2011年10月10日月曜日

作曲家の個展2011「三輪眞弘」について

サントリー芸術財団コンサート
作曲家の個展2011「三輪眞弘」
2011年10月2日サントリーホール

プレコンサート・トーク 聞き手:中ザワヒデキ(美術家)
三輪眞弘「村松ギヤ・エンジンによるボレロ」(2003) 指揮:野平一郎 管弦楽:東京都交響楽団
三輪眞弘「愛の賛歌 4ビット・ガムラン」(東日本初演) ガムランアンサンブル:マルガサリ
三輪眞弘「永遠の光・・」オーケストラとCDプレーヤーのための(2011) 指揮:野平一郎 管弦楽:東京都交響楽団 (サントリー芸術財団委嘱作品・世界初演)

コンサートという制度は恐らくは或る種の「音楽」の不可分の一部を為していて、その中で演奏される作品は決して演奏が行われる場と無縁ではありえない。 同じことはそうした制度のやはり一部である聴き手についても言えて、ある特定の日付を持った一定の時間を贈与すること、コンサート会場を訪れるための 空間的な移動といった側面は、コンサートのいわば「額縁」(パレルゴン)のようなものに過ぎないとは言いながら、そうした側面を除いてはコンサートは実現しない。 聴き手は自分固有の文脈において、或る種の賭けを行っているのだ、というのが大袈裟に聞こえるかも知れないが、特に最近の私の立たされている状況を 偽りなく、端的に表現していることになるだろう。

例えばこの10月2日のコンサートの2週間前の9月18日には栃木県立美術館で、やはり三輪さんの作品ばかりからなる個展形式の室内楽のコンサートが 行われていて、私はこれを聴くつもりでいたのだが、9月に入ってからの身辺の慌しさやらトラブルの対応やらに忙殺され、心理的にまいってしまったために、 少なからぬ空間的な移動とほぼ1日の時間の贈与を強いられるこのコンサートを断念せざるを得ず、その結果、未だ実演に接することが出来ずにいる 弦楽六重奏のための369 Harmonia IIの再演に接することができなかった。 だが、このときの演奏はいわば「奇跡的」なものであったとのことで、結果として私はその「奇跡」に立ち会う機会を永久に喪ったことになる。 勿論その奇跡を可能にした「優れた演奏」は録音により記録されうるだろうし、それを後から繰り返し聴くことで、つまり三輪さんの言う「録楽」においても 素晴らしいリアリゼーションに接することはできるだろうし、場合によっては「奇跡」に遭遇することだってあるかも知れない。だがそれは日付と場所を持った あの「奇跡」とは別のものなのだ。

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更に1週間前の9月11日は東日本大震災から6ヶ月、そしてあの9.11から10年という節目の日だった。こうした日付に纏わる様々な文脈も人それぞれであろう。 あるコンサートがそうした出来事と持つ関係も、そこに関与する人間一人ひとりの文脈に応じて様々であろう。勿論、関与のあり方は均一ではあり得ず、 とりわけ今回は三輪さんの「個展」であれば、三輪さんのそれがコンサートの性格に強く反映されることになるのは明らかなのだが、主催者、演奏者は勿論、 偶々コンサートホールに集まっただけにみえる聴き手の側のそれも、決して無関係ではありえない。例えばコンサートにあえて訪れないことが、ある聴き手自身にとって、 あるいはその聴き手を知る人にとって少なからぬ意味があることもあるだろう。私はといえば、上述の節目に対して無頓着でいることができない文脈を抱えていて、 特に東日本大震災以降は音楽の創作や演奏、あるいはより広く音楽やら音楽家を巡る言説に対する自分の立ち位置が、それ以前と同じでは最早ないことを 否でも認識せざるをえない事態に、この半年の間、幾度となく直面してきた。

そうした私にとって、このコンサートは「中部電力芸術宣言」を公開し、そしてこの「個展」のための委嘱に、その宣言に即した作品で応える作曲家の「個展」 である。そうした出来事と作品の関係は(無関係であるべきだという立場も含めて)様々だし、今回の場合のようにプログラムノートによって関係が作者により 語られ、作品の題名によって関係が示唆され、だが作品は、例えば歌われる歌詞によって、あるいは或る種の音楽語法によって出来事が「描写」されたり、 出来事に対する感情的な反応が「表現」されたりすることはないといったあり方に対する賛否はあるだろう。そしてそうした関係の様相とは独立に、演奏の結果 実現される狭義の「音楽」の出来不出来を(あるいはそれ「のみ」を)論じることもできるだろうし、逆にそうした関係を踏まえた上で、やはり結果としての狭義の 「音楽」が「成功」しているかどうかを美学的な価値基準をもって評価することもできるだろう。だが、率直に言って今の私には、そうしたことをしたいとは思えない。 寧ろここではそうした価値判断は控えて、自分がそれをどのように受け止めたかだけを記録しておこうと思う。

それが普遍的な価値を持つかどうかは少なくとも私にとっては副次的なことだし、逆に自分が受け止めたものをこのように改めて確認してみれば、 それが自分にとって持つ価値は疑問の余地なく明らかなものに思われる。それが「音楽」を聴いていることになっていない、作品の、あるいは演奏会の 「批評」になっていないとしても、私は一向に構わない。そもそも私の接し方は美学的な価値判断とは無縁だし、批評などに興味はないし、仮にそうしたくても それをするだけの素養が私にはないのは明らかであってみれば、それを試みることは単なる越権行為だろう。 それが「良い作品」であるかを評価するだけの能力を自分が持っていないことを認めた上で、些か乱暴な言い方をすれば、実を言えばそうした評価などどうでも 良いと感じているとしたら、何も言うべきことは残されておらず、私は沈黙すべきなのかも知れないとも思う。けれどもそうした聴き手があのコンサートホールに 居たという事実は残るし、私は自分が受け止めたものを自分の中にしまい込んでしまうことに抵抗を感じている。否、自分の中でそれが沈着し、変容し、 あるいは一部は風化しといった作用が起き、だがそれが或る瞬間に跡形もなく揮発し、消え去ってしまうことに抵抗を感じている。ヘーゲル的な立場からすれば 主観的な経験の質などに価値はないのかも知れないが、その一方で全く主観的な経験など抽象に過ぎない。私が受け止めたもの、私の中に刻印された ものが、媒体に過ぎない私よりも価値のあるものであるとしたら、私にできることは、それが如何に稚拙な仕方であってもそれをこのようにして別の媒体に 変換して記録しておくことだけなのだ。

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プログラム構成は、最初に30分程度の中ザワヒデキさんが聞き手の三輪さんのプレトークがあり、その後3曲が舞台のレイアウト変更のための 時間でもある2回の休憩時間を挟んで演奏される。真ん中にガムランアンサンブルの作品を挟む構成なので、レイアウト変更のコストは小さくない。 結局ガムランアンサンブルの演奏に際しては、椅子等をすべて舞台から運び去るのではなく、舞台後方に寄せて手前にスペースを作って、 そのスペースの床に直に楽器を置き、座布団のような敷物に座って奏者が演奏し、その同じ平面で舞踊も行われるかたちとなった。 演奏時間は正確に測った訳ではないが、それぞれ約25分、約20分、約40分といったところか。

プレトークについて書くべきことはほとんどない。それは三輪さんのこれまでの活動についての文脈(の一部)を確認するという点ではそれなりに 意味のある対話ではあったろうが、新作に関する部分も含めて、この個展のための作成されたパンフレットをはじめとする公刊されている文献などによって 何らかのかたちで追跡できる事柄に終始していて、初めて明らかになった事柄といったようなものはなかったように思われるので内容は割愛する。 この催しのためにサントリーホールを訪れたのがどういう人たちなのかを推測するに、一方ではそうした文脈のいわば内側にいる(つまり程度の差はあれ、 中ザワヒデキさんと似た立場にいる)人達がいて、もう一方ではそうした文脈には関心がないし、そうした文脈への参照自体に懐疑的ではあるけれど 現代音楽をいわゆるクラシック音楽のように消費する立場にあって、音楽を聴くことに関しては非常に経験もあり、批評力もあるであろう聴き手がいて、 それら以外の人達はどれくらいいたのだろうか、と思わないでもないし、そうした状況で、あのようなプレトークがどのような意味があるのか、 疑問に感じた人がいたとしても不思議はない。

もっとも、これまでに接してきた三輪さんに関連した様々な催しの経験からすれば、 文脈の共有というのは実際には相当に覚束無いものである(単に制度的に場を共有しているに過ぎないのではという疑念を抱かせるケースもなくは なかった)ようだから、文脈づけが全く無意味だとは思わない。まずもってコンサートという制度が一定数の聴き手を集めることを前提とし、更に今回の場合には 「作曲家の個展」という企画の一部なのだから、趣旨からいってもこれは必要なことだと思われる。不要だと判断した人間は聞かなければ良いのだし、 もしかしたら(ガイドつきの美術館巡りが当たり前で、一般的なクラシックのコンサートでも解説がつくことが寧ろ普通になりつつあるかの見える昨今) プレトークがあるなら聴いてみようかという人だっているに違いない。能狂言の公演での解説のことを思えば、無くてももちろん構わないけれど、 あればそれなりに参考になるケースも我が身に照らしてなくはないのだ。

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芥川作曲賞受賞作である「村松ギヤエンジンによるボレロ」は当然のことながら何回目かの再演であるが、私自身は録音で接したことはあっても 実演に接するのは初めて。録音ですらこの作品が三輪さんの作品の中でもメルクマールとなるようなポジションを占めることは明らかなのだが、 実演に接してもその印象は変わらない。録音で聴いた場合には、ややもすれば途中で行き先を見失い、作品の構造において自分が今どこに いるのかがわからなくなって、冗長に感じられる瞬間があるかもしれなくとも、こうしてコンサートホールで実演に接すれば、長さは全く気にならない。 各声部が別々に昇降を繰り返す弦のパートは三輪さんの作品においてしばしばそうであるように12音平均律とは異なるスケールに基づいていて、 ここではオクターブの分割を通常の12ではなく18にしているの(つまりメシアンのM.T.L.でいけば第1番にあたる全音音階の各音を3分割したもの)だが、 例えばクラスターのようなノイズを発することもある20世紀以降の管弦楽において、それは新規な音響という感じはなく、それでいてこうした音楽は 「ありえたかもしれない」にも関わらず、これまでは想像上のものでしかなかったという印象を強くする。(ちなみに最近のフォルマント兄弟名義での 作品で用いられ、今回初演された「永遠の光・・」は(少なくとも作品を支えるシステムないし、創作のプロセスのあるフェーズにおいては)17音平均律を 使用していて、「ボレロ」とは異なるシステムに基づいている。この差異について例えば「逆シミュレーション音楽」と「新調性主義」というそれぞれの作品の ポジションの違いと関連付けて考えてみることができるだろうが、ここではその余裕がない。)

人によってはどうでもいいもの、はっきりと 音楽「外」のものである架空の由来のその「架空」の部分を、実現された音響は裏切らないばかりか、説得力をもってリアライズする。要するに バーチャルなものを実現にもたらすという音楽が本来持っている力がここでは極めて正確に(そう、あえてこの表現を使いたい)行使されていると いう印象を私は強く持った。これは一般的な意味での「現代音楽」ではなく、従ってその価値基準から言えば「良く書けた」音楽ではないから、 こうした音楽は不要だ、否、端的にこれはそもそも音楽ではないといった拒絶は想像されるし、その基準の内部では不当ではないだろうが、 結局のところ私が今、コンサートホールにわざわざ出向いて実演に接する意義を見出すのは、まさにこの「音楽」なのだ、という認識は揺るがない。 演奏は、ここで媒体として用いられているヨーロッパの音楽の伝統における通常の意味合いでの情緒も身体的な反応も拒絶したかに見えて、 異なる仕方での身体性の再組織を、そして(結局のところ人間が演奏し、聴く以上)そこに不可避的に随伴する情態を浮かび上がらせることに 成功していたように私には聴こえた。

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2曲目のガムランアンサンブルのための「愛の賛歌」を聴くのは2度目であるが、これについては(そのようにプログラムされているわけだから) 確信犯的に意図された側面があったのではあろうが、ヨーロッパの管弦楽のためのコンサートホールでの演奏という異化効果が、私にとっては 作品の印象を薄める方向に働いたように感じられる。前回はほぼ50分近くかかった演奏時間も今回は20分程度だったが、これもいわば 音楽の持つ時間性が充分に展開される前に収束してしまったような印象に繋がったのかも知れない。実際には舞楽「算命楽」の上演に 接したのは同じくヨーロッパの管弦楽のためのコンサートホールであるタケミツメモリアルであったが、その時には必ずしもそれが気にならなかった のは、雅楽とガムランの音響の特性の違いなのか。

もう一つ大きく印象が異なったのは音楽の構造を規定する、だが一般には背景であり地の 部分ということになるのであろうグンデルとゴンのパートと、前景の図となるサロンおよび歌、弦楽器の音響バランスで、これは前回聴いたのがほぼ真横からで あることがもたらした偶然であり、今回聴いたバランスが意図されたものなのかも知れないが、そうであったとしたら寧ろ一層、私にとっては 違和感のあるものであった。要するに総じて単調なフレーズを繰り返すほかない前景となるパートが出過ぎて、音楽の構造が本来持っている 遷移の豊かさが耳からは充分に感じ取れなかったように思える。私はガムランの奏法については知らないし、その伝統の中での歌唱法の 知識もない、舞踊についても良くは知らない(寧ろガムランならジャワのではなく、バリのガムランの方が多少馴染みがあるくらいである)。 その上であえて表面的な印象を述べれば、舞踊は(これは前回も感じたことだが)、2人の間の技術的なアンバランスがあるのではと 感じられる程度に一方の舞い方に様式的な安定感の欠如を感じたこと、それから歌唱についても(これは歌詞が日本語であるということが もしかしたら関係しているのかも知れないが)やはり何か様式的な緊張を欠いたものに感じられた点も大きい。

これは別にヨーロッパの音楽の奏法や歌唱法、あるは舞踊のスタンダードと比較してということではなく、 多少なりとも慣れ親しんでいる例を挙げれば能狂言であるとか文楽におけるそれらの優れた演奏から感じられる確固たる様式とそれがもたらす 緊張(というとリラックスした雰囲気を排除しているようにとられるかも知れないがそうではなくて、リラックスしている場合にも存在していなくては ならない内的な強度のようなもの)を思い浮かべても、散漫な印象を抱いてしまったということである。特に演奏の終りの部分については それが何らかの事故の影響ではないかと思わずにはいられないような違和感を抱かずにはいられなかった。

全体として、それ自体ヨーロッパの 伝統に属する「現代音楽」のコンサートを異化するという狙いは理解できるが、(例えば「算命楽」ではそれが起きたようには)異化の 齎す強度を感じ取ることができなかったのは残念である。時間的制約から困難だとは思うが、寧ろこうした場合こそ演奏時間の長い バージョンを演奏することによって聴き手の知覚を馴化させるための時間をかけた方が良かったように私には感じられる。 プログラムでは日本語のタイトルは「愛の賛歌」となっているが、英語のタイトルを見れば判るように、これは「4ビットガムラン」であって、 その部分にこそこの作品の持つ独特の時間性が存するのだ。色々な要因の複合だろうが、総じてその時間性の片鱗を感じさせるに留まり、 充分に展開されない憾みがあったのは遺憾であった。

従って、このコンサートの結果に限っていえば、私が受けた印象は必ずしも肯定的とは言い難い部分が多かったものの、三輪さんに こうした作品、「個展」において、あえて西欧音楽のためのコンサートホールでの上演をプログラムするような作品を委嘱し、(私自身はこれ以前には わずかに一度立ち会っただけだが)色々な場所で、数多くの演奏を繰り返すことによって、その作品の価値を闡明してきたという事実は確認して おくべきだろう。初演である「永遠の光・・」は当然だが、「村松ギヤエンジンによるボレロ」すら再演の機会になかなか恵まれないことを思えば、 西陽子さんの「蝉の法」と並んで、マルガサリの活動は際立っているように見える。そうしたことを思えば、マルガサリがこの「個展」において登場するのも 全く違和感はないだけに一層、その真価を充分に示し切れなかったように感じられたのは残念である。

繰り返しになるが、西欧音楽のコンサートホールで全く異なった歴史と伝統を有する芸能が上演されること自体、すでにその芸能にとって ハンディキャップがあるとは言えるだろう。だがしかし、当日配られた冊子の巻末の作品表では「マルガサリのための」と、あたかも作品委嘱による 演奏権の独占を示唆するような記述もあり、事実上も独占的に演奏をしている訳で、結果としても「手の内に入った」作品であることを思えば、 更に繰り返して演奏が行われることを期待したい。作品演奏の権利関係については詳らかにしないが、個人的には他のガムラン・アンサンブルの レパートリーとしても取り上げられることが望ましいと思うが、それが叶わないのであれば、なお一層、マルガサリに期待するところは大きい。 寧ろそこには作品演奏の伝統確立と継承の「責任」の如きものすらあるように私には感じられる。技術的な洗練、解釈の徹底や様式の確立といった 点もそれに付随するのはある意味で当然のことだろう。

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プログラムの棹尾を飾るのは、委嘱新作「永遠の光・・」"Lux aeterna luceat eis, Machina"である。CDプレーヤーのようなオーディオ機器を 用いるのは三輪さんの作品の中では決して珍しいことではなく、思いつくだけでも「歌え、そしてパチャママに祈れ」や「再現芸術における幽霊、 またはラジオとマルチチャンネル・スピーカーシステムのための、新しい時代」などがある。もっとも機器がいわば「受け持つ」音響も、結果として担うことに なる機能も作品毎に全く異なり、共通しているのは、今回の場合であればそれ自体が一つのメディアであるホール自体とは別の、 異なった音響空間を穿つという効果にあるのだと推測される。今回の"Lux aeterna luceat eis, Machina"の場合には、その効果は些かグロテスクに 感じられるまでに拡張され、作品のほぼ半分では単調なリズムパターン(ただし3:4のボリリズムも含まれるが)を反復する調律されない打楽器以外の管弦楽は 沈黙を保ち、CDプレーヤーが再生する自動音声合成による基本音列の「歌唱」がサウンドサンプラーによりシミュレートされたオーケストラの演奏の音響による スコアの再現に遷移し、その後しばらくはCDプレーヤーが再生する「擬似オーケストラ」の演奏の再生を延々と聴かされることになる。

サンプリングされた音と人間の演奏するアコースティックな楽器のリアルタイムな合奏という点では「東の唄」が思い浮かぶが、 「東の唄」のような機械と人間との間のインタラクションはここでは排除されている。指揮者も打楽器奏者も、現実にはCDから再生される 音響に「合わせ」ざるを得ない。まさに"Lux aeterna luceat eis, Machina"の題名で典礼文の"Domine"に替わって呼格で呼びかけられるに相応しく、 人間は機械に従属するという意味で演奏「主体」であるに過ぎない(西欧語のSubjectの語源を思い浮かべて頂いてもいいだろう)。その機械はだが、 恰もその場を支配するかのようにホールと一体化せず、CDプレーヤーとしてそこに存在し(そのことで実は仮構かも知れない「不在」を構成的に指示し)、 音はそこから「再現」されていることが明示される。 ヴェーベルンを彷彿とさせるような(だが実際には恐らく人間には歌唱不能な)跳躍音程を歌いこなすのは自動音声合成という機械だし、 サンプリングされた音響によってスコアを再現するのもまた機械であり、しかもそれらの機械そのものがそこでリアルタイムに演奏するのですらなく、 CDプレーヤーで再現されるのである。

勿論CDプレーヤーによる再生は、演奏を容易にする(通常のオーケストラで打楽器奏者の一人がCDプレーヤーを 操作しさえすれば、この曲は普通のオーケストラで演奏可能な「編成」で、特殊な機器もそれを操作するエンジニアも必要とされていない)ための 手段であっても構わない。その一方で、この演奏を更に「録音」することの「意味」は、現代音楽では珍しくないテープとオーケストラのための音楽の 場合とすら単純に同一視できないことには留意すべきだろう。(もちろん「事後的に」「結果として」生じるのは同じことの場合もあろう。だが、ここでは CDプレーヤーの使用は最早代替手段ではなく、いわば(通常)代替手段(であるべきもの)自体の、現場での(「生」の)利用が意図されているという、 いわば「脱構築的」とでも言うべき状況が生じているのだから、やはり違いは残るのだ。CDプレーヤーによる再生が生演奏の代理ではないのに対応するように、 自動音声合成の歌唱も、サウンドサンプラーによりシミュレートされたオーケストラの音響も代理ではない。CDプレーヤーの穿つ音響の場は、 どこにも通じてはいない。それらは何の模倣でもない。否、作品の構造をなす単旋律自体、コンピュータが生成したものであり、だから寧ろ模倣するのは 人間による「本物」であった筈の管弦楽の方なのだ。)

この作品は「村松ギヤエンジンによるボレロ」(ここではオクターブを18分割するスケールが用いられている)やフォルマント兄弟名義による近作、 Neo都々逸の系列の作品(そのうちの一つが、冒頭で「歌う」合成音声による作品であり、サントリーホールの小ホールで昨年演奏された 「せんだいドドンパ節」であり、こちらは5度圏が構成できるとされる、オクターブを17に分割するスケールが用いられている)と同じように、12音平均律とは 異なったオクターブを17音に分割するスケールに基づき、新調性主義の先行作「虹機械」や「七つの照射」と同様に、コンピュータが初期値に従って 生成した音の連なりが描く軌道を予め記譜しておき、それを人間が演奏していくというタイプの作品の3つ目ということになる。17音平均律から 実際の演奏で用いられる通常の12音平均律への変換に伴い、今回の作品の媒体であるオーケストラが可能にするもう一つの次元、音色の次元が追加され、 元のスケールでの差異は音程と音色の組み合わせに移されることになる。

こう書けば如何にも恣意的な 操作に感じられるかも知れないが、Neo都々逸の系列の作品における17音平均律が、コブシのようなピッチの揺れをキーボードによるリアルタイムな 音声合成において実現する手段であったことや、音色というのは結局のところ幾つかの音程の合成の効果であることを考えれば、いわば色の滲みに よって音程のニュアンスを表すという発想はそんなに恣意的なものとも言えないだろう。だがそれよりも、基本的には離散力学系の軌道である単旋律を ベースとする新調性主義で管弦楽作品を作るという課題に対する解答として、このような方法によって音色の次元を確保しつつ、並行して 取り組んできた「再現芸術における幽霊」の問題系との接木を行うのは鮮やかという他ない。

ちなみにこの作品においては、特に最近は主として フォルマント兄弟名義での作品が手探りしながらも、必ずしも明確に捕まえることに成功しているように私には思えなかった「幽霊」の問題が持つ 錯綜と重層に対して、鮮明な断面を示すことに成功しているように感じられたことを特に記録しておきたい。だが、その様相を分析することが コンサートの感想の枠ですることは到底叶わないのは明らかである以上、ここではその内容についての記述はしないでおくことにする。

だが一方で、それでは「中部電力芸術宣言」との関係を記したプログラムノートや"Lux aeterna luceat eis, Machina"という標題は、そうした作品の構造と どういう関係にあるのだろうか。その作曲法からしても(そしてプレトークで本人が述べていたように)、この音楽は追悼の感情の表現ではないし、 何か宗教的な情緒を聴き手に喚起することを意図してもいない。では"Lux aeterna luceat eis, Machina"という題名はいわば外側から押し付けられた 恣意的なものであり、作品の内実との実質的な結びつきもなく、関連は偶然的なものに過ぎないのだろうか。 こうした問いに対して一般性のある解答が そもそも可能であるか、私には判断しようがないが、個人的な事実を証言すれば、私にとっては決してそんなことはなかったと確信を持って言うことができる。

否、方法はポテンシャルの場を、その地形を制約する条件を与えるが、同時にそこには大きな自由度が残されている。それは西欧音楽の伝統的な技法でも 十二音技法でも、クセナキスの統計音楽でも起きたことで、その場においてどのようなものを創りあげるか、何を提示するかが個別の作曲において問われている という事情は構造的にはここでも変わることはない。勿論、方法の制約は取るに足らないものではない。ここでは方法論的な前提として、音響による 自己表現、何らかのメッセージの構成、物語の語りであることは断念されている。だからそうしたものを音楽に求める聴き手にとって、この作品を含めた 三輪さんの作品の価値が、通常コンサートホールで演奏される作品(いわゆる「現代音楽」も含めて)の多くと前提を共有しないが故に、極めて疑わしいものに 映るのはある意味では仕方が無いことである。 私自身以前に三輪さんの作品が常に生成途上であるかのような、完成を拒絶するかのような印象を記した ことがあるが、そもそもここでは伝統的な意味合いでの作品の出来栄え、「完成度」は問題にならないのではないか。 寧ろここで目指されているのは 新しいタイプの出来事が出現する(抽象的な意味での)空間をデザインすること、ある物語を選択して現実化することではなく、仮説的なものも含めた 物理学的、化学的、生物学的、社会学的過程を支える数学的構造とそのダイナミズムが直接展開できるような場を設定し、そこにおいて無数の物語が 生成しうるような仮想的な場を用意することなのではないか。そこで生じるのは既存の存在の分類からすれば、或る種の畸形と見做されるかも知れない もの、だが寧ろ生物学的な比喩を導入して「異型発生」と呼ぶのが相応しい出来事なのだ。勿論、個別に生じた結果(それは作品そのものかも知れないし、 その作品の演奏かも知れないし、その作品の享受かも知れない)は単なる行き止まり、崩壊に終わることもあるだろうし、或る種の閉塞と排除、自己疎外に 終始するリスクを否定することはできない。だが、それだからこそ「芸術」が、それを支える想像力が必要とされるのであり、窒息状態にある現実からの恢復のために 「芸術」が力を持つと言い得るのではないか。

