1.
ジッドには毒がある、と言われる。そして例えば、日本ではごく普通に読まれている「田園交響楽」「狭き門」といった作品すら、フランスでは、 (法王庁が禁書に指定していたこともあって)とりわけカトリックの信仰篤い家庭においては危険な作家として忌避される傾向があると いうことが言われたりする。一方で、時代は変わって、ジッドは今や過去の作家であり誰も相手にしなくなったという見方もある。 だが、前者にせよ、後者にせよ、それをいうだけに留まるのは、研究者ではなくジャーナリストだろう。だが現実には日本では研究者も 権威の一人の発言がこうなのだから、所詮日本でのジッド受容というのは皮相なものなのかと問うてみたくもなる。 実際、問題なのは、「田園交響楽」のどこがどのように危険で、「毒」とは一体何なのかを突き止めて端的に言うことの筈だ。 私見では、確かに「田園交響楽」には、一読して毒があることが感じられる。誠実さを装った欺瞞が、観念のすりかえの自己正当化が、 フィクションという形式の上に仕掛けられた「罠」と、誠実さを装った(もしかしたら無意識の)「嘘」が読み手を苛立たせるのだ。 そしてその結末は、読者をどこにも連れて行かないし、カタルシスを拒絶する。私見では、「田園交響楽」はしばしば「狭き門」と 対にして語られ、「無害な」ジッドとして文学全集の類にも繰り返し取り上げられる傾向にあるが、それそれが全く異なるベクトルをもち、 その毒のありようもまた、全く異なったものである。「狭き門」には超越性にまつわる、ある危うさが存するが、それは寧ろ目を背けては ならないかも知れないのに対し、「田園交響楽」はその「毒」の何であるかを突き止め、「罠」の構造を明らかにし、 「嘘」の内実を明らかにする必要があるように思われる。そしてそれは、たとえ揚げ足取りに見えたとしても、先天的に視覚の ハンディキャップを負っているということがどういうことであるのかについてのジッドの無理解が、決して瑣末なことではないことを示すことでもあるだろう。 触覚と聴覚による補綴に対する無理解もさることながら、視覚的な色彩と聴覚的な音色の、それ自体は間違っているわけではないシネテステジア、クロスモダリティが 正しく扱えておらず、しかも悪いことに、その無理解の結果として生じた空隙が、独善的なルソー主義的な楽園で埋められている点が、一見するとそうした 次元とは異質の、聖書の自由解釈というプロテスタントの中でも自由主義的な立場を僭称した自分勝手な聖句の解釈による自己正当化と 結びついているのである。それが芸術上の選択であり、レシという形式の拘束であるにしても、たとえば「狭き門」ではアリサの日記を 埋め込むことで多声化を実現していたのに対し、ここでは「アンドレ・ワルテルの手記」以上に手記の形式による「私」の視点への 限定を徹底させることでジェルトリュードの声を排除してしまっていることも問題だ。しかも文学的完成度の点からも破綻が指摘される第二の手帖の後半部分は、 科学的な見地からも出鱈目に近いし、牧師の主観的な歪みに満ちた手記であることを口実に正当化されかねない第一の手帖における ジェルトリュードの描写のリアリティの欠如も、彼女の成長を記録し、神の恩寵を書き留めるという意図に自ら背いているのだ。これが 「田園交響楽」という標題と、雪深いスイスの牧師を主人公とし、牧歌的な雰囲気の中で繰り広げられる、聖書の引用がちりばめられた悲劇という装いをもって 文脈を欠いた人々を欺くのであるとすれば、その虚偽を具体的に、煩瑣を懼れずに指摘することにも意味なくはないだろう。この物語は、今日、 正しい位置づけをもって語り直されるべき素材を含んでいるのだから、それは単なる批難に終始するわけではなく、素材の価値に見合った仕方で語り直されるための 準備作業としての意味を持っている筈である。
2.
当初の題名はL'Aveugleであった。それが何故、La Symphonie pastoraleになったのか。 その構想はずっと以前(1893年)からあったが、執筆の開始は1918年2月16日とのこと。第一部が書かれている 段階では、依然としてL'Aveugleとジッドは呼んでおり(1918年5月17日の第一部完成を告げる日記の記述からそのことは 窺い知ることができる)、La Symphonie pastoraleという表題は、その後1918年6月8日に与えられたもののようだ。 それは完成した第一部のみを指していたのか、あるいは既に構想としては存在していたであろう第二の手帖とその結末も合わせてのことなのか。 第二部執筆は難渋する。その挙句に結論を急ぎすぎる結果になる。10月19日には終結部に到達したようだが、脱稿は11月18日。 11月21日に、妻マドレーヌによる<手紙焼却>が明らかになる。(これをもって<自然>が<芸術>を模倣するなどと若林は 評しているが、まず<自然>を実生活と読みかえることを許容したとして、時系列的にも<自然>が<芸術>を模倣するというのは ナンセンスであろう。11月21日に起きたことは、それまでの<自然>の過程の一つの結果に過ぎないこと、それに対するジッドの反応が 「田園交響楽」の牧師のそれと同じであり、ジッドが同じ時期に同じようなことを実生活に関して述べたとしても、それは一方が他方を 模倣したのでは全くない。逆にそうした認識が既にジッドの裡にあったからこそ、「田園交響楽」の第二部があのようになったのであり、 実生活に関して、自分が他人の不幸の上に自分の幸福を築いていることに盲目であったと後で述べたとして、それは同じ認識を 時期をずらして述べただけではないか。)
後日のジッド自身のコメントで唯一留意すべきは、La Symphonie pastorale, d'une forme de mensonge à soi-mêmeという断章であろう。 それ以外の思想的な説明には、後づけの自己弁護、それこそ mensonge à soi-même の上塗りの感さえある。ジッドはそれを繰り返し 続けた人であり、人によってはそれが何と「誠実」と映ったらしく、しかもそうした姿勢に対して積極的な評価を与える人間さえいるのは 驚かされる。もっとも、「法王庁の抜け穴」のラフカディオに共感をする人間がいるくらいだから、驚いていても仕方ないのだろうが。
田園交響楽は、それ自体はあまりに簡潔で言い落としが勝ちすぎている。それがジッドが篭めた実生活への暗示によるものであるか どうかはどうでもいい。 田園交響楽での変わり果てたアメリーに現実のマドレーヌを見てとろうとすることは無意味だ。ジッド自身の心情や意図がいずこにあるにせよ、 それに付き合う必要は恐らくはない。否、勿論ジッドは、現実には不可能な実験をここで試みたのであろうが、それもまた、中途半端な ものになっているようだ。若林の「アンドレ・ジッド『田園交響楽』の形成:<自然>と<芸術>の葛藤」における所説は自己韜晦を 伴う奇妙なものだが(それ自体、ジッドの姿勢のミメーシスなのだという見方が可能だろう)、 結局のところ現実との関係の指摘以上のものになっていない故、情報としては興味深いものを含んでいたとしても不毛なものだ。 寧ろ、結果的に「田園交響楽」という作品が神話的とでも言うべき単純さを備えていて、色々な参照への可能性を秘めていることの方がより重要であり、 必要なのは(ジッドにおける研究の常套手段の感さえある)伝記的な詮索などではなく、せめてテキストの成立の力学を解析するような生成論的分析であり、 それ以上に内在的な構造分析、あるいはテキスト間の構造の変換の分析だろう。
田園交響楽はレシであって、ポリフォニー的ではない。ジッドがドストエフスキーの影響もあって探求したジッドなりのポリフォニーの追及の行き着く果ては、 ジッドの唯一のロマン「贋金作り」であるが、ジッドが唯一ポリフォニックたらんと企図したにも関わらず、ドストエフスキーが「白痴」から「カラマーゾフの兄弟」へと そのポリフォニーを深化したのとは逆に、これはまさに「カラマーゾフの兄弟」においてイヴァンが導出した、だが自分では本当には受容できなかった、 そしてゾシマが「地獄」と読んだ状況、「全てが許される」人間たちの混沌に過ぎない。つまりこれはポリフォニーなどではなく、似て非なるものなのだ。 確かにこれはある種の極限だろうが、そこは不毛の地に過ぎない。あるいはドゥルーズ=ガタリのように砂漠を称揚するものも居るかも知れないが、 それは観念の上で、書斎の中で論じているからに過ぎないからだ。人間は全き砂漠には住めない。ジッドの実験は確かに未踏の探求であったのかも知れないが、 結果は明らかに失敗であった。ジッドの限界はユマニスムの限界なのだ。彼の終生の不安と動揺、身近な人間に対する裏切り、 彼の主張する「誠実さ」故の不実。それはまるでムイシュキンの陰画のようだ。しかもそれはロゴージンではなく、寧ろトーツキーに近づきさえする。 実生活におけるジッドの、「田園交響楽」のジェルトリュードへの牧師の対応に反映しているとされる姿勢だけではない。 完全に無償の動機なき殺人が行われる「法王庁の抜け穴」から「贋金作り」への流れは、まさにトーツキーがプチ・ジューで 語った椿を巡っての彼の行動と重なる。結局、ジッドが目指したのは、トーツキーを正当化することでしかなかったのではないか。 せいぜいがジッドは、イワンのアモラルな世界の選択の後を追ったに過ぎないように思える。「贋金作り」の、掟なしに生きることを認めないが、 その掟を他人からあてがわれることも認めないベルナールは、まさに聖書の自由解釈によって自分の行為を正当化してみせる牧師の同類ではないか。 「田園交響楽」の世界は、「カラマーゾフの兄弟」において「蛇が蛇を食い殺す」争い、父子が同じ女性を争奪するニヒリズムの支配する 世界そのものなのだ。
要するに問題は聖書の自由解釈という形式にあるのではなく、その自由解釈の内実が問題なのだ。百歩譲ってイエスの言葉とパウロの言葉を 分離して対立させることが可能であるとして、その一方のみを抜き出す解釈は精神的な荒廃を帰結するほかないという点にある。 ジッドはこの作品を過去の負債を返すべく、一度は書いておかねばならなかったから、罰課を課された思いで書いたといい、 また聖書の自由解釈への戒めであるとも述べているらしい(岩波文庫改訳版の川口篤の解説に拠る)。だが、まず後者から行けば、 戒めの対象となる自由解釈は、実質的には「彼」のそれであって、だからこそ過去の負債の返却たりうる筈である。 そして過去の負債を返すことは出来たのであろうか。私見では、 この急いで書かれた、そしてもしかしたら半ば意図的に急いで書かれたことを作品の内部に記銘した作品の結末は、何ら過去の負債の 返却たりえていない。それは若林真が言う、カトリックへの帰依にも関わらず禁じられている自殺により閉じられることによるのではないし、 また、しばしば言われる、問いは立てても結論は出さない実験を繰り返すジッドの姿勢が意図的に結論を避けたというわけでもない。 ただ単に、ジッドは結論を見つけることができず、本当に砂漠にいたのだろうと思う。勿論、過去の負債の返却など行えるはずもない。 若林はジッド自身のアイロニーのミメーシスを自己演出するかのように言い訳しつつも、結局のところ、ジッドの研究においてはありふれてもいるし、 安直でもある或る種の伝記主義的な解釈をしているに過ぎず、実生活の反映と、作中のアメリー、生き残ったアリサであるところの 妻マドレーヌに対する贖罪を読み取ろうとする。そして、マドレーヌがその意図を正確に読み取れていないと言い、マドレーヌの コメントに対して訳のわからないコメントをつけているが、わかっていないのは若林であって、マドレーヌは「田園交響楽」が過去の負債の返却に なっていないことを見抜いていたのではないか。若林はこの自殺を作品の芸術的・思想的次元の要請と言っているが、若林の説明は芸術的・思想的 次元とは別の次元を動いているようにしか見えず、その言明の裏づけに全くなっていないのは奇妙という他ない。
3.
であってみれば、新庄嘉章の解説もまた的外れに感じられる。ここにカトリック批判があるか?ジェルトリュードがカトリックに改宗していなければどうだったというのか? 「すべては許される」とでもいうのか?ここでは対抗すべきプロテスタンティズム自体が不在なのだ。在るのは(恐らくジッド自身が実践し、だが、 自分自身、それに説得されることが決してなかった)恣意的な聖書解釈だけだ。そこにあるのは卑劣で醜悪な自己正当化の具と化した 見せかけの信仰だ。ジッドはその限界を、無力を、虚偽を自覚していたから、或る種の懺悔のドキュメントとしてこれを書いたのだとでも考えなければ、 こんな醜悪な心理を綴った手記を小説に仕立てることに意義を見出すことは困難だ。
もしかしたら、最後に出てくる砂漠に、背徳者ミシェルが彷徨ったそれを見出し、或る種の回帰を見出す者がいるだろうか?更には、その砂漠を肯定的なものと 見做し、この作品を登ったら捨てる梯子と見做す者がいるだろうか。私とて、この話は登場人物の誰に対して思い入れがあるわけではないが、 その背後にある構造についての恣意的な解釈は許容さるべきではないと考える。少なくとも牧師は、己の信念に従って、確信犯的にジェルトリュードを死に 追いやったわけではない。寧ろそれは、意に反して起きたのであり、盲目さ故の過失を責めることはできても、未必の故意すら認めることはできないだろう。
同様に、聖書の自由解釈とカトリックの対立(決して、プロテスタントとカトリックの対立ではない)が父と子の一人の女性を巡っての争いという 一見するとエディプス的な構図にはめ込まれている点については、実はジャックはいわゆる分身に過ぎず、それは牧師自身の内的な対話を 物語的に偽装したものに過ぎない。最後のジャックの言葉、– Mon père, m’a-t-il dit, il ne sied pas que je vous accuse ; mais c’est l’exemple de votre erreur qui m’a guidé. 及びジャックに対する往生際の悪い牧師の批判 Mais je me persuade que dans la conversion de Jacques entre plus de raisonnement que d’amour. は、 この物語の結末にとって破壊的な効果を持つ。ここにカトリックへの批判、それがジェルトリュードを死に追いやったと言わんばかりの自己弁明、 牧師の言い逃れを見出す人は、これを持って、問題は解決されていないと決め付ける。言ってみればジッドの注文にあっさり乗って、ジャックもまた盲人で あったのではないか、問題は解決していないなどという解説を書く読み手こそ、ジッドと共に歩む盲人なのではないか。実際には解決しない理由は別にあるのは明らかで、 まだ牧師は己を蝕む自己欺瞞から自由になれていないということに過ぎない。要するに、彼の言うそのamour が偽りであること自体が問題を惹き起こしていること、 しかしそれに結末に至っても気付かないことが問題の解決を妨げているのは明白であろう。彼の砂漠は、そうした心的機制がもたらしたものに過ぎないし、 その尻馬に乗って、そこによりによって誠実さを見つけて賞揚しかねない解説者もまた、結局のところ、何が問題であったかに気付こうとせず、 問題を解くことを無意識の裡に回避して、自らの姿勢を弁護しているに過ぎない。
いずれにしても、ジッド自身の聖書の恣意的な解釈への自己批判を読み取ることが出来たとしても、それをプロテスタンティスムの 伝統に位置づけることなど出来まい。この書物がカトリック批判になっているといった類の、日本において流布している解説は信じ難いものと 言うほかない。罪を問題にするのはカトリックのみではないはずだ。パウロ主義ということで言えば、カルヴァンはどうなるのか? 実際には遥かに低次元の話なのだ。ここでなされているのは、「自由解釈」といったレベルのものではなく、単なる誤読、しかも 自分の行動を正当化する根拠を聖書という権威に求めるという忌まわしく、卑劣な動機に基づく曲解に過ぎない。確かに パウロ主義の問題が議論されることはあるけれど、ルター以来、ジッドの同時代であればカール・バルトの講解が示すように、 パウロ書簡の中でも特に「田園交響楽」において取り上げられる「ローマ人への手紙」こそプロテスタント神学が出発点として、 参照点として重視し続けたことは論を俟たないだろう。「狭き門」すら、ニーチェをプロテスタンティスムの極限とするような 意味合いにおいてようやくプロテスタンティスムの(多分に畸形的な)徹底ということは出来ても、「田園交響楽」の中での 聖書の扱いについて、如何なる弁護もなりたたないだろう。これがあからさまな(つまり「背徳者」や「地の糧」のような) 批判でないだけに、その恣意的な「悪用」が目に付く故に、この書物が「禁書」になるのも止むを得ない気がする。 キリスト教的なものについて情緒的な受け止め方しかできない人間以外には誤解しようもないことだろう。 また、こんなレベルの曲解をしてのける人間が牧師であるという設定は、プロテスタントにとっては不名誉なことに違いない。 パウロの言葉を、ジャックを批判する武器として用いることを企てるとき、パウロの言葉の中の「愛」という語がどんなに 貶められていることか。あるいはまた「死」という言葉がどんなに歪められていることか?一体、ジェルトリュードの 行為が、「罪は生き、我は死にたり」の注釈たりうるというのは、それこそ冒瀆ではないのか?それを登場人物に言わせる 作者の理解を思うに、薄ら寒ささえ覚える。結果として牧師の言う、ジェルトリュードの宗教教育というのがどんなに 歪なものであることか。「罪」の意識なしに、「一粒の麦もし死なずば」の「死」を理解することはできない。 律法を知る前は、、、という言葉をルソー主義的に読むことくらい見当はずれなことはない。そして第一の手帖の末尾のジェルトリュードの 発言を読んでその時点でぞっとせず、第二の手帖になってからようやく気付くのは牧師だけであって、読者は決してそんなことは ないはずだ。既に第一の手帖において牧師の偽善は明らかなのだから。
もし、あえてこの書物の牧師の姿勢をプロテスタントの流れに位置づけようとするならば、シュライエルマッハーが置かれた立場と それに対する彼の対処を思い起こす必要がある。要するにプロテスタントの中にも、正統主義の立場と、 自由主義的な立場との対立が当時あったことを思い起こす必要があるだろう。牧師の立場は(あくまでそれを神学的な水準のみに 仮に抽象することを認めたとして、の制限つきなのだが)、非常に幅広いスペクトルを示すプロテスタントの諸潮流の中でも、 かなり極端な自由主義に属するはずである。例えばドストエフスキーがカトリックを敵視しはしても、決して無視しないのに対し、 プロテスタントに対してはそもそも相手にさえしないのは、主流であった自由主義的な立場に対してであったに違いない。 いわゆる危機神学、弁証法神学と呼ばれることのあるカール・バルトの「ローマ書講解」は、そうしたドストエフスキーに対峙して、 同じくドストエフスキーに対峙したことがわかっているニーチェを視野におきつつ書かれた(厳密には改訂されて、第2版で 危機神学、弁証法神学の立場に立つことになった)のである。ちなみに「ローマ書講解」の成立時期というのは、ジッドの 「田園交響楽」とほぼ同じである。
牧師の教会が、プロテスタントのどの流派に属しているのかは明確ではないが、 それはカルヴァンの改革派教会の正統的な教義とはほとんど無縁のものであることは間違いない。もちろんこれもまた プロテスタントの一つのあり方であるという主張は成り立たないこともなかろうが、それは寧ろ、当時のプロテスタンティズムの 自由主義的な立場が抱えていた問題点をグロテスクに戯画化して一篇の寓話としたという意味合いにおいてそうであるに過ぎないだろう。 ジッドは周囲にカトリックの友人を多く抱えていたし、カトリックに対する挑発を続けたから、ジッドの立場そのものを含めた対立そのものが 単純化され、図式化して捉えられがちだが、「狭き門」がそのような風貌を備えているように、実際にはジッドの問題の解決の方法は、 サルトルのような無神論ではなく、危機神学、弁証法神学にあったかも知れないのだ。プロテスタントの中そのものに、人間の意識の 中に神を解消するのとは逆の可能性があり、多分ジッドは「狭き門」ではアリサを通して、その近くを通過しているのだ。 ジッドの拒絶が意識的なものであるからには、ジッドは「田園交響楽」でカトリックを批判したのではないし、プロテスタントの中の 自由主義的な立場をエスカレートさせ、サルトルにおけるような人間中心主義的な立場を自覚的に選んだのだろうが、 もしそうだとしたら「田園交響楽」の結末は、ひどく歯切れが悪いもの、寧ろそれに対する疑念を前面に押し出したものになっていることになる。 「田園交響楽」の結末はドストエフスキーがゾシマの説教を通して示した地獄に酷く似たものではないか。
結末のジェルトリュードの自殺については、そこでカトリックへの改宗が語られるから、カトリック批判になっているように見えるかも 知れないが、それをジッドが意図したとしても、それは極めて浅薄で皮相なものに過ぎない。なによりもまず、ジェルトリュードはカトリックに 改宗した「から」罪を知ったのでは全くないし、彼女がカトリックの教義に忠実であれば、少なくとも自殺はしなかったはずであって、 これはカトリックへの改宗の失敗の話ではあってもカトリック批判にはなっていない。単に、カトリックへの改宗が、プロテスタントの牧師職で ある自分に対する批判であり、背馳となるがゆえに牧師は衝撃を受けたに過ぎない。意図されたのだとしたら、それは幾重もの論理の 混乱に基づくものであり、こんなものはまともな批判になっていないのだ。そういう意味では、ジッドは単に情緒的にキリスト教的な 風土に対してルサンチマンを抱いていて、その作品においてはそのルサンチマンが語られるばかりで宗教性は欠如しており、 それゆえジッドは宗教的な作家ではないという意見があるが、それは全くその通りである。勿論、「アンドレ・ワルテルの手記」に見られる 神秘的なものへの傾斜は見られるが、それとて感覚的・情緒的なものに過ぎず、それが宗教的な枠組みの中であればある種の神秘主義に似た 装いとなるけれど、それが逆のベクトルを持てば、他者の犠牲を省みない、自己の欲望の肯定や動物性な感覚の開放、無責任で無動機な 行為の称揚となるのだ。
4.
従って、信仰者の立場から、「田園交響楽」がどのように見えるかを確認することは意味のあることだろう。例えば山本和道の 「ジッドとサン=テグジュペリの文学 聖書との関わりを探りつつ」はそうした観点から参照することができる近年の文献だが、 「狭き門」に関しては、そのわかりやすさが、そこで扱われていることの微妙さを取り逃し、ジッド自身の態度の微妙さをも犠牲にし、 更にはそれ自体は全く正当であるドストエフスキーの「白痴」との対比においても、そこで問題になっていることが要求する微妙さを 取り逃しているように感じられたのに対して、「田園交響楽」に関してはそうした点はさほど気にならない。 「狭き門」に関して一般には当然為されるべき(何しろジッド自身がそれと示唆しているのだから) 「背徳者」との対比が為されていない(辛うじて「地の糧」の対比が、他説の紹介というかたちで行われる)のに対し、 「田園交響楽」は端的に「法王庁の抜け穴」との対比のうちに置かれる。主題論的な観点からは、ここに共通性を見つけるのは そんなに難しいことではなかろうから、聖書との関わりにおいて、両者に接点を見出そうとするのは、ある意味で寧ろ殊更に 論を立てるまでもなく自然なことであるし、聖書解釈の恣意性、ジッドのかなり極端な自由主義的な聖書解釈が、 信仰者の立場からどう見えるかについての記述については概ね首肯できるし、それが主として牧師に投影されていることも 問題ないし、「牧師を通して自分の考えを正当化しているわけではない。」「牧師に対する批判も作品から立ちあがるようになっている。」 「作者ジッドは、精神的に盲目で、牧師らしからぬエゴイスティックな生き方をしている牧師を客観視している」というのも異論はない。
そうした山本のコメントの中で最も重要なのは、「牧師ならば、自分の内なる罪から救われるために、自分のために死んでくださった イエス・キリストに帰依することによって、神の愛と恵みに生きる道を見いださせるはずである」「牧師は「隣人を自分のように愛する」ことが できず、利己的に行動し、隣人を苦しめることになってしまった」という指摘だろう。他の作品との比較、評価には疑問なしとはしないが、 この指摘自体は全く妥当なものであるし、ジッド自身の考え方の限界を端的に指摘したものとさえ言って良い。まさにジッドによる パウロの拒絶が、ジッド自身の問題に対する解決の最大のポイントを外すことになっていることが示されている。また、 「ジェルトリュードの死は、牧師による福音書の自由解釈が原因であると見なさざるを得ない」というのも、それ自体は全く正しいし、誤解の多い、カトリックへの 改宗の問題すら、「ジェルトリュードの自殺の原因となったというよりも、改宗の無力さが表現されていると見なすことができる。悔い改めが 有効に働くことなく救われるということにはならなかった」という妥当な指摘をしており、作品全体についても、「最終的に、罪という死の 状態から救われるために、イエス・キリストを通して神の愛により救われるということがなされておらず、反キリスト教的な作品となっている」 と適切な評価をしている。
だが、それなのに、シャルル・ムレールの「感覚的なものの重視や哲学的な熟慮の欠如が、ジッドを信仰から遠ざけたことや、ジッドが 同時代人の宗教的倫理的概念をゆがめたこと」への批判に対して、「自由に聖書を解釈することによって、そこから糧を汲み取ることで、 ジッドが優れた文学作品を生み出したことに意味がある」ということがどうして言えるのか?「田園交響楽」が文学として優れているのは、 「自由に聖書を解釈することによって、そこから糧を汲み取る」が故なのか?決してそうではあるまい。また、「ジッドが神を信仰する道から 逸脱することになったとしても、聖書に対する誠実な彼の態度が、反面教師という意味ではなく、信仰者の文学よりも、 読者に聖書を読むように促し、イエス・キリストの信仰へと導くということもあり得るのである。」の後半は認められたとしても、 「反面教師という意味ではなく」というのは論理的にナンセンスだろうし、彼の聖書に対する態度を「誠実」と呼ぶのもやはり同様に端的に 矛盾しているというほかない。こと聖書の言葉の濫用を牧師にさせる小説を書くことの(もしかしたら、ジッドがプロテスタントへの挑発として、 意図的に狙ったかも知れない)効果に対して無神経でありすぎる。寧ろここにこそ、一方はカトリック、一方はプロテスタントという違いはあるものの、 「法王庁の抜け穴」における宗教への諷刺と並行するものをこそ読むべきではないのか?ジッドがもし、自己の聖書の自由解釈を 自己批判したいだけなら、主人公を牧師にする必要はないではないか。
山本は先行する部分で、チエリが紹介する「田園交響楽」出版当時の「フランスとスイスのユグノー (プロテスタント)を憤慨させた」という反応に対し、「文学作品としては優れているが、信仰の面では逸脱した話となっているので、 信仰者の反応としては、当然考えられるものである。」とコメントしているのである。彼は文学研究者としての立場と、信仰者としての 立場を区別し、文学研究の枠組みの中で、信仰者からはどう見えるかというのを文学作品に対する視点の一つとして扱おうとしているのかも 知れないが、それはジッドの「危険さ」を隔離して分離することで毒抜きをしようとすることに他ならず、恐らくジッド自身の意図にも反して いるのではないか。しかもその分離は徹底しているわけでもなく、「読者に聖書を読むように促し、イエス・キリストの信仰へと導くと いうこともあり得るのである。」という発言もしているわけなので、読者に対してはその主張が首尾一貫性を欠くような見かけを呈することになってしまっているし、 「法王庁の抜け穴」との共通点の検討についても、ピントがずれた印象を与えることになるのだ。山本がしているのは、ジェルトリュードと ラフカディオの比較であり、そこに共通性を見出そうとしており、またジェルトリュードの到達点を、「背徳者」のミシェルに引き比べていて、 それらもまた、個別には妥当な部分もあるだろうが、最初に問題を提示したときに触れた、ソチとレシの違い、まさに文学的な観点での 違いがどのように機能しているのか、それが信仰の問題とどのように関係しているのかについての分析は全く抜け落ちている。 要するに、ここでは信仰と文学的価値は別だということは言外の主張されてはいても、文学的な観点からの検討そのものは 欠落しているという印象を否めない。結果として山本の論で参考にできるのは、信仰者の立場からの内容的な解釈に限定されて しまうことになるのである。
5.
ところで、ジッドの批判の対象となっているパウロこそ、その回心の経験において盲目の状態を経験した人であることを思い起こしておくことも 意味がないことではなかろう。以下の記事は「使徒言行録」(新共同訳による)第9章3節~19節である。
「ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。 サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。 「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。 起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」 同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。 サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。 サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。 ところで、ダマスコにアナニアという弟子がいた。幻の中で主が、「アナニア」と呼びかけると、アナニアは、「主よ、ここにおります」と言った。 すると、主は言われた。「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。 アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。」 しかし、アナニアは答えた。「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。 ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。」 すると、主は言われた。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。 わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」 そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、 あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」 すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、 食事をして元気を取り戻した。」
注目すべきことは、同じ「使徒言行録」第22章6節~16節において、同じ物語が、今度はパウロ自身の回想として 語り直されることである。こちらは(直ちに手帖に記されたのではないにせよ)回想、告白の記録なのだ。
「旅を続けてダマスコに近づいたときのこと、真昼ごろ、突然、天から強い光がわたしの周りを照らしました。 わたしは地面に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と言う声を聞いたのです。 『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねると、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである』と答えがありました。 一緒にいた人々は、その光は見たのですが、わたしに話しかけた方の声は聞きませんでした。 『主よ、どうしたらよいでしょうか』と申しますと、主は、『立ち上がってダマスコへ行け。しなければならないことは、すべてそこで知らされる』と言われました。 わたしは、その光の輝きのために目が見えなくなっていましたので、一緒にいた人たちに手を引かれて、ダマスコに入りました。 ダマスコにはアナニアという人がいました。律法に従って生活する信仰深い人で、そこに住んでいるすべてのユダヤ人の中で評判の良い人でした。 この人がわたしのところに来て、そばに立ってこう言いました。『兄弟サウル、元どおり見えるようになりなさい。』するとそのとき、わたしはその人が見えるようになったのです。 アナニアは言いました。『わたしたちの先祖の神が、あなたをお選びになった。それは、御心を悟らせ、あの正しい方に会わせて、その口からの声を聞かせるためです。 あなたは、見聞きしたことについて、すべての人に対してその方の証人となる者だからです。 今、何をためらっているのです。立ち上がりなさい。その方の名を唱え、洗礼を受けて罪を洗い清めなさい。』」
こうした語りの二重化の効果について、「田園交響楽」を眺めてみれば、そこには(最初は回想、その後は日記という違いはあり、また第二の手帖冒頭で 書き手による読み直し、再解釈といった操作が行われるとしても、所詮は)牧師の手帖という単一の視点しか持たず、ジェルトリュードの視点からの、 あるいは第三者的な報告の不在は否定し難い。仮に「狭き門」のジェロームが自分の物語に都合のいい部分だけをアリサの書簡や日記から抜粋する という編集作業を行っているという点を疑ったとしても、それでもなお、そこには別の声が響く空間が確保されているのに対し、ここでは牧師の 極めて当てにならない記憶に基づく回想における会話が断片的に書き留められるばかりである。その真偽そのものを疑わない立場をとったにせよ、 その会話が牧師に対するものであるという制限だけで、相手の声もまた、(嘘を言う、曖昧な言い方をする、等の態度も含めて)牧師に向けられた 一面を語るに過ぎない。「田園交響楽」はいわば牧師の自画像のごときものであり、その形式はそれ自体廃墟であるという印象、これがレシという 形式の到達点であれば、それは同時に行き止まりであるという印象は拭い難いものがある。最後の場面の記述は日記としてはありえない地点に到達し、 そこで日記という形式自体が機能不全に陥っているかのようだ。「贋金作り」に向かいつつあったジッドにはその気は なかっただろうが、この作品の少なくとも後半部分、ジッドが嫌々ながら何とか終わらせたらしい第二の手帖は、全く別のスタイルによって書かれる べきではなかったのか?否、第一の手帖もまた、それがジェルトリュードの記録であろうとするのであれば、このような主観的、恣意的なスタイルではなく、 別のスタイルで書かれるべきではなかったのか?「法王庁の抜け穴」と「贋金作り」に挟まれて、この物語は一見したところ古色蒼然として見えるかも 知れないし、実際、刊行当時はもっと新規なスタイルを期待していた人々を落胆させたという。だが、その古めかしさは、それ自体、意図的に選ばれた ものであって、それゆえそこには企みがあると考えるべきだろう。そうでなくても、(ジッドの意図とはとりあえず独立に)その帰結を測定する 必要が読み手にはあるだろう。
6.
