2026年9月5日土曜日

ピッチクラスセットの離散フーリエ変換に基づく調的組織の軌道力学分析 ——方法論編レポートII(2026.9.21改訂)

 

0. はじめに——方法論の再定位

0.1 レポートIとの関係

レポートI(五度圏ピッチクラスセット重心の方向性指標拡張)では、既存9指標体系を拡張する形で16の新指標を開発する過程で、幾何学的原点(0, 0)が単なる「調的に曖昧な状態」ではなく、数学的な特異点であるという発見に至った。増三和音・減七和音・全音音階・増六和音など、回転対称性を持つピッチクラスセットは、単位円上の座標の算術平均を取ると必然的に原点近傍へ「折りたたまれる」。この事実への対応として、レポートIではOrigin_PCSet_Ratio等の指標により、原点着地イベントをカーディナリティ別・ピッチクラスセット別に分解する枠組みを導入した。

本稿は、この発見を出発点として、方法論そのものの理論的な位置づけを再定位する。すなわち、五度圏重心分析が実質的に何を計算していたのかを検討した結果、五度圏配置そのものが、ピッチクラスセットに対する離散フーリエ変換(Discrete Fourier Transform; DFT)の特定の係数、すなわち第5係数 f5 に対応することが明確になった。したがって、レポートIの原点特異点という発見は、独立した経験的発見であるだけでなく、f5の絶対値 |f5| の消失(0に近づくこと)という、より一般的な数学的現象の音楽的な現れであったと理解できる。

この認識は、方法論の位置づけを変更する。五度圏重心分析は独立した特殊な方法ではなく、ピッチクラスセットのDFTによって与えられるFourier空間上の軌道力学分析の一つの、しかも西欧音楽の分析において特に重要な特殊ケースとして理解できる。

本稿では、この検討を通じて明らかになった方法論の基本構造、その理論的基盤、分析手順、およびレポートIで確立した指標体系との関係を整理する。

0.2 本稿の構成

第1章では、ピッチクラスセットとDFTの理論的基盤を述べる。第2章では、五度圏重心分析をf5空間における軌道分析として再解釈する。第3章では、本方法論の独自性が静的なピッチクラスセット分類ではなく時間軸上の軌道分析にある点を確認する。第4章では、異なるFourier空間に共通して適用できる幾何学と指標群を整理し、レポートIの指標体系との対応を明示する。第5章では分析の基本的手順を、第6章では別のFourier空間への移行の考え方を述べる。第7章では、この一般化の着想を与えた動機的事例を、詳細な検証を伴わない範囲で紹介する。第8章では方法論全体を四層構造として整理し、第9章で標準的な分析プロトコルを提示する。第10章では今後の適用対象を、第11・12章で本方法論の特徴と結論を述べる。

なお、本稿はあくまで方法論の記述にとどまり、個々の作曲家・作品への適用によって得られる音楽的知見の報告は別稿に譲る。

1. 理論的基盤——ピッチクラスセットと離散フーリエ変換

1.1 ピッチクラスセットのFourier表現

12音のピッチクラスから構成される集合 X に対して、離散フーリエ変換の各係数は、

$$F_k(X) = \sum_{x\in X} e^{-2\pi i kx/12}$$

として定義される。各 Fk は複素数であり、$F_k = \Re(F_k) + i\,\Im(F_k)$ と表せる。したがって各Fourier係数は、$(\Re F_k,\ \Im F_k)$という二次元平面上の一点として扱うことができる。

重要なのは、係数$k$によって異なる周期性・音程構造が強調されることである。概念的には、

●    $f_5$:五度圏的組織

●    $f_4$:短3度周期性、減七和音的構造

●    $f_6$:全音音階的・三全音的対称性

など、異なるFourier係数空間が異なる種類のピッチクラス組織を可視化する。すなわち、音楽を一つの固定された調性空間に配置するのではなく、異なる周期的組織に対応する複数の観察空間を持つことが可能になる。

2. 五度圏重心分析の再解釈

2.1 f5は西欧音楽の調的組織を見る第一の空間である

図2-1 五度圏上の「音の重心」――五度圏重心分析の概念的基礎

12のピッチクラスを五度圏上に配置し、それぞれの出現を重みとして平均することで、音の集まりの中心的位置を捉える。重心の距離は集中度、方向は調的な方向性を表す。この概念をDFTの観点から再解釈すると、五度圏重心分析は第5係数f5によるFourier空間上の分析として位置づけられる。


