2026年7月20日月曜日

意識と自己の生成と変容・第1部:自伝的自己の個体における生成――差延・情動・他者をめぐる統合的考察(上)

 

意識と自己の生成と変容・第1部:自伝的自己の個体における生成――差延・情動・他者をめぐる統合的考察


はじめに


本稿は、「情動的自己の生成――現前する感情と憑依する痕跡の統合理論」の要約版として、そこで主張したかったアイデアのアウトラインを描き出すことを目的に作成しました。もともと「情動的自己の生成――現前する感情と憑依する痕跡の統合理論」は、それに先行する幾つかの論考、すなわち「意識の差延的構造:ダマシオ、フッサール、デリダ、フリストンの統合的理解」、「自由エネルギー原理と意識の発達:適応的冗長性と自己言及的階層の視点から」、「自己の連続性の階層的構造:社会性・言語性・記憶の発達的統合」、「自伝的自己のライフサイクルと差延的構造 ― 四相モデルの哲学的・臨床的統合」、「自己連続性と他者の寄与 ― 発達系列と病理的マッピングを基盤とした統合的考察」、「感情・意識・他者の統合モデル ― 自己連続性と時間意識をめぐって」、「憑依・情動・音楽――自伝的自己の連続性への亡霊的他者の寄与」での検討内容を踏まえ、その成果を統合した位置づけのものでした。そこで本稿は、単なる「情動的自己の生成――現前する感情と憑依する痕跡の統合理論」の要約に留まらず、先行論考の内容も含めて一連の論考の要約という位置づけをも持っています。また、「情動的自己の生成――現前する感情と憑依する痕跡の統合理論」が意識と自己の個体における生成にフォーカスしているのに対し、文化進化的な変容にフォーカスした姉妹編「二分心崩壊以後、シンギュラリティ以前の〈意識の時代〉における自己の変容」ドラフト版があります。それに対応して本稿も、意識と自己の生成と変容・第1部として、後者の要約版である第2部「意識と自己の文化史的変容――時間・他者・技術をめぐる統合的考察」と対を為し、それに先行する位置づけとなっています。なお本稿作成にあたってはClaude Sonnet 5を活用しました。

第1章 序論

1.1 問題の所在――意識研究における理論的断絶

意識、とりわけ時間を超えて持続する「自己」の生成という問題は、20世紀後半から21世紀にかけて、複数の学問領域において独立に、しかし互いにほとんど対話することなく探求されてきた。神経科学は、脳の特定の回路や領野の活動と意識状態との相関を実証的に探ってきた。現象学は、主観的経験がいかなる構造において「私のもの」として与えられるかを、内観的・記述的方法によって明らかにしようとしてきた。発達心理学は、乳児がいつ、いかにして自己と他者を区別し、社会的世界に参入するかを、行動観察と実験によって跡づけてきた。ポスト構造主義、とりわけデリダの脱構築は、そもそも「純粋な現前」や「自己同一性」という概念そのものが、形而上学的虚構であることを哲学的に論証してきた。そして精神分析は、自己が対象関係や欲望の構造を通じていかに構成され、いかに病理化するかを、臨床経験に基づいて理論化してきた。

これらのアプローチは、それぞれの領域内では豊かな知見を蓄積してきたが、相互の接続は乏しい。神経科学者はしばしば現象学的記述を「検証不可能な思弁」として退け、現象学者はしばしば神経科学的説明を「主観性の消去」として拒絶する。デリダ的な差延の概念は、その徹底した反-実体主義ゆえに、発達心理学的な段階論と相容れないように見える。しかし、本稿を含む一連の考察が繰り返し示してきたのは、これらの理論的伝統が、実のところ同一の基本構造を、異なる記述レベルで捉えているという事実である。フリストンの自由エネルギー原理における予測誤差の最小化、フッサールの時間意識論における把持-原印象-予持の構造、デリダの差延における差異と遅延、ダマシオの中核意識から自伝的自己への発達、そしてトマセロやヴィゴツキーの社会的発達論――これらは、相互に翻訳可能な、単一の理論的問題系を形成している。

本稿の課題は、この統合を、これまで蓄積してきた一連の理論的考察――「意識の差延的構造」「自己の連続性の階層的構造」「自由エネルギー原理と意識の発達」「自己連続性と他者の寄与」「憑依・情動・音楽」「感情・意識・他者の統合モデル」「自伝的自己のライフサイクル」「情動的自己の生成」――を通じて得られた知見を集約し、一つの一貫した理論として再提示することにある。

