2026年9月8日火曜日

「虹機械」2作品のピッチクラスDFTスペクトル分析——f1-f6全モードによる西欧交響曲コーパスとの対比

 

1. 目的と対象

既存の五度圏重心分析(f5に相当する第5次DFT係数のみを用いた分析)を、ピッチクラス集合のDFT全係数(f1~f6)に拡張し、三輪眞弘《虹機械》の2作品(「虹機械 はじまりのうた」、本稿では以下、Hamamatsuとラベル付け、「虹機械 公案-001」本稿では以下、Koan-001とラベル付け)を、8作曲家55楽章の西欧交響曲コーパスと対比した。

五度圏重心(Avg_r)は、ピッチクラス集合を単位円上の点として第5次DFT係数の大きさ|f5|を取ったものに数学的に等価である(既存の理論的基盤による)。本レポートはこれをf1からf6まで一般化し、「どの対称性クラスに音高分布のエネルギーが乗っているか」という、Avg_r単体では検出できない次元を検討する。

対象は、五度圏重心軌道分析(虹機械)レポートで確立した2作品×3窓幅(4音・8音・16音単位)=6点の虹機械データと、55楽章コーパスである。重心計算のweightingは両者とも二値重み(ピッチクラスの存在有無のみを重みとする)で統一している。

2. 方法

2.1 f1-f6 DFTスペクトルの定義


ピッチクラス集合の第k次DFT係数の大きさを
$$f_k =\left|\frac{1}{N}\sum_{i=1}^{N}e^{i 2\pi k c_i / 12}\right|$$

と定義する(ciは各サンプル窓における重心計算に用いるピッチクラス)。f5は五度圏重心Avg_rと同一の量である。k=7以降はk=12-kと大きさが一致するため、f1~f6のみで全情報を尽くす。

作品ごとに6つの係数を相対化した

$$P_k = \frac{f_k}{\displaystyle\sum_{j=1}^{6} f_j}$$

を「相対Fourierスペクトル」とし、そのシャノンエントロピー$H=-\sum_{k=1}^{6} P_k \ln P_k$から

$$\mathrm{Fourier\_Concentration}=1-\frac{H}{\ln 6}$$

を定義する(0=6モードに均等分散、1=単一モードに完全集中)。


2.2 比較指標

  • f5/f4比:五度圏(f5)と、対称性の低い四全音関係(f4)との相対的優位性を表す単純な比。

  • Fourier_Concentration / Fourier_Spectrum_Entropy:6モード間のエネルギー配分の偏り。

  • 無窓(曲全体一括)DFT:窓分割を一切経ない、曲全体の生ピッチクラス列(頻度加重・コヒーレント平均)から直接計算したf1-f6。

  • 音程クラス分析:ピッチクラスへの丸め・重心計算を経由しない、生のMIDIノート列における隣接音間の音程クラス分布。窓幅にもDFT計算にも依存しない、独立した検証経路として用いる。

2.3 サンプル規模の限界

虹機械側は2作品×3粒度=6点のみで、同一曲の入れ子集計であり独立標本ではない。以下の統計量は「粗視化に対する頑健性」の記述として扱い、有意性検定の対象とはしていない。

3. 主な結果

3.1 f5/f4比——コーパスの分布から大きく外れる

コーパス55楽章の作曲家別平均f5/f4比は0.90(Brahms)~1.15(Mahler)の狭いレンジに収まる。

作曲家

平均f5/f4比

Brahms

0.904

Pettersson

0.913

Mozart

0.988

Sibelius

1.015

Haydn

1.018

Shostakovich

1.035

Bruckner

1.085

Mahler

1.151

コーパス全体(楽章単位、n=55)ではmean=1.029, sd=0.151, range=[0.757, 1.454]。虹機械6点のf5/f4比は3.41~4.63(値は窓ごとに変動するがいずれもコーパス最大値1.454の2倍以上)で、z値にして+15.8~+23.9SDに達する。トーナルな8作曲家はいずれもこの比が1前後の狭い範囲に収まるのに対し、虹機械だけが構造的に隔絶している。

3.2 Fourier_Concentration——曲レベル集計でのコーパス比較

55楽章コーパスのFourier_Concentrationはmean=0.0256, sd=0.0108, range=[0.0044, 0.0450](最小はPettersson後期の一楽章、最大はHaydn)。虹機械6点は0.051~0.105で、コーパス最大値0.045を全点が上回る(z値+3.0~+7.4SD)。

Work

Fourier_Concentration

コーパスz値

Hamamatsu-4

0.058

+3.04

Hamamatsu-8

0.078

+4.87

Hamamatsu-16

0.105

+7.39

Koan-4

0.051

+2.32

Koan-8

0.079

+4.95

Koan-16

0.095

+6.47

窓を4→8→16音単位と広げるほど、Concentrationは単調に増加する。これは五度圏重心軌道分析(虹機械)レポートで確認した「window=16でAvg_r自体はコーパスの正常範囲に収まる」という結果と対照的である——大きさが正常化する窓幅において、内訳の偏りはむしろ最大化する