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他の新調性主義の作品がそうであるように、この作品も演奏者に対する技巧的な要求の大きさは法外なものである。途中1曲挟んではいるものの、 「村松ギヤエンジンによるボレロ」においては、遷移するリズムパターンを刻み続け、「永遠の光・・」では他の楽器が沈黙する中、唯一CDプレーヤーが 再生する音響に併せてリズムを刻み続けなくてはならない打楽器奏者もそうだし、前者では普段弾き慣れている12音平均律とは異なる、18音平均律で しかもパート譜においてはグリサンドの相対的な移動方向しか示されていないという条件下での演奏を強いられ、後者では演奏時間の半分を、ステージに 居ながらにして演奏することを禁じられ、演奏する段になれば(まるでガムランのように)単旋律を構成する音の断片をひたすらピチカートで弾くことを 強いられる弦楽器群の奏者もそうであるし、後者の後半部分において今度は単旋律をほぼそのまま演奏するという、こちらは西欧的な名人芸が 求められるマリンバの奏者も別の意味でそうであろう。しかも演奏すべき音は情緒的なものからは遠く、感情表現は禁じられている。否、単純に音響的な 側面に限定しても、近代的な管弦楽の持つ響きの豊かさは禁じられてしまっている。それでいて 通常の基準からすればまさに「メカニカル」な部分のみを要求されるような作品の演奏に対して懐疑的であったり、拒絶があったりということがあっても不思議はない。 実際、「村松ギヤエンジンによるボレロ」の海外における演奏ではそうしたことが繰り返し起きているのだ。

その中で野平さんの指揮する東京都交響楽団の演奏は、楽譜の要求に対して誠実であるだけでなく、実現された音響としての質も 非常に高く、作品の姿を正しく示したものであったと感じられた。私の怠慢もあり機会は限られているものの、野平さんの作品の質の高さに実演に接して 感銘を受けた経験があり、更にピアニストとしては、徹底した分析による作品の構造の把握に裏付けられた解釈と、それをリアライズする技巧の卓越の 両方が記録されたピアノ伴奏版のマーラーの「大地の歌」のあの奇跡的ともいうべき名演の録音を知っていることもあり、更には「村松ギヤエンジンによるボレロ」の 芥川作曲賞時の審査をされた経緯もあって、作品の姿を的確に提示してくださるであろうと予想はしていたのだが、実際、「村松ギヤエンジンによるボレロ」は 勿論、初演であるはずの「永遠の光・・」ですら、手の裡に収めたかのような極めて安定感のある演奏が行われたのは驚異的ですらあった。(これは演奏において 細かい傷がなかったことを意味しない。だが、ここで意図されているのは「別の身体」の構成なのだから、そうした傷は作品のマクロな構造を破壊するような 事故でなければ大きな問題にはなりえない。)新調性主義が要求している演奏者の技術の卓越に見事に応えた演奏者の方々に敬意を表したい。

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私は自分が見出したものが一般的であるとして他者に押し付けるつもりは全く無い。だが、その一方で自分が見出したものに自分が見出す価値について 外的な判断基準との妥協をするつもりもない。40分近くにわたる単旋律の展開に退屈し、作品としての出来に否定的な判断を下す人がいるであろうことは 予想できるし、それを一概に否定しようとも思わないが、私はこの作品の初演に立ち会って、或る種の「感動」を覚えたこともまた否定することができない。 それは情緒的なものではないし、通常のコンサートピースから受ける感動とは明らかに異なった質のものであるけれど、やはり或る種の感動と名指すほかない ものでもある。

私が自分の経験を一般化することに躊躇を覚えるのは、実のところ、このコンサートを聴いて私が最も強く感じたのが、プライヴェートな水準での カタルシスであったかも知れないという疑いを振り切れないからだ。東日本大震災の経験(それはあの日とそれに続く数日の非日常的な状況に限定される ものではない。少なくとも私個人にとってはその「効果」は未だ続いている)によって、否応無く私が直面することになった様々な事態と、それに対する自分の 反応の或る種の組み換えのプロセス、いつ終わるとも知れない移行の最中にあって、三輪さんの活動は自分にとって大きな支えであった。勿論、私は芸術とは 無縁の世界で自分の時間のほとんどを費やす生活を送っているのだが、にも関わらず、分野の壁を掻い潜るようにして、ある隠れた次元において三輪さんの活動が 自分が抱えている問題と極めて近いところにあることを感じずにはいられなかった。半年の時間の経過ののち、まるで反復するかのように今度は台風により 大きくリズムを狂わされることにもなった。このコンサートもまた、その混乱の後遺症が残った状態で経験せざるを得なかったのだが、そうした状況下で初演に 立ち会うことのできた作品は、ややもすれば失速し、その結果として逸れがちな私の軌道を補正する力を持っていたように感じられたのだ。

プログラムノートの 末尾で三輪さんが「永遠の光」について述べていることに私は同意するが、それとは別の位相で、私は音楽の持つ「光」を、力を感じずにはいられない。 それを「救済」と呼ぶのは最早適切ではないかも知れないが、少なくとも立ち尽くし、その場に蹲ってしまうことなく、生き延びるための何かであるのは間違いない。 それは絶望を糧とした、それ自体絶望的な「反逆」するための力、あてどのない怒りの感情に近いものなのかも知れない。以前に私は、三輪さんに関する 文章の中で、まだ「反逆」は許されているのではないかと書いた。3.11.の後で私はそれに対する確信を喪いかかりつつも、それにしがみつくように生きてきたし、 今後もそうしていくのだと思う。そしてそうした文脈の中で、このコンサートによって確認したのは、私がどうなるかはおくとして、今なお私がいる相空間において 「反逆」は、3.11を経てなおまだ可能であることだ。まだ現実は干上がっていない。想像力、あるいはカントにおいては構想力と訳されることもある能力は 自分が属する空間においてまだ生きているし、二院制の心の奥の部屋が恐らくメビウスの環的に通じている外部からの他者の声はまだ響いている。 だからまだ私は応答を続けなければならない。それが不完全なものであったとしても自分に可能な限り。このようにして。(2011.10.9-10,11加筆修正)

2011年8月12日金曜日

「三輪眞弘音楽藝術」の題名についてのメモ

「三輪眞弘音楽藝術 全思考1998-2010」(アルテスパブリッシング 2010年8月25日初版発行)

「まづは岩戸のその初め 隠れし神を出ださんとて 八百万の神遊び これぞ神楽の初めなる」(「三輪」)
能「三輪」の後場で杉小屋の作り物の引回しが下ろされ、作り物の中に居るシテである三輪の神が現れる瞬間、 私が拝見した最高の上演においては、光と空気の調子が一変し、光が舞台の上に満ち溢れ、見所を照らし、 能楽堂全体が光に包まれるような圧倒的な光景が繰り広げられた。「三輪」の能は、神楽の起源の物語であると同時に、 「面白」という言葉の起源の物語でもあって、 「また常闇の雲晴れて 日月(じつげつ)光り輝けば 人の面(おもて)白々と見ゆる / 面白やと 神の御声の 妙なる初めの 物語」という 詞も出てくるが、まさに「人の面白々と見ゆる」様を目の当たりにしたわけである。
「面白」の起源を天の岩戸の物語に求めるのは、「古語拾遺」、「先代旧事本紀」にも見られ、中世では「沙石集」などにも 見られる一般的な理解で、世阿弥の「風姿花伝」にも「(…)国土又明白あり。神達の御面、白かりけり。其時の御遊び、 申楽の始めと云々」(神儀云)というくだりがあるし、「古本別紙口伝」や「拾玉得花」などでも言及されているようだ。
ここで留意しておきたいのは、「面白」が、楽しいとか興味深いというニュアンスではなく、覆いが取れて顕現することの 効果として把握されていることである。(勿論、それが語源として正しいかどうかよりも、そうした語源解釈が含意する了解の方を ここでは専ら問題にしている。)ところで、例えば異なる文化に属する「ヨハネの黙示録」の「黙示」と邦訳されている語、 もとは70人訳ギリシア語旧約聖書でヘブライ語のgalaという語の訳語としてあてられたコイネーのapokalupsisであるが、この語は まさに「覆いを取り除くこと」である。ここで例えばフランス語で「発見する」を意味する動詞découvrirが、語源的に「覆いを取り除く」 dé-couvrirであることを思い浮かべてもいいだろう。(ここからハイデガーが「事態そのものへ」というフッサール現象学の格率を 「おのれの示すものを、それがそれ自身の方から現れてくるとおりに、それ自身の方から見えるようにすること」と解釈する際に 参照した(「存在と時間」序論第2章第7節)ギリシア的真理概念を思い浮かべる向きもあるだろう。あるいは更に、ハイデガーが 「技術は、その本質において、忘却のうちに眠る存在の真理の、存在の歴史に即したひとつの運命である。つまり、 テヒニーク[技術]は、その名称の点で、ギリシア人たちのテクネー[技術的知]に遡るだけではない。むしろ技術は、本質の歴史に 即するならば、アレーテウエイン[覆イヲ取リ除イテ真相ヲ露呈サセルコト]の一様式、すなわち存在者を顕わにすることの 一様式としてのテクネー[技術]に、由来している」(渡辺二郎訳)という「ヒューマニズムについて」の一節の方が、ここでの 文脈、つまり「三輪眞弘音楽藝術」の文脈においてはより強く思い起こされるということもあろう。だがここでは時間の制約もあり、 そちらへは立ち入らない。)
それゆえ「黙示」という日本語訳はなかなかニュアンスに富んでいるとはいえないだろうか。 沈黙の裡に、言葉を介さずに啓示されるのは、覆いが除かれることによってであり、それは「面白」なのだ。だから「面白」は、 もしかしたら「顔面蒼白」ですらあるのかも知れない。光源である神が「人の面白々と見ゆる」と見た光景は、勿論、光の効果によるのだろう。 厳密にはそれは「日蝕」そのものではなく、「日蝕」の終りの効果であり、だからパニックではなくパニックからの脱出の折の描写なのだという 意見もあるだろう(実は天の岩戸の物語の背景となっているのはそもそも日蝕ではなく、これまた世界の至るところに見られる「冬至」にまつわる 祭礼、つまり西欧ではクリスマスに相当するという説もあるようだが、ここでは「事実」がどうであったかには拘らず、私見では 能楽における解釈などが明らかにそちらの方を強く示唆するように感じられるという理由で、日蝕説を採ることにしたい)。 だが天の岩戸の物語が示唆する出来事、「日蝕」が古代の中国において、日本においてどのように受け止められていたかを 思い浮かべていただいても良い。世阿弥は「神達の御面、白かりけり」と言っているが、ここでは「神」の視点から「人の面白々と見ゆる」のである。 翻って人は、「常闇の雲晴れて 日月光り輝」くような天変地異に襲われた神ならぬ人は、一体そうした出来事、未曾有の カタストロフィー(ルネ・トムの理論における数学的な定式化とともに、ここでもまた語源となるギリシア語kata-stropheを 思い浮かべていただきたい)が生じる相転移の座標にあって、どう感じたであろうか。 今日の西欧の言語で一般的にそう解釈され、日本語の翻訳で「黙示録的」という語が示すような出来事に遭遇したのであれば。
「斯くて天にある神の聖所ひらけ、聖所のうちに契約の櫃見え、数多の電光と雷霆と、また地震と大いなる雹とありき。 また天に大なる徴見えたり。日を著たる女ありて、其の足の下に月あり、其の頭に十二の星の冠冕あり。」 (ヨハネの黙示録第11章19節, 第12章1節, 文語訳による)
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繰り返して、ただし今度は順序を入換えて言うと、「三輪」の能は「面白」という言葉の起源の物語であると同時に、 神楽の起源の物語でもある。「まづは岩戸のその初め 隠れし神を出ださんとて 八百万の神遊び これぞ神楽の初めなる」 という認識は、既に引用した世阿弥の「風姿花伝」にあるように、申楽の、ということは能楽の起源についての自己認識でもある。 これは自己の起源を語る作品なのだ。
ところで現行の能楽もまたそうであるように、あるいは現存する神楽もそうであったように、起源においてもそれは「奏して舞う」もの、 音楽と舞踊が不可分で一体のものであったと認識されている。それは「八百万の神たち 岩戸の前にてこれを歎き、 神楽を奏して舞い給えば」という詞章でも言及されている通りである。(だがその「言葉」はどうだったのか。祈りの言葉、 それの応答としての「黙示」における言葉。「翁」の詞章に含まれる「呪文」と、「ヨハネの黙示録」の「来たれ」は、 いずれも認識の記述ではなく、行為遂行的な言語行為であろう。しかしこの点もここでは立ち入ることができない。) 「能楽」「神楽」は「音楽」を含むが、狭義の「音楽」そのものではない点に留意しよう。勿論能楽において、囃子のみの演奏、 あるいは舞を省略した演奏、あるいは謡のみによる演奏、囃子を略して謡と舞のみによる演奏というように、組み合わせ論的に 一部を取り出すことも行われているが、それはあくまで能の一部の抜粋と見做すのが一般的な了解であろう。
だが実際には事態は逆なのであって、ここで用いた「音楽」という語はそれ自体、第一義的にはヨーロッパの「音楽」を指し示す 翻訳語として見做されるべきなのだろう。勿論「音楽」という漢語自体の起源は非常に古く、紀元前3世紀の「呂氏春秋」に既に 確認できる(のみならず「呂氏春秋」の「大楽篇」は音楽論である)。日本の文献でも「万葉集」(注1)や「常陸風土記」などに 見られるようだ。だがそもそも「楽」という字そのものが弦楽器を表す文字に「白」を加えたものとされ、この一字でいわゆる「音楽」を表すことが できることもあってか、「音楽」という語はやはり西欧のmusicaの翻訳語で あるという印象が強い。現存する五経に加え「楽経」という書があったにも関わらず、秦の始皇帝の焚書によって喪われたという 伝承があったりして、古代中国における「音楽」のあり方、ひいてはそれが日本に輸入されたとき、どのように受容されたか、 あるいはされなかったかについても、もし日本における「音楽」について述べようとした場合には無視することはできないのだろうが、 ここではやはりそちらに立ち入ることはせず、今日における一般的な了解と見做して良いであろう「musica=音楽」に添っていくことに したい。(一言だけ付け加えれば、「楽」についてもいわゆる「たのしむ」という語義は或る種の転義であることには留意されて良いだろう(注2)。 ことさら「についても」と書いたのは、「面白」についても、ある解釈によればそうであることを上で確認した後で、同様の確認を反復して いることを強調せんがためである。)

[注1]「万葉集」巻第八, 1594 仏前の唱歌一首の詞書「右は、冬十月、皇后宮の維摩講に、終日大唐・高麗等の種種の音楽を 供養し、此の歌詞を唄ふ。弾琴は市原王と忍坂王となり[後姓を賜へる大原真人赤麻呂なり]。 歌子は田口朝臣家守と 河辺朝臣東人と置始連長谷等と十数人なり」
なおここでの「音楽」が、「日本書紀」等における用法と同じく、大陸から輸入された音楽(現在では「雅楽」の一部だが)を指し示して いることに留意されたい。そしてここで音楽が「供養」されていること、いわゆる<タマフリ>のためのものであったことにも併せて注意を払っておこう。 要するに、少なくともこの文脈において「音楽」は、今日しばしばそうなりがちであるにも関わらず、決して「自粛」の対象になるようなものとは 考えられていなかったのである。(ここで三輪さんの最近作、「算命楽」の日本初演のコンサートを思い浮かべていただいてもいいだろう。)

[注2]「楽」の訓み方が何であったについては流動的であったが、まさに「古事記」の天岩戸の部分において、いわゆる音楽としての 「楽」が用いられていることが確認できる箇所では、<アソビ>と訓じられることが普通のようだ。冒頭に引用した能「三輪」の詞章 「まづは岩戸のその初め 隠れし神を出ださんとて 八百万の神遊び これぞ神楽の初めなる」の「神遊び」は、だからまさに「神楽」なのである。
なお、<アソビ>という訓みは本居宣長が主張したもののようだが、その本居宣長は異なる訓みとして <ウタマヒ>(歌舞)の可能性を示唆していて、その典拠はと言えば、「日本書紀」での訓みであり、更には本文で 「面白」の起源を天の岩戸の物語に求めた最も早い文献として掲げた「古語拾遺」における当該箇所の「相与歌舞」の表記なのである。 そして興味深いのは、<ウタマヒ>は「日本書紀」では、「万葉集」の「音楽」同様、外来の音楽を指し示しているらしいことである。 いずれにせよ共通しているのは、それが狭義の「音の芸術」ではなく、音楽と舞踊が不可分で一体であったということだ。 (ここでもう一度、三輪さんの最近作、「算命楽」を思い浮かべていただいてもいいだろう。)

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プラトンの対話篇は全て日本語に翻訳されているし、幾つかの翻訳についていえば比較的入手も容易であるから、遺された対話篇という 書物の翻訳を通してであればプラトンに接することは比較的容易であると言って良い。だが実際には、プラトンのギリシア語はしばしば 翻訳が著しく困難である。否、これは別にプラトンに限った話で無い。プラトンの同時代のギリシア語のある単語は今日の日本語の ある単語に対応しない。もっともこれはプラトンの時代のギリシア語に限った話ですらなく、一般に翻訳というのはそういうものなのだが。 (そう、それは日本語の中ですら起きうるのだ。例えば「メディア」という言葉は、メディアアートの世界と情報処理・ソフトウェアの世界では 一致しないだろう。こうした例は幾らでも挙げることができる。)
だから所詮は程度の問題ではあるけれど、例えば「ムーシケー」というギリシア語の単語の翻訳の困難さの程度は甚だしいものと 言わざるを得ない。mousikēという単語は、すぐに想像されるとおり、ラテン語のmusicaを経由して、英語のmusic、フランス語のmusique、 ドイツ語のMusik等になったが、にも関わらず、少なくともプラトンの時代およびそれ以前ではそれが今日「音楽」と日本語で翻訳される ものではないことは、例えば音楽史の教科書とかには書かれているので良く知られているかも知れない。mousikēはムーサ(Mousa)の女神達(複数 であることは確かだが、数は一定しない。一般には時代が下り、細分化が進むにつれて女神の数も増えていく傾向にあるようだ。)が司る すべての学術・技芸のことを指すようだ。それが不可分の統一体を為しているのか、集合的なものと見做されているのかそのものも揺れが あるようだが、音楽はもとより歌舞、詩作などの文芸などを包含しているので、例えば「パイドン」の冒頭で、ソクラテスが夢の中で命じられた "O Socrates", ephē, "mousikēn poiei kai ergazon" 「ソクラテス、mousikēを作り=為し、それを業とせよ。」(60E)のmousikēをどう訳すかによって、 翻訳を読んだ人間の受け止め方は大きく異なることになるのは避け難い。つまりプラトンの対話篇の翻訳は、 (これは日本語訳に限った話ではなく)mousikēをどう翻訳するかを都度判断する羽目に陥るのだ(注3参照)。
例えば「パイドン」の当該部分について言えば、岩波文庫の岩田訳では「文芸(ムーシケー)」とし、少し先で「哲学こそ最高の文芸」(61A) と述べるところで注をつけ、ムーシケーを魂の浄化の方法と考えていたピタゴラス派との関係からプラトンの「国家」や「法律」といった他の対話篇での ムーシケーの扱いに触れた上で訳語の選択に関する意図を注釈している。ただし実際には「哲学こそ最高の文芸」の傍証として挙げられている 「国家」や「法律」の該当箇所を参照しても、そのものずばりの記述には行き当たらない。「国家」の教育論ではムーシケーは哲人の教育を 頂点とするヒエラルキーの中で決して中核を占めることなく、国家の守護者たる軍人・貴族のための予備教育(プロパイデイア)の一部に位置づけられていることを考えれば、 寧ろ「国家」や「法律」では専らそれが「教育」の手段として扱われていることを踏まえた上で、彼我のニュアンスの差異に注意すべきように思われる。 実際、ソクラテス自身、すぐ後で「通俗的な意味でのムーシケー」という言い方をすることで哲学がムーシケーであるというのが、或る種の逸脱であることを 告げているとも読めるのだ。だがその一方で、このムーシケーの「通俗的でない」用法がレトリック、つまり比喩なのかそうでないのかについてはここだけでは 判断できない。(後述するように、例えば「パイドロス」のある部分でのソクラテスの言葉は、そうした判断の材料を与えるだろう。だが、それが「比喩」であるのか、 そもそもここで「比喩」であるかどうかを決定できるのか、決定する意味があるのかは依然として決定不能であろう。) もし比喩でないとするならば岩田訳の注は結局のところ妥当ということになるのだろうが、いずれにせよ、それにしても、その傍証として注が 参照している「国家」や「法律」の当該箇所を用いるのは無理があるだろう。
一方、ロバン(Léon Robin)によるフランス語訳ではずばりmusiqueが訳語としてあてられている。61Aの当該部分のフランス語訳 Y a-t-il en effet plus haute musique que la philosophie ; を更に日本語に直訳すれば「哲学以上に高度な音楽があろうか」となってしまい、その後の実際の製作作業についての語りも含め、 総じて岩田訳とは随分違った印象となる。のみならず後続の部分においては、讃歌を作るというのが音楽の作曲なのか詩作なのかという違いが現れてしまいもするのだ。 だがどちらが正しいかが決定可能であるという予断すらここでは許されていない。もしムーシケーがもともとそうであったとされるように統一体であったとしたら、 ここでソクラテスの作ったものは詩もあり作曲もあり、場合よっては踊りもありといった「総合芸術作品」かも知れないのだ。 例えば三輪さんの「愛の讃歌」がまさにそうであるかのように。

[注3]参考までに、"O Socrates", ephē, "mousikēn poiei kai ergazon" 「ソクラテス、mousikēを作り=為し、それを業とせよ。」(60E)の部分について、 簡単に参照・入手ができる幾つかの翻訳について以下に掲げておこう。
まずは19世紀前半のVictor Cousin訳:Socrate, me disait-il, cultive les beaux-arts.
19世紀後半のBenjamin Jowettによる英訳:Make and cultivate music, said the dream.
20世紀前半のÉmile Chambry訳(1930):Socrate, fais œuvre de poète et cultive la musique.
プラトンの翻訳史上著名なSchleiermacherの1809年のドイツ語訳では、»O Sokrates«, sprach er, »mach und treibe Musik!«
そして最後にLéon Robin訳:Socrate, prononçait-il, c'est à composer la musique que tu dois travailler!


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プラトンがムーシケーについて言及している対話篇は多岐に渉る(私が知る限りでも「パイドン」「国家」「法律」の他、「パイドロス」「アルキヒヤデス」「イオン」 「ゴルギアス」「ティマイオス」などが挙げられる)し、それぞれにおけるムーシケーの位置づけの共通性と差異をここで述べる暇もないので、ここでは 要約的に以下の点に言及するに留めたい。
1.ムーシケーの多義性は既に述べたようにプラトンのテキスト内部に留まらない。しかもそれにはギリシア社会におけるムーシケーの役割の変化や 技術の細分化、専門特化といった通時的プロセスも関与している。実際、アテネが衰退する時期であったプラトンの時代は、ムーシケーは 狭義での「音楽」、舞踊、詩作(しかも詩そのものが叙事詩を始めとする幾つかのジャンルに下位分類化されていく)、詩の朗読、更には劇作といった ように細分化され、同時に拡張されていく時期であった。例えば「イオン」ではラプソドス(大衆娯楽の演者としての職業的な叙事詩朗誦者)が 対話の相手として登場し、ムーシケーの批判と言いながら、実際にはラプソドスの批判がなされるのである。あるいはまた「国家」においても、 ムーシケーが狭義の「音楽」を指し示していると受け止められる箇所がある。その一方で、実践ではない「学問」(エピステーメー)としてのムーシケーの定義が 「饗宴」の中で見られたりもする(「かくてムーシケーもまた、ハルモニアとリュトモスとの領域におけるエロースの事象と取り扱う学問(エピステーメー)である」(187C))。
2.プラトンのテキストの内部に限定しても「ムーシケー」という単語の用法は多様性に富んでいて、それは或いは上述のようなプラトンが生きた時代の ムーシケーの多様性に応じたものであり、或いは議論の文脈によるものであるが、そればかりではなく、ムーシケーに関連する話題が別の言葉によって 議論されることもある。例えば「ティマイオス」での「魂のハルモニア」についての言及(47C)で著名だが、「国家」でもすでに言及されている(617C)「ハルモニア論」は、 実践としての音楽ではなく音楽理論であり、ピタゴラス派からプトレマイオスなどを経て、中世的な七自由学科の一つとなる数学的な理論としてのmusicaに 繋がるものであるが、既に「ムーシケー」そのものとは異なる独自の名称を持つ理論的な領域が自立しつつあることが窺える。 (例えばボエティウスは既にmusicaを mundana / humana / instrumentaris に分類し、かつこの順序での序列付けをしているが、所謂「実践」を伴い、 聴覚でとらえることのできる「物質性」を備えた音楽は、musica instrumentaris 「道具の音楽」に分類される。 ここでは人間の「声」もまた「道具」であること、ギリシア的なムーシケーの分化の結果、いわゆる「技術」の次元が最も低い序列に押し込められている点に留意しよう。 ただし、後述のようにこの序列は、プラトンのイデア論とそれに応じた「魂のハルモニア」論、エートス論に基づくミメーシスの方向と一致しており、プラトン自体に 内包されているものであることにも同じく留意すべきである。)
3.だが全体としてはまだ「ムーシケー」を狭義の「音楽」に限定しない傾向が強いし、既述の通り、構成要素である「リュトモス」や「ハルモニア」についての 分析があるとはいえ、その一方で、例えば「法律」において(669-70)、楽器を独立に演奏することは「芸術に無縁(amousia)な見世物」でしかないという 言及がありもするし、それと表裏一体を為すように、「ロゴス」(これを言葉、つまり歌詞と考えるか、知性と考えるかでかなりニュアンスは異なるが)と「ムーシケー」との 結びつきを認める発言もある(「国家」376E)。その一方で注目すべきは、倫理的な側面が強い「エートス」との強固な結びつきの主張であろう。
4.プラトンへのピタゴラス派の影響の大きさは色々なところで述べられているが、ピタゴラス派との大きな違いとして、「エートス」と「ムーシケー」の関係の把握の 違いが挙げられるだろう。ピタゴラス派では、上述のように「魂の浄化」の手段として「ムーシケー」が捉えられており、「エートス」が「ムーシケー」に備わっていて、 「魂」(プシューケー)に作用すると考えられているのに対し、(当否はおくとして)プラトンにおいては「ムーシケー」はあくまで「魂」(プシューケー)の「エートス」の 「ミメーシス」である(「国家」399~401)。そしてこのことが教育におけるムーシケーのプラトンの扱いに影響することになる。 (既述のように、このミメーシスの方向はボエティウスをはじめとする中世的な音楽観における序列に一致する。 ピタゴラス派の「魂の浄化」は寧ろムーシケーの「魔術的」とでも言うべき側面であるが、この側面は中世には保存されない。 中世においては「道具=楽器」instrumentは悪魔のそれとして抑圧されていく。物質的なものが「魂」に作用する側面は、ルネサンスを経て、 Affektenlehre「情緒論」、Figurenlehre「音型論」、あるいは調性についての議論としてバロック期に再び理論化されるが、そこでは今度はピタゴラス派にあり、 プラトンにもあった超越的な契機、中世においてさえ「抑圧」という否定的なかたちであれ認められていた物質的な音楽の「魔術的」な側面、この後引き続き触れる 「狂気」(マニア)の側面は忘却されてしまっているかのようだ。)
5.その一方で、「パイドロス」などに見られる(248C,D)プラトンおよびピタゴラス派の両方に影響を与えたとされるオルペウス教的な輪廻転生の ミュトスにおけるムーシケーの位置づけにも留意すべきだろう。例えば「真実在をこれまでに最も多く見た魂は、知を求める人、あるいは美を愛する者、あるは 楽を好むムウサのしもべ、そして恋に生きるエロースの徒となるべき人間の種へ」(248C、引用は岩波文庫版の藤沢訳による)。「パイドロス」でのソクラテスの話の 展開上、この部分は普段はポリスの城壁の外に出ることなく、人間たちの間での議論にあけくれているソクラテスが蝉の声の響く人気のない郊外へと出、 かの「ダイモーンの合図」を受けて、しかも「コロスの創設者」と伝えられているステシコロスに仮託して語りだす(訳者は注で、ここにソクラテスの有名な 「空とぼけ」(エイローネイア)を認めていることにも注目しよう)物語にあって、「恋という狂気こそは、まさにこよなき幸いのために神々から授けられる」(245B,C)と いうことの証明の一部をなしているのである。先行する部分では「神から授けられる狂気は、人間から生まれる正気の分別よりも立派なものである」(244D)ことの 例証として、「世にもおそろしい疾病とか災厄とが、その氏族に属するある人々を襲った」ときに「狂気がやどって、神の意をつたえ」たこと(これはまさに「黙示」 であることに注意すれば、先に触れた「覆いを除くこと」がカタストロフィックな臨界点で、しかも人にとっては「到来」するという構造が窺える)に続けて、 「ムウサの神々から授けられる神がかりと狂気」(245A)への言及がなされる。(これを上述の「神楽の初め」と対照してみれば、「神楽」もまたそうした神がかり、狂気が もたらす熱狂と無縁でないことが思い起こされるだろう。)更には「技巧だけで立派な詩人になれるものと信じて、ムウサの神々の授ける狂気にあずかること なしに、詩作の門に至るならば(…)狂気の人々の詩の前には、光をうしな」(245A)うとさえ述べられている。(またしても「光」、覆いを取り除くことによる 「面白」である。)
6.そしてこの「ムウサの神々から授けられる神がかりと狂気」は、一見それと相容れないかに見える「国家」や「法律」での教育論での文脈においても、 その教育の、いわば効果を支える力となっていることを強調しておきたい。そしてそれが「子供にでもわかる」という効果をもたらすこと、それゆえ予備教育である プロパイデイアに有効であるという点に目配せをしておこう。教育のヒエラルキーの下位に位置することの持つ意味の両義性に気をつけよう。それはその力の 測り知れない強さゆえであることに注意しよう。つまり、「まだ若くて、なぜそうなのかという理(ことわり)を把握することができないうちから」(「国家」402A)の教育に 「ムーシケー」が有効なのは、「ムーシケー」は「魂」(プシューケー)の「ミメーシス」であることと、恐らくは上記の「パイドロス」で言及された「狂気」に 関係する「ムーシケー」の持つ「魂の内奥へと深くしみ込んでいき、何にも増して力強く魂を掴むもの」(「国家」, 401D)という性質、「ロゴス」を介さずに、 優れた「魂」(プシューケー)の「エートス」の「ミメーシス」を通じて優れた人間を形成することができる点に存するのである。 そして繰り返しになるが、こうした「ムーシケー」の効果の法外さに対する認識と「エートス」の把握とが、プラトンにおいて「ムーシケー」が数理的な理論とならずに 実践的な局面に引き止めている点は留意されていいだろう。