1.2 本稿の焦点:個体発生の条件

先行する諸考察は、それぞれ異なる強調点を持っていた。あるものは音楽経験との関係を、あるものは病理的マッピングを、あるものは差延の哲学的精緻化を主題としていた。しかし、これらすべてを貫く最も根本的な問いは、次のように定式化できる。

自伝的自己を備えた意識は、いかなる条件のもとで、個体の発達過程において成立するのか。

これは、意識の起源を進化史的に問う問題(系統発生、phylogeny)とも、意識の存在論的身分を一般的に問う問題(形而上学的意識論)とも異なる。本稿が焦点を当てるのは、あくまで**個体発生(ontogeny)**の水準である。すなわち、一個の生命体が、出生時の前意識的な身体的統合の状態から出発し、いかなる神経基盤の成熟、いかなる他者との関わり、いかなる時間的構造の獲得を経て、「私は私である」という感覚――過去・現在・未来を貫く物語的な自己同一性の感覚――を獲得するに至るのか、という発達的な問いである。

この焦点化には理由がある。第一に、個体発生の水準に定位することによって、抽象的な意識論が陥りがちな空疎な一般論を避け、実証的な発達心理学・神経科学の知見と緊密に対応した理論構築が可能になる。第二に、自伝的自己という現象そのものが、本質的に時間的・発達的な現象である。それは出生時に完成された形で与えられるものではなく、生後数年をかけて段階的に構築される達成物である。この構築のプロセスそのものを理論の対象とすることによって、自伝的自己の構造(それが何であるか)と発生(それがいかにして成立するか)を同時に、不可分なものとして把握することができる。

したがって本稿は、以下の三つの問いに集約される探求として進められる。

  • 自伝的自己の成立に必要な神経基盤・情報処理原理とは何か(第2章)

  • この成立は、いかなる発達的段階を経て、いかなる論理に従って進行するのか(第3章)

  • この成立過程において、他者はいかなる役割を果たすのか(第4章)

  • そして、これらすべてを貫く時間構造とは何か(第5章)

1.3 方法論的立場

本稿の方法論は、複数の理論的伝統を単に並置するのではなく、それらの間に成り立つ構造的な対応関係を明示化し、一つの統合的な語彙へと翻訳することにある。この作業において、中心的な媒介項として機能するのが、カール・フリストンの自由エネルギー原理である。この原理は、生命システム一般を、感覚入力の予測誤差を最小化する能動的推論のシステムとして記述する数理的枠組みであるが、本稿はこれを狭義の計算論的モデルとしてではなく、現象学的記述と神経科学的記述を架橋する翻訳装置として用いる。

すなわち、フッサールが「把持」と呼んだものは、神経科学的には過去の感覚入力に基づいて構築された内部モデル(予測の基盤)として、デリダが「痕跡」と呼んだものは、情動的評価を経て記銘された内部モデルの構成要素として、それぞれ再記述可能である。この翻訳を通じて、現象学的な時間論と神経科学的な予測処理理論は、対立する二つの理論ではなく、同一の構造の異なる記述水準として理解される。

同様に、ダマシオの自己階層論(原自己・中核自己・自伝的自己)は、単なる神経解剖学的な区分ではなく、発達心理学における社会性・言語性・記憶機構という独立した三つの次元の相互作用の結果として、その発生的起源から説明され直す。この際、重要な方法論的前提は、自伝的自己への到達を、単一の直線的な階層としてではなく、独立した発達的基盤を持つ複数の次元の収束過程として理解することである。記憶機構(とりわけエピソード記憶を支える海馬系)、社会性(とりわけ共同注意を支える神経基盤)、言語性(とりわけシンボル的言語の獲得)は、それぞれ異なる時期に、異なる神経基盤に基づいて発達する。しかし、これらは生後2〜3年の間に「臨界的統合」と呼ぶべき収束を遂げ、この収束こそが自伝的自己の成立を可能にする。この非対称的発達と収束という構図は、本稿全体を貫く基本的な説明図式となる。

1.4 本稿の構成

以上の問題設定と方法論的立場のもとに、本稿は以下のように構成される。

第2章では、本稿全体の理論的基盤を提示する。フリストンの自由エネルギー原理と予測符号化理論、ダマシオの意識階層論、フッサールの時間意識論とデリダによるその差延的徹底、そしてパンクセップとソームズによる「情動=意識」テーゼを、それぞれ導入し、これらが個体発生の理論においていかなる役割を担うかを明確化する。

