2024年12月18日水曜日

続・「虹機械」機械学習実験ノート(2024.12.18 更新)

 1.はじめに

 以前、三輪さんの『「虹機械」はじまりのうた』を素材としたGoogle Magentaのmelody RNNモデルを用いた模倣の実験を行った結果を記事「Google Magentaを用いた『「虹機械」はじまりのうた』の学習実験ノート」で報告しました。本稿はその続報として、『「虹機械」はじまりのうた』および『「虹機械」公案-001』を素材にしてPythonのライブラリPyTorchのLSTMモデルを用いた模倣の実験を行い、模倣ができることを確認できたので、その結果を報告します。前回は模倣実験そのものの成否よりも、アルゴリズミック・コンポジションの中でも、決定論的な規則に従う離散力学系を作品の構成原理としている三輪さんの作品を機械学習の対象とすることに意味合いの考察に重点がありましたが、今回は、どのような設定で模倣に成功したかを報告することに主眼を置きます。実験の動機、意図や狙いなどについては前回の報告に記載しているものと基本的に同じですので、そちらをご覧い頂ければ幸いです。また今回は時系列データの機械学習のためにリカレント・ニューラルネットワークを用いますが、これについてはWeb、書籍等で様々な解説が行われているので、そちらに譲ることにして、ここでは具体的にどのタイプのリカレント・ニューラルネットワークを使って、どのようなモデルを構築して、どのように訓練をしたかを報告することにさせて頂きます。

[2024.10..30追記]その後、本稿の続編となる記事「続・「虹機械」機械学習実験ノート補遺:生成系列長を長くした場合について 」で報告した実験に際して、本稿で公開した出力結果のmidiファイルを作成するプログラムに不具合があり、同一音形のチャネルが重複した内容になっていることが判明しました。幸い前回報告の範囲ではチャネル数はごく普通に用いられるレベルですので恐らく実害はないものと思われますが、不要な負荷をかけることになるため、不具合を修正し、MIDIファイルとWAVファイルを修正した版で、本稿にて後述の公開アーカイブRainbowMachine_LSTM.zipを更新しています。そのためお手数をおかけして申し訳ありませんが、前回報告の結果を取得された方は、更新版を再取得頂き、前回のものは破棄して今回のものに置き換えて頂ければ幸いです。なお、続編記載の追加実験をリクエストして頂き、また不具合発見に繋がる指摘をして頂いた三輪眞弘さんに御礼申し上げます。


2.実験のデザイン

2.1.実験の目的

 今回の実験は、前回既に報告した通り、Google Colaboratory上でのMagentaのインストールが、依存しているライブラリの整合性の問題で失敗するようになり、実験の継続ができなくなり、長らく中断していたのに対し、ようやく自分で簡単なプログラムを作成して、MIDIファイルから必要なデータを抽出し、簡単なニューラルネットワークモデルを構築して機械学習の実験を再開できるようになったことから、まずは前回の実験を継続して模倣ができることを確認しようと企図したものです。

2.2.対象データ

 実験の素材として用いた『「虹機械」はじまりのうた』および『「虹機械」公案-001』は基本的に「単旋律」です。旋律とはいっても歌謡のような滑らかな声部進行ではなく、ピアノで弾き通すにはヴィルトゥオジティが要求される跳躍進行を含む16分音符の高速なパッセージの連続ですが、譜面上は或る時点で鳴っている音は常に単音です(但し、休符は含まれます)。リアリゼーションにあたってはサステインペダルの指示によって「音響」の水準で音が重なった状態になる箇所がありますが、ここでは休符を含めた音の状態遷移系列を対象とします。

2.3.入力データの準備

 そこでまず、作品のエミュレーション結果のMIDIファイルから、休符を含めた音の系列を抽出することにします。前回はMagenta任せでしたが今回は以前自作して、マーラーの作品の分析でも使用してきたMIDIファイルを解析するCのプログラムを使用し、ピアノロール形式(各時点――『「虹機械」はじまりのうた』『「虹機械」公案-001』とも16分音符が基本単位ですので16分音符単位で――MIDIノート0~127のうち鳴っていない音は0、鳴っている音は1を値とするベクトルで表現し、このベクトルを時系列に沿って並べたマトリクスの形式)のデータを作成して、これを入力として用い、ピアノロール形式のデータから休符を含む音の系列を抽出することにしました。ピアノロール形式のデータでは休符の箇所はMIDIノート0~127を表すベクトルの全ての要素が0ですが、一次元の音の系列に変換するにあたり、休符には一旦、0~127以外の任意の値(例えば128)を割り当てることにしました。

2.4.入力データ形式

 次にニューラルネットへのデータの与え方ですが、前回もそうであったように、ここでの実験の最初の目的は所謂「学習」ではなく「模倣」です。「虹機械」の規則の学習にあたって、まずは原曲の音の系列を正しく再現できるかどうかを問題にするので、訓練用のデータセットと検証用のデータセットを分けることはせず、原曲を上記の入力系列長と次の1音の正解出力という形にして訓練を行うことにしました。例えば「虹機械 公案-001」の冒頭から16ステップ分のMIDIノートの系列を示すと以下のようになります。

[61, 53, 68, 61, 73, 66, 90, 71, 59, 76, 52, 59, 71, 76, 68, 63, …]

ここから入力の系列データ(系列長=4)と出力の正解データの対を以下のように作成していきます。

[61, 53, 68, 61]→73
[53, 68, 61, 73]→66
[68, 61, 73, 66]→90
[61, 73, 66, 90]→71
[73, 66, 90, 71]→59
[66, 90, 71, 59]→76
[90, 71, 59, 76]→52
[71, 59, 76, 52]→59
[59, 76, 52, 59]→71
[76, 52, 59, 71]→76
[52, 59, 71, 76]→68
[59, 71, 76, 68]→63

 このようにして作品の全系列についてデータを作成します。系列長-5の入力データ→正解データのペアができ、これを1回通すのを1エポックとします。「虹機械 公案-001」が390小節あるのに対し、「虹機械 はじまりのうた」は260小節+1音(いずれも1小節に16分音符16個)で、作品の規模は「公案-001」が「はじまりのうた」の1.5倍の系列長を持ちますが、この割合はそのまま入力データの1エポックあたりのパターン数の割合になります。


2.5.ニューラルネットワークのデザイン

2.5.1.ネットワークモデルの選択

 次にどのようなニューラルネットワークモデルを用いるかを検討します。モデルとしては、「虹機械」が状態遷移機械であることから、ごく素直に直観的に、一定の長さの(休符を含む)音の系列に含まれる音を順次与えて次の音を予測し、正解データと照合して訓練するというものを考えます。時系列データの学習に適したニューラルネットワークモデルとして従来から研究されてきたものとして、リカレントネットワークがあります。例えばMagentaではmelodyRNNというモデルを使用しましたが、これはLSTMと呼ばれるリカレントネットワークの拡張版を用いて実装されていました。近年はリカレントネットワークではなく、Attentionというメカニズムを用いた手法が提案され、自然言語処理などの分野にブレイクスルーをもたらしましたが、ここではまずはごく基本的なメカニズムを用いた実験を行うことにし、LSTMを用いることにします。

 ニューラルネットワークには幾つかのハイパーパラメータがありますが、今回用いるLSTMのハイパーパラメータは以下のように設定しました。

2.5.2.ネットワークの層数

 入力層・隠れ層・出力層の3層とします。

2.5.3.各層の構造とノード数

 ここでの問題は、一定の長さの(休符を含む)音(MIDIノートないし休符を表すトークン)の系列を順次与えて、次の音を予測させる場合に、出現しうるMIDIノート(と休符)のうち、どれが最も出現する確率が高いかを訓練により学習することです。この点を踏まえて以下のようにニューラルネットワークの構造と各層のノード数を決定しました。

(a)入力層

入力として与える系列の長さについては、前の音と今の音から次の音を決めるという「虹機械」の基本的な状態遷移規則を念頭におけば長さ=2で十分な筈ですが、現実の作品は基本的な状態遷移規則だけが用いられているわけではありません。(この点については、例えば記事「「POC#20」にて三輪眞弘ピアノ作品を聴いて」の関連個所を参照頂ければ幸いです。)一方でリカレントネットワークは時間方向に展開して逆伝播を行いますが、展開する時系列が長くなり、層が深くなるにつれて勾配の誤差が積み重なってしまう、いわゆる「勾配消失」「勾配爆発」の問題があることが知られています。今回採用したLSTMはまさにその問題に対処するために改良されたものなのですが、系列長が長くなるにつれて学習が困難になり、また時間がかかるようになる点は変わらないため、まず系列長=4で実験を行い、その後比較対照のために、系列長=2の場合と系列長=8の場合についても実験を行う事にしました。

(b)出力層

出力層の各ノードを出現しうるMIDIノートと休符に対応づけ、それらのノードに対してsoftmax関数を用いることにしました。従って入力層のノード数は1とし、出力層のサイズは、対象となっている作品で出現しうるMIDIノートの最大値-最小値+2(休符用のノードが必要になるため)になります。

(c)隠れ層

隠れ層のサイズは一般に、対象とするデータや問題依存であり経験的に決定するものとされていますが、ここではMagentaではmelodyRNNのデフォルト値が128でしたので、それを参考にして128で実験を行って、その結果により、必要に応じて調整を行うことにしました。

2.5.3.損失関数・オプティマイザ・学習率

 損失関数、オプティマイザについてはそれぞれ一般的に用いられている交差エントロピー、ADAMを用い、学習率も一般的な設定である0.001で実験を行うことにしました。

2.5.4.訓練のエポック数

 訓練の打ち切り基準についても一般に、対象とするデータや問題依存であり経験的に決定するものとされています。この実験では、lossの大きさにより訓練の進み具合を判断することとし、3000エポック、5000エポック、10000エポックといった区切りにおいて概ね0.3程度まで下がったら一旦訓練を打ち切り、評価を行うことにしました。ただし訓練の経過から、lossが目安である0.3まで下がることが期待できない場合には10000エポックで訓練を打ち切って中断することにしました。

2.6.評価方法

 評価については、ここでの実験の最初の目的が原曲の音の系列を正しく再現できるかどうかを確認することにあり、評価用のデータセットを別に用意していないので、訓練用に用意したデータの中から、以下の2種類の条件で行いました。
  • (再現実験)作品冒頭を入力として次の音を予測させる。予測された音を入力列の末尾に加えて、先頭を1ステップずらして、更に次の音を予測させる。これを32回ステップ(16分音符32個=2小節)繰り返す。
  • (生成例)ランダムに開始位置を決めて、作品系列の任意の一部を入力として次の音を予測させる。以下、再現実験と同様の手順を繰り返す。
繰り返しのどこかで原曲とは異なる音が生成されれば当然その後の音の系列は異なったものになります。但し、既述の通り、元の作品も、基本的な状態遷移規則のみに基づいて構成されているわけではありませんし、訓練の打ち切り基準をl比較的緩めに、loss=0.3程度に設定していることもあり、今回の実験については、原曲の音の系列を正しく再現できているかどうかは、32回ステップの範囲で間違った音が生成されていないかどうかで判定することにし、作品系列の任意の一部を入力とした時の予測が正しいかどうかについては確認するのみに留めることとしました。実験の目的からすればオーバーフィッティング(過学習)について気にする必要はないため、lossが更に下がるまで訓練を継続すれば更に再現精度が向上することも期待できますが、その点の確認は今後の課題です。

 結果の検証は基本的にはMIDIノートの系列の比較によって行いましたが、結果を記録するにあたってはMIDI形式およびwav形式での保存をして、結果を聴いて確認できるようにしました。


3.実験環境の構築

 実験のデザインについては以上とし、次に実際に構築した実験環境について述べます。前回同様、機械学習の実験にあたりGPUを利用したいので、今回もGoogle Colaboratory上で実験を実施することにしました。Google Colaboratory上でLSTMのモデルを構築するにはPythonの機械学習用のライブラリを利用することができますが、例えば巣籠悠輔『詳解 ディープラーニング 第2版』(マイナビ出版, 2019)に紹介されているように、利用可能なライブラリにはTensorFlow/Keras、PyTorchといった選択肢があります。近年出版された音楽に関する機械学習についての著作の中で、北原鉄朗『音楽で身につけるディープラーニング』(オーム社, 2023)ではTensorFlow/Kerasを、シンアンドリュ―『深層学習による自動作曲入門』(オーム社, 2024)ではPyTorchを用いているようですが、ここではPyTorchを用いることにしました。

 以前と異なり、2024年現在、Colaboratory Pro環境では利用するGPUモデルが選択できるようになっており、選択肢としては、標準のT4以外にL4、A100に加え、Googleが開発した機械学習用のアクセラレータTPU(Tensor Processing Unit) v2がありますが、今回の問題は規模がそれほど大きくないため、標準のT4で実験を行いました。

 結果の保存についてはまずPrettyMIDIライブラリを用いてMIDI形式での表示・保存を行ったあと、fluidsynthおよびmidi2audioライブラリを用いてwav形式に変換・再生を行えるようにしました。


4.実験の実施条件

訓練は既述の実験デザインに基づき、以下の条件で行いました。

A.「虹機械 はじまりのうた」
  • A-0.主実験:入力文字列長=4, 隠れ層のサイズ=128, 学習率=0.001
  • A-1.比較実験1:入力文字列長=2,隠れ層のサイズ=128, 学習率=0.001
  • A-2.比較実験2:入力文字列長=8 隠れ層のサイズ=128 学習率=0.001
  • A-3.比較実験3:入力文字列長=8 隠れ層のサイズ=256 学習率=0.001
B.「虹機械 公案-001」
  • B-0.主実験:入力文字列長=4 隠れ層のサイズ=128, 学習率=0.001
  • B-1.比較実験1:入力文字列長=2,隠れ層のサイズ=128, 学習率=0.001
  • B-2.比較実験2:入力文字列長=8,隠れ層のサイズ=128, 学習率=0.001


5.実験の結果

 実験結果を以下に示します。なお生成例・再現実験の結果の-1は休符を表します。

 訓練に要する処理時間ですが、作品の規模により異なり、入力系列長や隠れ層のサイズにより異なりますが、いずれもT4 GPUを使用して数十分で完了しました(最長は、「虹機械 はじまりのうた」の比較実験3で約70分)。当然のことですが、入力系列長が長くなれば処理時間が増大するし、隠れ層のサイズが大きくなれば処理時間が増大します。また既に述べた通り、「虹機械 公案-001」が390小節あるのに対し、「虹機械 はじまりのうた」は260小節+1音(いずれも1小節に16分音符16個)で、作品の規模は「公案-001」が「はじまりのうた」の1.5倍の系列長を持つことから、1エポックあたりのサンプル数も1.5倍あるのに応じて、処理時間も増大します。

A-0.「虹機械 はじまりのうた」主実験:入力文字列長=4, 隠れ層のサイズ=128, 学習率=0.001
  •  Epoch数=3000 → loss=0.3996
  •  Epoch数=5000 → loss=0.2829:再現=〇。

生成例:
primer=[56, 75, 82, 46]
予測結果(〇):
[77, 84, 72, 77, 84, 79, 55, 60, 72, 77, 29, 82, 51, 80, 75, 39, 82, 77, 65, 84, 77, 84, 60, 55, 67, 84, 36, 77, 58, 75, 80, 44]
正解:
[65, 77, 72, 79, 84, 77, 53, 58, 70, 75, 27, 82, 51, 80, 75, 39, 70, 82, 65, 84, 79, 84, 60, 53, 65, 82, 34, 75, 58, 75, 80, 44]
[77, 84, 72, 77, 84, 79, 55, 60, 72, 77, 29, 82, 51, 80, 75, 39, 82, 77, 65, 84, 77, 84, 60, 55, 67, 84, 36, 77, 58, 75, 80, 44]
[77, 84, 72, 77, 84, 79, 55, 60, 72, 77, 29, 82, 51, 80, 75, 39, 82, 77, 65, 84, 77, 84, 60, 55, 67, 84, 36, 77, 58, 75, 80, 44]
[77, 84, 72, 77, 84, 79, 55, 60, 72, 77, 29, 82, 51, 80, 75, 39, 82, 77, 65, 84, 77, 84, 60, 55, 67, 84, 36, 77, 58, 75, 80, 44]