「狭き門」からのエコーを2点。
1.固有名の問題。「狭き門」のアリサはかなり遅い段階までジェルトリュードと呼ばれていた。それをジッドは校正をしつつアリサに置換していく。そしてジェルトリュードは、 「田園交響楽」で採用される。
2.belle/jolieの対立と、リュシール・ビュコラン(très belle)、アリサ・ビュコラン(jolie)、ジュリエット・ビュコラン(belle)への分配が「狭き門」では問題であった。 「田園交響楽」でのジェルトリュードと牧師の会話ではどのような配分になっているか?
– Pouvez-vous me promettre de ne jamais chercher à me tromper ?
– Je le promets.
Eh bien ! dites-moi tout de suite : Est-ce que je suis jolie ?
Cette brusque question m’interloqua, d’autant plus que je n’avais point voulu jusqu’à ce jour accorder attention à l’indéniable beauté de Gertrude ; et je tenais pour parfaitement inutile, au surplus, qu’elle en fût elle-même avertie.
– Que t’importe de le savoir ? lui dis-je aussitôt. Cela, c’est mon souci, reprit-elle. Je voudrais savoir si je ne… comment dites-vous cela ?… si je ne détonne pas trop dans la symphonie. À qui d’autre demanderais-je cela, pasteur ?
– Un pasteur n’a pas à s’inquiéter de la beauté des visages, dis-je, me défendant comme je pouvais.
– Pourquoi ?
– Parce que la beauté des âmes lui suffit.
– Vous préférez me laisser croire que je suis laide, dit-elle alors avec une moue charmante ; de sorte que, n’y tenant plus, je m’écriai :
– Gertrude, vous savez bien que vous êtes jolie.
ここでの配分をどう考えたら良いのか?「狭き門」の配分とは異なるのか?それともジッドの固有語法として、横断的に考えるべきなのか? もし後者だとしたら、ジェルトリュードの問いと牧師の応答はどう捉えられうるか?
もう一点、ここでジェルトリュードは、「田園交響楽」の美との対比を行っている点にも留意する必要があるだろう。もしかしたらジェルトリュードは 田園交響楽の世界との調和を意識しつつjolieという言葉を選択した、とジッドが仕組んだかも知れない(だが、先行する田園交響楽に関する件では、 beauが用いられている。)。そしてそれはかつて別のところで自分と 同じ名前を持つ筈であったアリサのそれと同じであると。それに対して、牧師は直ちに、la beauté des visagesを、すぐさま否定するためであれ、 問題にしてしまう。まさにリュシル・ビュコランの美しさの側に真っ先に飛びつかざるを得ない有様をジッドは描き出しているように見える。 勿論、la beauté des âmes が問題にされはするし、それを経由して、牧師は結局ジェルトリュードがjolieであることを認める。しかも 自分でわかっているだろうとさえ言う。ということは、最後の部分では盲目であることによって知りえない筈のla beauté des visagesが問題ではなく、 まさにjolieかどうかが問題にされているのであり、その限りで彼女は盲目ではないと言っているのだ。
不思議なことに、ここの部分では、「狭き門」におけるような翻訳の問題は起きていない。神西訳は「奇麗(jolie)/美しい(belle)」、新庄訳、 入沢訳、中村訳、白井訳、若林訳、手塚訳は「きれい/美しい」と対比させているようだ。(もっとも神西訳と中村訳は、先行する「田園交響楽」の件では、 – Que cela doit être beau ! répétait-elle.(28 fév.) / – Est-ce que vraiment ce que vous voyez est aussi beau que cela ? dit-elle enfin. – Aussi beau que quoi ? ma chérie.(29 fév.) というところを「奇麗・きれい/美しい」としていて、一見したところどこまで意識的であったかについて 疑問を抱かせる点もあるが。)一方で、 川口訳、堀口訳、今訳は無頓着であり、両者とも「美しい」である。(更に悪いことに、今訳、手塚訳は、田園交響楽の件の方は「きれい/美しい」としている。 もしかしたら底本の差ということもありえるが、普及版とプレイアード版・全集版との間の違いはここについてはないようである。)
7.
2つの末尾。J'aurais voulu prier / J'aurais voulu pleurer ; 前者はマルタン=ショフィエ校訂のNRF版ジイド全集第9巻(1935)、後者は普及版。 プレイヤード版は前者を採用とのこと。これを指摘している入沢康夫訳と中村真一郎訳は前者。当然のことながら古い翻訳は 普及版に基づいている。新庄嘉章訳の河出の全集は、最初の1962年版は 普及版、その改訳と銘打って出版された1967年のカラー版全集はNRF版ジイド全集・プレイヤード版によっているようで後者に置き換わっていて、 これは珍しいケース。(ブルックナーの初期の出版譜・ハース版・ノヴァーク版の違いを思わせる。) 奇怪なのは白井健三郎訳で、マルタン・ショフィエ校訂のNRF版ジイド全集に基づくと明記されているにも関わらず、後者が採られているのは どうしてなのか? 「田園交響楽」についてあちらこちらで書き散らしている若林真は自分自身の翻訳について「翻訳の底本としてはガリマール社の普及版を用い、 随時プレイアード版を参照した」としているが、そうした差異の存在を知って、こういう説明をするのは無責任でしかない。 (実際にはこの部分は、普及版にしたがっている。)
涙が出ない心の砂漠という普及版の修辞が、全集版・プレイアード版では、信仰の不可能性と化している。前者とて、後者を暗示しているという 見方もあるだろうが、それでもこの差は小さくないだろう。ちなみに若林は「田園交響楽」の末尾において「ニヒリズムすれすれのところまで来ている」 と述べている。であれば、プレイアード版/全集版の方のヴァリアントを寧ろ採るのが一貫していたということはないのか。ジェルトリュードを自殺においやった 者が祈れないのは当然であろう。まさか、この末尾でのアメリーへの助力の請願が、マドレーヌへの謝罪であるということではなかろう。 もしそうジッドが意図したならば、そのようにしか発想できない点にジッドの限界があり、それこそがマドレーヌの変わることなき不幸の原因に違いない。 なお、手塚訳はprierの不可能を、をアメリーの祈りに対する呼応の不可能性、挫折として示している点で異色である。以下、
Elle a simplement récité « Notre Père… » mais en mettant entre les versets de longs silences qu’emplissait notre imploration.
/ J’aurais voulu pleurer, mais je sentais mon coeur plus aride que le désert.
の部分の訳の違いを示すことにする。堀口訳は仏文和訳的には 誤訳ともいうべきものだが、序文に記す、逐語訳を敢えてしなかった例の一つであるかどうかは判然としない。白井訳が改行をしない理由もまた、 判然としない。
pleurer
- 若林訳:「彼女はただ「われらが父よ…」と唱えただけだったが、節と節との間に長い沈黙を置き、それを私たちの切なる願いが満たしていた。/ 私は泣きたかった、しかし、私の心は砂漠よりもかわいているようだった。」
- 白井訳:「彼女は<われらが父よ…>の句を唱えただけだったが、一節ごとに、私たちの切なる願いが満たされる長い沈黙を置いていた。 私は泣きたかった、しかし私は、自分の心が砂漠よりも乾からびているのを感じていた。」
- 堀口訳:「彼女はただ「われ等が父よ…」の祈りだけを口誦(くちずさ)んだが、ただその文言と文言の間を、切なる二人の願いをこめた長い沈黙で満たすことを忘れなかった。/ わしは泣きたかった、それなのに、わしは自分の心には一滴の涙もなく、沙漠のように乾燥しはてているのに気がついた。」
- 堀・神西訳:「彼女は「われらが父よ…」の句を唱へただけだつたが、一節ごとに長い沈黙を置いて、その間を私たちの切なる願いが満たすのであった。/ 私は泣きたかつた、けれど私は、自分の心が沙漠よりも乾涸(ひか)らびてゐるのを感じてゐた。」
- 神西訳:「彼女は「われらが父よ…」の句を唱えただけだったが、一節ごとに長い沈黙を置いて、その間を私たちの切なる願いが満たすのであった。/ 私は泣きたかった、けれど私は、自分の心が砂漠よりも乾(ひ)からびているのを感じていた。」
- 新庄訳旧訳:「妻はただ《われらが父よ…》の句をくちずさんだだけだが、節と節の間に長い沈黙を置いた。その沈黙をわたしたちのせつなる願いが満たした。/ 私は泣きたかった、だがわたしは、自分の心が砂漠よりもかわいているのを感じていた。」
- 川口訳旧訳:「彼女はただ、《我等の父よ…》の祈りだけを誦した。しかし、その句切り毎に、我々二人の切なる願ひを籠めた長い沈黙が置かれた。/ 私は泣きたかつた、しかし私の心は、沙漠よりも猶ほ乾涸びてゐるのを感じた。」
- 川口訳新訳:「彼女はただ《天にまします我らの父よ…》の祈りだけを誦した。しかし、その句切り毎に、われわれ二人の切なる願いを籠めた長い沈黙が置かれた。/ 私は泣きたかった、だが、私の心は沙漠よりもなお乾涸びているのを感じた。」
- 今訳:「彼女はただ単に「我らの父よ…」の句を誦しただけだった。しかし、その句切りごとに我々の切々たる願いをこめた長い沈黙が置かれた。/ 私は泣きたかった、だが、私の心は沙漠よりもひからびているのを感じた。」
- 井上訳:「彼女は単に「われ等が父よ…」を誦しただけだつたが、その句切り、句切りごとに、二人の切なる願を籠めた長い沈黙が置かれた。/ 私は泣きたかつた、けれども私の心は沙漠よりもなお乾いているのを感じた。」
prier
- 中村訳:「彼女は「われらが父よ…」の句を唱えただけだった。しかし、一節ごとに長い沈黙を置いて、その間を私たちの切なる願いが満たした。/ 私は祈りたかった、しかし私は、自分の心が沙漠よりもかわいているのを感じていた。」
- 入沢訳:「彼女はただ《天にまします我らの父よ…》の祈りを唱えただけだったが、その句ぎり句ぎりには、私たちの切なる願いのこもった長い沈黙が置かれるのだった。/ 私は祈りたいと思った。だが私には、自分の心が沙漠よりもひからびているのが感じられた。」
- 手塚訳:「彼女はただ《天にまします我らの父よ…》の祈りを唱えただけだったが、その句切りごとに、わたしたちのせつなる願いをこめた長い沈黙をはさんだ。/ 私も祈りたかった。だが、わたしの心は砂漠よりももっと乾いてしまったようだった。」
- 新庄訳新訳:「妻はただ《われらが父よ…》の句を唱えるだけだった。だが一節ごとにおく長い沈黙を、わたしたちのせつなる願いが満たした。/ 私は祈りたかった、だがわたしは、自分の心が砂漠よりもかわいているのを感じていた。」
もう一点。5月30日、最後の日記の記入の冒頭。Hélas ! Je ne devais plus la revoir qu’endormie.をどう訳すか。ジェルトリュードは 昏睡したまま、恢復することなく死んでいったのだが、牧師が最後に彼女を見たのは、彼女が意識を喪ったまま、それでも まだ生きている間のことであったのか、それとも死んでからなのか。もっとも、「眠っている」という言葉を比喩的に考えれば、 いずれであっても良い、というより、「眠っている」という言葉で、昏睡と死との両方を表しているとすれば、いずれであっても 差し支えないということになるのだろう。恐らくは、最早会話を交わすこともできず、視線を交わすこともできなかった という点こそがここでは重要だったのだろうから。手塚訳はあえて直訳をしないことによって、眠りが結局永遠のもの、 目覚めることのないものであったことを示そうとしたものだろう。しかしながら、そうした連続性を考慮に入れてみたところで 新庄訳の異様さには驚かされる。或いは今訳の、近接しているとはいえ、過去の想起ではなく、執筆している 今の時点への結果影響を強く示した訳もまた、意表をつくものだ。
- 中村訳:「ああ、私はもう、眠っている彼女にしか再会できなかったのだ。」
- 若林訳:「ああ、私はもう眠っている彼女にしか会えなかったのだ。」
- 白井訳:「ああ!私はもう、眠っている彼女にしか再会できなかったのだ。」
- 手塚訳:「ああ!わたしは目ざめることのない彼女にしか再会できなかった。」
- 入沢訳:「ああ!もはや、眠っている彼女にしか、私は再会できなかったのである。」
- 堀口訳:「悲しいかな、わしはもう眠る彼女よりほか見られない運命(さだめ)だった。」
- 堀・神西訳:「ああ!わたしはもう、眠つてゐる彼女にしか再會できなかったのだ。」
- 神西訳:「ああ!わたしはもう、眠っている彼女にしか再会できなかったのだ。」
- 新庄訳旧訳:「ああ!わたしはもはや死んだ彼女をしか見ることができなかった。」
- 新庄訳新訳:「ああ!わたしはもはや、永遠の眠りについた彼女にしか再会できなかった。」
- 川口訳旧訳:「嗚呼!私はもう、彼女の眠つた姿しか見る事が出来なかったのだ。」
- 川口訳新訳:「ああ!私はもう、彼女の眠った姿しか見ることができなかったのだ。」
- 今訳:「ああ、もう彼女の眠った姿しか見ることができなくなった。」
- 井上訳:「ああ、私はもう、"眠って"(傍点)しまった彼女しか見ることができなくなつた。」
8.
翻訳の問題。第一の手帖の2日目の記述、2月27日のところでは、J’en profite pour continuer ce récit que je commençai hier.とある。 hierとは何時か?1日目には年こそぼかされているものの、2月10日と明記されて始まっている。ちなみに、この部分は普及版でも全集版・プレイアード版 でも同じようだ。解釈は幾つか考えられるだろう。一つは勿論、ジッドが、あえてこの過誤を残したというものだ。二つ目には、同じく意識的にジッドは ここでhierと書きつけたのだが、その理由は、書き手である牧師の、日記内の時間においては、2月27日の前日とは前に日記を書いた日付、2月10日 なのだから、これは過誤ではなく、牧師の時間意識、ないし、日記という媒体固有の時間の積極的な記述なのだとする見方があるだろう。 3つ目は(これは考えにくいことだが)ジッドが気付かなかったという可能性。
この日付の過誤については、草稿においては、第一の手帖の最初の日付が12月25日(クリスマスを意識したことは明らかだろう)であり、 次が12月27日であったことがわかっているようだ。ジッドは日付を修正したにも関わらず、文章内の参照の整合性については不注意であったかに見える。 勿論、草稿の形態と出版形態の違いがわかり、不整合が日付の修正によるものであることがわかったとしても、上記の理由についての解釈は どれも依然として有効なことに注意しよう。結局、ではなぜジッドは日付をいじることにしたのか、不整合の責は牧師が負うべきなのか、 ジッドが負うべきなのかも依然として論理的には決定できない。
興味深いのが日本語訳の対応で、昨日と素直に訳しているものがあるかと思えば、「先日」と訳しているものもある。先日と訳してしまえば、 一つ目が正解だとしたら、過誤をあえて痕跡として残したジッドの意図に反することになる可能性もある。神西訳、白井訳、新庄訳が「先日」、 堀口訳は更に「先頃」、中村訳はプレイアード版に拠るが「先日」である。プレイアード版に拠る入沢訳は「きのう」としている。川口訳、今日出海訳は「昨日」である。
勿論、この部分単独であれば、hier=「先日」という訳語の選択の方が自然かも知れない。だが原文では、以下に示す様に、ほんの一文前に既にhierが 出てきていて、しかもこちらは、文字通りの「昨日」としか訳しようがないのだ。この流れでもう一度hierが出てくるのであれば、普通に読めば、今度もまた 「昨日」であると思うのが普通だろう。そればかりではなく、2月27日の文章の最初のパラグラフには、夥しい時間表現が出てきており、問題の最後の一文を 除けば、「昨日」「昨晩」を指しているのは明らかなのだ。
La neige est tombée encore abondamment cette nuit. Les enfants sont ravis parce que bientôt, disent-ils, on sera forcé de sortir par les fenêtres. Le fait est que ce matin la porte est bloquée et que l’on ne peut sortir que par la buanderie. Hier, je m’étais assuré que le village avait des provisions en suffisance, car nous allons sans doute demeurer quelque temps isolés du reste de l’humanité. Ce n’est pas le premier hiver que la neige nous bloque, mais je ne me souviens pas d’avoir jamais vu son empêchement si épais. J’en profite pour continuer ce récit que je commençai hier.
ここでの時間表現をどう訳しているかを以下に整理しておくことにしよう。
原文:cette nuit / ce matin / Hier / hier
- 中村訳:「昨夜」「今朝」「昨日」「先日」
- 若林訳:「昨夜」「今朝」「昨日」「昨日」
- 白井訳:「昨夜」「今朝」「昨日」「先日」
- 手塚訳:「昨夜」「今朝」「昨日」「先日」
- 入沢訳:「ゆうべ」「今朝」「昨日」「きのう」
- 堀口訳:「昨夜」「今朝」「昨日」「先頃」
- 堀・神西訳:「昨夜(ゆうべ)」「今朝」「昨日」「先日」
- 神西訳:「昨夜(ゆうべ)」「今朝(けさ)」「昨日」「先日」
- 新庄訳旧訳:「昨夜」「今朝」「昨日」「先日」
- 新庄訳新訳:「昨夜」「今朝」「昨日」「先日」
- 川口訳旧訳:「今朝」「今朝」「昨日」「昨日」
- 川口訳新訳:「今朝」「今朝」「昨日」「昨日」
- 今訳:「夜来」「今朝」「昨日」「昨日」
- 井上訳:「昨夜」「今朝」「昨日」「昨日」
9.
「狭き門」でも明らかな誤訳としか思えない箇所にすでに何度か行き当たっている中村真一郎訳だが、「田園交響楽」でも残念ながらそうした例を 見出すことができる。2月27日の日記の et je compris que les plus lourds et les plus désagréables soins m’échappaient.を「そして私は、最も重い、 最も不愉快な面倒を、自分が逃げていることもわかっていた。」と訳しているが、これは明らかにおかしい。たとえば神西清訳では「こうして、一番辛い一番 いやな面倒を、自分でせずに済んだことを思い知った。」いわゆるボイスの変換は自然な日本語とするには必要だろうが、中村訳で起きているのは、 逃げるものと逃げられるものの入れ替えであり、許容できない。文字通りには私が逃げるのではなく、面倒が逃げて行った、それは妻がやってくれたからであって、 何も面倒事から逃げる意図が初めから書き手にあったわけではない。そもそも前段では手伝おうとしたと言っているのだから、その上で一番面倒なことは 逃げていたというのだとすると、牧師の心のありようというものが全く異なってしまうことになる。実際には牧師は最初から知能犯的に、簡単なことだけ 手伝って見せて、一番面倒な部分は妻任せにしようという明確な意図をもって自覚的に行動したわけではない。それは、この悲劇を招来した牧師の 基本的な性格とそもそも相容れないのではないか?牧師の欺瞞というのはもっと微妙なものなのだし、アメリーの態度も、そうしたある意味では 質の悪い牧師の態度に対する反感に基づくものではないのか?(実は、そうした苛立ちは、ジェルトリュードもまた牧師に対して抱くことになる。 それは第二の手帖の結末を待つまでもなく、第一の手帖にも既に物語られていることなのだ。)また、後に触れる、第二の手帖5月3日の部分で、 フィヒテの講演題名の仏訳の引用と思しき「至福の生活に到る方法」というのが、原文ではイタリックになっているにも関わらず、そうした原文の 組み方に対応するようなことが全くなされていない。また、これは直接に訳者に責任を帰することができるかどうかについては慎重であるべきだろうが、 世界文学ライブラリー版に挟み込まれている、作品のあらすじと登場人物をまとめた栞では、舞台なフランスの片田舎にされてしまっている。 こうした細部の積み重ねは決して瑣末な問題ではないはずだ。自分も作家である訳者がこうした点に対して無頓着なのは理解しがたい。
だが、「田園交響楽」に限定すれば、堀口大学訳はもっと疑問が大きい。堀口大学はわざわざ序文で、翻訳の困難と、その翻訳を経由しての理解の困難について語り、 「これまで天国の書として読まれていたこの救いのない地獄の書を、自分の順番に訳そうと思い決めた。」と決意の程を語っている。別段、堀口訳に拠らずとも、 例えば神西訳でも十分に「地獄の書」であることは理解できるはずで、それは翻訳の問題というよりは、問題の在り処や意識の構造を把握する力能の問題なのだという点を おけば、翻訳についての彼の主張は別段間違っているわけではなかろう。だが、具体的な実践を見ると、解釈を云々する以前に勇み足ではないかと思われる箇所に ぶつかることになる。
例えば、中村訳で問題にした2月27日の日記の et je compris que les plus lourds et les plus désagréables soins m’échappaient.だが、「わしはその時はっきり悟った、 一番厄介な、一番厭な世話は、しようとしてもわしには出来ないのだと。」としている。「しようとしても」というニュアンスがどこから出てくるのか、これはこれで行き過ぎ ではないか。既に挙げた全体の末尾の文章の比較表現の訳し方についても同じで、何故、同等比較にいわば「緩和」してしまったのか、それが「地獄の書」という 解釈とどう整合するのか、私には理解できない。
10.
テキストの生成過程の、完成したテキスト内部における痕跡。テキストの生成過程そのもの、書き手(=ジッド)の書く欲望に フォーカスしたとき、この作品は当初の目論見どおりに書き遂せたものなのか?生成の紆余曲折は、最終的な意図達成とは基本的に 独立であり、当初の目論見の実現のために紆余曲折が必要であったということも当然にありえる。「田園交響楽」の場合、第一の手帖の書き出しは 非常に順調であったらしく、日記・手記に偽装された物語である第一の手帖は非常にスムーズに書かれたらしいのに対し、第二の手帖の冒頭部分では 実際に進捗が停滞したらしい。難渋の果てに、第二の手帖の結末は作者自身が充分に展開できていないことに対する懸念を記す程度までに 今度は書き急がれたとのことだが、テキスト自身もそうした書き急ぎを反映し、亀裂やずれを孕んでいるようだ。第一の手帖の冒頭に以下のように記された 牧師の手記執筆の意図(それ自体が、ある種の自己欺瞞を孕んでいる可能性もあるが、今はそれは問わないことにする)は、どこまで達成されたのか?
Je profiterai des loisirs que me vaut cette claustration forcée, pour revenir en arrière et raconter comment je fus amené à m’occuper de Gertrude. J’ai projeté d’écrire ici tout ce qui concerne la formation et le développement de cette âme pieuse, qu’il me semble que je n’ai fait sortir de la nuit que pour l’adoration et l’amour.
それは第一の手帖の途中、3月8日の日付の項において、一旦は、 C’est l’histoire du développement intellectuel et moral de Gertrude que j’ai entrepris de tracer ici. J’y reviens. と再確認されるが、直ちに言い訳とともに撤回され、手帖執筆は別の目的にすり替わってしまってはいないか?それ以降、一体何のために この手記は書かれているのか?と同時に、外側においてジッドは何のためにこの作品を書いたのか?途中で放棄せず完成し、公表したのか? 最初から結末を想定して書き始められたのか?知られる限りでは、L'Aveugleが構想された時点、そして、それを再び取り上げた時点での ジッドの関心は、まさにカルヴァンのパウロ主義の批判にあった。(決して、カトリックに対する批判ではなく、寧ろプロテスタントの 正統主義、とりわけカルヴィニズムに対する批判であったことには留意されて良い。)そして執筆開始の時点では、マルク・アレグレとの 関係がジッドの大きな関心事であった。そして第一の手帖と第二の手帖の間には、妻マドレーヌを置いて、マルク・アレグレとイギリスに 旅行し、その間にマドレーヌがジッドがマドレーヌに宛てた書簡の全てを焼却するという「事件」が起きている。
実際のところどうであったかの実証的な跡付けも可能だろうが、作者が最初からそれを意図したかどうかに関わらず、結果的にこの作品は、 書くことそのものの挫折の記録ではないのか?書く欲望自体が途中で変容し、最後には枯渇してしまう過程自体の記述になっているかのようだ。 手記の形式の借用は、ある種の「告白」文学の系列への位置づけを可能にするかに見える。だが勿論、ジッドには「本物の」告白もあるから、 この作品をそうした文脈で典型として取り上げるのは適切でない。逆になぜ、物語を偽装するのか?虚構である物語において、今度は 逆向きに手記の形式を採用し、語り手の「告白」を偽装するのは何故か?(カトリックとの関係において、「告白」(つまり「秘密懺悔」と呼ばれるもの)というのがカトリックの制度であり、プロテスタントのそれではないことに留意すべきだろうか?ジッドが一生をかけて行って止むことのなかった自己露出を 一体どう理解すればいいのか?)
第一の手帖において作者は、以前からあった盲人の物語を介して、自分が実践した聖書の自由主義的解釈が帰結するところを描き出したかった のかも知れない。だが、それが第二の手帖の末尾のような不毛に陥るという結論を最初から抱いていたようには思えないし、盲人がその解釈の 犠牲となる物語を最初から構想していたわけではないのではないか?そして何より、ここにはそれを記録すること、物語ることにより、 記憶を永続化することを作者に強いるような何かが、最後まで保存されることなく、途中で破壊され、最後には消滅してしまう過程が 書かれているかのようだ。そういう意味ではこの作品はその全体が、この後の作者自身の歩む道程を予示したものであるという見方も 成り立つだろう。最早、牧師の視点から語ることは残されていない。祈りの不可能性は(それは泣くことの不可能性でもあまり変わるところはないが)、書く行為の不可能性であり、書く内容の枯渇でもある。
最後にもう一度戻るだろうが、この作品の持つ力というのは、最初に目論まれ、意図された内容が、作品の生成の途中で破壊され、 全く別のものに変容していくその力に由来するのではないか?アメリーへの贖罪(だが牧師は祈ることすらできないのだが)、 ジェルトリュードの鎮魂、自由主義的聖書解釈の決定的な行き詰まりの記録が最初から意図されたものではなく、途中から いわば突如として侵入した、その因果的効果の大きさが、この作品に一回性の出来事の持つ深みを与えているのではないか?
デュ・ボスの指摘するとおり、この作品の末尾において、作者が選択した手記という形式自体が破綻してしまっている。 本来これは過去の出来事として、物語として(もう一度、第一の手帖のように、あるいは「アンドレ・ワルテルの手記のように」) 語られるべきだったのではないか?だがそのかわりここでは出来事そのものが生のまま、その力を剥き出しに示している。 実際、様々な可能性が考えられる。ジェルトリュードの声を牧師の語りを介さずに伝える方法(「狭き門」における書簡や 日記の利用)もあっただろう。あるいはもっと後で、「女の学校」「ロベール」「ジュヌヴィーヴあるいは未完の告白」 三部作で行ったように、ジェルトリュード、アメリー、あるいはジャックに自ら語らせること。しかしそうした選択は 為されなかった。それは作品の生成の力学上、最早手遅れだったからなのか?作品自体の価値に勝る理由によって その機会が与えられなかったのか?結末から逆算すれば、この物語はもう一つの「背徳者」になっても不思議はなかった。 一方で、第一の手帖が偽装された物語として書かれている以上、「アンドレ・ワルテルの手記」のように、 それ自体は物語性を拒絶しつつ、外部に書かれるべき物語(「アラン」)を浮かび上がらせることもまた、 不可能だったということか?そのことは「背徳者」とは異なって、牧師が最初からいわば「確信犯」的に選択した 行為の結果ではなく、結局のところ自己欺瞞の過程の記述であることと相関するのだろうか?それをテキストの形で 「告白」することの方はどうか?否、寧ろ、書くことそのものを通して自己欺瞞が明らかになっていったという点が問題なのか?
第一の手帖の回想の恣意性(第二次過去把持は、想起の現在の第一次過去把持およびそれを成立させる地平の影響から自由では ありえない、無意識の加工、抑圧が常に考えられる)に対し、第二の手帖で起こった読み直し、そして評者によっては 想定することもある第一の手帖のテキストに対する事後遡及的な加筆の可能性を、テキストの読み直し、 テキストの書き直しをどう考えるのか?(そしてもう一度外部へ。「田園交響楽」の複数の版の問題。 いわゆる「批判版」の作成作業が必要である現実を前提とした、テキストのオーセンティシティの問題にまで至る。 更には「田園交響楽」の場合、日付の不整合を「修正」した英訳があり、しばしば翻訳において聖句の引用箇所の 「誤り」が訳者によって「訂正」される。)
この点で参照点を外に求めるとすれば、またしてもドストエフスキーの「白痴」になる。つまりこれは、トーツキーのプチジューの如きものなのだ。 この手帖が、ジェルトリュードの自殺を巡る取調べに当たり、証拠として検討されたならば、これだけの矛盾と欺瞞に満ちた手帖が証拠として採用される 可能性はないだろう。寧ろ、事実を隠蔽するための操作がそこで行われ、事実と異なる方向に調査を誘導する狡猾な罠であるという嫌疑さえ招きかねない。 寧ろジッドの意図に抗して、そうした矛盾や破綻の背後にあるものが何なのかを読み取ることこそが要請されているのかも知れない。「狭き門」の手前で 引き返して「法王庁の抜け穴」を通過したジッドが「贋金作り」に至る過程で、いわば疑似餌として、囮として、もしかしたら自分自身をすら欺くために でっち上げたのが、「田園交響楽」なのではなかろうか。アリサの「老い」の陰画のように、ジェルトリュードは視覚を獲得することにより、牧師の理想を体現する 存在ではなくなったに過ぎない。(勿論ジェロームが否定したように、牧師自身もそれを否定するだろうが。)
驚くべきは、ジッドがドストエフスキーを知っており、ニーチェとの比較において、ニーチェの限界を超える可能性をドストエフスキーの自己放棄に 見出していさえしたことである。にも関わらずジッドは、決してムイシュキンやアリョーシャ、ゾシマ、更にはゾシマの兄のマルケルの在り方に 向かおうとはせず、イワンの立場に、もしかしたらトーツキーの立場に留まったように見える。この自己矛盾を、首尾一貫の欠如をどう理解したらよいのか?
