付録A 火星探査年表
黎明期(1960–1964)——失敗の時代
年 | ミッション | 機関 | 結果 |
1960 | マルスニク1号・2号 | ソ連 | 打ち上げ失敗 |
1962 | スプートニク22号 | ソ連 | 軌道投入失敗 |
1962 | マルス1号 | ソ連 | 通信途絶 |
1962 | スプートニク24号 | ソ連 | 軌道投入失敗 |
1964 | マリナー3号 | NASA | フェアリング不良 |
1964 | ゾンド2号 | ソ連 | 通信途絶 |
火星探査の黎明期は、失敗の連続であった。アメリカとソ連の宇宙開発競争の中で、火星は月よりもはるかに困難な目標であることが明らかになっていった。
最初の成功(1964–1969)——点から円盤へ
年 | ミッション | 機関 | 成果 |
1964–65 | マリナー4号 | NASA | 史上初の火星フライバイ成功。22枚の画像を送信。クレーターに覆われた表面を初めて撮影。大気圧が極めて低いことを確認(約4–7 hPa)。運河の存在を否定。 |
1969 | マリナー6号 | NASA | フライバイ成功。75枚の画像を送信。赤道付近を観測。 |
1969 | マリナー7号 | NASA | フライバイ成功。126枚の画像を送信。南極付近を観測。極冠の組成(ドライアイス)を示唆。 |
1969 | マルス1969A・B | ソ連 | 打ち上げ失敗 |
マリナー4号が送り返した22枚の画像は、世界に衝撃を与えた。火星はクレーターだらけの死の世界であることが明らかになり、19世紀以来の「生命の星」という夢は崩壊した。
全球マッピングの時代(1971–1972)——地形の発見
年 | ミッション | 機関 | 成果 |
1971 | マルス2号 | ソ連 | 軌道投入成功。着陸機は着陸失敗(史上初の火星表面到達)。 |
1971 | マルス3号 | ソ連 | 軌道投入成功。着陸機は軟着陸成功するも20秒で通信途絶。 |
1971–72 | マリナー9号 | NASA | 史上初の火星周回軌道投入成功。全球マッピング。7,329枚の画像を送信。オリンポス山、ヴァレス・マリネリス、古河道を発見。砂嵐を観測。 |
マリナー9号の成果は革命的であった。火星は単なるクレーターだらけの死の世界ではなく、太陽系最大の火山と巨大な峡谷を持つ、地質学的に豊かな天体であることが明らかになった。
生命探査の時代(1973–1976)——バイキング計画
年 | ミッション | 機関 | 成果 |
1973 | マルス4号 | ソ連 | 軌道投入失敗(フライバイのみ) |
1973 | マルス5号 | ソ連 | 軌道投入成功。60枚の画像を送信。9日間で通信途絶。 |
1973 | マルス6号 | ソ連 | 着陸機は大気圏降下中にデータ送信するも着陸直前に通信途絶。 |
1973 | マルス7号 | ソ連 | 着陸機は火星を通過。軌道投入失敗。 |
1975–76 | バイキング1号 | NASA | 軌道投入成功。クリセ平原に軟着陸成功(1976年7月20日)。史上初の長期地表観測。パノラマ画像撮影。生命探査実験(LR、GEX、PR、GC-MS)実施。生命の決定的証拠は得られず。1982年まで稼働。 |
1975–76 | バイキング2号 | NASA | 軌道投入成功。ユートピア平原に軟着陸成功(1976年9月3日)。バイキング1号と同様の実験を実施。1980年まで稼働。 |
バイキング計画は、火星探査史上最初の生命探査を実施した。LR実験の陽性反応は科学的論争を巻き起こし、その解釈は現在も完全には決着していない。
停滞と再開(1988–1997)——失敗と復活
年 | ミッション | 機関 | 結果 |
1988 | フォボス1号 | ソ連 | 火星接近前に通信途絶 |
1988 | フォボス2号 | ソ連 | 火星軌道投入成功。フォボス接近前に通信途絶。 |
1992 | マーズ・オブザーバー | NASA | 軌道投入直前に通信途絶 |
1996–2006 | マーズ・グローバル・サーベイヤー(MGS) | NASA | 高解像度全球マッピング。磁場の局所的異常を発見。ガリーを発見。水の侵食地形を確認。南極の地下に氷の存在示唆。 |
1996 | マーズ96 | ロシア | 打ち上げ失敗 |
1996–97 | マーズ・パスファインダー | NASA | アレス・ヴァリスに着陸成功(1997年7月4日)。小型ローバー「ソジャーナー」を初展開。岩石の化学組成分析。洪水地形を確認。 |
1990年代前半は失敗が続いたが、1996年のMGSとパスファインダーの成功により、火星探査は再び勢いを取り戻した。特にソジャーナーは、初の火星ローバーとして歴史的意義を持つ。
ローバー時代の幕開け(1998–2007)——水の証拠
年 | ミッション | 機関 | 結果 |
1998 | のぞみ | ISAS(日本) | 技術的問題により火星軌道投入失敗(2003年) |
1998 | マーズ・クライメート・オービター | NASA | 単位換算ミスにより軌道投入失敗 |
1999 | マーズ・ポーラー・ランダー | NASA | 着陸失敗(推定) |
2001–現在 | マーズ・オデッセイ | NASA | 軌道投入成功。水素の分布(地下水氷の指標)を検出。熱放射スペクトルにより地表鉱物を分析。現在も稼働中。 |
2003–06 | マーズ・エクスプレス | ESA | 軌道投入成功。南極の地下に液体の水の可能性を示す(後に疑問符)。メタンの検出(後に再評価)。着陸機ビーグル2号は着陸失敗。 |
2003–10 | スピリット | NASA | グセフ・クレーターに着陸成功(2004年1月4日)。当初予定の90ソルを大幅に超え約6年稼働。硫酸塩鉱物、熱水活動の痕跡を発見。 |
2003–18 | オポチュニティ | NASA | メリディアニ平原に着陸成功(2004年1月25日)。約15年稼働。ヘマタイト球粒(ブルーベリー)、水成堆積岩を発見。走行距離45.16km(惑星探査ローバー記録)。2018年砂嵐により通信途絶。 |
2005–現在 | マーズ・リコネッサンス・オービター(MRO) | NASA | 高解像度カメラHiRISEにより前例のない解像度の画像を取得。RSL(繰り返し現れる斜面の筋)を発見。水分子の痕跡を検出。 |