再現実験:
primer:[71, 82, 69, 73]
予測結果(〇):
[84, -1, 69, -1, 82, -1, 84, -1, 71, 69, 84, -1, 76, 78, 74, 78, 77, -1, 74, -1, 77, -1, -1, -1, 76, 74, 79, -1, 69, 73, 69, 71, 82, -1, 67, -1]
正解:
[84, -1, 69, -1, 82, -1, 84, -1, 71, 69, 84, -1, 76, 78, 74, 78, 77, -1, 74, -1, 77, -1, -1, -1, 76, 74, 79, -1, 69, 73, 69, 71, 82, -1, 67, -1]

A-1. 「虹機械 はじまりのうた」比較実験1:入力文字列長=2,隠れ層のサイズ=128, 学習率=0.001
  •  Epoch数=3000 → loss=2.0864
  •  Epoch数=5000 → loss=1.8669
  •  Epoch数=10000 → loss=1.6362:中断。

A-2. 「虹機械 はじまりのうた」比較実験2:入力文字列長=8 隠れ層のサイズ=128 学習率=0.001
  •  Epoch数=3000 → loss=0.2947
  •  Epoch数=5000 → loss=0.1319:再現=×。
生成例:
primer=[77, 29, 80, 53, 77, 58, 41, 65]
予測結果(×):
[84, 72, 77, 72, 77, 60, 53, 65, 82, 34, 53, 58, 82, 53, 48, 72, 77, 65, 84, 65, 84, 55, 60, 72, 77, 29, 58, 53, 77, 58, 41, 65]
正解:
[84, 72, 77, 72, 80, 60, 55, 67, 84, 36, 75, 58, 82, 53, 46, 70, 77, 65, 84, 65, 75, 53, 60, 72, 79, 31, 82, 53, 75, 58, 41, 65] 

再現実験:
primer=[71, 82, 69, 73, 84, -1, 69, -1]
予測結果(×):
[82, -1, -1, -1, 71, 74, 79, -1, 76, 73, 74, -1, 84, -1, 76, 68, 69, 72, 78, 71, 66, 69, -1, 71, -1, 82, -1, -1, 83, 66, 67, 76]
正解:
[82, -1, 84, -1, 71, 69, 84, -1, 76, 78, 74, 78, 77, -1, 74, -1, 77, -1, -1, -1, 76, 74, 79, -1, 69, 73, 69, 71, 82, -1, 67, -1]


A-3.「虹機械 はじまりのうた」比較実験3:入力文字列長=8 隠れ層のサイズ=256 学習率=0.001
  •  Epoch数=3000 → loss=0.1106:再現=〇。
生成例:
primer=[65, 82, 34, 51, 58, 82, 51, 46]
予測結果(×):
[70, 86, 70, 82, 63, 82, 53, 60, 72, 77, 29, 58, 51, 75, 58, 39, 63, 79, 65, 77, 70, 77, 58, 53, 65, 84, 36, 53, 60, 84, 53, 48]
正解:
[70, 86, 70, 82, 63, 84, 53, 60, 72, 77, 29, 58, 51, 75, 58, 39, 63, 79, 65, 77, 70, 77, 58, 53, 65, 84, 36, 53, 58, 82, 51, 46]

再現実験:
primer=[71, 82, 69, 73, 84, -1, 69, -1]
予測結果(〇): 
[82, -1, 84, -1, 71, 69, 84, -1, 76, 78, 74, 78, 77, -1, 74, -1, 77, -1, -1, -1, 76, 74, 79, -1, 69, 73, 69, 71, 82, -1, 67, -1]
正解:
[82, -1, 84, -1, 71, 69, 84, -1, 76, 78, 74, 78, 77, -1, 74, -1, 77, -1, -1, -1, 76, 74, 79, -1, 69, 73, 69, 71, 82, -1, 67, -1]

B.「虹機械 公案-001」

B-0. 「虹機械 公案-001」主実験:入力文字列長=4 隠れ層のサイズ=128, 学習率=0.001

  • Epoch数=5000 → loss=0.6119
  • Epoch数=10000 → loss=0.3532:再現=〇。
生成例:
primer=[69, 64, 52, 59]
予測結果(×):
[-1, 78, 61, 73, 78, 66, 71, 52, 64, 69, -1, 74, -1, 69, 45, 76, 64, 71, 66, 78, 71, 59, 76, 45, 57, 74, -1, 69, -1, 76, 52, 71]
正解:
[-1, 78, 61, 69, 73, 59, 69, 50, 62, 67, -1, 62, 74, 57, 45, 64, -1, 71, 66, 76, 78, 63, 76, 45, 57, 74, -1, 55, 67, 62, 50, 57, -1, 76, 59, 71] 
[-1, 78, 61, 73, 78, 66, 71, 52, 64, 69, -1, 62, 74, 57, 45, 64, -1, 71, 66, 78, 73, 61, 78, 47, 59, 76, -1, 57, 69, 62, 50, 57, -1, 76, 59, 71]
[-1, 78, 61, 73, 78, 66, 71, 52, 64, 69, -1, -1, 74, 57, 45, 64, -1, 71, 66, 78, 73, 61, 78, 47, 59, 76, -1, 67, 69, 62, 50, 57, -1, 76, 59, 71]

再現実験:
primer=[61, 53, 68, 61]
予測結果(〇): 
[73, 66, 90, 71, 59, 76, 52, 59, 71, 76, 68, 63, 68, 58, 63, 68, 80, 61, 85, 78, 66, 71, 47, 64, 76, 71, 61, 68, 63, 51, 67, 63, 75, 68, 92, 73]
正解:
[73, 66, 90, 71, 59, 76, 52, 59, 71, 76, 68, 63, 68, 58, 63, 68, 80, 61, 85, 78, 66, 71, 47, 64, 76, 71, 61, 68, 63, 51, 67, 63, 75, 68, 92, 73]

 B-1. 「虹機械 公案-001」比較実験1:入力文字列長=2,隠れ層のサイズ=128, 学習率=0.001

  • Epoch数=5000 → loss=2.2712
  • Epoch数=10000 → loss=2.0701:中断。

B-2. 「虹機械 公案-001」比較実験2:入力文字列長=8,隠れ層のサイズ=128, 学習率=0.001

  • Epoch数=3000 → loss=0.5833
  • Epoch数=5000 → loss=0.2748:再現=〇。

生成例:
primer=[96, 75, 70, 63, 78, 90, 93, 85]
予測結果(×):
[-1, 92, 58, 104, 80, 100, 95, -1, 93, 84, 67, 72, 75, 87, 102, 90, 85, 83, 49, 97, 78, 97, 102, -1, 100, 79, 74, 67, 82, 94, 97, 85]
正解:
[-1, 92, 58, 104, 69, 100, 93, -1, 91, 82, 65, 70, 73, 85, 100, 90, -1, 85, 51, 99, 73, 95, 100, -1, 98, 77, 72, 65, 80, 92, 95, 83]

再現実験:
primer=[61, 53, 68, 61, 73, 66, 90, 71]
予測結果(〇): 
[59, 76, 52, 59, 71, 76, 68, 63, 68, 58, 63, 68, 80, 61, 85, 78, 66, 71, 47, 64, 76, 71, 61, 68, 63, 51, 67, 63, 75, 68, 92, 73]
正解:
[59, 76, 52, 59, 71, 76, 68, 63, 68, 58, 63, 68, 80, 61, 85, 78, 66, 71, 47, 64, 76, 71, 61, 68, 63, 51, 67, 63, 75, 68, 92, 73]

 評価方法のところで述べたように、再現の成功・失敗は、作品冒頭を入力として次の音を予測させる再現実験の方で判定しますので、まずそちらの結果を確認します。
  • 「虹機械 はじまりのうた」「虹機械 公案-001」とも、入力文字列長=4 隠れ層のサイズ=128, 学習率=0.001の設定で元の作品の音の系列の再現に成功しました。但し、作品の規模の違いにより、「虹機械 はじまりのうた」では5000エポックでloss=0.2829に到達したのに対し、「虹機械 公案-001」ではloss=0.3532に達するのに10000エポックかかりました。
  • 入力系列長を4から2に短くする比較実験1の設定では、「虹機械 はじまりのうた」「虹機械 公案-001」とも10000エポックの訓練を行ってもlossが1桁高い値のままで、目安とした0.3まで到達する見通しが立たないため、実験を中断しました。
  • 入力系列長を4から8に長くした比較実験2の設定では、「虹機械 はじまりのうた」「虹機械 公案-001」ともlossの減少のスピードが上がり、「虹機械 はじまりのうた」では3000エポックでlossが0.3を切り、5000エポックでは0.1319まで減少した一方で、再現には失敗しましたが、「虹機械 公案-001」では5000エポックで0.2748まで減少し、再現にも成功しました。
  • そこで「虹機械 はじまりのうた」については比較実験3を追加し、隠れ層のサイズを128から256に増やして、入力系列長8での実験を行ったところ、1エポックあたりの処理時間は増大したものの、3000エポックでloss=0.1106まで減少し、更に再現にも成功していることを確認できました。
 以下に「虹機械 公案-001」の主実験の再現実験結果をピアノロール形式にして画面にプロットした結果を示します。

 一方、入力系列として作品の任意の一部を与えた場合については興味深い結果が得られました。再現に成功しているかどうかについて言えば、成功しているのは「虹機械 はじまりのうた」で入力系列長=4の場合のみでしたが、実はここでランダムに選択された入力系列は、「虹機械 はじまりのうた」の中で4回出現するパターンでした。そのうち3回については続く32ステップで同一ですが、残りの一つは異なります。そして予測結果は3回出現した方の続きと同一でした。類似の状況は「虹機械 公案-001」で入力系列長=4の場合でも生じており、この場合には「虹機械 公案-001」で3回出現し、後続の32ステップはそれぞれ少しずつ違って、同一のものはありませんでした。そして予測結果はその3か所のいずれとも異なるパターンでした。従って予測には失敗したことになるのかも知れませんが、そもそもこのようなケースでどれかと一致した結果が得られることが正解であると定義するのは果たして妥当でしょうか?

 実験のデザインのところでも述べたように、「虹機械 はじまりのうた」「虹機械 公案-001」とも元の作品が局所的な状態遷移規則のみから決定的に軌道が決定されているわけではないことを考えると、他のケースのようにたとえ一度しか出現しないパターンの場合であっても、別のパターンが存在しえないかどうかについて断定はできないでしょう。「規則を学習する」という点に拘るのであれば、ランダムに選択された部分系列においてどのような規則が適用されているかを個別に見ていくべきなのかも知れませんが、それは今回の実験の目的を超えており、今回はどちらの作品についても作品中で一度しか出現せず、かつ局所的な規則のみから計算されている冒頭部分を与えた時の結果をもって判断することにした次第です。

 そもそも虹機械系列の作品は、三輪さんの作品の中でも逆シミュレーション音楽やQUAD系列の作品(例えば「59049年カウンター」など)、五芒星系列の作品と異なって、演奏者も規則を意識して、規則を身体化するというより、生成された音の系列を実現するというやり方になるものと思われます。「規則に従う」といっても、生成された音の列の背後にある状態遷移規則に従っているのではなく、楽譜に記載された実現されるべき音の列の忠実な再生をしているということです。それに対して、今回の機械学習による模倣をどのように位置づけることができるのでしょうか?訓練されたニューラルネットワークは、与えられた音の列に対して、次に続く確率が最も高い音を返しますから、これは確率付きの状態遷移規則の実現には違いありません。それは演奏者が楽譜を「身体で」覚えるのとどう違うのでしょうか? 一方、ニューラルネットワークの訓練の過程では、外部から(実験を実行している人間によって)天下り式に「正解」が与えられ、誤差を少なくするようにノード間の重みの調整が行われますが、訓練が済んだネットワークが予測した音が誤っていた場合にも、ネットワークそのものはそれが誤りであることを知りませんし、誤りに気づくということがそもそもありません。ニューラルネットワークは或る仕方で規則を体現しているとは言えますが、「規則を知っている」とは言えず、また、それゆえ「規則を破る」(禁忌を犯す)ことも原理的にできないということは言えるでしょう。ここから言えそうなことはニューラルネットワークのみを切り出して論じることの抽象性で、システムとしての作動を考えた時には実験を行う人間も含めて論じなくてはならないということでしょうか。しかしそれならば、GAN(敵対的生成ネットワーク)のような仕組みはどのように位置づけられるのでしょうか?問いは果てしなく続きそうですが、これらの点について検討することは最早実験結果の報告の場に過ぎない本稿の範囲を超えており、別途論じる必要があるでしょう。それでも今回の実験結果は、そうした検討を行うための素材を提供してくれているということは言えるのではないかと思います。


5.公開ファイルの内容

公開しているアーカイブファイルRainbowMachine_LSTM.zipを解凍すると、以下の3つのサブフォルダが出てきます

input:入力データ

 「虹機械 はじまりのうた」「虹機械 公案-001」それぞれについて、入力ファイル(ピアノロール形式)と、参考としてニューラルネットへの入力系列・正解の系列の元となった、音および休符の系列のファイルの2種類が含まれます。
  • 「虹機械 はじまりのうた」
    • EM-Hamamatsu_PL.out:ピアノロール形式ファイル
    • EM-Hamamatsu_seq.txt:音および休符の系列のファイル
  • 「虹機械 公案-001」
    • EM-Koan-001_PL.out:ピアノロール形式ファイル
    • EM-Koan-001_seq.txt:音および休符の系列のファイル

log:訓練のチェックポイントのログ

各実験毎の、訓練終了ないし中断時のチェックポイントファイルが含まれます。
  • 「虹機械 はじまりのうた」
    • checkpoint_Hamamatsu-4.001.pt:主実験(5000エポック)
    • checkpoint_Hamamatsu-2.001.pt:比較実験1(10000エポック)
    • checkpoint_Hamamatsu-8.001.pt:比較実験2(5000エポック)
    • checkpoint_Hamamatsu-8.001-256.pt:比較実験3(3000エポック)
  • 「虹機械 公案-001」
    • checkpoint_Koan-001-4.001:主実験(10000エポック)
    • checkpoint_Koan-001-2.001:比較実験1(10000エポック)
    • checkpoint_Koan-001-8.001:比較実験2(5000エポック)

output:出力データ

 各実験毎に、生成例と再現実験の結果それぞれについてmid, wavの2種類の形式が含まれます。但し、訓練を途中で打ち切って、検証を行わなかった比較実験2(入力文字列長=2)は含まれません。

生成例(各条件につき、midとwavの2種類)
  • 「虹機械 はじまりのうた」
    • generated_Hamamatsu-4.001:主実験(入力系列長=4, 隠れ層のサイズ=128)
    • generated_Hamamatsu-8.001:比較実験2(入力系列長=8,隠れ層のサイズ=128)
    • generated_Hamamatsu-8.001-256:比較実験3(入力系列長=8 隠れ層のサイズ=256)
  • 「虹機械 公案-001」
    • generated_koan-001-4.001:主実験(入力系列長=4 隠れ層のサイズ=128)
    • generated_koan-001-8.001:比較実験2(入力系列長=8,隠れ層のサイズ=128)
再現結果(各条件につき、midとwavの2種類)