同じ出来事の別の物語。例えばドラノワの映画は最早、同じ物語の映画化と言えないだけではなく、同じ出来事の それとすら言えない。(牧師が、その点においてまで手帖に嘘を書いていたという仮説に立たない限り。) だが、推理小説的な読解をするものは、手記自体の信憑性を疑うだろう。例えば、ジェルトリュードは本当に 自ら身を投げたのか、という点は、推理小説的読解においては真っ先に問題になるに違いない。しかも犯人は 別に牧師と決まったわけではない、ということにすらなりうるだろう。「カラマーゾフの兄弟」のような 法廷小説のスタイルを借りて、同じ出来事の複数の物語を提示しないまでも、「狭き門」のようにせめて 別の視点を導入することは「物語(レシ)」の枠組みでも可能であった筈なのであるが、ジッドはそれすら 拒絶してしまった。それはなぜなのか?それ以上に、そのことがもたらす帰結は何なのか?ジッドが形式の 問題、美学的な視点で己の書いたものを評価していたことを踏まえるとしたら、解くべき問題の核は ここにあるのではないか?
従って、この物語を、いわゆる日記文学の伝統の中で扱うことに対しては慎重でなくてはなるまいし、それと隣接する「告白」文学、あるいは 端的な「告白」の伝統との関係についても同様である。ジッドは自分を書き手とした日記や手帖も書き、公表しているから、ここでは 日記、手帖の形態をとった虚構の物語であるという点にまず留意すべきだろう。日記や手帖は、それが自分自身以外の目に触れないが故に、 他人に対してであればつくかも知れない「嘘」や、他人の視線を意識したポーズを、もっと言えばペルソナ=仮面をつけなくてもいい形式である という「約束事」に基づいて、そうした形式を用いたフィクション(物語)を提示することで、作者たるジッドは、読み手に対する戦略を既に 発動させているのである。要するに、作者は自分も用いる形式の効果に対して十分に意識的であるが、それとともに、読み手もそうした 作者の戦略を読み取ることができるであろうこともまた、意識していた筈である。いわば読者を巻き込んだゲームであり、ゲームを仕掛けたのは 作者なのである。ゲームの例えは、この物語で扱われている内容を考えると不謹慎であったり、或る種の相対主義同様、そうした価値の次元を 捨象してしまっているという批判を受けることがあるだろうが、それに対しては、仕掛けたのは作者であり、読者ではないので、読者に対して そうした批判をするのは不当ではないかという抗弁が可能だろう。実際、ゲームは非対称であり、書き手はルール自体を変更することが 原理的には可能ですらあるのに対し、読者は受身たらざるを得ないのであるから、責は作者に着せられるべきであろう。ジッド自身は、 よりゲーム性を徹底させた作品(「法王庁の抜け穴」)を既に書いていて、それを発展させて、彼なりの小説(「贋金作り」)を書こうとしており、 その間に挟まれたこの作品の表現に対して明確な意識がなかったとは考えにくい。上記のようないわば伝統的なルールに基づき、だが 敢えてそのルールに違反するによって矛盾を積極的に仕込むことによって、それに気付いた読者が、差し当たりは登場人物である 牧師のおかれた状況や、手記の内容としては明示的には書かれることのない意図や欲望の反映を感じ取るように、次いでそうした 仕掛を施した作者の意図を読み取るようにジッド自身が仕組んだと考えるべきなのだろう。日付の過誤などの矛盾もまた、まずは牧師自身の 心理状態や心的な機制、もしかしたら自覚していない欲望の表現であるという作者の読者に対するメッセージを読み取るべきなのだ。
そもそも日記や手帖の持つ、他人に対してであればつくかも知れない「嘘」や、他人の視線を意識したポーズを、もっと言えば ペルソナ=仮面をつけなくてもいい形式であるという点は、早速牧師自身によって裏切られており、ジッドは読者との共謀という点についても、 それ以前の作品とはやや異なって、この作品においてはアイロニカルな立場にいることは明らかである。牧師は既に第一の手帖の中で、 自分の手帖が自分以外の誰かに読まれる可能性を想定しているし、そもそもこの手記の書き始めの動機自体、結果的に自分のものではない ことに気付くことになるアリサの日記とは異なって、自分が遭遇した恩寵に満ちた出来事を記念し、保存し、他者に伝達することを 暗黙の裡に意図していたはずであることを考えると、寧ろ途中で、私的な感情について、他人の視線を気にするようになること自体、 既に変節であるとも考えられる。当初の企図からすれば、この物語は、日記形式の私的な独白ではなく、客観的な記録として 書かれるべきではなかったのかというように考えれば、表明された当初の意図自体が既に欺瞞に満ちたものであるか、あるいは牧師の企図が というより、牧師を己の代理として設定したジッド自身の企図自体が最初から矛盾を孕んだもの、失敗と挫折を内包したものであった 可能性は否定しがたい。だが一方で、すぐさまそうした矛盾を曝け出し、日付の錯誤やら矛盾やらを犯しつつ、だがジッドは、最後まで 牧師という「私」の語りを放棄せず、その外部に出ようとしない。レシという形式が自己崩壊する過程ともいえるこの作品は、ある意味では 「アンドレ・ワルテルの手記」よりも更に徹底して、私以外の展望を排除することに拘っているようなのだ。
更には、作品を自律的で完結したものであるという極端な立場に立つのでなければ、作者ジッドが先手を打って仕掛けたのは、 作品に内在する登場人物の動揺や欺瞞の表現である以上に、作者自身の姿勢を示す徴候、或る種の態度表明が篭められたもの、 あるいはそこまで意識的でないにしても無意識的な態度選択に影響されたものであるというように考えることもできるだろう。 同じ日付の矛盾や言い落とし、嘘は、牧師のというより寧ろ作者自身が作品に残した痕跡であるというように考えることができるし、 実際、そうした前提に立つ解釈が妥当な場合もあるだろう。この解釈に立った場合でも、それが作者の意図的なメッセージなのか、 無意識的な過誤なのか、いずれかの可能性が考えられるのではあるが、そもそもそれを厳密に区別することなど、作者自身にすらできないだろうし、 「理性的な人格」を前提とした法に基づく裁判ならともかくも、作者が設定した土俵の上では、それを区別する必要もあるまい。
従って、読者は手記、手帖の形式でフィクションとして物語が提示されたとき、その「外部」を二重に想定できる。一つ目は作中人物のレベルであり、 実はこの手記の内容に偽りがあり、或いは空想の産物であり、事実ではない、というような注釈を後から外から付与することでルールを敢えて違反し、 真実は探偵役が別に解き明かすというのは、例えば推理小説のジャンルではごく普通に行われている。そうした観点からすれば、この作品には、 そういう意味での外部は直接には存在しないかに見える。一方で、二つ目の作者のレベルの外部は、ここでは一旦、この作品がフィクション、架空の 物語であるという規定が与えられているのだから曖昧さはないと考えることもできそうだが、実はフィクションに見せかけて隠された事実を語っていたり、 ジッド本人名義のいわば「本物の」手記や日記に対する注釈であるというようなことを考えることは可能だろう。ソチやロマンならぬレシという形式は、 ジッドによって、まさにそうした読みを誘うように設定されたジャンルであり、ジッド自身、主人公と同一視されて批判されることに対して当惑したことも あるようだが、それは自業自得、実際にはそうなることを意図していたはずなのであるし、実際に作者の実生活の反映を物語に見るという視点を 実証的に行うだけで研究になってしまうような状況が存在しているわけだから、とりわけてもジッドのような場合には、「本当はどうだったのか」という 推理小説的な問いが二つの水準で可能であり、読者はメタフィクション的な錯綜に巻き込まれてしまうことになる。
11.
前哨としての「アンドレ・ワルテルの手記」。2冊の日記風の手帖により、そしてそれのみにより作品を構成するのは、実は田園交響楽が初めてではない。 だが、「アンドレ・ワルテルの手記」が物語風の構成を拒絶した、本来的な断章の集積であるのに対し、ずっと小説作法上円熟した時期に書かれた 「田園交響楽」において、日記というのは或る種の偽装に過ぎない。執筆日付を持つ回想に過ぎず、日付を除去して、日記風の草子地を取り払えば 単なる物語になってしまう第一の手帖のみがそうなのではない。本来の日記に近づくかに見える第二の手帖もまた、それが「アンドレ・ワルテルの手記」と 比して、いわば素材としての「生の」日記から懸け離れていることは明らかだ。その虚構が最早隠しがたくなるのは、第二の手帖の頂点をなす5月19日の夜の部分だろう。 こんな日記の記述がある筈はない。第二の手帖の劇的で動的な性格は、常に単一視点での回顧(行為の最中に日記を書き付けるというのはありえない のだから)でしかありえない日記という形式を裏切る。にも関わらずジッドは「田園交響楽」においては、この視点を最後まで維持する。例えばアリサの日記のような 同じ物語の別の視点での語りなおしという重層化はなく、それゆえ「狭き門」のエピローグのようなものはここでは出現することを予め禁じられている。 「アンドレ・ワルテルの手記」であれば、編者の注という形での出来事についての別の視点での補完があり(逆にここではそれがなければ読み手には、手記の 背後にある出来事を読み取るのは難しいという点で、まだ「誠実」なのだという見方もできるだろうが)、あるいは手記の外側に詩がさらに付加されることで、 重層化され、更には手記の中に埋め込まれた膨大な引用の織物が更に別の層を構成して、生の手記としての不器用な視点の固定にも関わらず、 作為が無い分、却って(意図せず、なのかも知れないが)外部への通路が存在するのだが、「田園交響楽」では、自己欺瞞は牧師のそれであるとともに、 ジッド自身のそれでもあり、ジッド自身の「アンドレ・ワルテルの手記」への後日認められた序文での自らの歓心を買おうとするという批判にも関わらず、 却って「田園交響楽」の方が性質が悪いとも言える。単一の視点により、ジェルトリュードが、アメリーが、ジャックが書き留められるのを読んで、読者は寧ろ、 これが牧師の妄想ではないか、どこまでが現実と確実な繋がりを持っているのかすら疑いたくなるだろう。この牧師の狂気を埋め込んだ、別の物語を 構想することすら可能だろう。第二の手帖の5月21日以降の記述は全て牧師の妄想の産物であり、それが故に時系列が破綻し、本当はまだ手術から戻って 来ていないジェルトリュードを溺死させ、自らは乾ききって、心の砂漠の中に閉じ込められるのだと。この結末は、牧師が見た夢ではないと言い切ることが できるのか?ドゥルーズ=ガタリがカフカの「審判」の「終り」の処刑をヨーゼフ・Kの夢の産物と見做したが、そうした読解が許される地平においてなら、 「田園交響楽」の手帖もまたそうではないといえるのだろうか?もしかしたら全体が。
例えば、「アンドレ・ワルテルの手記」ならば、見かけは本物の手記の体裁で出版されたことから、フィクションのレベルの積み重ねが仕掛けられていることは、 事後的に仕掛が明かされてから見れば明らかなことなのだが、それでも発表当時にはアンドレ・ワルテルを実在の人物と勘違いしたケース(メーテルランク)も あったようだ。それに比べれば、同じ2冊の手帖からなるとはいえ、「田園交響楽」は虚構の物語の中の登場人物が作者であるということは明らか であり、一見したところ、フィクションと現実の境界画定についてはそんなに複雑な要素はないように見える。だがその一方で、この作品の場合、 イロニー的な要素が介在しているのは確かであり、そのイロニーがどの水準のものなのか、複数の水準に渉るものなのかを突き止めようとすると、 実は「アンドレ・ワルテルの手記」と同様の積み重ねが存在していることに気付かざるをえない。否、こちらの方が、虚構の登場人物が手帖の書き手であるという 設定を備えている分、性質が悪いとさえ言えるだろう。一体、本当は何のために牧師はこの手帖を書いたのか、何かを逆に隠蔽するため、 偽証を行うためではないかという疑いを持つことは、ことこの作品に関しては、決して不当で恣意的なこととは思えないし、一つ上のレベルで、 今度は作者ジッドが、かくのごとき作品を書いたのは何故か、何かを逆に隠蔽するため、偽証を行うためではないかという疑いを持つことも勿論可能なのだ。 その一方で、牧師は(作者ジッドではない)実在の人物なのか、といったような問いもまたあっても良く、通常それは「モデル論争」と呼ばれるものになるのだが、 予め架空の話であるという「枠」を作者が設定していて、なおかつレシにおいて主人公は作者自身の分身であるという思い込みを読者がするように ジッド自身が誘導しているが故に、一見したところそうした問いから自由であるかに見えているに過ぎないのだ。
同じように、未完成作品であることが作品外部の事実の水準で明らかであるとされているカフカの「審判」では平気で主張される、ある章がまるまる誰かの夢である、 という想定(ちなみに結末のみが夢であるという主張には根拠がないだろう、その点ではどの章も、断片も等資格であるはずだし、冒頭の逮捕自体が夢であって なぜいけないのかわからない)は、この作品の場合、一見したところは完成している上に、手帖という形式を取っている以上、可能性としては考えにくいように見える。 だが手記であっても「アンドレ・ワルテルの手記」であれば、編集者の注という形で、最後の部分が狂気に陥ったワルテルの妄想であることが示されていることとの比較をすれば、 ここでは牧師の手帖には端的に外側が用意されていないので、それが想定しにくくなるように仕掛けられているだけであって、ここでも同様の狂気や妄想を 疑ってしまえば、「、、、という夢をみた」というのをいつでも追加することが可能であることがわかる。フィクションの形式として手記を用いているという枠がある上に、 作品の内部においては寧ろ手法としては単純化されているがゆえ、一層性質が悪いという見方すらできる。例えば第二の手帖のジェルトリュードが帰還して以降の、 非常に急速に展開する最後の数日の日記は、錯乱した牧師の妄想の産物である可能性はないのだろうか?これは日記だ。だから記述に虚偽はないし、 理性的な自我による反省の記録なのだ、という予断は、かくも混乱と虚偽に溢れかえった手帖においてもまだ維持可能なのだろうかという疑いを、ルール違反であり、 恣意的な読解であるとして一刀両断することができるだろうか?この記述がもし妄想であるとしたら、それは何を背後に隠蔽しているのか?何の根拠もない、単なる 可能性に過ぎないという保留つきで、例えばジェルトリュードは決して自ら身を投げたのではないとしたら?ドラノワの映画における読み替えは、ジッドの原作とは全く異なった エピソードを積み重ねていくが、無限の分岐の可能性のうち、ジッドの原作の手帖に記されたものがドラノワの映画のそれに比べて優越するのは、如何なる点においてか? それはあくまでジッドの作品が「原作」であるという、制度的な保証のみに依拠するのではないか?
更には逆に、「、、、という夢をみた」というのを逆に外さなくてはならない可能性を考えてみたどうだろうか?実際には、牧師の告白を装ってはいるが、 ある暗号解読表を用いて変換すると、これが別の事実の記録であるという可能性は排除できるのだろうか?一般に告白のジャンル、独白の形式において、 フィクションとノンフィクションの境目をどこに入れられるのかは決定可能なのだろうか?あるいはまた、カフカの「掟の門前」論でデリダが述べる、 作品のアイデンティティ、オーセンティシティの問題も、未完成作品であるカフカの「審判」のみには限られないはずである。例えば、この作品の場合には、 普及版と全集版の異同の問題を挙げることができるだろう。かくして、一見したところ古典的な体裁を持っているように見え、単純で簡潔であって 出版当時は、「法王庁の抜け穴」の後にあって、或る種の退行という批判さえ受けたらしいこの短い物語ですら、否、こちらの方が、一見すると仕掛が 明示的なソチやロマン以上にこの短い物語の方が錯綜とした決定不可能な構造を備えているかも知れないのである。
著作権やオリジナリティに関する考え方の全く異なる中世における ペルスヴァル伝説の継承と変容を、クレチアン・ド・トロワ、ロベール・ボロン、ヴォルフラム・フォン・エシェンバハからリヒャルト・ワグナーまで、あるいはそのワグナーの作品に 対する演出による読み替え(音楽が同一性を保証するから、筋の方はどんな改変も可能であるといわんばかりの多様性を示している)の蓄積を思い浮かべると良い。 ジッドの「田園交響楽」は、ある「原物語」のヴァリアントの一つであり、ドラノワの映画もまた、そうした異なったヴァリアントの一つであるというのは、事実に即した言い方では 決してないが、戦前の日本における映画化(これもまたジッド自身、観たらしいことが井上勇の翻訳の後書きで確認できる)も含め、或いは更に、ジッドの「田園交響楽」に ついての様々な解釈に加え、ジッド自身の「オリジナル」に関してさえ、普及版・全集版の差異を含め、クロード・マルタンによって整理されて明らかにされた完成稿の様々な違いのみならず、 その創作の過程が明らかにされるにつれ、創作ノートや印刷に先行する改稿、採用されなかったヴァリアントの存在すら明らかになってきているのだから、そのうちのどれかが決定的な 優位性を持つオリジナルである筈だという予断は少なくとも捨ててかかるべきだろう。更に日本語で「田園交響楽」を読む場合には、訳者の解釈が染み込んだ十指にあまる 翻訳が存在する。どの版に依拠した翻訳かという選択に加え、同一の訳者のものでも、訳者によっては大掛かりな改訳をする場合もあり、ある訳者の翻訳の同一性さえ 決して自明というわけではないのだ。勿論、こうした事情は別にジッドの「田園交響楽」固有のものではなく、多かれ少なかれどんな作品でも、それが複製されて 継承されるときには生じるものではあるけれど、そうした事情が「田園交響楽」という作品に対して持つ意味合いは、この作品が採用したスタイルと、ジッドの創作プロセスに おける改変の(論理的矛盾が生じることを放置するという意味合いでの)杜撰さに起因する問題もあって、決して周縁的で瑣末なものとして等閑視することを 許さないものがあるように感じられる。
12.
構造的な視点。テマティズム。何といっても「水」だろう。無意識としての冒頭の湖。
Je reconnus pourtant, à deux kilomètres de là, sur la gauche, un petit lac mystérieux où jeune homme j’avais été quelquefois patiner. Depuis quinze ans je ne l’avais plus revu, car aucun devoir pastoral ne m’appelle de ce côté ; je n’aurais plus su dire où il était et j’avais à ce point cessé d’y penser qu’il me sembla, lorsque tout à coup, dans l’enchantement rose et doré du soir, je le reconnus, ne l’avoir d’abord vu qu’en rêve.
ここで特に注目したいのは、引用の最後に出現する「夢」という言葉である。ここでは虚辞を伴う節の中で出現しているのであり、 それ自体が仮定の中での言及なのだが、この物語には本物の「夢」というのが全く登場しない。まるで全体が「…という夢を見た」 というように括弧入れされるのを待ち受けるかのように、この非現実的な寓話は、牧師の自意識の監視の下で繰り広げられるのだ。 だがこの「夢」の無意識の排除は、ジッドの「一粒の麦」の解釈を皮相なものに留めている原因と密接な関係がある筈だ。 そしてそれは、ジッドが書くことについてかくも自覚的でありながら、或いは自覚的たろうするが故に、書くプロセスを客観視する ことができなかったこととも本質的な関わりを持っている。
ジェルトリュードの元の住居の近くにあった「湖」、牧師が忘却していた湖。そしてジェルトリュードが身を投げた川の流れ。A.Gouletが水の形象を 書くことの隠喩とする読解をしており、それによれば湖はその源泉たる無意識の領域となる。湖を過去に見たのはDepuis quinze ans je ne l’avais plus revu, とあるから15年程前、それを妨げたのはdevoir pastoralであった。物語の冒頭、そのdevoir pastoralを妨げ、この手記を書くことを可能にしているのは neigeであるが、水の形象は、物語全体の末尾でもある第二部末尾のあの涙の枯渇、砂漠よりもなお乾いている心にまで 通じているし、ジェルトリュードは入水したにも関わらず、死の前には喉の渇きを訴えるのである。ところで15年というのはジェルトリュードの年齢でもあった。 15年前に牧師が湖を訪れたのはスケートをするためであったが、そのスケートは今度は息子のジャックの怪我の原因となり、ジャックをジェルトリュードに 向かわせる契機となった筈である。果たしてジャックは同じ湖を訪れたものか。ジェルトリュードの形象はオンディーヌに近づくのではと思えるほどで、 冒頭、白痴(c’est une idiote)とさえ呼ばれる彼女の無表情は、je songeai également à la piscine de Bethesda au moment que l’ange descend et vient réveiller l’eau dormante.と形容される。ここでベテスダの池が参照されるが、この池は天使が水を動かすとき、盲人を癒し、病人を癒すことの できる奇跡を顕す点に留意しておこう。(一方で、盲人を癒すこともまた、イエスの為した奇跡の一つであった。)
この作品は雪という語で始まり、砂漠という語で終わる。氷が融け、水となり、気化して消え失せる。「水」の消滅の物語。
13.
第二の手帖には、直ちに指摘されたという日付の錯誤がある。即ち、ジェルトリュードの入院期間の設定と、退院の記録のある日付の矛盾である。 しかもそれは1931年に出版されたDorothy Bussyの英訳では修正されているらしい。即ち5月21日に手術のために入院したジェルトリュードの退院予定は 20日後ということになっているのに、5月27日には翌日帰宅することが告げられ、5月28日に帰宅して、同じ日に入水、5月29日に牧師と最後に対面し、 5月30日の見出しの日記で物語は終わってしまう。それに対して英訳は6月8日の日記で翌日帰宅が告げられ、最後は6月11日と、整合するように 訂正されているとのこと。草稿段階から辿れば日付設定の不自然さは更に拡大するようだ。5月19日の夜の出来事を、ジッド自身の現実の経験を 記念すべく日付を合せたことが一連の不整合の原因であるらしいことは実証的な研究により判明しているようだ。 しかし、第一の手帖の冒頭の矛盾がそうであったように、そうした事実で説明できることは、過誤が起きた外面的な条件の側面に限られる。 結果的にジッドはこの日付の矛盾を放置したのだが、それは一体何を意味するのか。
まずジッドが自然主義的な枠組みを軽視していたというのはその通りなのだろう。だが、実際にはおかしいのは日付だけではなく、この牧師の 手記を装った形式自体が、その手記の内容によって、あちらこちらで破綻を来たしていて、しかもそれは既に第一の手帖から始まっているである。 (第一の手帖の聖書引用「思い惑うこと勿れ」がルカ伝ではなく、マタイ伝によると誤って注記されることも、そうした破綻の一つに数えてもいいだろう。) その破綻が自覚的、意識的に企まれたものであれ、気付いて見過ごされた、従って作者にとってはどうでもいいと判断されたものであれ、 あるいは無意識的なものであれ、私見ではこうした点にこそ、ジッドがこの作品で扱おうとした主題にどのように向き合ったかを示していると思われる。 「田園交響楽」はレシに分類されるが、この作品は意図せず、 レシのパロディーなのではないか。アルベール・ティボーデは「この作品中のまことの盲人である牧師は、広く開かれた門の下を福音書の流れの通っているのをみる。 そして彼は心の衝動のままにその流れとともにその門をくぐる」と言っているようだ。つまり「広き門」、まさに滅びに繋がる途を示したパロディーなのではないか。 ここで牧師が参照する聖書、牧師の自由解釈の恣意によって読まれる聖書は、「思い惑うこと勿れ」がマタイ伝の12章29節にあるような代物だというのも、 そう思えば不思議はない。ちなみに、盲人を癒すのは、イエスの示した奇跡の一つであった筈だから、ここでは奇跡と信仰の関係への暗示さえ認めうる かも知れない。
ジェルトリュードの喉の渇きは、十字架上の七つの言葉の一つを厭でも思わせる。勿論これはキリスト教的というよりは、一般に神話的な供犠の構造を 持っているのだろう。ジェルトリュードは犠牲の羊なのだ。ジャックへの牧師の口づけは、ユダのそれを思わせるという指摘もある。キリスト教的な形象は いわば再利用される。
冒頭、雪に閉ざされた中で、夢で見たかのような、だが実際には己の過去である湖の風景のとともにジェルトリュードとの出逢いが描写されるのに対し、 最後には、ジェルトリュードは「眠っている」。それは昏睡であり、そのまま死に繋がるものであった。ここでは最早、「夢」が介在する余地はないかに見える。 そして牧師の心には湖の代わりに砂漠が残る。ところで、喉の渇きというのは、既にあのジェルトリュードが想像上の風景を語る日に、牧師自身によって 語られているのだ。
– À quoi les comparerai-je aujourd’hui ? À la soif d’un plein jour d’été. Avant ce soir elles auront achevé de se dissoudre dans l’air.
14.
牧師が到達した地点は、彼自身が第二の手帖の5月21日の日記に記しているように(Parfois il me paraît que je m’enfonce dans les ténèbres et que la vue qu’on va lui rendre m’est enlevée.)、彼は神話論理的にはまさにオイディプスなのかも知れない。彼は自ら盲目となることを 望んだのかも知れない。「田園交響楽」を「狭き門」の或る種のネガ、恣意的で自己正当化の道具に過ぎない聖書の自由解釈が もたらした「広き門」であると評した人がいたらしいが、それが侵犯行為であり、(デリダの「掟の門前」における掟の、つまり律法の規定に よれば)掟そのものの破壊、門もろとも埋め尽くし、押し流してしまう水の氾濫の如きものなのだ。かくして水は最後の一滴まで流れ去り、 涸れてしまい、残るは沙漠ばかり。最後はコミュニケーション不全の麻痺による荒廃が残るばかりなのだが、それとて、作中人物はともかく、 少なくとも作者のジッド自身が望んだことでないとは言えまい。これはジッドが言うような批判ではなく、自ら招いた現実の荒廃に対する 釈明、もしかしたら居直りに過ぎないのかも知れない。最後に言葉を喪うこと、最早祈りも不可能な状況、それは語りの衝動自体の 死滅でもあるだろう。
第一の手帖は日記のかたちを取りつつ、実際には過去の出来事の物語であり、偽装された物語だという指摘がしばしばなされる。 だが、第一の手帖について偽装を問題にするならば、本来の日記であれば書かれるべきであったこと、つまり、第二の手帖においては 現在の記述となる、その直前の時期に一体何が起きたかが、過去の出来事の回想に覆い隠された挙句、わからなくなっていることこそ 問題にすべきなのだ。寧ろ、なぜその時点の出来事を書かなかったのかに関連して、回想を書き記すことになった真の理由、真の動機が 隠蔽されているはずなのだ。回想の背後で起きていた出来事こそ、第二の手帖で提示される出来事の直接的な前提となっている。 そして、それを隠蔽したかったからこそ、回想を記したという推測すら、あながち勘ぐりとばかりは言えないはずである。 更に臆測を逞しくすれば、最初に綴られる、回想のきっかけの説明、3日間雪に閉ざされたから、というのにすら、真実を糊塗する 操作が介在しているとすら考えられる。その点で「田園交響楽」は、犯人が書き手であるような推理小説のあるタイプに近接している。
それにしても一体、第一の手帖の前半の回想が書かれていた時期、ジェルトリュードはどこにいて、何をしていたのか? アメリーはどうだったのか?そうして考えてみると、それが無意識なものである可能性はあるとはいえ、第一の手帖の背後には 既に第二部の現実が蠢いていて、それに目を瞑るために、過去の回想などを始めたという可能性すら考えられる。 そもそもこの手帖は、自分自身のためのみに書かれたのですらなく、妻のアメリーに読まれていいように、彼女の視線を気にしつつ 書かれているのだ。しかもこの小説には他の視点が用意されていない。従って、浮かび上がる風景自体、初めから歪んだものである かも知れないが、結局のところ読者にはすぐにそれとはわからないように作者によって構成されているのだ。一体どこまでが ジッドの意図したものなのかさえ疑ってみるべきなのかも知れない。もしかしたらこれは悪魔によって書かれた可能性すらある。 そうでなくても、ジッドが悪魔の唆された可能性はある。まさに作中人物であり、語り手でもある牧師がまたそうであるように。
第二の手帖5月10日。C’est au défaut de l’amour que nous attaque le Malin. Seigneur ! enlevez de mon coeur tout ce qui n’appartient pas à l’amour… ここの「悪魔」(Malin)について、例えばドストエフスキーのそれ、「カラマーゾフの兄弟の」悪魔、あるいは「白痴」における、とりわけてもイッポリートの件と 対照させてみること。(何しろ、ここでは「カナの婚礼」さえ参照されているのだ。)愛の欠如が悪魔を呼び寄せる、となればゾシマの地獄、 愛せなくなる地獄を思い浮かべずにはいられない。そしてまさに牧師が辿り着いた砂漠こそ、愛の欠如の状態に他ならない。 彼はアメリーに許しを請うのではない。彼は助力を、自分のための祈りを求める。 だが必要なのはまず、自分が赦しを請うことであり、過去の負債の返却不可能性を認識することであった筈である。己のアメリーに対する罪を 認めず、相も変わらずジャックの姿勢の内に愛の欠如をしか見ないのは、(彼自身の定義に従えば)牧師自身が悪魔に囚われているがゆえなのだ。 戒律を重んじない点において一見すると似ているかに見えるゾシマと牧師の決定的な差異は、寧ろ牧師を悪魔と対話するイワンにさえ近づける。
だが、ジッドの場合には、ジッド自身がそうした心的機制を自覚することが遂になかったように思われる。もしかしたら過去の負債の清算の 失敗には気付いていたかも知れないが、なぜ失敗したかを彼が理解することはなかったように思われる。彼の自分自身の心に対する 盲目性は遂に解消することがない。ジェルトリュードこそ、牧師の観念的で非現実的な(従って、常に実践的なものであるゾシマの それとは異なる)愛の盲目性の犠牲者なのだ。
「法王庁の抜け穴」や「贋金作り」と「田園交響楽」はベクトルの違いがあり、その点もまた決定的な差異であって、それゆえこの物語には 向かい合う価値があると考えるが、それはドストエフスキーであればプロとコントラのポリフォニーの一方に過ぎない。牧師とジャックの分裂は 見かけのもので、イワンと悪魔の対話同様、ジッド自身のモノローグに過ぎず、そこには真の対話は成立していない。ジッドは「贋金作り」 のようにではなく、もっと別様にポリフォニーを構築すべきであったのにそれができなかった点に、致命的な限界がある。
従って、「想像世界のなかで築きあげた美を、作者自らの手でこわしてしまうこと」が「ジッドの作品構成法であり、お家芸」であるといった ような、あるいはジッドの作品を「固定観念のとりこになった人間の悲劇ないし喜劇を」書き続けたものであるといったような若林真の「解説」、 そして自伝「一粒の麦もし死なずば」という題名を「解説」して、「一粒の麦というのは人格を指しているのであって、人格が自意識を持ち 自己中心的であるかぎり、発芽力を持たないのです。人格が真の生命を獲得するには、いったん死に、根本的な変質をとげなければ なりません。ジッドが試みたのは、まさにこれでした。長いこと胸中にくすぶっていた諸問題を、白日のもとにさらけ出すことで、それらを 死滅させ、自己中心的でない別な生命を手中に収めようとしたのです。」といった風な「解説」、そしてその結論するところが、 《自己》から《他者》あるいは《社会》の問題に、関心の的を移しはじめたのが、その何よりの証拠ではないでしょうか。」といった「解説」は 一見したところ、説明になっているようで、実際には問題から目を逸らすことにしかなっていない。もし、それが意図されたものであると すれば、《他者》たる読み手を蔑ろにする姿勢において、欺瞞的な姿勢だし、逆にそうではなくて、本当にそうであると信じていたとしたら、 -しかも、ジッドの自伝の背後にある私生活が、まさにその時点で決定的に破綻した事実を知った上でそうであるとしたら、そうした 解釈こそがまさにジッド風の「誠実」という「固定観念」に容易く屈しているという点で滑稽でもあり、その一方で、そうした単純化が ジッドの作品自体が提示する自意識の問題の深みを徹底的に見損なっているという点で、「解説」としては有害なものですらあるだろう。
勿論、問題はジッドを研究の対象としている者のそうした解説が語るほど単純明快な筈はないし、それは寧ろ作品を読めばわかることだ。 ジッドが病んでいた自意識の病とは、若林の解説のようにして克服されたものではなく、寧ろジッドに憑依し続け、ジッド個人のみならずその 周囲の人間を蝕んでいった。「想像世界のなかで築きあげた美を、作者自らの手でこわしてしまうこと」がお家芸であるとしたら、 それこそがジッドの「固定観念」なのだということに、そしてそれこそが問題なのだということに何故気付かずにいられるのか? あるいは気付かない振りをしているのか?ジッドが蒔いた一粒の麦、それは若林の「解説」が述べたのとは全く異なる仕方で、発芽力を持ちえた。 一度限りの例外として(決して自伝「一粒の麦もし死なずば」ではなく、)「田園交響楽」に、「想像世界のなかで築きあげた美を、 作者自らの手でこわしてしまうこと」という「固定観念のとりこになった人間の悲劇」そのものをその末期的な相において、 恐らくは自らの意図に抗し、意図を裏切るような文体によって定着させることによって、「一粒の麦」となったのだ。 一体、固定観念から自由たろうとした牧師が惹き起こした禍をジッド自身が明確に自覚して作品化しているまさにそのことのみによって、 恰も罪滅ぼしが成就すると考えているとしたら、それは「自己中心的でない別な生命」という自ら記した言葉を裏切っているのだ。
15.