スピリットとオポチュニティの成功は、火星探査の新時代を切り開いた。特にオポチュニティは予定寿命の60倍以上稼働し続け、火星が過去に水に富んだ環境であったことの決定的な証拠を提供した。
探査の深化(2008–2020)——居住可能性へ
年 | ミッション | 機関 | 成果 |
2007–08 | フェニックス | NASA | 北極地域に着陸成功(2008年5月25日)。地下数センチの場所で水の氷を直接確認。過塩素酸塩を検出。 |
2011–現在 | マーズ・サイエンス・ラボラトリー(キュリオシティ) | NASA | ゲール・クレーターに着陸成功(2012年8月5日)。有機分子を検出。古代湖環境の証拠を発見。「居住可能だった惑星」として再定義。現在も稼働中。 |
2013–現在 | MAVEN | NASA | 大気散逸の直接観測。太陽風による大気剥離を実測。年間約100グラム/秒の大気散逸を確認。 |
2016 | エクソマーズ・トレース・ガス・オービター(TGO) | ESA/ロスコスモス | 軌道投入成功。大気中の微量ガス分析。着陸実証機スキアパレッリは着陸失敗。 |
2018–22 | インサイト | NASA | エリシウム平原に着陸成功(2018年11月26日)。火星震(marsquake)を観測。内部構造(コア半径約1,830km)を推定。熱流束を測定。2022年12月通信途絶。 |
キュリオシティによる有機分子の検出と古代湖環境の発見は、火星が「居住可能だった惑星」であるという結論を科学的に確立した。
現在進行中の探査(2020–)——サンプルリターンへ
年 | ミッション | 機関 | 成果・状況 |
2020–現在 | パーサヴィアランス | NASA | ジェゼロ・クレーターに着陸成功(2021年2月18日)。古代デルタで岩石コアを採取・保管。MOXIE実験で酸素生成に成功。小型ヘリコプター「インジェニュイティ」を搭載。マイクロフォンで火星の音を初記録。稼働中。 |
2020–現在 | インジェニュイティ | NASA | 史上初の火星動力飛行成功(2021年4月19日)。70回以上の飛行を達成。2024年1月通信途絶。 |
2020–現在 | 天問1号 | CNSA(中国) | 火星軌道投入成功(2021年2月)。ローバー「祝融」がユートピア平原に着陸成功(2021年5月15日)。中国初の火星探査成功。 |
2020–現在 | アル・アマル(希望) | UAE | 火星軌道投入成功(2021年2月)。アラブ世界初の惑星探査機。大気・気候の観測を継続中。 |
計画中 | Mars Sample Return | NASA/ESA | パーサヴィアランスが採取したサンプルを地球に持ち帰る計画。2030年代の実現を目指しているが、技術的・予算的課題により計画は見直し中。 |
計画中 | エクソマーズ・ローバー(ロザリンド・フランクリン) | ESA/(当初ロスコスモス) | 地下掘削能力を持つローバー。ロシアのウクライナ侵攻によりロシアとの協力関係が終了。代替着陸システムを開発中。 |
2021年は「火星の年」とも言うべき年であった。3つの探査機(パーサヴィアランス、天問1号、アル・アマル)が相次いで火星に到着し、火星探査が国際的な広がりを持つことが明確になった。
付録B 主要な科学的発見リスト
B.1 地形・地質に関する発見
オリンポス山の発見(1971年、マリナー9号) 高さ約21キロメートル、基底部直径約600キロメートル。太陽系最大の火山。プレートテクトニクスが存在しないため、ホットスポット上で長期間噴火が継続し、巨大化した。最新の溶岩流は約2億年前のものと推定されている。
ヴァレス・マリネリス の発見(1971年、マリナー9号) 全長約4,000キロメートル、幅最大700キロメートル、深さ最大7キロメートルの巨大峡谷系。地球のグランドキャニオン(長さ約446キロメートル)を遥かに凌ぐ規模。形成原因については、テクトニクス的な地殻の引き裂きや、地下の溶岩の引き抜きによる陥没など複数の仮説がある。
古河道の発見(1971年、マリナー9号) 樹枝状の谷地形(デンドライティック・バレー)および洪水地形(アウトフローチャネル)。前者は長期的な降雨による侵食を示唆し、後者は大量の水が短期間に流れ出した証拠と考えられる。かつて火星に液体の水が存在したことを示す最初の直接的な証拠。
地下水氷の発見(2008年、フェニックス) 北極地域の地表から数センチメートルの深さに水の氷を直接確認。白い物質がカメラの前で数日後に蒸発したことから、ドライアイス(二酸化炭素氷)ではなく水の氷であることが確認された。
ガリーの発見(2000年、マーズ・グローバル・サーベイヤー) クレーターの壁面や斜面に見られる侵食地形。比較的新しい(地質学的に最近の)形成が示唆されており、間欠的な液体の流れによって形成された可能性がある。現在も新たなガリーが形成されている可能性が議論されている。
古代デルタの確認(2021年、パーサヴィアランス) ジェゼロ・クレーター内の古代デルタ地形を詳細に調査。デルタは約35億年前に川が湖に流れ込んでいた証拠であり、生命の痕跡が保存されている可能性が最も高い場所の一つとして評価されている。
B.2 大気・気候に関する発見
大気組成の確定(1965年、マリナー4号) 大気圧が地球の約1パーセント未満であることを確認。後の探査により、組成は二酸化炭素約95パーセント、窒素約2.7パーセント、アルゴン約1.6パーセントと確定。
全球砂嵐の観測(1971年、マリナー9号) 到着時に火星が全球的な砂嵐に覆われていることを観測。砂嵐は数週間にわたって継続した。火星の気候が地球よりも極端であることを示す最初の観測。
大気散逸の直接観測(2014年、MAVEN) 太陽風による大気イオンの剥離を直接観測。現在でも毎秒約100グラムの大気が散逸していることを確認。太陽フレア発生時には散逸率が大幅に増加する。40億年前の磁場喪失以降、大気の大部分が散逸したと推定される。
メタンの検出(2003年、マーズ・エクスプレス;2019年、キュリオシティ) 大気中のメタンの検出は、生物起源か地質起源かという点で科学的議論を呼んでいる。キュリオシティは局所的・季節的なメタン濃度の変化を検出。だしマーズ・エクスプレスとTGOの観測結果は一致せず、解釈は依然として困難な状況にある。