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結局のところ、「ムーシケー」概念を巡るこうした詮索から三輪さんの活動を振り返ってみてわかることは、別に木戸さんの復元楽器のための 新作に携わる過程で古代ギリシアの楽器に接しているからというわけではなく、三輪さんの活動の総体が「ムーシケー」の多義性を 巡っての実践的な探求といった側面を持っていると考えることはそんなに突飛なことではないのではないかということである。 現代を特徴づけるかに見えるマルチメディアの多次元性、多感覚性が、「音楽」を聴覚的な側面(ドイツ語にはTonkunstという単語が存在するが、 これにぴったり対応する単語は何故か西欧の他の言語には見当たらないようだ)に限定しようする、既に古代ギリシアにも存在していた西洋音楽史の 大きな流れとどう関係するのかはここでは問題にしないが、ワグナーあたりから出現し、例えばスクリャービンなどに顕著な「総合化」への指向との関係も含め、 三輪さんの特に近年の活動、「新しい時代」を経て「逆シミュレーション音楽」にいわば方法論的に凝縮された「音楽」の捉えなおしを検討するにあたり、 中世の音楽へのリファレンスも興味深いが、更に遡った「神楽」や「ムーシケー」と突き合わせるのは一層興味深いように思われてならない。
また「ムーシケー」は「魂」(プシューケー)の「エートス」の「ミメーシス」であるという定式に要約されるプラトンの立場と、「ムーシケー」に狂気を認める 立場の緊張に由来する政治的・教育的な文脈における「ムーシケー」の価値の両義性は、後でもう一度触れるように、三輪さんの活動が自覚的な仕方で 備えている政治的・倫理的側面を考えるときの手がかりになるのではなかろうか。中世の音楽に継承されたピタゴラス派的な人間の魂を離れた「天体の ハルモニア」に通じるような見方であっても、つまり「ムーシケー」をムーサの女神達からの「贈与」と見做す場合でも「パイドロス」におけるような神的な霊感と 熱狂の賜物と見做すような立場ではないにしても、「ティマイオス」(47D)において「ムーシケー」を「魂」の「ハルモニア」を秩序づけ、保持するための「贈与」と 見做すような立場をプラトンが取る以上、プラトンにとって「ムーシケー」は人間の営みに他ならない。それはコンピュータを用いた作曲、アルゴリズムに基づく 自動作曲を手段としつつ、演奏する人間の身体性や実演に拘る三輪さんの姿勢を測るための視点を提供するように私には思われる。

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とりあえず定められた時間内で終りに辿り着かなくてはならないので、急いで次に進もう。次は「藝術」について。
私は別のところで、「芸術」と「藝術」という異体字により表記の差異に言及したことがある。その時には「東京芸術大学」という 固有名詞におけるそれが問題になっていたのだが、ここでは普通名詞であえて「藝術」という表記が選ばれているように見える。 その時には、現在一般に用いられている「芸」という字はいわば略字で、しかも「藝」の本来の会意形声からすれば別体字の「蓺」に後から 追加された「艸」(くさぎるの意味)の部分の方が残るという経緯から、本字である「藝」の方を選ぶという考え方はあっておかしくないだろう。 (ちなみにもともとの意味は、別体字「蓺」が保持しているそれ、即ち人がかがんで木を土の上に植えるさまに由来する「うえる」「わざ」で あったことは確認されてよいだろう。「芸」という略字はいわばその行為の結果の状態を図らずも示しているという見方ができるかもしれない。)
だが実は、ここでもまた「音楽藝術」は固有名詞であるかも知れないのだ。つまりそれはかつて刊行されていた音楽雑誌の名前であり、 このタイトルはその雑誌への、その雑誌が担っていた或る種の姿勢に対するオマージュに由来しているのかも知れない。そしてこの場合には、 実は雑誌としても「音楽藝術」と「音楽芸術」の両方が時期を違えて存在していたことに気付く人がいるかも知れず、その差異に注目して、 「音楽芸術」に先行して刊行されていた「音楽藝術」誌を特定するためにあえて選択したという深読みをする人がいても不思議は無い。
しかしながら、例えば上の両方について著者がそれぞれ態度決定をしたとして、その結果が両立しえない場合のことを考えてみよう。 即ち最初の設問については「うえる」「わざ」としての「藝」にこだわり、だが一方で、事実問題として著者が接したのは「音楽芸術」誌で あったような場合を。勿論、結果として決定され、印刷された題名は、そうした逡巡の痕跡をとどめているわけではない。けれども人が 題名を眺めて事足れりとするのではなく、本を開いて読み進めていくならば、事実問題としての題名の「由来」を超えた地点において 三輪さんの活動が「音楽」を、「芸術」を問い直す、際立って鋭利な批判的な姿勢に貫かれていること、えてして個別の専門領域に ついての驚くほどの無知と誤解の混淆物を大量に含みがちで、肝心な部分の論理性については甚だ怪しい、結局のところ借り物に 過ぎない理論によって自分の対峙している事態を却って蒙昧化する愚を犯すこと無く、その実践によってまさに「音楽」を、「芸術」を 創り出しているのだということを確認するだろう。更にまた、大震災、津波、原子力発電所災害といったカタストロフにあって「中部電力 芸術宣言」を公開する姿勢は、それ自体そうした「実践」の一部をなす、この著作に含まれる文章と響き合うのを聴き取ることが できるだろう。

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そして人はここでもう一度、「ムーシケーはプシューケーのエートスのミメーシスである」というプラトンの定式を確認するかも知れない。 ムーシケーは第一義には音楽だが、それは神楽がそうであるように、あるいはギリシアにおいてもある時期までそうであったように、舞踊や 詩などを含んだ実践のことであって、記録され複製された音響そのものではないし、プシューケーは「魂」だが、それはむしろ「亡霊的」なものが その典型をなすような非存在のはたらきであって、一般に「心」とか「フィーリング」と呼ばれているものではないし、エートスとはいわば そうした「魂」の、「倫理的(エーティケー)」な側面と結びつくような意味合いでの「性格」であって、単なる旋律や調性の「性格」のことでもなければ、 いわゆる「情緒」ではなく、「情操」とも関係ないし、ミメーシスは模倣だが寧ろ異なる空間での絶えざる「再創造」であり、それは単なる「コピー」、 同じ相空間における「複製」ではない。
そしてそうした差異は、プラトンにおける善のイデアの優位、善が「存在の彼方」であることに由来する超越性と無縁ではないだろう。 実際、善が「存在の彼方」であることは両義的であり、一方ではプラトンは、「国家」や「法律」で教育の手段としての「ムーシケー」を論じることで、 「ムーシケー」を別の目的、「善による美の包含」の手段として回収しているように見えるが、その一方でプラトンの議論に含まれる、回収しきれない 残余、人が神から授かるもの、自分では制御できない贈与があって、それもまた、くだんの超越性に基づいているのだ。残念ながらこの点について ここで議論をこれ以上展開することはできないが、しかし以下のことは述べておきたい。
「超越」を切り離してを内在化してしまえば、既にアリストテレスにその傾向が見られる、「ムーシケー」を遊戯や休養、教育、閑暇な知的教養の 手段と見做す立場に帰着するだろう。逆に音楽をピタゴラス派的に端的に超越的なものとし、外在的な論理や秩序への「聴従」と見做し、 それにより「魂の浄化」を追求することは、超越性を、超越の運動をいわば「忘却」し、消去することに他ならず、 「ほとんどファシズムに見られるような制御を設けて自律性を否定し、全く廃れたポストヒューマンの概念を持ち出してきた」という「逆シミュレーション音楽」に 対するゴールデンニカの講評が指摘するような批判に抗することは難しいだろう。 そしてその両者の帰結は(これは古代ギリシアではない別の国で、別の時代に起きたことであるが)音楽を皇国民の「徳性の涵養」「国民的情操の醇化」と いった教育の目的の手段として利用することであり、あるいはまた(これも別の国で、別の時代に起きたことであるが)「頽廃音楽」というレッテルづけによる 「焚書」(もう一度、「楽経」を文字通り焚書したかも知れない秦の始皇帝のことを考えてもいいだろう)に至るかも知れないのである。
だが、それではその危険を察知することは如何にして可能になるのだろう。ほとんど論理的循環に見えたとしても、そしてその点についての 論証をする暇が今の時点ではないにしても、その可能性がもう一度「ムーシケー」にあるのではないかということだけは書き留めておきたい。 「子供でもわかることに気付く」ことは、それ自体「ムーシケー」によってしか辿り着けないのではないか。
ここでいう「ムーシケー」もまた、狭義の音楽に限定されないだろう。ソクラテスが「パイドン」の冒頭(60E)で回想する、反復される夢の告げ、 姿は違ってもいつも同じ「ソクラテス、ムーシケーを作り=為し、それを業とせよ。」という声を思い出そう。そしてこの期に及んであの ソクラテス(つまり一方で「死への配慮」を、「死への練習」を説く(81A)彼)が「もし本当にポイエーテイス(作る人)であろうとするなら、 ロゴスではなくミュトスを作らなければならない」(61B)とすら述べたことを併せて思い起こそう。更にはこの発言を「国家」の教育論に おけるロゴスとミュトスの関係とつき合わせてみてもいいだろう。(「国家」では対話はすべてソクラテスによる伝聞として全て間接話法で 語られること、「法律」では最早ソクラテスが出現しないということも併せて、この発言の位置を測らなければ、プラトンの文脈における この発言の主旨について誤解する危険を冒すことになるであろうことには留意すべきだろう。)更にそれに加えて、ここでソクラテスが まさに「夢の告げ」に従っているということに注意しよう。夢は現実ではないし、三輪さんの活動においては「音楽」の「由来」を 語るフィクションの枠組みとなっている(最初には不可視であった括弧が最後に突然出現し、「…という夢をみた」で結ばれる) ことを思い出そう。更にはパイドロスで「蝉の神話(ミュトス)」(内容については欄外の注4を参照)として語られる、 ムーシケーと狂気との関係を思い出そう。
三輪さんの「蝉の法」の「由来」は中央アジア一帯の少数民族が行っていた古代ハープの奏法という「ミュトス」だが、中央アジアは 中国の箜篌と古代ギリシアのアングルハープという共通した構造を持つハープ(それは「楽」という字の由来でもあることもまた、 思い出そう)の伝播の通路であったに違いない。ここでは言い落とされているが、そこはパイドロスに記録された「蝉の神話」の 伝播経路でもなかったろうか。蝉からの贈与である蝉の「声」の由来をなす、ムーシケーからの「贈与」としての蝉の宿命の物語が 「パイドロス」全篇で果たす機能について留意しつつ、「パイドン」における「夢の告げ」が、延期された死までの時間をムーシケーを 作ることにあてることを命じた、「という夢をみた」とソクラテスが発言したという事実(とはいえそれ自体、プラトンの対話篇の中で 語られている以上、「フィクション」の中なのだが)を考え直してみよう。
そこには或る種の(無意識の?、意識自身が主体では最早ないような?)反抗、結局は勝ち目のない、それでもなお企てずには いられない抵抗を見出すことができないだろうか。仮象性の無力がそのまま最大の批判する能力であるような表裏一体の状況を 「現実」として認識し、同時にその能力を実際に行使すること。ヨハネがかの「黙示録」を書いた「パトモス島」を題名に持つ 讃歌において、ヘルダーリンが「危険のあるところ、救いの力もまた育つ」と歌ったのに倣って、だがその行為を回収しようとする 解釈に逆らいつつ、(それゆえ実在するそこではなく)「極東の架空の島」においてムーシケーを作り=為すこと。

*   *   *

かくしてようやく私は「三輪眞弘音楽藝術」の題名に辿り着く。(生まれからしてそうなのだが) 常に私は遅れて、別の場所で、三輪さんからの贈物(だがそれはこの私に宛てられたのではない、誤配されたものに違いない)を、 「来たれ」を受け取っている。(つまるところここでも私は予め、返すことのできない負債を負っているのだ。)いつも私ができることは 送られてきた「もの」、どこか幽霊的なものの前に遅れて立ち、別の場所から語りかけることでしかない。それは「挨拶」のようなもの、 誤配の通知であれ、配達証明でしかないだろう。しかもその通知自体、誤配の可能性を孕み、届く保証はない。 だが私はきっとこれからも「誤配」されたものを受け取るし、こうした「挨拶」を繰り返すだろう。 (2011.8.12初稿, 8.13,14,15,17,27,28,30加筆修正)
*   *   *
[注4]「パイドロス」における「蝉のミュトス」は以下の通りである。訳はこれまで同様、岩波文庫版の藤沢訳による。
「むかし、あの蝉たちは人間だった。ムウサの女神たちがまだ生まれない時代に生きていた人間どもの仲間だったのだ。 ところが、ムウサたちが生まれて、この世に歌というものがあらわれるや、当時の人間たちの中のある人々は、たのしさに我を 忘れるあまり、食べることも飲むことも忘れてただうたいつづけ、そして、自分でそれと気がつく間もなく死んで行ってしまった。 その後、蝉たちの種族が生まれたのは、この人々からであった、彼らはムウサたちから、つぎのような贈りものを受け取って きたのだ。すなわち、彼ら蝉たちの種族は、この世に生をうけると、何ひとつ身を養う糧を必要とせずに、生まれたすぐその時から 死んでいくその日まで、食わず、飲まず、ただひたすらにうたいつづけ、そして死んでからのちは、ムウサたちのもとへ行って、 この世に住む人間どもの誰が、どのムウサの女神を敬っているかを、報告するということになったのである。」(259B,C)
後続の部分(259C,D)で言及される女神はここでは4人。「テルプシコラ」(合唱と舞踏)、「エラト」(恋)、「カリオペとウラニア」(知を 愛することとしての哲学)。「この二人の女神(=カリオペとウラニア)こそは、ムウサたちの中でもとりわけ天界のことと、 神と人間の物語りとをつかさどる女神たちであって、その送る声は、もっとも美妙なのである」という言及は、本文でも既に 目配せしておいた通り、「パイドン」の「哲学こそ最高の文芸(ムーシケー)」(61A)というソクラテスの発言と響き合う。 だが、この言及がソクラテス自身が語る「蝉のミュトス」という「フィクション」の内部で為されていることにより、 「パイドン」の発言は、いわば「夢の中」でしか論証できないかのような循環、「空とぼけ」(エイローネイアー)の裡に宙吊りに なったまま留まっているのである。

2011年6月30日木曜日

「いま中部電力芸術宣言について考える」。またもや遅れて、別の場所で、別々に、だが、にもかかわらず、共に

「いま中部電力芸術宣言について考える」
東京藝術大学芸術情報センター:芸術情報特論A
2011/6/16(木) 5限(16:20~17:50) 東京芸術大学 美術学部中央棟第一講義室

(…)いつもの通り、前提から。私はこの特別講義をリアルタイムに聴講することができなかった。勿論偶々ではなく、営業時間中・勤務時間中であったから、 余程の僥倖に恵まれない限りは断念せざるを得ないのだ。だが幸いにして特別講義はライブストリーミングで公開されているだけでなく、アーカイブされた 映像をストリーミングによって別の場所で、後から、別の場所での視聴が可能である。勿論のこと、電力の供給を前提として。決して空想裡ではなく現実に、 もし電力の供給がなければ私は講義の内容を知ることができない。このことには、講義の題目が「いま中部電力芸術宣言について考える」なのであってみれば、 一度立ち止まって確認するだけの重みがあるだろう。

「いま、考える」と題されたその時、そこではなく、またもや既に遅れて。別の場所で(しかも一回に、一箇所でではなく、何度かに分けて、異なる場所で) 私は講義の記録を視聴した。そして更に遅れて、ここで今、その感想を書きとめておこうとしている。私は「だが、にもかかわらず、共に」と追加されたタイトルを 設定し、何度と無く、これまでも、恐らくはこれからも、「だが、にもかかわらず、共に」の部分を削除すべきではないかという疑念やら削除したいという欲求やらに 囚われてきたし、囚われ続けるだろう。一体何の権利を持って「だが、にもかかわらず、共に」などと言い得るのだろう。それを許諾する権利など実は私は 持っていないことを知っている。聴講者の質疑応答に先立ち、講義の終盤のほとんどをそのコメントで占めた主催者たる東京藝術大学芸術情報センターの センター長(ただしご自分では、この企画には関与していないと発言されていたが)、大学院映像研究科長・教授、メディアアーティストの藤幡正樹さんが 「敬愛する友人」である三輪さんの話の「わかりにくさ」を補うという主旨で為された発言の一節、その時、その場で三輪さんの前で、そしてアーカイブされた 映像記録のストリーミングによる再生が可能にする数限りない反復の中でその都度繰り返して発言された「共闘してきた」という主張とは異なって、私の場合に ついては「共に」を事実問題としても権利問題としても正当化する如何なる立場にもなく、その能力も欠いていることを認めよう。

またもや順序が逆になるが、講義の最後の質疑応答(それは聴講者が筆記した質問を回収して三輪さんに渡し、三輪さんがそれを紹介しながら 回答していくという形式で進められたのだが)において「中部電力芸術宣言」に対する反響の大きさについての質問に対して、三輪さんは、数人の知人からの 個人的な反応以外には(芸術選奨文部科学大臣賞受賞にちなんだメディアの紹介はあったとのことだが)ほとんど反響がなかったと回答をしていたが、 私はその皆無に等しい反響の一つを構成していたに過ぎない。しかもひどく遅れて、全く別の展望からの感想を記し、公開したに過ぎない。それは如何なる 意味でも客観的には「共に」ではありえないと診断されるであろう。

(ちなみに聴講者の質問の一つは、反響の大きさを知る基準として「中部電力芸術宣言」のWebページの アクセス数を問うていたが、三輪さんはそもそも測定していないのでわからないと回答していた。 私はといえば、自分が公開しているWebページのアクセス数は把握しているが、それでわかることは、誰かが読んでいるらしい、 全くのノーマンズランドではないらしいということくらいである。アクセス解析の技術はロングテールの先の先向けではなく、 統計的にある程度の有意性のある分析が出来る程度のスケールのマスマーケティングをまずは想定しているから、分析結果から何かを引き出すのは 「ほとんど反響がない」場合には無理な話である。(ただし、ネットワークがロングテールの先の先の存在を許容するばかりではなく、もしかしたらそうした ロングテールの先の先が最大の受益者かも知れないという点には留意されていいだろう。)ブログのコメント、ツイッターのフォローと、もっと反応を知るのに適した手段を 備えた媒体や装置はあろうが、そうしたコメントやフォローが「中部電力芸術宣言」に対する応答のための媒体として適しているかどうかは別の問題であろう。 あるいはまたSNSのような媒体なら相手が見えるかも知れないが、その代わり、SNSは原則として不透明で、その外にいる人間はその中の様子を知ることができない。 国境があり、異邦人はsans papierでは排除されるしかない。SNSによって選別と排除の論理がそのままネットワークの空間上で実現されているのである。 無論このこと自体は単なる事実の確認で、価値論的は判断を含むわけではないが、それにしてもこうした差異にお構い無しに単純にreal/virtuelを 対立的に捉えたところで、デリダの「新しいインターナショナル」のような様態について語ることが果たしてできるのだろうか。この点は一見したところ、括弧を閉じれば 忘れ去られる脱線に見えるかも知れないが、後ほど報告するように藤幡さんが的確に最初に提起した「宣言」のトポスの問題、あるいは「美術館」「コンサートホール」 「図書館」といったメディア、制度、トポスの問題と無関係ではない筈である。)

だが、私はさしあたりはこの文章の題名を変えるつもりはない。私は「共に」が私の狭隘な主観の思い込み、否、それ以前の「かくあって欲しい」という当てのない 期待、事実上も権利上も許容されない、だがそれなしでは生きていくことができないものであること(ここでカント的な「理念」を思い浮かべていただいても 構わない)を認め、だからタイトルが行為遂行的なものである(「宣言」がそうであるように、と私は呟く)ことを、「共に」がこの文章の前提となる 事実ではなく、そうであることを願いつつ文章が書かれ公開されるものである(またもや「宣言」がそうであることの「応答」として、と私は呟く) ことを認めよう。

*   *   *

視聴する人は、冒頭いきなり、開講にあたってのセンターの助教である城一裕さんによる三輪さんの紹介において「中部電力芸術宣言」が繰り返し 「中部電力宣言」と呼ばれ、しかも恰もそれが伝染するかのように、三輪さん自身、少なくとも一度はその「言い間違い」、「芸術」の言い落としに 巻き込まれるのを聴いて驚くかも知れない。 いや、それともリアルタイムのその時、その場では気にせずに聞き流されてしまうのだろうか。あるいはライブストリーミングでの視聴においてすら。 だが、私自身は後からストリーミングにより視聴して、ひどく驚いて、もう一度当該箇所を「反復」して確認してしまった。(ところでこのような 事後的に、それが私の聞き違えでないことを確認したこと、それを可能にした録画アーカイブの反復可能性は留意するに値しないだろうか。 ライブストリーミングの同時性が、同じものの反復がアーカイブされた画像のストリーミングによる再生によって原理的には何度でも可能であることによって 無効にされ、破壊される点とともに。) 勿論、リアルタイムで本人が気付けば「前言撤回」「言い直し」(私はレヴィナスが「全体性と無限」等で取り上げていることを意識して書いている)の 可能性もあっただろうが、実際には気付かれずか、気付かれても敢えて訂正の必要が感じられなかったのか、言い直しは為されなかった。(ちなみに、後から編集により 「修正」したものに置き換えること、従って厳密に同じものの反復ではない「再生」により事後的にそうした過誤を抹消することも技術的には可能であろうが、 少なくともここで言及している「言い落とし」についてはそのままである。)

ここで「言い間違い」「言い落とし」についての精神分析的な解釈を試みようとは私自身は思わないが、よりによって「芸術」を専門分野とする大学で、 講義名にも「芸術」が含まれている環境でそうした「言い落とし」が起きたことを何かの兆候として解釈することに意義を見出す人もいるであろうから、 そのことをとにかく事実としてここに記録しておこう。それと関係あるかどうかもまたその能力のある方の分析に委ねるとして、三輪さんが講義の中で 「美学的」なことが問題なのではなく、あえて言えば「倫理的」なことが今や問題なのだと述べたことも併せて指摘しておこう。 例えばの話、主催者・招聘者側の紹介においては「芸術」は自明であったから言い落とされたのかも知れないし、逆に三輪さんの場合には、 一般的に「芸術」に纏わる様々な主題系ではないものを取り上げようとしていたからこそなのかも知れないではないか。 (こう書いておきつつ、だが私はこのいずれの可能性も個人的には信じていないこともまた、念のために付け加えておこう。)