例えば「キリスト教の脱構築」において、ジャン=リュック・ナンシーは、「罪抜きでキリスト教を構想することはできない」と述べている。 そして、「今日、罪について語ることはかなり時代遅れであるように見え」、(恐らくジッドがそう望んだように)「もはや罪のキリスト教と いうよりは、愛と希望のキリスト教」であるという事実認識にも関わらず、事実上罪を欠いたそれは、もはやキリスト教ではない、と 述べている。そして違反・侵犯である過失(それには罰や償いが求められる)と罪とを区別し、「罪人である人間とは、<法>を 侵犯する者であるというよりは、もともと他者ないし神の方へと向けられていた意味を自己の方に反転させる者のこと」と定義している。 この定義は、まさに牧師の、更にはジッドの在り方の端的な批判になっているように思われる。ジッドは自己を持て余しはするが、 神秘的な合一の経験を夢見るばかりで、決して他者ないし神の方へと向くことはないように思われる。ジッドのあの絶え間ない露出癖は、 些かもジッドの自己を損なうことはなく、寧ろそれは自己への意味の反転を強化するばかりなのだ。ナンシーの言うとおり、「罪とは、 或る仕方においては、閉鎖的性格であり、聖性とは開放性」であり、「聖性とは<法>の遵守ではなく(そもそも、こうしたことこそ キリスト教が、新しい<法>の中への旧い<法>の止揚と考えるものです)、信へと送り宛てられたものへの 開放性、予告への、他者の言葉への開放性なので」あり、ナンシーが括弧の中で示唆するように、この点こそ、パウロがローマ人への書簡の 中で主題としたことそのもの、だがジッドが牧師とともに、読み取ることはおろか、それ自体をキリスト教ではないとして拒んだものではないか。
16.
第二の手帖5月3日の日記に出てくる、フィヒテの講演への参照。Est-ce trahir le Christ, est-ce diminuer, profaner l’Évangile que d’y voir surtout une méthode pour arriver à la vie bienheureuse? ここでイタリックになっている部分は、フィヒテの Die Anweisung zum seligen Leben, oder auch die Religionslehre (1806)のタイトルをいわば借用してきたことを告げているように 思われる。フィヒテ講演の方の邦訳題名は「浄福なる生への指教」「浄福なる生への導き」などだが、それを利用している 「田園交響楽」の翻訳は皆無だし、注釈をつけている翻訳においても、上記のイタリックがフィヒテの講演への参照であるという 注釈は見当たらない。だが、フィヒテの哲学上の立場、生涯における出来事を思い起こせば、牧師がここで言及するのは 決して不自然ではない。フィヒテは『あらゆる啓示批判の試み』(Versuch einer Kritik aller Offenbarung)でカントの実践理性批判 に依拠して宗教について論じることから哲学者としてのキャリアを開始し、イエナにて1799年に、神概念のあり方をめぐり、 無神論論争 (Atheismusstreit) を引き起こし、無神論者と見做されてイエナを去ってベルリンに移ることになる。 「浄福なる生への指教」は1801年が分岐点とみなされるフィヒテ後期の講演の一つなのだが、絶対者が概念上優位を占めるように なるとされる後期フィヒテにおいても、その神はキリスト教の神とは異なったものであり、浄福なる生に到達するための方法 (méthode pour arriver à la vie bienheureuse)もまた、正統的なキリスト教のそれとは異なったものにならざるをえない。 ところで「田園交響楽」に関して興味深いのは、Die Anweisung zum seligen Leben, oder auch die Religionslehre の講演が 行われた時期が、まさにベートーヴェンの中期に重なることである。第6交響曲の初演は1808年。ベートーヴェンがカント哲学に 関心を持ち、宗教に関してもドイツ観念論に近い考え方を持っていたことが知られている。アドルノはベートーヴェンの音楽と ヘーゲル哲学をしばしば突き合わせるが、そうした文脈の中でこの参照を捉えれば、ジッド自身は若き日の滞在の時期、 ショパンよりバッハが相応しいと母宛書簡で語っているスイスの山中の村を舞台にするこの物語とベートーヴェンの第6交響曲との 結び付きを考える、単なる言葉遊び以上のものがあることを示唆しているものと考えることができるだろう。
17.
ジェルトリュードが、ドストエフスキーの「白痴」においてムイシュキンの語るマリアを介して(というのもマリアの話は偶々スイスであり、 田園交響楽もまたそうだという接点もまた存在するからだが)、ナスターシャのようにトーツキーに引き取られたとしたらどうだろうか。 ジェルトリュードはトーツキーに辱められる前に身投げをしたナスターシャなのだという見方はできないだろうか?逆にジェルトリュードが一命を 取り留めたら、ナスターシャのようになったのではないか。(身投げの可能性をナスターシャが語っていたことを思い起こそう。) だとしたら、人によっては不可解な「顔」に纏わるジェルトリュードの発言もごく自然に理解できるだろう。ジェルトリュードはそこにムイシュキンを 見出すだろうと思っていたが、実際に現れたのはトーツキーだったのだ。 そしてムイシュキンを彼女はそれとは気づかずに拒んでしまっていたことに気付いたに過ぎない。これは慰めの村で終わってしまったナスターシャの 物語なのだ。(M嬢の家こそ、慰めの村の対応物でなくてなんだろう。)「白痴」がいわば問題を最も先鋭的なかたちで提起しながら、 解答がわかりやすい形では提示されておらず、暗示的なものに留まっているのと同様、この作品も、問題の在り処を先鋭的なかたちで 提起してはいるが、解答はやはり暗示的なかたちで示唆されているだけだ。ここでも両者は共通している。ただし、「白痴」に対する 「カラマーゾフの兄弟」の対応物は、ここにはない。なぜなら、ジッドのベクトルはドストエフスキーとは逆を向いていて、キリスト教は そこから身を振り解く対象であったから。逆さに映りこんだ形で、前作の「狭き門」が浮びあがる。ジッドの不毛はこうした構造に はっきりと刻印されてしまっている。田園交響楽は結局ジッドがどこにも辿り着くことなく砂漠を彷徨うばかりであることを示している。
18.
もう一つの偶然の一致。ジェルトリュードとナスターシャの両方を演じた女優が実は日本にいる。原節子だ。もっとも原作とは逆に、 原節子はジェルトリュードを演じた後にナスターシャを演じているのだが。これは原節子のステロタイプ的なイメージからすれば意外だが、 黒澤の「白痴」を評価し、そこでの原節子の演技を評価するのであれば、出来すぎた符合という他ない。
19.
だが、例えばジャン・ドラノワの映画の結末をもって、ジッドの「田園交響楽」の解説とする(しかもそれがジッドの作品の持つ多義性とやらを 口実になされたりする)人間が自ら作家を自称するのを見れば絶句せざるを得なくなる。ドラノワの作品は、原作であるジッドのそれとは まずは全く別の作品であると考えるべきだ。主要な登場人物の人間関係がかくまで改変され、原作にない場面が夥しく追加されてしまえば、 ある行為の持つ意味は、その文脈の違いに応じて全く異なったものに変質する。もっとも、それは映画作品自体の評価とは全く別の問題だ。 寧ろ映画は、「雪」で始まったジッドの原作が「砂漠」の語で終わるのを裏切って、水辺に終結の場を持ってくることによって、牧師の到達した 地点が、ジッドの原作のそれとは全く異なった位相であることを正確に告げている。そしてそれは映画自体の筋書きの帰結としては別段 不自然なわけではない。ここにはカトリックへの改宗もなく、従ってジェルトリュードの自殺の持つ意味もまた異なってくる。ジャックには許婚が別に居て、 カラマーゾフの兄弟の構図の一部を借りたような物語に変質している。同じ素材によって構築しうる可能性として、これはこれで一貫した 方向性なのだが、いずれにしてもジッドの「田園交響楽」とは全く別の作品であると考えるべきなのだ。それが端的に示されるのは、 「手帖」のあり方の逆転だろう。映画の映像が提示する現在の系列の中で、「手帖」は、過去の出来事を回顧する物語の記述の枠、 口実ではなく、(実際にはジッドの物語の冒頭で牧師がそう宣言した筈の)ジェルトリュードの養育日記と化している。 そして、原作の第二の手帖の時点に至って、ドラノワの映画の牧師は最早手帖を書くことはない。手帖はジッドの物語の枠に過ぎないから、 映像という別のメディアに依拠するドラノワが、その枠をあっさり放棄するのは当然だが、皮肉にもそうすることで手帖に本来の役割を与えることに なっている。
20.
別の参照点。ジェルトリュードの描写する仮想的な風景には、ベートーヴェンの「田園交響曲」が惹き起こした共感覚のこだまが感じられる。 ジッドの「田園交響楽」は音と色彩の対応について、共感覚について語られている小説だ。具体的な対応規則の妥当性はとりあえず置くとして、 ここでは音楽が問題になっている。盲目のオルガン弾きは多いが、視力を恢復し、自ら命を絶った彼女はオルガニストにはなれなかったにせよ、 ここで音楽と色彩が問題になっていることは、三輪眞弘の作品「369」への補助線をひくことを可能にするかに見える。参照されるコンディヤックから、フランスにおける もう一人の盲人の物語の作者であるディドロへの折り返しはどうだろうか?そして、盲人は啓蒙主義的には、人間の認識の相対性を、更にはそうした 認識の相対性に制約された価値論的なシステム(要するに倫理や宗教など)の相対性を証明する事例として考えられていたという点を 思い浮かべてもいいだろう。
Il y a derrière nous, au-dessus et autour de nous, les grands sapins, au goût de résine, au tronc grenat, aux longues sombres branches horizontales qui se plaignent lorsque veut les courber le vent. À nos pieds, comme un livre ouvert, incliné sur le pupitre de la montagne, la grande prairie verte et diaprée, que bleuit l’ombre, que dore le soleil, et dont les mots distincts sont des fleurs – des gentianes, des pulsatilles, des renoncules, et les beaux lys de Salomon – que les vaches viennent épeler avec leurs cloches, et où les anges viennent lire, puisque vous dites que les yeux des hommes sont clos. Au bas du livre, je vois un grand fleuve de lait fumeux, brumeux, couvrant tout un abîme de mystère, un fleuve immense, sans autre rive que, là-bas, tout au loin devant nous, les belles Alpes éblouissantes…
私見では、寧ろメシアンによる風景の音楽化の方がより近いように感じられる。ここでメシアンが共感覚の持ち主であり、色彩と 音楽の間を往来することのできただけでなく、それの経験を実際に数多くの作品の中に定着させていることを思い起こしてもいいだろう。 それは現実に比べて遥かに色彩に富み、時間の流れ方も独特なものに変容する。現実の時間性の持つ、推移の受動性は希薄になり、生成の過程の力動が 支配的となる結果、恰も永遠の現在が出現するかのような印象が生じる。まるでパネルに描かれたような静的で垂直に 屹立する瞬間。そこにある書物の比喩に注目するとともに、ジッドが好んだ小説手法である中心紋(mise en abyme)、 「田園交響楽」という作品のmicro-texteとして解釈したA.Gouletの分析を安田が紹介しているが、これは安田の評価の通り、 非常に説得力があるものだ。
21.
だが、それと同時に、ジッドがもしかしたら気付かなかった位相があることを見過ごすわけにはいかないだろう。 ここでは盲目性が問題になっており、聴覚による視覚への代補が問題になっている。 一方で、タイトルにさえなっている「田園交響楽」は、聴覚に障害を負ってしまい、遺書までしたためた人間の書いた音楽なのだ。 ベートーヴェンは自分の中を流れる音楽と外界に鳴り響く音の間に横たわる深淵を覗き込んで、その上でこの作品を書いたのだ。 ジッドの研究サイドでは、どうしてこの点を取り上げないのか。
いや、それ以前にそもそも、ジッドは盲目性そのものをまずきちんと扱えているのかどうかを まず問うべきだろう。器質的な視覚のハンディキャップに対する無理解は、そのままイエスの奇跡の意義や重みに対する(それこそ、ジッドと 牧師お気に入りの、頭で考えたのではない)受け止め方の限界と結びついているのではないかという点を問うべきだろう。端的に言えば ここでは文章で表現をする人間の、書き手の依拠する媒体に制約された限界を、認識の限界を、己の器官の可視領域と解像度に基づく歪みを 忘れて、恰も対象自体の状態がそうであるかに読み手に受け取られてしまいかねない点が問題なのだ。厳密に言えば、言葉の媒介を介して 視覚に翻訳可能である限りのジェルトリュードは恰も存在していないかの如くなのであり、自分の認識の盲点に勝手にタブララサを、 ルソー的な自然状態を仮構しているに過ぎないのではないか。否、牧師が最初に手帖を書こうと思った動機は、まさに、恩寵を記録し、遺すことで あったのであって、最初の意図は正しかったのだ。では、どこがいけなかったのか?どこから過誤が入り込んだのか?実は問うべきはその部分に あるのではないか?作者ジッドの次元においても、もともとの若き日の執筆動機は何で、それが何の力によってどう歪められていったのかを 追跡し、だがこのように遺され、読み継がれている事実を、そうした力学の中で記述してやらなくてはならないのではないか?
こうした観点から映画化された作品とジッドの原作の違いをもう一度検討してみると、媒体の相違に起因するものは、物語自体が内容的に視覚・聴覚といった 感覚を素材としているが故に、他の作品の映画化よりも本質的なものとなっていると考えるべきであるという点がすぐさま明らかになる。 映画は言語を媒介することなく、直接、視覚と聴覚を利用することができる一方で、触覚はそれを一般には視覚、遥かに限定された仕方での聴覚を 経由した間接的な仕方でしか表現できない。ドラノワの映画は、オーリックの音楽を用いることで、ベートーヴェンへの参照を避ける一方(だからヌーシャテルの 「田園交響楽」のコンサートは全く登場しないし、モノクロ映画という制約ゆえか、色彩と音色の共感覚もまた取り上げられない)、物語中の会話は 聴覚によって普通に再現されてしまう(それが盲人との対話であることに聴いているだけでは気付かない)から、ジェルトリュードの視覚のハンディキャップを 視覚的に提示せざるを得ない。だが他方で、彼女が聴覚をどのように代補として用いているのかの提示を映画がすることは困難だ。 せいぜいが、目ではなく耳を注意の対象に向ける様の提示くらいしか手段は用意されていない。そこで前面に出るのは、触覚による代補の側面となる。 原作にはない、躓きながら外を歩く場面もそうだが、最も決定的なのは、視覚を獲得した彼女が、同じ年頃の女性の友人達に囲まれて、相手を同定するように求められたとき、 それまで用いていた触覚に頼って正確に同定してみせるという、原作には全くない、だが科学的には全く妥当なシーンだろう。勿論、視覚を獲得する以前において、彼女を 原点においた展望を提示するショットは注意深く避けられるから、いきおい作品のほとんどにおいて、彼女は外部の視点からのみもっぱら写されることになる。
更には、視覚を奪われた人間にとっては、そもそも映画という媒体そのものが意味を成さなくなる点にも留意しよう。要するに、映画というのは本質的に、 ジェルトリュードの立場に立った世界の展望を映し出すことが不可能な媒体なのである。視覚を獲得する以前のジェルトリュード自身が映画を見ることは、 文字通り不可能であり、聴覚的な伝達は可能であっても、触覚による代補は媒体の制約上不可能であって、映画という媒体の方が、ハンディキャップを 負っているという言い方すらできるだろう。
だがそれでは、ジッドの物語の方はどうか?点字の書物であれば、ジェルトリュード自身が、この牧師の日記を読むことはできる。実際、映画には 指先で字を追うジェルトリュードを写すショットもきちんと用意されているのだ。だが、にも関わらず、ジッドの作品は、聴覚との共感覚という脆弱な媒介に 依拠した想像上の視覚の世界にばかり夢中になっていて、ジェルトリュードの現実には関心がないかのようだ。牧師は(そして作者ジッドは)、最初に そう宣言してみたものの、実際にはジェルトリュードの成長の記録にはほとんど興味がないかのようで、成長の過程は、それが他の事例と比べて変わる ところがないという理由であっさり割愛されてしまう。映画では「手帖」は何冊にもなり、彼女の成長の同時的な観察記録として設定されているのに対し、 ジッドの物語の牧師は、雪が降って生じた閑暇によって遅ればせの記録をすべく回想を始めるが、所詮、関心がないものを覚えているわけがない。 ジッド自身、そうした側面には関心がなく、大した取材も調査もしなかったのかも知れない。
勿論、触覚に纏わる描写がないわけではないのだが、実際には アメリーやジャックに対する触覚的・身体的コミュニケーションの方が寧ろクローズアップされているかの印象すら抱きかねないほどで、 ジェルトリュードが盲人であるということが持つであろう、コミュニケーションにおける各感覚の配分や重要性の相違といった点は、全く無視されている。 本当の意味での器質的なハンディキャップなどジッドにとってはどうでも良いことのようにしか見えない。ドラノワの映画は、映画という媒体自体の制限から、 器質的なハンディキャップに対して無力であり、その反面、器質的なハンディキャップを外部から描写することについては寧ろ徹底せざるを得ないのに対し、 ジッドの物語は、器質的なハンディキャップになど関心はなく、主な代補となるはずの触覚は全く無視し、聴覚もそれ自体ではなく、共感覚を経由した 視覚の虚像を文章によって描き出すことにしか関心を示さない。要するにここでは共感覚は、そうしたジッドのいわば偏向の隠れ蓑として利用されている だけに見える。「田園交響楽」と題されてはいても、この物語は視覚の優位を暗黙の前提とした構造を持っていて、視覚の欠如については、 (聖書的な比喩を経由しつつ)ルソー的なパラダイスの状態にすり替えてしまうのだ。ジェルトリュードが語るとされるけばけばしいばかりの虚構の楽園の風景は、 本当に彼女が語ったものなのだろうか。それは牧師がでっちあげ、彼女に押し付けたもの、まさに聖書の恣意的な読解に基づく検閲によって、現実に対する 己の盲目を彼女に押し付けて破滅に追いやった、モラルの上での過失と構造的に対応する、彼が彼女に押し付けた風景ではないのか。
22.
生まれながらに盲目であった人間が視覚を得たときに何が起こるかという問題について直ちに思い浮かぶのは、ジョン・ロックが「人間悟性論」第2版 (John Locke, "An Essay Concerning Humane Understanding", 2nd ed., 1694)で取り上げている 問題、「手で立方体と球体を識別することを学んだ生まれつき盲人であった者が視力を得たとき、触覚に頼らずに両者の判別が可能か」という問いだが、 これはもともとロックの友人であり、妻が盲人であったウィリアム・モリヌーの提起した問題であった。これは「モリヌー問題」あるいは「モリヌーク(ス)問題」として 知られている、18世紀の哲学(認識論)論争上著名なもので、その後も、ライプニッツ、バークリーによってもとりあげられ、ジッドがその名前とこれまた 著名な「感覚論」での思考実験への言及をしているコンディヤックも取り上げているのだ。一般には、知覚認識は経験からくるとするロックとバークリーは視力を得たばかりの 盲人は二つの物体を識別できないとし、幾何学的な認識は経験にはよらないとするライプニッツは盲人は物体を識別できると考え、これがいわゆる経験論と 合理論の対立を示すものと説明されることが多いが、実際の議論はもう少し錯綜としており、例えばコンディヤックは最初にこの問題を扱った 「人間認識起源論」において、後の「感覚論」におけるような経験論的な立場を必ずしも徹底していないが、それ以上に、実在形象と観念を結びつける以前に、 まず様々のものを識別すること自体にある習熟が必要なことを示唆している点が興味深い。結局のところ、既に経験として保持している触覚に基づく空間の認知と、 開眼後に新たに遭遇した色彩と明るさと形態の奥行きのない混沌とを結びつける課題に取り組まないといけないというのは、決して間違ってはいないのだ。
ジョージ・バークリーにはその名もずばり「視覚の新理論」(George Berkeley, "An Essay Towards a New Theory of Vision", 1709)という著作があり、 そこではロックの議論を引き継いで、触覚の世界と視覚の世界が必ずしも(つまりア・プリオリには) 関連していないという結論が述べられている。両者のカップリングが経験的に確立されるものだとバークリーは考えているのだが、この結論があくまでも思弁的に 導出されたものであったのに対して、1729年にはバークリーの結論が実地で裏付けられることになる。 13歳の白内障の少年が手術によって視覚を得たとき、最初は少年には距離、広がり、大きさの認識ができず、新たに得られた視覚的経験を触覚的認識と 結びつけることによって、徐々に視覚的認識を獲得していったのである。そしてそれらを踏まえて論争に一応の決着をつけたとされるのが、有名なディドロの 「盲人書簡」(Denis Diderot , "Lettre sur les aveugles à l’usage de ceux qui voient", 1749)であるとされているが、ジッドは何故かこれを無視している。
念のため事実関係を明らかにしておくと、ロックにウィリアム・モリヌー(モリヌークス)が手紙を書いたのは、1693年3月2日のことであり、ロックは 1694年刊の「人間悟性論」第2版の第2巻第9章「知覚について」で以下のように取り上げている。
To which purpose I shall here insert a problem of that very ingenious and studious promoter of real knowledge, the learned and worthy Mr. Molineux, which he was pleased to send me in a letter some months since; and it is this:—"Suppose a man BORN blind, and now adult, and taught by his TOUCH to distinguish between a cube and a sphere of the same metal, and nighly of the same bigness, so as to tell, when he felt one and the other, which is the cube, which the sphere. Suppose then the cube and sphere placed on a table, and the blind man be made to see: quaere, whether BY HIS SIGHT, BEFORE HE TOUCHED THEM, he could now distinguish and tell which is the globe, which the cube?" To which the acute and judicious proposer answers, "Not. For, though he has obtained the experience of how a globe, how a cube affects his touch, yet he has not yet obtained the experience, that what affects his touch so or so, must affect his sight so or so; or that a protuberant angle in the cube, that pressed his hand unequally, shall appear to his eye as it does in the cube."—I agree with this thinking gentleman, whom I am proud to call my friend, in his answer to this problem; and am of opinion that the blind man, at first sight, would not be able with certainty to say which was the globe, which the cube, whilst he only saw them; though he could unerringly name them by his touch, and certainly distinguish them by the difference of their figures felt. This I have set down, and leave with my reader, as an occasion for him to consider how much he may be beholden to experience, improvement, and acquired notions, where he thinks he had not the least use of, or help from them. And the rather, because this observing gentleman further adds, that "having, upon the occasion of my book, proposed this to divers very ingenious men, he hardly ever met with one that at first gave the answer to it which he thinks true, till by hearing his reasons they were convinced."
ロックの「人間悟性論」への応答として書かれたライプニッツの『人間悟性新論』(Gottfried Wilhelm Leibniz, "Nouveaux Essais sur l’entendement humain", 執筆は1701~3だが、出版は1765年であるため、直接には論争には寄与しなかった)での解答は、 De la perceptionの章の以下の部分である。
THÉOPHILE. Il me faudrait donner du temps pour méditer cette question, qui meparaît assez curieuse : mais puisque vousmepressez de répondre sur-le-champ, je hasarderai de vous dire entre nous que je crois que, supposé que l’aveugle sache que ces deux figures qu’il voit sont celles du cube et du globe, il pourra les discerner, et dire sans toucher : Ceci est le globe, ceci le cube.
PHILALÈTHE. J’ai peur qu’il ne vous faille mettre dans la foule de ceux qui ont mal répondu à M.Molineux. Car il a mandé dans la lettre qui contenait cette question que, l’ayant proposée à l’occasion de l’essai de M. Locke sur l’Entendement à diverses personnes d’un esprit fort pénétrant, à peine en a-t-il trouvé une qui d’abord lui ait répondu sur cela comme il croit qu’il faut répondre, quoiqu’ils aient été convaincus de leur méprise après avoir entendu ses raisons. La réponse de ce pénétrant et judicieux auteur est négative : car (ajoute-t-il), bien que cet aveugle ait appris par expérience de quelle manière le globe et le cube affectent son attouchement, il ne sait pourtant pas encore que ce qui affecte l’attouchement de telle ou telle manière doive frapper les yeux de telle ou telle manière, ni que l’angle avancé d’un cube, qui presse sa main d’une manière inégale, doive paraître à ses yeux tel qu’il paraît dans le cube. L’auteur de l’essai déclare qu’il est tout à fait du même sentiment.
THÉOPHILE. Peut-être que M. Molineux et l’auteur de l’ Essai ne sont pas si éloignés de mon opinion qu’il paraît d’abord, et que les raisons de leur sentiment contenues apparemment dans la lettre du premier, qui s’en est servi avec succès pour convaincre les gens de leur méprise, ont été supprimées exprès par le second pour donner plus d’exercice à l’esprit des lecteurs. Si vous voulez peser ma réponse, vous trouverez, Monsieur, que j’y ai mis une condition qu’on peut considérer comme comprise dans la question, c’est qu’il ne s’agisse que de discerner seulement, et que l’aveugle sache que les deux corps figurés qu’il doit discerner y sont, et qu’ainsi chacune des apparences qu’il voit est celle du cube ou celle du globe. En ce cas il me paraît indubitable que l’aveugle qui vient de cesser de l’être les peut discerner par les principes de la raison, joints à ce que l’attouchement lui a fourni auparavant de connaissance sensuelle. Car je ne parle pas de ce qu’il fera peut-être en effet et sur-le-champ, étant ébloui et confondu par la nouveauté ou d’ailleurs peu accoutumé à tirer des conséquences. Le fondement de mon sentiment est que dans le globe il n’y a pas de points distingués du côté du globe même, tout y étant uni et sans angles, au lieu que dans le cube il y a huit points distingués de tous les autres. S’il n’y avait pas ce moyen de discerner les figures, un aveugle ne pourrait pas apprendre les rudiments de la géométrie par l’attouchement. Cependant nous voyons que les aveugles-nés sont capables d’apprendre la géométrie, et ontmême toujours quelques rudiments d’une géométrie naturelle, et que le plus souvent on apprend la géométrie par la seule vue, sans se servir de l’attouchement, comme pourrait et devraitmême faire un paralytique ou une autre personne à qui l’attouchement fût presque interdit. Et il faut que ces deux géométries, celle de l’aveugle et celle du paralytique, se rencontrent et s’accordent et même reviennent aux mêmes idées, quoiqu’il n’y ait point d’images communes. Ce qui fait encore voir combien il faut distinguer les images des idées exactes, qui consistent dans les définitions. Effectivement ce serait quelque chose de fort curieux et même d’instructif de bien examiner les idées d’un aveugle-né, d’entendre les descriptions qu’il fait des figures. Car il peut y arriver, et il peut même entendre la doctrine optique, en tant qu’elle est dépendante des idées distinctes et mathématiques, quoiqu’il ne puisse pas parvenir à concevoir ce qu’il y a de clair-confus, c’est-à-dire l’image de la lumière et des couleurs.
