2)

このように、祖神祭における場所の移動もまた、村落の歴史的な変容プロセスを反映した祭祀の構造に対応したものであるが、こうした観点から「逆シミュレーション音楽」以降の三輪眞弘の作品の上演の場について検討してみるとどのようなことが言えるだろうか。

舞台上でのパフォーマンスは、例えば「蛇居拳神楽」といったアルゴリズミックな遷移規則に基づく手順が規定されているが、コンサートホールでの演奏を前提にしていることもあり、始まりと終わりの移動は伴わない。パフォーマーの入場・退場自体にも規則があり、かつ開演・終演時の拍手が禁じてられている(能や文楽も本来はそのはず)点で、通常のコンサートの区別が導入されており、儀礼の空間は確保されているものの、結果として一見、具体的な場所の記憶は捨象されているように見える。

だが「逆シミュレーション音楽」において「命名」が明示的に「音楽」の成立の条件とされている点に注目すべきであろう。いわば「命名」における「由来」が、コンサートホールでの上演であれば、プログラムノートに、或いは楽譜に記載された「…という夢をみた」で括られる「物語」が、具体的な出来事を逆に浮かび上がらせるという構造を持っているのである。つまりここでは、そもそも出来事に結び付けられた場所の記憶は、<物語化>によって仮構されるというメカニズムの存在を、逆シミュレーションによって浮かび上がらせているというように見ることができる。更に藤井貞和の詩「ひとのきえさり」に基づく作品群であれば、藤井貞和の詩が、まさに狩俣の神歌と同じ役割を果たし、舞台の上でのパフォーマンスを移動性を持った場所の記憶としての巡礼たらしめるのだ、ということが言える。


10.ジェインズの<二分心>の一般的パラダイムと祖神祭

ジェインズは『神々の沈黙』の第3部 <二分心>の名残において、既に喪われたとされる<二分心>の名残を探索する手始めとして、デルポイの神託に纏わる「神懸かり」についての懐疑論を論じた上で、意識を備えた存在において意識が薄れる現象に共通した構造が見られるとして、<二分心>の一般的パラダイムとして以下の4つを挙げている。

「一「集団内で強制力を持つ共通認識」集団内で信じられていること、つまり文化全体の合意に基づく期待や掟を指す。これに従って、一つの現象に特定の形が与えられ、その形の中で人々が実行すべき役割が決まる。

二「誘導」限られた範囲に注意を集中させて意識を狭めるために、はっきりと儀式化された手順。

三「トランス」一と二の両方への反応として現われ、意識の希薄化や喪失、アナログの<私>の希薄化や喪失を特徴とする状態。トランス状態になることによって、帰属集団が受容あるいは許容あるいは奨励する役割を果たす。

四「古き権威」トランスに入って交信したり結びついたりする相手。普通は神だが、人間の場合もある。後者となるためには、その人間が、トランス状態になる者に対して権威を持つことを本人もその所属する文化も認めている必要がある。また、「集団内で強制力を持つ共通認識」によって、その人間がトランス状態を支配しているとされていることも前提となる。」

(ジェインズ『神々の沈黙』, p.392~3)

注意しなくてはならないのは、<二分心>の一般的パラダイムと名づけられているにも関わらず、それは<二分心>そのもののパラダイムであるのではなく、ジェインズ曰く「古い精神構造の名残りをとどめている」(同書, p.392)とされる意識を備えた存在における意識の希薄化現象の構造であるとされている点である。ここでもジェインズが<二分心>そのものの構造を語っているのか、意識が確立した後の心の構造の中に垣間見ることのできる<二分心>の基層について語っているのかの区別が危うくなっているように感じられる。結局ジェインズ自身は、意識が確立した後でも<二分心>的な心の構造は、変容を蒙ることなく保存され、それが何某かのトリガーによって、まるで回想シーンでも見るかのように、<二分心>が昔のままに再現されるとでも考えていたかのようだ。だが、そうであることを保証するものはなく、寧ろ、一見してリアルな回想、当時の心的状態そのものまで再現されるかのようなものであったとしても、想起は、それが起こる現在の環境の影響から完全に自由であることはないし、そもそもそれが回想であって、現実ではないことが自覚されていることに注意しなくてはならない。だが、そのように考えていくと、ジェインズは結局のところ、意識が確立した後の心の構造の中に垣間見るという仕方でしか<二分心>を定義できていないのではないか、議論の構成上、一旦<二分心>を考古学的事実などから、「それ自体として」提示し、しかる後に、それの名残が見られる現象を探索するという体裁を取っているものの、現実には、後者が投影されたものから逆算して考古学的事実を援用しているに過ぎないのではないかという疑いを払うことは容易でないように感じられる。