  • 「虹機械 はじまりのうた」
    • generated_Hamamatsu-4.001-0:主実験(入力系列長=4, 隠れ層のサイズ=128)
    • generated_Hamamatsu-8.001-0:比較実験2(入力系列長=8,隠れ層のサイズ=128)
    • generated_Hamamatsu-8.001-0-256:比較実験3(入力系列長=8 隠れ層のサイズ=256)
  • 「虹機械 公案-001」
    • generated_koan-001-4.001-0:主実験(入力系列長=4 隠れ層のサイズ=128)
    • generated_koan-001-8.001-0:比較実験2(入力系列長=8,隠れ層のサイズ=128)
[ご利用にあたっての注意] 公開するデータは自由に利用頂いて構いません。あくまでも実験的な試みを公開するものであり、作成者は結果の正しさは保証しません。このデータを用いることによって発生する如何なるトラブルに対しても、作成者は責任を負いません。実験のデザインの不十分さや不正確さに起因する間違い、実験に用いたプログラムの不具合に起因する間違いなど、各種の間違いが含まれる可能性があることをご了承の上、ご利用ください。(2024.10.10 公開, 2024.12.18 チェックポイントファイル名の誤記修正)

2024年11月8日金曜日

「虹機械」の旋律の相関積分の計算結果について(2024.11.21更新)

 1.はじめに

 三輪さんの作品の系列の一つである「虹機械」については、これまで機械学習による模倣の実験の題材として取り上げ、その結果を報告してきました。最初はGoogle MagentaのmelodyRNNでの実験結果を報告し、次いで『「虹機械」はじまりのうた』および『「虹機械」公案-001』を素材にしてPythonのライブラリPyTorchのLSTMモデルを用いた模倣の実験を行い、模倣ができることを確認できたので、記事「続・「虹機械」学習実験ノート」および記事「続・「虹機械」学習実験ノート補遺:生成系列長を長くした場合について」にて、その結果を報告しました。機械学習の実験については一定の成果が得られたことから、本稿では、時系列データの非線形解析の手法の一つとして知られているGrassberger-Procaccia法(GP法)を用いて『「虹機械」はじまりのうた』および『「虹機械」公案-001』について相関積分を計算した結果を報告します、

 GP法はカオス力学系の時系列解析の手法として良く知られており、多くの書籍やWebページで紹介されています。本稿で報告する実験にあたっても、合原一幸編『カオス時系列解析の基礎と応用』(産業図書)のような書籍や北海道大学の井上純一先生の「2011年度 カオス・フラクタル 講義ノート」(その第9回の後半が相関積分・相関次元の解説でC言語によるサンプルコードもついています)等のWebの情報を参考にしてプログラムを自作してColaboratoryのノート上で計算機実験を行いました。そこでGP法自体の説明はそれらに譲ることとし、ここでは実験内容の報告のみに限定させて頂き、ごく簡単な説明に留めさせて頂きます。

 GP法は非線形解析法のうち、「埋め込み定理」を用いて高次元空間にアトラクタを構成し、相関積分という統計量から相関次元を求めることによって、カオス力学系の特性の一つである自己相似性の有無を把握するための手法です。相関積分の結果に基づき、相関積分曲線の直線部分(つまり傾きのグラフがプラトーとなる区間)について埋め込み次元毎に相関指数を求め、相関指数が次元が高くなるにつれて飽和が起きている時に相関次元が求まります。

 しかしながらどんな系であっても相関次元が計算できるわけではなく、例えばランダムな系では相関指数の飽和が起らないことが知られています。また数学的カオスモデルのノイズのない時系列データの相関積分曲線は直線となるため、任意の位置で相関指数の計算が可能ですが、実データの場合には明確な直線部分が確認できないことがあるため、Scaling Regionと呼ぶ範囲を設定して相関指数を計算することになりますが、明確なScaling Regionが確認できない場合もあります。

 結論から言えば、対象となった『「虹機械」はじまりのうた』および『「虹機械」公案-001』の2曲いずれについても、明確なScaling Regionが確認できない場合がほとんどであり、また相関積分曲線や傾きのグラフから確認出来る限り、埋め込み次元が高くなった時に一定の傾きに収束する傾向はあるものの、明確な収束は確認できず、妥当性を持った相関指数の計算は困難なようです。

 その一方で、相関積分曲線や傾きの曲線をプロットした結果から、相関指数の計算ができないとはいえ、ランダムな場合と比べた時、その相関積分曲線や傾きの曲線は明らかに異なる特徴を持っており、そこから読み取れることがあるように思います。

 相関積分の計算を「虹機械」を対象に行うことについて言えば、離散力学系に基づくアルゴリズミック・コンポジションを方法論とする三輪さんの作品は一般の音楽作品に比べれば、この種の分析との相性は相対的に良さそうに思われたこと、特に「虹機械」は状態遷移オートマトンの出力が単旋律そのものであるため、そのまま時系列データと見做すことが可能であり、対象として恰好のもののように感じられました。その限りでは些か意外な結果となりましたが、その一方で、相関次元というのが極限で定義されていることからうかがえるように、本来このような分析は、実数値をもつ変数の時系列データが膨大になければならないことを考えれば、作品として固定された有限の長さを持つ音の系列を対象とした場合には、そもそもが目安程度の意味合いしか持ちえないことに留意する必要があると思われます。(但し後述のように、今回対象とした『「虹機械」はじまりのうた』および『「虹機械」公案-001』の旋律を時系列データとしてみた場合、その系列長はそれぞれ4000、5500程度となり、相関積分を行うデータとしては十分なレベルと考えられることから、そもそも適用対象として不適切であったり、結果の精度が全く期待できないということはないと考えます。また、意味のある結果が得られていないのは、単に実験条件が不適切なためである可能性もあるでしょう。)

 そこで上記の制限を踏まえたうえで、実験条件とその結果を報告するとともに、得られた結果から読み取れると考える点についてコメントを付することによって、問題提起とさせて頂くことにした次第です。


2.実験の条件

対象とする時系列データ:『「虹機械」はじまりのうた』および『「虹機械」公案-001』の旋律の音高データを対象とします。ただし元の音の系列をそのまま用いるのではなく、時間遅れ座標系を用いた再構成を行ったものを対象とします。

遅れ幅の設定:『「虹機械」はじまりのうた』、『「虹機械」公案-001』のいずれも、旋律は16分音符の系列ですので、16分音符を最小単位(1ステップ)とし、今回は遅れ幅τ=4,16の2種類について計算を行いました。いずれの作品も4/4拍子で記譜されていますので、τ=4だと1拍おき、τ=16だと1小節おきに対応することになります。

埋め込み次元:m=1~10とします。

上記より、例えばτ=4、m=3なら、「現在の拍・1拍後・2拍後」を座標とした3次元の相空間を構成し、そこでの軌道を眺めていることになります。この相空間上での任意のステップについて、そのステップの座標とそれ以外のステップの座標との距離を計算して、設定した半径rの中に含まれる点の数を数え、それを全軌道の点について積分したものが相関積分となります。

半径の設定:r=0.1~2.0の範囲で0.1刻みとします。

積分計算を行う半径rの範囲はデータに依存して経験的に決める必要があります。半径がある程度大きくなると軌道上の他の全ての時点の点が近傍に含まれる飽和状態になり、半径がある程度小さくなると近傍にごくわずかしか点がない、ないし全く点がない状態になり、今回は予備実験を行った結果、概ね両端で飽和状態とノイズが入った状態とが確認できる上記の範囲について計算を行うことにしました。

距離の定義:最初にマンハッタン距離で計算をしましたが、結果が不安定なケースが見受けられ、また半径の設定が困難なケースがあったため、ユークリッド距離での計算も行いました。両方の結果データを公開しますが、結果の検討は主として、相対的に安定した結果が得られているユークリッド距離の計算結果で行います。

実際の計算にあたっては、旋律をMIDIノートナンバーで表現し、各曲それぞれで出現する最高音と最低音を求めて、0~1の区間の実数値に規格化したものを用いて相関積分値の計算を行いました。

相関積分の値と半径rとで両対数プロットをして、傾きが直線的に安定している部分の傾きが相関次元になります。傾きの変化の確認のために、相関積分の値と半径rとの両対数プロットに加え、傾きの大きさと半径rの両対数プロットも行うことにしました。

比較実験:1.はじめにに記載した通り、相関積分の計算結果は、明確なScaling Regionが確認できない場合がほとんどであり、また相関積分曲線や傾きのグラフから確認出来る限り、埋め込み次元が高くなった時に一定の傾きに収束する傾向はあるものの、明確な収束は確認できず、妥当性を持った相関指数の計算は困難であることがわかりました。そこで寧ろランダムな系との違いを確認することにフォーカスすることとし、比較のために似たような条件のランダムな系列を用意して相関積分を求め、その結果との比較を行いました。具体的には以下のような条件で乱数の系列を発生させて、その系列について相関積分を求めることにしました。

系列長N=4000、5500の2種類(それぞれ「はじまりのうた」「公案-001」の系列長とほぼ同じ)、遅れ幅τ=4、埋め込み次元m=1~10、半径r=0.1~2.0の範囲で0.1刻み、マンハッタン距離・ユークリッド距離の両方で相関積分値を計算。

いずれもMIDIノートナンバーの範囲である0~127の整数の乱数を系列長分発生させ、発生した系列における上下限値を求めて、0~1の浮動小数点数に規格化します。ランダムな場合には遅れ幅の影響は受けない筈なので、遅れ幅τ=4とし、「虹機械」2作品と同様に、埋め込み次元m=1~10について、半径r=0.1~2.0の範囲で0.1刻みで相関積分値を計算しました。なお理論上は系列長の影響もない筈ですが、疑似乱数による計算の場合に計算結果には違いが生じることを考えて、シードを固定せず、2種類の系列長での疑似乱数列の相関積分値をマンハッタン距離とユークリッド距離で計算して、作品の相関積分結果との比較を行いました。結果的には系列長による違いはほとんどありませんでした。


3.計算結果

計算結果の要約となる、埋め込み次元m=10, ユークリッド距離での相関積分結果について半径をx軸、相関積分値をy軸として両対数プロットしたものをもとに、半径をx軸、傾きをy軸にプロットした結果を示します。レジェンドはそれぞれ
  • Hamamatsu_4 :「はじまりのうた」, τ=4
  • Hamamatsu_16:「はじまりのうた」, τ=16
  • Koan-001_4:「公案-001」, τ=4
  • Koan-001_16:「公案-001」, τ=16
  • rnd:疑似乱数, N=4000
  • rnd5500:疑似乱数, N=5500
を表します。


一見して明らかなように、相関指数を求めるための傾きが一定になる平坦な領域(Scaling Region)は見出せません。またいずれの作品においても、埋め込み次元の増大に従い、傾きが一定に収束する傾向も明確には確認できません。(以下に一例として「公案-001」のτ=16の相関積分値の傾きの曲線を示します。)その一方で、疑似乱数列の相関積分曲線と比較した場合に、その傾きの違いは明らかです。

また以下に示すように、τ=16の「はじまりのうた」の場合においてのみ、幅は限定されているものの傾きが一定になり、かつ埋め込み次元の大きさによらず一定の傾きとなる区間が確認できます。これはτ=4の場合には確認できず、また「公案-001」についてはτ=4,16いずれの場合にも確認できない傾向です。これがどういう原因に因るものなのかはわかりませんが、τ=16というのは丁度1小節分の遅れ幅となるため、小節単位での繰り返しのような構造と関係があるのかも知れません。またその傾きの値が1未満の非常に小さいものであることにも留意すべきではないかと思われます。


GP法は時系列データのフラクタル次元の推定の方法であり、相関積分の計算はその中で相関次元を求めるためのステップとなっています。但し、相関次元が計算できるためには相関積分の結果が一定の条件を満たしていることが必要であり、全ての場合に相関次元が求められるわけではありません。しかしながら相関次元を求めるための条件を満たしていない場合でも、相関積分の結果から対象となっている系の特徴についての情報を得ることができるのではないかと考えます。当然のことながら一般には系が自己相似性を持つかどうかという点にフォーカスした解説がされ、自己相似性を持つ系との比較として疑似乱数列の相関積分結果が参照されることが専らですが、自己相似性は持たないが、ランダムな系とも異なる特徴を持った相関積分結果が得られる場合も当然あり得て、今回の結果はまさにそのケースに該当します。

それでは、今回の相関積分の計算結果からどのようなことがわかるでしょうか?疑似乱数列の相関積分結果と比較した時に確認できることは、疑似乱数列の場合に比べて、
  •  半径に対する積分値の傾きが小さく
  •  一定の半径で傾きがの拡大が止まってその後傾きが減衰する
ということかと思います。そして「はじまりのうた」、「公案-001」両作品間での
  •  半径の変化に対する積分値の傾きおよび傾きの変化の度合いの違い
  •  傾きの拡大が止まった点での最大値の違い
にも明らかな差があるように思われます。ユークリッド距離とマンハッタン距離の両方での計算結果でもそれらは一貫しており、いずれも両作品の旋律の系列の特徴を反映したものと考えられます。

一般に、ここでの計算結果は、ある音を中心としてみた場合に、その音の周辺に別の音がどのように分布しているかの傾向の反映とみることができます。超球の半径を小さくすれば、体積が小さくなるからそこに含まれる音の数は減りますが、近くになればなるほど音がたくさん存在するような点の分布についての偏りがあれば、半径の減り方に対する積分値の減少の割合は緩やかになります。また埋め込み次元mは、時間的に離れた場所での分布をどの程度考慮するかの度合いを表していて、次元が深ければ時間幅が広くとられるので点の数は当然増えますが、例えば時間が経っても一定の割合である音の近傍で音が鳴ることがあって、その割合が多ければmを大きくした時に積分値は大きくなるし、また半径が小さくなったときに近傍の音の密度が急速に上がれば、傾きの減衰はmが大きい程早く現れるでしょう。

疑似乱数列の場合には、半径の変化に対して近傍にある音の分布は一定だし、次元の変化に対しては時間的に遠くにおいてもやはり分布が一定だとすると次元が増えるに従って積分値は累積されます。逆に半径を小さくすれば音の数は減り、積分値の減少幅はどんどん大きくなり、半径が一定以上小さくなると、近傍には音が一つもなくなります。上掲のサマリーにおいて半径が対数表記で-0.4を過ぎて-0.6に近づくあたりで結果が欠損するのが、まさに後者のケースに該当します。一方、次元を大きくすると時間的に離れた場所での状態が累積されるから、積分値の変化幅な次元数に応じて単調に大きくなり、最後には飽和(全ての点が超球の中に含まれる状態)します。

一方、音楽作品の場合にはある音の近傍の音の分布は半径の変化、次元の変化に対して常に一定ではありません。一般には半径が小さくなれば、急激に近傍に存在する音の密度は高くなるでしょうし、その時、次元が大きければ音の数の増加は更に急になるでしょう。半径に対する積分値の傾きが小さくなるという上記の観察は、音の系列が規則的で、ある音の近くに音が偏って存在していれば、半径の減り方に比べて球の中の音の数は急には減らないので傾きは緩やかになると考えられます。また一定の半径で傾きがの拡大が止まってその後傾きが減衰するという傾向については、音の分布に偏りがあって、各音の近傍について、ある半径を境に急激に音の密度が高くなるような状態を考えると説明できるように思います。

このように考えれば、作品間での半径に対する積分値の傾きおよび傾きの変化の度合いの違いや傾きの拡大が止まった点で傾きの変化の度合いの最大値の違いは、両作品の音系列における音の選ばれ方の規則性、常に同じような選択が行われるのか、多様性に富んでいるのか?等々を反映した違いであるということになります。これらは自己相似性を持つかどうかとはまた別の特徴であり、GP法における相関積分計算の目的からは外れているかも知れませんが、自己相似性があるか、カオス的な振舞をしているかどうかとは別に、計算結果から作品の特徴を確認することはできると考えます。但し、そうした計算結果の傾向が具体的な作品の状態遷移のどのような点に由来するのか等、具体的な点については現時点では明らかではありませんので、後日の課題としたいと思います。