ついでバークリーの「視覚の新理論」の第100節および第128節の一部および135節。バークリーは狭義のモリヌーが提示した問題を超えて、 一般に距離、大きさ、位置、事物の同定、運動などの知覚について問題にしている。
100. I know we are very prone to think that, if just made to see, we should judge of the situation of visible things as we do now: but we are also as prone to think that, at first sight, we should in the same way apprehend the distance and magnitude of objects as we do now: which hath been shown to be a false and groundless persuasion. (...)
128. (...) But it has been, if I mistake not, clearly made out that a man born blind would not at first reception of his sight think the things he saw were of the same nature with the objects of touch, or had anything in common with them; but that they were a new set of ideas, perceived in a new manner, and entirely different from all he had ever perceived before: so that he would not call them by the same name, nor repute them to be of the same sort with anything he had hitherto known.
135. I cannot let go the above-mentioned problem without some reflexion on it. It hath been evident that a man blind from his birth would not, at first sight, denominate anything he saw by the names he had been used to appropriate to ideas of touch, VID. sect. 106. Cube, sphere, table are words he has known applied to things perceivable by touch, but to things perfectly intangible he never knew them applied. Those words in their wonted application always marked out to his mind bodies or solid things which were perceived by the resistance they gave: but there is no solidity, no resistance or protrusion, perceived by sight. In short, the ideas of sight are all new perceptions, to which there be no names annexed in his mind: he cannot therefore understand what is said to him concerning them: and to ask of the two bodies he saw placed on the table, which was the sphere, which the cube? were to him a question downright bantering and unintelligible; nothing he sees being able to suggest to his thoughts the idea of body, distance, or in general of anything he had already known.
ついでだから、ジッドが皮相な(しかも、ほとんど実質を伴わない)言及をしているコンディヤックの主張を見てみよう。 1746年に刊行された処女作「人間認識起源論」(Étienne Bonnot de Condillac, "Essai sur l’origine des connaissances humaines", 1746)第一の手帖第6章 "DE QUELQUES JUGEMENTS QU’ON A ATTRIBUÉS À L’ÂME, SANS FONDEMENT, OU SOLUTION D’UN PROBLÈME DE MÉTAPHYSIQUE." において、以下のように述べているのである。
Cet aveugle s’est formé des idées de l’étendue, des grandeurs etc., en réfléchissant sur les différentes sensations qu’il éprouve, quand il touche des corps. Il prend un bâton dont il sent que toutes les parties, ont une même détermination ; voilà d’où il tire l’idée d’une ligne droi-te. Il en touche un autre, dont les parties ont différentes détermina-tions, en sorte que si elles étaient continuées, elles aboutiraient à diffé-rents points ; voilà d’où il tire l’idée d’une ligne courbe. De là il passe à celles d’angle, de cube, de globe et de toutes sortes de figures. Telle est l’origine des idées qu’il a sur l’étendue. Mais il ne faut pas croire qu’au moment qu’il ouvre les yeux, il jouisse déjà du spectacle que produit dans toute la nature ce mélange admirable de lumière et de couleur. C’est un trésor qui est renfermé dans les nouvelles sensations qu’il éprouve ; la réflexion peut seule le lui découvrir et lui en donner la vraie jouissance. Lorsque nous fixons nous-mêmes les yeux sur un tableau fort composé, que nous le voyons tout entier, nous ne nous en formons encore aucune idée déterminée. Pour le voir comme il faut, nous sommes obligés d’en considérer toutes les parties les unes après les autres. Quel tableau, que l’univers, à des yeux qui s’ouvrent à la lumière pour la première fois !
Je passe au moment où cet homme est en état de réfléchir sur ce qui lui frappe la vue. Certainement tout n’est pas devant lui comme un point. Il aperçoit donc une étendue en longueur, largeur et profondeur. Qu’il analyse cette étendue, il se fera les idées de surface, de ligne, de point et de toutes sortes de figures : idées qui seront semblables à cel-les qu’il a acquises par le toucher ; car, de quelque sens que l’étendue vienne à notre connaissance, elle ne peut être représentée de deux ma-nières différentes. Que je voie ou que je touche un cercle et une règle, l’idée de l’un ne peut jamais offrir qu’une ligne courbe, et celle de l’autre qu’une ligne droite. Cet aveugle-né distinguera donc à la vue le globe du cube, puisqu’il y reconnaîtra les mêmes idées qu’il s’en était faites par le toucher.
ついでコンディヤックの「感覚論」(1754)の第3部第4章 "Pourquoi on est porté à attribuer à la vue des idées qu’on ne doit qu’au toucher. Par quelle suite de réflexions on est parvenu à détruire ce préjugé" におけるこれらの問題に関する総括を見てみよう。
モリヌー(およびロック)に対するコメント。
Molyneux, en proposant un problème qui a donné occasion de dé-velopper tout ce qui concerne la vue, paraît n’avoir saisi qu’une partie de la vérité. (...) D’ailleurs, ils (=Molyneux et Locke :引用者注) auraient dû raisonner sur les distances, les situations et les grandeurs, comme sur les figures ; et conclure, qu’au moment où un aveugle-né ouvrirait les yeux à la lumière, il ne jugerait d’aucune de ces choses.
バークリーに対するコメントおよびこの問題に関するコンディヤックのまとめは以下の通りである。
Le docteur Barclay est le premier qui ait pensé que la vue par elle-même ne jugerait d’aucune de ces choses.
Une autre conséquence qui n’aurait pas dû échapper à Locke, c’est que des yeux sans expérience, ne verraient qu’en eux-mêmes la lumiè-re et les couleurs ; et que le tact peut seul leur apprendre à voir au-dehors.
Enfin, Locke aurait dû remarquer qu’il se mêle des jugements dans toutes nos sensations, par quelque organe qu’elles soient transmises à l’âme. Mais il dit précisément le contraire.
Tout cela prouve qu’il faut bien du temps, bien des méprises et bien des demi-vues, avant d’arriver à la vérité. Souvent on est tout au-près, et on ne sait pas la saisir.
最後に(哲学上の)論争の一応の終止符を打ったとされるディドロの「盲人書簡」の当該部分を見てみることにしよう。ちなみに、コンディヤックは このディドロの「盲人書簡」を受けて、1754年に、著名な人形の思考実験の形式による「感覚論」を執筆することになる。また、ディドロの文章中にある 「Cheseldenの有名な実験」というのは、既に上で触れた、1729年にイギリス人医師が行った13歳の白内障の少年の開眼手術後の実験のことである。 当時フランスでは既にヴォルテール等の紹介により人口に膾炙していたらしい。
La question de l’aveugle-né, prise un peu plus généralement que M. Molineux ne l’a proposée, en embrasse deux autres que nous allons considérer séparément. On peut demander : 1° si l’aveugle-né verra aussitôt que l’opération de la cataracte sera faite ; 2° dans le cas qu’il voie, s’il verra suffisamment pour discerner les figures ; s’il sera en état de leur appliquer sûrement, en les voyant, les mêmes noms qu’il leur donnait au toucher ; et s’il aura la démonstration que ces noms leur conviennent.
(...)
On ajoute à ces raisonnements les fameuses expériences de Cheselden. Le jeune homme à qui cet habile chirurgien abaissa les cataractes ne distingua, de longtemps, ni grandeurs, ni distances, ni situations, ni mêmes figures. Un objet d’un pouce mis devant son oeil, et qui lui cachait une maison, lui paraissait aussi grand que la maison. Il avait tous les objets sur les yeux ; et ils lui semblaient appliqués à cet organe, comme les objets du tact le sont à ma peau. Il ne pouvait distinguer ce qu’il avait jugé rond, à l’aide de ses mains, d’avec ce qu’il avait jugé angulaire ; ni discerner avec les yeux si ce qu’il avait senti être en haut ou en bas, était en effet en haut ou en bas. Il parvint, mais ce ne fut pas sans peine, à apercevoir que sa maison était plus grande que sa chambre, mais nullement à concevoir comment l’oeil pouvait lui donner cette idée. Il lui fallut un grand nombre d’expériences réitérées pour s’assurer que la peinture représentait des corps solides : et quand il se fut bien convaincu, à force de regarder des tableaux, que ce n’étaient point des surfaces seulement qu’il voyait, il y porta la main, et fut bien étonné de ne rencontrer qu’un plan uni et sans aucune saillie : il demanda alors quel était le trompeur, du sens du toucher ou du sens de la vue. Au reste, la peinture fit le même effet sur les sauvages, la première fois qu’ils en virent : ils prirent des figures peintes pour des hommes vivants, les interrogèrent, et furent tout surpris de n’en recevoir aucune réponse : cette erreur ne venait certainement pas en eux du peu d’habitude de voir.
(...)
Il faut donc convenir que nous devons apercevoir dans les objets une infinité de choses que l’enfant ni l’aveugle-né n’y aperçoivent point, quoiqu’elles se peignent également au fond de leurs yeux ; que ce n’est pas assez que les objets nous frappent, qu’il faut encore que nous soyons attentifs à leurs impressions ; que, par conséquent, on ne voit rien la première fois qu’on se sert de ses yeux ; qu’on n’est affecté, dans les premiers instants de la vision, que d’une multitude de sensations confuses qui ne se débrouillent qu’avec le temps et par la réflexion habituelle sur ce qui se passe en nous ; que c’est l’expérience seule qui nous apprend à comparer les sensations avec ce qui les occasionne ; que les sensations n’ayant rien qui ressemble essentiellement aux objets, c’est à l’expérience à nous instruire sur des analogies qui semblent être de pure institution : en un mot, on ne peut douter que le toucher ne serve beaucoup à donner à l’oeil une connaissance précise de la conformité de l’objet avec la représentation qu’il en reçoit ;
ディドロがここで述べていることは、当時の実証的な実験観察の結果に基づいている。のみならず、ディドロが引用の冒頭で述べる2種の問題の区別は、 その後の研究によって適切なものであることがわかっているのである。 そしてそうした実証はその後、ジッドが「田園交響楽」を執筆している時代を経て今日に至るまで、積み重ねられてきているのである。既に上記の引用から 伺えるように、この一見単純そうに見える問題は、幾つもの非常に実証も困難なら、理論構成も難しい、興味深い問題を内部に抱えており、 今日でも、視覚心理学、認知科学、神経科学、ロボット工学といった分野の研究の対象で在り続けている。バークリーの著作が、当時急速に発達しつつ あった視覚に関する機械の刺激を受けて書かれたことを考えれば、問題意識は今日に至るまで一貫しているというように考えることもできるだろう。 下條が述べるように、今日に至るまでの科学的研究の結論は、「モリヌークスの問題」はそもそも不良設定問題であるというものであるとしても(だからこそ、ジッドの 物語の第二部は全くリアリティを欠いているのだが)、類似の問題についての研究は精力的に行われているのだ。 近年では、後にフレディーというロボットを開発することになるリチャード・グレゴリーの視覚研究が著名であろう。そこでは視覚のみならず、クロスモダリティー、 つまり異なる感覚領域による感覚の統合を行う能力の問題についても扱われているが、これが古くて新しい問題であることは、上記の引用によって明らかだろう。
23.
ジッドは、医師マルタンにこうした文脈を、"Ne t’en souviens-tu pas ? Du temps que nous faisions ensemble notre philosophie, nos professeurs, à propos de Condillac et de sa statue animée, nous entretenaient déjà d’un cas analogue à celui-ci…" などと一言で済まさせてしまうように仕組むのであれば、せめてその内容の、思弁はおいても、実証的な事実だけでも 踏まえた上でやるべきだったのではないか。盲人の視覚に関するこのレベルの理解に基づいて聖書の盲人を扱った章句の自由解釈を展開することは、 彼が出発点としているはずの、更には牧師が属している筈の、プロテスタントの自由主義的立場の持つ、科学的な認識と信仰との折り合いをつけようとする 苦衷を、まさに無知と盲目に基づいて嘲笑することに他ならないではないか。
だが、留意すべきは、そうした蓄積を知ってか知らずか、過去のそうした報告の繰り返しになってしまうことを口実に、牧師にジェルトリュードの成長を記録するという当初の 目論見を放棄させている20世紀の文学者ジッドよりは、18世紀の経験論者、啓蒙主義の哲学者達の方がよほど実証的で、現実に起きていることに対して 謙虚な姿勢を保っていることである。ジッドは牧師と医師マルタンの 対話の後、翌日の日記では既に、"Mais je crois inutile de noter ici tous les échelons premiers de cette instruction qui, sans doute, se retrouvent dans l’instruction de tous les aveugles."と言って、そうした実証を繰り返すことを今更やっても仕方ないように扱っているが、 そのくせ全体としては、そうやって素通りした思弁や実験の結果得られた結論をほとんど全く無視した、実証的には出鱈目に過ぎない内容の小説を書いているのだ。 コンディヤックの名こそ参照されてはいても、彼の「人間認識起源論」や「感覚論」を読んでいないことは 明らかだし、ディドロの「盲人書簡」一つまともに読んでおらず、科学的である以前に、哲学的な素養すら欠いているのは一目瞭然である。 人によっては、コンディヤックが参照されるマルタンと牧師の会話の部分を読んで、或る種の思想上の詐欺、哲学の濫用を感じ取り、 更にその後の展開を読んで、或る種の「知の欺瞞」であると受け止めるかも知れないし、「田園交響楽」を(それが如何なる正統的な信仰とも 異質であることはおいて)、或る種の(似非)宗教的原理主義(ただし原理主義の方は似非ではない)の如き科学嫌悪を表明したプロパガンダと とることがあっても不思議はないだろう。(こうした事実を知ると、「アンドレ・ワルテルの手記」や「狭き門」での夥しい哲学的著作の引用、参照もまた、 単なる虚仮脅しの類であって、ジッドはそれらが持っている重み、彼が否定しようとしたものの重みを、キリスト教神学の場合と同様、全く理解できて いなかったのではないかという疑いさえ抱きたくなる。彼はアリサに、マールブランシュや、ライプニッツのクラーク宛書簡まで読ませているのだが、、、)
24.
リチャード・グレゴリーがMirrors in Mind(邦題「鏡という謎」)で紹介している日本における開眼手術後の鏡映像認知に関する実験事例によれば、認知がもっとも困難なものは、 自分の鏡映像であったが、これは、他者の身体のなかで認知が一番容易な部分は洋服であり、次いで容易なのは頭や手で、顔の認知がもっとも困難であることから 説明ができるという。即ち、われわれは鏡に映った自分を認知するとき、顔の特徴を手がかりとして用いなければならないが、このケースでは、4歳9ヶ月のときから何度も 手術を受け、13歳で視覚獲得の手術を受けた被験者の少女は、3年間の視覚の学習を経た後でも、人の顔を視覚では識別できず、それゆえ効果的な視覚を 獲得するための対象との相互作用が全く得られない鏡に関しては文字通り、手がかりになるものがないのである。
そしてこのことは、19世紀末のスイスの小さな村に舞台が設定され、ほぼ電力とは無縁といって良い環境の裡で繰り広げられる「田園交響楽」における問題が、 映画やテレビのような映像メディアが発達した今日の状況においてはより深刻で極端なかたちで現れる可能性を示唆する。その一方で、鏡に自分の顔を映して 見られることに対する不安を日記に書き付ける牧師が、ジェルトリュードの現実を全く理解していないことをも告げているだろう。そしてまた、ジッドがジェルトリュードに ジャックと牧師の相貌について語らせるとき、ジッド自身が最大のハンディキャップを負っていることを認めざるを得ないのだ。
グレゴリーは上掲書においても触れているが、その有名な著作 Eye and Brain(邦題「脳と視覚」)の第8章知覚学習の章の視覚の回復と題された節において、 「モリヌークスの問題」の紹介の後、彼自身が同僚と研究してきたS.B.という52歳の時に角膜移植を受けた男の事例を紹介している。この事例は著名で、 以下に紹介するサックスの著作でも参照されていて、逆にグレゴリーの方でもサックスの事例に触れているが、開眼直後に医師の顔を認識することができなかったこと、 その後も3年後に死亡するまで、人を顔で識別することが全くできなかったことが記されている。手で触れることのできないものの認識はできなかったことをジェルトリュードに 適用してみるならば、彼女に第一の手帖の末尾で語らせている風景が、ジッドの無知による虚構、単なる想像上の風景よりも尚悪い、ジェルトリュードに 自分が負わせたハンディキャップを無視し、不可能事をジェルトリュードに押し付けているという意味での虚偽の産物であることがわかる。
なおグレゴリーが参照している上記の事例は、望月・鳥居の事例については、それ以外の事例とあわせ、鳥居修晃・望月登志子 「先天盲開眼者の視覚世界」(東京大学出版会, 2000)によって日本語で読むことができる。また鳥居・望月が翻訳しているM. フォン・ゼンデン 「視覚発生論 先天盲開眼前後の触覚と視覚」(協同出版, 2009)は、基本的な文献であり、これらを読むことによって、ジッドが自分の恣意的な空想で でっち上げた物語(まさに一人称視点の恣意により支配されるという意味で、二重の意味で、つまり牧師と作者ジッドの両方のレベルで「レシ」と 呼ばれるに相応しい)が正しくはどのように書かれるべきであったかについての情報を獲得することができる。
25.
1991年11月というから、「田園交響楽」の舞台となった時代から1世紀後、引退した牧師からの電話で開始される物語は「「見えて」いても「見えない」」と 題されている。性別は入れ替わっているし、そこには父子のオイディプス的葛藤もない。牧師の娘が結婚しようとする50歳近いヴァージル(「田園交響楽」において、 ジェルトリュードが言葉を習得し、視力を得るのに実質的な寄与をしたマルタンという医師が、ヴェルギリウスを引用していることを思い出しておこう。彼は Fortunatos nimiumの後には、Si sua bona norintよりもSi sua mala nescienの方が相応しいと述べる)という先天性の盲目の男が、結婚式を前にして 開眼手術を受けて成功するところから、100年後の物語は始まる。語り手は、牧師ではなくオリヴァー・サックスという神経学者・医師ではあり、 手記のかたちもとらない。そのかわりにヴァージルの包帯が取れた日から牧師の娘エミーがつけ始めたとされる日記が引用される。「ヴァージルは見える!…みんな 涙にくれた。ヴァージルは40年ぶりに視力を取り戻した…ヴァージルの家族は興奮し、泣いて、信じられないと言った!視力回復という奇跡、夢のようだ!」 翌日の日記で問題が起きたことがうかがえるところまで一緒だが、その理由は全く異なる。ジェルトリュードは(ドラノワの映画では、直接そのシーンが 撮られているが)、開眼後、いきなりジャックの顔を認識したとされる。しかしどうやら、それは御伽噺の世界の出来事のようだ。サックスは以下のように記す。 (引用はすべて早川文庫版の翻訳による。)
「わたしが聞いたところでは、ヴァージルは包帯が外されると医師と婚約者を見て微笑みかけたという。たしかに彼の目はなにかを見たのだ。だが、なにを見たのだろう。 盲目だった人物が「見る」というのはどういうことだろうか。」
「真実は、(のちに知ったところでは)エミーの日記にある「奇跡」というようなものではなく、非常に奇妙なものだったらしい。劇的な瞬間は手応えがないまま、 じりじりと過ぎていった。ヴァージルの口から叫び声(「見える!」)は発せられず、彼はとまどったように焦点のあわない目で、まだ包帯を手にして目の前に立っている 医師をぽかんと見ていた。医師が「どんなぐあいですか?」と口をきいたとき初めて、ヴァージルは合点がいったという表情になった。」
「あとになって、ヴァージルはこの最初の瞬間のことを、なにを見ているのかよくわからなかったと語った。光があり、動きがあり、色があったが、すべてがごっちゃになっていて、 意味をなさず、ぼうっとしていた。そのぼんやりとした塊のひとつが動いて、声がした。「どんなぐあいですが?」そこで初めて、この光と影の混沌とした塊が顔だと気づいた。 それは執刀した外科医の顔だった。」
ヴァージルは、手術後の最初の数週間は、深度と距離の感覚が全く掴めなかったという。そんな人間が一人で歩けば、ジェルトリュードがそうなったように、 川に溺れることも何ら不思議はない。恐らくは牧師の記した最後の3日の日記の記述、ジェルトリュードの言葉のうち、視覚に纏わる部分は、色彩についての 驚きを語った部分を除いて、ほとんどが虚偽であったであろう。牧師が嘘をついているのでなければ、錯乱して妄想に陥っていて、そうした自己の状態に気付かない のかも知れない。あるいはジッドが嘘をついているのか、あるいは出鱈目を書いているのにそれに気付かないかのいずれかであろう。現実には、最後の可能性が 最もありえそうだ。サックスが記録した事例は100年後のものだが、彼の言うとおり、こうした事例は18世紀から蓄積されていた筈である。勿論、文学者の無知を もって文学作品の価値を測るのは、筋違いもいいところだろう。だが、いずれにせよ、ジェルトリュードが本当に何を経験したかには関心がない、牧師も、ジッドも 関心がなく、彼らにとっては自己のみが問題だったのだという事実は残る。
26.
従って、20日かかるという記述に反して手術後わずか数日で退院したこともそうだが、それ以上に、盲目の時には隠蔽されていた現実を即座に認識すること、 アメリーの顔に苦悩を読み取って自らの罪を認識し、あるいはジャックの顔を見たときに、自分が誰を慕っていたのかを悟るという設定は、 全くのナンセンスであるということになる。(勿論、ここでジェルトリュードが 先天盲ではなかった、という可能性を完全に排除するだけの手がかりがないのも確かなことであるが、上で参照したオリヴァー・サックスが紹介している ヴァージルの例でもわかるとおり、発達のごく早い時期に視覚が喪われてしまえば、事態は先天盲の場合と大きくは変わらないし、第一の手帖での ジェルトリュードの「発達」の非現実的な短さも考え合わせれば、ジッドがそもそもこの問題についてろくに調べなかったか、あるいは調べはしても、 それを物語に反映させることを怠ったことは、殆ど疑う余地がないと考える。)そもそもが視覚を得る前に、 聴覚と触覚によって構築していた世界の像が、第一の手帖の末尾で語られるような色彩に満ちた視覚的性質のものである筈がなく、まるで幕を切って落として 目の当たりにする風景を、それ以前に想像していたものと比較できるかの如き設定は、視覚にハンディキャップがない人間が創り上げた虚構に過ぎないのだ。
開眼手術後の経験に関するジェルトリュードの言葉に真実味のある部分があるとしたら、それはまさに色彩に関する言及であろう。 光や動き、色彩は彼女にとって予想を絶するような新鮮なものであったに違いなく、その点については必ずしも現実に反しているわけではない。 だがヘレン・ケラーの場合同様、視覚を得る前のジェルトリュードの風景の描写は、彼女がその時点では視覚的イメージ自体を持っていないのだから、 視覚イメージとは結びつかない、単なる言葉に過ぎないのだ。その意味で、風景が書物に見立てられているのは皮肉なことに極めて的確であるともいえる。 だがそれは文字の書かれた書物のイメージですらなく、可能であったとしても全く別のモダリティによる空間認知によって構築されたスキームを辛うじて 言語化したものなのであり、視覚を持っている人間には想像することが困難なものなのだ。それゆえ、ドラノワの映画が、 偶々モノクロであるが故に色彩を表現することができないという点はおくとして、視覚を持たないジェルトリュードが恰も視覚的イメージを持っているかの ごとき描写をしなかったのは賢明だったのである。ジッドの物語が、それが言葉を媒体として組み立てられているが故に辛うじて可能となっている詐術は、 映像に変換した途端に虚偽となってしまう(今日なら、3Dなどのヴァーチャル・リアリティ技術を駆使して、ジェルトリュードに語らせる風景を色彩も 豊かに再現したかも知れないが、、、)。第二部の全く現実性に欠けた展開から想像するに、単にジッドは無知なだけだったのかも知れないが、 いずれにせよジッドが言葉による風景は、それが読者に視覚的イメージを喚起するものである限りにおいて、ジェルトリュード自身の現実を裏切るものであり、 読者を欺くものなのである。まさに無知であることに盲目なジッドに導かれて、読者は共に穴に落ちかねない。つまるところジッドは、18世紀のイギリス経験論者や フランスの啓蒙思想家たちが思弁によって到達した結論にすら至らず、既に実証されていた事実にすら目を向けることなく、 現実に対して盲目なまま、盲人の物語をでっち上げたに過ぎないのだ。
もしジッドがジェルトリュードの現実に寄り添おうとしたのであれば、ジェルトルードが視覚を得たその時点を起点にして、彼女が目に見える世界を理解できるように なるまでのプロセスを記述する物語を書くべきだったのである。牧師は勿論、そもそもジッドの方が、ジェルトリュードが視覚を得た後、本当に直面しなくてはならなかった 危機に対して、全く盲目であるというほかない。こうして科学的事実をもって文学的虚構を断罪するという挙措は不当なことだろうか?科学的に不正確であっても 「文学的真理」(そんなものがあるとして)は損なわれないのだろうか?生理学的・認知的基盤の議論をもって倫理的・宗教的レベルの問題を扱うカテゴリー・ ミステイクを犯していることになるだろうか?私はそうは思わない。なぜならば、ジッドと牧師とが己の無知に由来する空隙を埋めるために用意した素材は、 それ自体が独善的で、倫理的にもいかがわしいものだったからだ。結局のところそれは、総じて人間の心に対する無理解と、(盲人という、別の認知的世界に 生きるという意味合いで、際立った他性を備えた)他者に対する感性の欠如を示しているからだ。逆に、福音書に書かれたイエスの事跡が事実であるとするならば、 盲人を癒した後に生じた危機に対してもイエスは無関心ではなかったに違いない。イエスが「盲人を癒した」という記述を読んで、今日における白内障手術の ようなものを思い浮かべることに終始し、単に視覚を得させることと同一視すること自体、「癒し」という言葉を抽象的にしか捉えられていないことを示しているのではなかろうか。
要するにこの作品は、ジッド自身の素材の扱いからして、作中の牧師同様、観念的で、恣意的な押し付けに満ち溢れているように感じられてならない。 勿論、ここでは盲目性というのはモラル上の、倫理上のそれの比喩なのであって、問題はそちらにあるのだ、という弁解が出てくるだろうが、実際に起きているのは、 器質的な盲目性に対する押し付けがましく、自己中心的な態度が、モラル上の、倫理上の同様の態度と並行しているという状況で、ジッドは自己批判を することを忘れてはいない、という弁護は虚しく、色褪せたものにしか感じられない。視覚の代補に関する無関心が恣意的なルソー主義的妄想により 補われていることは、ジッドの自己批判がそれ自体、盲目的で独善的なものであることと決して無関係ではないだろう。恐らく、ジッドの恣意的な聖句の 解釈は、素材としての器質的な盲目性に対する扱いの歪みと連関しているのだろう。裏返せば、イエスが盲者を癒したという奇跡の重みを、ジッドは この程度にしか受け止められないことを「田園交響楽」という作品は証言しているのだという見方もできるだろう。(ところで、ルソー主義批判、視覚中心主義批判 という文脈で、ジッドその人ではなく、より広い文脈に問題を置いてみたときには、デリダの「盲者の記憶」、「触れる、ジャン=リュック・ナンシーに」などを導きに、 その射程をより徹底的に調べることができよう。デリダは「盲者の記憶」において、目は視覚のためのものであるのにまさって、泣くためのものだといったことを記している。 ところで、牧師は、普及版の末尾において、泣くことができなくなるに至る。だとしたら、牧師は末尾においてまさに盲目に至ったのだ、というように考えることは できないだろうか。)
従って、ここでのジッドの聴覚と視覚の共感覚は、三輪眞弘の作品「369」への補助線を引くことを可能にするようなものではないと言わざるを得ない。そしてまた、 「田園交響楽」が聾者の音楽であることを、ジッドの作品の場において誰も論じないのも、ある意味では仕方ないのかも知れない。 だが、この作品を「批評」するのであれば、こうした事情を指摘せずに済ませられるのは何故なのかは理解に苦しむ。結局、批評する側も、 そうした点に関しては、ジッドと同様の盲目性の裡にあって、批評するものも、されるものともども躓くということになるのだろうか? 人はすぐ、盲目性ということで、ジッド自身も関わった「オイディプス」を引き合いに出すが、それらは身体性を欠いた観念的な遊びのように 私には感じられてならない。観念に殉ずる主人公を、その観念の如何に関わらず批判するというジッドの姿勢を、批評する側も共有してしまうのと どことなく構造的に類似したところがあるようだ。決してミシェルとアリサを一緒にしてはならないし、アリサと牧師を一緒にしてはならない。 そうした図式的な相対主義は、他者に対する暴力についての、可傷性への、被曝性への感覚を欠いているのだ。自己意識への批判を短絡させ、 無償の行為を、動機なき殺人と同一視できるのも、そうした批判なり批評なりが、「田園交響楽」の牧師同様、それ自体観念的で、 無責任なものだからではないかと感じられてならない。
それゆえ、例えば以下に引用する若林の「結論」は、視覚・聴覚・触覚のモダリティに関する知識と想像力の欠如を、安易で独善的な文学者の「照応」による 特権的瞬間への賞揚で糊塗し、更には先天盲者の開眼手術に関するこの物語の設定のナンセンスについては無頓着なまま、ジッドが自覚的・ 無自覚的に設定した枠の中で物見遊山の感興に耽り、物語の中で生じている出来事の重みを顧みない、趣味的、骨董的な読解に過ぎず、 ジッドの作品が(もしかしたら彼自身の設定した射程を超えてさえ)投げかける問題に関しては頬かむりを決め込む、文学研究者の気楽さを示すものとしか思えない。 実際には若林の結論づける二重性など、単なる出発点に過ぎないはずなのに、それを「結論」としてしまう安直さを、それでも日本におけるジッド研究の第一人者が、 解説と称して文庫の解説の中で開陳してしまえば、それが日本におけるこの作品の受容を支配してしまうことは避け難い。私は以下の文章の、例えば 「第一の手帖はまさしく、ジェルトリュードがヌーシャテルの音楽界で聴いたベートーヴェンの交響曲第六番だ。」という断定に絶句してしまうし、その後の (実際にはそんなに単純化できるはずもない)第一の手帖の性格づけの暴力性にたじろぐ。「盲人ジェルトリュード」が、「その不具ゆえに」、「知覚する」と 断定される「すべての感覚が渾然として融合した共感覚(シネステジー)の美的世界、(コレスポンダンス)の神秘的世界」の虚構性 (その言い方がそもそも自己撞着を起こしているのだけでも明らかなのに)に気付かず、そこにある明白な虚偽と欺瞞(せいぜいがそれは、 牧師とジッドが若林とともに押し付けたものに過ぎない)を糊塗する無意識の残酷さ、気遣いの欠如に絶望する。 更に第二の手帖を「残酷な覚醒の過程」の内容を読んで、ジッドの無知と無理解(でなければ、凄まじい悪意による歪曲としか思えない)による描写が、 「自殺の道しか残されていない」という必然性と見做されている点に再度絶句する。これが結論だというのだ。そのあまりの酷さに怒りすら覚えるが、 如何なる権威とも無縁の一読者に過ぎない私は、それをこうして証言する外、抵抗の手段がないのだ。これではジェルトリュードがあまりに気の毒ではないか、 と物語の中の虚構の人物に対して、だが、現実にもたくさんいるであろうジェルトリュードを思って義憤に駆られるのを止めることができない。更に、 スイスの村を舞台にし、雪で始まり渇きさえ覚える暖かさに終わる第一の手帖、雪が解けた水の流れにおける溺死と砂漠のような渇きに終わる第二の手帖から なる作品を、「『田園交響楽』はちょうどフランスの春と冬の対照をなしている」と「一杯機嫌」で結論できるデリカシーの欠如、正確さへの配慮の欠如に 暗澹たる思いとならざるを得ない。
「(...前略...)そこが標高1040メートルのラ・プレヴィーヌ村だった。この北スイスの小村の夕暮れの風景は、あまりにも美しかった。わたしの耳にはどこからともなく、 ベートーヴェンの交響曲第六番が聞こえ、また脳裏にはボードレールの有名なソネット『照応(コレスポンダンス)』がひらめいていた。
(...詩の引用を含め以降しばらく略...)