*   *   *

([2011/7/1,2付け欄外注記]私は文章を公開してから再度推敲する習慣を持っている。勿論事前にもするのだが、どういう心理的機制によってか 公開したものを読まないと発見できない誤りが多く、ある時期以降腹をくくって、公開後の推敲をいわば「標準化されたプロセス」として 受容することにしたのだ。ところで今回、私は「東京藝術大学芸術情報センター」という固有名を「東京藝術大学芸術センター」と誤記していた ことに気付いた。規則的に何度も、というのはここでは「コピー&ペースト」というデジタルな編集方法に起因するのだが、少なくとも最初の 一度は「言い違い」をしたことになる。私は自分で苦笑し、ここにユーモアを、あるいはある種のアイロニーを認めざるを得ない。何たることか、 今度はソフトウェア技術者、情報処理技術者による「情報」の「言い落とし」である。私は思わず自己分析をしたい誘惑に駆られたが、その 結果はここには書かないで置こう。だがその一方で私はこうして修正の痕跡を残しつつ、「言い落とし」を訂正し抹消することにする。 更にもう何点か、確認のために「東京藝術大学芸術情報センター」のWebページを参照して気付いたことを書き付けておく。

1.「東京藝術大学芸術情報センター」の英語名は、 Tokyo University of the Arts - Art Media Centerであるらしい(センターのWebページはそう「宣言」している)。するとここでは「情報」の 訳語がMediaなのである。(いやそれは翻訳ではないし、そういう逐語的な対応づけは単なる揚げ足取りであり、そういう「子供じみた」議論は 無視してしまおうという人がいるかも知れないので断っておくが、私はあえて、故意にそれをやっている。しかも必要なら、それが必ずしも 曲解ではなく、実は「翻訳」の問題、わけても「固有名詞」の翻訳の問題とはまさにこうした問題なのだということを論証してみせることもできるだろうが、 今はその余裕がない。)少なくとも私の専門領域では、「情報」はMediaの訳語ではありえない。(翻訳の向きをあえて変えて書いていることにも 注意されたい。)ところで、では一体、私の上記の「言い落とし」はどちらを対象にしていたのだろう。少なくともここにもまた、後述の 「東京藝術大学芸術情報センター長」である藤幡さんが提起した「翻訳」の問題があるというわけだ。藤幡さんはここでも件の翻訳について 「私は関与していない」と言うだろうか。更には「翻訳」の元の言語と先の言語の差異ではない、寧ろ複数の翻訳の、「芸術」分野と 「情報」分野の翻訳の間の差異、つまることろ先の言語における複数性、「言語の違い」があるのではなかろうか。「芸術村」の国境があり、そこには 門番がいて、Sans papierでは立ち入ることができない。そもそも門番が従うプロトコルを別の村の住人、異邦人、別の言語を話す私は知らない。 Sans papierは手続き未済の謂ではない。そうではなくて、手続きの仕方を知らず、手続きがそもそもできないこと、より根源的な「異邦性」であり、 ムラの論理における「違法性」ではないだろうか。「芸術センター」ならぬ「芸術情報センター」でありながら、もしかしたらそこでは「情報」が シボレートであり、Mediaと翻訳できなければ立ち入ることができない、、、

2.再び「芸術」の、だが今度は翻訳ではなく、表面上は日本語内の表記の問題。 「東京藝術大学芸術情報センター」には「藝術」と「芸術」が、異体字による差異が含まれている。ここで「藝術」と「芸術」は同じものなのか、 異なるのか。いずれも固有名詞であることに注意しよう。つまりここでは「芸術」大学という制度の歴史と、そこでの「芸術」の自己認識の 変容の問題が兆候的に現れているのかも知れないのだ。更に、「芸術情報センター」の「芸術」は、「宣言」のタイトルというもう一つの、 だが、ここでは一人の部外者、しかしなお他の大学の教授であり、従って「芸術」と「大学」の2つの制度において同業者である(ことが含意され、 暗黙裡に「表明」され「宣言」されていると私には読みとれる)「三輪 眞弘 先生」の「中部電力芸術宣言」における「芸術」と、同じ表記であるが ゆえに同一なのだろうか。あるいはより一般に「メディアアート(Media Art)」の「アート」と「芸術」はどうだろうか。あるいは更に「音響」ならぬ「音楽」を投げ込んだら どうだろう。人はそこに「バベルの塔」を見出すかも知れない、と私は呟く。呟きはだがここでは独語でありながら常に他者に宛てられて、こうしてネットワークの海に 投げ込まれる。誰かが別の岸辺で拾い上げてくれることを期待しながら。)

*   *   *

講義の内容は、「中部電力芸術宣言」と「文部科学大臣賞をいただくにあたって」という2つの文章を三輪さんが読み上げ、補足していくいわば「本論」の部分の前に、 序論的な、だが講義題目である「いま中部電力芸術宣言について考える」に「私(=三輪さん)が」という主語を補った場合の「遂行」としては寧ろそここそが 本論であろうパートがあり、本論部分の後に既に述べた三輪さんの「共闘者」を自負する藤幡教授・センター長による補足とも質疑ともつかぬパートが続き、 最後に回収された聴講者の質疑に対する三輪さんの応答があって終了といった構成であった。ストリーミングによって何度でも視聴できる以上、 細部について紹介するのは不要だし、もし必要ならばそれは主催者側の「権利」でもあろうし、いつものように時間の制約に迫られていることもあるので、 詳細な紹介はせずに、ここでは特に印象に残った部分についてだけ、簡単に書き留めておくことにする。

従って、ここに記載する内容はそれが一見三輪さんの 発言の引用に見えるところでも、基本的にはそうではなくてあくまでも私が聴いたこと、受け止めたことであるという認識に立つのが正当であろう。 そしてまた、これも毎度のことだが、私には三輪さんの発言の持つ射程を「芸術家」、音楽家ないしメディアアーティストの立場、美学者、 メディア理論家の立場で理解し、あるいは批判し、展開させることもできない。 そうしたことは三輪さんの「知人」(当然、藤幡さんや城さんも含む)の、そうした資格を備えた方々の「権利」でもあろうから、ここに記すのは主観的な感想、 アートやメディアに関する理論上、如何なる意義も主張しない単なる感想であることを確認しておこう。 「共に」を願いつつ、だがそれが到達不可能であるという自覚の上で、価値の上でほとんど無に等しい、それこそ文章が公開されたという事実性以外の価値を 認めることができないようなものであるという点を改めて強調しておきたい。免罪符はと言えば、三輪さんの講演の中で、専門分化による「究極主義」と 三輪さんが呼ぶようなあり方に対して、「子供でもわかること」に気付くこと、専門領域でないことについて、だがおかしいと感じたことをおかしいと発言することに 意義を見出していた点に求められるだろうか。であってみれば、通りすがりのソフトウェア技術者のこうした感想が何某かの寄与を為しうる可能性に賭けるほかない。 さもなくば沈黙あるのみ、である。

*   *   *

そういうわけで、印象に残ったのは「本論」部分よりも、序論にあたる部分であった。三輪さんの論旨はいつもそうであるようにここでも非常に明快で 「子供にもわかる」、私のような「国境外」の「異邦人」、身分証明なし(sans papier)に勝手に潜り込んだ聴き手にとってもわかりやすいものであったので、 特に「中部電力芸術宣言」と「文部科学大臣賞をいただくにあたって」の内容とは直接関係のない部分で印象に残った部分に限り、 簡潔にまとめてしまうことにする。(既に触れたとおり、藤幡さんは全く逆の評価に基づき三輪さんの発言の「補足」に踏み切ったのだが、皮肉なことに私にとっては そうした藤幡さんのコメントの方が何倍も難解であり、その論理の展開を追うことに困難を覚えたくらいである。だから実は三輪さんの講演内容は、 「国境外」の「異邦人」、身分証明なし(sans papier)に勝手に潜り込んだ聴き手、非専門家、「子供」に等しい私のような存在にとって「こそ」わかりやすく、 かえって専門家には理解しがたいものであったのかも知れない。)

A.3月11日以降の芸術家の課題は、最早「美学」の領域には属さないという発言。その代わり求められるのは、「子供にもわかることに気付く」ことであること。 これには非常に驚いた。会場がどよめいたようには見えなかったのが不思議に思われるほどに。表面的には芸術作品の創作とは「別の」、例えば今回 主題化された「宣言」のような水準に専ら関係しているように思われるかも知れないが、実はそうではないだろう。三輪さんも補足するとおり、 ここでの主旨はいわゆる「芸術至上主義」の問題視であり、「美学」への自閉が疑問に付されているのであって、だから全く「美学」を、「芸術」を 否定しているわけではない。寧ろ「美学」はその語源が示すとおり、ある媒体を基底に生み出される「効果」にフォーカスが当り勝ちであるのに対し、 もともと三輪さんは「音楽」をより広範な活動の総体として捉えてきた。例えば「逆シミュレーション音楽」の定義にそれは最も端的に、集約されて 現れている。そうした背景を踏まえればこの発言は決して唐突なものではないが、きちんとそうした整合性を追跡する作業は、単に確認の目的のみ になるとはいえ、別途必要になるだろう。

B.Aの前提として、3月11日以降の状況下では芸術家は「役立たず」であるという認識を持つべきだということ。その上で役に立たないなりに、あるいは役に立たないから こそ芸術にしかできないことがあるというのがAの主張に繋がっていく。三輪さんは、恐らく他の「芸術家」がそうすることを否定はしないだろうが、自分自身が 例えば被災地に行って明るい音楽で被災された方々を慰めたり、あるいは亡くなった方を慰霊し、鎮魂する作品を作曲することには違和感を抱いている。 ちなみにこの発言は、現実の時系列ではこの講義の3日後の「舞楽 算命楽」日本初演のコンサートにおける三輪さんの姿勢と一貫していることを 確認しておきたい。

*   *   *

大急ぎで、後半のコメントの部分について。とはいえ聴講者の質疑については、三輪さんの従来よりの活動について知っている人が あまりいなかったようで、ここであえてコメントしたいと感じたものはなかった。寧ろ私にとっては三輪さんの活動を知っている聴講者がそんなにも少ないことに 驚きを禁じえなかった程である。恐らく聴講者の専攻の違いがあって、三輪さんはそこではまずは「音楽家」であり、異分野の人なのかも知れないし (だとしたらここではあろうことか、「芸術情報センター」の「芸術」ないし「アート」と「音楽」の(無)関係が問題になっているのだということを注記しておく)、 科学技術同様、細分化された今日の芸術活動では、外部から想像する以上に各領域の内部が豊かになっていて、それゆえ離れた領域の活動を ウォッチするような状況ではないのかも知れない。あるいは自分の創作活動に沈潜して、他人の活動など気にしている余裕がないのかも知れない。 とにかく私にはわからない理由によって、私のような芸術村の外部の人間の方が、それを理解しているかについてはおくとしても、知識としては三輪さんの 活動を詳しく知っているというパラドキシカルな状況は率直に言って意外であった。

実のところ、「いま中部電力芸術宣言について考える」という題目の 考えるの主語は当然「私(=三輪さん)」だろうという予断を私は持っていて、「今」というダイクシスの時間の経過による指示対象の変化を踏まえた 話を聴けるものと頭から信じ込んでいたのだが、実際にはそうではなく「いま中部電力芸術宣言について考える」の主語は実は聴講者を含む「われわれ」 (三輪さん自身を含むかどうかについての議論はあるだろうが、それは擱くとして、私のように遅れて、別の場所で「幽霊」的に聴講した人間も そこに含まれるのは間違いないだろう)であったのではないかと再考を強いられることになった。つまりここでも三輪さんの意図は(フォルマント兄弟の 「お化け屋敷」がそうであったように)極めて啓蒙的で、そうしたことを考えていないであろう聴き手への呼びかけ、誘いであったのかも知れないのだ、ということに 不覚にも気付いたのは、上述したような三輪さんの活動への聴き手の無関心を認識してからであった。

従って、(またもや順序が逆になるが)それに先行する藤幡さんのコメントにどうしても印象が集中することになる。だがこちらはこちらで、 恐らくは即興で為されたに違いないスピーチであり、しかもエジソン晩年の亡霊との通信の研究(私にはウィリアム・ジェームズの方が馴染みが深いが)への言及から始まって、 device/apparatusの訳語としての「装置」の曖昧さなどを例とした翻訳の、あるいは翻訳しないことの問題、電力については統制的・中央集権的な供給体制にこそ問題が あるのであって、電力についても自給自足になるべきだといった主張がされるかと思えば、「コンサートホール」「美術館」についてのコメント、 それと対比的に提示された「図書館」の問題と、非常に多岐のテーマに次々と飛び移っていくため、個人的には途中にある論理的飛躍(と私には 見えるもの)を埋めることができなかったたりしたこともあり、ニュアンスも正確に掴み切れているとは思えない。個々のテーマは興味深いものだが、 ほぼ条件反射的な感想しか書けないのが残念だが、それでも幾つかの点については触れておきたい。

その前に一点。実は藤幡さんが真っ先に指摘し、三輪さんに問いかけたのは、そもそもなぜ「宣言」なのか、そうしたスタイルを選択したのかという質問、 更にそれに関連して「宣言に含まれるユーモア」の問題、三輪さん自身が「宣言」の初期のバージョンにはより多く存在し、だが、坂本龍一さんなどの 意見を聞いて修正している裡になくなっていったと語ったユーモアの要素についてだった。藤幡さんも指摘している通り、三輪さんは「本論」のコメントの中で、 3月11日震災前には笑いが取れただろうが、最早笑い事ではなくなってしまった箇所についても宣言していた程であり、従ってユーモアの退却の過程に 無自覚であったとは考えられないが、そこから導き出される帰結については結局触れられず仕舞いであった。

私個人の印象としても、ユーモアの側面は三輪さんの 活動のかなりの範囲に渉って確認することができると感じているし、しかもそれは三輪さんの活動にとって決して瑣末な側面ではないと感じてきた(私は 「洪水」誌に寄稿した論考でも、三輪さんの作品におけるユーモアについて触れている)だけに、時間的な制約もあったではあろうが、 この点についての議論が充分になされなかったのは残念であった。例えばユーモアは例えば「逆シミュレーション音楽」では 必須であり、それ以外の三輪さんの作品にもかなりの割合で見られるカバーストーリーの存在と密接に関係しており、それが芸術の「仮象性」、 不正確で些か乱暴な言い換えをすれば「役に立たないこと」に本質的な形で関わっているであろうが故に、単なるレトリック、表現上の文彩のレベルの 指摘に留まらずに、「宣言」の内容に、今回の講義においては、「本論」に先立つ「序論」部分での三輪さんの発言に関連付けた検討が為される 必要があるだろう。

その意味で、続く藤幡さんの「宣言」のようなテキストと「音楽作品」の関係についての問い(ただしそれは一部は「逆シミュレーション音楽」に対する 誤解を含むものであったが)もまた確認する意義のあるポイントであったと思うし、「カバーストーリー」の持つ機能と「宣言」のそれとはまず少なくとも 一旦ははっきり区別されるべきであること、つまり「カバーストーリー」は「逆シミュレーション音楽」の必須の構成要素、その一部だから、それもまた 「音楽」の構成要素である(これは考えてみれば、極めて大胆な基底、驚くべき規定ではなかろうか)のであって、寧ろ「音楽作品」の「芸術」としての 「仮象性」を担保する機構であるのに対し、「宣言」は「逆シミュレーション音楽」の構成要素ではないという点にも、それが寧ろ近年のフォルマント 兄弟の活動に関連することの確認にも異論はない。従ってどちらかといえば「パースペクティブ」や「厄除け札」の側に「宣言」は近接することになろう。 ただし、実際には個別の事情は単純化を許さない。「厄除け札」は「お化け屋敷」という「作品でないもの」の、だが一部ではあろうし、 「パースペクティブ」は「宣言」とは異なり、「フレディの墓/インターナショナル」という対応物を持っている。 (実は私は「フレディの墓/インターナショナル」についての感想において、あえて「パースペクティブ」を「由来」と呼び、上記のような区別を踏み越えた ことがある。だがそこにに私は「ユーモア」を、イロニーを、あるいは批判的な毒をも含めたつもりであった。寧ろ、上記のような区別が仮定されているにも 関わらず、「パースペクティブ」の内容が含み持つ様々な側面が、わけても「ソーカル事件」を思い起こさせるような、まるで出来の悪いカルチュラル・スタディーの 論文のような似非哲学的、擬似理論的な装いが、そうした区別を破壊し、意図してか意図せずしてか「カバーストーリー」の側に倒れこんでしまっているのでは、 いずれにしてもそこにユーモアが生じているのでは、という疑念を呈したのであった。それは「お化け屋敷」の「厄除け札」についても同様で、 それに対して「宣言」については、そうした疑念を抱くことなく、三輪さんの意図する区別の通りに受け止めらるように私には感じられたのであった。)

続く藤幡さんの問題提起、「メディア」の問題をもっと掘り下げて扱うべきであるという指摘もまた、正鵠を射ているように感じられるとともに、 三輪さんの発言、それが「宣言」の範囲を超えてしまうというコメントも納得がいくものであり、私としては三輪さんにというよりは「フォルマント兄弟」に、 藤幡さんが浮かび上がらせた来るべき「論考」を期待したいと思いはするものの(違った文脈で、しかもそこでは寧ろ専ら「理論」に関する「専門家」であるはずの 「フォルマント弟」に対して私はそれを再度求めたばかりであるし)、更にメディアについて、しかもスティグレールの研究で知られる東京大学の情報学環との 過去のジョイントプロジェクトに言及しつつ「亡霊」について言及されたことから、私はその後の議論の展開を期待した。

だが実際には、メディアについての議論は藤幡さんが「亡霊」を呼び出した途端に、まるで憑き物が憑いたかのように変調を来たし、 以下のような指摘の連鎖、論理的にはアクロバットにしか感じられない「離れ業」が続く。私は論理の飛躍についていけず、発言の意図や 含意も把握できずに途方に暮れてしまう。これは非常に強い既視感を伴う光景であると思って反芻してみるに、メディアアート系の対談の類で割合と 高い確率で遭遇しているのだということに気付く。もしかしたら私には秘められた「論理」があって、講義の当日にその場にいた人、「メディアアート」のムラの 住人には簡単にわかることなのかも知れないという懸念は常に(強迫のように)私に憑いているが、今回の打ち合わせでそれが一層強化されたように感じる。 或る種のシボレート(その意味合いについてはデリダを経由しつつ受け取っていただいて構わない)なのだろうか。少なくとも「子供にもわかること」では なさそうに感じたが、もしかしたら「子供にわかる」ことが私にはわからないのかも知れない。だが、それをここで反芻しても仕方ないので、以下には 感じた疑問を単純に並べるだけにする。

*   *   *

1.亡霊、だがここではただちに「エジソンの亡霊」の問題。事実関係は擱くとして、いわゆる一般的な本物(?)の亡霊と、複製芸術におけるアウラの消滅や 事後性(フロイト的な意味合いで)の文脈での「亡霊」概念、非常に単純化して言えば「再生」されたものは「幽霊」でしかあり得ないといった主張における 「亡霊」「幽霊」(だからこれは本来は別の事態を指し示すための言い換えとまずは見做すべきなのだ)とを単純に結びつけ、 エジソンの晩年の活動を「象徴的な例」と見做すのは、議論の余地はないのだろうか。そこには不当ではないにしても慎重であるべき踏み越えが、あるいは ここでは転倒がないと言い切れるだろうか。心霊写真、聖骸布、そして今度は亡霊との通信。象徴でも喩でも結構だが、私にとって興味深いのは、 何故、メディアアーティストやらメディア理論家やらが、文化的・歴史的背景の違いを易々と乗り越えて、ほぼ1世紀前の欧米の、 進化論(ダーウィン)と唯物論(マルクス)と無意識(フロイト)の脅威に晒され、神の死を 宣言され(ニーチェ)て既存の宗教的権威に最早頼ることができなくなった人々がその時、その場で向かった途を、違う時、違う場所である、今、 ここで「象徴」視するのかの方である。それは基本的な問題が変化していないから、つまり違う時、違う場所にいるという認識に過誤が潜んでいる ということなのだろうか。(「子供」は単純に、それに異議を唱えるのではなかろうか。)「昔むかし」という「枠」すらなしの、メディア論の文脈で繰り返される 「物語」、メディア論の研究者に、メディアアーティストにまさに憑いているかのような亡霊の物語は、一体何を背後に秘めているのだろうか。

2.その一方で、輸入された外来語をそのまま翻訳せずに使うことに起因する誤解や、翻訳という変換過程で異なる概念やモノが混同され、区別がなくなる ことに起因する誤解について、藤幡さんは非常に敏感である。一方でdevice/apparatus, instrument/tool, utility/applicationの3つの例示 (ここでそれぞれの当否、対立そのものの是非についての判断は行わない)によってこれらの区別の認識にまつわる問題が例示され、 他方でカタカナで表記される外来語に対する理解の限界についての言及があり、更には後述のように、その敏感さは「図書館」の「輸入」における「誤解」、 文化的誤訳にすら及ぶのだ。 だが私見では上述の「亡霊」「幽霊」の方も、控えめに言っても同程度には翻訳の問題、文化的な背景の違いの問題を抱えている筈である。にも関わらず この感度の差異は一体何に由来するのだろう。その一方で、そうした誤解が問題であることを一旦認めるにせよ、その上でそうした状況への対処については どう考えられているのかは結局明確に示されなかったので、そもそもそうした問題提起の意図は何なのかについても理解できないままとなった。 要するにそうした問題はメディアアートや音楽のみの問題もないし、「芸術」一般に限定されるのですらなく、非常に一般的な問題であって、だからここでは そうした理解の限界が「芸術」においてはどういう影響を生じているのか、あるいは「芸術」においてそれにどう対処しうるのかといった点もまた、杳として 知れないままに終わってしまったのである。そう、何たることか、ここでもまた「芸術」の言い落としが生じているという感覚を免れるのは非常に難しい。

3.「美術館」「コンサートホール」によって美術ないし音楽が「守られている」というのは間違いであるといったニュアンスの発言について。まず、それが 間違いであるかどうかはおくとして、そうした通念がどこで蔓延しているのか、それによってどのような(恐らくはネガティブな)影響が出ているのかといった 前提の部分が私には共有できていないので、それらが「なくなってもいい」と「なくなっても不思議ではない」を同一視しているのか、区別されているのか、 もっと言えば後者はどういうニュアンスで論じられているのかもわからなかった。そもそも三輪さんが「コンサートホール」を引き合いに出したのは、 仮にアコースティックで電気を使っていない作品の演奏であっても、それが「コンサートホール」という場でリアライズされる以上、 電力に依存していること、コンサートホールへの交通アクセスがそもそも電力に依存していることから伺えるように、 表面的ないし局所的な「電力」への絶縁は、何ら本質的な解決になっていないということであった筈である。仮に「メディアアート」は最早 既成の「美術館」のような「装置」なり「制度」を必要としていない、だから津波で流されてしまっても、地震で破壊されても困らないという意味だとしたならば (例えばフランス語ならここは条件法で、スペイン語なら接続法で書くところであるが、日本語ではそれができずに、 ややもすると「誤解」を生じかねないのは遺憾である)、それはそれで結構だが、せめて三輪さんの「中部電力芸術宣言」の文脈に立ち返って、 「美術館」に代わる、ただし「電力非依存」のプレゼンテーションの場が、わけても「メディアアート」についてどのように可能なのか、 具体的に示していただきたいように感じる。否、もっと端的に、「電力非依存」の「メディアアート」が如何にして可能か、場合によっては定義をずらしたり、 変更したりするのは結構だが、その場合には(自作も含めて)従来、メディアアートと呼ばれてきた作品はどうなるのかの説明がなければ不誠実と いうことになるであろう。

4.「美術館」や「コンサートホール」と対比するように「図書館」の方がより大きな問題であるという主張がなされ、図書館が、ここでもまた外来の 制度であって、無理解なまま取り込まれた結果、その意義のすり替えが生じ、結果として「ハリーポッターが50冊も架蔵される」「貸本屋」のような 状況になっているといった現状への批判的な認識が語られる。図書館の「本来的な」「真正な」存在意義に ついての議論の当否そのものはおくとして、一体そのことが例えば直接に「中部電力芸術宣言」に、あるいは間接的に(最初にそう自ら宣言されたように) 三輪さんの活動の紹介に繋がるのかがやはりよくわからなかった。仮にこちらは逆に「中部電力芸術宣言」の文脈との関連は問わないことにしても、 3月11日以降の状況下で物流が麻痺し、書店に届いた雑誌や書籍をまわし読みするような状況が一時的であれ生じたり、公的・私的を問わず、 「貸本屋」すら維持が覚束無い状況が場所によっては継続しているこの時期に、一体どのような意図での発言なのか私には全く 理解できない。実のところ「図書館」のあるべき姿についての主張そのものについては、恐らく私個人としては同意できる点も見出せるのではないかと思うが (念のため繰り返すが、「電力非依存」の方をここでは括弧に入れる前提で)これまで図書館に求められていた機能は、電子アーカイブ等による代替によって その一部をより一層本来の意図に叶った形態で実現できる可能性があるのではないか。個人的に私は「ハリー・ポッター」を読んだことはないし、読む気もないが、 それが必要とされているのであれば、その需要を充たす機能を果たすものがあって何故いけないのか、どういう価値に基づいてか、それを否定し、奪い取る 権利を「芸術家」が有するのか、説明をしていただきたいと感じずにはいられなかった。(藤幡さんはコメントの開始にあたり震災や原子力災害といった ような事態に直面した芸術家はしばしば極端な発言をしがちだが、三輪さんの発言の内容は聴講者にとって共有できるものではないかといったことを 述べたが、私には逆に、藤幡さんのコメントの特に後半部分、つまり「亡霊」が召喚されて以降のそれに、ごく素朴に、些か子供じみた反応だとは 思いつつも、芸術家ならではの極論を感じずにはいられなかった。)