4.公開データの内容

本報告で報告した実験に関連するデータは、以下の2つのアーカイブファイルに分けて公開しています。

RainbowMachines_euclid_correlation_integral.zip:ユークリッド距離による相関積分計算結果
RainbowMachines_manhattan_correlation_integral.zip:マンハッタン距離による相関積分計算結果

いずれも解凍すると以下のフォルダ・ファイル構成になっています。
  • in:入力データ。「はじまりのうた」「公案-001」の音系列。
  • result:「はじまりのうた」(τ=4,16)「公案-001」(τ=4,16)および疑似乱数列(N=4000,5500)の相関積分値(埋め込み次元m=1~10、対数表示)および相関積分を行った半径(対数表示)いずれもcsv形式。
  • plot:「はじまりのうた」(τ=4,16)「公案-001」(τ=4,16)および疑似乱数列(N=4000,5500)の半径(x軸)毎の相関積分値(y軸)を埋め込み次元m=1~10についてプロットした画像(曲、遅れ幅毎, jpeg形式)。
  • slope:「はじまりのうた」(τ=4,16)「公案-001」(τ=4,16)および疑似乱数列(N=4000,5500)の半径(x軸)毎の相関積分値(y軸)の傾きを埋め込み次元m=1~10についてプロットした画像(曲、遅れ幅毎, jpeg形式)。
  • summary:「はじまりのうた」(τ=4,16)「公案-001」(τ=4,16)および疑似乱数列(N=4000,5500)の相関積分値の傾きの比較。埋め込み次元別(m=7,8,9,10)

(2024.11.8 暫定版公開, 2024.11.10 3.計算結果に考察を追記して更新, 11.21誤記の修正)

[ご利用にあたっての注意] 公開するデータは自由に利用頂いて構いません。あくまでも実験的な試みを公開するものであり、作成者は結果の正しさは保証しません。このデータを用いることによって発生する如何なるトラブルに対しても、作成者は責任を負いません。入力として利用させて頂いたMIDIファイルに起因する間違い、分析プログラムの不具合に起因する間違いなど、各種の間違いが含まれる可能性があることをご了承の上、ご利用ください。





2024年10月6日日曜日

「59049年カウンター」の状態遷移規則(「蛇居拳舞楽」)について

1.はじめに

本記事では、「59049年カウンター」の状態遷移規則(蛇居拳舞楽)について分析した結果を公開します。

「59049年カウンター」はステージ上の上手・下手の2つの正方形領域を設け、そのそれぞれの領域で「桁人」と名付けられた各5人のパフォーマーが正方形の4つの頂点の間を「蛇居拳舞楽」と名付けられた規則に従って移動するパフォーマンスを行う作品です。4つの頂点に対してパフォーマーが5人なので、常にどこか1つの頂点で2人のパフォーマーが出会うことになりますが、出会った2人のパフォーマーが「蛇居拳算」と名付けられた演算を行うことで次の移動方向を決定することで各領域の状態が遷移していきます。用いる規則は2つの領域で同一ですが、異なる初期値を用いることによって、上手側では系列長156の周期を持つシーケンスが、下手側では系列長54の周期を持つシーケンスが同時に上演されます。上手側が3ステップ進むうちに下手側が1ステップ進むことにより、いずれも1周期分のシーケンスが実行されたところで作品は終了となります。

作品の詳細については「59049年カウンター」の楽譜(マザーアース, 2014)を参照して頂ければと思いますが、本稿の説明のために必要な部分については、楽譜の記載内容に基づきつつ、以下でも説明します。また、初演の記録については本ブログの別の記事「「59049年カウンター」世界初演を聴いて」として公開していますので、そちらもご覧頂ければ幸いです。

分析は「59049年カウンター」の状態遷移規則(蛇居拳舞楽)から生成される状態遷移の系列が全部で何パターンあるか、どのようなパターンが存在するかを調べることを目的にし、まずは対象となる系(全連結された4つのノード、アークを辿って移動する5人のパフォーマー、移動方向を決める演算(蛇居拳算))の持つ構造について分析を行った後、その結果に基づいて検証用のプログラムを作成して計算機実験を実施しました。

分析結果を先に述べると、「59049年カウンター」の状態遷移規則から生成される状態遷移パターンは、一周期の系列長が、それぞれ6,20,22,52,54,156の6種類しかありません。そして「59049年カウンター」という作品では、6種類ある状態遷移パターンのうち、系列長が長いパターン2つ(楽譜では系列長54のものとMST、系列長156のものをLSTと呼んでいます)を使っていることになります。また、各状態遷移のシーケンスの内部構造についても興味深い対称性が確認できています。

「59049年カウンター」で用いられている状態遷移パターンのような極めて長い周期のパターンは、それを直接、意識的に知覚・認識することはできないと思われますが、それでもなお、何らかの仕方で作品が持つ「美しさ」に寄与しているものと思われ、報告に値すると考えたため本稿を起こして報告することにしました。一見して複雑に見える系が豊かな対称性を持ち、結果的に極めて少数の制約されたパターンのみを持つこと、その一方で、その少ないパターンの中には156ステップで一周期といったような非常に複雑なものが含まれており、更にそのパターンの中にも豊かな対称性が潜んでいるというように、この作品において対称性が生み出す単純さと、偶々定めれらた初期値によって決まる状態遷移過程の複雑さが幾重にも重なりあっている様は極めて印象的に感じられます。


2.分析対象の概要

「59049年カウンター」の状態遷移規則「蛇居拳舞楽」は以下のような規則です。

  • 5人の「桁人」が四角形の頂点間を移動します。4つの頂点は全連結された完全グラフになっており、移動は四角形の辺および対角線方向に可能なので、各頂点を起点として 以下の3つの移動方向があることになります。(なお、以下の図でのみ四角形の頂点の各位置について、移動方向との区別のためにA,B,C,Dとラベルづけしていますが、以降の説明においては、楽譜での表記方法に準拠して、位置についても1,2,3,4という数でのラベルづけを採用します。)
(辺に沿って右回り:0 / 対角線方向:1 / 辺に沿って左回り:2)

 
  • 5人のうち4人は四角形の各頂点にいます。
  • 残りの1人は四角形のある頂点から別の頂点に移動し、移動が済んだら 次の移動までその頂点に留まります。
  • 移動する「桁人」の移動先の頂点にいる「桁人」は、移動する「桁人」の 移動元起点の移動方向、自分が現在いる頂点に移動してきた時の移動方向を もとに、「蛇居拳算」と呼ばれる演算により、移動先を決定します。(以下、移動する「桁人」をvisitor、移動先にいて次に移動を行う「桁人」をmoverと呼びます。)

「蛇居拳算」は以下のように定義されます。

移動する「桁人」(visitor)の移動元起点の移動方向、移動先の頂点にいる「桁人」(mover)が自分が現在いる頂点に移動してきた時の(やはり移動元起点の)移動方向を比較して、次に移動する方向を以下に従って決定します。

  • 同じ移動方向であれば、同じ移動方向に移動します。
  • 異なれば、そのいずれでもない方向に移動します。

上記の「蛇居拳算」の演算規則を、

visitorの移動方向, moverの前の移動方向 → moverの次の移動方向

という形式で書くと以下のようになります。但し移動方向は、既述の通り、辺に沿って右回り:0 / 対角線方向:1 / 辺に沿って左回り:2とします。また、この演算は可換であり、visitorの移動方向, moverの前の移動方向の順序を入れ替えても結果として得られる次の移動方向は同じになります。

    0,0→0
    1,1→1
    2,2→2
    0,1→2
    0,2→1
    1,2→0

上記の演算に基づき、moverが現在居る頂点から移動先の頂点を求めると以下のようになります。但し以下では、四角形の各頂点の位置を1,2,3,4という数でラベルづけすることにし、

moverの次の移動方向 × moverの現在位置 → moverの次の位置

という形式で記載します。

    0×4→1
    1×4→2
    2×4→3
    0×3→4
    1×3→1
    2×3→2
    0×2→3
    1×2→4
    2×2→1
    0×1→2
    1×1→3
    2×1→4

上記の規則に対して、各「桁人」の現在の「位置」の情報と過去に現在位置に移動した時の移動方向の情報(以下、「状態」と呼びます)を初期値として与えると、以降の状態遷移の系列が計算されます。規則は決定的であるため、現時点での位置情報と状態情報を1つ決めれば、以降の状態遷移系列は一意に定まります。



3.計算機実験に向けての考察

そこで、位置情報と状態情報の初期値を変えることによって、どのような状態遷移系列のパターンが生成されるかをシミュレートして確認するプログラムを作成することを念頭に更にモデル化を進めます。初期値として与える現在の各「桁人」の位置情報を、四角形の頂点のラベル1,2,3,4を値とするベクトル(例えば[4,2,1,4,3])で、各「桁人」の状態の情報を移動元起点の移動方向のラベル0,1,2を値とするベクトル(例えば[2,2,1,2,1])という形式で与えることを考えます。

このとき位置情報のベクトルを見ると、位置4を持つ「桁人」が2人いることから、位置4で状態の変化が起きていることはわかりますが、本来は2人のうちどちらかが、値の位置に移動中のvisitorであり、もう一方が同じ位置に既にいて、次に他の位置に移動することになるmoverである筈なのに、その区別がつかないため、どちらがvisitorでどちらがmoverかは別途与えてやる必要があります。

ここでvisitorとmoverを入れ替えることの意味を考えてみると、「蛇居拳算」の演算が可換であることに思い当たります。そのためvisitorとmoverを入れ替えても、次にmoverが移動する方向については同じ結果を得ます。どちらがmoverになるかは変わるので、移動する「桁人」は入れ替わることになりますが、状態遷移パターンとしては同一のパターンが生成されることになります。従ってvisitorの指定については、任意の一方を指定した場合のみを考慮すればいいことになります。

次に位置の入替(つまり四角形の頂点のラベル付けの入替)、人の入替(つまり「桁人」のラベル付けの入替)についても同様に考えてみます。上で採用したベクトルによる表現では、位置の入替は位置情報の値の数字の入替(4を1に、1を2に…というような入替)に対応し、人の入替は位置情報の添え字の入替(0番目と1番目を入れ替える…というような入替)に対応していますが、頂点4の完全グラフであり各頂点は対称であること、「桁人」についても同様に対称であることから、いずれの入替を行っても状態遷移パターンは不変です。

それでは位置と「桁人」の対応づけはどうでしょうか?四角形の4つの頂点のうち、どこか1つに常に二人いて、残りは常に一人という対応づけは固定されており、位置情報における位置の分布のパターンは位置の番号を入れ替えても不変です(つまり1,2,3,4のどれかがどこかに2回出現し、残りは1回ずつ出現する)。結果として位置情報は、例えば[4,2,1,4,3]のような任意の一つだけ考えれば良いことになります。

それでは位置情報と状態情報の対応づけについてはどうでしょうか?ここで状態とは、ある「桁人」が現在いる位置に移動した時の移動方向(但し、移動起点基準であることに注意する必要があります)を表すことから、状態情報のベクトルは、各「桁人」がどのような軌道を通って現在の位置に至ったかの履歴であり、その移動が起きた時点の情報こそ喪われていますが、過去の状態遷移パターンに対応しています。状態情報が記憶している移動の発生が過去に何ステップ遡るかは各「桁人」毎に独立であり、また、一度に一箇所でしか移動が起きないことから、同時であることはありえません。一方、現在の状態情報が違えば次以降の状態遷移系列は異なったものになり、「桁人」の軌道は違ったものになります。逆に状態情報を一つ決めれば軌道は一意に決まることになります。

そこで位置情報については任意の一つを選択し、取り得るすべての状態情報を列挙して、それぞれの場合について軌道を計算し、一周して位置と状態が初期状態に戻るまでの周期の長さを求めるために検証用プログラムを作成することにしました。この時一周するとは、位置情報と状態情報のどちらもが同じ値をとることとして定義します。位置情報だけだと異なる軌道をとって偶々初期状態と同じ位置を占めることがあり得ます。(これも検証用プログラムを少し書き変えるだけで簡単に確認することができます。)

状態情報は5人の「桁人」に対応する5桁の3進数で表されるので、状態の組み合わせは3^5=243通りとなります。但し移動方向は四角形の辺に沿った右向き(0)/左向き(2)の移動についての対称性がある(移動の方向が左右反転するだけで後は同じ状態遷移パターンになる場合がある)ので、これを事前に考慮して、初期値とする状態のパターンを更に減らすことも可能ですが、規模的に見て、検証対象とする場合の数は計算機実験の実施に関して既に問題ないレベルのため、243通り全てについて計算することにしました。プログラムはPythonを用いて作成し、実験はGoogle Colaboratory上で行いました。プログラムは簡単なもので、特に公開するまでもないと思いますが、以下におおまかな流れを疑似コード的に記載します。

系列長(状態ベクトル, 位置ベクトル, visitor, mover):
  位置と状態の両方が初期状態に一致するまで系列長をカウント:
    moverの次の移動方向 = 次の移動方向(visitorの移動方向,moverの直近の移動方向)
    moverの次の位置 = 次の位置(moverの次の移動方向, moveの現在位置)
    visitor = mover
    mover = 次のmover(位置ベクトル, moverの次の位置)
    visitorの状態情報をmoverの状態情報で更新
    visitorの位置情報をmoverの位置情報で更新
  return 系列長

なお一般には、系列長が同一であることは、状態遷移パターンが同一であることを必ずしも意味しません。そして現時点では、ここで対象としている問題について系列長が同一であれば状態遷移パターンが一意に定まるかどうかについては証明も検証もできていません。従って、上記のプログラムで検証できるのは、ここで対象としている状態遷移規則から生成される状態遷移の系列について、系列長が異なるものが何種類あるかに過ぎず、状態遷移の系列のパターンが何種類あるかについては確認できておらず、系列長が異なる状態遷移パターンのそれぞれについて任意のものを一種類ずつ選択して、その内部構造を確認することまでが今回の報告の内容となります。

状態遷移の系列のパターンが何種類あるかについての確認は今後の課題としたいと思いますが、残された様々な対称性を除去した上で状態遷移系列の同一性を判定する方法として、例えば各「桁人」の軌道において、位置の系列で同じ値が何回続くか(その位置に何ステップ留まるか)を計算して、その結果を系列として、求まった滞留回数の系列の組(各「桁人」について1系列で、「桁人」は5人いるので5系列で1組)を比較する方法が考えられます。

たとえば、LSTの1人目を例にとると、場所の系列は長さ156の
 1444222223333331111...11
という文字列となります。同じ位置の値が連続する数を計算して、その系列を文字列とすると、
 3356...
のようになり、滞留回数(同じ位置に何ステップ留まるか)の系列が得られたことになります。ここで最初の3は155番目、156番目の1と最初の1で長さ3というように循環的に計算します。これからわかる通り、系列は循環的で巡回的な対称性がある(系列を円形に並べれば、状態遷移の各ステップについて回転対称性がある)ので、開始位置は任意です。実際、この文字列をある状態遷移系列のパターンの各「桁人」について求めると、同じ系列を周期をずらして動く(つまり位相がずれている)「桁人」がいる場合があります。

こうした位相のずれを考慮しつつ対称性を除去した上で状態遷移系列間の比較を行い、結局、滞留回数の系列の組が同一であれば、同一の状態遷移パターンであることが確認できます。

実はこの点についても、既に243通りのうちの一部については確認しており、確認した限りでは同一の系列長で状態遷移系列のパターンが異なるケースはこれまでのところ見つかっていません。また後述のように、今回の調査で得られた6種類の状態遷移パターンのそれぞれについて、各「桁人」が同じ位置に何ステップ留まるかについての系列の計算も実施済ですので、今後、そこで獲られた結果を用いて比較を行うことでこの点の検証を行うことは可能です。