火星の音の記録(2021年、パーサヴィアランス) 史上初めてマイクロフォンにより火星の音を記録。風の音、ローバーのモーター音、インジェニュイティの飛行音などを収録。低周波と高周波で異なる音速が確認された(低周波:約240 m/s、高周波:やや速い)。
B.3 水・鉱物に関する発見
ヘマタイト球粒(ブルーベリー)の発見(2004年、オポチュニティ) メリディアニ平原でヘマタイト(赤鉄鉱)の球状粒子を大量発見。地球ではヘマタイトは水の存在下で形成されることが多く、火星に過去に液体の水が豊富に存在した証拠と解釈された。
水成堆積岩の発見(2004年、オポチュニティ) 水の中で形成された堆積岩を発見。層状構造、斜交層理(cross-bedding)、水による溶解痕など、水環境を示す複数の証拠を確認。
粘土鉱物の検出(2005年、マーズ・エクスプレス) スペクトル観測により、火星の古い地殻(ノアキアン期)に粘土鉱物(フィロケイ酸塩)が広く分布していることを確認。粘土鉱物は水と岩石の長期接触によって形成されるため、ノアキアン期に中性〜弱アルカリ性の水環境が存在したことを示す。
過塩素酸塩の検出(2008年、フェニックス) 火星の土壌に約0.5パーセントという高濃度の過塩素酸塩が含まれていることを確認。これはバイキングのLR実験の陽性反応を化学的に説明できる可能性があることから、生命探査の解釈に重要な影響を与えた。また、過塩素酸塩は融点降下効果を持つため、低温でも液体の水(ブライン)が存在しうることを示唆する。
有機分子の検出(2018年、キュリオシティ) ゲール・クレーターの36億年前の堆積岩から、チオフェン、ベンゼン、トルエン、プロパンなどの有機分子を検出。生物起源とは断定できないが、有機物が火星で保存されうることを初めて実証した。
南極の地下に液体の水の可能性(2018年、マーズ・エクスプレス) レーダー(MARSIS)の観測により、南極の地下約1.5キロメートルに液体の水(高塩分ブライン)が存在する可能性を示す反射が検出された。ただしこの解釈には現在も疑問符がついており、他のレーダー観測との整合性も議論されている。
B.4 内部構造に関する発見
局所的な磁場異常の発見(1997年、マーズ・グローバル・サーベイヤー) 火星の南半球の古い地殻に、強い磁化(局所的な磁場異常)が残っていることを発見。これは火星がかつて全球的な磁場を持っていたことの証拠。磁場の消失は約40億年前と推定される。
内部構造の推定(2021年、インサイト) 火星震の観測と解析により、火星の内部構造を初めて直接的に推定。コア半径は約1,830キロメートル、地殻厚は平均約24〜72キロメートル(場所により大きく異なる)。コアは液体の鉄・硫黄合金からなることが示唆された。
B.5 生命に関する発見と未解決問題
バイキングのLR実験の陽性反応(1976年) 放射性標識した栄養液を添加したところ、代謝反応に類似した気体の放出が観測された。だしGC-MSによる有機物検出がほぼゼロであったことから、大多数の科学者は非生物的な化学反応(過酸化物や過塩素酸塩による)と解釈した。LR実験の主任研究者ギル・レヴィンは生命の証拠であると主張し続けたが、科学的コンセンサスは得られていない。
ALH84001隕石(1996年) 南極で発見された火星起源の隕石から、微小な炭酸塩球、磁鉄鉱粒子、有機物(PAH)、そして20〜100ナノメートルの微小構造(「微化石」の可能性)が発見されたと主張された。現在の主流の見解は非生物的形成が可能とするものだが、論争は完全には決着していない。生命の最小スケールをめぐる議論を喚起した点で科学史的意義を持つ。
有機物の保存の実証(2018年、キュリオシティ) 36億年前の堆積岩中に有機分子が保存されていることを確認。火星の表面は強い紫外線と酸化性物質により有機物が分解されやすい環境であるが、岩石内部では保存が可能であることが示された。
付録C 主要な地形名称一覧
火星の地形名称は、国際天文学連合(IAU)によって管理されている。以下に、本書で言及したもの、および火星を理解する上で重要なものを整理する。
C.1 地形の種類と命名規則
火星の地形には、種類ごとに命名規則がある。
| 地形の種類 | ラテン語表記 | 命名の規則 | 備考・代表例 |
| 大きな平原 | Planitia | 付近の古典的なアルベド地形の名前 | アマゾニス平原 など |
| 高地・台地 | Terra / Planum | 付近の古典的なアルベド地形の名前 | アラビア大陸 など |
| 火山 | Mons / Montes | 付近の古典的なアルベド地形の名前 | オリンポス山 など |
| 峡谷・谷(大) | Vallis / Valles | 様々な言語での「火星」や「星」を意味する言葉 | カセイ峡谷(日本語由来)など |
| 峡谷・谷(小) | Vallis / Valles | 地球上の古典的、または現代の川の名前 | ナネディ峡谷(レソトの川)など |
| 洪水地形など | Chaos / Chasma | 付近の古典的なアルベド地形の名前 | イアニ・カオス など |
| クレーター(大) | Crater | 火星研究に貢献した科学者や作家の名前 | 直径60km以上 |
| クレーター(小) | Crater | 地球の人口10万人未満の町や村の名前 | 鳴子クレーター(日本)など |
| 極の台地(極冠) | Planum | 方角(北や南)を示すラテン語 | プラヌム・ボレウム(北の台地)など |
なお、スキャパレッリが19世紀に命名したアルベド地形(地表の明暗に基づく見かけ上の地形)の名称は、現代の地形名称体系とは別に使用されることがある。「東キャナル」「西キャナル」などの名称は、アルベド地形に由来する。
C.2 主要な火山
オリンポス山(Olympus Mons) 高さ:約21.9キロメートル(海抜) 基底部直径:約600キロメートル 種別:盾状火山 特記:太陽系最大の火山。ギリシャ神話の神々の山オリンポスに因む。周囲を高さ8キロメートルの断崖が囲む。最新の溶岩流は約2億年前と推定。タルシス隆起帯に位置する。
