2026年9月11日金曜日

《虹機械》から見えてくる「五度圏」のもう一つの顔——数式なしで読む三輪眞弘の新調性主義

 前稿「「音の重心」というアイデア——数式なしで五度圏分析を理解する」では、「音の重心」という考え方を使って、音の集まりを五度圏の上に置き、そこから「今、音楽がどちらの方向を向いているのか」を眺める方法を紹介しました。

五度圏の上に音を置いてみると、音がある方向に偏っているときには、そこに「重心」が生まれます。反対に、音が円周上に均等に広がっていると、互いの力が打ち消し合って、重心は中央に集まります。

この考え方を交響曲の時間的な展開に適用すると、調性を「ハ長調、ニ短調」といった名前だけで追うのとは少し違った風景が見えてきます。音楽がどの方向へ進み、どこにとどまり、どのように動き回っているのかを、五度圏上の軌跡として見ることができるからです。

では、この方法を、三輪眞弘の《虹機械》に適用すると何が見えるのでしょうか。

《虹機械》を五度圏に乗せてみる

《虹機械》の2作品、「虹機械 はじまりのうた」Hamamatsuと「虹機械 公案-001」Koan-001は、通常の交響曲とはかなり違った仕組みで作られています。

どちらも4/4拍子の16分音符による単旋律で、音楽は、直前に鳴った音を入力として次の音を決める「状態遷移機械」から生み出されます。

ここでは、オーケストラのように複数の音が同時に鳴っているわけではありません。それでも、一定数の音をひとまとめにして「この時間帯にはどんな音が現れていたか」を見ることはできます。

そこで、4音、8音、16音、つまり1拍、半小節、1小節という3つの大きさの「窓」を用意し、それぞれの窓に現れたピッチクラスを五度圏に置いてみました。

すると、興味深いことが分かりました。

細かく見ると、とても「凝集」している

4音単位、8音単位で見ると、《虹機械》の音は五度圏上の狭い範囲に強く集まります。

つまり、一つ一つの短い時間帯だけを取り出してみれば、音楽はかなりはっきりした方向性を持っています。

ところが、その重心が作品全体を通して同じ場所にとどまっているわけではありません。

局所的には非常によくまとまっているのに、全体としては一つの調の周辺にじっと滞在するわけではない。

これは、西欧の機能和声を中心とする交響曲コーパスと比較すると、かなり特徴的な性質です。

西欧の伝統的な調性音楽では、ある瞬間に音が五度圏上の近い場所に集まっていることと、作品全体がその調的中心にある程度とどまることが、しばしば結びついています。

ところが《虹機械》では、

「その瞬間にはまとまっている」ことと、「作品全体としてそこにとどまる」ことが切り離されている。

ここに、まず一つの《虹機械》らしさが見えてきます。

ところが、1小節単位にすると「普通」に見えてしまう

さらに面白いことが起こります。

4音、8音と細かく見ていると、《虹機械》は五度圏上でかなり突出しています。ところが16音、つまり1小節単位までまとめてしまうと、その重心の大きさは、西欧交響曲コーパスの範囲内に入ってきます。

