2020年4月6日月曜日

[お知らせ] 令和2年度 情報科学芸術大学院大学 入学式 学長式辞 について(2020.4.6 & 8)

 既にご存じの方も多いかと思いますが、三輪さんが4/2に情報科学芸術大学院大学入学式で読み上げられた学長式辞が、IAMASのホームページにて公開されています。(https://www.iamas.ac.jp/report/entrance-ceremony2020/
 一読して、強い感銘を受けるとともに、この内容を一人でも多くの方に共有頂きたく、ここでご案内させて頂きます。その内容には、三輪さんがこれまで取り組まれてきた、知性と感性との融合としての「人文工学」のエッセンスがこの上なく明確に、わかりやすい形で示されていると思います。
 日本では、西浦先生の疫学的数理モデルに基づくクラスタ―の早期発見と抑え込みという方策が、これまで素晴らしい成果をあげてきており、私も微力ながら、例えば「新型コロナウィルス感染症に関する専門家有志の会」(https://note.stopcovid19.jp/ )の活動に賛同したり、自分が置かれた条件の下で、医療関係者、医薬品販売などの生活インフラを担う方々の活動(それは仮に非常事態宣言が出ても、―日本では起きないようだが―ロックダウンが起きても止まることはない、否、止めることができないものであることを認識すべきであると思います)を支援していますが、時々刻々と深刻さを増す感染者数の増加状況や各種記者会見などでお話を伺う限り、一刻の猶予を許さない状況に思われます。
 例えば「新型コロナクラスター対策課専門家」(https://twitter.com/ClusterJapan)のtwitterでの西浦先生の説明によれば、2割が外出自粛するのではなく、8割が外出自粛して、必要最低限の2割だけが外出するようにならないと感染爆発が防げないと数理モデルは語っています。数理に対するフィーリングがあれば、今起きていることではなく、例えば2週間後におきるであろうことに基づいて今の行動を決めないといけないことは感覚で了解されることでしょう。求められているのは、そのことを感じとる知性であり、それに加えて今、自分からは見えないところで起きていることに対する想像力、更には未だ潜在的な状態にあって2週間後に起きることが想定されることに対する想像力なのではないかと感じています。
 またその一方で、こうした暗澹たる状況の中で、IUT(宇宙際タイヒミュラー)理論の望月新一先生によるABC予想の証明のチェックが完了したとの報道に接しました。これはドイッチュの言う「無限の始まり」、人間の知性と感性への信頼を取り戻させてくれる快挙であり、エポックメイキングな出来事に思われ、非常に勇気づけられます。
 三輪さんの活動はまさにそうした現実の状況に対するラディカルな「応答」であり、そして、繰り返しになりますが、この式辞にはそのエッセンスが詰め込まれていると思います。本来ならばそれは、受取人である私に対して、十分な時間をかけた分析に基づく「応答」を要求するものであると思いますが、その一方で最早私が付け加えることなどないような気もします。そこで通常のスタイルとは異なりますが、それに対する分析・考察は一旦差し控えて、ご紹介だけさせて頂く次第です。このページは暫定的なものとし、然るべき「応答」は後日に期したく思います。

  上記までを公開後、岡田暁生先生より、藤原辰史先生の「パンデミックを生きる指針——歴史研究のアプローチ」(https://www.iwanamishinsho80.com/post/pandemic)をご教示頂きました。藤原先生は、文中で「クリオの審判」を引き合いに出され、現下の状況で問われているのは「いかに、人間価値の値切りと切り捨てに抗うか」「いかに、感情に曇らされて、フラストレーションを「魔女」狩りや「弱いもの」への攻撃で晴らすような野蛮に打ち勝つか、である」と述べられています。
 三輪さんの活動が、例えば「逆シミュレーション音楽」がGolden Nicaを受賞した際のコメントのように、一見したところ、AI技術のブレイクスルーがあり、シンギュラリティが論じられるような今日であれば、ニック・ボストロム(『スーパーインテリジェンス 超絶AIと人類の命運』)やマックス・テグマーク(『Life3.0』)がその危険への対策を最優先の課題として唱導しているような、AIをその最先端とするテクノロジーによる「人間」の管理と支配が強化されていく現実を反映したものであるかに見えて、実際にはそうした状況に対するラディカルな批判・異議申し立てであることについては、既に誤解の余地なく了解されていることと思います。その一方で三輪さんの幅広い活動のスペクトルの中に、そのほんの一端を例示するならば、迫害され、消滅に追い込まれる少数民族、或いはいじめや虐待の被害者である子供、或いは死を受容することを強制された特攻隊員といった弱者に対する擁護の姿勢があることにも気づかずにはいられません。藤原先生は、文系研究者は「想像力と言葉しか道具を持たない」と述べられていますが、上記の文章で藤原先生が披歴されているような想像力の働きこそを、数理的な知性と同じだけ、或いは寧ろそれに勝って必要とされているからこそ、三輪さんが「人文工学」を提唱されていることに改めて留意すべきであるとの思いを強くしました。
 私はつい最近執筆、公開した文章の中で、未知のウィルスが原因の伝染病の猛威の前には、深層学習によるAI技術のブレイクスルーがあり、シンギュラリティが論じられるようになっても尚、その実現には程遠い今の時点では、人間の営みの基本は歴史が証言する、これまで繰り返してきたものと大きくは変わらず、そこで一人ひとりが直面せざる得ない剣呑な状況や運命もまた変わらないように感じられると記しました。我々はジュリアン・ジェインズの言う「二分心」以降、レイ・カーツワイルの言う「シンギュラリティ」以前の「神なき時代」「隠れたる神」の時代を生きる存在、有限の寿命に限界づけられ、かつそのことを意識することを宿命づけられた存在なのです。マックス・テグマークの『Life3.0』によれば、我々は「自らのハードウェアを設計する能力」を持った結果、進化の軛を逃れた存在であるLife3.0への橋渡し役としての、謂わば「最後の生命」であるわけですが、そうした存在の存続を、細胞を持たず、自己複製の能力を持たない「生命」以前の存在であるウィルスが脅かしていると捉えれば、今起きていることは、「生命」以前と「生命」以後の抗争なのではないかとさえ思えてきます。
 ここでご紹介した三輪さんの式辞も、藤原先生の文章も、そうした状況の中で我々が「生き延びる」ための、しかも単に生き延びるだけではなく「正しく」生き延びるための指針を与えてくれるもののように思えます。三輪さんの式辞への共感と敬意を新たにするとともに、藤原先生の文章をご教示くださった岡田先生に感謝し、素晴らしいテキストを発信してくださった藤原先生に、感謝の気持ちと敬意を表したく思います。

(2020.4.6, 8)