タルシス三山(Tharsis Montes) アスクレウス山(Ascraeus Mons)、パウォニス山(Pavonis Mons)、アルシア山(Arsia Mons)の三つの大型火山からなる。それぞれ高さ約18キロメートル前後。タルシス隆起帯(Tharsis Bulge)と呼ばれる、火星の地殻が大きく盛り上がった領域に位置する。
エリシウム山(Elysium Mons) 高さ:約14キロメートル タルシス隆起帯とは別の、エリシウム隆起帯に位置する。ギリシャ神話の楽園「エリュシオン」に因む。周辺には比較的新しい溶岩流が見られる。
C.3 主要な峡谷・谷
ヴァレス・マリネリス(Valles Marineris) 全長:約4,000キロメートル 最大幅:約700キロメートル 最大深さ:約7キロメートル 命名:マリナー探査機に因む。 特記:太陽系最大の峡谷系。地球のグランドキャニオン(長さ約446km、深さ最大1.8km)を遥かに凌ぐ。テクトニクス的な地殻の引き裂き、あるいは地下の溶岩の引き抜きによる陥没が主な形成原因と考えられている。複数の峡谷が平行に走り、東端と西端で性質が異なる。
マリネリス峡谷群の構成部分(西から東へ) ノクティス・ラビリントス(Noctis Labyrinthus):「夜の迷宮」の意。複雑な谷地形。 ティトノス・カスマ(Tithonium Chasma) イウス・カスマ(Ius Chasma) メラス・カスマ(Melas Chasma):ヴァレス・マリネリスの中でも最も広い部分。 コプラテス・カスマ(Coprates Chasma) カプリ・カスマ(Capri Chasma) エオス・カスマ(Eos Chasma)
C.4 主要な平原
クリセ平原(Chryse Planitia) 「黄金の平原」の意(ギリシャ語)。バイキング1号の着陸地点。北半球低地の一部。古代の洪水地形が多く見られる。
ユートピア平原(Utopia Planitia) バイキング2号および中国の祝融ローバーの着陸地点。北半球低地の中で最も大きな平原。地下に大量の水氷が埋蔵されていると推定されている。「ユートピア」はトーマス・モアの架空の理想郷に因む。
メリディアニ平原(Meridiani Planum) オポチュニティの着陸地点。赤道付近に位置する。ヘマタイト(赤鉄鉱)が豊富に分布し、過去に水が存在した証拠を多く含む。「メリディアニ」は子午線(meridian)に因む。
エリシウム平原(Elysium Planitia) インサイト探査機の着陸地点。北半球低地の一部。比較的平坦で着陸に適した地形。
アマゾン平原(Amazonis Planitia) 火星で最も滑らかな地形の一つ。比較的若い地質年代の溶岩流で覆われている。
C.5 主要なクレーター・盆地
ヘラス盆地(Hellas Planitia) 直径:約2,300キロメートル 深さ:約7キロメートル(太陽系最深の衝突盆地の一つ) 特記:南半球に位置する巨大な衝突盆地。盆地内の大気圧は火星平均より高く、液体の水が存在しやすい条件の一つ。
アルギュール盆地(Argyre Planitia) 直径:約1,800キロメートル 南半球に位置する衝突盆地。ヘラス盆地と並ぶ大規模な衝突痕。古代の水が流れ込んでいた可能性がある。
ゲール・クレーター(Gale Crater) 直径:約154キロメートル キュリオシティの着陸地点。中央に「シャープ山」(Aeolis Mons)と呼ばれる高さ約5.5キロメートルの山を持つ。堆積岩の層状構造が詳細に記録されており、火星の気候史の解読に重要な場所。
ジェゼロ・クレーター(Jezero Crater) 直径:約45キロメートル パーサヴィアランスの着陸地点。「生命の水」を意味するボスニア語に因む。古代デルタ地形と河道を持ち、約35億年前に湖が存在した可能性が高い。生命の痕跡が保存されている可能性が最も高い地点の一つとして選定された。
グセフ・クレーター(Gusev Crater) 直径:約166キロメートル スピリットの着陸地点。古代の河川「マアディム・ヴァリス」が流れ込んでいた痕跡があり、かつて湖であった可能性がある。ロシアの天文学者マトヴェイ・グセフに因む。
C.6 主要な高地・台地
ノアキス・テラ(Noachis Terra) 南半球の古い高地。ノアキアン期の名前の由来となった地域。クレーターが密集し、太陽系でも最古級の地表が残る。
テラ・サバエア(Terra Sabaea) 南半球に位置する古い高地。アルベド地形としての「サバエア」は、古代アラビアの地名に因む。
シルチス・マジョル(Syrtis Major Planum) ホイヘンスが1659年に初めて火星表面の暗い模様として観測した地形。玄武岩質の平原。名前は古代地名(現在の北アフリカのスルト湾)に因む。アルベド地形としての「シルチス・マジョル」は、火星観測史上最も古くから知られた地形の一つ。
アラビア・テラ(Arabia Terra) 北半球の大規模な高地。複雑な侵食地形を持ち、古代の水活動の痕跡が多く残る。粘土鉱物(フィロケイ酸塩)の分布も確認されている。
C.7 探査機着陸地点のまとめ
探査機 | 着陸地点 | 年 | 成果の概要 |
バイキング1号 | クリセ平原 | 1976 | 初の長期地表観測、生命探査実験 |
バイキング2号 | ユートピア平原 | 1976 | 生命探査実験 |
マーズ・パスファインダー | アレス・ヴァリス | 1997 | 初のローバー(ソジャーナー)展開 |
スピリット | グセフ・クレーター | 2004 | 熱水活動の痕跡を発見 |
オポチュニティ | メリディアニ平原 | 2004 | 水成堆積岩、ヘマタイト球粒を発見 |
フェニックス | 北極地域 | 2008 | 水の氷を直接確認、過塩素酸塩を検出 |
キュリオシティ | ゲール・クレーター | 2012 | 有機分子を検出、古代湖環境を確認 |
インサイト | エリシウム平原 | 2018 | 火星震を観測、内部構造を推定 |
祝融 | ユートピア平原 | 2021 | 地下に水氷の痕跡を示す地層を確認 |
パーサヴィアランス | ジェゼロ・クレーター | 2021 | 岩石コアを採取、酸素生成に成功 |
付録D 参考文献
本書の執筆にあたって参照した文献、および火星についての理解を深める上で有益な文献を以下に整理する。一般書から専門的な学術書まで、幅広い読者を想定してリストアップした。