念のため繰り返すが、極めて即興的に行われた印象を持つ藤幡さんのコメントについてこうした疑問を述べることの妥当性、そこにあまりにも論理的な 整合性を要求することの正当性については私は確信が持てないでいる。だがその一方で、これらのコメントは三輪さんの講演内容を補足する意図で 為されている筈(藤幡さん本人がそう「宣言」している)であるのだから、その「宣言」の遂行の首尾について抱いた上記のような疑問を書き留めることは 不当とはいえないだろうと思う。そしてこれらの一連の疑問には、一般には私の側の不勉強とされるであろう文脈、知識の欠如、とりわけ藤幡さんの 活動に対する情報の欠落に起因するものもあるだろう。論理の飛躍を感じられたものも、文脈がありさえすれば容易に補完できるものでありえよう。 藤幡さんの言う「共闘」の結果の成否についても、勿論私は判断の留保をせざるをえない。

(もっとも、藤幡さんとの接点が、この講演のコメントの 1点に限定されるわけではないことはここで断っておくべきだろう。私は3月11日に先立って「フォルマント兄弟の”お化け屋敷”」を訪問したときに、ふとした 偶然で藤幡さんの「モレルのパノラマ」に接する機会があったのだが、思い起こせばそこでも、「エジソンの亡霊」と同様のパースペクティブのずれや、 論理のアクロバティックな流れ、そしてやはり「翻訳」にまつわる違和感(ただしそこでは、何故作者が「モレルの発明」を日本語の「翻訳」で読むのか という点に関する素朴な違和感だったのだが)を感じたのだった。だからわずかに2点で接しているのみとはいいながら、実は印象は一貫しているようにも 思われるのだが。)

*   *   *

「子供でもわかることに気付くこと」。それは芸術家のみに課せられているのだろうか。それは「ムラ」の外にいる私にも課せられているのではなかろうか。 この講義は、リアルタイムのそれも一般に公開されていたし、ライブストリーミング、アーカイブのストリーミングによる再生についても 「デジタルデバイド」の問題を除けば、誰でも利用し、視聴できる。だからこそこうして外部の人間である私が視聴した感想をまとめることが可能なのだ。 私はこの点に関して、 東京藝術大学芸術情報センター(従って、その長である藤幡さんに対して)、およびこの講義の企画をされた先生方、配信を実現するために尽力された方々に 対して率直に感謝の意を表したい。藤幡さんは「エジソンの亡霊」に関連して、電力供給の中央集権化の弊害と、それへの対策として自家発電による 分散を主張されていたが、是非、東京藝術大学芸術情報センターにおける自家発電の実現を期待したい。勿論、 芸大のサーバーやネットワークが落ちないだけでネットワーク配信体制の維持ができるわけではないが、芸大を起点とする自家発電のネットワーク化の 実現の意義は非常に大きいと思われる。

三輪さんの宣言もまた、知人たちのネットワーク、例えばSNSの空間内で公開されたのではなく、やはり誰でもアクセス可能な(ただし、 電力の供給と一定のメディアリテラシーが前提であることを、くどくても確認しておこう)場に公開されている。私のような芸術家ならぬ部外者は お呼びではないのかも知れない。改めて「共に」と語る権利はないのかも知れない。だが事実として三輪さんの宣言は私に届き、 私はそれにこうして繰り返して、改めて返答する。三輪さんに宛てて秘密裡ではなく、返答をこのように公開することによって 宣言の行為遂行性に応えるべく。「子供でもわかることに気付くこと」が自分にはひどく困難であろうこと、その意味でも改めて応答の困難さを認識しつつ。

その代わりといっては何だが、「共同体」になくてはならない複数性に思いを致しつつ、もう一度、「いま中部電力芸術宣言について考える」のは「誰」だろう。 それは決して単数ではない。まず「宣言」が他者に対する呼びかけであり、「お友達」の多少に関わらず、否、事実上不在であろうが、「宣言」は予め他者に宛てられている。 そうした差し向けの行為について考える人は、この場合の差し向けた当人である「私(=三輪さん)」(だがそれは厳密に同じといいうるだろうか?)だけでもなければ、 ネットワークの海の対岸に辿りついたその「宣言」を受け取ったこの私(だが、こちらも単数ではない。「宣言」の差し向けは、常に複数の「他者」に対してのもので しかあり得ない)だけでもなく、勿論のこと、二者だけでもない。閉じた送受信の、コミュニケーションの回路が形成する「われわれ」の閉鎖性を、「宣言」の構造は 許容しない。常に少しずつ、それぞれがそれぞれに遅れて、別の場所で、それでもなお「共に」あることを願って。或る閉じた「われわれ」のためのだけではなく、 先行した者の、遅れてくる者のためにも、なおかつ、その都度違った「われわれ」によって、繰り返し、繰り返し(…) (2011.6.30未定稿のまま暫定公開, 7.1,2誤記訂正・欄外注記加筆, 7.4誤記訂正・加筆)

2011年6月26日日曜日

「舞楽 算命楽」日本初演を聴いて

聲明付「舞楽 算命楽」 日独交流150周年<創造する伝統>委嘱作品(日本初演)
雅楽:東京楽所
舞人 <東の舞人> 笠井 聖秀 <西の舞人> 小原 完基
鞨鼓 松井 北斗
太鼓 高多 祥司
鉦鼓 金澤 裕比子
笙 野津 輝男 中村 容子
篳篥 山田 文彦 四條 丞慈
笛 片山 寛美 植原 宏樹
声明:真言宗法響会・天台聲明音律研究会

2011年6月19日:東京オペラシティー コンサートホール

(…)ここでもまた、日付の跨ぎ越しが起きていることに気付かざるを得ない。3月11日という日付の前にドイツで「算命楽」が初演されたという情報を耳にし、 日本初演が6月19日であることを私は知っており、その初演に立ち会うつもりでいたし、その旨を明確に周囲に表明していた。3月11日の後、「算命楽」の 初演を含むコンサートもまた「自粛」の対象になりえただろうし、実際にそのような検討は行われたようだ。勿論、それを「自粛」と呼ぶのは不正確であるにせよ、 聴き手の側である私もまた、そうした問いをすることもありえただろう。否、実際に何度と無く逡巡し、反芻したには違いないのだが、実のところふとした巡り合せで コンサートの日に他のことを優先させるということは常にあり得ることで、必ずしもそうした全てを日付を跨いだことに帰するのは、 それはそれで不正確で不誠実なことだろう。 例えば当日、激しい頭痛に見舞われて音楽を聴くどころではないという理由だってありうるのだ。 途中で聴き続けることを断念し、コンサートホールを後にすることも、また。

あるいは更にまた、プログラムに含まれる「作品そのもの」(だがそれは、どこから始まり、どこで終わるのだろう。とりわけても、雅楽の場合には、、、) とは一見外的に見えるかも知れないことが理由になることも。例えば当日入場の際に受け取った公演の冊子には、もともと予めそうであったはずの 「日独交流150周年<創造する伝統>ドイツ国ツアー凱旋東京公演」という添え書きに加えて「東日本大震災 追悼公演」と明記されている。 これを事前に知っていたら、それはコンサートへの参加にどう作用しただろう。更に第2部の「舞楽法会」と題された上演の最後に 「読経 般若心経 東日本大震災 哀悼をご唱和頂ければ幸いです。」という言葉を、更に冊子に挟み込まれたこれもまた「東日本大震災 慰霊」と添え書きされ、 日付と場所とコンサートのタイトル「雅楽の未来 奇跡の聲明」が記された般若心経を含むコピーを不意打ちされるようにその場で受け取り、 発見するのではなく、そのように予告されていたとしたらどうだろう。

他のコンサートにおける演奏家のキャンセル、それに伴うコンサート自体の中止や演目変更が頻繁に起きる最中で、これらは些細なことかも知れない。 否、文脈に応じてコンサートの意図を調整し、それを聴き手に向かって表明することは、敬意を表すべきこと、賞賛されるべき行為でこそあれ、 批難は勿論のこと、いかなる留保の対象にはなりえないのではないのか。

確かにそうなのだろう。恐らくは。

だが、しかし。にもかかわらず、後ほど、遠回りの後に改めて言及するように、私は留保ををしたいと感じているのだ。それが些事拘泥であるとしても。 例えば私がなぜメシアンを「実演」で聴くことを繰り返し、常に断念し続けてきたか、今後も「録楽」としては聴きながら、 恐らくは「実演」を拒絶し続けるかの理由、 逆に何故三輪さんの音楽に限っては例外的に「実演」で聴くことに拘るのか、それを少なくとも「逆シミュレーション音楽」以降の三輪さんが創作者として 意図していることへの応答という点を擱いたとしても(しかし多分、全く無関係ではないと考えている理由によって)なおそれに拘るのかの理由、更には 色々な事情で回数を絞ることを余儀なくされつつ、私が香川靖嗣さんの能の実演に立会い、三輪さんの作品の実演に立ち会うことを止めない、 否、止められない理由は、結局のところ他の人にとっては些事に過ぎない、つまらない理由によるのではないかと感じているし、それを 偏狭と見做され、その結果としての視界狭窄や展望の一面性を指弾されても仕方ないと思っている。しかし私は例えば批評をするためにそうしているのではなく、 単に生きていくためにそうしている(つまり私は批評をすることで生きているのではない、というように受け取っていただいても構わない)のだから、私としては どうしようもないことなのだ。

「算命楽」そのものではないそうした様々な要因が「算命楽」を取り囲み、文脈を形成する。否、「黄鐘調音取」、「越天楽残楽三返」、「西王楽 破」に 先行され、休憩を挟んで「舞楽法会」に後続されるプログラム構成にしても同様であり、私の場合に限れば、クラシック音楽のコンサート、 現代音楽のコンサートの多くを、そのプログラム構成ゆえ拒否したり、断念したりを繰り返しているのであれば、ここでもそうした可能性が原理的にはあるのだろう。 色々な音楽に接するという「啓蒙的な意図」によるプログラム構成、だがどれが「マージナル」なのか、どれが「目当て」なのかはコンサートホールを訪れる 個々の人それぞれだろう。このコンサートの場合には雅楽の聴き手(その一部は演奏者の知人であったり、演奏者に雅楽を習っていたりするかも知れない)、 声明の聴き手(その一部は演者の知り合いかも知れない)、現代音楽の聴き手(こちらは木戸さんや三輪さんの知人や学生、木戸さんの国立劇場以来の試みの同伴者や 三輪さんの音楽の聴き手であり、私は最後に分類されることになるのだろう)が混在し、だがこうしたケースの常でそれらは多くの場合相互に交わることはない。

そして例えばそういう立ち位置の私の雅楽への接し方は以下のようになる。ガムランに比べれば雅楽については遥かに多くの文脈を私は偶然にして持っていて、 だが実演に接したことは未だない。あるいはまた現代雅楽についての文脈、例えば武満の「秋庭歌一具」は知っているし、細川やシュトックハウゼンの試み (新作雅楽として委嘱された点を除けばほとんど共通性のないこの2つを並列にしたことに何らかの意図や予断を読み取っていただいて構わない、 この2つ以外に言及しないことも含めて)を知っている。西欧における雅楽の受容の一部、例えばラッヘンマンの「マッチ売りの少女」のことや、 メシアンの「七つの俳諧」のこと(やはり共通性が希薄なこの2つを並列にしたことにも何らかの意図や予断を読み取っていただいて構わない、 やはり同様に、この2つ以外に言及しないことを含めて)を知っている、等々。こうしたこともまた、今回の「算命楽」の日本初演に立ち会う背景として 書きとめておくべきだろうか。

*   *   *

「算命楽」は、それでは三輪さんの創作の文脈において、どうなのか。三輪さんの作品の常で(「フォルマント兄弟」の作品ではそうでないことに留意しよう) カバーストーリーを備え、アルゴリズム・コンポジションであり、規則に従って描かれる軌道を持つ力学系であるそれ、だが「音楽」としての実現においては その系列を間違えることなく踏破する訓練を積んだ人間を必要とし、結果的にほぼ「逆シミュレーション音楽」の要件を充たしているそれ、しかもここではある 伝統、ただし「新調性主義」とは異なって非西欧のそれではあるが、伝統の下に高度な技能を備えた演奏者を目がけて書かれたその「作品」は三輪さんの近年の 創作の集大成として捉えることができるだろう。三輪さんには木戸さんの復元楽器を用いた作品が存在し、その多くは木戸さんの企画するコンサート・シリーズの 委嘱作だが、その中には「逆シミュレーション音楽」の傑作、箜篌のための「蝉の法」が含まれる。この作品は西陽子さんという優れた奏者による素晴らしい リアリゼーションにより、西欧音楽の文脈における後の「新調性主義」を予告するような作品だが、箜篌は正倉院に保存されていた古代楽器であり、 恐らくは雅楽にも用いられたらしいことを思えば、三輪さんが雅楽を作曲することには意外感は全くない。

ほぼ類似の構造(ここでいう構造は当然のことながら、結果として生成される音響のそれに限定されず、「音楽」という行為総体のそれのことであるが)を 備えた作品として、例えばガムランのための「愛の賛歌」を思い浮かべる人もいるだろう。いずれも声と身体(舞)と器楽合奏というメディアの複合である点も 共通しているかに見えるかも知れないが、類似はそこ迄だ。まず「愛の讃歌」はカバーストーリーを持たない。(これは決して三輪さんにおける「音楽」にとって 外的ではない。カバーストーリーはデリダ風に言えば「パレルゴン」のようなものなのだ、と言えば端的な説明になるだろうか。)更に言えば、 「愛の賛歌」でいわば「外付け」であったのが舞であったのに対し、ここでは声、即ち声明が「外付け」である点が異なるし、それ以上に規定となる アルゴリズムが雅楽のみならず舞の所作をも規定する点に注意する必要があるだろう。つまりここでは「音」と「所作」の間に支配・従属関係もないし、 どちらかが権利上先行するわけでもなく、同じアルゴリズムの2つの実現なのだ。 一方でそれに対して声明は、歌における「歌詞」に相当する言葉ともども、「算命楽」の外に置かれている。勿論「声明」の入りは時間的に 厳密に制御されているのだが、それでもそれはあくまでも「付加」されているのだ。

西欧音楽の伝統においてはまず「音楽外」と見做され、従って「作品そのもの」の価値を問題にするという自己了解を持つ西欧的な評価の観点からは 敢えて無視されるであろうカバーストーリーは、だが三輪さんの「音楽」の「仮象性」を担保する装置であって、「…という夢をみた」という枠が音楽の儀礼性を 境界付け、無効を宣言しつつ、同時にアウラを保つことを可能にするために必須のものなのだが、「算命楽」においてはそうした「仮象性」は例えば舞人の 持つレインスティックのような棒によっても補強されている。レインスティックを中南米の楽器であると見做せば、舞楽に対しては異質な要素ということになるが、 似た楽器は例えばインドネシア等にもあるようだし、そもそも今でこそ日本の伝統音楽であり、式楽である雅楽も、中国・朝鮮半島や東南アジアから 流入した要素が混淆したハイブリッドな存在であることに思いを致せば、「算命楽」こそ「極東の架空の島」の式楽に相応しいということになるだろう。

レインスティックは雨乞いの、従って豊饒の祈願と結びつくようだが、ここで用いられているアルゴリズムがフィボナッチ数列を用いているのは、フィボナッチ数列が 自然界における様々な事象の時間的発展のパターンの背後に見出すことができることを思えば極めて「自然」なことである。その一方で アルゴリズミック・コンポジションに纏わる、いつ始まり、いつ終わるのかといった問題に対してこれまでも三輪さんは、例えば 「新しい時代 布教放送」において権利上、永遠に続くこと(ただし電力が供給される限り、という制限を三輪さんがつけていたことを思い起こそう。それはまさに 「中部電力芸術宣言」と照応する。ここでは主題的には扱えないが、それは3月11日以後の音楽にとって本質的な問題であるし、それが「儀礼性」や「超越性」の 契機とこのように交差することは恐らく偶然ではないのだということを、大急ぎで付け加えておこう)により問題を消去して解決するような、 単なる技巧に留まらない本質的な対応をしてきているが、今回のケースは上記のフィボナッチ数列をベースとした演算により得られる系列が偶々60段で 1周期をなすことから、その1周期分を作品の持続と定義することで作品を終わらせる合理的で自然な方法を得るとともに、四季の巡りのような円環的な時間を 示唆することによって、作品の数理的な構造に儀礼性を埋め込むことに成功していたと思う。だがこれも、そもそもが雅楽の伝統においては調性と季節が対応し、 一部楽器の移調上の制約を逆手にとって、同じ作品名の下に季節によって異なる旋律を持つ作品が演奏されたりといったことが行われ、 季節が一巡りすれば同じ音楽が、同じ風景が戻ってくるのであって、ここでは作品はいわば円環的な時間の一部分であることを考えれば、完全に異質な発想とは思えない。

(ちなみに「管絃音義」によると黄鐘調は南の方角・赤・夏・火、それに対して例えば盤渉調は北の方角・黒色(紫)・冬・水で あるという。するとここでは三輪さんが「369」の一連の作品で取り上げたシネステジア(共感覚)を話題にすることができるだろう。私は弱いながらも 色と音の共感覚を持っていて、西欧音楽では調性と音の結びつきは比較的明確に感じとれる。黄鐘調の雅楽の響きはどうであったか、それが他の調との コントラストでどうなのかはわからないが、明色系(朱やオレンジに近い)の、温度は高く、でも湿度が低い風の流れが自分の頭の中を吹き抜けるような 印象を覚えたことは記録しておきたい。それはコンサートホールの実際の明るさ、空調により制御され、肌に感じられる温度とは別であり、しかも血のめぐりの ようなものに直接影響する。例えばの話、そうした調子に浸ることで、頭痛がふと和らいだりということすら起きるのだ。更にもう一点付け加えると、 西欧風に言えば「献堂式」にはコンサートホールを焼き払う火を招きよせることを避けてば黄鐘調は避けられ、盤渉調が用いられるいうのを、 これは能楽の囃子の文脈でだが聞いたことがある。(雷の能「賀茂」の替の合狂言、田植えの狂言である「御田」の前に奏でられた盤渉楽の色合いと 温度感の印象を書き留めたことを思い出す。)ここでは逆に、地震と津波による被災を思えば、 季節による選択の結果とはいえ黄鐘調は如何にも相応しい。ところで、原子力災害に対しては、一体どの調性が相応しいのだろうか。 そしてこうしたことどもを背景に三輪さんの「新調性主義」をもう一度考えてみても良いだろう。ちなみに「算命楽」には 鮮明な共感覚を感じることはなかったが、これが作品における数と音の対応のさせ方と関係があるのか、それとも偶然なのかは現在私が持っている情報では 判断できない。しかしながら、それが西欧の伝統のそれであれ、あるいはメシアンのそれのような個人的でありながらシステマティックな拡張であれ、 全く異なる伝統に属する雅楽のそれであれ、こうしたことを話題にできるためには、「音楽」が作曲者の主観的な感情なり感性の表現、「心から心へ」の、 ある「コミュニケーションモデル」のそれではない、形式・システムを備えた一連の「行為遂行」であることが要件となることに注意しよう。)

三輪さんが選択したアルゴリズムがもたらす時間発展の構造は、段のようなユニットが規則に従って変容しながら継起し、円環的に巡回して反復する、 それゆえ始まりもなく終りもない(どこを起点にとってもいい)ものだが、これは西欧(とはいえ古典派以降限定だが)のソナタ形式のように対比するユニットを 建築的に組み上げて弁証法的なプロセスを実現したり、大きなパネルのようなユニットをコントラストに留意しながら併置するような構造とは全く異質であり、 だから芥川作曲賞を受賞した管弦楽曲はラヴェルのそれに目配せしつつ「ボレロ」を僭称したものだったが、ここでは少なくとも巨視的には遥かに違和感無く 雅楽の持つ時間的な構造に馴染むように感じられた。

例えばソナタ形式の音楽がそうであるような別の場所に向かう旅ではなく、線的で終末論的な時間ではなく、何度でも反復されうる円環的な時間の把握の 伝統が、ここではまさに継続が反復であるアルゴリズムによって事後的に再構成されているのである。 恐らくは客席の多くを占めていたであろう、普段から雅楽か声明かのいずれかを聴くことに馴染んでいる方々にとって、そして何より演者にとって「算命楽」が どの程度「変」であったり「不自然」であったりするのかについてはガムランとは異なって雅楽については多少の文脈があるとはいうものの、私自身には 判断することができないが、様々な点で明らかに異質でありながら、あたかも過去、既に伝承が途絶え残ってはいないが、どこかに似たようなヴァリアントが あったかも知れないという感じを与える程度の自然さを私は感じずにはいられなかった。繰り返し演奏されることで「伝統」として定着しうるような「接木」に 成功しているという印象を受けたのである。繰り返しになるが、伝統的な「雅楽」そのものが少なくとも日本においては輸入品であり、「接木」の産物であることを 改めて確認せずにはいられない。

思えば雅楽においては、西欧の音楽なら作品の外にあるチューニングが「音取(ねとり)」として作品の中に取り込まれ (能なら開曲前のお調べがそれにあたるだろうか)、あるいは参入音声(まいりおんじょう)・退出音声(まかでおんじょう)のように、まさに儀礼の枠そのものを 音楽が担うこともあり、作品の境界のあり方がゆらいでいる。こうした「音楽」の「制度」の中に「逆シミュレーション音楽」という「制度」を置き、あるいはその一部を なすカバーストーリーを置いてみれば、三輪さんの試みは、一見したところ全く異質な発想に基づくものに見えながら、実際には見たより遥かに自然なものであり、 寧ろ相違は三輪さんの試みが極めて(現象学的な意味合いで、ただし現象学の対象としてではなく、主体としての意識、但し構成され、それ自体還元の 対象となる「私」ではない、現象学的還元の主体であるところの意識という意味で)意識的、(カント的な意味合いで)批判的に行われているという点に存するのである。

*   *   *

だが、初演に立ち会った総体的な印象ということになれば、私は躊躇なく、能なら「翁」を連想させるような儀礼性を非常に強く感じたことをまず挙げるだろう。 「翁」は能にあらずと言われ、非常に儀礼性が強い。実際に接すればすぐわかるが、それは作品というより豊饒を祈念する儀式に近く、演者に求められるのは 「間違えずに最後までやること」が第一であるようだ。とはいえ優れた演者による「翁」の持つ効果はまさに呪術的と呼ぶに相応しい、どんな能とも異なった独特で 非常に強い身体への働きかけを持つことを私は身をもって経験している。「算命楽」の日本初演に接して、私はこの作品が繰り返して上演されることによって 「翁」と同じような力を備えた作品となる可能性を垣間見たように感じたのである。初演にも関わらず、新作であるにも関わらず、あるいは「前人未踏」の試み であるにも関わらず感じられる「既視感」「既聴感」、一度目でなく既に何度目かの繰り返しである(実際、演者にとってはそうだったのだが)という感じ。或るはまた、 開始と終了にあたり、コンサートホールに相応しく(あるいはそれが雅楽鑑賞の「ルール」なのかも知れないが)拍手が起きたが、拍手は不要であるといった感じ。 (私は原則として能の上演では決して拍手はしない。勿論「翁」で拍手は論外である。)それはこれが端的に「奉納」であるという印象を受けたということなのだろう。 「奉納」を行うというのは、世界認識の構造を抽象化・象徴化して提示する(ただし聴衆に対してではない)こと、「奉納」に立ち会うというのは、そうして提示された 認識の様態を肯定的・同調的に(ホワイトヘッド的な意味合いで)「感受」することであり、そこには一般的な意味での個人の感情表現の介入する余地はない。 「超越性」というのはそうした条件下で可能になるのだ。

近年活発な「フォルマント兄弟」の活動においては、メディアの持つ「幽霊性」を取り扱うことが意図されながら、その実現については私個人としては違和感を 抱き続けてきた。今回、三輪さんの単独作である「算命楽」の演奏に接して感じたのは、「儀礼性」や「超越性」(もっともこの2つを「や」で結ぶことの妥当性に ついては慎重な検討が必要だろうが)が欠如しているが故に「フォルマント兄弟」の作品では「幽霊」が取り扱えないのでは、ということであった。 実は「フレディの墓/インターナショナル」についての感想において私は既にこの点について触れているのだが、それを改めて裏側から確認したようなものである。 あたかも三輪さんの作品が、あるいはその作品を支え、「逆シミュレーション音楽」の定義のようなかたちで定着された「音楽」についての豊饒なパースペクティブが それ自身、「フォルマント兄弟」の作品が今のところ抱えてしまっているかに見える限界を浮かび上がらせ、批判しているような感覚に囚われてしまうのである。

自動音声合成装置は過去ではなく、未来の「復元楽器」のようなもので、その奏法や、それが用いられる伝統は端的に今は存在していないのだ。 にも関わらず、その活動はあまりに安易に(まるで「雅楽」を利用して単純に「現代音楽」を作曲するように)「現在」(と呼ばれる、だが実は時間論的には 「過去化」の結果に過ぎない「存在」)に自閉しているのではなかろうか。それは「幽霊」を予め厄払いしているから、心霊写真や聖骸布のようなものとの 比較が可能になるのではないか。これもまた既に述べたことだが、幽霊を怪談に回収するプロセスを「お化け屋敷」によってなぞってしまうことで 「幽霊性」の括弧入れを(意図せずしてか、確信犯的にか)強化してしまっているのではないか。

あるいはまた、例えば呪文のような「翁」の詞を聴き取り、「意味」を理解しようとするだろうか。音声記号を表示したり、歌詞を表示したりして 「意味が判別できる音声合成」たろうとすることはどうなのか。人工音声合成技術に基づく模倣により「事後性」を仮構することに汲々とするのではなく、 せめて「音楽」の持つ「行為遂行性」について留意すべきではないのか(「Neo 都々逸」の成功の理由の少なくとも一つは恐らくそこにあるのだ)という疑問も浮かぶ。 例えば「翁」の謡の人工的な実現はより容易なのか。私は以前、「フレディーの墓」に関して「音」と「音楽」との間を問題にしたが、更に加えて「意味」と 「音」と「音楽」との間を問題にすべきなのだろう。だがこうした問題もまた、こうしたコンサートの感想とは別に、きちんと扱わねばなるまい。

勿論ここでは「幽霊」の意味が違う、そこでは「事後性」による仮構が問題なのだという反論がすぐに起きるだろうが、本当に「意味が違う」のだろうか。 それが単なるフェイク、出来の悪い贋作以上のものであるためには、「事後性」の仮構のみでは不十分では、あるいはもっと言えば、「音楽」において 「事後性」の仮構が成功するには、単なる「コピー」とは異なった何かが必要なのではないのか。フォルマント兄弟のうち一人は公的な助成プロジェクトにおいて、 自ら「音楽家兼メディアアーティスト兼メディア理論研究者」と規定しているわけだから、せめて、通りがかりの半可通のソフトウェア技術者にこうした疑問を 抱かせない程度の「理論」を提示して頂きたいものである。勿論、今が3月11日という日付を過ぎ越した後であることを踏まえて。