私はたしかに『田園交響楽』を見たのである。もうとっぷりと日の暮れた山道を降り、やがてスイスの国境を越えてフランスに帰り、その夜はジュラ山脈のオルナンに 宿をとった。おいしいロゼを飲み、焼鳥に舌つづみを打ちながら、わたしは友人と『田園交響楽』の二重性について語り合ったのだった。
たしかにこの小説の第一の手帖と第二の手帖はきわだった対照をなしている。第一の手帖はまさしく、ジェルトリュードがヌーシャテルの音楽界で聴いた ベートーヴェンの交響曲第六番だ。ここにはあらゆる美の讃歌が、善の讃歌が、愛の讃歌が、調和の讃歌がある。盲人ジェルトリュードは、その不具ゆえに、 聴覚を視覚に、触覚を聴覚に、嗅覚を視覚に照応させて、この世界を、すべての感覚が渾然と融合した共感覚(シネステジー)の美的世界、照応 (コレスポンダンス)の神秘的世界として知覚している。これが第一の手帖だ。しかし第二の手帖にいたって、この共感覚(シネステジー)と照応 (コレスポンダンス)の美的・神秘的世界はたちまち解体し、消滅して、その新しく見開かれた眼にはどす黒い現実が情け容赦なくなだれこんでくる。 こうして第二の手帖はおそろしく急テンポに残酷な覚醒の過程を記録してゆくだろう。ジェルトリュードの行手には自殺の道しか残されていない。 『田園交響楽』はちょうどフランスの春と冬の対照をなしている、それがオルナンの宿で一杯機嫌になったぼくが友人に述べた結論だった。」
27.
大急ぎで、ジッドが最終的に削除した一節に関連した事実を追記しよう。まさに医師マルタンとのやりとりの部分で、マルタンが語る筈だったこと。 それは聴覚の重要性についてであり、聴覚による視覚の代補の問題であり、更には「声」の問題である。そしてそれは物語のタイトルにもなっている 「音楽」の問題に繋がっていくはずであり、ジッドが恐らくは知っていながら無視をした、ディドロの「盲人書簡」の補遺に登場する盲目の少女、 サリニャック譲の証言の中心をなすテーマなのである。今はディドロの書簡補遺の当該部分の引用のみに留めておくことにする。
Le son de la voix avait pour elle la même séduction ou la même répugnance que la physionomie pour celui qui voit. Un de ses parents, receveur général des finances, eut avec la famille un mauvais procédé auquel elle ne s’attendait pas, et elle disait avec surprise : Qui l’aurait cru d’une voix aussi douce ? Quand elle entendait chanter, elle distinguait des voix brunes et des voix blondes.
Quand on lui parlait, elle jugeait la taille par la direction du son qui la frappait de haut en bas si la personne était grande, ou de bas en haut si la personne était petite.
(...)
Elle était passionnée pour la lecture et folle pour la musique. « Je crois, disait-elle, que je ne me lasserais jamais d’entendre chanter ou jouer supérieurement d’un instrument, et quand ce bonheurlà serait, dans le ciel, le seul dont on jouirait, je ne serais pas fâchée d’y être. Vous pensiez juste lorsque vous assuriez de la musique que c’était le plus violent des beaux-arts, sans en excepter ni la poésie, ni l’éloquence ; que Racine même ne s’exprimait pas avec la délicatesse d’une harpe ; que sa mélodie était lourde et monotone en comparaison de celle d’un instrument, et que vous aviez souvent désiré de donner à votre style la force et la légèreté des tons de Bach. Pour moi, c’est la plus belle des langues que je connaisse. Dans les langues parlées, mieux on prononce, plus on articule ses syllabes ; au lieu que, dans la langue musicale, les sons les plus éloignés du grave à l’aigu et de l’aigu au grave, sont filés et se suivent imperceptiblement ; c’est pour ainsi dire une seule et longue syllabe, qui à chaque instant varie d’inflexion et d’expression. Tandis que la mélodie porte cette syllabe à mon oreille, l’harmonie en exécute sans confusion, sur une multitude d’instruments divers, deux, trois, quatre ou cinq, qui tous concourent à fortifier l’expression de la première, et les parties chantantes sont autant d’interprètes dont je me passerais bien, lorsque le symphoniste est l’homme de génie et qu’il sait donner du caractère à son chant.
« C’est surtout dans le silence de la nuit que la musique est expressive et délicieuse.
« Je me persuade que, distraits par leurs yeux, ceux qui voient ne peuvent ni l’écouter ni l’entendre comme je l’écoute et je l’entends. Pourquoi l’éloge qu’on m’en fait me paraît-il pauvre et faible ? pourquoi n’en ai-je jamais pu parler comme je sens ? pourquoi m’arrêtai-je au milieu de mon discours, cherchant des mots qui peignent ma sensation sans les trouver ? Est-ce qu’ils ne seraient pas encore inventés ? Je ne saurais comparer l’effet de la musique qu’à l’ivresse que j’éprouve lorsque, après une longue absence, je me précipite entre les bras de ma mère, que la voix me manque, que les membres me tremblent, que les larmes coulent, que les genoux se dérobent sous moi ; je suis comme si j’allais mourir de plaisir. »
牧師を通じてジッドが描き出すジェルトリュードは、サリニャック嬢とは異なって、声の質に対する鋭敏さを示すこともないし、ベートーヴェンの音楽の印象も すぐさま視覚的な風景に変換させられてしまう。「田園交響曲」が標題を持つ、描写的な側面を備えた音楽であることが利用されるわけだ。聴覚も触覚も、 開眼前の彼女にとってはそれこそが彼女の認識そのものであるにも関わらず、牧師はそれを直ちに視覚に変換してしまうかに見える。視覚の欠如が 彼にとってと同じ情報の欠落を意味するという思い込みが、ジェルトリュードを(実際には彼自身がその原因となっている)不和から遠ざけよう、自分が それを引き受けようという倒錯した心理に直結する。相手に対してこんなにも盲目な状態で、本当に教育ができたのか疑わしく感じられてしまうほどであり、 ジッド自身がリアリティの感覚を持っていないことが感じ取れてしまう。この物語(レシ)は、それまでのレシと異なって、家族といった現実が登場し、 いわゆるリアリズムに配慮した作品であるという評価になっているようだが、肝心の素材に対するリアリティの方は相当に疑わしいものに感じられる。
ジッドはきっと、この削除を「美学的判断」を楯にとって自己弁護することだろう。だが、それはジェルトリュードからアイデンティティを奪い、開眼する前から 声の質によって現実を認識する能力を備えていたこと、しかもそれが(ジェルトリュードの教育の進捗の非現実的とも言える速度を信じるのであれば) 恐らくは際立って優れたものであったであろうことを隠蔽することに他ならず、牧師の一人称視点での手帖という様式の選択ともども、牧師(とジッド)が語る物語の 虚偽を補強する役割を果たしている。確かに物語とは虚構の産物であるけれど、ここではそれがほとんどノン・フィクションにおける事実の歪曲に等しい機能を 果たしているような感覚を拭い去ることは難しい。いわば二重の虚構化が行われているのだ。フィクションの中で更に主人公が嘘をつく、しかも読者に対して 嘘をつくことを作者が手助けすること、それが、「声」と「音楽」に纏わる記述の「芸術上の措置」によって為されているように見える。芸術は「幽霊」を 喚び起こし、記憶するものであるのだが、ここでは「幽霊」の捏造が起きているのだ。
28.
共感覚自体の取り扱いについて振り返っておこう。ジッドが2月28日の手帖において持ち出すのは、「田園交響楽」における楽器の音色と色彩の対応である。
Le rôle de chaque instrument dans la symphonie me permit de revenir sur cette question des couleurs. Je fis remarquer à Gertrude les sonorités différentes des cuivres, des instruments à cordes et des bois, et que chacun d’eux à sa manière est susceptible d’offrir, avec plus ou moins d’intensité, toute l’échelle des sons, des plus graves aux plus aigus. Je l’invitai à se représenter de même, dans la nature, les colorations rouges et orangées analogues aux sonorités des cors et des trombones, les jaunes et les verts à celles des violons, des violoncelles et des basses ; les violets et les bleus rappelés ici par les flûtes, les clarinettes et les hautbois.
だが、牧師が持ち出すこの楽器の音色と色彩の対応は、その後に続く白と黒についての議論によって、単なる喩か、せいぜいが「照応」による連想の 話に過ぎないことが明らかになる。ジェルトリュードは音色=色彩語という対応のみを手がかりとするから、牧師の後付けの理屈の持つ矛盾は 連想アルゴリズムのバグとなって直ちに検出されてしまう。
– Mais alors : le blanc ? Je ne comprends plus à quoi ressemble le blanc…
Et il m’apparut aussitôt combien ma comparaison était précaire.
– Le blanc, essayai-je pourtant de lui dire, est la limite aiguë où tous les tons se confondent, comme le noir en est la limite sombre. – Mais ceci ne me satisfit pas plus qu’elle, qui me fit aussitôt remarquer que les bois, les cuivres et les violons restent distincts les uns des autres dans le plus grave aussi bien que dans le plus aigu.
そもそもこの文脈は、先天盲であるらしいジェルトリュードに「色彩」を説明する文脈で出てくるのだが、その冒頭にプリズム、虹が出てきて、 そのあと色彩と明度、色価の区別に関するジェルトリュードの混同を牧師は書きとめる。だが牧師の上記の説明は、混乱はジェルトリュードの側にあると いうよりは牧師の側にあることを告げているようである。ジェルトリュードにとって、「色」は「色彩語」に過ぎず、その限りで離散的なもので、その合成 演算もまた、そうしたものとならざるを得ない。「田園交響曲」の聴取における聴覚と色彩語の対応づけの試みは、その「色彩語」を楽器の音色の相違という 具体的な知覚印象における弁別と関連付けしようとしているのであるから、寧ろ、楽器の音色による(擬似的な)色彩のシステムを構築すべきだったのだ。 しかしそれは、後述するような、後天的に失明をした結果、聴覚と視覚の共感覚が残り、場合によっては強化されるようなケースとは区別しなければならない。 ジェルトリュードはそもそも視覚による色彩の受容の経験がないのだから、「色彩語」と音色の対応が即、視覚的な色彩の音色の対応であるとは言えない。 実際には共感覚というのは、感覚と感覚の直接的なマップであるというより、概念を媒介したもののようである(文字と色との共感覚などは、そうでなければ 説明がつかないだろう)から、共感覚とまるきり無縁というわけではないのだが、それでもこれを「共感覚」と呼ぶのは、文学的な修辞の類でなければ 許容されえないだろう。
pour ma part je commençai par lui nommer les couleurs du prisme dans l’ordre où l’arc-en-ciel nous les présente; mais aussitôt s’établit une confusion dans son esprit entre couleur et clarté ; et je me rendais compte que son imagination ne parvenait à faire aucune distinction entre la qualité de la nuance et ce que les peintres appellent, je crois, « la valeur ». Elle avait le plus grand mal à comprendre que chaque couleur à son tour pût être plus ou moins foncée, et qu’elles pussent à l’infini se mélanger entre elles. Rien ne l’intriguait davantage et elle revenait sans cesse là-dessus.
楽器の音色というのは、差しあたってその楽器固有の波形で近似的に特徴づけられるが、その波形はフーリエ解析によりスペクトル分解することができる。 その操作は例えば人間の音声の母音の区別にあたって行われる操作と変わらない。つまり(有名なところではランボーが語ったとされる)母音と色彩の対応と、 ここで論じられている楽器の音色と色彩の対応との距離はそんなに遠いわけではない。(ただし、ランボーの述べた母音と色彩は、書記素と色彩の対応であり、 母音音声のフォルマント構造と色彩の対応づけではない可能性が高いし、ランボーが実際に示している対応付けそのものは恣意性が高いもののようであり、 (サイトウィックとイーグルマンは、バーリンとケイの色彩類型論にさえ従っていない点を指摘している)かつまたランボーが共感覚の持ち主であった可能性は低いようだ。 だから、寧ろここでは、仮にランボーが「自分は母音の色を発明した」と発言しており、自覚的であったことを踏まえたとしてもなお、彼への言及は意図的に 外すべきかも知れないほどなのである。)
だが何より注意すべきは、ここで「共感覚」の問題というのは、実際には極めて不均衡な形で設定されているということだろう。既に引用した若林も含め、 ジッドの作品での記述が共感覚やら(ボードレールの言う)照応による神秘的世界の描写であるという言い方は、おしなべて先天盲であり、聾者ではないものの、 言語習得も(従って、概念の形成も)遅滞していたという設定を作者自身が一方で行っているジェルトリュードの「現実」に対して無頓着なのだ。 (それはボードレール自身が大麻吸引等によって、共感覚の「神秘的な」経験を有しているかどうかという問題とも当然、独立である。) 彼女自身には、(少なくとも第一の手帖に記載された時点においては)共感覚というのは端的にないのだ。あるのは聴覚を通じて構築された色彩の観念の体系であり、 それは開眼手術後の色彩の経験とはとりあえずは区別されるべきだし、開眼手術後の彼女が、聴覚による色彩の観念のシステムと視覚的に獲られた色彩との 間をどう調停したかについては、そもそも開眼手術後にジェルトリュードに起きたに違いない経験についての経験的事実を、芸術上の判断によってか、あるいは 単なる無知によってか無視した出鱈目に基づいて物語を構築しているジッドの関心の埒外のようであり、何の記述もない。いずれにしても、「共感覚」を議論できるのは せいぜい牧師と作者ジッドの側のみであって、ジェルトリュードの側ではない。しかも牧師のそれはいわゆる真性の共感覚者のそれではなく、せいぜいが比喩・連想の類に 過ぎず、自分でそれを経験しているわけではないのはほぼ明らかである。かくいう私は、別の仕方でだが、音から色彩への共感覚、いわゆる「色聴」を持っているので、 若林のような恐らくは文学的には許容されるのであろう比喩的な「共感覚」という言葉の使用法には、率直にいってかなり強い抵抗がある。いわば共感覚の経験が ない人間が、先天盲の人間に対して、概念上区別されてしかるべき現象を誤って適用しているように感じられて、危うさを感じずにはいられないのである。
真性の「共感覚」については、例えばラマチャンドランの「脳の中の幽霊」と、ほぼ同じ内容の講演、特に音楽に焦点を絞ったものとしては、 オリヴァー・サックスの『音楽嗜好性(ミュージコフィリア) 脳神経科医と音楽に憑かれた人々』 の第14章、「鮮やかなグリーンの調 - 共感覚と音楽」に出てくる例が 興味深い。 後者では、後天性の共感覚を惹き起こす有意な唯一の原因として、「失明」があげられ、「とくに幼少期に視力をなくすと、逆説的な話だが、 視覚的心像を描く力や、あらゆる種類の感覚間の接続と共感覚が強まる場合がある。」という記述があるのが、ここでの問題にとっては注目される。ただし、 いずれにせよ、ジッド、牧師、若林を支持するような事実はなく、「失明してすぐに共感覚が起こるので、脳のなかに構造的な新しい接続ができるのではなく、 ふつうなら完全に機能にする視覚システムに抑制されているものが、解放される現象が起こるようだ。」として、ジャック・リュセランのケースが紹介されている。 勿論、ジェルトリュードの場合というのが、共感覚が問題になる条件のすぐ近くにあることは確かなのだが、現実に対するごく僅かな想像力すら欠如しているがゆえに、 「共感覚」という極めて(恐らく芸術にとっても間違いなく)興味深い事象を適切に扱うことが出来ていないと判断せざるを得ない。 (ちなみに私自身の色聴は、オリヴァー・サックスが紹介している別の例、作曲家マイケル・トーキーの例と同じで、調性と色彩が結びついたものである。 ただし色と調性との対応付けはトーキーのものと私のものは一致しないが。)
リチャード・E.サイトウィック、デイヴィッド・M.イーグルマン、「脳のなかの万華鏡:「共感覚」のめくるめく世界」の「色聴」の部分ではより包括的な紹介があるが、 特にここでの議論に関連して注目すべきは、ディズニーの映画「ファンタジア」についての言及、および絶対音感との関係である。後者については私自身の 保持している「色聴」との関係から、絶対音感もはっきりしたものではないが持っている私の場合の音高と色との結びつきと類似した事例を含んでおり、個人的には 非常に興味深い。例えば、ベートーヴェンの田園交響曲の録音のうち、バロック・ピッチを採用している幾つかのもの(手持ちのものからフランス・ブリュッヘン指揮、 18世紀オーケストラの演奏とジョン・エリオット・ガーディナー指揮、オルケストル・レヴォリュショネル・エ・ロマンティクの演奏をあげておこう)を聞いたときの 転調による色彩の変化の印象が、現在の標準的なコンサート・ピッチに概ね拠っている他の演奏のものとは異なるのである。楽器による違いもあり、 平均律で調律されたピアノでは調性と色彩の対応は希薄なのに対して、管弦楽曲で、概ねロマン派までの調性システムに依拠した作品の場合には 比較的明確に色彩を感じ取れる。調律の仕方からすれば寧ろ色彩の変化がはっきりと聞こえることが期待できるピリオド・スタイルの演奏は、さぞかし 色彩の変化がヴィヴィッドだろうと思ったのだが、実際にはどうやらバロック・ピッチのせいで、それが妨げられているようなのである。勿論、「色聴」の経験は 個人差が非常に大きく、特に音と色との対応はかなりばらつきがあるようなので、これはあくまでも私自身の事例に過ぎないのだが、いずれにしても 自分が「共感覚」を持っているだけに、(それを文学的に曖昧に適用し、先天盲の登場人物の物語に誤って適用するという文学研究者の態度を含め) 「田園交響楽」の作品とその周辺での共感覚の扱いの或る種の無神経さには無関心ではいられないのである。
更に共感覚を持っていたか、あるいはそうでなくても色彩と音楽との対応を意識した音楽を創作した作曲家は枚挙に暇がない。ベートーヴェンの田園交響曲を 持ち出すのは寧ろ見当はずれであって(なぜ、それを選択したかは杳として知れないが)、既に言及したオリヴィエ・メシアンの音楽は色彩と音との対応に 満ちているだけではなく、(その全てが陽に宗教的なテーマに基づくものではないにしても、)カトリックではあるけれどもキリスト教信仰に基づく音楽でもある。 ジッドは牧師を介して、福音書には色彩に関する言及がない、と述べているが、メシアンもしばしば参照するように、例えば黙示録のように色彩の散乱と いってよい部分もまた存在していることに対しては、どうして言及しないのか。メシアン以外でも、キリスト教ではないが、或る種の神秘主義への傾斜とともに、 色光ピアノを用いたマルチメディア・アートの先蹤を為す試みをしたスクリャービン、スクリャービンと交流があり、調性に対する色彩の共感覚について、 スクリャービンとの比較をしたことでも知られるリムスキー=コルサコフ、自分が指揮者をしたプローベにおいてオーケストラに対して色彩を用いた指示を したことで著名なリスト、私自身の聴経験から、色彩の共感覚を持っていたことを知ったときに頗る納得感のあったシベリウス、アメリカの女性で最初の 職業的作曲家として著名なエイミー・ビーチ、更には著作で明示的に共感覚について語り、創作においてその経験を用いていることを述べている リゲティといった人たちを挙げることができるだろう。
29.
日記という形式、言語という媒体。書かれたもの。会話の記録。身振りの記録の不完全性は、感覚モダリティ間での注意の分配の傾向の 帰結だろう。つまり、会話をするとき、人は会話の内容を直接認識すると思いなす。媒体としての言語も、音声も、音響も透過的であり 意識されることはない。実際には重要な相手の表情、音調、間合いは記憶から脱落し、記号化可能な部分のみが残る。それを想起しつつ、 手帖に記録するときも同じだ。もしかしたら第二次想起においてありありと手の表情、音調、間合いが再現されるかも知れないが、 第三次過去把持の装置である手帖には、それらは記録されないか、されたとしても極めて部分的な仕方でしかないだろう。 だが、会話の相手が盲者であったとしたら?逆に言語情報のみを記録したとき、感覚モダリティの相違は目立たなくなる。
一方で、言語そのものは、音声言語も文字言語も視覚の欠如に対してロバストに見える。 ただし後者は点字等の触覚を媒介とする前提があるから、この物語が19世紀末ではなく1世紀後に 時代設定されていたとしたら、ディスプレイへの表示は何もしていないことに等しい。キーボードは問題ないが、 マウスやタッチパネルといった視覚と触覚の相互作用を前提としたデヴァイスは役に立たない。ダイヤル式の電話機、 ボタン式の携帯電話は問題ないが、スマートフォンはもっての外ということになるだろう。現時点では役に立たない 音声対話エージェントを使えというのは無責任極まりない姿勢だし、幾ら音声認識をし、音声で応答をしても、 その結果がディスプレイに表示されるのでは全く無意味なのである。パネルに触れても、それに対する反応が 視覚によってしか認識できないのであれば、用を為さないのだ。
視覚の欠如、聴覚および触覚による代補。特に「声」の問題。削除されてしまった医師マルタンの発言にも、声の問題に ついての言及があった。声を聞き分けることは、顔の相貌認識の代補としての、声による個体の同定なのだ。 ディドロが「盲人書簡」で言及する、サリニャック嬢の場合、声の質からの性格の類推に及ぶ。 (勿論、それは外れることもあるが、それは別に相貌と性格の対応づけの場合でも同じことだろう。) ここで、フォルマント合成のような規則合成方式に基づく自動音声合成による「誰のものでもない声」が 響いたら、一体どういうことになるのかを考えてみるのは、今日における同じ問題の所在を確認するためには 有効であろう。不気味の谷を越えたとしても、恐らくは触覚によって、ロボットであることは気付かれてしまうだろうが、 人工的な音声合成の結果はどうだろうか?
そもそもベートーヴェンの田園交響楽を、録音された記録の再生で聴いたらどうであったか? 何度も同一の演奏が再生可能な装置が介在したら?その音楽は「どこで」響いているのか? 視覚においては、二次元の画像に奥行きを読み取ることの困難は良く知られているが、ステレオによる 再生の方はどうか?「魔法の鏡」であるタッチパネルディスプレイの架空現実という、先天盲の視覚ハンディキャップを 負っているものにとって恐らくはもっとも疎遠なものが現実を侵食しつつある21世紀の現在の状況を、 牧師とジッドはまさに先取りしようとしている。そしてその道具に音楽が利用されてしまっているのだ。 ステレオ再生はおろか、蓄音機ですら普及する遥か前の時代設定の中で繰り広げられる「田園交響楽」の物語は、 だが、音楽が持つ大きな力の濫用を予言しているかのようだ。
盲人のオルガニスト、鍵盤を触れることと音響との対応づけ。視覚的な楽譜を介さずに、演奏過程での 視覚によるフィードバックなしに、手の運動がそのまま音響になる。オルガン演奏の手引きをするのが 牧師ではなくジャックであること(ちなみにドラノワの映画ではジャックは神学生ではなくオルガニスト であるという設定に変更されていて、少なからぬ変換が生じている)は決して些細なことでもないし、 ヌーシャテルのコンサートにジェルトリュードを連れて行ったことを、非音楽的な家庭における 例外事としてアメリーに批難されることはあっても、牧師自身は音楽を演奏することはしないから、 運動感覚と音響との関連付けについては、彼自身の裡に回路を持っていないことになる。 結果として、音楽や舞踏については他人任せということになる。(ドラノワの映画では、ジャックと踊る ジェルトリュードのシーンが、ジッドの原作には全く欠けている場面設定を追加することさえして、 「上演」している。ジッドの原作では、いわば間接的に牧師の手帖への記述で言及されるだけなのに 比べると、ここでも映画というメディアの特性に基づく差異は際立っている。一般に映画は、 開眼手術前のジェルトリュードが備えているモダリティと、それを活用する能力の卓越と、 それに対する牧師の無反応ないし無力を強調する傾向にあるようだ。) ジャックに対する嫉妬の要因の一つは、自分が持っていないモダリティの回路を彼がジェルトリュードと 共有することに起因するものではないか。それは自分自身の聖書の自由解釈の外部にジェルトリュードが出て、 彼女自身が自由解釈をすることを恐れて禁じる態度と並行している。
「田園交響曲」はベートーヴェンの作品の中でも些か特異だ。それは標題音楽であり、描写的な側面を備えている。 (一方でそれは外界の音響の再現ではない。それは単純な心的印象の音楽化でもない。そこには回想が、想起が介在しているというのだ。 だが、この点については後で戻ることにしよう。) それが聴覚から視覚イメージへの変換の口実となる。音色と色彩の共感覚が媒介を保証するものとして持ち出される。 逆変換が可能であるかのような錯視が、この音楽に限っては可能になるのだ。もしかしたら、単純な描写音楽ではなく、 標題音楽でないことすら、そうした逆変換の成立を容易にするファクターとして持ち出されるかも知れない。 だがそれならばいっそのこと、描写的でも標題性もない、徹底して抽象的な音楽ではなぜいけないのか?あるいは、 心から心へ、というキャッチフレーズそのものの音楽であればどうだったろうか?いずれにしてもそれらならば、 そもそもが変換自体が不要ではないだろうか?クロスモダリティ自体を議論する必要がなくならないだろうか? ここで音楽は、視覚の欠如を問題にしないどころか、クロスモダリティを介して、却って視覚の欠如とそれの (想像力による?虚構による?)補完を提示するために利用されているのではないか?
「田園交響曲」が単なる描写音楽であることができず、単なる標題音楽(?とはしかし何か?)でありえないのは、 ベートーヴェンの音楽の理念の問題であるとともに、技術的な側面、つまり彼が容易に楽想を思い浮かべ、即興的に作品を 生み出していくタイプの天才的・サヴァン的なやり方ではなく、動機とその展開のパターンをスケッチし、蓄積して 音楽を構築していくやり方をとったことも考慮に入れるべきだろう。更には現実に彼が聴覚にハンディキャップを負っていて、 現実に聴いたものを音楽的に組織するという直接的なマップができなかったという制約がそうした手法や理念をいわば下部構造と して支えていたと考えることもできるだろう。彼は聴覚のみならず、感覚の全てのモダリティを経由して自分の中に蓄積した印象を、 しかもその場で音楽化するというやり方ではなく、後で回想して再構成するという手法をとったのだ。(実際、彼は自筆譜に、 はっきりと「回想」という言葉を書き付けている。)従って、見かけとは異なって、ここでは単純な聴覚と視覚の変換も 成立しないことになるだろう。
だが、それでもなお「田園交響楽」は標題的で描写的であることは否定しがたい。小川のせせらぎ、鳥の鳴き声、風の音、 雷鳴、嵐、雨の音、温度や湿度の感覚、あるいはより身体的な衝撃として感受できるかも知れない光と影のコントラスト。 そういったものを通して外界から受ける印象とそれに対する感情的な反応(これは身体の生理的なレベルでの反応と 分かちがたく結びついている)を音楽化すること。ベートーヴェンは先天性の聾者ではないし、音楽家としての訓練を 受けたから、聴覚印象の記憶のストックは豊富であっただろう。それをジェルトリュードが聴いたときに何が起きるのか?
盲人により作曲され、演奏されることの多い筝曲・地歌では風の音、虫の音などといった聴覚的風景を喚起する 作品が多いというように言われる。視覚が優位に立てばどちらも単なる沈黙として区別されることはなくなるかも 知れない月夜の静寂と雪の夜の静寂の差異を聴き分けることができれば、それを音楽的な表現にもたらすことも 可能だろう。ディドロの報告するサリニャック嬢がそうであるように、ジェルトリュードの聴覚も、視覚に頼ることのできる人間に 比して、遥かに繊細に研ぎ澄まされたものであったことは想像に難くない。記憶に基づく印象の音楽化であったとしても、 そこに視覚で世界を認知する人間であれば聞き落としてしまいかねない何かを聴き取った可能性はあるだろう。
ジッドの牧師が記録するジェルトリュードの反応は、そうした文脈においてみたときに、何か奇妙なものである感じを拭えない。 「田園交響曲」を聴いた後のジェルトリュードと牧師のやりとりは以下のようなものだ。
– Est-ce que vraiment ce que vous voyez est aussi beau que cela ? dit-elle enfin.
– Aussi beau que quoi ? ma chérie.
– Que cette « scène au bord du ruisseau ».
Je ne lui répondis pas aussitôt, car je réfléchissais que ces harmonies ineffables peignaient, non point le monde tel qu’il était, mais bien tel qu’il aurait pu être, qu’il pourrait être sans le mal et sans le péché.