4.実験結果

実験結果として公開しているのは以下の4ファイルです。

以下、順次ファイルの内容を説明しながら実験の結果を報告します。

59049-全状態-系列長.pdf

位置情報の初期値[4,2,1,4,3]に対して、状態情報を[0,0,0,0,0]~[2,2,2,2,2]の243通り与えて軌道を計算して、一周して位置と状態が最初に戻るまでの長さを計算した結果です。系列長は6,20,22,52,54,156で一周期の6種類のパターンしかないことが確認できます。また、前節で述べたように、移動方向は四角形の辺に沿った右向き(0)/左向き(2)の移動についての対称性があり、移動の方向が左右反転するだけで後は同じ状態遷移パターンになりますが、この点については、[0,0,0,0,0]から[1,1,1,1,1]までの系列長を、[2,2,2,2,2]から[1,1,1,1,1]までのベクトルを反転させた上で系列長も逆向きに並べたものが一致することで対称性が確認できます。


59049-遷移パターン-実現例-遷移.pdf

6種類の状態遷移パターンについて、「59049年カウンター」の楽譜(pp.11~15)に記載された形式で位置情報・状態情報の系列の実現例の1つを示し、併せて、moverとなった「桁人」、移動位置および状態遷移パターンを記載したものです。また各「桁人」の移動回数(位置の変更が何回起きたか)を示すとともに、状態遷移系列に含まれる対称性に関する情報を記載しています。

例えばLST(系列長156)を例にとると、


  • 一番左の桁がステップ番号(0起点)、5人の桁人の2列目から6列目が位置情報と状態情報を表します。ここでは楽譜に合わせて10の位が位置情報、1の位が状態情報という表記となっていますので、'10'であれば位置が1、状態(移動方向)が0ということになります。また位置のラベルが重複している人の背景色を黄色にしており、visitor, moverであることを表しています。定義により次のステップも背景色が黄色の人がmoverであり、moverが次のステップではvisitorとなることを示しています。7桁目はmoverを、8桁目が移動が起きる位置(visitorにとっては移動先、moverにとっては移動元)を、9行目が計算に用いられる移動についての計算規則を示しています。100の位がvisitorの移動方向)、10の位がmoverの過去の移動方向、1の位がmoverの次の移動方向を示します。文字色が赤の部分は単なるマーカーで、上記の例では一人だけ異なるパターンの軌道を持つCタイプの人がmoverとなるステップに色をつけて他と区別しています。
  • 「桁人」の移動パターンにはA型(2人)、B型(2人)、C型(1人)の3タイプがあり、それぞれの移動回数は30、31。34です。
  • 全体で156ステップありますが、78ステップのブロックの繰り返し(2回)で構成されています。移動位置と状態遷移パターンは全く同一のシーケンスが繰り返されるのに対して、A1とA2, B1とB2が交替して、1回目のA1の経路を2回目はA2が辿るというような規則性が見られます。

系列長52のパターンは13ステップのブロックを4回繰り返しますが、その際、同じ経路パターンを持つ桁人の間での交替が起きるだけではなく、位置についても一つずつずれて4回で元に戻る他、遷移パターンについても左右の反転が起きているなど興味深い特徴が確認できます。以下では最初の2ブロック分のみ示します。桁人についてはB11→B12, B12→B21, B21→B22, B22→B11と一つずつシフトし、移動パターンについて021→201、102→120のように0(右方向への移動)と2(左方向への移動)の間での反転が起きていることがわかります。また移動が起きる位置については、1→2,3→4というように一つずつ右方向にずれていることがわかります。これを4回繰り返して一周ということになります。


系列長6のパターンは「桁人」の移動についてはトリヴィアルであり、A1/A2/A3の3人が対角線方向に順番に移動を繰り返す一方で、残りの対角線方向の2名は同じ位置に留まって移動を行いません。



59049-遷移パターン-実現例.pdf

このファイルも6種類の状態遷移パターンについて実現例を1つ示していますが、状態情報は割愛し、各桁人の位置情報の変化のみに注目し、同一位置にいる区間を同じ背景色で塗ることで、各桁人の時間方向の経路を強調しています。特にこのファイルでわかるのは、或る状態遷移パターンにおいて、桁人の経路パターンが何通りかのグループに分かれることで、このファイルでは2行目のType行が、その経路パターンのタイプ分けを表しています。

例えば系列長20の状態遷移パターンでは、経路パターン上はA(2人)/B(1人)/C(2人)に分かれます。A1とA2は互いに直交する対角線方向の移動を1度だけ行いますが、位相は丁度5ステップずれており、このグループの移動のタイミングについて5ステップ毎に移動が代わる代わる発生するような動きになっていることがわかります。



59049-遷移パターン-移動回数.pdf

6種類の状態遷移パターンについて、各桁人の位置の移動の時系列パターンのみにフォーカスしたものです。3行目のMoveが移動回数を表し、各系列の数字は、各位置に留まるステップ数を表しています。黄色の背景色は単なるマーカーであり、滞留回数のパターンがわかるように滞留ステップ数が大きいものに色をつけています。以下はMST(系列長54)の場合ですが、9回の移動を行うA2名と12回の移動を行うBグループ3人に分かれ、それぞれのグループ内で滞留回数についての位相のずれが確認できます。


59049-遷移パターン-実現例.pdfとの対応を示すために、系列長20の場合を以下に示します。こちらではAとBについては滞留回数が同じものが繰り返されているだけなので、位相のずれは確認できなくなってしまっています。



[ご利用にあたっての注意] 公開するデータは自由に利用頂いて構いません。あくまでも実験的な試みを公開するものであり、作成者は結果の正しさは保証しません。このデータを用いることによって発生する如何なるトラブルに対しても、作成者は責任を負いません。分析の不十分さや不正確さに起因する間違い、検証プログラムの不具合に起因する間違いなど、各種の間違いが含まれる可能性があることをご了承の上、ご利用ください。

(2024.10.6 公開)

2024年8月28日水曜日

地球外からの「極東の架空の島」の眺望---三輪さんと吉岡さんの「ありえたかもしれない<音楽>」への応答の試み---(2024.8.28更新)

吉岡洋「ありえたかもしれない、<音楽>」
詩と音楽のための「洪水」第3号 特集「三輪眞弘の方法」(2009, 洪水企画)所収

岡田暁生・三輪眞弘・吉岡洋 「討論:いま「癒し」を超える芸術は可能か」
季刊「アルテス」Vol.01 特集「3.11と音楽」(2011, アルテスパブリッシング)所収

*       *       *

はじめに

三輪さんの音楽の特集である「洪水」誌第3号には、「ありえたかもしれない、<音楽>」というタイトルの 吉岡さんの文章が収められている。東日本大震災後に開催されたシンポジウム「3.11 芸術の運命」での 鼎談(季刊「アルテス」Vol.1「特集 3.11と音楽」所収)の席上、岡田暁生さんが「何万年も後、人類滅亡後の 地球において宇宙人が、人類が昔「音楽」とよんでいたものを発見するという、ちょっと突拍子もないような視点から、 三輪さんの音楽を語っ」たものとして言及するのに応じて吉岡さんご自身が要約した言葉を引けば、 「1977年に打ち上げられた木星探査機ボイジャー一号には、地球上のさまざまな「音楽」を記録した ディスクが載せられていたのですが、それが何万年後かに宇宙人によって発見される、という設定で、 「音楽」の未来について考えてみたもの」とのことである。このやりとりは鼎談の一番最後の部分にあたり、 その後の岡田さんによるまとめと、会場からの質疑応答においては、特に主題的に取り上げられることが なかったけれども、質疑応答の途上での三輪さんが、「他の動物や植物といっしょに地球を共有して、 なんとかうまく生きていこうじゃないか」というときの芸術の意味は、「地球生物としての摂理みたいな ものを確認するための技法」「知恵」という点にあるという発言と、その地平を共有しているし、吉岡さん自身の 「原子炉のようなテクノロジーをとおして、人類は宇宙の姿に直面するようになった」という発言、 「人類は宇宙の主人なんかじゃない、重要な存在ですらない」という発言に通じ、それに対する三輪さんの 「人間中心の視点からはもはやこの世界は語りえない」という応答と響き合う。全体を通してみると、こうした 視点は、シンポジウムにおける質疑の流れからはやや浮いていて未消化な感じを否めないのだが、私見によれば、 吉岡さんの三輪さんの音楽に対するこのような視点は、三輪さんの「音楽」に対する姿勢を理解し、そこから 何かを引き出すにあたって極めて重要な点であり、主題的に扱われなかったことが惜しまれる。

だが一方でそうした視点が、三輪さんの活動を振返ってみたときに、震災後に獲得された新たな視点で あるわけではないことに留意する必要があるだろう。「中部電力芸術宣言」が震災に先立って構想され、 執筆されていたこともその傍証になるだろうが、それ以上に、アルゴリズミック・コンポジションを中核に据え、 だがそれを人間とコンピュータのインタラクションの場に持ち込むことから出発し、「極東の架空の島の唄」から 「逆シミュレーション音楽」と展開する三輪さんの活動の軌跡そのものが、「ありえたかもしれない音楽」の、 つまり、ポテンシャルとしての音楽を追求するプロセスそのものであったと言いうるだろうと思う。そうした意味で、 吉岡さんの文章のタイトルである「ありえたかもしれない、<音楽>」は、三輪さんの活動を要約するものとして 極めて正確だし、その文章の着想もまた、三輪さんの活動の持つポテンシャリティを把握したものであると 思われる。そしてそのことは、最近の三輪さんの講演「アルゴリズミック・コンポジションの(不)可能性」で 三輪さん自身によって確認されてもいる。

シンポジウム「3.11 芸術の運命」を傍聴することができなかった私は、その様子を遅ればせに「アルテス」誌を 入手することによって知ることができたのだったが、議論の積み重ねの細部において微妙な違和感を感じつつも、 マクロにみて、「芸術の運命」を考えるにあたり「人間」概念の側の問い直しが提起されていることに強い共感を 覚えた。と同時に、特に「永遠の光…」の初演以降、三輪さんの作品に、いわば「突きつけられた」ようなかたちになった 問題に対して自分なりに受け止めて考えていく際の道筋として、「極東の架空の島」の彼方としての地球以外の天体、 だが、(吉岡さんのように数万年後の、地球から数光年離れた場所にいる宇宙人をフレームとするのは、私個人の 想像力の手に余るので、)その中でも潜在的に「生命」の存在の可能性が取りざたされ、将来的な有人探査の対象であり、 (是非はおくとして)植民やテラフォーミング等の対象と見做されている幾つかの惑星・衛星を考えることを通じて、 「大地」ではない「地球」(西欧の言語ではどちらもEarth/Erde/Terreなのだが)を定位し、それとの関係において 人間を考えてみるという作業を自分がしてきたことに不思議な暗合を感じずにはいられなかった。

*       *       *

因みに、宇宙からの視点、展望から人間の営みである音楽を眺めるということは先例がないわけではない。 管見でも、例えばマーラーの音楽に関して繰り返しそうしたアプローチが行われている事実があり、 そのうちの一つは、シンポジウムの質疑応答において三輪さんが言及している9.11の折の発言内容により 物議をかもしたシュトックハウゼンが、アンリ・ルイ・ド・ラグランジュのマーラー伝の書評において、 「もしある別の星に住む高等生物が地球人の性質をごく短期日のうちに調査しようと思うなら、 マーラーの音楽を素通りするわけにはいかないだろう。」 (酒田健一訳)と述べているものである。 この発言は、19世紀末の西欧の音楽に関して言われたものとしては「突拍子もないような視点」の ように感じられるかも知れないが、最大限批判的に捉えたとしても、こうした視点を採ることによって「音楽」に 関して主張される普遍性の危うさを逆説的に浮かび上がらせているということはできるだろう。結局のところ、 幾ら背伸びをしたところで「音楽」は「人間」を超えることはないという点においてシュトックハウゼンの 発言は幾つかの点で示唆的である。

一つには生物の「高等」さの尺度が「地球人」におかれていていること。 無いものねだりとは言いながら、例えばスタニスワフ・レムが描き出したようにそもそも地球上の生物とは全く異なる物理化学的・ 生物学的基盤の上に「知性」(正確には「知的」に見えるもの)が備わっていることだって大いにありうるわけだ。 そうであってみれば、そもそも「音楽」というのが件の高等生物にとっては全く理解しがたいもの、 何のために存在するものであるかすら分からない音響だということも考えられるし、人間と同じ周波数帯の聴覚を 備えていることを期待すべきではないかも知れない。シュトックハウゼンが考えていることがあまりに「人間」的なものを自明なものと前提した、 随分とムシの良い人間中心主義なのは明らかなのだが、彼の「音楽」が暗黙の裡に前提としているものはそれだけではない。 彼の発言の意図が別にあることは承知で言えば、もちろん「地球人」をヨーロッパのある時期の、 しかもかなり特殊な音楽、たった一人の人間が書いた音楽で代表させることの無謀さは明らかで、 そこに西欧の文化帝国主義の無邪気な顕れを見出して呆れる人がいても不思議はない。

勿論シュトックハウゼンは、一方では「人間」が時代とともに変容するものであることに対する認識はあって、 「その音楽は、人類が人間を個々の部分に分解し、しかもそれらをおそろしく奇怪な変種へと 再合成しはじめようとするまえの、古い、全的な、《一個体》としての人間による最後の音楽である。」 と述べてはいるが、寧ろジュリアン・ジェインズが構想したような時間軸での意識の歴史のようなパースペクティブこそ 相応しい文脈にも関わらず、こちらは今度はあまりに狭い文脈の議論に飛躍してしまっている。 恐らくこの発言で想定されているのは、彼の周辺の「現代音楽」から眺めた展望に過ぎない。結局、マーラーの音楽は、 歴史的・文化的に極めて限定された「人間」 (その中には勿論、シュトックハウゼンも含まれるわけだ) のためのものに過ぎないということが露呈されているようだ。

かくして異文化理解のようなレベルで議論している分には成立するかに見える普遍性も、一歩外に踏み出せば色褪せてしまう ということが、このような「突拍子もないような視点」から浮かび上がってくる。別の星に住む高等生物を持ち出すまでもなく、 人工知能研究以後におけるロボットを考えてもいいし、その認知能力が明らかになりつつある別の生物、 例えばオウムやインコ、あるいはイルカやクジラを考えても構わない。元々の文脈の出発点であったマーラーの音楽からは 随分遠くに来てしまったように見えるかも知れないが、それはマーラーに限らず、一般に音楽を語る文脈の側が自分の都合の良い 視界狭窄に陥っているからであって、ここでは更に1世紀が経過した後の三輪さんの「音楽」が問題になっているのであれば、 シュトックハウゼンの発言を詩的な比喩か修辞のように、あるいは芸術家の誇大妄想として受け流すのではなく、 逆にその不十分さを補って、もっと先に推し進めていくことによって限界を認識することによってこそ「音楽」に関する 今日的な射程は見えてくるのではないか。

意識のあり方とて歴史的に規定され、その意識がそこに埋め込まれている社会的文脈との相互作用によって 変容していくものであるとすれば、遠い将来のある時点でジュリアン・ジェインズがホメロスの時代の 意識の様態を探ったのとパラレルな探査がマーラーの音楽を、三輪さんの音楽を素材にして行われたりするのかも知れない。 シュトックハウゼンのように宇宙人を持ち出すまでもなく、そもそも「人間」というのも一つの概念であり、 時代とともに移ろい、変化していくものなのだから、意識の考古学の如きものを考える方が遥かに興味深いという 見方もあるだろう。否、そうしたシュトックハウゼンのマーラー認識そのものが、例えばアドルノがマーラー論において「大地の歌」に 関連して宇宙飛行士が宇宙から眺めた球体としての地球を持ち出した以下の発言とともに、 ある時代の認識の様態を端的に象徴するものとして分析の対象になっても不思議はなかろう。