本論でもここまで、<二分心>の構造的な位置づけを、心の進化の理論の中に探し求めつつ、幻聴をはじめとしてジェインズが挙げる<二分心>の特徴については、必ずしもそれが必然的に要請されるようなものではないことを指摘してきた。勿論、だからといって、<二分心>など現在から過去に投影された虚像に過ぎないと考えるのもまた、逆向きの誤謬に陥っていることになるであろう。恐らくはかつてあったであろう<二分心>が如何なるものであったかの検証は、構成主義的なロボティクスのような仕方でシミュレーションによって行うしかないものであろうが、裏を返せば、共時的に、反省的意識を備えた自伝的自己の基層に存在する、別のレイヤ、しばしば「無意識」という否定的な形で指示されるしかなく、病理であったり逸脱であったりという仕方でしか直接目に触れないが故に、それ固有の構造や論理を把握することが困難であるレイヤを捉えようとした時には、ジェインズの<二分心>は有効な手掛かりたり得るということになるだろう。そしてジェインズの<二分心>の一般的パラダイムは、その限りでは有効なのである。従ってそれは、過去どうであったかについての手掛りとしての扱いについては慎重にならざるを得ない一方で、今日まで「亡滅」を潜り抜けて存続してきた「古代性」の名残とされるものへの適用については、それを試みることに問題はないように思われるのである。

上記の検討を踏まえ、ジェインズの<二分心>の一般的パラダイムを、つい先頃まで存続し、古態を留めるとされる狩俣の祖神祭の記録に適用してみよう。祖神祭において恐らく憑依は起きており、そのことへの言及としては以下の岡本恵昭の島尻の祖神祭についての記述が挙げられるだろう(『平良市史 第7巻資料編5(民俗・歌謡)』第5節シャーマン, 3.神がかりの諸相 (1)祖神・アブンマ)。

「サスンマの公の祭祀儀礼において、特に夜籠りし数日間にわたる神との交渉、または現人神となる厳格なクムズ(籠り)の後の出現するシャーマン自体は、まさしく、夢の如き幻想の最中にあり、神が憑いたことは人々が皆了解した事象である。

こうした巫女の超人的神技は、祖神の断食やビンギウヤの走り廻る奇行からも名付けられており、神が憑き神が歌わしたフサ、スサの伝承も又、その時点でしか成し得ないことも納得できる。祖神の神送りは、島尻のオフズ、ビンキウヤの儀礼で、フツムト<元島の祭祀所>から三時間余りの立行と、フサ、スサの伝承で夜に入るまでの修業は苦行そのものであり、暗闇に逃散するビンギのウヤカン達は、まさしく、イニシエイションそのものかと想像されるのである。」(上掲書, p.341~2)

これは島尻の祖神祭の第5回目オフズの最後ビンギウヤガンのことであり、比嘉康雄もその記録を残している。(比嘉康雄『神々の古層』③遊行する祖霊神 ウヤガン〔宮古島〕, ビンギウヤガンを見て)

「(…)先導の女性は私たちの姿を見ると、手をふり上げ大きな声で威嚇している。ウヤガンたちはトットトトットト ウルウルウル…と奇声を発し、草装をサラサラさせて通る。

私は見てはならない神を見てしまったようなうしろめたさと、その神の威容に胸が高鳴る思いであった。ウヤガンたちは一人のウヤガンを中心に円陣をつくり、手の草束をふり、杖を地面に突き、足を地面にめりこむほどふんばって身体をゆすりながら、延々と神謠をうたう。神謠のリズムは単調である。だんだんと時間が経つにつれ、草冠の間から見える表情はゆがみ、ウヤガンの中には背後で支える伴の女性がいないと倒れるのではないかと思うほど身体をそらし、草束と生木の杖を大きくゆすって、けいれんでもしているように身体をふるわせている。それは私がはじめて見る神女の神がかりの姿であった。(…)」(上掲書, p.119)

一方、狩俣の祖神祭の対応部分については、トランス状態を思わせる記録は、例えば比嘉の記録する第2回目イダスウプナーの下山の場面(比嘉, p.82)に見られるくらいだが、勿論、だからといって狩俣の祭祀がトランスとは無縁ということはあるまい。寧ろ重要なのは、祖神祭が、まさに上にジェインズが示した一般的パラダイムの必要条件を備えていると考えられることで、ジェインズが幻覚を惹き起こす原因として挙げる、極めてストレスの高い状態(ジェインズ, 同書, p.119)が、儀礼のプロセスの中に仕組まれているからであり、まさにジェインズの言う「誘導」として、無意識の裡に掴み取られた或る種の智慧とみることができるだろう。逆にそのようなプロセスを欠く祭礼は、単に手順をなぞるだけの機械的な手順となり、共感作用とも無縁なものに化する危険を孕む。