D.1 火星の科学——一般書・入門書
丸山茂徳、ジョセフ・G・ベーカー、ロバート・M・ハーグリーヴス、ドーム著 『火星の生命と大地46億年』(講談社、2008年) 火星の地質・生命・探査史を包括的に解説した日本語の一般書。ローウェルの認識が科学的な観点から必ずしも的外れではなかったという指摘を含む。
中村浩美 著 『火星 雑学ノート』(ダイヤモンド社、1997年)火星探査、火星と人類の関わりの歴史、火星についての知識をコラム形式でまとめた概説書。
ジョン・ノーブル・ウィルフォード 著、高橋早苗 訳 『火星に見せられた人びと』(河出書房新社、1992年)John Noble Wilford, Mars Beckons, 1990 の邦訳。古代から現在、更に執筆当時の未来の展望まで、火星に見せられた人々のエピソードの紹介を通じて、人類と火星との関わりを描く。
フランソワ・フォルジェ、フランソワ・コスタール、フィリップ・ロニョーネ著、渡部潤一 著、水谷仁 訳 『火星 惑星の48億年史』(Newton ムック、2009年) François Forget, François Constard, Philippe Lognonné, La Planete Mars - Histoire d’un autre monde , 2006 の邦訳。ヨーロッパの火星探査機マーズ・エクスプレスのデータを利用した研究に基づき、火星の歴史、現在の火星の姿、火星探査の歴史と未来について図版を豊富に用いて記述した教科書。
D.2 火星の科学——専門書・学術書
Carr, Michael H. The Surface of Mars (Cambridge University Press, 2007) 火星地形学の標準的な参考書。
Kieffer, Hugh H. et al. (eds.) Mars (University of Arizona Press, 1992) バイキング時代からマーズ・グローバル・サーベイヤー時代にかけての総合的な学術書。
Bell, Jim (ed.) The Martian Surface: Composition, Mineralogy, and Physical Properties (Cambridge University Press, 2008) 火星の地表の組成・鉱物・物理特性についての専門書。
Grotzinger, John P., and Ralph E. Milliken (eds.) Sedimentary Geology of Mars (SEPM Society for Sedimentary Geology, 2012) 火星の堆積地質学についての専門書。
Jakosky, Bruce M. et al. "Inventory of CO2 available for terraforming Mars," Nature Astronomy, 2 (2018), pp. 634–639. テラフォーミングに利用可能な二酸化炭素の量を評価し、現在の技術ではテラフォーミングは実現困難という結論を導いた論文。
D.3 火星探査の歴史
Morton, Oliver Mapping Mars: Science, Imagination and the Birth of a World (Picador, 2002) 火星のマッピングの歴史を、科学・想像力・探査史の交差として描く。
Hartmann, William K. A Traveler's Guide to Mars (Workman Publishing, 2003) 地質学的観点から火星を案内する一般書。豊富な写真を含む。
Sheehan, William The Planet Mars: A History of Observation and Discovery (University of Arizona Press, 1996) 古代からマリナー計画にいたる火星観測史の詳細な記録。
Lowell, Percival Mars (Houghton Mifflin, 1895) ローウェルが1895年に刊行した火星論。「地球よりもはるかに古く、進化が進み、そのために海が干上がり、乾燥し、砂漠化している」という認識が示されている。歴史的資料として重要。
D.4 火星と生命——科学と哲学
McKay, David S. et al. "Search for Past Life on Mars: Possible Relic Biogenic Activity in Martian Meteorite ALH84001," Science, 273 (1996), pp. 924–930. ALH84001隕石に生命の痕跡が含まれる可能性を主張した歴史的論文。
Chyba, Christopher F., and Cynthia B. Phillips "Possible ecosystems and the search for life on Europa," Proceedings of the National Academy of Sciences, 98 (2001), pp. 801–804. 太陽系内の生命の可能性を広い文脈で議論する論文。火星との比較に有益。
Ward, Peter D., and Joe Kirschvink A New History of Life (Bloomsbury, 2015) 地球生命の歴史を新たな視点で描く。火星との比較を含む。
D.5 テラフォーミング・未来計画
Zubrin, Robert, and Richard Wagner The Case for Mars: The Plan to Settle the Red Planet and Why We Must (Free Press, 1996; revised edition 2011) 有人火星探査とテラフォーミングの具体的計画を提唱した影響力の大きな書。Mars Direct計画の提唱者による。
McKay, Christopher P., Owen B. Toon, and James F. Kasting "Making Mars habitable," Nature, 352 (1991), pp. 489–496. テラフォーミングの科学的可能性を初めて本格的に論じた学術論文。