3.3 曲レベル集計に対応したヌルモデル補正

Fourier_Concentrationは、Avg_rと同じ構造を持つ「曲を通じた多数の窓の平均」から計算される統計量である。したがって、その偶然水準を見積もるヌルモデルも、単一窓ではなく、実際の曲と同じ窓数(有効小節数)をシミュレートし、窓ごとのf1-f6を平均してからConcentrationを計算する必要がある。多数の窓を平均すると、単一窓が持つ小標本ノイズはほぼ相殺されるため、ヌルモデルの期待値はほぼゼロになる。

window

観測

ヌルモデル期待値(曲と同じ窓数でシミュレーション)

z値

4

Hamamatsu (n=572窓)

0.058

0.0008

+170

4

Koan (n=835窓)

0.051

0.0007

+187

8

Hamamatsu (n=501窓)

0.078

0.0008

+210

8

Koan (n=816窓)

0.079

0.0007

+262

16

Hamamatsu (n=260窓)

0.105

0.0010

+197

16

Koan (n=417窓)

0.095

0.0008

+216

いずれの窓幅でも、観測値は偶然の水準から100SD以上離れている。すなわちFourier_Concentrationの高さは、統計的偶然によっては説明できない、構造的な特徴である。

3.4 無窓DFTと音程クラス分析——窓分割に依存しない裏付け

窓による集計を一切経ない、曲全体の生ピッチクラス列(頻度加重・コヒーレント平均)でもf5は同水準の支配性を示す(Hamamatsu: f5=0.466、Koan: f5=0.118、いずれもf1-f4・f6を大きく上回る)。


なお、この節でのみ頻度重み(曲全体のピッチクラス出現頻度をそのまま重みとするコヒーレント平均)を用いている。二値重みで曲全体を単一の窓として扱うと、12音すべてが最低1回は出現する場合、112c=011ei2kc/12=0k=1,,11)という恒等式により、必然的にf1-f6はすべてゼロに近づく。二値重みは「ある瞬間・ある窓に何が存在するか」という局所的な問いにのみ意味を持ち、「曲全体を通じてどのピッチクラスにどれだけ再訪するか」という大域的な頻度の問いには原理的に適用できないため、この節に限り頻度重みを用いる。

この処理により、3.1〜3.3節(窓別・二値重み)の数値と3.4節(無窓・頻度重み)の数値は、weighting方式が異なるため直接比較できない。実際、f5/f4比は窓別(二値重み)で3.4〜4.6であるのに対し、無窓(頻度重み)ではHamamatsu 9.29、Koan 4.28となり、絶対値としても比率としても一致しない。3.4節で「同じ偏りが再現される」というときの「同じ」が指しているのは、数値の一致でも比率の一致でもなく、6モードのうちf5が最大値を取り、かつ他モード(特にf4)を大きく引き離すという順序関係(ランキング)が、窓の有無・weighting方式によらず保たれている、という定性的な一致のみである。

さらに、隣接する実音間の音程クラスを直接調べると、全遷移の56~61%が完全4度・5度(IC5)に集中している(同音・オクターブ反復が次点で約22~27%、他の音程クラスはいずれも1桁%台)。

なお、ここで音程クラス分布を参照するのには理論的な裏付けがある。ピッチクラス頻度分布のDFT係数の大きさの2乗は、その分布の自己相関(ある音程tだけ離れたピッチクラス同士がどれだけ共起するかを表す関数)のDFTに等しい(Wiener–Khinchinの定理の離散版)。したがって、各音程クラスtは

cos(2kt/12)

という係数を通じて各モードkに寄与する。この係数が+1に近い音程ほど、その音程が多いほど当該モードを強め、-1に近いほど弱める。t=0..6について、この係数を最大化するkを求めると次のようになる。

音程クラス

最も強く対応するモード

IC0(同音・オクターブ)

全モード(k=1〜6すべてに等しく+1.000)

IC1(短2度)

f1(+0.866)

IC2(長2度)

f6(+1.000)

IC3(短3度)

f4(+1.000)

IC4(長3度)

f3とf6(+1.000、同点)

IC5(完全4/5度)

f5(+0.866)

IC6(三全音)

f2・f4・f6(+1.000、同点)

IC1・IC2・IC3・IC5は特定のモード1つに一意に対応するが、IC4・IC6は複数のモードに同時に対応し、1対1には還元できない。これはgcd(音程クラスと12の最大公約数)が1より大きい音程ほど、対応するモードの数が増えるという構造による——長3度・三全音がそれ自体高い対称性(増三和音・全音音階との親和性)を持つ音程であることと整合的である。またIC0はcos(0)=1がすべてのkについて成り立つため、6モード間の相対的な偏り(プロファイルの形)には寄与せず、全モードの水準を一律に底上げする成分としてのみ働く。