五度圏上の重心だけを見れば、

「《虹機械》は、細かいところでは特殊だが、ある程度まとめて見ると、それほど特殊ではない」

という結論にもなりそうです。

実際、PCAという複数の指標をまとめて眺める方法でも、1小節単位にした《虹機械》はコーパスの範囲内に収まります。

しかし、ここで一つの問題が生じます。

重心の大きさが普通だからといって、その中身まで普通だとは限らないのではないか。

この疑問が、次の分析につながります。

「重心の大きさ」だけでは、中身が分からない

前稿で説明したように、五度圏は音を観察するための「一つの円」です。

実は、ピッチクラスのDFTには、この五度圏に対応するものだけでなく、全部で6種類の異なる「円」があります。

半音のまとまりを見る円、三全音を見る円、長3度を見る円、短3度を見る円、完全5度を見る円、そして全音音階的なまとまりを見る円です。

それぞれは、異なる「音の風味」を検出する装置だと考えることができます。

五度圏は、そのうちの一つにすぎません。


そこで、《虹機械》について、五度圏だけではなく、この6つの円すべてを調べてみました。

すると、先ほどの「一見すると普通」という印象が大きく変わります。

《虹機械》では、五度圏に力が集中している

6つの円をそれぞれ調べると、《虹機械》では、他の円に比べて「五度圏の円」が極端に強く反応します。

ここで重要なのは、五度圏が強いことそのものではありません。

実は、今回比較した55楽章の西欧交響曲コーパスでも、もっとも強いモードが五度圏になる楽章はかなりあります。

つまり、

「五度圏が一番強い」だけなら、《虹機械》だけの特徴ではありません。

違うのは、その集中の度合いです。

西欧交響曲コーパスでは、いくつかの「風味検出器」の間にある程度エネルギーが分散しています。

ところが《虹機械》では、6つの検出器のうち、五度圏に対応するものへ非常に強く偏ります。

これは、先ほどの「重心の大きさ」とは違う情報です。

五度圏重心の大きさが「どれくらい偏っているか」を教えるのに対して、6つのモードを比べることで、

「その偏りは、いったい何によって生じているのか」

を見ることができるからです。

「普通の大きさ」の中に「極端な偏り」が隠れている

ここで、《虹機械》について最も興味深い二重性が現れます。

1小節単位で見ると、五度圏上の重心の大きさは西欧交響曲コーパスの範囲内です。

ところが、ここで一つ重要なことが分かります。

16音、つまり1小節程度の単位で見ると、《虹機械》の五度圏重心の大きさは、西欧交響曲コーパスの範囲の中に入ってきます。重心の大きさだけを見れば、もはやそれほど特殊には見えません。

しかし、ここで「重心の大きさ」を作っている中身まで見てみると、様子はまったく違います。

12音の構造を6つの異なる周期・対称性に分けて調べると、《虹機械》では、6つのモードのうち五度圏に対応するf5への集中が、16音窓でむしろ強くなっていることが分かります。

つまり、

重心の大きさは16音で「普通」になる。
しかし、その「普通の大きさ」を作っている構造を見ると、むしろf5への偏りは強くなる。

という、一見すると逆説的な現象が起きています。

これは、五度圏上の重心だけを見ていたのでは分からない特徴です。重心は「どれくらい一方向にまとまっているか」を教えてくれますが、DFTはさらに一歩進んで、そのまとまりが、どのような構造によって生じているのかを教えてくれるのです。

そして、音そのものを見ると理由が見えてくる

では、なぜ《虹機械》では五度圏への集中がこれほど強いのでしょうか。

ここで、重心の計算から一度離れて、実際に鳴っている音と音の間の関係を直接調べてみます。

すると非常に明快な特徴が現れます。

隣り合う音の約56~61%が、完全4度または完全5度の関係になっています。

次に多いのが同じ音、あるいはオクターブ違いの同音反復で、それが約22~27%です。それ以外の音程は、いずれも一桁台の割合にとどまります。

つまり、《虹機械》の音の動きは、かなり極端に、

「同じ音にとどまる」
または
「完全5度の方向へ動く」

という二つの動きに集中しています。

さらに、完全5度には上向きと下向きの二方向がありますが、実際のデータでは、その二方向の遷移がほぼ拮抗しています。

これは、少なくとも《虹機械》全体の遷移をまとめて見る限り、完全5度方向に一方向だけの強い偏りがあるわけではないことを示しています。

ただし、ここから直ちに「五度圏上を行ったり来たりしている」と結論することはできません。細かな往復運動を重ねながら、より長い時間スケールでは一方向に進んでいる可能性もあるからです。