何よりもおかしいのは、ジェルトリュードが田園交響楽の聴取の印象を、自分が聴覚で認知している自然と直接比較するのではなく、 それを視覚的な風景の翻訳であると受け止めていることである。まるで聴覚で認知している世界と音楽の差異を埋めるものが 視覚であり、世界は視覚的な美に満ち溢れはしても、ベートーヴェンの音楽ほどは聴覚的には豊かではないかのようではないか? これは明らかに視覚で世界を認知している人間によるでっち上げだろう。音楽的描写というのは、視覚的に認知できる風景の 絵画的な把握を音楽に翻訳したものではないだろう。勿論、視覚で世界を認識できる人間は、ベートーヴェンの音楽を聴いて、 風景を視覚的に思い浮かべることができる。聴覚と視覚の共同の経験を持っているからだ。だが、ジェルトリュードにはそれはない。 ないからといって、その欠如をベートーヴェンの音楽によって気付かされたりするだろうか?彼女にとっては、聴覚や皮膚感覚、 嗅覚、体性感覚といった視覚以外の感覚的モダリティを総動員して受容した自然の美しさ、そしてそれによって惹き起こされた 情緒的・感情的な反応を、ベートーヴェンの聴覚のみに働きかける音楽が喚起するイメージとを突き合わせる作業がまず あるのではないか?それが皮膚感覚や嗅覚、体性感覚といった他の感覚の記憶やその時に感じた情緒的・感情的な 印象をまざまざと想起させるものであるかが問題になるのではないか?
要するにここには、さすがにこればかりは牧師の、ではなくジッド自身のジェルトリュードの経験に対する想像力の欠如が 現れているのではないか?あるいは視覚優位のイデオロギーをジェルトリュードに押し付けているのではないか? そしてこの錯誤の果てが、第一の手帖の末尾の、あのジェルトリュードが想像する風景の視覚的描写という虚構なのではなかろうか? 少なくとも言えそうなのは、こんな人間に盲人の認知の成長の過程を記述することを期待するのは無駄だということだ。 もしジッドが気付いてやっているのだとしたら、それはそれで少なくともジェルトリュードと読者にとっては欺瞞的な振舞いだし、 気付かずにやっているのだとしても、その自己中心性は最早明らかだ。こういうのを誠実さの欠如というのではないのか?こういうのを 愛の欠如というのではないのか?一体、ジッドは誠実さや愛ということで何を考えていたのか?
ジッドはかつて、フランス語ではなく音楽で 書きたいといった、象徴派的な純粋表現への志向を感じさせる発言を「アンドレ・ワルテルの手記」にて書き留めているが、 現実には彼が熟達したフランス語を媒体とした物語の構築と同様のプロセスが、ベートーヴェンの「田園交響曲」の創作でも 起きたことをどこかで忘れているのではないか?そしてその一方で、言語という媒体を用いて、しかも物語という 第三次過去把持に関わる活動が、彼が問題にし続けた「自己」の構造の根底に関わっているものであり、またそれが 個体の生命の限界を超えた記録を志向することについての自覚は彼には確かにあったようなのだが、にも関わらず、 その外部にルソー的な直接的な経験の楽園があるという幻想にとらわれていたのと相関するように、諸感覚の モダリティ間の相互作用や、それが学習され、蓄積される無意識的な過程の存在を無視し、その結果として盲人の物語を 固有の人格と世界認識のモダリティを備えた人間の試行錯誤に満ちた発達の物語としてではなく、奇跡の、恩寵の物語として しまったのではないか?ここでは奇跡や恩寵は、無知が生み出す空隙を埋めるものとして用意されているように見える。
その帰結として、まずその無知の結果である空隙に、ジッド自身が用いた言い方を借りれば、まさに「悪魔」が 忍び込む余地を作ってしまったのではないか。牧師の問題は外部なき手記という形式を選択した作者ジッドの問題でもあり、 聖書の自由解釈は、そうした巨大な問題のほんの一部の表層、一つの兆候に過ぎないように思われる。 そしてまた、折角参照された音楽について言えば、三輪眞弘による音楽芸術の規定、すなわち「人間ならば誰もが 心の奥底に宿しているはずの合理的思考を越えた内なる宇宙を想起させるための儀式のようなもの、 そこには自我もなく思想や感情もない、というより、そこからぼくらの思考や感情が湧き出してくる、 そのありかをぼくらの前に一瞬だけ、顕わにする技法」という規定を全く理解せず、音楽が物語の中で持ちえたであろう 潜在的な力に気付かずに、自分が思いなした奇跡や恩寵の契機として利用するに留まったのではなかろうか。
30.
ジェルトリュードのヴァーチャルな風景は音色との共感覚による非現実的なまでの色彩に充ち溢れているが、 そこには聖書の言う「野の百合」はないのだと牧師は断言する。「狭き門」のアリサもまた野の百合を見出せない嘆きを日記に記したが、 ジェルトリュードはそれを思い描くことが出来るという。牧師は、それがジェルトリュードが盲目であるが故であり、それゆえジェルトリュードの 空想裡には存在する、というように、いわば話をすり替えてしまう。ここでジェルトリュードが「野の百合」を見るための条件として 考えているのは、器質的な盲目性とは基本的に何の関係もないことだ。しかもジェルトルードがそのように考えるように仕向けてきたのは 当の牧師であるというのに、この執拗な否定は何なのか。彼はローマ書を初めとするパウロ書簡の存在自体をジェルトリュードから 隠しているのだが、牧師の執拗な「野の百合」の存在の否定は、問わず語りに、彼が隠蔽しているものの存在を指し示してしまう。 勿論、ジェルトリュードはそれにとっくに気付いている。
– Je voudrais que vous me disiez s’il y a des lys dans la grande prairie devant nous ?
– Non, Gertrude ; les lys ne croissent pas sur ces hauteurs ; ou seulement quelques espèces rares.
– Pas ceux que l’on appelle les lys des champs ?
– Il n’y a pas de lys dans les champs.
– Même pas dans les champs des environs de Neuchâtel ?
– Il n’y a pas de lys des champs.
– Alors pourquoi le Seigneur nous dit-il : « Regardez les lys des champs ? »
– Il y en avait sans doute de son temps, pour qu’il le dise ; mais les cultures des hommes les ont fait disparaître.
– Je me rappelle que vous m’avez dit souvent que le plus grand besoin de cette terre est de confiance et d’amour. Ne pensez-vous pas qu’avec un peu plus de confiance l’homme recommencerait de les voir ? Moi, quand j’écoute cette parole, je vous assure que je les vois. Je vais vous les décrire, voulez-vous ? On dirait des cloches de flammes, de grandes cloches d’azur emplies du parfum de l’amour et que balance le vent du soir. Pourquoi me dites-vous qu’il n’y en a pas, là devant nous ? Je les sens ! J’en vois la prairie toute emplie.
– Ils ne sont pas plus beaux que tu les vois, ma Gertrude.
だがここで問題にしたいのは、牧師がベートーヴェンの「田園交響楽」について2月29日の記述で、 On y jouait précisément la Symphonie pastorale. Je dis « précisément » car il n’est, on le comprend aisément, pas une oeuvre que j’eusse pu davantage souhaiter de lui faire entendre.と記していることだ。決してこの選択は恣意的なものではないし、 音楽を良く知り、自らピアノを弾いたらしいジッドが意図的に選択したものと考えるべきだ。その後ジェルトリュードが習得するオルガン 演奏については、盲目のオルガニストが数多くいることからも違和感はないが、ここに中期ベートーヴェンを導入するのは如何にも牧師の 思想に似つかわしく思われる。良く言われるのは、この作品が「絵画的な描写ではなく、田園での喜びが、人々の心のなかに 引き起こす、いくつかの感情を描いたものである」というベートーヴェン自身の言葉だろう。要するにここには超越的な神のための余地はないし、 罪ある人間の有限性の認識もまた、ない。
それはカール・バルトがいみじくも「ローマ書講解」の第7章「自由の中の宗教の現実」(7.14~25)の節の冒頭で、シュライエルマッハーの言葉を引用しつつ、 「世界におけるあらゆる出来事を神の行為と考える」能力として宗教を賛美し、「人間のあらゆる行為に、聖なる音楽のごとく 伴わしめる」ことを試みるものとしたロマン主義の心理学に対応するものだろう。若き日に自由主義神学にひかれ、更にマルクスも ドストエフスキーも、ニーチェも通過した(これらをジッドもまた通過したことを思い起こそう)カール・バルトはジッドの「田園交響楽」とほぼ時期を同じくして 執筆されたこの「ローマ書講解」のまさに同じ箇所の冒頭において「宗教の意味は、罪がこの世のこの人間を支配する力を示すことにある。」と 言い切っているのである。だがジッドはジェルトリュードを「小川の風景」の中で溺れさせ、嵐の後、牧師を砂漠の中に放置して何らの解決も与えず、 作者たる自分は登場人物に責任を押し付けて念願の「贋金作り」に励むのだが、そうすることでまさにここで自ら設定した問いから逃げたのだ。 カール・バルトの言葉もジッドに言わせれば、ジャック同様、「愛よりも理論が勝っている」などと抜かすのであろう。だが、それ自体、愛という言葉、 理論という言葉の濫用に基づく詭弁に過ぎない。ジッドは自分がプロテスタント的、ピューリタン的な発想に束縛されていることに自覚的で あったが、そこからの脱出の方法もまた、ロマン主義の心理学に束縛されていることに対しては無自覚だったとしか思えない。
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もう一つ、二つの田園交響楽の接点。超越的なものに対する視点の欠如。人間の有限性と、罪の意識の欠如。 「狭き門」と比して、「田園交響楽」を「広き門」だと評したのはアルベール・ティボーデだったが、それはプロテスタントの中でもシュライエルマッハーから始まる 自由主義的な立場をある意味では「先鋭化」したものと考えれば、啓蒙の時代の音楽的達成としての中期ベートーヴェンの作品である もう一つの「田園交響楽」もまた、それに対応するものであるといえるかもしれない。だが、ジッドのジェルトリュードの視覚に関する配慮の欠如は 啓蒙主義の精神を損なうものでしかない。ジッドは神の問題を人間の問題に置き換えることと自らの営為を定義してみせたらしいが、 肝心の人間の側に対する理解は、いわゆる「人間主義」(ヒューマニズム)の閉域を出ることがない。ベートーヴェンはその後期において、 ヴァルザーの描くブレンターノのように、その閉域を内側に向けて突き抜けたように思われるのに対し、ジッドは内側を拒絶したようだ。ベートーヴェンの後期の音楽の闇には、 だが雨の、流れる水が浸透し、外に滲み出て行く気配が満ちている。その場所を突き止めることは、アドルノのような知性をもってしても 困難だったようだが、ベートーヴェンの音楽は確かに、崇高なものに触れている。
Ein Jahr oder auch zwei Jahre vergehen. Er mag nicht mehr leben, und so entschließt er sich denn, sich selber gleichsam das Leben, das ihm lästig ist, zu nehmen, und er begibt sich dorthin, wo er weiß, daß sich eine tiefe Höhle befindet. Freilich schaudert er davor zurück, hinunterzugehen, aber er besinnt sich mit einer Art von Entzücken, daß er nichts mehr zu hoffen hat, und daß es für ihn keinen Besitz und keine Sehnsucht, etwas zu besitzen, mehr gibt, und er tritt durch das finstere große Tor und steigt Stufe um Stufe hinunter, immer tiefer, ihm ist nach den ersten Schritten, als wandere er schon tagelang, und kommt endlich unten, ganz zu unterst, in der stillen kühlen tiefverborgenen Gruft an. Eine Lampe brennt hier, und Brentano klopft an eine Türe. Hier muß er lange, lange warten, bis endlich, nach so langer, langer Zeit des Harrens und Bangens, ihm der Bescheid und der grausige Befehl erteilt wird, einzutreten, und er tritt mit einer Schüchternheit, die ihn an seine Kindheit erinnert, ein, und da steht er vor einem Mann, und dieser Mann, dessen Gesicht mit einer Maske verhüllt ist, ersucht ihn schroff, ihm zu folgen. »Du willst ein Diener der katholischen Kirche werden? Hier durch geht es.« So spricht die düstere Gestalt. Und von da an weiß man nichts mehr von Brentano. (Robert Walser, Brentano)
門の通過。クリプトへの下降。ランプ。扉。待機。仮面をつけた一人の男。カトリック。この末尾に「田園交響楽」の末尾のジャックの姿を 重ね合わせることは可能だ。だが、牧師は彼に対して、自らは砂漠で渇きつつ、何と言ったか?
Mais je me persuade que dans la conversion de Jacques entre plus de raisonnement que d’amour.
そのようにしかこの結末を書けなかったことこそ、ジッドの限界を端的に徴づけている。彼は限界まで到達することを試みることもせずに、 引き返したのだ。彼は結局、ジェルトリュードに押し付けたあの空想上の風景の中に我を忘れることを自己放棄と見做した。 曖昧な神秘的な感覚への惑溺、自然への同一化の感情を、己を虚しくすることであるとしか考えられなかった。そうした彼が この作品を「田園交響楽」と名付けたことに単なる言葉遊び以上のものがあったとは考えられない。
Je ne lui répondis pas aussitôt, car je réfléchissais que ces harmonies ineffables peignaient, non point le monde tel qu’il était, mais bien tel qu’il aurait pu être, qu’il pourrait être sans le mal et sans le péché. Et jamais encore je n’avais osé parler à Gertrude du mal, du péché, de la mort.
ベートーヴェンの音楽は牧師が聴き取ったようなものだったろうか?三輪眞弘が、東日本大震災によって惹き起こされた原子力発電所の災害の後、 それに基づいたイェリネクのKein Lichtの日本語版上演の音楽監督を務めるにあたって書いた、「魔法の鏡」と題された文章こそ、 牧師の思い描いたものと、今日の状況との構造的な同型性を告発しているように私には思われる。ヴァーチャルな世界で、罪や悪や死と 直面することを妨げられ、言葉を、歌を奪われた子供が、どういう状況におかれたか、そうした社会的な環境の中で、どのような事件が惹き 起されたのかを彼の「言葉の影、またはアレルヤ」とともに思い浮かべなくてはならない。三輪が定義する「あの世」が何と正確に、 牧師がジェルトリュードに押し付け、ベートーヴェンの音楽に押し付けたものに対応しているかを確認することは、或る種の懼れの感情なしにはできない程である。
確認しよう・・映画は芝居ではなく、写真は絵画ではない、しかし、録音された音楽を私たちは音楽と呼ぶ。装置によって複製されるものも、複製されたものも等しく「音楽」と呼ぶ。複製されたものに固有の名がそこに欠落している。そこで、わたしは「録音された音楽」という意味でそれを「録楽」と名付けよう。
確認しよう・・複製可能なものはもちろん、すべて記号である。つまり、「写真は視えない」・・そこに写しとられているものしか視えず、それをわたしが視ている時、写真という物質そのものは消える。等身大とはかけ離れたサイズの、たとえばスマホで視るアイドルも、街頭の大画面で視るアイドルも、わたしは「あのアイドル」だと識別し、そのアイドルの存在を感じる。なぜそんなことが軽々とできるのか?・・それがアイドル「そのもの」ではなく、「ことなる縮尺の地図」と同様、記号だからに他ならない。
確認しよう・・「録楽」もまた記号であることに変わりはない。ただしそれは、地図に喩えるならば、多くの場合「縮尺1:1の地図」である。つまり、「それそのもの」と記号化されたものとの判別が難しい。いや、それは混同しやすいということではなく、頭では区別できていても、どうやら、私たちの心にとってはそうではないらしいという意味だ。
確認しよう・・写真も映像も録楽も「それそのもの」と同等の効果をわたしに及ぼす。スパイ映画でヒーローが危機一髪の窮地に追い込まれればわたしは筋肉を緊張させ汗をかく。それが映画として作為的に作られたものだと知っていても。また、わたしが「いま、ここ」で観ているのは単なる映像だとよく知っていても。わたしは人工的に生み出された幻影を視ていると知りつつ、わたしはそれに自動的に反応する機械のような存在だ。
ここで、視聴覚装置によってもたらされる架空の世界、すなわち、複製可能な記号のみによって成立している世界のことを「あの世」と呼ぶことにしよう。つまり、スピーカーや映像ディスプレイ装置の向こうの世界を「あの世」と、そしてその手前の、わたしが「いま、ここに」いる世界を「この世」と呼ぶことにしよう。わたしは今、モニター画面の前の「この世」で呼吸をしている。
確認しよう・・ディズニー映画からディズニーランドが生み出されたように、現代社会は「あの世」から多大な影響を受け、20世紀「この世」は「テーマパーク」のようになった。つまり、不道徳なものは除いた上で、このテーマパークの中では誰もが、もはや人間ではなく、平等で笑顔で楽しく清潔な「お客様」でなくてはならない。それはアニメ映画のような幼児的世界の模倣である。
確認しよう・・「この世」のすべては「あの世」にすくい取られ、「あの世」の住人、すなわち「幽霊」となる。「あの世」で捏造された人格や出来事のみならず、「この世」のそれらもまた同様に「あの世」に送られ幽霊となる。すべては「あの世」の中で存在を続け、ぼくらは時空を越えて幽霊と共に生きる。わたしは「あの世」の中で「この世」を生きている。
わたしからのメッセージは幽霊となり、あなたに届けられる。ちがう、わたしはあなた宛の幽霊を捏造し、その幽霊にあなたは触れることができる。このテキストもそうだ(可能性として、これをあなたが読む時わたしはもう「この世」にはいないかもしれない)。わたしは遥か遠方の「この世」の痕跡を残したニュース映像という幽霊を視る。わたしは「この世」の痕跡を残した「あの世の音楽」(録楽)を聴く。わたしは10年前の自分の痕跡を残した写真という幽霊を「この世」に呼び戻す。以下同様・・それは、時空を越えて幽霊となった「この世」を映し出す「魔法の鏡」。ただし、驚くべきことに、この「魔法の鏡」には魔術はひとつも使われていない。(三輪眞弘, 「魔法の鏡または、三浦基氏に宛てた「光のない」の私的パラフレーズ)
ジッドの時代にはまだそれは書物という媒体におけるエクリチュールの効果であった(ジェルトリュードの風景が所謂mise en abymeの技法によって、 「田園交響楽」という作品の核になっていること、その風景が「書物」の比喩を用いて描写されることをもう一度思い起こそう)。そして 「田園交響楽」の時代(物語の設定された時代にせよ、書かれた時代にせよ)と現在とでは、メディア論的な状況は全く異なるのではあるが、 にも関わらず、「田園交響楽」はまさに今日のメディア論的な状況に通じ、今や何倍もの規模に増幅されている事態を提示しているのではなかろうか。
32.
ここで扱われるべきであったはずの、だがジッドが扱うことができなかった、あるいは意識的に、無意識に扱うことを拒絶した一連の巨大な問題系。 視覚の補綴器官としての触覚、指の問題。更には補綴のための道具としての杖の問題。楽譜と演奏。書物とその朗読(いずれも点字による 補綴が可能だが)。視覚のハンディキャップを利用(悪用)した情報統制、情報隠蔽。「鏡」という装置。鏡で自分の姿を見ること (牧師が、ジェルトリュードの「視線」を意識した折の日記の記述。だが、では以前には、ジェルトリュードの視線は気にならなかったのか、 それ以前に、アメリーをはじめとする他者の視線についてはどうなのか?自己意識、反省の欺瞞性。)そして眠り、夢。眠っている閉じた目が見る夢と、 視覚を持たないジェルトリュードの見る(?)幻。
元雅の能「弱法師」とその父の物語(父=牧師の側の盲目性の問題も含めて)およびその典拠たる信徳丸の伝説。更には「弱法師」における壮大な日想観と、 この作品における、田園交響曲と聖書のテキストに基づくジェルトリュードが語る架空の風景との対照。自然の光と超自然の、啓示の、 恩寵の光。こちらでは、だがジェルトリュードが祈る描写が排除されていることにも注目しよう。元雅の能もまた、本当の意味でのワキがいない。 (ワキの位置を父親が占めているのだが、その父は、ジェルトリュードであれば牧師その人であろう。) あるいはそれはアイの役割にずらされてしまい、従って、シテを回向し、弔い、あるいは救うことは構造的にできなくなっている。 「弱法師」は溺れ死ななかった、だが、開眼手術によって視覚を恢復することもまたなかったジェルトリュードが牧師の下を離れた、 いわば後日譚であると考えることはできないだろうか?あるいは琵琶法師の祖形である「蝉丸」、日向に落ちのび、平家語りをする芸能者と なった能の「景清」(ただし彼は中途失明者だが)と比べたらどうだろうか?オルガンは持って歩けないから、琵琶の替りにアコーディオンでも 持つことになったであろうか?更にはアコーディオンでは、声(音)を出すために「息を吹き込む」作業も自分でやらなくてはならない。 (かつての教会には、そのために雇われていた人間がいた。大オルガニストでもあったブルックナーの弟は、兄が演奏する楽器に空気を 送る込む勤めを永らく果たし、それに纏わるアネクドットが残っている。だが、今ならそれは電力が代替してしまうだろう。 生のオーケストラの演奏は、三輪眞弘の言う「録楽」で代替され、教会のパイプオルガンも電気仕掛けになるだろう。)
33.
そして幽霊の、他者の歓待の問題(ソフォクレスの 「コロノスのオイディプス」についてのデリダの読解、ちなみにまたしても能の「景清」との対照を考えることができるだろう)。 超越論的思考と供犠的思考(デリダの「盲者の記憶」)。寧ろ供犠の瞬間において視覚が奪われること。モーセが神と言葉を交わすとき、 モーセは神を見ない。見ることができない。「オイディプス」神話における過剰の代償としての視覚の剥奪ではない。 ここでは視覚は最初から奪われていて、寧ろ与えられるがゆえに、聖杯伝説に構造的には近接する。「パルジファル」の陰惨なネガとしての「田園交響楽」。 すでにジュリアン・グラックが、「パルジファル」の変奏である「アルゴールの城」の中でベートーヴェンの「田園交響曲」を参照していることを思い起こすこと。ワグナーの「パルジファル」との 比較においても、ありとあらゆるものが置換され、移動されているが、しかし構造は保たれている。「漁夫王」アムフォルタスが沐浴に向かう冒頭の湖。名もない無知の若者。 パルジファルが迷い込む花の乙女達のいる「魔法の園」は、クリングゾルの仕組んだ幻影である。クプファー演出ではTVモニターに写されていたが、「田園交響楽」を今日に 置き換えるのであれば、三輪眞弘が「仮想現実」の技術(「魔法の鏡」という比喩を用いていたが、これはまさにクリングゾルが第二幕で操る道具の一つである)による 「あの世」、「テーマパーク」がジェルトリュードの描出する架空の楽園の「書物」の代替となるのであろうか?聖餐とその拒絶。聖餐を巡っての父と子の対立。 聖金曜日の洗礼。水に浸すこと。だがジェルトリュードは溺れてしまうのだ。不毛と欠乏から、一気に過剰、氾濫への反転。そしてその後の再度の不毛と枯渇。 ジェルトリュードの「喉が渇いた」が暗示するもの。供犠の犠牲としての、贖罪の子羊としてのジェルトリュード。ジェルトリュードと老いたオイディプス。彼はだが、 娘に導かれて、コロノスの神の森に到達する。それに対してジェルトリュードは視覚を獲たにも関わらず、溺れてしまう。アムフォルタスと牧師。クンドリーと ジェルトリュード。パルジファルとジャックという対応を考えること。そしてここでのMitleidの欠如。もう一つの失敗した聖杯探索の物語として「田園交響楽」を読むこと。
ワグナーの「パルジファル」への連想は、実はジュリアン・グラックの「アルゴールの城にて」(Au Château d'Argol )を経由しても可能である。「アルゴールの城」の「遊歩道」(L'allée)の章には、 ベートーヴェンの田園交響楽の第2楽章への暗示があるのだ。そしてこの作品は、著者自身によって「そしてもしこの薄い一冊の物語が、あの傑作(ワグナーの「パルジファル」のこと。 引用者注)の悪魔的な書き換え、- それだからこそ完全に正当な書き換え - にほかならないと受け取られるようなら、それだけですでに、いまだに物を見ようとしない目にも何らかの光がさして来るものと 期待してよかろう。」(Et si ce mince récit pouvait passer pour n'être qu'une version démoniaque - et par là parfaitement autorisée - du chef-d'oeuvre, on pourrait espérer que de cela seul il jaillît quelque lumière même pour les yeux qui ne veulent pas encore voir.) と「はしがき」(L'avi au lecteur)で述べられている(訳文は白水Uブックス版の安藤訳によった)のである。そしてここでのグラックの言葉がまさに 「視覚」に言及しているというのは単なる偶然と見做すべきではなかろう。
Parfois, un ruisseau traversait la route, reconnaissable de loin à la singulières allégresse, à la musicalité entièrement gratuite du murmure de ses eaux transparentes, alors Albert, avec une grâce fraternelle, déchaussait les pieds fatigués de Heide, et s'improvisait une scène comparable, par son excessif retentissement sur l'âme abandonnée à ces lieux perdus, à celle que le commentateur des symphonies a désignée du titre entièrement étrange - parce qu'il suggère et veut suggérer que certains rapports humains perdus dans une animalité pure et fluente comme la pensée sont complètement réductibles à un élément pour la première fois envisagé du l'intérieur - de « scène au bord du ruisseau ».
34.
視覚の恢復/獲得と回心の並行性(だがここでは 牧師の偽りの自由主義的聖書解釈からカトリックへの回心が語られ、だが教義に反してジェルトリュードは入水することによって、回心自体が 挫折し、失敗に終わったことが告げられる。)書かれなかった、あるいは口述されえたかも知れないのにあえて記録に遺されなかった、あるいは 牧師によって隠蔽されたジェルトリュードの「手帖」。牧師の手帖が物語の枠を占拠し、ポリフォニーの成立が拒まれていることは、物語の本当の主題を 寧ろ隠蔽するための装置に見える。ジッドはいつも嫌々ながらレシを書き、表向きは実際には自分が本当に囚われているものとは異なったものを 扱うことで、真実を語らずに済ましているようだ。虚偽の告白の装置としてのレシ。
だがもともと告白は、物語は恩寵の記録ではなかったのか?牧師は(恐らくはジッドもまた)最初はそのように考え、そう書物自体に書き込みさえして、 回想を記録し始めたはずである。だがこれが自画像に、告白と化していくにつれ、否、そうであることが顕わになるにつれ、というべきだろうか、いずれにしても 手帖がジェルトリュードの成長ではなく、牧師の自己弁護の手段であることが明らかになるにつれ、物語は廃墟のような様相を呈してくることに気付かずには いられない。ジッドは物語を書いていくうちに飽きてしまい、結末を大急ぎでやっつけてしまおうとするが、それはこれが自画像だから、対象を書く前から 知り尽くしているからではないか。最初に牧師の声を借りて宣言したとおり、自画像でなく、本当の盲者の物語を書いたとしたら、他者の物語を書くことが できたなら、牧師もまたジッド自身ではなく、ジッドの聖書読解の代弁者でなければ、このように物語の登場人物として己を見せ物にすることがなければ? 評者は、最初は偽装された日記であり、物語、回想であったものが、第二の手帖において、本当の日記になるという言い方をする。だが、それ自体が 偽装であり、からくりの一部だということはないのか?実は読者が読むものは、記憶であり幽霊であり、はじめから廃墟でしかないものであるということは?
35.
反復の問題。クロスモダリティにおける異なったモダリティ間の結びつけ問題。繰り返しによる習得。最初の1回で、という奇跡は起きない。 繰り返されるためには、記憶が、記録が必要だ。そして第一の手帖は、そのことについては正確な記述を行っている。一方で、恐らくは不可避で あったはずの、訓練に伴う(比喩的な意味合いを含めた)「暴力」に関しては牧師は沈黙する。丁度第二の手帖において、開眼手術が問題になったとき、 自分の逡巡は書き留めたのに、ジェルトリュード自身の反応には全く触れることのないことと対応するかのようだ。つまるところここで牧師の手帖が そうであったように、記録は書き手の恣意により歪められ、無意識的な錯誤や無視により損なわれる可能性を否定しがたい。ジェルトリュードは 記録の手段を自ら持たないゆえ、彼女の声は奪われてしまっている。第二の手帖の冒頭においても、いみじくも牧師が証言する「読み返し」が、 第三次過去把持の装置を媒介した、第二次過去把持が起きている。これは外部記録媒体への記録なしには実際には困難であっただろう。 (そもそも第一の手帖において、そうした記録の作業を怠ったことについて牧師は記している。)そしてここでも再びそれは、 第一の手帖の事後的な改竄を引き起こしたかも知れない。更に牧師は反省に抗して知らないふりを続ける。それは自己欺瞞でもあるが、それ以上に、 他者を歓待することを拒むことだ。
だが、反省自体が問題なわけではない。虚構すらそれ自体が悪であるわけではない。寧ろ問題は反省の不徹底と、他者に対する想像力の 欠如であるとさえ言えるのだから。自画像が廃墟でしかないことに目を背けないことが必要なのだとさえ言えるのだから。 手帖の記録が問題なわけでもない。そして物語がそれ自体悪であるわけでもない。幽霊が悪であり、祓わなくてはならないわけでもない。 寧ろここでも幽霊を歓待することが必要だとさえ言えるかも知れない。
36.