したがって、隣接する実音間の音程クラス分布でIC5が突出している(56〜61%)という観察は、f5がモードプロファイル上で突出しているという観察と、この係数構造を介して直接結びついている。ただし厳密には、この関係はピッチクラス頻度分布全体の自己相関(すべてのペア間の共起)についてのものであり、本節で実際に集計しているのは隣接する2音間の遷移のみである。状態遷移機械のように直前の音だけを入力として次の音を決める生成過程では、両者は強く相関すると考えられるが、数学的に同一の量ではない点には留意されたい。

無窓DFTと音程クラス分析はいずれも重心計算そのものを経由しない独立した検証経路であり、f5支配・高いFourier_Concentrationが分析上の人工物ではなく、状態遷移機械の遷移規則そのもの(「完全5度で動くか、同音に留まるか」という二択にほぼ帰着する)に内在することを裏付ける。隣接する実音間の遷移を符号付きで見ても+5と+7(5度の両方向)がほぼ拮抗して出現しており、双方向の5度往復が基本ジェスチャーになっていることが窺える。

3.5 コーパス内でのDominant_Modeの分布

55楽章中、f5が支配的モードとなる楽章は28(51%)、f4は17(31%)、f3は9(16%)、f6は1(Sibelius「タピオラ」のみ、2%)。虹機械6点はすべてf5支配であり、この点ではコーパスの多数派と同じ側に属する。虹機械の異質性は「どのモードが支配的か」ではなく、「支配的モードへの集中の度合い」(Fourier_Concentration)にある。

4. 解釈(作業仮説)

五度圏重心軌道分析(虹機械)レポートで確立した通り、旧9指標体系(重心の大きさAvg_rと2次元的な広がり)で見る限り、window=16(コーパスと最も比較可能な粒度)における虹機械はコーパスの正常範囲に収まる、平凡な作品に見える。

本レポートのf1-f6スペクトル分解は、この「平凡さ」がAvg_r(f5の大きさ)という1次元だけを見ていることの限界であることを示す。同じwindow=16において、f5/f4比はコーパス最大値の2倍以上、Fourier_Concentrationはコーパス最大値を7.4SD上回り、曲レベルのヌルモデルに対しては200SD近い超過を示す。すなわち:

  • 重心の大きさ(Avg_r=f5)はコーパス的に平凡である。

  • しかし6モードへのエネルギー配分を見ると、虹機械は西欧交響曲コーパスのどの楽章よりも、また偶然の水準よりも、桁違いに強く単一の対称軸(f5=五度圏)に一極集中している。

さらにこの一極集中は、窓分割という分析上の操作から独立している。無窓DFT(曲全体を頻度加重で一括処理した場合)でも、窓を一切用いない生の音程クラス分布(IC5が56~61%)でも、同じ偏りが再現される。したがって虹機械の構成原理は、コーパスとの対比というよりも、状態遷移機械という生成方式そのものに内在する幾何学的特徴として理解するのが適切である——生成規則が本質的に「五度圏上を往復する」という単純な二択にほぼ帰着するため、どの時間スケール・どの集計単位で観測しても、同じ五度圏バイアスが音高列に幾何学的痕跡として刻まれる。

三輪自身が《虹機械》を「新調性主義」と呼んでいることを踏まえるなら、この結果は次のように言い換えられる。虹機械の調性は、西欧の機能和声が前提とする「多様な対称性クラス(三和音・七の和音・全音音階的構造等)の間の均衡」からではなく、単一の対称軸への意図的な純化から立ち上がっている。西欧コーパスとの対比でこれが「異質」に見えるのは、コーパス側のどの楽章も、これほど極端な単一モードへの集中を示さないためである。

5. 限界と今後の課題

  • サンプルが2作品6点と少なく、粒度間の値も独立ではない。他の虹機械作品や三輪の他作品への拡張が望まれる。

  • 本レポートでは6モードを個別の比較指標(f5/f4比、Fourier_Concentration等)として扱うにとどめ、55楽章+虹機械6点を6次元空間でPCA・クラスタリングする分析は行っていない。f1とf5(およびf2とf10等)がLewin-Quinnの転置対称定理により同じ「盲点」を共有するため、6次元をそのまま多変量解析に投入する場合の共線性・解釈可能性の検討が必要であり、別途の課題とする。

  • 3.3節のヌルモデルは「ピッチクラスが完全に一様分布する」という最も保守的な仮定に基づく。虹機械の状態遷移機械が実際に生成するピッチクラス出現頻度分布(一様でない可能性が高い)に基づくサロゲートデータでの検証は、より精緻な補正として今後の課題である。

  • 状態遷移機械の遷移規則そのもの(マルコフ的構造)と、ここで観測された幾何学的特徴の対応関係は、3.4節で音程クラス分布のレベルまでは確認したが、より精密な遷移確率モデルとしての検証は今後の課題である。


五度圏重心軌道分析プロジェクトの一部として作成。五度圏重心軌道分析(虹機械)レポート(旧9指標体系)と対をなす、f1-f6 DFTスペクトル分解に基づく分析。本分析のための実験用スクリプト作成、結果の検証、レポート作成において、Claude Sonnet 5, ChatGPT 5.6 luna を用いています。

(2026.9.8 公開)

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