「大地とは、この作品にとっては森羅万象ではなく、五十年後に広大なる高度にまで飛び出す ことになる人間の経験がはじめて手にするようなもの、すなわち星なのである。地球を離れようとする音楽の まなざしには、この間に宇宙からすでに写真に撮られたように、地球は一目で見渡せる円い球と見える。 それは創造の中心ではなく、ちっぽけなもので、はかないものと見えるのである。こうした経験には、人間 よりも幸せな生物が住んでいるかもしれない他の惑星へのメランコリックな希望がともにある。けれども、 遠くへと去っていった地球には、かつて星たちが約束していた希望は失われている。地球は虚無の銀河系の中 へと没滅してゆく。そこでは美は、死にゆく眼が果てしなき空間の雪塊のもとに凍りつくまでその眼を満たしている ところの、過ぎ去った希望の反映としてそこにある。そうした美に魅了される瞬間は、魔法を解かれた自然への 凋落に対して大胆にも身を張って持ちこたえようとする。どんな形而上学ももはや可能ではないということが、 最後の形而上学となる。」(龍村あや子訳)

勿論、同時代の音楽の営みに対して後の時代がどのような視点を持ちうるのかを知る術はないし、 ある時代に生きるという制約に由来する認識の檻から逃れることなど出来はしないのだが、それでもなお、 三輪さんの活動のラディカルな姿勢に貫かれたパースペクティブの広大さを思えば、吉岡さんの視点が 「突拍子もないような視点」とは私には全く感じられない。その一方で私個人の志向として、そうした視点を共有しつつ、 だがあたう限り具体的な仕方で考えていくことで、自分自身の想像力の貧しさに由来する限界を出来るだけ 向こうに押しやる必要を感じている。アドルノの視点はマーラーの音楽の元々の文脈からすれば「突拍子もないような視点」 ということになるのだろうが、更に50年後の時代に生きている人間にとって、それは珍説として脇に押しやるのではなく、 寧ろその視点を今、ここの展望に応じて徹底させることによって乗り越えるべきなのであって、そうしたことが行われないので あれば100年も前の異郷の音楽を聴く意味などありはすまい。ましてや三輪さんの活動に応答するのであれば、 旧態依然の「音楽」観、「人間」観をもって、判断する愚は避けなければならないだろう。勿論、そのために必要なのは 地球外からの展望に留まらないのだが、ここでは話を限定して、現時点での「大地=地上=地球」の展望の変容を この半世紀の間に急激に進展した惑星科学の知見に基づき整理することにしたい。

勿論その作業が完了した訳ではなく、例によって時間不足によって中断し、いくばくかの覚えを認めるに 留まっているのだが、私なりに生物としての「人間」の「限界」を思考する場として相応しいものと思われた火星・ タイタン・エウロパといった天体についての覚書きをここで一旦公開することによって、上記のような立場への 私なりの共感の表明をし、かつ共振、共鳴が偶然にも生じていた事実の証言としたい。

1.火星

火星は実在の惑星であり、想像上の架空のものではない。だが、その実在は永らく地球の地表からの、 地球の大気を通しての観察に基づくものでしかなく、望遠鏡による観測が行われるようになってからも、 却って放恣な空想の対象であり続けた。もっともそれは、火星探査が進んだ今日の視点に立つことで漸く為しうる断定であり、特に19世紀末から20世紀初頭にかけた一時期に、大口径の望遠鏡による観測の結果に基づき、火星の居住可能性についての議論が巻き起こったことが契機となって、単なる空想裡にではなく、その時点における最高の性能の機器を用いた観測と科学的な理論の仮説形成によって火星に知的生命体が居住しているかどうかを検証しようとする試みが、今日に迄繋がる火星探査を推し進める大きな原動力となった点を軽視してはなるまい。特にスキャパレリが火星の表面を覆う網目模様を観測し、それを水路と名付けたことをきっかけに、フラマリオンがそれを「キャナル」というフランス語に翻訳し、そのフラマリオンの著作を読んだパーシヴァル・ローウェルが私設の天文台を作り、自ら観測を行って、火星の人工運河の存在を実証しようとしたことは余りに有名であろう。

一方で、そうした天文学研究者の間の「流行」は、一般にも影響を及ぼさずはいない。そうした影響の中でも特に注目されるのは、やはりその当時流行した心霊研究と相俟って、霊媒が語る「火星語」なるものの記録・分析が、心理学者・言語学者によって行われたことである。ソシュールも関わったその一連の経緯は、例えば互盛夫『フェルディナンド・ド・ソシュール 《言語学》の孤独、「一般言語学」の夢』(作品社, 2009), pp.468~481の異言研究についての節で紹介されている。なお、既述の霊媒の語る「火星語」を記録・分析したスイスの心理学者フルルノワの著作の題名は『インドから火星へ 異言を伴うむ夢遊症の研究』であるが、これは霊媒の語る異言が、古代インドのサンスクリットと「火星語」であったからで、火星が、これまた当時流行していた東洋趣味の影響もあってか、東洋に近接するトポスを持つものと一般には捉えられていたことを物語っているように思われる。(霊媒の異言は、精神分析学的には「転移」「逆転移」と呼ばれるプロセスによる、交霊会の参加者――その中にはフルルノワやソシュールもまた含まれるのだが――の無意識的な欲望の反映であり、つまるところ、それは参加者がまさに聞き取りたいと思っていたことの反映と考えられることにも留意しよう)。そのフルルノワの著作の翌年、その名もずばり『火星語』という題名の著作により、霊媒の「火星語」を無意識的な観念連合の産物であると結論づけたヴィクトル・アンリはサンスクリットおよび印欧語の専門家であったし、ソシュールが関わりを持ったのも、霊媒の語る「サンスクリット」とされる言語に関してフルルノワから助言を求められたのがきっかけであった。

いずれにしても、かくしてローウェルの「運河」がウェルズの火星人を産み出し、更には エドガー・ライス・バローズの、実際には火星とは全く無縁の御伽噺を呼び起したのは19世紀末から 20世紀前半にかけてであり、ほんの1世紀前までの「火星」は寧ろ空想の産物であった。勿論それは 火星に限った話ではなく、火星の特異性は寧ろ、その後の火星像の急激な変化、その「実在」のあり方の 大きな変容にあり、それはより早く詳細な観察が行われ、唯一人間が実際に到達した地球外天体である月に ひけをとるものではない。否、一旦到達すると寧ろ急激に関心が低下してしまった感のある月と比べてもそうだし、 火星と同様、20世紀前半まで放恣な空想の対象であった金星が、探査のごく初期の段階で得られたデータに 基づき急激に関心の対象から外れていったのに比べ、火星は持続的に興味の対象であり続け、 恐らく今後もそうであり続けるであろう点こそが火星の特異性なのだ。つまり想像力を掻き立てる豊饒なカオスの縁に 留まり続ける軌道を描く対象なのである。

火星を舞台とした小説は、その小説が書かれた時代や文化的な文脈に拘束されており、かつまた、そこに含まれる虚構も含め、 書かれた時代における火星に対する知識の制約を受けている。 火星探査の進展により、新たな知識が獲得され、仮説が構築されること自体が火星を舞台とした小説が執筆される動機づけとなっているし、 火星探査自体が小説の題材となっている。その一方で、あえて既にその時点では否定された過去の火星像をあえて取り上げるような ケースもあるだろう。

火星を舞台とした小説を読む立場からの展望においても、過去の作品においては、その作品の背景となっている火星に関する知識が、 程度の差はあれ現時点では訂正を要するものであることがほとんどであるが、それと作品の価値は別のものでありえるだろう。私見では、20世紀前半までの ほぼ単なる想像の産物であると言って良い火星像に基づく作品は、いまや「火星」という固有名ではない別の何かを指示するものと読み替え なければ受容が困難(逆に、そうしても作品の読み方への影響がほとんどないの)だが、20世紀後半になると、マリナー計画に先行する作品でも幾つかのものは、 今日の火星像を前提としてなお、火星を舞台としていると言いうるような要素を含んでいると感じられる。いわばそこにおけるヴァーチャリティが、 知識の細部の不正確さにも関わらず、時代を超えたポテンシャルを備えているようなのだ。

従って、火星を題材にした作品にいわば映り込んだ火星像の反映を書き留めて、若干の整理を行い、それをもって火星の「ヴァーチャル性」の 具体的な様相を把握するための題材を用意することは興味深い作業だろう。作者が執筆時点で火星に 関する最新の知識をどこまで知っていたかを検証するのは、少なくとも今の私にとっては困難であるが、そうした事実問題はここでは相対的な 意義しか持たない。その一方で、例えばウェルズの『宇宙戦争』やエドガー・ライス・バロウズのいわゆる「火星シリーズ」には、それが火星を 題材にしているという事実よりも寧ろ、当時の火星像に基づき、火星なり火星人なりを描くことにより、意図的であるかどうかを問わずに 書き留められたものがあるのは確かであるが、ここではそこには関心をおかない。現実にはその境界を画定することなど厳密には不可能である ことを認めた上で、ここではあくまでも「実在」の火星を題材とし、その題材が作品にとって他の固有名に置換不可能な質を担っている作品に 限定することにしたい。何よりもそうした境界画定は、現時点での私自身の火星についての知識とそれに基づく火星像の制限下にあることは確かであり、 従ってそれは、放恣な想像でもなく、だが事実とは異なる虚構が持つポテンシャルの由来を検討し、「ヴァーチャル」とは何かを考えるための 題材の一つと見做すことができ、「想像力」が生産的でありうるためにそれが相空間に描く軌道が持っていなければならない条件を考える 手がかりとなることが意図されているのである。そういう意味で特に興味深いのが、まずはマリナー計画に先立って書かれたブラッドベリの『火星年代記』(1950)とフィリップ・K・ディックの2つの火星を 舞台にした作品で、『火星年代記』と『火星のタイム・スリップ』(1964)ではいわゆる火星人が登場するし、『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』(1965)でも 植民先としての火星にもともと棲んでいた生物が登場する。それらはその後明らかになった「現実」の火星とは一見したところかけ離れたものなのだが、 不思議なことにいずれも現時点で読んでも違和感は感じられない。それはマリナー以前の火星像の終着点というわけでもなく、寧ろどこかで その後明らかになった火星が呼び起す心象風景を予見しているかのようなのだ。宇宙年代記(火星を舞台にしたものは「流砂二二一〇年」(1965)「落陽二二一七年」(1964)「市二二二〇年」(1969)「シンシア遊水地二四五〇年」(1967)「流星二五〇五年」(1967)「西キャナル市二七〇三年」(1979)の6作を数える)や『東キャナル文書』(1977)収録の連作、あるいは『喪われた都市の記録』(1972)における東キャナル市の描写をはじめとして、光瀬龍の作品における火星の存在感は非常に大きいが、概ねマリナー計画以後、バイキング計画以前の情報に基づいて書かれたそれは、ディティールにおける「現実」との無視できない乖離と、何より既に過去に 滅亡したとされる火星人やその遺構といった道具立てにも関わらず、今なお不思議なリアリティーを喪っていないように思われる。

そのリアリティーの由来として思いつくのは、火星が、地球と良く似た経過を辿りながら、規模・質量が小さいために急速に冷え、プレート・テクトニクスが停止し、大気が散逸して早くに年老いたと考えることができるという、近年の火星に関する科学的な知見と矛盾せず、そこに地球の、或いは「人間」の未来の姿を見るという志向を、直観的かつ想像力に富む仕方で把握していたからではないかという点である。(更に言えば、19世紀末から20世紀初頭にかけて、火星が古代インドと近接したトポスを持つものとして一般に了解されていたかも知れないことは、上で言及したフルルノワの『インドから火星へ』からも窺うことができるだろうが、ここではそうした火星の所謂「古代性」が、単なる空想の産物ではなく、科学的な裏付けを持っている点を重視したい。)丸山茂徳、ベーカー、ドーム『火星の生命と大地46億年』(2008, 講談社)によれば、既にローウェルが、1895年刊行の『火星』において、火星を「地球よりもはるかに古く、進化が進み、そのための海が干上がり、乾燥し、砂漠化している。」(引用は、『火星の生命と大地46億年』に従う)と述べていることを指摘しているのは興味深く、運河を構築した火星人が存在したかどうかを措けば、ローウェルの火星に関する基本的な認識は決して非科学的なものではないが、それと同じことがここで取り上げたブラッドベリ、ディック、光瀬龍の作品についても言えるのではないか、それは共通する素材を用いて、だが、幾つかのパラメータを変えてレンダリングによって制作された――ネルソン・グッドマンの『世界制作の方法』におけるような意味合いでの――「世界」の別のバージョンであり、そしてそのことが私自身が惹き付けられる理由なのではないかというように思われるのである。そして言うまでもなくそれは、三輪さんの「ひとのきえさり」についての「ありえたかも知れない<音楽>」に通じるものなのだ。要するに滅んでしまった「火星人」の物語、というのは構造的にはありえたかも知れない「ひとのきえさり」の物語、夢と同じなのでは、そしてそこに予見されているのは、さしあたりは未来にある筈の「老い」なのではないか、ということだ。なぜ「きえさり」なのに「死」ではないのかと言えば、「死」そのものは自らは語らないから、「きえさり」ゆくことについての意識(意識のきえさりではなく、意識のきえさりについての意識)は、(こちらも「老い」そのものではなくて)「老い」についての意識だからである。

そして現時点で獲得されている火星についての情報をいわば「所与」とした作品の中では、スタンリー・ロビンソンの「火星三部作」、特にその第一作『レッド・マーズ』(1992)における火星の 描写のリアリティが何といっても群を抜いている。こちらはこちらで、特に第二・三作『グリーン・マーズ』『ブルー・マーズ』においては将来構想として具体的に検討されている火星植民やテラフォーミングが 火星にもたらす変化や火星で生まれ育った世代の描写など、未来についての空想のイメージにも事欠かないのだが、それらが恣意的に なることなく、現時点で火星の占める特異な地位のもたらす科学的な裏づけをもった膨大な情報に裏打ちされた具体性を備えている点が 印象的である。

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火星に対する認識が決定的に変化する転換点は、20世紀中葉のマリナー計画の成功がもたらした。 未だに人間が直接訪れることはできないが、その後のヴァイキング計画、20世紀末から21世紀初頭にかけて 再開された火星探査の成果により火星についての知識は増大しており、これまでも以前の仮定のあるものを誤りとして訂正してきたし、 今後もその作業は絶え間なく行われるであろう。そしてそうした知識の増大は、そこを人間が直接訪れることによってではなく、 絶え間ない技術の向上による、人間の知覚の大幅な拡張によるものである点は興味深い。勿論、同じ技術が、一方では 地球そのものの観測に用いられ、他方では火星以外の天体に対しても適用されているのだが、現時点での火星の特異性は、 火星の上空を周回するオービターや火星の地表に降り立つランダー、更には人間の代わりに自律的に火星の地表を動き回り、 風景を撮影し、試料を採集し分析するローバーといった多様な手段によって膨大な情報が蒐集されている点にあるだろう。 そしてそうした手段の拡大の方向は、丁度、地球の場合の逆の順序を辿っていることにも留意しよう。すなわち地球にあっては ようやく20世紀中葉に可能になった、地球を宇宙空間から眺める視点が、火星においてはまずマリナー計画により獲得された。 そしてヴァイキング計画により地上からの視点が獲得され、未知の土地の定点観測が行われ、更に20世紀末から21世紀にかけて 送り込まれたローバーがその土地を動き回ることで、多少なりとも風景を馴染み深いものにした。