それにしても、題名が「牧師の交響楽」でもある、という若林の指摘は一体何なのか?確かに字義通りにはそうだし、実際、手記の書き手は 牧師だ。だが牧師の交響曲とは?これがC. Martinによって夙に指摘されているのはおくとして、「聴覚と触角」といった校正不足による 苛立たしい誤字を含むこの解説では、まるで第1の手記と第2の手記が田園交響楽と牧師の交響楽として対立するかのような説明をしているが、 これは過度の単純化か、あるいは前提としている視点を意図的にか無意識にか言い落としているのでなければ、ナンセンスに近い。 そもそもが時間論的には、第1の手記と第2の手記に分裂があるのではなく、 5月18日辺りに存在する。そこからは文字通り、日記として記述される出来事と記述の時間は同時的になる。それ以前は過去の出来事の 回想なのだ。一方で第1の手記の末尾近く3月10日の記述は、Les phrases d’Amélie, qui me paraissaient alors mystérieuses, s’éclairèrent pour moi peu ensuite ; je les ai rapportées telles qu’elles m’apparurent d’abord. といった記述を含んでいるが、peu ensuiteとはでは何時のことなのか?論理的には3月10日のこの 手記の執筆時点よりは前のある時点ということになる。いずれにしても書き手の意識の中では、若林言うところの「牧師の交響楽」は この時点でもう始まっている筈なのだ。
勿論、第1の手記の末尾近くのジェルトリュードの想像する風景の描写の部分を無垢の、罪なき世界の「田園的・牧歌的調和」とし、 第2の手記ではそれが「牧師による調和」に過ぎず、しかもそれが崩壊していく過程を記述しているという言い方はできるのだろうが、 そもそも牧師が仕組んだ方は、盲目性(牧師自身のそれを含めて)に依拠しているのは、まさに第1の手帖の上記の描写部分において、 ceux qui ont des yeux sont ceux qui ne savent pas regarder.と本人が言っている通りである。これをあえて「交響楽」と呼ぶのであれば、 何らかの構造的な反復や対応が示されなくてはならず、それを示さずにこのことに言及しても何の論証にもなっていない。その一方で、 ベートーヴェンの第6交響曲の対比を持ち出し、「まさしく小説の第二部は「雷雨と嵐」にほかならぬが、これには大音楽家の 第五楽章「嵐の後の喜ばしい感謝に充ちた気持ち」はつづかない」などと記述するのは空疎な修辞にしかなっていない。 「<芸術>を追いかけ追いあげてくる<自然>の衝迫を、ひしひしと感じていたからであろう」とは何事か?ここで<自然>とは 一体何を指しているのか?対する<芸術>の側は?若林論文の副題となっている<自然>と<芸術>の葛藤とは、一体 何を指しているのか、読者は最後までわからずに途方に暮れることになる。どうやら<自然>とは<実生活>のことらしいのだが、 一体どういう葛藤が<芸術>との間にあったのか。寧ろ<芸術>は<自然>と見えるものがそれ自体、欺瞞に満ちていて、 <芸術>による虚構化は、その欺瞞を上塗りするだけにしかなっていないことを告げているようにしか思えない。勿論そこには 岡部正孝が「狭き門」に関して指摘した「現実をそのままの形で表現しないで、現実を完璧な形式の中に閉じこめるという手法」 が介在し、「知性によって見守られ、どんな激情も抑制と品位と雅趣によって芸術に変形されてしまう」という事態が生じているのは 間違いない。であればここには<葛藤>などなく、あるのは醜悪な現実を芸術に転化する、それ自体は(インモラルではなく) アモラルな過程が端的に存在し、だがそれ自体が<自然>の過程の一部でもあるゆえに、<自然>の側の影響を受けずには いないという、作品の価値とは独立な、どこでも常に生じている事実に過ぎない。強いて言えば、この作品は第二部において 恐らく意図的にそうした<自然>の進入の痕跡を内部にとどめている、しかも些か奇妙な仕方で、作品自体の自然主義的な 側面に敢えて傷をつけ、罅を入れることによってそうしているということが特徴的だろうが、いずれにせよそこには<葛藤>などないのだ。 寧ろここで注目すべきは所謂「田園的」「牧歌的」な<自然>がどのように機能しているかではないか。ムイシュキンのスイス時代。 「魔の山」。「美しい村」、「菜穂子」「風立ちぬ」の<自然>との対比。第一の手帖のベートーヴェンの交響曲にせよ、ジェルトリュードの 描写にせよ、現実ではない、虚構としての<自然>であることの方が重要だろう。そしてそうした虚構もまた、もう一度現実の一部に 他ならないという往還関係にこそ注目すべきではないのか。だとしたら、ジェルトリュードに語らせる、ルソー主義的な虚構の楽園よりも、 ジェルトリュードに出会うことになった冒頭のあの湖、記憶の彼方から浮かび上がる<自然>に立ち返るべきなのだ。
ここで若林が「田園交響楽」の中でも特に第二の手帖の説明をするときに、蓄音機の、擦り切れてノイズが入り、音が歪むレコードの 比喩を用いていることを書き留めておこう。これは偶然なのだろうか?それは単なる修辞なのだろうか。もう一度、この物語の 設定された19世紀の最後の10年にはまだ蓄音機というのは一般的ではなかった(エジソンによる蓄音機の実用化は1877年、改良が1888年である)。 だが、この物語が執筆された時期であれば必ずしもそうではない。ちょうど執筆時期にあたる第1次世界大戦の前のスイスの サナトリウムを舞台にした「魔の山」の終わり近く、ハンス・カストルプが蓄音機で音楽を聴くことに耽溺といっていい熱中を 示す部分のことを思い出してもいいだろう。ついでにハンス・カストルプが参加する降霊会の描写から、エジソンのオカルト研究、 死者との交信の試みが、彼の発明の動機であったことにも言及すべきだろうか?更には、流布した発明王エジソンのイメージには、 1886年にヴィリエ・ド・リラダンに書かれた『未来のイヴ』 (L'Ève future) における女性型アンドロイドの制作者というものまで 含まれる。バーナード・ショーが言語学者による発音矯正を素材とした戯曲「ピグマリオン」(これはミュージカルになり、 映画化されたものが有名であろう)を書いたのは1913年。 なお直接ジッドが「田園交響楽」の素材として参照した可能性のあるヘレン・ケラーの回想録の出版は 奇しくも「田園交響楽」と同じ1919年。一方、ディケンズがローラ・ ブリッジマンとボストンで会ったのは1842年のことであり、それは1845年の「炉辺のこおろぎ」に取り入れられることになった。 (ところで、ここでもジッドはミスを犯している。自分で物語を19世紀末に設定しておきながら、ローラ・ブリッジマンにまつわる出来事が vers le milieu du siècle dernier 「前世紀の中ごろ」に起きたとマルタンに言わせているのだ。明らかにジッドは自分が今、 20世紀になって書いていることに気をとられていて、自分が設定した物語の年代を忘れてしまっているのだが、結果的に テキストを文字通りに読むと、ローラ・ブリッジマンの出来事はディドロやコンディヤックの時期、18世紀の中頃の話になってしまう。 まさか本当にコンディヤックと同時代の話だと思ったわけでもなかろうが、こうした歴史的な事実関係に関する無頓着さは、 それ自体、ジッドという人が持っている或る種の偏向を告げるものであることは間違いないだろう。)
それはまさに、「モリヌー(クス)問題」を通じて垣間見たロックやライプニッツからはじまって、コンディヤック、ディドロ、 更にはヴォルテールやルソーが議論した、人間の知性の起源、認識や言語の起源の問題を実際にシミュレーションすることで検証していく 潮流の一部なのである。ジッド自身、コンディヤックの感覚論における思考実験としての人形制作を学生時代に教授から聞いた話として (à propos de Condillac et de sa statue animée)マルタンに語らせることにより、ジェルトリュードが聖書の自由解釈に基づく 「白紙(タブラ・ラサ)」から教育の思考実験であることを示唆している。それにしてはあまりにお粗末であることは既に見てきた通りだが、 それでもなお、ここで提起されることもできた問題の潜在的な射程は非常に大きなものであったろうと思われる。 その後の発達心理学や認知心理学の発展を経て(ちなみに構造主義的な発達心理学を構築したジャン・ピアジェが、 1925年から1929年まで、ヌーシャテルの大学で教鞭をとっていることを書き添えておくことにしよう)、 今日であれば、ジェルトリュードの教育の問題は、ヒューマノイドロボット自体の学習の問題として扱われる可能性がある一方で、 そうしたロボットをも含めた、変容し発展するメディアによる身体性の補綴の恩恵と弊害の問題、メディアや化学物質を介した情報操作や 人間の意識や感情・心理状態の操作まで視野に入れた広大な問題領域に通じるものがあるだろう。
37.
結局、正鵠を獲た指摘と思われるのは、モーリヤックの聖書解釈を巡ってのジッド批判であったり、デュ・ボスの文学的観点からの批判であったりする。 とりわけデュ・ボスの批判は非常に正確であり、日本での「田園交響楽」の解説を不要なものとするほどだ。
「日記という形式は播種には適していたが,収穫物の取り入れには相容れなくなってきた。このように芸術的で微妙な題材を確実に処理する審美眼を恐らくジッドは持ってい たであろう。しかし,この時点で新たな形式を採用することに彼は同意するだろうか。その場合,そこまであれほど完壁に維持してきた印象の一貫性を乱すという危険を冒す ことにはならないだろうか。やはり,牧師の視野に入ってくることだけを読者に伝達することに限定すべきではないか。作品の純粋な美しさをくもらせることを恐れ,また妥 協案に甘んずることもできなかったジッドは,徹底的な自制を選んだ。単なる事実の列挙で作品は幕を閉じる。それまでの格調をいくら保とうとしても無駄である。結末を急 いでいるのが,やはり感じられる。」(山本訳による)
そう、ジッドは勿論これに気付いていて、日記に結末を急ぎすぎたと記している。 日記形式を選択したこと自体が第二の手帖の最後で破綻する、という指摘は全く正しい。日記は牧師の自己欺瞞を、その盲目性を 示すばかりで、最後に起きる出来事をその素材に相応しい重層的な視点で描くことはできない。砂漠よりも乾いているのは牧師の心の裡だけではない。 実際にはこの末尾において、レシを支えていた技法が枯渇してしまうのだ。しかもこれは単なる小説技法の破綻ではない。 それはジッドの認識のあり方の限界そのものなのだ。ジッドは危機を捉えるにあたっては、作者が匿名性に退隠できる展望主義(「贋金作り」)や ソチ(「法王庁の抜け穴」)に逃げてしまう。作中人物は責任を取らされるが、ジッド自身は無責任で、絶対に自己を犠牲にすることはない、 というデュ・ボスの指摘は全く正しい。ジッドは解決を示さない、それは読者が解くのだと、さも得意げにジッドの物語の解説者は読者に向かって講釈を垂れるが、 それでは解説者はその解決に到達できているのか?否、ジッド自身が解決を放棄しているだけなのだ。だからそもそも到達すべき解決などないのだ。 彼は自分の動揺を外に向かって撒き散らしているだけなのだ。
デュ・ボスが正確に指摘しているように「ジッドは何であろうと自分自身の一部分を犠牲に供するなどということは絶対に認めたことがないにもかかわらず, 現代の作家たちのなかで彼だけが犠牲的行為の雰囲気を特権的に所有している」のは、彼が「誠実さ」を担保としているからなのだが、 それではその誠実さとは何かといえば、「田園交響楽」の牧師の日記のレベルのそれ、つまり「自らの思想のすべてを明るみに出し人目にさらす」ことでしかない。 (牧師も自分が書いている日記が他人に読まれることを意識していることを思い起こそう。)実際、ジッドは物語と並行するように、 そうした「告白」を繰り返し行っているが、それが所詮、自分を(自分自身も含めた)相手に向けて見せることに過ぎないのであれば、 そこにポーズが忍び込むのは避け難い。ジッドの自意識は結局犠牲に供されることはない。なぜなら、「何ものかが他のものの犠牲になってはならない」 からであり、牧師の恣意的な聖書解釈がそうであるように、そしてイワン・カラマーゾフが述べたように、「罪はなく」「全ては赦される」からだ。
38.
モーリヤックはジッドに対する批判として「神によれば、神への最大の捧げ物は打ち砕かれる悔いる心なのである」のに対して、ジッドは己が罪人であることを 決して認めなかったことを挙げている。この点がジッドとドストエフスキーを分ける決定的な分岐点なのだ。ジッドの聖書の自由解釈は「田園交響楽」の 末尾において、牧師が己の罪を認めることなく、それゆえにアメリーに祈りを求めはしても、自らは祈ることができない心の砂漠に彷徨する点に現れている。 無論、それがジッドによって意識的に選択された結論である可能性はある。だが、そうだとしても、彼こそが盲目であることの否定にはならない。 寧ろ彼はオイディプスに似ているのかも知れない。スフィンクスの問いに答え、最後には自ら盲目となることを選ぶオイディプス。
ジッドは自分が対話し、赦しを請うべき他者を、まさにこの「田園交響楽」で葬ったのだろう。彼は結局、自分の罪を認めず、自分の行動が起こした 結果について、自己の責任を受け容れなかった。自分が他者と異なっていることに拘りつつ、だが他者の差異自体については無関心であった。 そうした彼は精神的にも自意識の砂漠を彷徨することを選んだ。そうした自己の衝動に対して忠実であることを彼は「誠実さ」と名付け、 「誠実さ」の名の下に他の全てを犠牲にした。残ったのは手帖=作品であり、他のものは全て踏みにじられた。だが、ではその結果、芸術は 救済されたのか?こんな人間が、かつて指導的な知識人として顕揚されたことがあったのだ。もっともこの最後の点は、別にそれは特殊な出来事ではなく、 常にそうした、アリョーシャが思わず否認したくなるような「正義」の蹂躙の歴史が、この世界の歴史そのものなのかも知れないが。フェラポントの 取り巻きは何時、何処にでもいるものだ、というのは例えば日本におけるジッド受容で発言力を持った人間の言っていることを見ればわかることだ。
ジッドが良く知っていた筈のドストエフスキーの中でもとりわけ「カラマーゾフの兄弟」を参照したとき、ジッドが遂に何を理解しなかったかを 端的に言うことができることに気付くだろう。「田園交響楽」の牧師の在り方の裡に決定的に欠落しているのは、 罪の意識と、共に苦しむという姿勢だ。そしてそれはジッドにも欠落していた。
39.
最後の問い。ではこの「田園交響楽」の完成度の高さを、この作品が世代を超えて残っていることを、その内容について、作者についてかくも 批判的でありながら、この作品を繰り返し読み、取り上げるのは何故なのか?最終審級において、ジッドの芸術への、文体への執着を 認めざるをえないのか?だが、それはそもそも最終審級なのか?この作品が妻に対する(表面的な)弁解を超え、ジッドが踏みにじったものへの 無意識の、あるいは意図せぬ賞揚になっていたとしたら?(ここで思い起こされるのは、またしてもドストエフスキーである。「カラマーゾフの兄弟」の 「大審問官」を聞いたアリョーシャのコメントを思い起こそう。)ジッド自身が気付かない無意識の働きが、「田園交響楽」に「狭き門」の隣に位置する ことを可能にする何かをこの作品に与えていはしまいか?「カラマーゾフの兄弟」から「白痴」へと逆に辿るように、「田園交響楽」は、それでもなお、 「狭き門」がそうであるように、だが実質において「狭き門」とは全く別の次元において、やはり或る種の構造上の「特異点」であることは認めざるを 得ない。それはアメリーやジェルトリュードやジャックの犠牲のもと、現実の世界におけるマドレーヌの犠牲によって、彼らがジッドを媒介にして 産み出したものなのだと考えるべきなのか?私はP.リッチが「ジッドの再評価」の末尾に、同じような自問をしつつ、ジャムの言葉を掲げたのに 賛同したい。ただしそこでジャムが言及するのは勿論、「田園交響楽」の誰でもなく、「狭き門」のアリサであることを強調しておこう。 つまるところ「田園交響楽」は「狭き門」を通じて読まれなければ、読み続ける価値はないし、仮にその評価をフランス語の文体に限定したとしても やはりそうなのだ。ジッドの文体の頂点は、やはり妻マドレーヌと彼が創り上げたアリサの圏にある。ジッドの傑作はいわば外部からの光によって 輝いている。勿論、その文体を創出したのはジッド自身をおいていないが、にも関わらずその文体が永遠の光を獲るには、ジッド自身は無力であった。 他者からの無償の愛が作品自体に流れ込むことによって、その場合に限って、その文体は光を放ちえたのだ。「田園交響楽」の作品内部には 光源はない。辛うじてアメリーの悲嘆を通して、そしてそれを感じ取り、それに耐え切れなかったジェルトリュードを通して、いわば間接照明のように 作品は照らし出されている。ここでその光の質を定めているのは、寧ろここで語られた出来事そのものの重みであろう。
更に今一度、デリダが 「盲者の記憶」において、目は見るためもののであるにまさって、泣くためのものであると記していることを思い起こそう。こちらはジッド自身が認めて いることだが、「泣くこと」は「祈ること」に置換可能でもある。牧師は泣くためのものとしての目をも喪失し、祈ることもできなくなったが、同時に、 泣くことが、記憶と関わっていることを思い起こせば、ここでももう一度、祈ることもまた、記憶と関わっていることに思い至るであろう。 涙は水のイマージュの一部を構成し、それはまさに天から到来するものではなかろうか?アリサが記した、パスカルが回心の折に記したとされる言葉を 思い起こそう。彼女が同じ日記に、黙示録のあの言葉、「今よりのち、主の中に死すものはさいわいである」を書きとめたことを思い起こそう。 この意識・無意識の何重ものイロニーによって蔽われた作品は、だがジッドがそこから離れようとして離れられなかったという意味で、ほとんど意に反して 依拠し続けた泉からの水によって、まるで責任を果たすかのようにして書きとめられた。マドレーヌはジッドに対して、この作品はジッドでなくても書けた のではないか、と語ったとされるが、自分の言葉の持つ皮肉に彼女自身は気付いていただろうか?そう、確かに、「地の糧」の、「法王庁の抜け穴」の、 「贋金作り」の作者ではない誰かがこの作品を書いたのだ。ジッドの中にいるジッドではない別の誰かが。ジッドの中に穿たれた外部からの光に照らされて、 湖はこの世ならぬ光に満たされている。ジェルトリュードに語らせる虚構の楽園の風景ではなく、冒頭の、忘却の彼方に沈んでいた湖こそが、記憶の 貯蔵庫であり、涙の水源であり、仮にそれがこの作品を書き終えることで涸れてしまったとしても、この作品自体は、その最後の記憶を留めるものなのだ。 カフカの「審判」とは異なって、ジッドは予め結末を書いてしまっていたわけでもないし、「城」のように結末を放棄するよりは、牧師の日記の内部で 作品を「干上がらせる」ことの方を選んだようだ。(実際、「贋金作り」の後の最後のレシ三部作は未完の状態で出版されることになる。) 「田園交響楽」は物語の終焉であり、物語自体が枯渇する過程の記録として、特異点なのである。何故、終わらせることができたのか?否、 何故、放棄することなく、後にはそうするように、未完のまま出版することなく、終わらせなくてはならなかったのか?ジッドの内なる外部、他者が そのように命じたからに違いない。ジッド自身が企んだイロニーや批判的意図(それらは賞味期限つきであり、所詮は時代を超えて作品を生き残らせる 要因にはなりえない)を超えてこの作品を永続化させるもの、それはこの物語を書き終えることが贖罪の行為遂行に他ならないからであって、 ジッド自身が、この後、自伝なり日記の公開といったかたちで行う事実性と真実の装いをこらした、だが意識・無意識の欺瞞と記憶違い、 主観的な思い込みによる歪曲を避けることのできない「告白」の露悪趣味、勘違いされた「己を虚しくする」 姿勢よりも、逆説的ながら、贖罪の行為遂行たりえているからなのだろう。ジッドのような自意識の持ち主にあっては、フィクションが ノンフィクションよりもより正確に「事実」を証言する逆説が成立する。登場人物に罪を押し付け、過失の責任を取らせることで、作者は 問題から身を逸らすのだが、残された作品は、自分の内なる他者の声が寧ろ歪むことなく響いてくる。時間の空間の隔たりを超えて、別の岸辺に届くのは 壜の中に封じ込められた、そうした他者の声なのだ。
40.
人はどんな時に泣けなくなるのか?どんな時に祈れなくなるのか?そして泣くことができるようになるのは如何にしてか、祈ることができるようになるのは 如何にしてか?それを考える手がかりを作品の内部に探してみようと思ったとき、第一の手帖にこんな会話があったことを思い起こしてみるべきだろうか?
– Non, Gertrude, non, je ne suis pas malheureux. Comment serais-je malheureux ?
– Vous pleurez quelquefois, pourtant ?
– J’ai pleuré quelquefois.
– Pas depuis la fois que j’ai dit ?
– Non, je n’ai plus repleuré, depuis.
– Et vous n’avez plus eu envie de pleurer ?
– Non, Gertrude.
そしてこれを、結末の言葉と突き合わせるのは不当なことだろうか?一体何が変わったのか?泣くことは第一の手帖では寧ろ否定的な状態、 幸福から疎外された状態と見做されていたのではなかったか。だがまさか末尾の以下の言葉に肯定的な意味合いを読み取るものはいないだろう。 否、寧ろここにおいてようやく、第一の手帖の幸福の定義の誤りに牧師は思い当たったのだ、というように考えるべきなのだろう。
J’aurais voulu pleurer, mais je sentais mon coeur plus aride que le désert.
それでは牧師にこういわせるジッド自身はどうか?ジッドは結論を急いでいたことを自ら認識していたらしい。だが正確には、 問題の解決を放棄した、あるいは本当の問題から目を背けたというべきではないのか?それは作品に結末をつけることの美学的な 意味合いでの放棄でもあるのではないか?一体、作品はどこに辿り着くべきだったのか?
そこでもう一度、煩瑣を厭わずに冒頭の恩寵の記録の企ての宣言と祈りとに戻ろう。牧師はこのように書いていたはずである。
J’ai projeté d’écrire ici tout ce qui concerne la formation et le développement de cette âme pieuse, qu’il me semble que je n’ai fait sortir de la nuit que pour l’adoration et l’amour. Béni soit le Seigneur pour m’avoir confié cette tâche.
この企ては挫折する。正確には、牧師が託された仕事は完了していなかったのに、彼はもう並行して記録を始めたのだ。しかも彼はそれを自分の 記憶に基づいて再構成しようとする。自ら認めているように、記録を残すことを怠ってきたからだ。
Je regrette à présent de n’avoir point pris note, ainsi qu’il me le conseillait, des premiers pas de Gertrude sur cette route crépusculaire, où moi-même je ne la guidais d’abord qu’en tâtonnant.
彼が思い出し、書き付けるのは寧ろアメリーがその企てを非難したこと、彼女の信念の欠如をあげつらうことだ。 しかし、翌日になるともう、ジェルトリュードの記録そのものが、書き留めるに値しないものであるとして、飛ばされてしまう。 彼が最初に企てたことは一体何だったのか、読み手は当惑することになる。
Mais je crois inutile de noter ici tous les échelons premiers de cette instruction qui, sans doute, se retrouvent dans l’instruction de tous les aveugles.
しかしそれにも増して注意すべきなのは、恐らく書き始めの時点では、ジェルトリュードの開眼手術のことは牧師の念頭にはなかったであろうということだ。 つまり正確に言えば、この物語はジェルトリュードに関する2つの異なった出来事を扱っているというべきなのだ。第一の出来事についても不自然なほどに その過程は圧縮されており、非現実的な期間で達成されたかのような記述になっている(まさか、そのこと自体が奇跡であるというわけでもなかろう)が、 それでもこちらは、実証的な事例をベースにしたものになっているのに対し、第二の出来事については、牧師のみならず、ジッド自身が準備不足なのは明らかだ。 既に見たように、第一の出来事の叙述のついでに触れられたコンディヤックとその周辺の議論を少しでも知っていれば、第二の出来事が幾つものレベルで 非現実的なのは明らかだからだし、牧師(とジッド)は、自分のことにかまけていないで、開眼手術がジェルトリュードにとって持つ意味合いと、その後に 起きることについての配慮をすべきだったのではないか。開眼手術が成功したと聞いたとき牧師が考えるのは、専ら、自分が見られることへの恐れだ。 彼の懸念は、彼をジェルトリュードが認識できるかどうかでしかない。だが、本当の懸念は、これも既に見たとおり、有効になった視覚から入ってくる 情報を処理することができるのか、それまで空間の認知に用いていた触覚・聴覚のシステムと統合し、視覚イメージに意味を与えることができるかどうか であるべきなのだ。
L’idée de devoir être vu par elle, qui jusqu’alors m’aimait sans me voir – cette idée me cause une gêne intolérable. Va-telle me reconnaître ? Pour la première fois de ma vie j’interroge anxieusement les miroirs. Si je sens son regard moins indulgent que n’était son coeur, et moins aimant, que deviendrai-je ? Seigneur, il m’apparaît parfois que j’ai besoin de son amour pour vous aimer.
第二の出来事が生じて以降の結末は、それが錯乱した牧師の妄想であるとでも考えなければ整合的に理解できないのも既に述べたとおりである。 しかし、第一の出来事のジェルトリュードの記述にあたって、触覚による視覚の代補に関する描写が不自然なほど少ないのに対応するように、 第二の出来事が起きた後のジェルトリュードの視覚に関する記述は少ない。
Quand vous m’avez donné la vue, mes yeux se sont ouverts sur un monde plus beau que je n’avais rêvé qu’il pût être ; oui vraiment, je n’imaginais pas le jour si clair, l’air si brillant, le ciel si vaste. Mais non plus je n’imaginais pas si osseux le front des hommes ; et quand je suis entrée chez vous, savez-vous ce qui m’est apparu tout d’abord… Ah ! il faut pourtant bien que je vous le dise : ce que j’ai vu d’abord, c’est notre faute, notre péché. Non, ne protestez pas. Souvenez-vous des paroles du Christ : « Si vous étiez aveugle, vous n’auriez point de péché. » Mais à présent, j’y vois… Relevez-vous, pasteur. Asseyez-vous là, près de moi. Écoutez-moi sans m’interrompre. Dans le temps que j’ai passé à la clinique, j’ai lu, ou plutôt, me suis fait lire, des passages de la Bible que je ne connaissais pas encore, que vous ne m’aviez jamais lus.
開眼手術後たった数日で、視覚情報から単なる色彩や明るさではなく、奥行きや形態の認知を行うことができるというのが非現実的であるというのは 既に述べたとおりであるが、ここで注目されるのは寧ろ、牧師の禁止を犯してパウロの書簡をジェルトリュードが知ったのが、視覚を通してではなく、 聴覚を通してであり、ジャックに読んでもらってであるということが告げられる点である(それゆえそれは、実は開眼手術を受ける前であった 可能性すらあるだろう。)。勿論、ジャックの顔、アメリーの表情、そして牧師の顔を見るという記述もあるが、本当に視覚は彼女がそれまで 持っていなかった情報を付加しただろうか?彼女は、目が見えるかどうかの事実の水準ではなく、 視覚が利用可能になったという権利上の水準で、彼女の罪の認識を語っているかのようではないか。要するに、第二の出来事のうち、開眼手術と いうのは、様々な認識の変化をもたらすいわばきっかけのようなものに過ぎず、象徴的な意味で用いられているかのようである。 彼女自身も認めているように、彼女は開眼手術を受ける以前に既に知っていたはずなのだ。恐らく知覚のレベルにおいて、開眼手術によって 得られた視覚が彼女に新たな認識のモードを与えることがなかったように、第二の出来事が生起したのは知覚とは別の水準においてだったのではないか。
Après que Jacques fut reparti, je me suis agenouillé près d’Amélie, lui demandant de prier pour moi, car j’avais besoin d’aide. Elle a simplement récité « Notre Père… » mais en mettant entre les versets de longs silences qu’emplissait notre imploration.
結末の部分もまた、視覚よりも聴覚が明らかに優位に立っている。まるで視覚は最早用を為さないかのようだ。それでも目は涙を流すことは できるはずであるのに、それができず、あるいは祈ることができない、と牧師は言う。牧師は何故、何のために泣こうと思ったのか。 何のために祈ろうと思ったのか?ジッドはそれを読者に委ねて物語を終えてしまう。まるで自分はもはやそのことについて、最早何もしないとでも 言うように。彼は答えたくないのか?多分その通りだ。それ以前に彼には答えがないのか?多分その通りだ。それでも彼は答えを探そうという気は ないのか?多分その通り、彼には答える意欲がない。そして彼は「贋金作り」に向かうのだ。そうして語りが中断された物語は、 一体何のために存在しているのだろうか?これは不毛と枯渇のドキュメントなのだろうか?祈りの不可能性の証言。 泣くことの不可能性の証言。どのようにしたら祈れるようになるのか、どのようにしたら 泣くことができるのかについては、ここでは何も語られない。書くことが、自己に関わるものである限りにおいて、自己が廃墟と化したとき、 書こうとする欲望は枯渇し、書くことは停止してしまう。だが、書かれたものは残る。書こうとする欲望がかつてあったという痕跡は残る。 廃墟としての自画像は残る。もしかしたらジッド自身はそれから目をそらすために書き捨てた、この結末の廃墟に人は何を見出すのか?
もしこの結末に何かが残っているとしたならば、それはまさに(ジッドがそのように書いたとおり)、他者の、犠牲者であるアメリーの祈り、 しかも被害者が加害者の救済を祈るという逆説的な状況にあるのではないか。牧師は祈れない。作品は最後まで牧師の手記であることを 止めることがない。だが作品は牧師の最後の独白の向こう側に、他者の祈りをこだまさせている。アメリーの心理は描写されない。行為だけが、 被害者による加害者の救済のための祈りという行為だけが残る。この行為が辛うじて作品を終わらせることができる。能楽との類比でいけば、 ワキのアメリーの祈りによって作品は終ることができるのであり、留拍子を踏むのはワキのアメリーなのだ。 そして何かが再び生じるとしたら、それは作品を辛うじて終わらせることのできた契機と同じもの、この自己の廃墟における他者の祈りからでしかないだろう。
(2013.9.15 私家版公開, 2014.6.28 本ブログで公開, 2014.11.1 山崎与次兵衛アーカイブ:ジッド「田園交響楽」https://lasymphoniepastorale-gide.blogspot.com/ に移設(総アクセス:6110)。2022/12/09 本ブログに戻して再公開, 2026.5.13 再公開)
原文および翻訳テキスト
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- André Gide, La symphonie pastorale, collection Folio, Gallimard, 1925
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- André Gide, La symphonie pastorale, édition établie et présenté par Claude Martin, Lettres Modernes , Minard, 1970
- 『田園交響楽』(新潮社アンドレ・ジイド全集第5巻、堀辰雄・神西清訳、1950年初版)
- 『田園交響楽』(新潮文庫、神西清訳、1966年12月20日改版)
- 『田園交響楽』(新潮文庫、神西清訳、2005年5月25日改版)
- 『田園交響楽』(岩波文庫、川口篤訳、1933年4月文庫版初版)
- 『田園交響楽』(岩波文庫、川口篤訳、1965年2月改版)
- 『田園交響楽』(角川文庫、今日出海訳、1952年9月初版)
- 『田園交響楽』(三笠文庫、井上勇訳、1952年文庫版初版)
- 『田園交響楽』(河出文庫・堀口大學訳、1954年5月30日初版)
- 『田園交響楽』(河出版世界文学全集第33巻、新庄嘉章訳、1962年6月初版)
- 『田園交響楽』(旺文社文庫、新庄嘉章訳、1969年5月初版)
- 『田園交響楽』(社会思想社、現代教養文庫、白井健三郎訳、1965年初版)
- 『田園交響楽』(講談社世界文学ライブラリー22、中村真一郎訳、1972年初版)
- 『田園交響楽』(筑摩書房世界文学全集第47巻、入沢康夫訳、1970年初版)
- 『田園交響楽』(集英社世界文学全集 ベラージュ第62巻、若林真訳、1978年初版)
- 『田園交響楽』(学習研究社世界文学全集第18巻、手塚伸一訳、1978年初版)
- André Gide, The pastoral symphony, translated by Dorothy Bussy, 1931
- 「田園交響楽(La Symphonie Pastorale)」1946年、フランス映画。監督:ジャン・ドラノワ、出演:ミシェル・モルガン、ピエール・ブランシャール
- 「田園交響楽(The Countryside Symphony Music)」1937年、日本映画。監督:山本薩夫、出演:原節子、高田稔
文献
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