レポートIで用いてきた五度圏重心分析は、ピッチクラスセットに対する標準的なDFTの第5係数$f_5$と数学的に対応する。ただし、この対応の具体的な形——共役操作の要否——は、(i)五度圏をどちら回りに描くか、(ii)$F_k$の指数の符号をどちらに取るか、という二つの規約の組み合わせに依存する。以下では、本コーパスの分析で実際に採用されている規約——$x$軸右向き正・$y$軸上向き正の標準的な数学的座標系のもとで、時計回りが上昇完全五度(反時計回りが上昇完全四度=下降完全五度)に対応する——を前提として導出する。

標準的な数学的角度(反時計回りを正の向きとする角度$θ$)は、この規約のもとでは、$θ$が$2π/12$増える(反時計回りに1歩進む)ごとにピッチクラスが5(上昇完全四度)増えることを意味する。したがって、ピッチクラス$x$に対応する角度は

$$\theta(x) = \frac{2\pi\cdot 5x}{12} = -\frac{2\pi\cdot 7x}{12}\pmod{2\pi}$$

で与えられ、五度圏重心は

$$G_5(X) = \frac{1}{N}\sum_{x\in X} e^{i\theta(x)} = \frac{1}{N}\sum_{x\in X} e^{-i2\pi\cdot 7x/12}$$

となる。ここで$7≡−5 (mod 12)$ であることから、これは本稿1.1節で定義した$F_k$(負の指数の規約)における第7係数、$F_7(X)$の定義式そのものと一致する。すなわち

$$G_5(X) = \frac{1}{N}F_7(X)$$

さらに、実数値入力のDFTに一般に成り立つ対称性 F12−k(X) = conj(Fk(X))(音楽的には、完全五度=7半音と完全四度=5半音が同一のインターバルクラスIC5に属することの反映)から、$F_7(X) = \overline{F_5(X)}$が常に成り立つ。したがって

$$G_5(X) = \overline{F_5(X)}$$

となり、五度圏重心を$F_5$係数と関係づけるには共役操作が必要である。

この共役操作は、しかし音楽的内容を反映した本質的な事実ではなく、(i)五度圏をどちら回りに描くか、(ii)$F_k$の指数の符号規約、という二つのbook-keeping上の選択の組み合わせから生じるものである点に注意が必要である。たとえば、もし五度圏を反対向き(反時計回りが上昇完全五度)に描く規約を採用していれば、$G_5(X)=F_5(X)$となり共役操作は不要になる。同様に、$F_k$を正の指数で定義する規約(一部の文献で採用される)のもとでも、共役の要否は入れ替わる。したがって、共役操作の要否そのものに音楽的な意味はなく、重要なのは半径$|G_5(X)|=|F_5(X)|$(絶対値は共役によって変わらない)が五度圏的組織への収束度を表すという点、および方位角については

$$\arg(G_5(X)) = -\arg(F_5(X))$$

という符号の反転を伴う点である。

なお、五度圏をどちら回りに描くかは分野・文献によって選択が分かれる。たとえばQuinn (2007) の枠組みに基づくFourier phase-space分析(Chandler & Thorneycroft 2024等)では、$f_5$の時計盤は「時計回りに位置が1つ進むごとにピッチクラスが5増える」——すなわち時計回りが上昇完全四度(反時計回りが上昇完全五度)——という、本コーパスとは逆向きの慣習を採用している。したがって、本コーパスで計算される方位角(Home_Angle等)を、そうした文献やHardingのDFT Vector Calculatorのような外部ツールで計算されたF5の位相と直接比較する際には、符号(あるいは共役)を取る必要がある点に注意されたい。

ここで重要なのは、「$f_5$に対応する」ということが単に半径$|f_5|$だけを意味するのではないことである。五度圏重心の$x・y$座標そのものが$f_5$の複素係数と対応しており(共役の関係を介して)、半径はその絶対値、方位角はその位相の符号を反転させたものに対応する。したがって、これまで行ってきた五度圏上の位置・方向・距離の分析は、$f_5$という複素Fourier係数の時間的変化を、符号関係に注意した上で二次元軌道として記述していたことになる。