Fogg, Martyn J. Terraforming: Engineering Planetary Environments (SAE International, 1995) テラフォーミングの科学的・工学的側面を包括的に論じた専門書。
D.6 天文学・惑星科学の歴史と思想
ケプラー、ヨハネス(Johannes Kepler) Harmonices Mundi (1619) (邦訳:『世界の調和』、工作舎) 「天球の音楽」を数学的に論じた著作。第5巻に惑星の音楽が記述されている。
ケプラー、ヨハネス(Johannes Kepler) Astronomia Nova (1609) 火星の楕円軌道を論じた著作。副題に「火星の運動」が明示されている。
アーサー・ケストラー 著、小尾信弥、木村博 訳 『ヨハネス・ケプラー 近代宇宙観の夜明け』(河出書房新社、1971年)Arthur Koestler, The Watershed - The Biooraphy of Johannes Kepler, 1960 の邦訳。
入江哲朗 著 『火星の旅人 パーシヴァル・ローウェルと世紀転換期アメリカ思想史』(青土社、2020年)
D.7 火星の言語・文化的受容
互盛夫 著 『フェルディナンド・ド・ソシュール——《言語学》の孤独、「一般言語学」の夢』(作品社、2009年) 特に pp.468–481の異言研究についての節。フルルノワとソシュールの関係、「火星語」事件の経緯が詳述されている。
Flournoy, Théodore Des Indes à la planète Mars: Étude sur un cas de somnambulisme avec glossolalie (1900) (邦訳:『インドから火星へ』) 霊媒が語る「火星語」を記録・分析した心理学的研究。19世紀末の火星像と心霊研究の交差を示す歴史的資料。
Victor Henri Le langage martien (1901) 「火星語」を観念連合の産物と結論づけた言語学的分析。フルルノワへの応答として書かれた。
D.8 火星を舞台にした文学作品
ウェルズ、H・G(Herbert George Wells) The War of the Worlds (1898) (邦訳:『宇宙戦争』、岩波文庫 ほか)
バローズ、エドガー・ライス(Edgar Rice Burroughs) A Princess of Mars (1912) ほか「バルスーム」シリーズ (邦訳:『火星のプリンセス』東京創元社 ほか)
ルイス、C・S(C. S. Lewis) Out of the Silent Planet (1939) (邦訳:『マラカンドラ 沈黙の惑星を離れて』、ちくま学芸文庫)
ブラッドベリ、レイ(Ray Bradbury) The Martian Chronicles (1950) (邦訳:『火星年代記』、ハヤカワ文庫)
バラード、J・G(J. G. Ballard) The Cage of Sand (1962) (邦訳:「砂の檻」『永遠へのパスポート』、ハヤカワ文庫 所収)
ゼラズニイ、ロジャー(Roger. Zelazny) Rose for Ecclesiastes (1963) in The Doors of His Face, the Lamps of His Mouth. 1971 (邦訳:「伝道の書に捧げる薔薇」『伝道の書に捧げる薔薇』、ハヤカワ文庫 所収)
ディック、フィリップ・K(Philip K. Dick) Martian Time-Slip (1964) (邦訳:『火星のタイム・スリップ』、ハヤカワ文庫)
ディック、フィリップ・K(Philip K. Dick) The Three Stigmata of Palmer Eldritch (1965) (邦訳:『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』、ハヤカワ文庫)
光瀬龍 著 『東キャナル文書』(早川書房、1977年)
光瀬龍 著 「宇宙年代記」シリーズ(早川書房、ハルキ文庫ほか。火星を舞台にしたものは「流砂二二一〇年」「落陽二二一七年」「市二二二〇年」「シンシア遊水地二四五〇年」「流星二五〇五年」「西キャナル市二七〇三年」の6作。ハルキ文庫『宇宙年代記全集』(1999年、2分冊)に全て所収。)
光瀬龍 著 『たそがれに還る』(早川書房、1964年)
光瀬龍 著 『喪われた都市の記録』(早川書房、1972年)
ポール、フレデリック(Frederik Pohl) Man Plus (1976) (邦訳:『マン・プラス』、ハヤカワ文庫)
クラーク、アーサー・C(Arthur C. Clarke) The Sands of Mars (1951) (邦訳:『火星の砂』、ハヤカワ文庫)
ロビンソン、キム・スタンリー(Kim Stanley Robinson) Red Mars (1992), Green Mars (1993), Blue Mars (1996) (邦訳:『レッド・マーズ』『グリーン・マーズ』『ブルー・マーズ』、東京創元社)
ロビンソン、キム・スタンリー(Kim Stanley Robinson) 2312 (2012), (邦訳:『2312 太陽系動乱』、東京創元社)
ランディス、ジェフリー・A(Geoffrey A. Landis) Mars Crossing (2000) (邦訳:『火星縦断』、ハヤカワ文庫)
ベア、グレッグ(Greg Bear) Moving Mars (1993)(邦訳:『火星転移』、ハヤカワ文庫)
フォワード、ロバート・L (Robert L. Forward)Matrian Rainbow (1991)(邦訳:『火星の虹』、ハヤカワ文庫)
D.9 音楽と宇宙
ホルスト、グスタフ(Gustav Holst) The Planets, op.32 (1914–1916) 第1曲「火星、戦いをもたらすもの」。神話的・占星術的な火星像に基づく管弦楽作品。
アドルノ、テオドール・W(Theodor W. Adorno) 『マーラー——音楽的人相学』(法政大学出版局) 龍村あや子訳。「大地の歌」に関する「宇宙から眺めた地球」の記述を含む。