一方で、直接は祭祀でも儀礼でもない、世俗化されたコンサートホールでの音楽の演奏においても、憑依そのものでなくても、集団的な行為の過程での引き込みによる同期現象は程度の差はあれ起きているし、自分が弾いているのではなく、弾かされているという感覚、いわゆる「入った状態」になるレベルであれば、しばしば生じると言って良い。勿論それは、或る手順に従えば必ず起きることが保障されているのではないけれど、寧ろそうした意識の詐術が中断したところに到来する出来事として、意識から意識の手前に遡行する確かな通路なのだ。従って、<二分心>を、幻聴や憑依状態といった、意識の通常の状態からの変性によってのみ了解し、ことさらに神秘化するような把握は、端的に、<二分心>のメカニズムへの理解を却って妨げる可能性さえあるし、それが無意識的に定着した習慣であれ、祖神祭のような祭祀が備えている、精緻といって良いメカニズムを見失わせる可能性があろう。ごくありふれた集団的な行動による、一体感の経験すら、社会統制の手段としての<二分心>に通じるものがあると考えるべきで、ジェインズ自身が<二分心>を論じるにあたって、やや重点を外してしまっているとさえ言いうるのではなかろうか。その意味で、上記のジェインズの<二分心>の一般的パラダイムは、それを能う限り自然主義的、かつ構造的に理解すべきであり、そうすることによって、現代における祭祀と音楽についてのラディカルな捉え直しとの接続もまた可能になると思われる。

そもそも狩俣の祖神祭の祭祀において狩俣の神女が「神」になるというのは、どういう事態を指しているのだろうか?存在しなくはない、祭祀の終わり近くに訪れる、トランス状態かそれに準ずる状態のことを指しているのだろうか?そうではないだろう。まず、そうした把握が祭祀の実質に照らした時、極めて皮相なものに過ぎないことは明らかであろう。神女は儀礼の手順に従って、村落内外の各所を巡行する。その巡行自体、まさに神の巡行そのものなのだ。今日の常識的な観点からは、彼女たちは神を「演じている」と言われもするだろう。そしてしばしば、彼女たちは、生きて祭祀を行う彼女たちと一緒に歌を歌う祖神の声を聞くという。そこでは生ける者と死せる者の区別はなく、どちらも神であるという認識が存在するように思われる。

憑依については、一方でジェインズ自身が<二分心>に関連付けて、その名残としてだけでなく<二分心>の状態として想像されるものとして取り上げており、他方で歌謡の起源や文学の起源を宗教的な儀礼に見る立場から、憑依状態での言語に関わる現象を、その起源に結びつける議論が行われてきたようだが、ここでは幻聴と同様に、憑依を否定こそしないものの、必ずしも重視する立場を採らない。それは意識から<二分心>を顧みた時に観察できる事象であって、<二分心>「そのもの」の特徴ではないかも知れない。意識を持つ存在も、祭祀の遂行を通して、(つまりジェインズのいう意味での意識なしという意味での)<二分心>的な状態に到達しえて、その中で神歌をよみ、儀礼を進めていくのであり、その過程における或る種の極限状況(幻聴が起きる要因として、ジェインズが高度なストレスを挙げていたことを想起されたい)における状態の一つとして、幻聴や憑依状態が挙げられるということに過ぎず、幻聴や憑依現象を<二分心>そのものを特徴づける徴候として特権視する根拠はないように思われる。言い替えれば、<二分心>的な状態というのは、それを「意識なし」の心のモードと捉える限りでは、何ら特別で神秘的な状態ではなく、意識を持つ存在でも意識の中断時に生起する、寧ろ普通に観察されるモードとして理解すべきであるということである。

狩俣の祭祀が上記の<二分心>の一般的パラダイムの必要条件を満たしていることは既に述べた通りであるが、現代における祭祀と音楽についてのラディカルな捉え直しの試みとしての三輪眞弘の「逆シミュレーション音楽」を取り上げて対応づけを試みると、以下の通り、<二分心>の一般的パラダイムと「逆シミュレーション音楽」の3つの相の対応は、両者が別々の文脈で構築されたことを思えば、偶然の一致とするのが信じられない程、正確に厳密に対応することがわかる。