これは西欧音楽の伝統において特に重要である。西欧の調性音楽では、五度関係・主音と属音・主調と近親調・転調・調的距離・緊張と解決・出発と回帰といった関係が、音楽の大域的組織に大きな役割を果たしてきた。

したがって、歴史的・音楽的な意味において、$f_5$は単にDFTの六つの係数の一つではない。西欧音楽の伝統に連なる作品を分析する場合、それはまず最初に観察すべき、いわば第一の分析空間である。この意味で、方法論を一般化したからといって、五度圏分析の重要性が相対化されるわけではない。むしろ、五度圏重心軌道分析を第一段階として保持した上で、必要に応じて他のFourier空間へ分析を拡張するという階層的な方法論が成立する。この意味において、五度圏重心分析は、ピッチクラスセットのDFTに基づくFourier空間上の軌道力学分析の特殊ケースとして厳密に位置づけることができる。

3. 静的分類から軌道力学へ

3.1 本研究の独自性はFourier係数そのものではなく、時間軸上の軌道分析にある

ピッチクラスセットにDFTを適用する研究そのものには既に理論的な蓄積がある。しかし本方法論の中心的な特徴は、ピッチクラスセットを静的に分類することだけにあるのではない。各時点tにおいて、

$$F_k(t) = x_k(t) + i\,y_k(t)$$

を求めることで、$\{(x_k(t),\ y_k(t))\}_{t=1}^{T}$という二次元空間上の点列——ピッチクラスセットの時間的軌道——を構成する。したがって分析対象は、「この瞬間にどのようなピッチクラスセットが存在するか」だけではなく、「その作品が特定のFourier空間の中で、どのような運動を行うか」へと移行する。この点に、本方法論の独自性がある。

4. 共通の幾何学と指標群

4.1 異なるFourier空間でも同じ分析装置を使用できる

レポートIで開発してきた指標群の多くが、$f_5$固有のものではなく、より一般的な二次元軌道の力学的・統計的性質を測定していることが、本方法論の重要な発見の一つである。各Fourier空間では$(x_k(t),\ y_k(t))$という共通の二次元座標が得られる。したがって、空間の音楽的意味は変わっても、その基本的幾何学は共通しており、レポートIで確立した指標群は原理的にそのまま移植できる。対応関係は以下の通りである。

指標カテゴリ

レポートIでの対応指標(全16)

一般化された定式

位置・半径

Avg_r, SD_r, Origin_PCSet_Ratio, Exact_Triadic_Ratio, Origin_Collapse_Index

平均半径、半径の標準偏差、原点滞留率、高半径領域到達率

移動

Avg_Step, Step_Rate_100

平均ステップ、総移動量、jump頻度、最大移動量

空間的分布

Spatial_Dispersion, Anisotropy_Ratio, Axis_Angle, Rbar_full, Peripheral_Circular_Concentration

異方性/等方性、方向集中度、主軸方向、軌道の広がり

時間的組織

Residence_Entropy, Attractor_Number, Dominant_Residence_Ratio, Second_Tonal_Region, Peak_Ratio_1st_2nd, Terminal_Center, Return_Probability_Dominant

滞留時間、residence entropy、attractorの数・集積度、終端状態

 さらに、速度・加速度・方向転換・位相の遷移なども、同じ枠組みの中で扱うことができる。つまり、座標空間は変わるが、軌道の力学を記述する言語は共通である。これは本方法論の大きな強みである。

4.2 同じ指標でも音楽的意味は異なる

ただし、ここには重要な注意が必要である。たとえば、

$$\bar r = \frac{1}{T}\sum_{t} \sqrt{x_t^2+y_t^2}$$

というAvg_rの定義は、$f_5$でも$f_4$でも数式としては同一である。しかし、$f_5$における高いrと、$f_4$における高い$r$が意味する音楽的内容は異なる——前者は五度圏的な調的収束を、後者は短3度周期性・減七和音的構造への収束を意味する。したがって、本方法論は、共通の幾何学+係数空間ごとの音楽的解釈という二層構造を持つ。

これは単なる技術的な注意ではない。むしろ、同じ「収束」「拡散」「滞留」「移動」という力学的現象を、異なる音程的・周期的組織との関係で比較できるという点に、この方法の一般性がある。