シュトックハウゼン、カールハインツ(Karlheinz Stockhausen) アンリ・ルイ・ド・ラグランジュのマーラー伝書評(酒田健一訳) 「もしある別の星に住む高等生物が地球人の性質をごく短期日のうちに調査しようと思うなら、マーラーの音楽を素通りするわけにはいかないだろう」という言及を含む。
D.10 思想・哲学的背景
ジェインズ、ジュリアン(Julian Jaynes) The Origin of Consciousness in the Breakdown of the Bicameral Mind (1976) (邦訳:『神々の沈黙——意識の誕生と文明の興亡』、紀伊國屋書店) 意識の歴史的変容についての野心的な仮説。ホメロス時代の意識の様態を論じる。
レム、スタニスワフ(Stanisław Lem) Solaris (1961) (邦訳:『ソラリス』、国書刊行会 ほか) 地球とは全く異なる生命の可能性を描いた哲学的SF。人間の認識の限界を問う。
レム、スタニスワフ(Stanisław Lem) Historia literatury bitowej (1973) in Wielkość urojona. Czytelnik(邦訳:「ビット文学の歴史」 『虚数』所収、長谷見一雄・沼野充義・西成彦 訳、国書刊行会、199年)
グッドマン、ネルソン(Nelson Goodman) Ways of Worldmaking (1978) (邦訳:『世界制作の方法』、筑摩書房) 「世界の複数のバージョン」という概念を論じた哲学書。火星の「ヴァーチャル性」を考える上で有益な理論的枠組みを提供する。
カント、イマヌエル(Immanuel Kant) 『判断力批判』(岩波文庫 ほか) 美の定義をめぐる古典的哲学書。ローバーが撮影した写真の「美」を考える際の理論的背景として参照。
D.11 技術哲学・メディア論
メルロー=ポンティ、モーリス(Maurice Merleau-Ponty) 『知覚の現象学』(みすず書房、1967年) 竹内芳郎・小木貞孝 訳 原著:Phénoménologie de la perception (1945)
身体を世界との接触の形式として論じた現象学の古典。盲人の杖の例など、身体図式の拡張についての議論は、ローバーを「代理身体」として捉える理論的基盤となる。第2章2.12節で参照。
アイディ、ドン(Don Ihde) Technology and the Lifeworld: From Garden to Earth (Indiana University Press, 1990)
技術が世界を媒介し、世界の現れ方を変形するという技術哲学の重要文献。望遠鏡、顕微鏡などの光学技術の分析を含む。第2章2.12節で参照。
アイディ、ドン(Don Ihde) Instrumental Realism: The Interface between Philosophy of Science and Philosophy of Technology (Indiana University Press, 1991)
科学的観測における技術的媒介の役割を論じる。観測装置が単なる中立的な道具ではなく、観測対象の現れ方を構成するという議論。
スティグレール、ベルナール(Bernard Stiegler) 『技術と時間1 エピメテウスの過失』(法政大学出版局, 2009)石田英敬(監修) 西兼志(訳), 原著:La technique et le temps, 1. La faute d'Épiméthée (1994)
技術を記憶と時間の外在化として論じた技術哲学の主要著作。文字、時計、カメラなどの技術が人間の経験と時間性をどう変容させるかを分析。第2章2.12節で参照。
スティグレール、ベルナール(Bernard Stiegler) 『技術と時間2 方向喪失-ディスオリエンテーション』(法政大学出版局, 2010)石田英敬(監修) 西兼志(訳), 原著:La technique et le temps, 2. La désorientation (1996)
映画、テレビなどの時間的対象(temporal objects)についての分析。ローバーが記録する火星の時間的経験を考える上で示唆的。
ラトゥール、ブルーノ(Bruno Latour) 『科学が作られているとき——人類学的考察』(産業図書、1999年) 川崎勝・高田紀代志 訳 原著:Science in Action (1987)
科学的事実が実験室や観測装置を通じて「構成される」過程を人類学的に分析。火星探査における画像処理、データ解釈の社会的・技術的側面を考える上で有益。
ラトゥール、ブルーノ(Bruno Latour) 『パンドラの希望——科学論の現実性について』(産業図書、2007年) 川崎勝・平川秀幸 訳 原著:Pandora's Hope: Essays on the Reality of Science Studies (1999)
科学的対象の「実在性」を、人間と非人間のネットワークの中で捉え直す。火星が「媒介を通じて生成される実在」であることを理論化する上で参考になる。
D.12 科学史・観測技術史
シェイピン、スティーブン、サイモン・シャッファー(Steven Shapin and Simon Schaffer) 『リヴァイアサンと空気ポンプ——ホッブズ、ボイル、実験的生活』(名古屋大学出版会、2016年) 吉本秀之・柴田和宏・坂本邦暢 訳 原著:Leviathan and the Air-Pump: Hobbes, Boyle, and the Experimental Life (1985)
17世紀の科学革命期における実験装置と知識生産の関係を論じた科学史の古典。観測装置を通じて「事実」がどのように構成されるかの歴史的事例として重要。
ギャリソン、ピーター(Peter Galison) Image and Logic: A Material Culture of Microphysics (University of Chicago Press, 1997)
20世紀物理学における観測装置(霧箱、泡箱、電子検出器)と画像の関係を詳細に分析。観測データから画像への変換過程を考える上で示唆的。マリナー4号の「色鉛筆エピソード」を理論的に位置づける際に参考になる。