そのことは、例えば光瀬龍の作品における火星の記述が、アルベド地形に基づくものであり、スキャパレリが自分の火星図で初めて行った地形命名の慣習をベースとして、恐らくは独自のディティールを追加したものであるといったような細部に窺うことができるだろう。アルベド地形は現地に降り立った時に観察できる実際の地形の起伏に基づくものではなく、その天体を外部から観測した時に、天体表面の反射率(アルベド)の違いによって生ずる明暗に基づいたものだから、それはあくまでも「想像上の地形」なのである。スキャパレリの命名はそれ自体、古典ギリシャ時代の文献に登場する、いわば「神話的」な地名、川や海の名前を転用したものであるから、「神話的な想像力」とでも言うべきものと親和的であり、これもまた既述の「古代」と「火星」のトポスの類似に寄与していることは間違いないだろう。そして光瀬龍の作品を、火星探査機がリアルな火星の地形を観測して作成した地図を手にした人間が読んだとき、不思議なリアリティに満ちたその風景が、だが現実の火星の地形には対応していないことに気づかされることになる。それはスタンリー・ロビンソンの「レッド・マーズ」とは別の、想像上の「火星」の風景なのである。

火星の探査が人間の想像力に対してもたらす影響は計り知れないものがある。それを思いつくままに挙げてみると、まずは何より 地球外生命の可能性がある。それは幾つ目かの「地球中心主義」からの「コペルニクス的転回」であろう。生命の定義自体にも関わるが、 火星については生命の定義について、地球のそれを範例とした見方ができそうなことがわかってきた。代謝と複製、膜の存在といった 部分は勿論、素材となる物質についても地球と共通のものを想定することができるのだ。火星もまた地球と同様、いわゆる「カオスの縁」の 少なくとも近傍には位置していることが確実なのである。

その一方で探査に用いられる技術もまた、人間の想像力の限界への挑戦を突きつけるものである。何しろ地球上とは全く異なった 未知の環境、しかも地球から遠く離れた場所で用いられるのである。ランダーの着陸に用いられた一見したところ奇抜なアイデア、ローバーに用いられる 自律制御技術、カメラなどの各種の観測機器に用いられる様々な技術もそうだし、未知の環境に対する頑健性を重視し、枯れた技術を 用いることがしばしば行われる設計方針も興味深い。研究開発プロジェクトそのものも極めて興味深いし、残念ながら少なくない失敗例についても 学ぶべき点が多く、興味深い。

そしてそうした技術がもたらす風景の地球のそれとの共通性と差異の微妙なあり方は、様々な点で、自明性が括弧入れされるもう一つの「現実」を 提示する。オービター、ランダーとローバーのそれぞれの視線の差異もまた興味深い。オービターは地図作成を行う。希薄とはいえ大気がある場合、 近くからでなければ地表の様子はわからない。望遠鏡による観測がどんなに大きな恣意をもたらし、どんなに放恣な空想の淵源になったかは「運河」に まつわる騒動が示している通りである。その一方でパノラマ、空中写真というのは、飛行機が発明され、空からの視点が確保されるまでは人間が 持つことができなかった視点でもある。逆にランダーとローバーは視線の高さが現実感をもたらす。あたかも人間がその場で見たかのような風景を機械を 媒介にして見ることができるのだ。そしてローバーは更に視線の変更を可能にする。固定された視点ではなく、歩き回ることによる視点の変更が風景を 具体的に構成していくのだ。更には自分の足跡を撮影したりすることができ、自らの時間の痕跡を撮影することで、風景に時間と空間のずれを刻印することも 可能となる。

その上で更に、地球と似ていながら異なっている火星の風景自体が想像力を刺激する。恣意的な空想の産物に過ぎない運河や人面岩の一方で、 大気の存在による空の色、砂漠、火山、峡谷、河床のような地形、日没時の空の色の変化、地軸の傾きがもたらす季節の存在、砂嵐、雲や霜などの 気象といった、地球の風景とあるレベルまでの類比が成り立ち、だが、あるところから先は異なった、それゆえにしばしば仮説の領域に踏み込む風景は 紛うことなき現実として存在する。例えば人間が訪れた点では決定的なポジションを占める月に比べても、人跡未踏でありつつも、無人探査によって 垣間見ることのできるその風景の何と具体的で、リアリティに富んでいることか。火星は人間のアナロジーが通用しない全く異質なものを提示しはしない。 火星はアナロジーが成立する想像力の及ぶぎりぎりの縁を示しているかのようだ。それはいわば「ありえたかもしれない」風景、実在でありながら尚、 地球に居る人間にとっては「架空の」「想像上の」風景なのだ。

そうした火星に対する認識の特殊性は、火星と地球の微妙な距離感による部分が大きいだろう。ホーマン遷移軌道を 辿って火星に辿り着くのには1年弱の時間が必要であるが、それは人間の個体としての寿命のスケールを逸脱することはない。 2年くらいの公転周期、1日をやや上回る自転周期も、地球上と同じスケールの暦を可能にする。地表の重力は長期の 滞在による人体への影響を無視できないとはいえ人間を全く拒絶するものではないし、希薄で成分を大きく異にするため 人間が直接触れることができない大気は、磁場がないために太陽風に直接さらされる地表の放射線量とともに人間の 居住を拒みはするものの地球上と同じタイプの生命の可能性を全く否定するほど異質なものではない。 地表の多様性に富んだ地形もしばしば地球上のそれとのアナロジーが可能のようだ。何よりもローバーが撮影した火星の 地表の風景は、地球においては極限的な環境のわずかばかり外側に微妙に位置づけられるかのようで、人間の想像力を 受け付けないほど異質でもないが、かといって安易な類推を許さない距離を備えているが故に、様々な意味合いで人間の 想像力にとって豊饒な辺縁、境界領域なのであろう。

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火星が他の天体に比べて特に興味深い点は、まずは継続的な探査が行われており、恐らくは今後も継続されると予想されることから、 その都度の時点での火星像の更新・修正もまた、少なくとも約半世紀に亙りこれまで継続的に為されてきたし、 今後も為されていくことが予想されるという点で際立った天体であることである。更に未だに地球外生命の存在の可能性がある天体であり、 そこへの移住、植民、ひいてはテラフォーミングの可能性が具体的に検討されている天体である点、つまり地球とは異なるけれども 全く疎遠でもなく、いわば「代補」たりうる存在であると見做され続けている点である。一方で(テラフォーミングの結果は差し当たり排除して) 現時点での火星は、そのままでは人間が生きることができない環境であることを考えれば、たとえ火星に人間が到達したとしても、 地球とは異なって、あくまでも宇宙服の内側から、いわば間接的に接することしかできない他性を備えた存在であることにも留意すべきで あるとはいうものの、金星や水星、木星は探査の結果、生命の存在や人間の居住可能性という点での更なる探求の対象としての優先度は大きく 下がってしまったし、唯一人間が行ったことのある地球外天体であり、今後更に有人探査が行われる可能性の高い天体である月も、 その目的は資源開発や地球外の活動の拠点としての位置づけであり、「代補」としての性格は希薄であると考えられる。

だが興味の理由はそれだけではない。現時点の状況が、無人のオービター、ランダー、ローバーにより何度となく訪問され、 繰り返し写真撮影されていて、あたかも火星を見たかのような感覚に囚われる程度にはリアリティを帯びていながら、 まだ有人探査は行われておらず、従って、認識における身体性の欠如はしばらく続くであろうこと、つまり、さしあたって火星は 未だに(実在の存在でありつつも)、知識内容においても、知覚の様態においてもヴァーチャルな存在であることであろう。

地球でも、例えば南極や深海底などについては、間接的に接することしかできない他性を備えた環境という点では 火星と同じと言えるだろうが、こうした事柄においては結局のところ程度の問題を無視することはできない。 例えば、地球外で生命が存在しうる天体としては、太陽系内に限定しても火星以外に、タイタンやエウロパ、 更にはエンケラドスなどが候補として考えられるだろう。だが現時点の今後の探査計画を参照する限りでは、 21世紀の前半に有人探査が行われる可能性の点で火星は例外的な地位を占めていると思われる。 私はマリナー計画の時期に生まれ、子供の頃にヴァイキング計画の成功を経験し、そして近年のローバーやオービターによる 探査の成功にも立ち会い、更に可能性としては生命の存在の確認や有人探査の成功にも立ち会えるかも知れないという とてつもない幸運な世代に生を享けているのだ。

その一方で火星ですら、有人探査の実施は(少なくとも現時点での計画では)まだ先の話であり、私が生きている間に 生命の存在についての結論が出るかどうか、人間が火星に到達することに成功した瞬間に立ち会えるかどうかは実際には 予断を許さない。否、火星探査の歴史を振り返れば、数多くの失敗もさることながら、繰り返し長期に亙る停滞を余儀なく されていて、例えばアポロ計画の時期に思い描かれた火星への到達時期は何度も先延ばしにされてきたことを思えば、 今後も再びそうした停滞の時期が訪れないとも限らない。そしてその結果、火星が「代補」たることを確認することは叶わない かも知れないのだ。そういう意味では火星が「代補」であるということ自体が未だヴァーチャルなものに留まり続けているとも 言えるだろう。

いずれにしても火星は、これまでもそうであったようにこれからも、人間の想像力の限界に挑むことにより、それを拡張し続け、 一層豊饒なものにしていくという点で際立って刺激的な存在であり続けることだろう。それはカオスの縁の遍歴であることを 約束されている稀有な対象なのだ。

2.タイタン

タイタンは現実の天体で、土星の衛星であるにも関わらず、そのあり方は非常に特殊で興味深いものに思われる。それは厚い大気のせいで その名の示す通り、太陽系最大の衛星と見做されてきた。ガニメデの方が僅かに大きいことがわかったのはそんなに昔のことではない。 厚い大気は軌道を横切るように軌道設計された初期の探査機からの探査を阻み、その地表の姿は21世紀初頭のカッシーニ・ホイヘンス・ ミッションが成功するまで未知のままであったのだ。(ほとんど話題になることもなく、それ自体、驚くべきことに感じられてならないのだが、) ホイヘンスの着陸に巡り合わせたこと、そしてそれにより人類史上初めてタイタンの地表の風景を見ることができ、更にはタイタンの地表を吹き抜ける 風の音を聴くことができたことは、バイキングが火星に着陸したことに巡り合わせたことと並んで、この時代に偶々生をうけたことによる 僥倖と言えると私は思っている。

タイタンが発見されたのは1655年にクリスティアン・ホイヘンスの望遠鏡を用いた観測によってだったから、有史以前から知られていた惑星や 地球の月と異なって、テクノロジーの発達による観測器具の発展がその発見の前提となっている点にまずは留意すべきだろう。タイタンに 大気があることは、いわゆる宇宙探査が始まる前の20世紀初頭には予測されていた(1907年のジョゼ・コマス・ソラの観測記録が 確認できるもっとも古いもののようだ)。だが大気の存在自体は逆に他の衛星についても想定されていたから、タイタンがその点で実は 極めて特異な存在であるということが明らかになったのはそんなに昔のことではない。しかも今や、寧ろその大きさだけから考えればタイタンがかくも厚い大気を 持っていること自体の方が謎であり、その理由の解明は未だ開かれた問題のままなのである。

タイタンの探査は1980年のボイジャー1号の接近をもって嚆矢とする。それに先立つ1979年のパイオニア11号は土星系を訪れた最初の 無人探査機だが、タイタンについては大した知見をもたらさなかった。ボイジャー1号はといえば、それはもともとタイタンの探査を目的とした 軌道が選択されたという点で、タイタンの探査を目的とした最初の探査機と言って良かったが、タイタンの厚い大気の下にあるものを 明らかにするための装備を備えていなかった。ボイジャー2号はその結果を受けて、タイタンの更なる調査ではなく、天王星、海王星への 軌道を選択した結果、タイタンの本格的な探査は、何と20世紀末に打ち上げられ、21世紀初頭に到達したカッシーニ・ホイヘンス・ミッションに よるものが初めてなのである。ホイヘンスはタイタンの地表に見事に着地に成功し、タイタンの大気の内側の風景をもたらしたのみならず、 地上からの風景をももたらしたのであり、それに巡り合えるのは、繰り返しになるが、世代の偶然が為せる僥倖と言う他ない。 しかもカッシーニはミッションを2度に亙り延長し、タイタンへの接近は100回を越すことになるだろう。タイタンは土星とともに29.5年かけて 太陽の周りを回り、自転周期の方も15.9日であり、単純な地球の時間尺度でのアナロジーを受け付けないし、一度限りのフライ・バイ ではその変化の或る瞬間の断面を捉えることしかできないのだが、延長されたミッションにより、そのゆっくりとした季節の移り変わりがもたら す気候の変動も判明しつつあるし、地球では当然で、だが決して自明のこととはいえない昼夜での気温の変化といった現象も確認されてきている。

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タイタンは「地球のような衛星」と呼ばれる。タイタンは太陽系内では厚い大気を持つ唯一の衛星であり、 しかも予想されたとおり、雨が降り、地表に溜まり、蒸発しといった循環があり、地表の風景はある意味でまさに地球のアナロジーとなっていることが 明らかになりつつある。けれどもそれは例えば火星が地球のアナロジーであるのとは全く位相を異にする。火星はいわば素材の点で地球と共通しているのだが、 そのダイナミズムは少なくとも現時点では地球と大きく異なっている。それに対してタイタンは地球と共通する窒素主体の厚い大気を持ち、気圧は1.5気圧、 地表の温度は氷点下180度であるため水は液体で存在できないが、メタンの雲が発生し、雨として降り注ぎ、蒸発しといった大気の循環がある。 地表の地形も、湖があり、河があり、ホイヘンスが降りたような小石が散らばる泥濘あり、風紋のような模様をもつ砂地のような地形もあり、更には氷火山もありということで、 素材こそ違え、まさに「地球のような」風景が拡がっていることが確認されたのだ。要するにタイタンは、異なる素材によって地球と類似のダイナミズムを備えた天体であり、 それゆえ地球とは異なったタイプの「生命」が活動している可能性さえあるのだ。それを思えば「ありえたかもしれない」というヴァーチャリティの徹底において、 しかもそれがまぎれもなく実在しているという点において、タイタンの占める位置は全くもってユニークなものなのだ。 しかもそのリアリティが今まさに厚みを増していきつつある時期に我々は生きているのである。

タイタンのあり方の特殊性は、衛星の中では群を抜いて多いタイタンに関する書籍のタイトルにも現れている。「地球のような」については上述の通りだが、それ以上に、 その厚い大気がヴェールとなって、タイタンに対する認識の深まりが、文字通りに「覆いを取り除く」こととなっている点が、ハイデガーが「ヒューマニズムについて」で 指摘する「テヒニーク[技術]は、その名称の点で、ギリシア人たちのテクネー[技術的知]に遡るだけではない。むしろ技術は、本質の歴史に即するならば、 アレーテウエイン[覆イヲ取リ除イテ真相ヲ露呈サセルコト]の一様式、すなわち存在者を顕わにすることの一様式としてのテクネー[技術]に、由来している」 (渡辺二郎訳)という言葉と正確に呼応していることに思い当たる。おそらくは金星も似た可能性を持っていたが、「覆いを取り除いた」結果は「地球のような」を 否定するもので、寧ろ決して覆いが取り除かれることのない存在であることがわかったと言っても良いのに対してタイタンについては、「存在と時間」の序論において 述べられた「おのれの示すものを、それがそれ自身の方から現れてくるとおりに、それ自身の方から見えるようにすること」が今や可能になりつつあると言って良いだろう。

こうした点がタイタンの探査におけるヨーロッパとアメリカの取り組みのバランスに影響していることはないだろうか。カッシーニ・ホイヘンス計画はNASAとESAの共同 のミッションだが、全く地表の状況がわからない天体に対するプローブの投下はヨーロッパ側の強い要望によって実現したもののようであり、今後のミッションにおいても タイタンの探査に対してはヨーロッパの積極性が際立っているように感じられる。火星は勿論だが、エウロパに対しては寧ろアメリカ主導であるように見えるのと コントラストをなしているように感じられてならない。それはまた、植民やテラフォーミングの可能性についての議論とも関連しているに違いない。いわは天然ガスの 塊であるタイタンは外惑星帯における植民先としては最も有力な候補の一つのようだが、その一方で、その系の持つ、地球とは全く異なった独自の動的な均衡が テラフォーミングの議論を封じ込めてしまっているかに見え、ここにおいてもタイタンは、火星は勿論、例えば木星のガリレオ衛星などと鋭い対照をなしているように 窺えるのである。