*   *   *

かくしてこの問題はもう一度最初の問題に、3月11日以降の問題に戻って行く。最初にこのコンサートの枠付けについて、冊子に追記がなされ、 あるいは作品の一部に改変が行なわれたことについて触れたが、実は三輪さんの作品について言えば、3月11日以後、追悼や慰霊を目的とし、 意図された追加や改変がなされているようには感じられなかった。それは最初に演奏された管弦、即ち「黄鐘調音取」「越天楽残楽三返」「西王楽 破」 についても言えることかも知れないが、震災から程なくして拝見した能「朝長」がそうであったように、ここでは表面的には何も変えずに同じことを繰り返すこと (ちなみにここでの「同じ」は、季節によって調子を「変える」という雅楽のしきたりに従うことも含んでいる)が「追悼」や「慰霊」となりうる、 ということを感じずにはいられなかった。

勿論このことはどんな作品にでも無条件に生じるわけではない。ここでは寧ろアドルノがかつて「アウシュビッツの後で詩作は可能か」と 問いをたてたこと、それに対してパウル・ツェランが実際の詩作自体によってそれが可能であることを示したことを想起しつつ、「3月11日の後で」は と問うべきなのかも知れない。震災後に音楽が必要かといった類の問いは、音楽が「儀礼性」を喪い、「超越」への契機を持たずに「娯楽」として 「消費」されているといった了解を前提としているということはないだろうか。創作と演奏と聴取の分離に抗すべく、集団作曲や集団演奏、 聴衆の参加を求める試みも数多く為されてきたが、聴取はそうまでしなくてはならないほど頽落し、毀損されてしまっているのだろうか。 そこには音楽についてのある予断が、例えばそれをメッセージの伝達としてのコミュニケーション過程に類比させて了解することにより、音楽を 矮小化した理解の中に閉じ込めるような暴力が働いているのではなかろうか。そうした予断の下、「音楽=メッセージ」の「内容」について議論され、 「意味」を外から付けなくてはならないかのような強迫が生じているかのようだ。まるで「音楽」の外に、更に祈りがなければ音楽が正当性を 喪ってしまうかのような強迫が。聴衆に参加を強制し、自分が用意したフレーム、それ自体が様々な文化的・宗教的・政治的コンテキストを孕んだ 儀礼にコンサートを予告もなしに変容させ、あるいは聴衆を「作品」に取り込み、服従させる暴力を行使しなければ、慰霊も追悼も不可能であるかの如き強迫が。 そのようにして「作品」の上演を正当化しなくてはいけないのか。それが「3月11日の後」に対する唯一可能な応答なのだろうか。それならばいっそのこと 「コンサート」でなく、端的に「慰霊式」「追悼式」と何故しないのか。コンサートホールでの「凱旋公演」に立ち会うべく、コンサートホールに入場するための チケットの費用は一体何のために用いられたのか。これもまた一種の「エシカル消費」というわけか。

こうしたことに今、ここできちんとした検討を加え、結論を出すだけの時間的余裕も能力も私にはないことを認めざるを得ない。そのかわりに一言だけ、 誤解のないように念のため書いておくが、私は「追悼」「慰霊」という意図に疑問を呈しているわけでもないし、コンサートの場において企画側、 作曲者、演奏者がそうした意図を表明し、聴き手に呼びかけること自体を拒絶しているわけではない。些か乱暴な言い方を敢えてすれば (そうでないとうまく伝わらないことがままあるので)、善意を、良心を感じないわけではないのだし、そもそも私は「3月11日」のことを考えつつ、 このコンサートが「追悼」「慰霊」たりうるだろう「からこそ」、会場に 足を運ぶ判断をしたと言っても過言ではないのだ。少なからぬコンサートにおいて「追悼」「慰霊」のためにプログラム変更が行なわれ、そのための曲が演奏されて いることは頻繁に耳にするが、そうした態度表明同様、企画者や木戸さんの意図は紛うべくもなく、率直に、ここでもそうした態度表明が為されたことに 敬意を表したいと思う。

だがその一方で、だからといってそうした点に一見何も触れなかった三輪さんが、三輪さんの作品がその点においてより劣るという判断をする人がもしいれば、 そうした判断に対して断固として異議を申し立てるだろう。「算命楽」が例えばドイツでどのように評価され、あるいはこのコンサートを経て日本でどのように 評価されているか詳らかにしないが(調べようと思えばできるのだろうが、率直に言えば私には今、それをするだけの時間がない)、私は「算命楽」が 再演され、定着することを強く願わずにはいられない非常に優れた作品であると感じたし、三輪さんのこれまでの作品の中でも際立った鮮烈さを感じる 作品であると思っている。勿論、3月11日以降の文脈で、否、寧ろ、そこでこそ、なお一層。「算命楽」の初演に立ち会うことができたことは、能「朝長」の 上演に立ち会うことが出来たことと並んで、私にとってはかけがえのない経験であった。

もう一つだけ目配せをするならば、三輪さんが「中部電力芸術宣言」を3月13日に公表したこと、このコンサートに先立つ6月16日の東京藝術大学における特別講義に おける三輪さんの発言(これについては別に感想をまとめる予定なので、ここでは詳述を控える。講義の記録はストリーミングで視聴可能なので、直接参照されたい。)、 そして三輪さんには「言葉の影、またはアレルヤ」のような作品があるということを指摘しておきたい。一見したところ三輪さんの作品系列のなかでは、ここでの 文脈に対して接点が少ないと思われるかもしれないし、実際、3月11日より前に書かれた「算命楽」と関連づけようと意図しているわけでもない。 そうではなくて決定的な「出来事」の後で「音楽」が可能か、それはどのようなものでありうるかについての問いかけの記録として、上述のパウル・ツェランの 詩作に相当するものとして、思い浮かんだが故、ここで言及することにしたのである。

ともあれ少なくとも今、この場で私にできることは感じたことをそのまま書き残すことでしかない。私は音楽家でもなければ美学者でもないし、 メディア論研究者でも音楽評論家でもない。美一般、現代音楽一般、メディアアート一般、雅楽一般などについては私の能くするところではないし、 そのことについてどうしようとも思わない。仮に何かを思ったところで時間や能力の制約から、どうすることもできないのはわかりきっている。 私は私なりのやり方でコミットメントをしていくしかないし、間接的ではあるけれど、チケットを購入してコンサートに赴くのみならず、こうした感想を書き付けて 公開するのみならず、もっと別の仕方、私が自分にできる範囲で最善と考える仕方でこのコンサートを囲繞する状況にコミットメントをしたことを申し添えておきたい。

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欄外に。大急ぎで。時間の制約を受けて。

1.もう一度「電力芸術」について。「算命楽」が「電力芸術」なのは、一つには「逆シミュレーション音楽」と同様、創作のプロセスでコンピュータが用いられたということもあるし、 もう一つには、Webでも確認できる3Dアニメーション画像によって振り付けが行われ、舞人に伝達されたということもある。記譜法のシステムや 型付けの伝承のシステムは「音楽」や「舞」の継承の単なる補助ではない。それらが作品がどのように伝承されるかを決めてしまうし、 伝承が途絶えた際にはそれらのシステムが取り扱いうる要素を手がかりに復元するしかなく、事実上、復元されたものを規定してしまう。更に、コンサートという イベントが事実上、電力なしに維持できないことは否定すべくもない。それ自体は電力とは無縁のもので、少なくともかつてはあった筈の雅楽もまた、 現代においてはその拠点を電力を莫大に消費するコンサートホールに置かざるを得ない。勿論そうしたことを批難する意図は全くない。そうではなくて、 一見したところ電力とは無縁に見える伝統もまた、電力にどうしようもなく依存した生活の一部なのだということを再度確認すべきだと感じているに過ぎない。 そうであってみれば寧ろ、「中部電力芸術宣言」こそ「慰霊」に、「追悼」のためのパンフレットに相応しかったのではないかと私には思えてならないのだ。

2.もう一つの「事後性」について。こうして私は1週間遅れて、ようやく演奏に接した感想を文章に定着させようとしている。勿論、私の場合、遅れの原因は準備でも 熟成でもなく、単なる中断、延期だ。ところで1週間後には既に印象の想起でしかあり得ない。(だが厳密には、聴いた直後ですらそう言わざるを 得ないのだろうが。)ところで想起とは再構成に過ぎず、再構成とは事後性に基づく構成に過ぎない。勿論この場合には時間的にも権利的にも 先行する原体験があるように私自身には見える。だがそれは何時始まり、何時終わったのか、ある一定の時間、コンサートホールの座席に座り音楽を聴いているその 間は権利上、稠密にそうであると言い得るのか。それが消費なら、消費は何時終わるのか。それが慰霊なら、慰霊は何時終わるのか。「3月11日以降」が いつ終わるというのだろうか。コンサートホールを出れば「追悼」はおしまいなのか。否、否。そんなことはあり得ない。それは続いている。それは終わらないだろう。 (…)(2011.6.26未定稿のまま公開、30加筆, 7.4誤記修正・加筆)

2011年5月1日日曜日

「フォルマント兄弟の”お化け屋敷”」再考:シンポジウム「メディアアートにおける音楽とはなにか」および「プレゼンテーション道場」報告書を受けて

「みえないちから」
Vibrations of Entities
2010年10月30日~2011年2月27日:NTTインターコミュニケーションセンター[ICC]ギャラリーA

シンポジウム「メディア・アートにおける音楽とはなにか」
The Definition of Music in Media Art
2011年2月25日 19時00分~20時30分:NTTインターコミュニケーションセンター[ICC]4階 特設会場
出演者:三輪眞弘(フォルマント兄弟),吉岡洋,佐々木敦,畠中実(司会)

メディア・アートにおける"音楽"の現在
フォルマント兄弟のプレゼンテーション道場
主宰:フォルマント兄弟(三輪眞弘、佐近田展康),アドバイザー:吉岡洋,選考委員:畠中実,佐々木敦,椹木野衣
(平成22年度文化庁メディア芸術人材育成支援事業)

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シンポジウム「メディア・アートにおける音楽とはなにか」が開催されることは「みえないちから」展を訪れたときに知った。別のところに記録を 残してあるとおり、「フォルマント兄弟の”お化け屋敷”」の経験が自分にとっては印象の良くないものであったという経緯はありはしたものの、 そこで「音楽」が問題にされるらしいと聞いて、時間の調整がつく限りこのイベントには参加しようと考えていた。ここでいう「参加する」というのは 会場に足を運び、時と場所とを共有する観察者になるということを概ね意味している。だが実際には後に述べる事情もあり参加はできず、 ライブストリーミングやファイルダウンロードといった形態でその模様を記録したものによって内容を知ることができるようになった。 (もっとも、ICCでのイベントについてはこれまでの経験から、Webでのライブストリーミングや録画の公開が行われることは想定していたのだが。)

それとほぼ時を同じくして、シンポジウム「メディア・アートにおける音楽とはなにか」をその一部とする文化庁助成のプロジェクト 「メディア・アートにおける"音楽"の現在 フォルマント兄弟のプレゼンテーション道場」の報告も公開され、シンポジウムの状況も含めて、 その場にいなかった人間にとっても情報を入手できるようになった。以下はこれら2つの媒体にあたっての印象であるとともに、 「フォルマント兄弟の”お化け屋敷”」についての再考(というより未だそれへの宣言に過ぎないものでしかないが)を含んでいる。

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実は私は、「フォルマント兄弟の”お化け屋敷”」もまた、シンポジウムがそうされたように、ライブストリーミングなりダウンロード可能な コンテンツとして提供されても構わないのではといったことを感想として書いている。ちょうど一連のフォルマント兄弟の活動の出発点となった 「フレディの墓/インターナショナル」がそうであったように。端的に、なぜ「お化け屋敷」だけ、「幽霊」の出現に立ち会うために会場に 足を運び、一方的に時間を指定されて整理券を持たされ、自分の時間を半ば強制的に差し押さえられる必要性があるのかについて 納得が行かなかったのである。それゆえこのシンポジウムの記録に関して、その幽霊性をどのように推し量るよう求められているのかについて 私は意識せざるをえなかった。「フォルマント兄弟の”お化け屋敷”」がそうであるならば(実際には、シンポジウムのためにフォルマント兄弟に よって用意されたテキストによれば、カテゴリー・エラーは確信犯であったとのことなので、そうでもなかったのかも知れないが)、シンポジウム それ自体もまた「マルチメディア」作品ではないといいうる根拠はどこにあるのか。こちらは「幽霊」の「幽霊」で代補しうるものなのか。

「フォルマント兄弟の”お化け屋敷”」、予め撮影済みの映像と音声、つまりフォルマント兄弟によれば「幽霊」を再生する(そう、不意打ちは なく定められた時間に予定された通りに「幽霊」との邂逅がスケジュールされる)「作品」が、だがその場への立会いを要求したのに対し、 シンポジウムについては状況が異なるのか。だとしたら、その違いは一体どこにあるのか。皮肉にもこの比較においては、シンポジウムの方が 出来事の一回性を帯びていて、それゆえにそれを記録し、繰り返し再生可能にする「価値」を帯びているかにすら見える。実演が常に・ 既に消去されている複製芸術なのは寧ろ「フォルマント兄弟の”お化け屋敷”」の方であるのに、というわけだ。Neo都々逸の「実演」、 センダイドドンパ節の「実演」とはそもそも最初から水準がずれているのだ。例えばサントリーホールでのコンサートにおいて、 「フォルマント兄弟の”お化け屋敷”」のように予め撮影済みの映像と音声を上演することはどうなのか(多分、普通の「音楽」の 「ムラ」ではそれはコード違反になるのだろう)。それがマルチメディアの牙城たるICCの展示では許容されたとして、ではそのことが 「フォルマント兄弟の”お化け屋敷”」が提起する問題に対してどういう意義を持つのか、私には判然としないのだ。

だが、シンポジウムと「フォルマント兄弟の”お化け屋敷”」との比較に限定するならば、そもそも「作品性」の差異は明白ではないか、と 一般には言われもするだろうし、実を言えば私自身の基準でもあえて比較をすればそうなることを認めるのに吝かではないのだけれど、 それでも尚、2つの点でそうした基準の適用を少なくとも一旦は遮断することが求められていると私には感じられる。 即ち、一つには「フォルマント兄弟のプレゼンテーション道場」において実際に選出された作品のうち少なくとも1つは、そうした「作品性」への 予断を許さないものであったこと、もう一つには、既に触れたように、シンポジウムに先立ち準備されたフォルマント兄弟によるテキストによれば、 「フォルマント兄弟の”お化け屋敷”」もまた、カテゴリーエラーを起こすことを懼れずに、「もはや「作品」とは呼べないかもしれない「何か」を 展覧会という場で表現してみようと考え」て作成されたという経緯を持っているからである。そうであってみれば、ここで対象とする2つの「メディア」、 つまりプロジェクトの報告書とシンポジウムの録画によって可能になる「経験」もまた、読解でもなく、鑑賞でもなく、「装置の体験」という表現と して受容するべきではないか、少なくとも一度は問わなければ一貫性を欠くことになろう、というわけなのだ。

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更に、私が今、ここで、遅ればせながら、別の場所にあってかつて起きたことに向き合うときに、3月11日の震災の経験が視界を大きく遮り、 変化させていることに留意したい。シンポジウムも展示会も、プロジェクトも3月11日に先行していて、報告書や録画の地平ではそれは起きていない。 だが私は、「フォルマント兄弟の”お化け屋敷”」を3月11日より前に経験し、記録して後、報告書や録画に向き合ったときには3月11日を 境に変わってしまった風景の中で、それらに相対していることを意識せざるを得ない。更には、これらより先にコメントをまとめた三輪さんの 「中部電力芸術宣言」を私は知っていることにも留意しておきたい。こうして書きながら私は、非可逆な相転移のあちらとこちらとの遠隔の通信を しているような感覚から逃れられない。

シンポジウムで三輪さんは、フォルマント兄弟にとっては映像やスピーカーのあちらは「あの世」なのだと述べている。その顰に倣うなら、「あの世」で三輪さんが そう言っていることを私は今、ここで知る。私はそれを実感として受け止めている一方で、「フォルマント兄弟の”お化け屋敷”」の体験を再吟味しつつ、 今一度、あの時スクリーンの向こう側(それもまた既にあの時点で「あの世」であった筈だ)からの呼びかけはどうだったろうかと考えている。その傍らで、 その後にまたもや遠くから届いた「永遠につづくことになっている電力供給と科学技術の進化を前提にして視聴覚装置と無邪気に戯れ続けていく以外に、 他のどんな可能性も見えてこない」という言葉(フェアであるためにここで、私は実は、シンポジウムの場に「現前」していなかったにも関わらず、事前に遠くから この言葉を受け取ったということを、従って3月11日の前と後と、この言葉には2度出会っていることを証言しよう。)の方は、一体どの世からの声だったの だろうとも思う。私はそれ以前にこの言葉に答えることができないまま、3月11日を迎え、ここでは詳しくは書かない理由で、その後も答えることを断念し、 そして今、こうしてそれに遥かに遅れて答えようとしている。この答えもまた「幽霊」の声でしかありえないのだ、と感じつつ。あるいは答えの一時的な断念、 延期もまた、行為遂行的な答であることを認めつつ。

*   *   *

率直に先に言ってしまおう。私のメディアに対する認識は3月11日からの1ヶ月の経験(その内容はここでは書かないが)で変わってしまい、 それに応じてパースペクティブも変容した。比喩ではなく、自分の中に形成されてきた適応地形がある断面でずれ、その結果として地すべりを起こし、罅割れ、 姿を変えた。その最大のものは、非常に平凡ではあるが、私はアーティストではないことの再認である。「メディア」に対しては対象を共有しているが、 「アート」に関しては私は「ムラ」の住人ではない。従って「ムラ」での出来事は殊更自分がコミットしようとしなければ、事実上何の影響も私は受けないのだ。 電力が絶たれた結果、メディアアートが不可能になっても、残念ながらそのことは私にとって切実な問題ではありえないのだということを思い知らされたのだ。 水につかって動かなくなったコンピュータ、不足する食料、電力供給の不安定さに怯えつつ、それゆえクリティカルな情報のやりとりが優先されるネットワーク。 そうした現実の只中で見る3月11日以前に記録された映像は、まるで「エデンの園」での出来事、現実に最早場を持ち得ない「幽霊」としてのユートピアでの 出来事の記録のようではないか。「永遠につづくことになっている電力供給と科学技術の進化を前提にして視聴覚装置と無邪気に戯れ続けていく以外に、 他のどんな可能性も見えてこない」という言葉は、まるで非現実の、仮構されたストーリーである「夢」の中で語られたかのようではないか。

ならば沈黙すれば良い、という声が私の内なる部屋に響き渡る。お前がいる場所はそこにはないのだから、立ち去るべきなのだ。お前は別の「ムラ」の 住人ではないか。否、そうであったとして、例えば「中部電力芸術宣言」は、こうした反応が押し売りと見做されることを承知の上で尚、自分の中に 他人事では済ませられないパースペクティブの重なりを認識させ、沈黙して通り過ぎることができなかった。寧ろこの変わり果てた地形の展望の下で、 「フォルマント兄弟の”お化け屋敷”」において意図され、提起されていることを認識しつつ、混乱(と私には映ったもの)のためにかえって隠蔽されて しまったかに見えたものを再考すべきではと感じられたのだ。だから以下のコメントは、いつか後でもう一度「フォルマント兄弟の”お化け屋敷”」に 辿り着くことを企図して書かれたものである。ただし辿り着いたそれは、3月11日以前に展示されたものと同じではないだろう。ありえたかもしれない 「お化け屋敷」、未だ現前したことのないそれに向けたものであることを確認しておきたい。

間接的に、幽霊的に、シンポジウムでの一部の紹介を更に録画記録というメディアを介して知りえた限りではあるけれど、選考委員が選んだ 「作品」について感じたことを以下に記しておくのも、従って、「フォルマント兄弟の”お化け屋敷”」という作品ならぬ何かを再考するにあたり、 手がかりになると思われたからに他ならない。「メディア」がそうであり、「アート」がそうであり、「メディアアート」がそうであるように、「幽霊」もまた、 それを主題的にシンポジウムが取り上げたわけではないが、そしてその場においてさえ使う人、受け止める人の文脈でその内包も外延もまちまちであったようだが、 一つだけ確かなことは「幽霊」ではないものはもしかしたら既にいないかも知れないと言い得る程に「幽霊」が跳梁跋扈していることだろう。 (だが曖昧なままにはすまい。「幽霊」ということばは多分「意識」ということばと同様、「スーツケース」のようなことばなのだろうが、それならば直ちに スーツケースの中身を取り出しつつ、問題を置き換えていくべきなのだろう。もし「われわれが皆幽霊なのだ」としたら、それは「何時から」なのか? 「われわれ」とは一体誰のことなのか?何によって「幽霊」であるのか?「幽霊」でなくなることは有り得るのか?etc.あるいはまた、「メディア」という ことばについてもまた同様に。)

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(1)Potential of a computer as an instrumentに対する「「装置を使った」表現にも真っ向から取り組んでいる」、 「内側と外側がひっくりかえったような」という評言は非常に的確であると私にも思われる。 だが、そこで起きていることは、例えばプリペアド・ピアノ等の特殊奏法、楽器によるミュージック・コンクレートと対比してどうなのか。 あるいは楽器を破壊するパフォーマンスがかつてあったが、それと比べてみたらどうなのか。 楽器がコンピュータに変わっただけで批評性の形式的構造は同じであろう。出てくる音響は素材に応じて勿論異なるが、 起きていることに対する反応は大筋では同じである。勿論、技術的細部の差異に由来する差異を看過すべきではないが、 実現された結果を受け止めるだけの人の中には既視感を感じてしまう人がいるのではないだろうか。既聴感のもう一つの理由は、 これまた実現された結果としての「音響」にあるだろう。「装置を使った」表現に真っ向から取り組んでいる一方で、「音楽」への 取り組みの方はどうなのか。(もう一度ラッヘンマンを思い起こそう。あるいは手法は異なるが、結果として伝統的な音楽の構造とは 異なるものを提示することができているクセナキスや三輪眞弘の試みを思い起こそう。)この作品では演奏手順が事前に記譜された ものを「演奏」したとのことだが、事前に記譜されているかどうかは、評価のポイントである「内側と外側がひっくりかえったような」 装置を使った」表現という点からすれば、恐らく副次的な問題に過ぎないし、それは「作曲者=奏者」という条件下での伝統的な 楽器奏法を異化した作品の場合であっても(否、そうでない場合であっても)構造的には同じである。結局のところそれは事前に演奏に用いる楽器を調べた上で 構想をあたため、しかる後に楽器を用いて即興演奏する人間の振る舞いとどこが一体違うのか。私がそこに見出すのは、 最新の(?)メディアに対する人間の反応様式の変わり映えのしない単純さの方なのだが。「コンピュータが正しい状態で音を発して音楽を 作るという了解を超えている」という三輪さんの評言もまた、正しいだろうが、実はそれ以外の部分については見事なまでに「音楽作品」の カテゴリーに従順ではなかろうか。この作品の批評性は結局のところMax/MSPやSuperColliderのユーザーという範囲を超えることはなく、 その外から眺めれば、「音楽作品」が「メディア」に関わることでどのように変容するかといった問題点の遥か手前をしか照らし出さないかに見える。

(2)アンケート・アートを最近流行りのメディアであるTwitterに適用した「作品」は、日本語の品詞を音高に写像する等の 事前に定義された変換に基づき、入力された文字列をリアルタイムに「音楽」として「上演」するもの。ここでは単なる「組織された 音響」と「音楽」を区別するのは恐らくは変換規則で、しかも変換規則があることは条件ではなく前提に過ぎず、「音楽」はまだ先にあると 言うべきだろう。ある規則に基づいて発生するイベントを音響を組織化する規則に変換するという枠組みを用いた試みは 色々とあるだろうが、当然ここでの文脈では、やはり自然言語を音の組織に変換するという媒体の共通性も含めて、 三輪さんのSendMailが容易に想起される。メールを送る行為と「音の組織」の因果関係ははっきりしているが、目的論的にも同じものであるかどうか、 つまり作者が「音の組織」の素材として日本語の文字列を用いているのか、それともメール送付の「副作用」なのかについては (それを作品自体から判別できるかという判定問題自体、興味深いものだが)実はこれが「プレゼンテーション道場」への応募作であるという状況が フレームないし現象学的な意味での地平として決定している部分が大きいと私には感じられる。作者の存在と、作品の存在は保証済みというわけだ。 (これは後述する3つ目の「ワラウドン」の場合には更にエスカレートするかに見える。)

だが、選考の理由は実際には、これが「ムラ」の外の人間に対してもアピールする「ポップな」作品であるという点にあったらしい。 要するに作者の意図はともかく、そしてこれが別の状況下においても「作品」として通用するだろうということで、残念ながらそれが 何によるものなのかについての具体的な説明はなかったが、結果として得られる「音響の構成」が持つ効果が多少なりとも 評価に含まれている点が寧ろ異彩を放っているように感じられ、逆にこの場がおかれた状況の異様さが印象づけられるような気がした。

更にもう一点。プレゼンテーション自体が秀逸であったというコメントもあって、こちらは他の場所でもしばしば起きる、評価対象の逆転の問題に通じる。 例えばそれが研究なら、その価値は第一義的にはプレゼンテーションの巧拙により判断されるべきではない。だがここ(その名もずばり「プレゼンテーション」道場)では もしかしたら「作品」と「作品のプレゼンテーション」の境界はそれほど自明ではないのかも知れない。

例えば、価値の問題をおけば「プレゼンテーション」に終始する「メディアアート」なら容易に想像できる一方、 「プレゼンテーション」という側面を捨象した「メディアアート」は不可能なのだろうか。少なくとも限られた時間内で、定められた会場での「プレゼンテーション」が 困難な「作品」というのは有り得るだろう。そのとき評価されるのは、そうした困難を克服する「プレゼンテーション」の技術なのか、「作品」そのものなのか、 一体どちらなのだろうか。更にこれを伝統的な「作品」と「演奏」と対比させたら、この作品の選考理由はどのように位置づけられるだろうか(本当にここでは 「演奏」が不在と言えるだろうか)。そしてその選考基準において「メディア」はどう機能しているだろうか。

いずれにしても、少なくともこの作品は「プレゼンテーション」と「作品」との距離が大きくない(それどころか、ほとんど一致する)性質を有しているのは 間違いないだろうし、それが評価に繋がったことは確かだろう。しかもその距離の近さを媒介するのが、まさにここで選択された「メディア」とその 「メディア」の使い方における共通性の大きさにあることに留意したいのである。(「プレゼンテーション道場」の枠内の作品を比較の対象にしているのでは 大同小異になってしまうかも知れないので、「アート」の外に極端な対比例を求めれば、ここで「作品」に相当するものがリーマン予想の証明であるといったケースを 思い浮かべていただければよいだろう。ここでは「メディア」の使い方は、証明に対して基本的には無関係な筈だ。まあ四色問題みたいに「メディア」依存の 証明も最近はあるが、それでも「メディア」の使い方の共通性を「プレゼンテーション」に求めるのは一般には不可能だろう。)勿論このことは「作品」の価値とは 原理的には独立の問題と私は考えているが、評価にあたって実際にそれを分離するのはほとんど不可能であろう。注意すべきはここでいう近さは、 必ずしもプレゼンテーションの巧さやそつの無さを保証するものではないことで、逆にその近さを利用して、プレゼンテーションに意図的に不具合を仕込んでおくことや、 利用したわけではなくでも結果的に不具合がおきてしまい、だがそのことによって図らずも却って「作品」の本質が提示されるといった事態すら考えられる。

しかし「作品」のいわば「設計」にあたる、ある空間から音響の空間への変換部分の 評価はどのようにしてなされたのだろうか。一般論として、アルゴリズミックな手法の場合、伝統的な作曲技法(ここには例えば十二音技法も含めて差し支えない)と同様、 方法が質を担保することは無いと私は考えているが、ここでは状況は更に悪く、方法自体が質の担保を困難にしているように私には思えてならない。 私自身は、こうした手法を前提とする以上、結果として得られる音響に対しては懐疑的であり、しかもその音響の質についてある一定以上のものが 約束されないのだとしたら、「パフォーマンス」としての面白さが仮にあっても、「プレゼンテーション」が秀逸でも、作曲技法や「音楽作品」として 高く評価することはできないのではないかと思うのだが。結果として得られる「音響の構成」が持つ効果が評価に含まれていると上では書いたが、 こうして考えれば、その評価は結局のところ「プレゼンテーション」の評価に過ぎないのではないかという疑念につながり、「作品」と「作品のプレゼンテーション」の 境界、区別の問題に戻ってくることになる。一体(もし、ここにあるとすればだが)「音楽」はどこにあるのか。

そしてもう一度、「作品」と「作品のプレゼンテーション」の境界の問題がどう決着するにしても、ここで「音楽」としての「質」を決定するファクターは (運を天に任せるのでなければ)結局のところ手法そのものにあって、またしても「メディア」自体とは権利上は独立ではないだろうか。 もしそうだとしたら、このことは「メディアアート」としてのこの作品の評価にあたってどう考慮されるのだろうか。いや結果としての音響の質などどうでもいいのだ、 ということなのかも知れない。だがもしそうだとしたらそここそが「音楽」とは何か、「メディアアートにおける音楽とはなにか」を定義するポイントであると私には思えるのだが、 何故かこうした点については言及も議論もなされないようだ。もしかしたら私のような外部の人間に不可解なこうした点は、 「メディアアート」の世界では自明のことなのだろうか。それならそれでも結構だが、だとしたら今度はシンポジウムのタイトルである筈の 「メディアアートにおける音楽とはなにか」など、擬似問題に過ぎないことにはならないか?