図4:<二分心>の一般的パラダイムと「逆シミュレーション音楽」の対応


そしてそれは「逆シミュレーション音楽」が企図するところに思いを致し、更に以下のような三輪の「音楽」観を踏まえるならば、そのラディカルさは、直観的に把握されたものとしては驚嘆に値するように思われるのである。

「(…)

 音楽とは、才能のある人が抱いた思想や激情や繊細な感覚の揺らめきを聴衆に伝えるためのものなのだろうか?その例をぼくは無数に知ってはいるが、そんな一方的で趣味的なものでは決してない、といつも思っている。そうではなく、人間ならば誰もが心の奥底に宿しているはずの合理的思考を超えた内なる宇宙を想起させるための儀式のようなもの、そこには自我もなく思想や感情もない、というより、そこからぼくらの思考や感情が湧き出してくる、そのありかをぼくらの前に一瞬だけ、顕わにする技法ではないか?もし、音楽がそのようなものではないのなら、J・S・バッハの音楽などに感動できるはずもないし、現代では音楽など単なるイケテナイ娯楽でしかない。

(…)」(三輪眞弘「369 《Harmonia II》」, 『三輪眞弘音楽藝術 全思考1998-2010』所収, p.158)

なお、この文脈においては「古い」というのは編年的な意味合いでの昔ではなく、意識に対して先行するように認識される無意識的な層にそれが形成されるという意味合いであり、心的機構としてはフロイトの「超自我」に関係し、自伝的意識を備えた自己の成立に先立つ「他者」についての、意識自身が経験する以前の絶対的過去の経験を示しているおり。そしてそれは、幼児の発達過程での自己の成立の場面における他者との関わり合いが、社会規範に従う存在としての社会的自己を成立させるという消息を告げるものでもあろう。更にまたそれは、道元の『正法眼蔵』における「古仏心」の「古さ」に通じるものがあるだろう。(言い換えれば道元の坐禅は「逆シミュレーション」の先駆的な試みであるということでもある。)

「このゆえに、花開の万木百草、これ古仏の道得なり。古仏の問処なり。世界起の九山八海、これ古仏の日面、月面なり。古仏の皮肉骨髄なり。さらに又古心の行仏あるべし。古心の証仏なるあるべし。古心の作仏なるあるべし。仏古の為心なるあるべし。古心といふは、心古なるがゆえなり。心仏はかならず古なるべきがゆえに、古心は椅子竹木なり。」(道元『正法眼蔵』第九 古仏心, 岩波文庫版第1巻, p.203)

ジェインズは、<二分心>の一般的パラダイムの「四つの要素の間には一種のバランスが保たれている。総和が一定になるように、とでも言おうか。どれか一つが弱まったときには、ほかの要素が強くならないと<二分心>の現象が起きなくなる。意識が芽生えてからの1000年が良い例だろう。」(ジェインズ『神々の沈黙』, p.393)と述べているが、ここでは、寧ろジェインズの言葉とは裏腹に、条件さえ整えば、そしてその強度や持続を措けば、今日でも<二分心>の一般的パラダイムの充足は可能であるという点を強調したいように思うのである。

更に、後続の「「集団内で強制力を持つ共通認識」がしだいに弱まってきて、(つまり一般の民が「古き権威」を疑う傾向を強めて)いくにつれ、「誘導」がいっそう重視されてその手順も複雑になり、「トランス」そのものも深くなっている」(同書, p.394)というジェインズの指摘は、既述のジェインズ自身の<二分心>を論じる際のバランスの歪みの理由を自ずから説明するものとなっているようにも思える。また同時にそれは、狩俣の祭祀が辿るプロセスそのものの記述たり得ていないだろうか。

狩俣の祭祀の中断した現状については、洲鎌成子「神役の空白による祭祀の衰退と現状」が報告しているが、その中で洲鎌は狩俣の祭祀や神歌の研究者が主催した祭祀の復活を促すシンポジウムへの村落の構成員の反応として、「シンポジウムの言葉が全部おしつけられているように感じる。続けてほしいならなんでとだえたのかを研究してほしい。」という50代女性の言葉を伝えている(洲鎌成子「神役の空白による祭祀の衰退と現状」, 文化環境研究6号所収, p.59)。<二分心>の一般的パラダイムの援用は、それに対する直接の回答にはならないものの、有効な示唆を与えるものに思えると同時に、「逆シミュレーション音楽」を初めとする三輪眞弘の「ありえたかも知れない祭祀」の仮構の試みが、逆説的にもその問いに対する答となりうる可能性をも告げていると考えられはしまいか。