5. 分析の基本的手順

5.1 第一段階:f5による基礎分析

西欧音楽の伝統に連なる作品については、まずf5を基本的な分析空間とする。ここでは、五度圏上の重心・軌道の移動・半径方向の変化・特定領域への集積・attractor・方向性/等方性・時系列的変化を分析する(レポートIで確立した指標体系)。この段階で重要なのは、単純に作品を「調性的/非調性的」と分類することではなく、五度圏的組織がどのような力学を示しているかを記述することである。

5.2 第二段階:特徴的領域の検出

f5の軌道分析によって、原点への異常な集積・特定領域への長時間の滞留・特異なattractor・他作品と異なる軌道構造・急激な相転移・説明困難な圧縮/拡散などが検出された場合、その領域をさらに分析する。ここでは「なぜその領域に集積しているのか」という問題が生じる。

5.3 第三段階:ピッチクラスセットの局所分析

特徴的な領域を構成するピッチクラスセットを直接調べる。特定の和音型・特定の対称集合・周期的構造・カーディナリティ・ピッチクラスセットの頻度・近傍集合などを確認する(レポートIの原点分解手法に対応)。ただしこの局所分析は最終目的ではなく、その局所的集合構造がより高いレベルの組織原理を示唆しているかを判断することが重要である。

6. 別Fourier空間への移行

6.1 「逸脱」を別の組織化として検証する

従来の調性分析は、特定の調的組織の内部では非常に高い解像度を持つ。しかし、その組織から大きく離れた作品については、調性の弱化・調的曖昧化・機能和声の崩壊・無調化といった、既存の秩序からの「逸脱」として記述されやすい。しかし、逸脱=単なる崩壊とは限らない。ある空間において組織性が低下して見える現象が、別のFourier空間では、収束・高い振幅・安定した滞留・特徴的な軌道・明瞭なattractorとして現れる可能性がある。したがって、ある組織原理からの逸脱→別の組織原理への移行の可能性を検証することが必要になる。このとき初めて、$f_4$, $f_6$, $f_3$などの別Fourier空間へ移る。

6.2 係数空間は事前に固定しない

本方法論の重要な特徴は、最初から$f_1, f_2, \ldots, f_6$をすべて同等に分析することではない。それは情報量を増やす一方で、分析の焦点を失わせる可能性がある。むしろ、

$f_5$ → 特徴の検出 → ピッチクラスセットの確認 → 候補Fourier空間の選択

という探索的手順を採る。分析対象が次の分析空間を要求する、という考え方である。

7. 一般化の着想を与えた動機的事例

本方法論の一般化は、後期ペッテションの分析過程での観察を契機としている。ここでは詳細な検証結果には立ち入らず、方法論の着想源としての位置づけのみを述べる。

後期ペッテションの分析では、従来の五度圏重心軌道分析($f_5$)において、原点への強い集積が観察された。この中心は単一の和音や単一のピッチクラスセットを意味せず、そこで原点内部を直接ピッチクラスセットとして分析すると、減七和音およびそれに関連する集合が重要な位置を占めることが示唆された。ここから、$f_4$という別のFourier空間から同じ現象を再観察するという着想が生まれ、$f_5$の原点において圧縮されていた構造が、単純な「減七和音の頻度」という問題ではなく、短3度周期性を基礎とするより広い組織原理として捉え直せる可能性が浮かび上がった。

この観察が示唆するのは、「調性の崩壊→無秩序」という一方向的なモデルではなく、「従来の五度圏的組織の崩壊→移行・カタストロフィー→別の周期的組織への再編」というモデルの可能性である。この着想が、本方法論を単一のFourier空間の分析から多層的な分析へと一般化する直接の動機となった。この事例についての定量的な検証(該当交響曲・和音の同定を含む)は、実質的知見を扱う別稿に譲る。

8. 方法論の一般的構造

以上を踏まえると、本方法論は次の四層として整理できる。

第1層:Fourier投影——ピッチクラスセット → $F_k$。異なる周期的組織に対応するFourier空間を設定する。

第2層:時間軸上の軌道化——各時点のピッチクラスセットを点として扱い、作品全体を時間的軌道として構成する。$F_k(t) \to (x_k(t),\ y_k(t))$。