(3)「装置」すら前提としない「メディアアート」という三輪眞弘さんのコメントが示すとおり、「ワラウドン」は一見したところ 「メディアアート」でも「音楽」でもない。わらびもちを賞味できることが作品を評価する際の重要な要件であるとするならば、 メディアを議論していながら、味覚や嗅覚のテレコミュニケーションと「実演」の関係を俎上に上げないのは不可解という他ない。 三輪さんはこの作品だけは選ばれないだろうと思ったとのことだが、皮肉にもその三輪さんだけが色々な意味で、 この作品を単なる「アート」ではなく、「メディアアート」と捉える立場にあるかのようだ。(実演を重視すること、メディアを 単なる装置として捉えるではなく、人間が埋め込まれた環境として、更には人間も含めたシステムとして捉えることに ついて一貫した態度表明をしているのは三輪さんだけなので。)序に言えば、 報告書によれば、選者は自ら「これはメディアアートではない」と述べているらしいが、だとしたら、フォルマント兄弟が このプロジェクトの背景にある問題意識の一つであるとした「メディアアート」の選考基準の問題に対して、 この選考がどのように位置づけられるのか、説明が欲しいところでもある。

もちろんこれに対し、ジャンルの境界を問うようなメタレベルの問題提起を孕む作品を評価するといった類の説明によって 済ますことは許されない。まずもってそうした立場は殊更「メディアアート」に限定されるものではないし、 報告やシンポジウムの論調からすれば、寧ろ「メディアアート」ではより一層、そうした立場は、寧ろ前提でしかなく、 だから結果を評価する基準にはなり得ないであろうから。言ってみれば 選考の際の足きりの基準にはなりえても、何を評価するかの基準にはなりえず、現実的な効用(売れるかどうかと おいしかどうかは、効用の観点からは極めて密接な関係にあるだろう)やら、その場限りの「面白さ」以外の何が あるのかは私には自明には見えない。

翻ってこのことは、「メディアアート」においてはやはり賭け金は「アート」の側にしか ないということを端的に物語るかのようだ。本当に(アートとしてのコンセプトや三輪さんのカバーストーリーの「夢」の ようなフィクションとしての設定でなく)わらびもちを広めることが上位にあるような活動が「アート」としてより優れているものと 評価されるのであれば、そこに賭けられた美学的・価値論的な賭け金は莫大なものではないのだろうか。 シンポジウムでの発言は、「こんなの驚くことでもなんでもないよ」といった感じである意味では余裕たっぷりに議論が 進んでいたが、それを見て、私はやはりそこに何とはなしの暗黙の「ムラ」の掟があるのでは、という感覚を拭いさることができない。 この論理の行き着く先は、「プレゼンテーション道場」への応募作「だから」、「メディアアート」である、というのを 無差別に保証する場が「メディアアート」であるという、些か極端な規定ではないのか。勿論、私にとっては他所事なので それで当事者がよければ最終的には別にどっちでもいいと言わざるを得ないのだが、一般にはこれは相当無責任な 状況、それこそ最終審級において仮象性を支えにできる(いや、意地悪く「逃避できる」と決め付けてみせるべきだろうか) 「アート」という場でなければ許されないような状況と見做されるのではなかろうか。 (3月11日後にこれを書いている私は、ふと原子炉から放出される放射線量の評価をめぐる議論を思い浮かべずには いられなかった。わらびもちはおいしかったらしいし、無害だから別に構わないということなのだろうか、とも感じた。 パフォーマンスのいわば「幽霊」を見ただけのおまえには味はわからないだろう、という点が実はポイントなのかとも思った。 だがそれを認めたとして、ではここで「メディア」は一体「作品」としてのパフォーマンスを「アート」として成立させるについて どのように機能しているのか、それがどのように評価される価値のシステムに基づいて選考が行われているのか、 やはり私にはわからない。)

否、もしそれがわらびもちを広めることが上位にあるような活動であるならば、端的にそれの価値の評価尺度は 「アート」の外にある筈である。わらびもち普及への貢献度を評価する基準はマーケティングの分野で幾らでも 設定可能であろう。それならそれできちんと数値目標を示し、それに対する達成の度合いを示して頂きたいものである。 営利企業における業績評価で普通に行なわれている程度の評価を最低限して頂いて、その上で「アート」との関係を 幾らでも問えばいいのだ。勿論、プレゼンテーションも、営業成績の報告として最低限必要な程度の体裁は整えて 頂かなくては「本来の活動」に差し支えるだろう。まあ「アート」もまた「商品」であろうし、そこでの価値がもしかしたら 「上位目標」に貢献するかも知れないので、「アート」の中での評価が全く無意味だとは言うまい。だが、本当に 普及が目的なら、「プレゼンテーション道場」にエントリするより他に、もっと有効な普及のための活動がありそうなものだが、 如何なものであろうか。審査する側も、上位目標がわかっているならそれなりの対応をすべきではないのか。 もしかしたらまだ誤解している人がいるといけないので念のために断っておくが、私はこれをイロニーとして書いている わけでも、注文に応じたフィクションとしての対応をしているのでもなく、本当に「アート」の「外側」から、かなりの怒りの気持ちを もってこの段落を書いているのだ。何度も言うが、私の今、ここは3月11日以降の世界である。品がない言い方で申し訳ないが、 率直に言えば「いい加減にして欲しい」というのが正直な気持ちである。3月11日以降の1ヶ月間、こうした文章を書く時間を 惜しんで取り組んだ事柄に賭けて、その取り組みの向こう側で、私など比較にならぬほどの価値ある仕事をした 人達のことを思いつつ、これを書いているのだ。だが、こうした発言を「幽霊」に向けても詮方ないことでもあるし、以下では ここでの本来の文脈に戻ることにしよう。

そして最後に、私は「音」がそこにあったのは否定しないが、端的に「音楽」は不在としか受け止められなかった。 美術評論家が選ぶのだからという理由づけは本末転倒で、それなら美術評論家を選考者に選ぶことの是非が 問題になるわけで、一体「音楽」の不在が意図されたことなのか、それとも意図を裏切る結果として受容すべきことなのか、 外から見ている私には判然としない。

要するに、報告書で三輪さんが書いているように、「「音楽」の意味がほぼ喪失し、いわゆるパフォーマンス作品、すなわち 何らかの形で構成された時間的持続のことを音楽と呼ぶことに応募者も選考委員も一様に同意していた」ということなのだろう。 続けて三輪さんがそう書いているように、「メディア・アートにおける"音楽"の現在」というテーマにも関わらず、音楽は既に不在で あって、メディアアートにおける音楽の定義ではなく、メディアアートそのものの定義が問題であって、問われているのは寧ろ 「装置」とは何かということなのだろう。「装置」を「装置」の組み合わせである「システム」に置換して敷衍する議論の道筋も、 その中に人間そのものが含まれるという視点も違和感のないものであるけれど、私としてはその上でもう一度「音楽」が三輪さんの 中でどうなったのかを聞いてみたいように感じられる。

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メディアアートの定義にあって、「装置」とは、「メディア」とは何かが問題視されるという議論は、佐近田さんが「ポイント」として あげている<目的>と<手段>の転倒にうまく接続できるように見えるが、不思議なことに 佐近田さんの議論は「あらゆるものを機械に乗せる」その機械の「何」であるかにいかず、そうした欲望そのものをどう表現し、 どう対峙するかにずれてしまう。以下、上記のコメントを含む段落末までの佐近田さんの文章の論理の飛躍は私の理解を 超える(率直に言えば支離滅裂としか感じられない)ので、ここで対象とすることはしない。一言だけ付言すれば、そうした欲望は 「時代に共有されたもの」であり「自己に取り憑いた欲望」でもあると佐近田さんは述べるが、「あらゆるものを機械に乗せる」ことが 「時代に共有されたもの」というのは佐近田さんの議論の前提にある仮説に過ぎないし、そこでの自己が(独我論に纏わる レトリックよろしく)佐近田さんをはじめとする「メディアアート」のムラの外部にまで一般化できるかどうかは必ずしも自明ではなかろう。 それが「あなた」だけの、「あなたたち」だけの欲望ならば、その論理は「ムラ」の内部でしか有効ではないのだ。それでいて 「機械」の何であるかは未定義のまま放置されているわけだから、これは検証不可能という他ない。結局のところ一体、研究対象と 自己規定されている「メディアアートにおける機械の存在論」がどこにあるのか、と私としてはまたしても途方に暮れざるを得なかった。 それにしても主催者であるフォルマント兄弟の一方が、「音楽」をかくもあっさりと手放すのは驚きという他なく、これでは 「音楽」と「音響」の差異について、「デジタル・ミュージック」における6つのパースペクティブであそこまで無頓着なのも仕方ないという気がする。

結局、「メディアアートにおける”音楽”の現在」というこのプロジェクト=事業のタイトルに掲げられた主題に対してはどうだったのか。 あるいはまたシンポジウムのタイトルである「メディアアートのおける音楽とはなにか」、更には英文タイトルには含まれる"definition"はどうだったのか。 私がこのプロジェクトの審査官であれば、当然この質問をするであろう。それに対する(仮でもいい、複数意見併記でもいいのだが)回答は シンポジウムでも、報告書でも明確には与えられていないように感じる。「メディアアートにおける”音楽”の現在」が実は不在であることを、 音楽はここでは「幽霊」であることを、選考された作品によって、議論のなりゆきによって問わず語りに提示したということなのだろうか。 別に苦言を呈する訳ではないけれど、私自身、ある省庁の外郭団体が助成する研究開発に携わり、丁度シンポジウムの日が審査の日で あった偶然もあり、自分に求められたものと比較して彼我の違いの大きさに釈然としないものを感じてしまう。もっともこの事業の最大の目的は、 (そう謳われているからには少なくとも文化庁側においては)メディア芸術人材育成の支援にあったわけで、この点については吉岡さんが周到にも 成果が得られたと明記されているのだから、それで良しとすべきなのだろう。

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だが、それでもなお疑問は残る。もう一度、フォルマント兄弟がシンポジウム開催にあたり用意した文章に、あるいは三輪さんの報告書の 文章に戻ってみよう。そこにはメディアアートの評価基準の問題が切実な問題であったと記述されている。(もしこの視点がフォルマント兄弟名義の ものであるとしたら、佐近田さんの報告は私にとってはもう一つ不可解な部分を孕むことになるのだけれどそれは置いておこう。もしかしたら これは実は専ら三輪さんの側の問題意識なのかも知れないし。)三輪さんはこれに対して「どこまで迫れたかは今の時点でははっきり述べることは できない」と到達点に対する認識、どちらかといえばシビアな認識を述べている。実は、主従関係は異なるものの、私が携わっている分野でも人材育成や、 成果の評価はそれはそれで大きな問題であり、実は私も自分の専門領域での研究開発や実用システムの開発プロジェクトの企画・推進の責任者として、 パラレルな問題意識を抱いている。もっとも私は研究者ではないから、人材育成や、プロジェクトの成果の評価のものさしにおける優先度付けは自ずと 異なっているのだが。当事者達にしか理解できず、運用できない評価基準があること自体はどの分野でも同じことだが、説明責任は当事者達についてまわる。 極端な例を挙げれば、ノーベル賞物理学賞における南部博士の業績を考えてみればよいだろう。専門家でも10年経たないと意義が理解できない 程の先端性でも、その業績の凄味は私の様な外部の人間でもある程度実感できるし、そもそも専門家でも10年経たないと意義が理解できないというのが 既に評価基準として決定的である。もっともこれは応募作品の審査の基準には適用できないだろうが。

そしてここで、私はやはり賭け金は結局のところ「メディア」ではなく「アート」に賭けられているのではないかと感じられてならない。 美学の大学教授、作曲家、音楽家兼メディアアーティスト兼メディア理論研究者、学芸員、批評家、美術評論家。 メディア理論というのが何を指すのかは判然としないが、いずれにしても私のようなムラの外の人間にとって、彼我を 隔てるものは第一義的に「アート」、しかも広義の「技芸」を含むそれではなく(それなら技術者にとっても無縁ではない)、狭義の「芸術」である。 そして疑問というのは「メディア」を「アート」から分離して考えたときに、「メディア」は同じものでありうるかということだ。三輪さんが提起した評価基準の問題は 外から見れば、やはり「アート」の問題でしかあり得ない。もちろん「アート」を「メディア」から分離したら、という対称の問いが成り立って、そこでやはり 「アート」は同じものではないというのは(まさにそれが実質的な主題であったわけだし)推測されるが、そうだとしても、否、そうだとしたら尚更、「メディアアート」を 問いながら、「メディア」に特殊性を求めるだけではなく、価値そのものを丸投げするような論理は「アート」の自閉を示す徴候にしか感じられない。 そしてそうした自閉が可能なのは、仮象性を両刃の剣とし、現実に対する無力さと引き換えの「アート」の特権であるといった決め付けにどう対抗するのか。 電力供給不足に対して、「メディアアート」は自粛をもって応える以外の選択肢を持っているのか、事実問題としてだけでなく、権利問題としてどうなのか、 他人事ながら心配せずにはいられない。

三輪さんの「中部電力芸術宣言」が示しているように、電気がない世界でも「アート」は可能だろうが、「メディアアート」は不可能か、百歩譲っても 同じものではあり得ないだろう。(「電力芸術」=「メディアアート」という想定は「ワラウドン」には適用されないので、「ワラウドン」だけは頑健である という反論が考えられるが、そのとき「ワラウドン」が依然として「メディアアートでないもの」でありうるのか、更には、そもそも「アート」であり続けることが できるのかが問われているのだ、勿論私はそれについては極めて懐疑的である。)その時にパフォーマンス道場での、あるいはシンポジウムでの議論は 同じものであり得るのだろうか。これは今や条件法での問いではない。3月11日の後で、どこかでそうであったように、ここでもまた「想定外」という「ムラ」の発言は御免蒙りたいし、 それが三輪さんの立場でないことは今や明らかである。(更に言えば、三輪さんに関しては、電力供給不足に対して自粛をもって応える以外の選択肢を持っていること、 事実問題としても、権利問題としてもそうであることは疑いない。)またもや私自身が自分のプロジェクトの成果を3月11日以降の状況に突きつけるという剣呑な作業を引き受けざるを 得なかったからというわけではないが、今、こうして「フォルマント兄弟の"お化け屋敷"」とそれを囲繞する活動を振り返ってみて、私は疑念を振り払うことができない。

もう一度、最後に繰り返すが、「フォルマント兄弟の"お化け屋敷"」で提起されている問題は、それを体験した折に否定的な印象を抱いた私にとっても 看過出来ない側面を孕んでいる。そうでなければあっさり無視すれば良く、わざわざ作者に不愉快な思いをさせることなどしない方が余程気楽であろう。 だが「作曲と思索」がフォルマント兄弟の自己規定なのだから、哲学的・技術的な側面を引き受けることを謳っているのだから、「声」を機軸にしつつ、 だが最後には「歌」に辿り着くことを目的としているのであれば、3月11日を経験した後に改めて、今、ここで「幽霊」がどうなっているのかを答えて欲しいと思う。更にまた「音楽」がどうなって いるかについて。フォルマント兄弟の署名の下に。未だ現前しない「幽霊」、ありうべき「お化け屋敷」について再び。必ずや「音楽」とともに。(2011.5.1未定稿・暫定公開、5.2~4加筆)

2011年4月2日土曜日

「中部電力芸術宣言」を読んで

中部電力芸術宣言
終結版(2009/8/25)
2011/3/13 Webページにて公開

2011年3月11日の地震の日、私は自宅に帰らずに都心にある勤務先のオフィスに留まり、翌3/12の朝、復旧した電車に乗って帰宅した。 3月14日、今度は万全の備えを公言していた原子力発電所の「想定外」であるらしい事故を理由に「計画停電」を自称する突然の 電力供給制限のために運行休止を余儀なくされた鉄道の運休により勤務先に赴くことが不可能となった。鉄道事業者の夜を徹しての 対応により翌日から状況は改善されたが、この恐らくは実施主体にとっては計画的なのであろうと想像するよりほかない(だが、停電の 実施範囲すら自ら正確に把握できていなかった点をはじめ、それすら疑わしい兆候には事欠かなかったのだが)状況は、生活の 様々な面での混乱を拡大し、また地理的な影響範囲を震災自体の被災地から遥かに広範囲に拡大し、また影響の及ぶ期間を長期化させた。

震災から1ヶ月が経過し、電力供給制限はとりあえず当座は回避されることになり、さっぱり好転の兆しがない原子力発電所の災害の影響地域を 除けば、被災地も含め生産や物流網は少しずつではあるが着実に復旧しつつある。勿論、一旦損なわれた生活は恐らくは完全に元に戻りは しないだろうし、この状態に明確な終りなどなく、最初は異常と感じられた様々な事象にも何時しか馴化してしまい、日常の風景に溶け込んで しまうこともあろう。そうした中で、数ヶ月先の夏にはまた電力の供給不足になるという想定の下(もっとも、これに対しても楽観・悲観双方向の懐疑が 正当にも存在するのだが)、そのための備えをしつつ、一時麻痺した日常を取り戻す試みを続けているのが現状だろう。私は仕事柄、 スケジューリング、プランニング、シミュレーションといったことに関わっていることもあり、この1ヶ月の間、寄与そのものは間接的ではあるけれど復旧に 取り組む方々のお手伝いをしてきたし、今後もそれは続くことになると考えている。

そうした中、Webページの更新も別段自粛していたのではなく、より優先度の高い作業に阻まれ、そのための時間が全く取れずに 断念してきたのだが、ようやく多少の時間のゆとりが出てきて、こちらはこちらで積みあがった作業の中で特に気になっていたものの一つが、 三輪さんが3月13日に公開した「中部電力芸術宣言」であった。

この1ヶ月はいわゆる「芸術」に関しても様々な影響が出ていて、私自身がコミットしている範囲に限っても、能楽師香川靖嗣さんの 主宰公演は幸いにも実施され、素晴らしい上演となったのは既に別のところで報告しているが、その一方で公演を予定していた会場である ミューザ川崎が地震の影響で利用不可能になったためにジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラの第9交響曲の演奏会は1年延期になったし、 三輪さんの作品の演奏に限っても、例えば栃木県立美術館で行われる予定だった室内楽の演奏会がやはり会場の被災のために中止になった。 実施されたものについても実施可否の判断にあたっての常ならぬ心理的な葛藤から、開催のための関係者間の調整など大きなご苦労が 伴ったことと推測されるが、中止や延期の決断もまた苦難の裡で為されたに違いなく、衷心からお気の毒と思わずにいられない。

その一方で、いわゆる「メディア・アート」、ここで主題とする三輪さんの宣言の中でまさに「装置を伴う/による表現」と的確に定義されている 「電気文明」から生まれる様々な視聴覚及び演算装置による創作にとって、今回の事態が持つ重みは測り知れないものがあると感じたのは、 震災の翌日、電力供給の不足が話題になり始めたタイミングであったと記憶している。私自身の仕事での活動成果が最終的に何らかの 価値を生み出すためにはコンピュータが動かなくてはならず、インフラストラクチャーとしての電力供給に依存していることを否でも自覚せざるを 得ないのと控えめに言っても同じ水準で、「メディア・アート」もまたそのリアリゼーションの前提として電力の供給は不可欠であろうし、更に言えば 殊更「メディア・アート」を名乗るのであれば、コンセプチュアルな水準、定義そのものが電力に依存しているとさえ言えるだろう。震災前に 見たICCでの展示会を思い起こしても、電力供給が止まったらそもそも作品が成立せず、展示は不可能になるに違いない。

そうした中で、電力供給が問題としてクローズアップされるタイミングで直ちに三輪さんが「中部電力芸術宣言」が公開されたことにまず 私は感銘を受けた。更にそれがタイムリーに(意地悪い言い方をすればジャーナリスティックに)書き上げられたものでは決してなく、 既に1年半も前に作成されていたことを認識して、思わず脱帽せざるを得ないと感じた。中部電力と東京電力の間にある周波数の違い、 (三輪さんは中部電力の供給区域内なので)浜岡原子力発電所への言及などを取り立てて、その予言的とさえ言える先見の明を 賞揚してもいいのだが、寧ろ、多くの場合に普段は無意識にその中に埋め込まれ、こうした「限界状況」になって初めて自覚される 自分の活動の地平、「フレーム」に対して常に/既に自覚的であるその態度(ここでは現象学的な意味合いでこの語を用いる)にこそ 真の価値を認め、支持すべきであると私は考える。

そのことは同時に、「メディア・アート」を捨象した「現代音楽」が実際には端的に不可能であることへの認識でもある。逆シミュレーション音楽や 新調性主義のように、作品のリアリゼーションの場面のみに限定すれば電力なしの「人力」で可能な作品もあると言えるかも知れない。 だがそれらのコンセプトには「電気仕掛け」が逆さに映りこんでいるのだし、マーチン・リッチズの一見手作り風な「思考機械」が 展示の際には電気仕掛けで動いていたように、永遠を志向する「布教放送」は電気仕掛けで神の旋律を発信し続けるのであり、 しかもそのことに対して三輪さんは常に/既に意識的であり続けてきた。

水力によって動くことが企図された「またりさま人形」(ただしこれは 実際には安定して動作させることは困難であった)もあり、「機械仕掛け」の中で電力を特権視することに疑念を抱く向きもあるかも知れない。 だが、電力のヘゲモニーのほとんど絶対的とさえ形容できる強大さを認識しなくてはなるまい。原子力発電所の被災は冷却用の非常用 電源の喪失にあったことが物語るように、あるいは多くの工場が電力不足によって生産を止めざるをえず、停電でATMが動かなければ貨幣を 流通させることができず、あるいは家庭やオフィスへの給水ができなくなり、トイレが使えなくなること、電車が動かなければ通勤・通学ができず、 電気機関車が動かなければガソリンの供給が危機に瀕するといった事態が告げるように、原理的なレベルはともかく、現実的には電気無しで 現在の生活を維持することは不可能であることを認識すべきだし、電力供給がなければ「人力」で楽器を演奏するコンサートであれ、 コンサートホールが機能しないという理由で中止せざるを得ないのだ。

そればかりではない。三輪さんが近年問題にしている「録楽」は更に直接的に電気に依存しているし、そこでの「幽霊」もまた然りであって、 今日では「お化け屋敷」ですら電気仕掛けなのである。逆にあえて「手作り」を主張することは、そうした主張を可能にする生活自体が 電気なしでは済まないという事実を都合良く忘却し、隠蔽する危険を孕んでいる。否、たとえ自分は電気のない生活を営み、電気を 用いた通信手段すら拒絶して、そこで「芸術」を実践しえたとして、それは孤立した自己充足的な営みに終始しないと言いうるだろうか。 ほんの1世紀半前には可能であったばかりか、それが当たり前であったものは、だが今日の日本では端的にほぼ不可能になっていると 言うべきだろう。