ダストン、ロレーヌ、ピーター・ギャリソン(Lorraine Daston and Peter Galison)『客観性』、名古屋大学出版会、2021年)瀬戸口明久、岡澤康浩、坂本邦暢、有賀暢迪:訳 原著: Objectivity (Zone Books, 2007)
科学的画像における「客観性」概念の歴史的変遷を論じる。機械的客観性(mechanical objectivity)から訓練された判断(trained judgment)への移行。火星画像の色調整における「人間の判断」の役割を考える上で重要。
D.13 視覚文化論・写真論
クラリー、ジョナサン(Jonathan Crary) 『観察者の系譜——視覚空間の変容とモダニティ』(以文社、2005年) 遠藤知巳 訳 原著:Techniques of the Observer: On Vision and Modernity in the Nineteenth Century (1990)
19世紀における視覚技術(カメラ・オブスクラ、立体鏡など)と観察者の主体性の変容を論じる。技術によって「見ること」がどう構成されるかを考える理論的枠組み。
ソンタグ、スーザン(Susan Sontag) 『写真論』(晶文社、1979年) 近藤耕人 訳 原著:On Photography (1977)
写真が現実をどのように表象し、変形するかについての古典的エッセイ集。火星の写真が「記録」であると同時に「構成」でもあることを考える上で参照価値がある。
D.14 宇宙探査の哲学・倫理
コクラン、マイケル(Michael J. Crowe) The Extraterrestrial Life Debate, 1750-1900 (Cambridge University Press, 1986) (邦訳:『地球外生命論争——1750-1900』)
18〜19世紀の地球外生命論争の詳細な歴史。ローウェルの火星運河論を思想史的文脈に位置づける上で重要。
ディック、スティーブン・J(Steven J. Dick) The Biological Universe: The Twentieth-Century Extraterrestrial Life Debate and the Limits of Science (Cambridge University Press, 1996)
20世紀の地球外生命論争。バイキング計画の生命探査実験の科学的・哲学的背景を理解する上で有益。
ミリガン、トニー(Tony Milligan) Nobody Owns the Moon: The Ethics of Space Exploitation (McFarland, 2015)
宇宙探査と惑星保護の倫理学。火星のテラフォーミングをめぐる倫理的問いを考える上で参考になる。
D.15 探査機関連文献
寺門和夫 監修、沢田京子 訳 『火星からのメッセージ』(ランダムハウス講談社) Jim Bell, Postcards from Mars の邦訳。
スピリットとオポチュニティが撮影したパノラマ写真集。ジム・ベルによる「はじめに」は、写真と科学と美の関係について重要な示唆を含む。ジム・ベルによる「はじめに」では、「画像を得る」ことと「写真を撮る」ことの違いについて重要な言及がある。第2章2.11節で詳細に引用。
Squyres, Steve Roving Mars: Spirit, Opportunity, and the Exploration of the Red Planet (Hyperion, 2005)
スピリットとオポチュニティのミッション責任者による記録。ローバーの視点と人間の経験の関係について一人称的な記述を含む。
NASA JPL "Ingenuity Mars Helicopter" (公式ウェブサイト) https://mars.nasa.gov/technology/helicopter/
インジェニュイティの技術的詳細と飛行記録。2024年1月の通信途絶までの70回以上の飛行データを含む。第2章2.9節で参照。
Balaram, J., et al. "Mars Helicopter Technology Demonstrator," AIAA Scitech 2018 Forum (2018)
インジェニュイティの技術設計についての論文。火星の希薄な大気における飛行の工学的課題を詳述。
D.16 メディア論・情報理論
キットラー、フリードリヒ(Friedrich Kittler) 『グラモフォン・フィルム・タイプライター』(筑摩書房、1999年) 石光泰夫・石光輝子 訳 原著:Gramophone, Film, Typewriter (1986)
メディア技術が知覚と記憶をどう外在化するかを論じる。ローバーのデータ記録を「外在化された経験」として捉える理論的視座を提供。
マクルーハン、マーシャル(Marshall McLuhan) 『メディア論——人間の拡張の諸相』(みすず書房、1987年) 栗原裕・河本仲聖 訳 原著:Understanding Media: The Extensions of Man (1964)
「メディアはメッセージである」という命題。技術が人間の感覚器官の拡張であるという議論は、ローバーを「感覚の拡張」として捉える際の古典的参照点。
D.17 音楽作品
Václav Pichl: Symphony in D Major, "Mars" (18世紀)
Holst: The Planets, Op. 32: I. Mars, the Bringer of War (1914)
Michael McNabb: Mars Suite (1984)
Syntopia Quartett: Mars (2003)
Oöphoi & Tau Ceti: Celestial Geometries (2001)
Oöphoi & Tau Ceti: Celestial Geometries 2 (2012)
Oöphoi: Clouds Over Mars (2005)
本付録は2025年時点での情報に基づいている。火星探査は継続中であり、新たな発見によって内容が更新される可能性がある。
(2026.4.21 公開)