したがって、この段階で言えるのは、五度圏方向の強い構造的偏りは存在する一方、その方向性は単純な一方向運動としては現れていない、というところまでです。

実際に「往復運動」なのか、それとも長期的な方向性を持つ軌道なのかを確かめるには、音程遷移だけでなく、五度圏上の重心軌道を時間順に追跡する必要があります。

「虹」は、五度圏の上に何を描いているのか

ここで、《虹機械》という作品の構成原理について、少し違った見方ができるようになります。

一見すると、この音楽は、特定の調に安定しているわけでもなく、伝統的な意味での和声進行を積み重ねているわけでもありません。

しかし、それは「無秩序」なのではありません。

むしろ逆です。

非常に強い規則性があります。

その規則性は、伝統的な機能和声のように、

「この和音は次にどこへ進み、どの調へ解決するのか」

という形で現れるのではありません。

そうではなく、

「音と音との距離として、完全5度という関係を徹底的に選び続ける」

という形で現れています。

その結果として、五度圏という円の上には強い偏りが生まれます。

つまり、《虹機械》における五度圏的な性質は、和音を分析した結果として偶然見つかったものというより、

音を生成する仕組みそのものが五度圏的な性質を持っている

と考える方が自然なのです。

「新調性主義」を別の角度から見る

三輪眞弘は《虹機械》を「新調性主義」と呼んでいます。

この言葉を、単純に「伝統的な調性を新しくしたもの」と理解する必要はないのかもしれません。

今回の分析から見えてくるのは、調性を支えている「中心」の作り方そのものが違う可能性です。

伝統的な機能和声では、複数の和音や音階、対称性の異なる音の集まりが相互に関係しながら、ある調的中心を形成します。

一方、《虹機械》では、そうした複雑な和声的ネットワークを構築する代わりに、完全5度という一つの関係を極端なまでに純化することで、別の種類の秩序が生まれています。

そこでは、「どこか一つの調に帰る」ということよりも、

五度という関係そのものが、音楽を組織する原理になる。

この意味で、《虹機械》の「調性」は、特定の調に音が集まっている状態というより、音と音の関係を組織する幾何学的な規則として現れている、と考えることができます。

五度圏だけでは見えないものを見る

今回の《虹機械》の分析から得られる教訓は、三輪作品だけに限らないと思います。

五度圏重心は、音楽の調的な方向性を非常に分かりやすく可視化してくれます。

しかし、それはあくまで一つの観測窓です。

五度圏で重心が中央に集まったとき、それだけを見て、

「調性が弱い」
「無調的である」
「中心がない」

と判断するのは早すぎます。

その背後には、増三和音、減七の和音、全音音階、あるいは別の対称性が強く存在しているかもしれません。

逆に、五度圏の重心がある程度の大きさを持っていても、その重心が何によって生じているのかを調べなければ、その音楽の組織原理までは分かりません。

だからこそ、

「どこに重心があるか」

だけでなく、

「その重心は、どのような音の組織によって生まれているのか」

を見る必要があります。

《虹機械》は、この二つを区別することの重要性を、とても鮮明に示してくれる作品でした。

重心から「生成原理」へ

五度圏重心分析を出発点にすると、最初は「この音楽はどちらを向いているのか」という問いから始まります。

しかし、分析を一段深くすると、問いは変わってきます。

なぜ、そちらを向いているのか。

さらに6つの対称性を調べ、実際の音程の動きを調べると、

その方向性を生み出している規則は何なのか。

という問いに進むことができます。

《虹機械》では、その答えとして、完全5度を中心とした非常に単純な音程関係が浮かび上がりました。

局所的には音が五度圏上に強く集まり、全体としては一つの調に固定されない。

そして、より大きな時間単位で見ると、五度圏重心そのものは「普通」に見えるのに、その背後では6つの対称性のうち五度圏に対応するものだけが極端に強くなっている。

この二重性こそが、今回の分析で見えてきた《虹機械》の姿です。

「普通に見える重心」の中に、「極端に特殊な生成原理」が隠れている。

音の重心を見ることは、単に調性を測るための方法ではありません。

それは、音楽の表面に現れる「方向」から、その背後にある「組織の仕方」へと問いを進めるための、一つの入口にもなり得るのです。


本稿はClaude Sonnet 5およびChatGPT 5.6 lunaとの会話を通じて作成されました。

(2026.9.11 公開)

2026年9月8日火曜日

「音の重心」というアイデア——数式なしで五度圏分析を理解する(2026.9.13 更新)

 

ウイスキーの利き酒にたとえると

ある和音を聴いたとき、私たちは「なんとなく複雑な響きだ」「ちょっと浮遊感がある」といった漠然とした印象は持てても、その響きの正体を言葉にするのは意外と難しいものです。

これは、ウイスキーの利き酒に似ています。素人が飲んでも「なんだかいい香りがする」としか言えませんが、熟練したソムリエなら「バニラとキャラメルの両方の風味があって、キャラメルの方が強い」と言い当てられます。

音楽の和音分析にも、これと同じような「風味の見立て」を助けてくれる道具があります。それが本稿で扱う「五度圏重心分析」の土台になっている考え方——音楽理論の世界で既に確立されている「ピッチクラスセットの離散フーリエ変換(DFT)」という手法です。この道具を使うと、ある和音が「どのタイプの響きにどれくらい近いか」を、複数の「風味」について同時に測ることができます。

12音を並べる6通りの方法

出発点になるアイデアは、シンプルです。12個の音(ド、ド♯、レ……)を、時計の文字盤のように円周上に並べます。

普通は半音ずつ隣り合わせに並べますが、実はこの並べ方は一つの選択肢にすぎません。並べ方を変えると——例えば「1つ飛ばしで並べる」「2つ飛ばしで並べる」「完全五度の間隔で並べる」など——全部で6通りの異なる円の並べ方を作ることができます。それぞれの並べ方は、ちょうど文字盤の目盛りの間隔が違う時計のようなもので、違う和音の性質に敏感に反応するように「調整」された観測装置だと考えてください。