第3層:共通の軌道力学分析——Trajectoryの収束/拡散、滞留/移動、安定/不安定、方向性/等方性、attractor、entropy、速度・加速度を、係数空間を変えても基本的に同じ指標群(レポートIで確立した体系)を用いて分析する。

第4層:音楽的解釈——各Fourier空間における幾何学的・力学的現象を、対応する音程的・和声的組織との関係で解釈する。$f_5, f_4, f_6, \ldots$それぞれが異なる音楽的意味を持つ。

8.1 Fourier mode profile——複数空間の相対的重要性を測る

複数のFourier空間を導入する場合、個々の係数空間を直ちに軌道分析するだけでなく、作品全体として各Fourier modeがどの程度の強度を持つかを比較することができる。

各作品について、時系列上の各時点におけるFourier係数の平均振幅

$$A_k = \frac{1}{T}\sum_{t=1}^{T} |F_k(t)|$$

を求め、これを全modeの振幅和で正規化することで、

$$P_k = A_k \Big/ \sum_{j} A_j$$

を定義する。この相対Fourier spectrumによって、作品がどの周期的組織に相対的に強く依存しているかを記述できる。

このとき、最大のmodeとその占有率を Dominant_Mode・Dominant_Mode_Share として記述し、さらにmode間の分散・集中の程度を Fourier_Spectrum_Entropy・Fourier_Concentration によって要約する。

この分析は、個々のFourier空間における軌道力学分析とは区別される。Fourier mode profileが問うのは「どのFourier空間が作品全体として強く現れるか」であり、mode-specific trajectory analysisが問うのは「そのFourier空間の内部で重心がどのように運動するか」である。したがって、現在の方法論では、次の二段階の分析が可能になる。

Fourier mode profile → 特徴的modeの検出 → mode-specific trajectory analysis

前者は$f_1$〜$f_6$の相対強度プロファイル(Dominant_Mode, Dominant_Mode_Share, Fourier_Spectrum_Entropy, Fourier_Concentrationの4指標)としてすでに実装され、パイロットコーパスに適用可能な段階にある。後者は、$f_5$で確立した軌道力学指標群(レポートIの体系)を他のmodeへ適用する、今後の拡張として位置づけられる。

この区別により、「どのFourier空間が支配的か」という空間選択の問題と、「選択された空間でどのような運動が生じるか」という軌道力学の問題を明確に分離することができる。なお、このFourier mode profileのパイロット的な適用結果(作品ごとのDominant_Modeの分布等)は、実質的知見を扱う別稿で報告する。

8.2 音程クラス分布による相補的検証とヌルモデルの水準

Fourier mode profile(Dominant_Mode、Fourier_Concentration等)は、係数の大きさそのものから作品の傾向を要約する。この大きさは、重心計算そのものとは独立に、音程クラスの分布から理論的に予測できる。詳細な導出は別稿「五度圏重心分析の方法論的基礎(第1部)」1.5節に譲るが、要点を述べる。

ピッチクラス上の重み分布$h$(頻度分布あるいは指示関数)に対して、音程(ピッチクラス間の距離)$\tau\in\{0,1,\ldots,11\}$についての自己相関を

$$A(\tau) = \sum_{c\in\mathbb{Z}_{12}} h(c)\,h(c-\tau \bmod 12)$$

と定義する($c$はピッチクラス、$τ$はピッチクラス間の音程を表す)。このときDFT係数の大きさの2乗は

$$|F_k|^2 = A(0) + 2\sum_{\tau=1}^{5} A(\tau)\cos\!\left(\frac{2\pi k\tau}{12}\right) + A(6)\cos(\pi k)$$

という関係(離散版Wiener–Khinchinの定理)を満たす。$A(\tau)$は分布$h$の自己相関(音程$\tau$だけ離れた点同士の共起の総量)であり、通常のピッチクラスセットについてはForte以来の音程クラスベクトルと本質的に同じ量である。すなわち音程クラス分布は、重心計算を経由しない独立した経路から、どのFourier係数が大きくなるかを予測する。

各音程クラスが各モードkに寄与する強さは$\cos(2\pi k\tau/12)$で与えられ、この係数を1〜6の範囲で最大化する$k$は次のようになる。

音程クラス

最も強く対応するモード

IC0(同音・オクターブ)