タイタンの探査はカッシーニの成功により今なお進行中であって、2012年以降2017年のミッション終了までに更に40回以上の接近が予定されており、 更なる知見が得られることが期待される。その一方で、今のところ木星系の次期ミッションが優位にあるとはいえ、タイタンを含む土星系へのミッションが 2020年代の実施を想定して検討されている。タイタンについては有人探査が私が生きている間に実現する可能性はほとんどなかろうが、無人探査であれば、 もしかしたらもう一度、その実現に立ち会える可能性は残されている。次回は確実に、現在既に火星では普通になりつつある、専用のオービターと ランダーの組み合わせによる探査がタイタンに対して為されるだろうし、タイタンに対する最大の興味の一つである「生命」の存在の調査が、より高度な装備に よって為されるであろう。既に現時点でさえタイタンは、人間の想像力を遥かに超えた現実を提示しているし、今後も提示し続けるだろうが、更なる飛躍が 期待できるという点においても特異な存在に違いない。

3.エウロパ

エウロパは木星の衛星のうち、ガリレオが発見したことから今日ガリレオ衛星と呼ばれる4つの衛星のうちの一つで、従って随分と昔から知られていたが、 ボイジャー探査機が接近するまではガリレオ衛星の中では最も大きいガニメデの存在感が他を圧していたのに対し、それ以降はまず火山活動が 確認されたイオが存在感を増し、ついで氷殻の下に海があることがほぼ確実視されるようになったエウロパが地球外生命の有力候補として急激に クローズアップされるようになった。とりわけ20世紀末のガリレオ計画における12回のフライバイを含む長期に亙る探査によって得られた情報により、 今や火星と並ぶか人によってはそれ以上の生命の星の候補となり、その後のカッシーニ・ホイヘンス計画の驚異的な成功により一層存在感を増した タイタン、これまた急激にクローズアップされることになったエンケラドスがあるとはいえ、2020年代に向けての次期の外惑星探査の大型ミッションの 最有力候補はエウロパの探査のようである。

もっともエウロパの海はその存在が確実視されているとはいうものの、まだ実際に確認できたわけではなく、あくまでも仮説的な存在である。そして もう一つの地球外生命が存在する有力候補であるタイタンにおいては厚い大気のためにオービターでの探査に限界があるように、エウロパの場合も オービターで幾ら地表の氷殻の探査をしても、その下に広がるはずの液体の水の層を直接観測することは叶わないだろうし、ましてや生命の存在に ついての確証は得られないだろう。最低でもランダーによって地表に残るとされている地底の海水の成分の痕跡を調べたり、存在する可能性のある 有機物の分析をすることが必要だろうし、最終的には氷殻を掘り抜いて地底の海に潜る探査を行わなければ直接的な証拠を 得ることはできない。液体の海の存在自体異論の余地がないわけではないし、地球の深海の熱水噴出孔のアナロジーが成立するような海底 火山活動の方も当然のことながら仮説の域を出ない。一方で木星の強い磁気圏の只中にあるエウロパの地表は人間が1日と生きていけない程 強い放射線に晒されており、酸素を含む大気の存在が確認されているとはいえあまりに希薄であり、小さな重力とあいまって、地表の風景は 地球とは全く異質のものであろう。他方で地底の海は仮に熱源となる海底火山活動があったとしても光のない世界であり、氷殻表層の希薄な 大気から運び込まれたり、放射分解によって発生する酸素が水に溶け込んでいる可能性はあるものの上陸する陸地もなければ酸素に富んだ 大気も存在しない。つまるところエウロパは火星とは違った意味合いで、地球型の生命からのアナロジーが到達できる境界領域に位置する存在のようである。 エウロパに地球的な尺度で高度に進化を遂げた大型の多細胞生物が存在する可能性は決して高くはないだろうが、安易なアナロジーを超えた 現実が氷殻の下で繰り広げられている可能性を否定することもできないだろう。

今や地球外生命の探査は太陽系内のみならず、太陽系の近傍の他の惑星系に存在することが判明しつつある地球型惑星や海洋惑星などにも 及びつつあるし、太陽系内ですらガニメデやカリストといった他のガリレオ衛星、海王星の衛星トリトンや冥王星、ケレスなど、調査対象は広がっている。 けれども21世紀の最初の四半世紀の間に詳細な探査が行われ、生命の存在についての仮定を超えた知見が得られる可能性がある対象となれば、 現時点で有力視されている幾つかの候補に絞られるが、エウロパは火星やタイタンと並んでその中に含まれているようだ。探査の対象となるには これまでに得られた知見の裏づけが必要だが、そういう意味でもエウロパは火星、タイタンに並ぶ存在となっていることが書籍として入手できる 文献の数などからも窺える。そういう意味でもエウロパは、この時代を生きる人間にとって、その想像力の辺縁の仮想と現実のあわいに位置する 存在なのだということができるだろう。

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結びにかえて

三輪さんの震災後の活動と、自分なりに架空の対話を試み、応答をまとめ、公開してきて、現実性と仮想性の問題や、想像力の問題、 メディア・技術の問題などについて、自分なりに考えて来た。そうした経験を経たとき、地球外の生命を探索する候補となっている 火星・タイタン・エウロパなどを巡る研究やそれらを題材にした小説が、三輪さんの「極東の架空の島」の、あるいは様々な作品の 「カバーストーリー」の延長線上の、ある種の極限のような場所として浮かび上がってきたのだと思う。現時点においては地球外からの眺望こそ、 「極東の架空の島」のポテンシャルを測るための適切な視点なのではないかと感じられたのだ。

ローバーが撮影した火星の写真は、非常に奇妙なものだ。地球のどこかにありそうなのに、実際にはその風景の中に私は本質的に属していない。 幸いにも21世紀に生きる私たちが人類史上初めて見ることができるホイヘンスが撮影したタイタンの地表の風景は、本当は摂氏マイナス180度の 極寒の世界であり、恐らく素材も地球のものとは甚だ異なったものに違いないにも関わらず、砂地に円い石の散らばる地球上の海岸や河岸に似たものをそこに 見出してしまう。そしてどこかで私から決定的に断絶しているそうした風景を、それでも眺めることができるのは、まさに「テクノロジー」の力、「メディア」の力によるものなのだ。 それは私が生きたままでは決して見ることができない風景を見ることを可能にしている。かつての人間、生物としての人間には不可能であったはずのことが、 人間と機械の複合的な存在である、現在の人間には可能になっている。

既に触れたことではあるが、最近の火星無人探査機は自律性を有して動き回ることのできるロボットに他ならず、彼らが火星の地表に長期に 渡って滞在し、動き回って視点を変えながら、文字通り「見て」「撮影した写真」の中には、凡百の「芸術作品」を凌駕するものがある。 それらはマリナーやボイジャーが遠距離から通りがかりに写し、限られた帯域幅を用いて転送してきたスナップショット画像とは明らかに 異なった質を備えており、あたかも絵葉書に印刷される風景写真のようですらある。勿論、ローバーは芸術家ではなく、そこに芸術性を 見出すのはあくまでの事後的な効果としてであって、送信されてきたデータを加工し、色合いを決めるのには人間の判断が介在している ことを忘れてはなるまい。Postcards from Marsと題された、スピリットとオポチュニティと名付けられた2台のローバーが 撮影した火星の地表のパノラマ写真を収めた写真集がある(邦訳は「火星からのメッセージ」寺門和夫:監修、沢田京子:訳、 ランダムハウス講談社。以下の引用は邦訳書に従った。)が、その冒頭、「はじめに」の部分でこの写真集の「著者」であり、 スピリットとオポチュニティのパノラマカメラ画像システムの主任科学者であるジム・ベルは「バイキング着陸船とマーズ・パスファインダーで 撮影された火星の風景と、スピリットとオポチュニティーが撮った風景との違いは、「画像を得る」ことと、「写真を撮る」ことの違いである。」 と述べた後、以下のように書いている。

「(…)これらの写真が、実際の風景に最も近い表現で、あたかも火星にいるかのような作品に仕上がったことを誇りに思っている。 もちろんここには膨大な技術とコンピュータが駆使されており、幸運なことに、チームの中でもきわめて才能豊かで創造的な人々から 大きな助力を得ることができた。しかし写真の芸術的、美学的側面を請け負ったのはわたしである。すべての芸術は現実との関連性 という問題に直面する。この点で、本プロジェクトは特にユニークである。これは抽象的なアートではないが、今まで人間が実際に目撃した 現実でもないのである。」

更に題名に触れつつ、「わたしたちは写真を撮影した時も、その写真が火星から地球に送信されてきた時もポストカードと呼んでいた。 だから、今さら別の言葉で呼ぶことなどとてもできない。」と述べ、「これからもポストカードが配達され続けることを期待しながら、 これらの写真を皆様にお届けする。」と「はじめに」を結んでいる。

ここではローバーというロボットと人間が不可分の一つのシステムを形作っていること、ニュアンスは違うから投壜通信そのものではないものの、 ここにおいても或る種の通信が、贈与が語られていることに留意しつつ、こうした現実を踏まえた上で、カントの判断力批判における 美の定義を改めて思いおこしてもいいかも知れないし、ヘーゲルの美学における自然美に対する人工美の優位に対して、 一方では「人工」ではないが、さりとて地球上での「自然」の尺度を超えた風景を、他方では更に進んで、人間ならぬロボットの「視点」を 割り込ませるべきなのかも知れない。「視点」という言葉自体の問い直しと一緒に。「美」を見出すのは人間であるに留まるとして、 「美」でない何か、でも「美」に通じている何かの視点を、いつしか、しかしそんなに未来というわけではなく、ロボットが獲得する、 文字通りに獲得し、それによって自律的に写真を撮影するということは決して絵空事ではないだろう。その先で、ロボットによる「投壜通信」を 考えることすら可能だろう。

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例えばブルックナーの音楽は「木石の音楽」だと言われるし、シベリウスの音楽には人影がないかも知れない。 でもそれは地球の風景の音楽でしかない。 天体を題材とした音楽は、私が知る限り、どれも陳腐な空想の産物にしか聴こえない。三輪さんの極東の架空の島をはじめとする カバーストーリーと、それに基づく音楽が、ほぼ唯一、まともに想像力を行使していると私には感じられる。これは文学作品でも そうで、大抵のSFは火星やタイタンについての探査結果を分析した研究が描き出すものの足元にも及ばない。火星のように 一定の情報がある天体でないものを想像しようとしても、却って素朴なアントロポモルフィズムを曝け出し、人間が如何に自分の 認識の檻から逃れるのが困難であるかを逆説的に証しすることにしかならない。(そういう点で興味深いのはまたもやタイタンで、地表の 様子がわかったのがつい最近のことであるために、タイタンを舞台にした作品は、数十年遅れで火星を舞台にした作品の 後を追う事態がようやく生じつつある。エウロパに関してはアーサー・C・クラークの作品を除けば未だそのレベルに達せず、後の天体については 木星や金星について近年獲得された知識に基づく描写が行われた数少ない例を除けば、得られた知識があまりに断片的に過ぎるゆえ、 未だ具体的な描写が可能な状況にない。) 勿論、ある種のアントロポモルフィズムは本質的な限界だろうし、ロボットにしても人工知能にしても、ある種のアントロポモルフィズムから 逃れられないだろうが、その一方で、空想としてではなく、現実に(ただしその現実は直接性を欠いているのだが)火星やタイタンといった 異なる場所が開けているのも間違いないことで、そうした「現実」により「人間」の「限界」がようやく具体的に浮き彫りにされるのである。

死者とともにあるという認識、そしてそれと対を為す、己もまた今からのち死すべきものであるという認識は優れて人間という生物固有のものであるかも知れない。 だが人間は、一方において自分と生物学的基盤を共有する他の動物、植物と共に、少なくともしばらくはこの地球でやっていくしかないし、 遠い将来、例えば火星への植民が可能になったところで、人体を改造して火星に適応し、人間と異なるものになるのでない限り、あるいは 数世代にわたる期間という、人間の寿命の尺度を大きく超えた歳月の後、テラフォーミングによって人間に居住可能なように火星が「地球」化 することなしには、火星は異郷のままに留まり続けるだろう。ところが現実には原子力災害によって、図らずもそうした「異郷」が地球の上の出現してしまっているのだ。 あたかも別の天体上でのように、防護服を着用し、ロボットを操作して復旧作業を行わざるをえない。復旧作業に要する期間は人間の寿命の 限界に及び、テラフォーミングのように世代を超えるものになるかも知れない。私は復旧作業の完了を目にすることができないのかも知れない。

火星やタイタンについて考えるのは、それ自体、人間中心の視点から否応無く離れることを含んでいる。しかも倫理的な是非以前に、震災後の ある時期、ときどき私はそうすることで息継ぎをしてきたようにさえ感じる。(実際に火星やタイタンでは一瞬たりとも生きてはいけないのにもかかわらず、、、) 私は自分のそうした行動を、そしてそれによって確実に獲ていたに違いない、何某かの慰藉を未だうまく分析することができずにいるが、 恐らくは同じであろう「限界」に対して、同じ想像力、同じテクノロジーを介し、だが逆の方向からアプローチし、そうすることで現実に抗する潜在的な力を 引き出そうとしているのではないかという漠たる感覚はある。そしてそれは三輪さんの作品が示す可能性と親和性が高いものであるように感じている。

火星といえば丁度古代・中世的な宇宙観と近代的な天文学の中間点のような位置を占めるケプラーのことも思い起こされる。 ケプラーは火星の軌道の観測結果に合致するモデルを探求した結果として、かのケプラーの法則を見出したのだったが、同時に彼は「宇宙の神秘」 (Mysterium Cosmographicum)、「世界の和声=調和」(Harmonices Mundi)の著者でもあり、アリストテレスが「形而上学」第1巻第5章で 「数の構成要素をすべて存在の構成要素であると判断し、天界全体をも音階(調和)であり数であると考えた」と記述するような意味合いでの ピタゴラス派の末裔であり、アウグスティヌスが「音楽論」において算術、幾何学、天文学、音楽の四学科に分かたれると記述する文脈での、 それらを包括する意味合いにおける「数学者」の一人であったことを思い起こすべきだろう。 「世界の和声=調和」(Harmonices Mundi)においてケプラーは、太陽系の惑星(当時はまだ6つだが)のおのおのが角速度を変えつつ 軌道を動くときに奏でている音楽を書き留めてさえいるのである。

それゆえいつの日か、三輪さんが火星やタイタンをそのカバーストーリーに取り込んだ作品を作ることがあれば、是非聴いてみたい、といったようなことをも 私は考えてしまうのである。この時代に相応しい「天球の音楽」、既存の人間の尺度を寄せ付けない、だが(古のピタゴラス派のそれとは異なり) ある仕方で人間にも聴き取ることができるハルモニア・ムンディ。空想の火星ではなく、メディアを介して垣間見ることのできる火星の風景に相応しい音楽。 火星やタイタンの、人間なしで成り立っている秩序に相応しい、だが、人間のものに他ならない音楽、、、そうした音楽こそ、3.11後の風景の中で 生きる人間、最早かつての「人間」とは異なった「アルゴリズミック・コンポジションの(不)可能性」における「コンピュータ語族」としての人間、 「テクノロジーによって生み出された「人造物」を通して世界を理解し、感じ、考え、対話し、戦い、生存している」人間、人間の方が人造物システムの 一部として「機能」しているような状況に置かれた人間に相応しく、なおかつ生きていくために必要とされる「音楽」ではないだろうか。

(2011.11.13初稿, 2012.1.29加筆・公開, 2.26加筆・修正, 2013.1.12修正, 2024.8.11 ,12, 23, 28加筆)