  • 半音ずつ並べた円($f_1$、普通の並べ方)は、「音がどれだけ半音的に固まっているか(クラスター的な響き)」に敏感

  • 三全音(トライトーン、6半音差)どうしを同じ場所にまとめる並べ方($f_2$)は、「三全音がらみの密集した響き」に敏感

  • 長3度(4半音差)ずつまとめる並べ方($f_3$)は、「増三和音らしさ」に敏感

  • 短3度(3半音差)ずつまとめる並べ方($f_4$)は、「減七の和音らしさ」に敏感

  • 完全五度ずつ並べた円($f_5$)——つまり本稿の「五度圏」——は、「調的な方向性(ある調に向かっている感じ)」に敏感

  • 全音(2半音差)ずつまとめる並べ方($f_6$)は、実は12音がたった2グループに真っ二つに分かれてしまう特殊な並べ方で、「全音音階らしさ」に敏感


このように、6通りの並べ方はそれぞれ異なる「風味検出器」になっています。ある和音を分析するとき、これら6つの円すべてに同じ和音を当てはめてみて、どの円で一番はっきりした偏りが出るかを比べることで、「この和音は全音音階寄りなのか、それとも増三和音寄りなのか」といった、複数の可能性を同時に見比べることができるわけです。本稿の分析は、この6つの円のうち「五度圏」というひとつの円だけに焦点を絞って、交響曲全体を通した調的方向性の変化を追いかけている、と位置づけられます。

ここで面白いのは、これら6つの円の間にも、ある種の役割分担があることです。実は「半音ずつ並べた円」と「完全五度ずつ並べた円(五度圏)」の2つは、互いによく似た性質を持っています——どちらも、対称的にきれいに



並んでしまう和音(増三和音や全音音階のような、先ほど触れた「特殊な和音」)に対しては、同じように「見えなくなって」しまうのです。つまり、五度圏が増三和音や全音音階を見分けられないのは五度圏だけの弱点ではなく、半音の円もまったく同じ弱点を持っています。その代わり、残り4つの円(短3度・長3度・全音・三全音の間隔で並べたもの)が、ちょうどこの「見えなくなる」対称和音たちをそれぞれ専門に検出する役割を担っています。言ってみれば、6つの円は互いに死角を補い合うチーム編成になっているわけです。

そしてこれは、私たちが独自に考案した特別な仕掛けではありません。音楽理論の研究者(イアン・クイン、ジェイソン・ユストらの一連の研究)が既に確立し、実際の楽曲分析にも使われている、標準的な分析の枠組みの一部です。つまり、五度圏という円を使う私たちの分析も、この確立された枠組みの中の「五度の並べ方」という一つの型を、交響曲の時間的な展開を追う目的のために応用したものだということになります。

円の上でバランスを取る

さて、ある瞬間にオーケストラが鳴らしている音(例えばドとミとソ、つまりハ長調の主和音)を、五度圏の上に置いてみましょう。


ここで役立つのが「天秤」あるいは「モビール」のイメージです。円盤の中心を支点にして、円周上のいくつかの場所に同じ重さのおもりを乗せたと想像してください。おもりが円周のある一角に偏って乗っていれば、円盤はその方向に傾きます。逆に、おもりが円周全体にまんべんなく散らばっていれば、円盤は水平のまま釣り合います。

ハ長調の主和音のような普通の和音では、3つの音(おもり)が五度圏の上のある一角に偏って並ぶので、円盤はその方向にはっきり傾きます。「どちらの方向に、どれくらい強く傾くか」——これが「重心」の指し示す情報です。この傾きを曲全体にわたって追いかけていくことで、「この曲が今どの調の方向を向いているか」「調はどれくらい安定しているか」を目に見える形にできる、というのがこれまでの分析全体の土台になっている発想です。

特殊な和音は「釣り合って」しまう

ところが、和音の中には少し変わった性質を持つものがあります。例えば「増三和音」(ド・ミ・ソ♯)を考えてみましょう。この3つの音は、五度圏の上で、ちょうど等間隔(3等分の位置)に並びます。

3つのおもりが円周上にきれいに等間隔で並んでいるとき、円盤は——直感的にも分かる通り——傾かずに、ちょうど水平のまま釣り合います。3方向に均等に引っ張り合っているので、互いに打ち消し合ってしまうのです。同じことは、「減七の和音」(4つの音が均等に4等分の位置に並ぶ)や、「全音音階」(6つの音が均等に6等分の位置に並ぶ)、「三全音」(2つの音がちょうど円の正反対の位置にある)にも起こります。これらはすべて、円周上での並び方が「均等」であるがゆえに、円盤の傾き(重心)が中心の一点に潰れてしまう和音たちです。

一方、ハ長調の主和音のような普通の三和音は、円周上で均等には並んでいません。だから12種類のどの調に移調しても、それぞれ違う場所に円盤が傾き、「今どの調の方向を向いているか」をきちんと区別できるわけです。

同じ和音でも、並べ方を変えると結果が正反対になる

ここで面白い実験ができます。増三和音を、五度圏ではなく、先ほど触れた「長3度ごとにまとめる並べ方」($f_3$の円)に乗せてみるとどうなるでしょうか。


五度圏の上では、増三和音の3音は円周上の3か所に分かれて綱引きをし、互いに打ち消し合って中心で釣り合いました。ところが「長3度ごとにまとめる並べ方」では、増三和音の3音は——計算してみると——寸分違わず、まったく同じ1か所に重なってしまいます。3つのおもりが1か所に積み重なるわけですから、天秤はもう釣り合うどころではなく、その方向に力いっぱい傾きます。