全モード(k=1〜6すべてに+1.000)

IC1(短2度)

f1(+0.866)

IC2(長2度)

f6(+1.000)

IC3(短3度)

f4(+1.000)

IC4(長3度)

f3とf6(+1.000、同点)

IC5(完全4/5度)

f5(+0.866)

IC6(三全音)

f2・f4・f6(+1.000、同点)

IC1・IC2・IC3・IC5は特定のモード1つに一意に対応するが、IC4・IC6は$\gcd$(音程クラスと12の最大公約数)が1より大きいために複数のモードに同時に対応し、1対1には還元できない。この構造は1.3節の移調対称性定理(対称性の位数$d$が$d$を割り切る$k$すべてに影響する)と数論的に同じ背景を共有する。またIC0は$\cos(0)=1$がすべての$k$について成り立つため、モード間の相対的な偏り(プロファイルの形)には寄与せず、全モードの水準を一律に底上げする成分としてのみ働く。

したがって、Fourier mode profileにおいて特定のmodeが優勢である(Dominant_Mode、高いFourier_Concentration)という観測は、対応する音程クラスの出現頻度が高いという、独立した経路からの検証が可能である。ただし、この自己相関$A(\tau)$は分布$h$全体(すべての点対)についての共起であり、時系列データで実際に観測される「隣接する事象間の遷移頻度」とは一般には異なる量である点に注意されたい。両者が強く対応するのは、直前の状態のみに依存して次の状態が決まるマルコフ的な生成過程によって音高列が生成される場合である。。

Fourier_Concentration・Dominant_Mode等の統計的有意性を検証する際には、ヌルモデルの水準にも注意が必要である。これらの指標は個々の窓ではなく、作品を通じた多数の窓(あるいは多数のピッチクラス標本)の平均から構成される統計量であるため、対応するヌルモデルも単一窓ではなく、実際の標本数を用いて多数回シミュレートした「作品レベル」の分布として構築しなければならない。単一窓レベルでヌルモデルを取ると、多数標本の平均によって本来相殺されるはずの小標本ノイズが相殺されず、ヌルモデルの値を過大に見積もることになる。

9. 標準的な分析プロトコル

対象の様式的背景によらず、まずStep 0でサンプリング条件を確認する。西欧音楽の伝統に連なる作品については、これに続けてStep 1以降の手順が最も合理的であると考えられる(西欧の伝統から距離を持つ作品への適用の考え方は第10章を参照)。

●    Step 0:サンプリング条件・weighting方式の確認——分析対象のデータが、比較基準となるコーパスと同じ時間単位・同じ重み方式(二値重み/頻度重み)でサンプリングされているかを確認する。対象が単旋律・人工的な音数窓など、コーパス側の標準的な拍頭サンプリングと異なる方式で生成されている場合、weighting方式を揃えないまま比較すると見かけ上の効果を生じうる(両者を頻度重み・二値重みで揃えて再計算し、結果が変化するかを確認する)。窓分割が本質的に困難な場合は、窓を用いない曲全体の頻度加重コヒーレント平均を補助的に用いることもできるが、この場合は窓別・二値重みの統計とは数値として直接比較できない点に留意する。

●    Step 1:f5軌道分析——伝統的な五度圏的組織との関係を把握する。

●    Step 2:特異点・集積領域の検出——原点、attractor、異常な滞留、急激な相転移などを特定する。

●    Step 3:局所ピッチクラスセット分析——その領域を構成するピッチクラスセットを確認する。

●    Step 4:別Fourier空間の候補を選択——ピッチクラスセットの特徴から$f_4, f_6, f_3, \ldots$の候補を立てる。

●    Step 5:候補空間で軌道分析——既存の指標群をそのまま適用し、別の組織原理が存在するかを検証する。

●    Step 6:複数空間の比較——ある空間での崩壊↔別の空間での組織化という補完関係を検討する。

10. 今後の応用可能性

この枠組みは、ペッテション以外の作品にも段階的に適用できる構想を持つ。

マーラー:特に第7交響曲などについて、まずf5の分析を基礎とし、アドルノの「超長調」概念に対応するピッチクラスセットを調べ、それが長調的語彙への単純な付加・色彩化ではなく、長調的語彙の内部に生じる別の周期的組織であるかを検証する。