だが一見そこから脱出不可能にさえ見える「電気文明」は決して自明でもなければ、必然でもない。それは自分では抵抗できない 力によって途絶することがありえるのだということを今回の震災は告げている。「メディア・アート」がある日突然、消滅するという仮定は 何もSFの世界の話ではなく、いとも簡単に現実に起きうるのである。だが私見では「メディア・アート」が消滅しても、「録楽」が消滅しても、 三輪さんの言う「音楽」は残るのだ。そしてそれでもなお、そのことを口実に人力を賞揚し、あるいは己れと己れの作品とを、宣言中の 文言を借りれば、「資源」という名の下に自然環境に対して行う地球規模の略奪行為に対して無辜であるかのごとき囲い込みを 試みるのではなく、「そうではなく、人類が死者を手厚く埋葬するようになった太古から地球上の様々な文化に受け継がれてきた宗教、 芸術のまったく新しいあり方を、我々の手によってこの電気文明のただ中で模索し、創造活動を通して実践していくことを目指す」 姿勢を私は強く支持したい。

例えば「電気文明」を拒絶して見せ、人力による芸術を賞揚して見せることはポーズとしては容易だろう。あるいはまたメディア・アートの 自己批判よろしく、例えば「風力発電芸術」なるものを唱道し、芸術によるCO2削減を叫び、化石燃料や原子力によって得られた 電気を用いるメディア・アートを汚染されているとして忌避し、被曝しているとして差別し、己の環境を破壊するとして断罪するといった パフォーマンスだって可能だろう。あるいはまた、「中部電力芸術家宣言」を、被災し、放射能の影響を受けた地域からの分離を 図る試みとして曲解する人だっているかも知れない。だがそうした立場は、宣言に明確に述べられた「電気エネルギーがすでに我々の 社会の、思考の、そして身体の一部である」という認識とは相容れないだろう。そして私は、私自身は「芸術家」ではないけれど、 そして居住している地域は異なるけれど、それでもなお、同じ地平を共有するものとして、三輪さんと立場を同じくすることをここで 確認せずにはいられない。

その一方で、宣言の基本的な立場に同意しつつ、だがそれは自明のことであってそこから「芸術のまったく新しいあり方」など出て来はしない といった批判もまた、想定される。もともとが「メディア・アート」というのは自分の拠って立つ基盤に対して優れて批判的な性格を備えた 営みであることは、まさにその名前自体が告げているだろう、というわけである。あるいはまた、そうした批判はコンセプト倒れに終り、 実現される作品の貧困と衰弱をもたらすばかりであり、寧ろ自分の環境に対して無意識に埋め込まれ、無自覚な営みの方が メディアの持つ可能性を大胆に突き詰めることが可能であり、「新しさ」はそうした無責任さ、アモラリティにすら近づくアナーキーな想像力を 代償としなくては得られないのだという主張もまた、あるだろう。

けれども、そうした主張は、それら自体が妥当であるとしても、それをもって「中部電力芸術宣言」を無効にする類のものではない。 寧ろ三輪さんのこれまでの活動と宣言の内容が、更にはこうした時節にこうした宣言を公表するという挙措が一貫していること、そして 提唱されるコンセプト、実現される作品双方のポテンシャルが、その一貫性を淵源としていることは確かなことであり、その活動が持つ力が そうした怜悧な批判を乗り越えてしまっていると私には感じられる。津波の破壊力は多くの芸術家の想像力を遥かに凌駕しているし、 停電で動かなくなったメディア・アートは博物館に陳列される最早用途も判然としない考古学的遺物になる他ないだろう。だが、復元楽器を 素材に、奏法のみならず音楽が埋め込まれる状況自体を「夢」として仮構してしまい、強固な西欧音楽の伝統が可能にする身体的な 技能の記憶にそうした伝統と独立のシステムを接木して、そこで生じるまさに未知の(亜)臨界現象の持つ豊饒さを作品として定着させて いく三輪さんの活動は、このような極限状況に抗するだけの力を備えていると私には感じられる。新しさは論理的な帰結でも、 コンセプトによって用意されたものでもなく、個別に状況に亘りあう中で獲得されるものなのだ、ということを三輪さんのこれまでの活動が 雄弁に物語っていると私には思えるのだ。

最後に、震災の前に私が最後にWebページを更新したときの問題領域に立ち戻ることにしたい。私が最後に書いた文章は、まさに メディア・アートの展示会の訪問記録であり、そこで感じた違和感をありのままに記したものであった。とりわけフォルマント兄弟に よる「お化け屋敷」が話題の中心で、そこではメディアが生み出す「幽霊」が問題となっていた。「中部電力芸術宣言」は直接それとは 接続しないように見えるが、メディアを成立させる地平が、それが損なわれた結果、顕わになったこと、これまでのような一時的な、 あるいは個別的なハードウェアの障害やソフトウェアの不具合、あるいは誤操作によって惹き起こされるものとは質的に異なった、 メディアが立つ基盤のより根源的で制御不可能なレベルにおける脆弱さが認識されたことで、「幽霊」の「幽霊性」が一層先鋭なかたちで 浮かびあがってきたように私には感じられる。更に問いを進めるならば、今この時点において「幽霊」はどうなっているだろう。 聖骸布と写真とを結びつけるのではなく、心霊写真を持ち出すのではなく、「幽霊」について語ることはできないだろうか。幽霊を怪談に 回収するプロセスを「お化け屋敷」によってなぞってしまうことで「幽霊性」の括弧入れを(意図せずしてか、確信犯的にか)強化するのではなく、 それ自体は不変であるが、メディアの多様性に応じて隠蔽のされ方もまた様々であるが故に、その都度問い直さなければならない、手前に あるはずの「それ」との関わりのありようの現象そのものである「幽霊」を考えることはできないのだろうか。「中部電力芸術宣言」はまさに その可能性を問うているように私には思われてならない。そして再度、その宣言に、芸術家としてではないけれど、呼応し連帯する意志を、 このようにして、ささやかではあるけれど表明せずにはいられない。即応しなかったことが、懐疑や逡巡のためではなく、別の仕方で、 私なりの行動をもって、間接的で、しかも不完全なかたちではあるが、宣言に対して無言の裡に自分が応えてきたと言いうるだろうと いう確認と、この後も引き続きそうしていくつもりであるという意志表明とを添えて。(2011.4.24初稿)

2011年2月13日日曜日

「フォルマント兄弟の”お化け屋敷”」について

「みえないちから」
Vibrations of Entities
2010年10月30日~2011年2月27日:NTTインターコミュニケーションセンター[ICC]ギャラリーA

「フレディーの墓/インターナショナル」という作品の一部をなす「デジタル・ミュージック」における6つのパースペクティブについてのメモを記して 間もなく、新宿のICCで「フォルマント兄弟の”お化け屋敷”」を含む「みえないちから」という企画が開始されたことは耳にしていたにも関わらず、 色々な事情から昨年中の訪問は断念せざるを得ず、ようやく会場に赴くことが叶った日は、お化け屋敷には凡そ似つかわしからぬ雪が 都心にも舞う天候となった。もっとも西欧ではお化けの話は冬の炉辺でされるものだから、お化けとはいっても聖骸布やら心霊写真やらに 言及されるメディア・アートのそれには相応しい日和であったのかも知れない。

「フォルマント兄弟の”お化け屋敷”」は1回20分弱で会場の一部を仕切った部屋の中を更に幾つかの区画で区切ったところを順番に 巡っていくという仕掛けの作品である。会場の構造こそ日本の伝統的な「お化け屋敷」と類似するが、その実体は映画館よろしく 暗くした部屋の壁に映写されたフォルマント兄弟のメディアに関する「説明」を暗幕で仕切られた区画を巡りながら聞き、最後に 「フレディーの墓/インターナショナル」の「演奏」を聞かされ、厄除けの札と称する「解説書」を手渡されておしまいというもので、 これはむしろ遺跡とか美術館とかを解説付きで決められた時間で見学するツアーに近い。部屋から部屋への移動は「声」に強制されての ものだし、途中で戻ったり、あるいは途中で抜けたりというのはできない点で、音楽作品の演奏に類似しているといえなくもない。 音楽会も近年では解説付きの公演というのも珍しくはないらしいが、「フォルマント兄弟の”お化け屋敷”」の場合とは違って、それらの多くは 公演の「前」に行われるもので聞きたくなければ席を外せばいいものの場合が多い(わざと演奏の直前に入れて、聞くことが強制される 場合もままあるようだが)のに対し、ここではそれは恐らくは作品の一部に違いなく、聞かない自由というのはそもそも想定されていない のかも知れない。

こうしたことをくだくだと書くのは、他でもない、この「作品」が「上演」される制度的空間が、インターネットでの配信でもなければ コンサートホールでの演奏会でもない、さりとていわゆる普通の美術館とも異なった「メディア・アート」なるものの展示スペースで あったからで、「みえないちから」の展示スペースの他の作品では、やはり展示スペースの一角を小部屋として独立させて用いているものも あったし、会場の空間の天井から吊るされたプロジェクターから壁に映写されるものもあり、インスタレーションもありで、共通しているのは いずれも静的なものではなく、単純な繰り返しかインタラクションかの違いはあっても時間方向の変化をもつものばかりであった中で、 だが一定時間、鑑賞者を拘束する「暴力」を行使した作品は「フォルマント兄弟の”お化け屋敷”」のみだった点が印象的だったからである。 勿論、音楽時計の仕掛けよろしく「上演時間」が決められた美術作品というのもないことはないだろうし、実際、「みえないちから」のギャラリーと 同じフロアーのオープンスペースに展示されていた他のメディア・アートの中にもそういった作品はあった。ヴィデオ・インスタレーションなどでは 1回数分の画像をエンドレスで流しておいて、鑑賞者は好きなところから見始めて、好きなところで立ち去って良いようになっていることが 一般的な気がするが、メディア・アートというのがどうやら時間的なものと無縁でありえないらしい点を含め、こうした点、つまりメディア・アートが 必ず含みもつらしい時間的な次元の扱いについて、だがそこに暗黙の了解があるように感じられることは、私のように通常は こうしたジャンルにはほとんど無縁な人間には興味深い。そういえば空間を仕切って、しかもその中を暗くして、というのもごくありふれた 風景なのだろうか。部屋の明るさはまちまちだが、映画館のような暗室に、だがここでは目が慣れる暇も与えられずいきなり 入ることを余儀なくされる場合も多い気がする。こうした点は勿論、個別の作品以前の問題だが、鑑賞者たる人間の側のメカニズムは そんなに急には進化しない。私などにすれば寧ろ、こうした点の方がよほど「メディア」というものをリアルに感じられ、結果として個々の作品の インパクトが薄らいでしまいがちになるのは避け難い。こうした作品に接することに慣れた人は目が暗闇に慣れてからが作品だとして頓着しない のかも知れないが、強制される闇の暴力の方が、その中で上演される作品のインパクトよりも遥かに強く感じられるのは「メディア」を問題に する以上、倒錯した状況であるように感じられてならない。商業化されて久しい「映画」なら、こうした暴力を取り除くべく制度の側が フレームを用意しているわけで、要するにメディア・アートにおいて作る側あるいは作品を提供する側のメディアの論理と受け手の側のそれには 溝があるように感じられてならないのだ。提供する側の問題はおくとしても、作る側のメディアに対する問いかけは、素材が新しいものになるほど 近視眼的で、作り手の論理に自閉し、倒錯したものになりがちであるように私には見える。特にこうして幾つもの作品を一度に体験するとその感が強い。

もう一点、そうした制度上の水準で見逃せないのが、スペースの都合からか、会場に着くと整理券が配られていて、私は凡そ40分後の 「上演」を待つべく、他の作品を見るなどして待つことを余儀なくされた点である。勿論、一度に鑑賞できる人数に制限があるのは 美術展も同じで、幸い私は経験したことがないが、動物園での人気者の珍獣よろしく、有名な作品の前に人垣が出来て会場への入場を 制限するといったことも発生することもあるらしい。そうしたケースとの比較でいけば、せいぜい1回待ちくらいの混雑だったから、特にそれが 必須だと感じたわけではないけれど、最先端のメディアを用いたインタラクションが売りの作品にもことかかないメディア・アートの企画であるのに その場に行って、係員が配る紙の整理券を貰わなければ何時の「上演」が見れるのかすらわからないことに、どことなくちぐはぐさを感じずには いられない。シンポジウムのライブストリーミングはやっても、個別の作品の「上演」までは、ということかも知れないが、どうやらその日の最後の回 までの整理券を配り終えたら、その日の受付は終わってしまうらしく、当然のことながらそれが何時かなど事前に知ることはできまい。音楽会なら さしずめ、当日券をしかも会場でしか販売しないようなものだから、そう考えればこれは随分な状況という気もする。心配なら早めに来いという ことなのかも知れないが、待ち時間の予測はできないだろう。20分弱のためにその何倍もの時間を無駄にすることだってある確率では起きるだろう。 お望みなら待ち行列のモデルを作って解いてみるのも、メディア・アートに似つかわしいということなのかも知れない。

だが、そうしたことはひとまずおいて「フォルマント兄弟の”お化け屋敷”」そのものから受けた印象を記すことにしよう。もっとも、その印象の端的な 表現は、既に述べた作品の紹介の仕方で言い尽くされているといっても過言ではない。 私は「フレディーの墓/インターナショナル」について、あるいは「デジタル・ミュージック」における6つのパースペクティブについて語るときに、 そこに作者の或る種「啓蒙的」な意図を感じずにはいられないことを繰り返し記してきた。だが、ここではもっと極端な事態が起きている。 タイトルにも関わらず、そして多少はそうした意図を持って撮影されたに違いない撮影上の効果や演出にも関わらず、「”お化け屋敷”」という 名は体を些かも表さない。通常「”お化け屋敷”」に対して人が期待するものをここで人は得ることはできない。ここでは幽霊について語られることは あっても、幽霊は出現しないと言ってしまえば、恐らく作者の意図を忖度すれば言いすぎになってしまうのだろうが、現実にこの「”お化け屋敷”」で 恐怖にかられる人はいないだろう。寧ろここで行われているのは、作者が「幽霊」と呼ぶものをそうとは受け止めないことに対する摘発であり、 ここでは恐怖は自ずと喚起されるものではなく、寧ろ強制されるもののようだ。勿論、最後の「演奏」以外の小部屋での「上映」の内容は プレトーク、解説、あるいは或る種の講義なのだ、啓蒙なのだという理解の仕方もなくはないだろう。だが、作者自らそれを否定し、全体を 一つのシステムと見做すように命じているのみならず、そこだけは映像を壁に写す必要がないからなのか、明るい部屋で自動演奏される 「フレディーの墓/インターナショナル」そのものも、ここでもやはり「幽霊」を喚起するようには思えない。音声合成の結果は不充分で 聴き取りがたく、外国人が下手な日本語で歌ったというフィクションすら可能にするかどうか疑わしい。

のみならず、「講義」において、ここでも「デジタル・ミュージック」における6つのパースペクティブ同様のカテゴリー・ミステイクのようなものが 見受けられるのにも当惑せずにはいられない。特にフォルマント弟の語る部分の論理は、私には全く説得力を感じることができない。 写真の持つ力を説明するのに、聖骸布を持ち出すのはアナロジーとして全く粗雑にしか感じられないし、それに加えて心霊写真を 持ち出すのはこれまた「幽霊」の定義を曖昧にするだけに感じられる。怪談を「合理化」による逃避・抑圧とする見方も、それ自体議論の 余地があることをおいたとしても、機械のメカニズムが理解できることによって機械の「幽霊」性が忘却された結果、人はそれに気付かないと いった説明とは論理的に噛み合っていない。「デジタル・ミュージック」における6つのパースペクティブ同様の貧弱で茫洋としたアナロジーによる 論理もどきが繰り広げられる「講義」を退屈と感じたり、あるいはそれに強制的に付き合わされることに苦痛を覚える人がいても不思議はない。

上でマルチ・メディア作品の上演において宙ぶらりんな状態に放置されているかに見える暴力として言及した部屋の明るさの問題にしても、 講義なら最初の闇は余計であり、「”お化け屋敷”」を期待する向きにとっては肩透かしである。それならば、闇に馴れた生理にとって 最早「闇」ではない2つ目の部屋以降は(人数制限を考えれば不可能ではないのだし)、「講義」に相応しく、仮設の椅子でも設けたらどうなのか、 兄弟がかわるがわる語るだけのサスペンスも何もない小部屋の移動など止めてしまった方が、「裏切り」のインパクトは一層大きいのでは、 などと思ってしまいもする。

勿論、技術的な到達レベルが意図したフィクションを腐蝕するケースは「フレディーの墓/インターナショナル」の音声合成に限られない。 例えばICCのオープンスペースの展示の中で、ビオイ・カサーレスが1940年に書いた「モレルの発明」にちなんだマルチ・メディア作品が あったが、これまた「モレルの発明」との関連が鑑賞者にとっては些かも明らかでない。まさか、読まれているのが偶々「モレルの発明」だから ということはないはずだが、部屋の中央に置かれたパノラマを撮影する装置が映写した像を、円筒状に壁に映し出すだけの作品と 「モレルの発明」で仮想されたテクノロジーとの間のどこに関連があるのか私には理解できない。既に鬼籍に入ったビオイ・カサーレスが 自作を(勿論アルゼンチンのスペイン語で)朗読する映像・音声でも重ね合わせられればまだしも、この作品の作者が翻訳を朗読する 映像・音声を重ねるのが、「モレルの発明」という作品の実質とどう関わるのかについては、私には全く理解できない。 1940年に仮構されたテクノロジーと現実のそれとの間の懸隔は今なお大きい。(ビオイ・カサーレスには「脱獄計画」という、これまた今日的な テクノロジーを仮構した作品があるが、こちらについても同様だ。)勿論、そのことをもって「モレルの発明」を取り上げたメディア・ アートが端的に不可能だと言いたいわけではない。だが、ここで作品として実現されているのは、70年も前に書かれた作品に対し、 これまた半世紀も前に既に記された批評的言説のほんの一部の素材をマテリアライズしているようにしか見えないのである。 (ちなみに、この作品がいわば軒を借りている「モレルの発明」の翻訳自体は、1990年に清水徹・牛島信明訳で出版されている。 私が持っているのは1996年の第2版、まだ出版社は今日の水声社がまだ前身の書肆風の薔薇であった時代のものだ。 ただちに入手したスペイン語原書もやはり1996年刊行のEl Libro de Bolsilloの第9版である。)

「講義」の中で掘り下げる価値のあると思われる主題系が提示されていないというわけではない。例えば人間が機械のシステムの一部である といった認識はシステム論的には正鵠を射たものに違いないし、従来、人間をその一部とする生物間の相互作用を記述、モデル化してきた 生態系的アプローチを人工物を含めた環境に拡張すべきだろうし、生物としての人間の感覚器官や運動器官を前提としてきた認識論や 行為論は、機械と人間とを複合的な有機体と見做す立場から見直されるべきなのだろう。あるいはまた法学のような実用的な学問の運用において も既に無形物たる情報やアルゴリズムの扱いが問題になって久しいが、「機械」というのを実体的に捉えるのではなく、情報の構造や挙動の方向から 従来、基体を為すと考えられてきた有形物中心の存在論を組み替える作業が必要になりつつあるのだろう。

だが上記のような視点も、「フォルマント兄弟の”お化け屋敷”」の文脈で語られても、単なるついでにしかなりえない。そうした視点が「幽霊」と どう関わるのかは「講義」でも些かも明らかにされるわけではないし、「フレディーの墓/インターナショナル」をどのように位置づけるかが把握されて いるわけでもない。作品研究が作品の背景や前提を明らかにしても、その作品の特異性を言い当てることに失敗するのは珍しいことではないが、 あろうことか、それを作品の作り手が自らやってしまっているのでは、という危惧を抱きかねないのは、「デジタル・ミュージック」における6つのパースペクティブ の場合と変わらないようだ。作者が自らの作品を把握しきれないのは人間が自ら作った機械を把握しきれないのと同型なのだろうが、 「フォルマント兄弟の”お化け屋敷”」自体を一つの作品として、あるいは単にシステムとして見た場合(それは作者の注文していることでもあるらしいのだが)、 このシステムが「うまく動作している」とは私には感じられないのである。

私はメディア・アートに関しては全くの門外漢で、だから近年の流行の主題や素材がどういったものであるかといった文脈を ほとんど欠いている。同時代の活動に接する場合、実は文脈の共有は理解のための寧ろ必須の要件に近いに違いなく、 だから私はメディア・アートの展示会について批評する言葉を持たない。その一方で、それらが用いているテクノロジーの方に ついては職業柄、一定の理解はあると思っているし、フレディが誰かについて勘違いした一方で、アドルフォ・ビオイ・カサーレスの 作品については既に自分なりの展望の中に位置づけていたりもする。こうした前提での発言を許してもらえば、メディア・アートと いうのは、メディアの持つ凄まじい力を意識してかせずか囲い込み、馴化して提示するものであるかに感じられる。例えば ビオイ・カサーレスの「モレルの発明」が提示したパースペクティブ、古典的な小説の形式、際立って高い完成度で提示される メディアと人間との関係、人間の側の反応を「現実」のものとして再構するだけのテクノロジーは、もう少しで手が届くところまで 近づいたとはいえ、まだ未達であるかも知れない。だが、「現実」に達成されているレベルは、間違いなく、メディア・アートとして 提示されているものとは比較にならないほど危険な水準にあるに違いない。だから、ここで私のような人間が否応なく突きつけられて いるように感じるのはメディア・アートのうちの「アート」の部分の「制度」なのだ。

そういう意味合いでは、「フォルマント兄弟の”お化け屋敷”」はそうした「制度」を身をもって提示することに「成功」している、 という皮肉な見方ができるのかも知れない。メディアの幽霊性についての啓蒙を行う、音声合成技術を用いた事例つきの マルチ・メディア教材。「”お化け屋敷”」につきものの恐怖はここでは去勢され、人は「幽霊」であるはずのものを些かの恐怖もなく、 ここでもまた、普段の生活でいつもしているように受容する。違いは、そうして受容しているものが実は幽霊かも知れないという 批評的な言説の存在だが、幽霊の遍在に馴化してしまい、もはやそれを驚異として受容することができない状況を 「事例」たる「フレディーの墓/インターナショナル」も、どうすることもできない。ビデオカメラの向こうで作者の一人が語るように、 それは「当たり前」のことでしかなく、だから「それがどうした」と苛立つ人がいたとしても不思議はない。

それでもなお、それを「幽霊」だ、と言い募ることは、いわば王様の耳はロバの耳だと言い続けることであって、「アート」という 制度の中に無自覚にあるいは確信犯的に自覚的に馴化されるのではない点に留意すること、あえて矮小化され、消毒された 驚異を差し出すことを拒絶したと考えることはできるかも知れない。だが、もしそうだとしたら、「フレディーの墓/インターナショナル」 という作品そのものはどうなるのだろうか。私は、「デジタル・ミュージック」における6つのパースペクティブという文章の内部にある 飛躍や混乱(と私には少なくとも感じられるもの)、文脈を明らかにするどころか、寧ろ蒙昧化する役割しかしていないような 固有名の参照などといった側面を確認する作業をした際に、その文章が奇妙に浮き上がってしまい、皮肉なことにパースペクティブを攪乱し、 もしかしたら「作品」を裏切っているかも知れないと感じたのだったが、ここでは(依然として、上に指摘したような疑わしい類比に基づく 説得力を欠くと感じられる「解説」があるものの)「啓蒙」の意図の下に、「フレディーの墓/インターナショナル」の、恐らくは技術的な 限界に由来するのであろうフェイクとしての不徹底ぶりもひっくるめて回収されているかのようだ。「アート」の批評的な機能は手放されて いないが、それは技術的なレベルも含めて現実を矮小化することで「安全」に「幽霊」の存在を「指示」しているかのようだ。

ここには例えば「逆シミュレーション音楽」の持つ、ミイラ取りがミイラになる危険と引き換えの緊張もなければ不気味さもない。 「不気味さ」も御祓の御札を模擬した解説の中で、これまた「指示」されるばかりであるかのようだ。更にもう一ひねりして、そこにこそ 「湾岸戦争」の現場をお茶の間で見るといった現実とのアナロジーを見出し、そこにいる「幽霊」に気付き、恐怖せよと告げている のだろうか。この「フォルマント兄弟の”お化け屋敷”」のつまらなさの背後に、「幽霊」を作品で出現させることではなく、言葉によって 指し示す作品しか作れないという現実に恐怖せよということなのか。またもやデリダ風に、それが「アート」の終焉=目的というわけか。 仮にそうであるとしても、ある水準ではもしかしたら一貫しているにしても、だからといって「フォルマント兄弟の”お化け屋敷”」はやはり 「うまくいっている」というようには私には感じられない。「デジタル・ミュージック」における6つのパースペクティブがそうであるように、 ここでも存在する(と私には少なくとも感じられる)飛躍や混乱が、「フレディーの墓/インターナショナル」の退屈さがそうした理解すら 妨げるのだ。そしてその退屈さは、当日同時に展示されていたメディア・アートに付き纏っていたそれと共通しているように 思えてならなかった。メディア・アートそのものが、作者の現実に対する関わりの希薄さを開示することによって、逆説的に批評性を 持ちうるかのような展望に「フォルマント兄弟の”お化け屋敷”」はあっさり回収されてしまうかのようだ。だが、もしそうなら、それは 少なくとも私にとって不要なもの、わざわざ「時間を与える」(デリダがお好きなようなので、、、)までもない、到達不可能という意味での 同時性を持つ事象に過ぎないのかも知れない。「啓蒙」を目的とするなら、お金を払って啓蒙を求める客を人数制限などで排除すべきではない。 確率的には発生するに違いない、2時間待ちで諦めた人の証言をもって注目度の高さを誇るのは見当違いだろう。 その場に行ってお金を払わなければ見れない、係員が配る紙の整理券を持って待たなければ見れないといった部分でのみアナクロニックな暴力を行使するのではなく (三輪さんの単独作品であれば、こうした暴力は意図されたものとして抵抗なく受け入れることができるのだが、この場合については)、 寧ろライブストリーミングか何かによって、雪の降りしきる真冬のエアコンの効いた暖かい室内で、いつ再生するも自由、 途中で止めるも何回見るも自由といった環境の方が「マルチ・メディアによる怪談」、説明すること、物語することで幽霊を無力化するという 「物語」によって自ら幽霊を無力化することに頓着しないかに見える「啓蒙的な」”お化け屋敷”には一層相応しいということはないのだろうか、、、(2011.2.13初稿)