つまり、同じ3つの音が、五度圏では「互いに打ち消し合って何も見えなくなる」のに、別の並べ方に乗せ替えると「一点に集中してくっきり見える」という、正反対の結果になるのです。これは、6つの円がそれぞれ「何を見つけやすく、何を見逃しやすいか」という役割分担を持っている、ということを最も分かりやすく示す例だと思います。五度圏だけを見て「増三和音は何の手がかりも残さない」と結論づけるのは早合点で、単にその円という一つの検出器が、たまたまこの和音に対して盲点を持っているだけなのです。

ただし、五度圏だけで「釣り合った」を見ても中身は分からない

一つ、注意しておきたいことがあります。ここまで見てきた「五度圏($f_5$)で円盤が釣り合う(重心が真ん中に来る)」という現象には、実は理由が一つではありません。増三和音でも、減七の和音でも、全音音階でも、あるいは単にたくさんの音が同時にぎっしり鳴っていて互いに打ち消し合っている場合でも、五度圏の上では「円盤が釣り合う」という見た目の結果は同じになってしまいます。五度圏という一つの円だけを眺めていても、この中のどれが起きているのかは区別がつきません。

しかし、ここで先ほどの「並べ方を変える」という手が生きてきます。五度圏で釣り合ってしまって手がかりが消えたときこそ、別の円(例えば長3度ごとにまとめる円や、短3度ごとにまとめる円)に同じ音を乗せ替えてみればよいのです。もしそこで大きく傾けば、五度圏で見えなくなっていた中身の正体(増三和音なのか、減七の和音なのか)が、その傾きの大きさと方向から分かります。つまり、一つの円で釣り合ってしまったことは終着点ではなく、次にどの円を試すべきかという手がかりでもあるわけです。

実際に作品を調べてみると、三輪眞弘の「新調性主義」の系列に属する「虹機械」2作(「はじまりのうた」「公案-001」)はいずれも五度圏に限れば、一見したところ西欧の交響曲的作品と大きく変わらないように見えますが、他の円に乗せ替えて確かめると、西欧の所謂「機能和声」的な調性とは全く異なる発想で創られていることが明らかになります。両者を同じ「調的」現象として片付けてしまうのは早計だということです。それは実際には五度圏における重心の動きの特徴を細かく確認していくことでもわかってくることなのですが、この「乗せ替えて中身を確認する」という作業を行うことでその違いをより一層鮮明に浮かび上がらせるというのが今回の分析拡張の中心的な課題の一つでした。その概要は本稿の続編である、「《虹機械》から見えてくる「五度圏」のもう一つの顔——数式なしで読む三輪眞弘の新調性主義」で紹介しています。またその詳細は、以下の2つのレポートで確認することができます。


本稿の考え方は、Ian Quinn, "General Equal-Tempered Harmony," Perspectives of New Music, 45/i (2007), pp. 4–63、および Jason Yust, "Special Collections: Renewing Set Theory," Journal of Music Theory, 60/ii (2016), pp. 213–262 による音楽理論的フーリエ解析の枠組みに基づいています。この枠組みを用いた具体的な楽曲分析の一例として、Oliver Chandler and Isabella Thorneycroft, "Phasic Dissonance, Timbral Contrast: Analysing 20th-Century Guitar Harmonies with Discrete Fourier Transform," Music Analysis, 43/i (2024), pp. 77–113 も参考になります(同論文はギター曲を題材にしていますが、「6通りの円」や「円盤のバランス」という考え方を分かりやすく紹介しており、本稿の説明もこれに着想を得ています。なお、本稿冒頭のウイスキーの利き酒のたとえも同論文からの借用で、同論文自体はこれをSteven Ringsによるものとして脚注で紹介しています)。また本稿はClaude Sonnet 5およびChatGPT 5.6 lunaとの会話を通じて作成されました。

(2026.9.8 公開、9.11 まとめの図を追加)

「虹機械」2作品のピッチクラスDFTスペクトル分析——f1-f6全モードによる西欧交響曲コーパスとの対比

 

1. 目的と対象

既存の五度圏重心分析(f5に相当する第5次DFT係数のみを用いた分析)を、ピッチクラス集合のDFT全係数(f1~f6)に拡張し、三輪眞弘《虹機械》の2作品(「虹機械 はじまりのうた」、本稿では以下、Hamamatsuとラベル付け、「虹機械 公案-001」本稿では以下、Koan-001とラベル付け)を、8作曲家55楽章の西欧交響曲コーパスと対比した。