ブルックナー:まず既存の$f_5$分析によって伝統的調性との関係・時代的変化・特異な作品を抽出し、その後にピッチクラスセットの構造から別Fourier空間の必要性を判断する。

シベリウス:第6・7交響曲と《タピオラ》の比較では、全音音階性・対称性が既に重要な特徴として示唆されており、$f_5$と$f_6$を比較的早い段階で併用することが合理的である。

ショスタコーヴィチ:まず既存の$f_5$分析によって伝統的調性との関係・時代的変化・特異な作品を抽出し、その後にピッチクラスセットの構造から別Fourier空間の必要性を判断する。

三輪作品など、西欧伝統から距離を持つ作品:この方法論の探索的性格が最も重要になる作品群である。西欧の伝統的調性との関係が弱い場合、最初から$f_5$を唯一の基準とすることはできないが、それでも$f_5$は西欧的な調的組織との比較基準として有用である。複数のFourier空間を検討しても明瞭な組織化が現れない場合、それもまた重要な結果であり、「DFTによって与えられる周期的組織のいずれにも強く還元できない音楽的組織」という可能性を検討することができる。

11. 本方法論の特徴と強み

●    歴史的に重要な$f_5$を中心に据えながら、単一の調性概念に閉じない——五度圏から外れる=無秩序、とは判断せず、必要に応じて別のFourier空間を探索する。

●    静的ピッチクラスセット分析を時間的・力学的分析へ拡張する——ピッチクラスセットの種類や頻度だけでなく、それらが時間の中でどのような軌道を形成するかを分析する。

●    異なるFourier空間で共通の分析装置を使用できる——座標系が変わっても、収束・拡散・滞留・移動・安定性・異方性・attractorなどを共通の力学的言語で比較できる。

●    「崩壊」の内部に別の組織を探すことができる——ある分析体系から逸脱する音楽を、「何が失われたか」だけではなく「何が新たに組織されているか」という問いとして扱うことができる。

●    分析空間そのものを探索対象にできる——どのFourier空間で作品の組織が最も明瞭になるか自体を研究対象にできる。

12. 結論——「調性からの距離」を測る方法から、「組織原理の探索」へ

今回の検討を通じて、五度圏重心軌道分析はより一般的な方法論の内部に位置づけ直すことができるようになった。その関係は、

$$\text{五度圏重心軌道分析} \;\subset\; \text{ピッチクラスセットFourier空間上の軌道力学分析}$$

と表すことができる。ただし、この一般化は五度圏分析を相対化したり放棄したりするものではない。むしろ、$f_5$を第一の歴史的・分析的基準として維持しながら、必要に応じて別のFourier空間へ視点を移すという階層的・探索的な方法論を可能にする。

この方法論の最も重要な意義は、分析を単なる「既知の秩序からの距離の測定」に終わらせないことにある。従来の調的分析では、既存の調性組織から離れた音楽はしばしば、調性の弱化→崩壊→無調化という否定的系列の中で理解される。しかし実際には、その「逸脱」には方向があり、そこに別の組織化が存在する可能性がある。

本方法論を最も簡潔に表現するならば、次のようになる。本研究は、ピッチクラスセットを離散フーリエ変換によって複数の周期的組織空間へ投影し、それぞれの空間における時間的軌道を共通の力学的・統計的指標によって分析する。まず五度圏的組織を表す$f_5$を基準として作品の調的力学を記述し、その分析から生じる特異点や説明困難な集積を手掛かりとして、必要に応じて別のFourier空間を探索する。これにより、既存の調的組織からの逸脱を単なる崩壊としてではなく、異なる周期的組織への移行または新たな組織化の可能性として捉えることを目指す。

今後は、ペッテション、マーラー、シベリウス、さらに異なる原理で構成された三輪作品などにこの探索的枠組みを適用し、作品ごとに何から逸脱したかだけでなく、その逸脱がどのような新しい組織原理へ向かうのかを比較可能な形で記述することが今後の課題となる。

(2026.9.5 公開、9.8更新、9.12 図を追加, 9.19 8.2節改訂, 9.20 2.1節改訂、数式の整形。9.21 第10章改訂)

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