五度圏重心(Avg_r)は、ピッチクラス集合を単位円上の点として第5次DFT係数の大きさ|f5|を取ったものに数学的に等価である(既存の理論的基盤による)。本レポートはこれをf1からf6まで一般化し、「どの対称性クラスに音高分布のエネルギーが乗っているか」という、Avg_r単体では検出できない次元を検討する。

対象は、五度圏重心軌道分析(虹機械)レポートで確立した2作品×3窓幅(4音・8音・16音単位)=6点の虹機械データと、55楽章コーパスである。重心計算のweightingは両者とも二値重み(ピッチクラスの存在有無のみを重みとする)で統一している。

2. 方法

2.1 f1-f6 DFTスペクトルの定義


ピッチクラス集合の第k次DFT係数の大きさを
$$f_k =\left|\frac{1}{N}\sum_{i=1}^{N}e^{i 2\pi k c_i / 12}\right|$$

と定義する(ciは各サンプル窓における重心計算に用いるピッチクラス)。f5は五度圏重心Avg_rと同一の量である。k=7以降はk=12-kと大きさが一致するため、f1~f6のみで全情報を尽くす。

作品ごとに6つの係数を相対化した

$$P_k = \frac{f_k}{\displaystyle\sum_{j=1}^{6} f_j}$$

を「相対Fourierスペクトル」とし、そのシャノンエントロピー$H=-\sum_{k=1}^{6} P_k \ln P_k$から

$$\mathrm{Fourier\_Concentration}=1-\frac{H}{\ln 6}$$

を定義する(0=6モードに均等分散、1=単一モードに完全集中)。


2.2 比較指標

  • f5/f4比:五度圏(f5)と、対称性の低い四全音関係(f4)との相対的優位性を表す単純な比。

  • Fourier_Concentration / Fourier_Spectrum_Entropy:6モード間のエネルギー配分の偏り。

  • 無窓(曲全体一括)DFT:窓分割を一切経ない、曲全体の生ピッチクラス列(頻度加重・コヒーレント平均)から直接計算したf1-f6。

  • 音程クラス分析:ピッチクラスへの丸め・重心計算を経由しない、生のMIDIノート列における隣接音間の音程クラス分布。窓幅にもDFT計算にも依存しない、独立した検証経路として用いる。

2.3 サンプル規模の限界

虹機械側は2作品×3粒度=6点のみで、同一曲の入れ子集計であり独立標本ではない。以下の統計量は「粗視化に対する頑健性」の記述として扱い、有意性検定の対象とはしていない。

3. 主な結果

3.1 f5/f4比——コーパスの分布から大きく外れる

コーパス55楽章の作曲家別平均f5/f4比は0.90(Brahms)~1.15(Mahler)の狭いレンジに収まる。

作曲家

平均f5/f4比

Brahms

0.904

Pettersson

0.913

Mozart

0.988

Sibelius

1.015

Haydn

1.018

Shostakovich

1.035

Bruckner

1.085

Mahler

1.151

コーパス全体(楽章単位、n=55)ではmean=1.029, sd=0.151, range=[0.757, 1.454]。虹機械6点のf5/f4比は3.41~4.63(値は窓ごとに変動するがいずれもコーパス最大値1.454の2倍以上)で、z値にして+15.8~+23.9SDに達する。トーナルな8作曲家はいずれもこの比が1前後の狭い範囲に収まるのに対し、虹機械だけが構造的に隔絶している。

3.2 Fourier_Concentration——曲レベル集計でのコーパス比較

55楽章コーパスのFourier_Concentrationはmean=0.0256, sd=0.0108, range=[0.0044, 0.0450](最小はPettersson後期の一楽章、最大はHaydn)。虹機械6点は0.051~0.105で、コーパス最大値0.045を全点が上回る(z値+3.0~+7.4SD)。

Work

Fourier_Concentration

コーパスz値

Hamamatsu-4

0.058

+3.04

Hamamatsu-8

0.078

+4.87

Hamamatsu-16

0.105

+7.39

Koan-4

0.051

+2.32

Koan-8

0.079

+4.95

Koan-16

0.095

+6.47

窓を4→8→16音単位と広げるほど、Concentrationは単調に増加する。これは五度圏重心軌道分析(虹機械)レポートで確認した「window=16でAvg_r自体はコーパスの正常範囲に収まる」という結果と対照的である——大きさが正常化する窓幅において、内訳の偏りはむしろ最大化する

3.3 曲レベル集計に対応したヌルモデル補正

Fourier_Concentrationは、Avg_rと同じ構造を持つ「曲を通じた多数の窓の平均」から計算される統計量である。したがって、その偶然水準を見積もるヌルモデルも、単一窓ではなく、実際の曲と同じ窓数(有効小節数)をシミュレートし、窓ごとのf1-f6を平均してからConcentrationを計算する必要がある。多数の窓を平均すると、単一窓が持つ小標本ノイズはほぼ相殺されるため、ヌルモデルの期待値はほぼゼロになる。

window

観測

ヌルモデル期待値(曲と同じ窓数でシミュレーション)

z値

4

Hamamatsu (n=572窓)

0.058

0.0008

+170

4

Koan (n=835窓)

0.051

0.0007

+187

8

Hamamatsu (n=501窓)

0.078

0.0008

+210

8

Koan (n=816窓)

0.079

0.0007

+262

16

Hamamatsu (n=260窓)

0.105

0.0010

+197

16

Koan (n=417窓)

0.095

0.0008

+216

いずれの窓幅でも、観測値は偶然の水準から100SD以上離れている。すなわちFourier_Concentrationの高さは、統計的偶然によっては説明できない、構造的な特徴である。

3.4 無窓DFTと音程クラス分析——窓分割に依存しない裏付け

窓による集計を一切経ない、曲全体の生ピッチクラス列(頻度加重・コヒーレント平均)でもf5は同水準の支配性を示す(Hamamatsu: f5=0.466、Koan: f5=0.118、いずれもf1-f4・f6を大きく上回る)。


なお、この節でのみ頻度重み(曲全体のピッチクラス出現頻度をそのまま重みとするコヒーレント平均)を用いている。二値重みで曲全体を単一の窓として扱うと、12音すべてが最低1回は出現する場合、112c=011ei2kc/12=0k=1,,11)という恒等式により、必然的にf1-f6はすべてゼロに近づく。二値重みは「ある瞬間・ある窓に何が存在するか」という局所的な問いにのみ意味を持ち、「曲全体を通じてどのピッチクラスにどれだけ再訪するか」という大域的な頻度の問いには原理的に適用できないため、この節に限り頻度重みを用いる。

この処理により、3.1〜3.3節(窓別・二値重み)の数値と3.4節(無窓・頻度重み)の数値は、weighting方式が異なるため直接比較できない。実際、f5/f4比は窓別(二値重み)で3.4〜4.6であるのに対し、無窓(頻度重み)ではHamamatsu 9.29、Koan 4.28となり、絶対値としても比率としても一致しない。3.4節で「同じ偏りが再現される」というときの「同じ」が指しているのは、数値の一致でも比率の一致でもなく、6モードのうちf5が最大値を取り、かつ他モード(特にf4)を大きく引き離すという順序関係(ランキング)が、窓の有無・weighting方式によらず保たれている、という定性的な一致のみである。

さらに、隣接する実音間の音程クラスを直接調べると、全遷移の56~61%が完全4度・5度(IC5)に集中している(同音・オクターブ反復が次点で約22~27%、他の音程クラスはいずれも1桁%台)。

なお、ここで音程クラス分布を参照するのには理論的な裏付けがある。ピッチクラス頻度分布のDFT係数の大きさの2乗は、その分布の自己相関(ある音程tだけ離れたピッチクラス同士がどれだけ共起するかを表す関数)のDFTに等しい(Wiener–Khinchinの定理の離散版)。したがって、各音程クラスtは

cos(2kt/12)

という係数を通じて各モードkに寄与する。この係数が+1に近い音程ほど、その音程が多いほど当該モードを強め、-1に近いほど弱める。t=0..6について、この係数を最大化するkを求めると次のようになる。

音程クラス

最も強く対応するモード

IC0(同音・オクターブ)

全モード(k=1〜6すべてに等しく+1.000)

IC1(短2度)

f1(+0.866)

IC2(長2度)

f6(+1.000)

IC3(短3度)

f4(+1.000)

IC4(長3度)

f3とf6(+1.000、同点)

IC5(完全4/5度)

f5(+0.866)

IC6(三全音)

f2・f4・f6(+1.000、同点)

IC1・IC2・IC3・IC5は特定のモード1つに一意に対応するが、IC4・IC6は複数のモードに同時に対応し、1対1には還元できない。これはgcd(音程クラスと12の最大公約数)が1より大きい音程ほど、対応するモードの数が増えるという構造による——長3度・三全音がそれ自体高い対称性(増三和音・全音音階との親和性)を持つ音程であることと整合的である。またIC0はcos(0)=1がすべてのkについて成り立つため、6モード間の相対的な偏り(プロファイルの形)には寄与せず、全モードの水準を一律に底上げする成分としてのみ働く。

したがって、隣接する実音間の音程クラス分布でIC5が突出している(56〜61%)という観察は、f5がモードプロファイル上で突出しているという観察と、この係数構造を介して直接結びついている。ただし厳密には、この関係はピッチクラス頻度分布全体の自己相関(すべてのペア間の共起)についてのものであり、本節で実際に集計しているのは隣接する2音間の遷移のみである。状態遷移機械のように直前の音だけを入力として次の音を決める生成過程では、両者は強く相関すると考えられるが、数学的に同一の量ではない点には留意されたい。

無窓DFTと音程クラス分析はいずれも重心計算そのものを経由しない独立した検証経路であり、f5支配・高いFourier_Concentrationが分析上の人工物ではなく、状態遷移機械の遷移規則そのもの(「完全5度で動くか、同音に留まるか」という二択にほぼ帰着する)に内在することを裏付ける。隣接する実音間の遷移を符号付きで見ても+5と+7(5度の両方向)がほぼ拮抗して出現しており、双方向の5度往復が基本ジェスチャーになっていることが窺える。

3.5 コーパス内でのDominant_Modeの分布

55楽章中、f5が支配的モードとなる楽章は28(51%)、f4は17(31%)、f3は9(16%)、f6は1(Sibelius「タピオラ」のみ、2%)。虹機械6点はすべてf5支配であり、この点ではコーパスの多数派と同じ側に属する。虹機械の異質性は「どのモードが支配的か」ではなく、「支配的モードへの集中の度合い」(Fourier_Concentration)にある。

4. 解釈(作業仮説)

五度圏重心軌道分析(虹機械)レポートで確立した通り、旧9指標体系(重心の大きさAvg_rと2次元的な広がり)で見る限り、window=16(コーパスと最も比較可能な粒度)における虹機械はコーパスの正常範囲に収まる、平凡な作品に見える。

本レポートのf1-f6スペクトル分解は、この「平凡さ」がAvg_r(f5の大きさ)という1次元だけを見ていることの限界であることを示す。同じwindow=16において、f5/f4比はコーパス最大値の2倍以上、Fourier_Concentrationはコーパス最大値を7.4SD上回り、曲レベルのヌルモデルに対しては200SD近い超過を示す。すなわち:

  • 重心の大きさ(Avg_r=f5)はコーパス的に平凡である。

  • しかし6モードへのエネルギー配分を見ると、虹機械は西欧交響曲コーパスのどの楽章よりも、また偶然の水準よりも、桁違いに強く単一の対称軸(f5=五度圏)に一極集中している。

さらにこの一極集中は、窓分割という分析上の操作から独立している。無窓DFT(曲全体を頻度加重で一括処理した場合)でも、窓を一切用いない生の音程クラス分布(IC5が56~61%)でも、同じ偏りが再現される。したがって虹機械の構成原理は、コーパスとの対比というよりも、状態遷移機械という生成方式そのものに内在する幾何学的特徴として理解するのが適切である——生成規則が本質的に「五度圏上を往復する」という単純な二択にほぼ帰着するため、どの時間スケール・どの集計単位で観測しても、同じ五度圏バイアスが音高列に幾何学的痕跡として刻まれる。

三輪自身が《虹機械》を「新調性主義」と呼んでいることを踏まえるなら、この結果は次のように言い換えられる。虹機械の調性は、西欧の機能和声が前提とする「多様な対称性クラス(三和音・七の和音・全音音階的構造等)の間の均衡」からではなく、単一の対称軸への意図的な純化から立ち上がっている。西欧コーパスとの対比でこれが「異質」に見えるのは、コーパス側のどの楽章も、これほど極端な単一モードへの集中を示さないためである。

5. 限界と今後の課題

  • サンプルが2作品6点と少なく、粒度間の値も独立ではない。他の虹機械作品や三輪の他作品への拡張が望まれる。

  • 本レポートでは6モードを個別の比較指標(f5/f4比、Fourier_Concentration等)として扱うにとどめ、55楽章+虹機械6点を6次元空間でPCA・クラスタリングする分析は行っていない。f1とf5(およびf2とf10等)がLewin-Quinnの転置対称定理により同じ「盲点」を共有するため、6次元をそのまま多変量解析に投入する場合の共線性・解釈可能性の検討が必要であり、別途の課題とする。

  • 3.3節のヌルモデルは「ピッチクラスが完全に一様分布する」という最も保守的な仮定に基づく。虹機械の状態遷移機械が実際に生成するピッチクラス出現頻度分布(一様でない可能性が高い)に基づくサロゲートデータでの検証は、より精緻な補正として今後の課題である。

  • 状態遷移機械の遷移規則そのもの(マルコフ的構造)と、ここで観測された幾何学的特徴の対応関係は、3.4節で音程クラス分布のレベルまでは確認したが、より精密な遷移確率モデルとしての検証は今後の課題である。


五度圏重心軌道分析プロジェクトの一部として作成。五度圏重心軌道分析(虹機械)レポート(旧9指標体系)と対をなす、f1-f6 DFTスペクトル分解に基づく分析。本分析のための実験用スクリプト作成、結果の検証、レポート作成において、Claude Sonnet 5, ChatGPT 5.6 luna を用いています。

(2026.9.8 公開)