第3章では、これらの理論的基盤を統合し、自伝的自己の発達的階層構造――出生から成人期に至るレベル0からレベル6までの段階的モデル――を提示する。ここでは、記憶・社会性・言語という独立三次元の相互作用という基本原理と、9ヶ月革命・語彙爆発・海馬成熟という経験的なマイルストーンが、いかにして自伝的自己という達成物へと収斂していくかを詳述する。

第4章では、この発達過程における他者の構成的な寄与を扱う。共同注意という社会的基盤に基づく系列と、不在・再来の経験に基づく倫理的基盤の系列という、独立しながらも相互に絡み合う二つの経路を検討し、いずれもが自伝的自己の成立にとって不可欠であることを示す。

第5章では、これまでの議論を、差延的な時間構造という観点から改めて統合する。情動における差異検出の機能、離散化の情報論的意義、そして現前する感情と過去の痕跡との存在論的な不可分性という論点を通じて、自伝的自己が本質的にいかなる時間構造を持つ現象であるかを明らかにする。

第6章では、以上の議論を総括し、本稿が到達した統一理論の要点を整理する。

以上の構成を通じて本稿が目指すのは、断片化した意識研究の諸伝統を、個体発生という具体的な問題設定のもとで統合し、自伝的自己の成立条件についての、単一の一貫した説明図式を提示することである。


第2章 理論的基盤

本章では、後続の議論全体を支える四つの理論的資源を導入する。すなわち、(1) カール・フリストンの自由エネルギー原理と予測符号化理論、(2) アントニオ・ダマシオの意識階層論、(3) エドムント・フッサールの時間意識論とジャック・デリダによるその差延的徹底、(4) ジャーク・パンクセップおよびマーク・ソームズによる「情動=意識」テーゼである。これらは、それぞれ独立した学問的系譜に属し、独自の語彙と方法論を持つ。しかし、本稿全体を通じて明らかにしていくように、これら四つの理論的資源は、個体発生における自伝的自己の成立という単一の現象を、異なる記述水準から捉えたものにほかならない。本章では各理論をまず個別に整理するが、随所でその後の統合的展開を予告する形をとる。

2.1 自由エネルギー原理と予測符号化――翻訳装置としての位置づけ

2.1.1 基本構造

フリストンの自由エネルギー原理は、生命システム一般を、環境との相互作用における不確実性(自由エネルギー、およそ予測誤差に相当する量)を最小化するシステムとして記述する理論的枠組みである。この原理によれば、脳は外界を受動的に映し取る器官ではなく、内部モデル――過去の経験に基づいて構築された、世界がいかに振る舞うかについての生成モデル――に基づいて、次に到来する感覚入力を能動的に予測する装置である。この予測と実際の感覚入力とのあいだに生じる差異が予測誤差であり、生命システムはこの誤差を、二つの経路によって縮減しようとする。第一に、内部モデルそのものを更新することによって(知覚的推論)。第二に、環境に働きかけて、感覚入力を予測に一致させることによって(能動的推論)。

この枠組みにおいて決定的に重要な概念が、**精度(precision)**である。すべての予測、およびすべての予測誤差信号には、「どの程度信頼すべきか」という重み付けが割り当てられる。高精度の予測は強く保持され、低精度の感覚入力は無視されやすい。逆に、高精度の誤差信号は、内部モデルの大幅な更新を要求する。この精度の動的な調整こそが、注意、期待、そして――後に第2.4節で見るように――情動の機能的な核心をなす。

2.1.2 階層的予測処理

予測符号化は、単一のレベルで完結するプロセスではない。脳は、低次の感覚野から高次の連合野に至る階層的な構造を持ち、各階層は下位階層の活動を予測し、下位階層はその予測との誤差を上位階層へと伝達する。この階層的な予測-誤差のやり取りは、あらゆる情報処理階層で反復される、一種の入れ子構造を成す。この入れ子構造は、後に第5章で検討する差延の階層構造――パルス内の差延、ワーキングメモリ的差延、長期的なエピソード的差延――と、構造的に対応することになる。

2.1.3 マルコフブランケットと自己の境界

自由エネルギー原理のもう一つの中核概念が、マルコフブランケットである。これは、システムを内部状態・外部状態・両者を隔てる境界(感覚状態と作用状態)へと分割する数理的概念であり、内部状態は外部状態に直接アクセスできず、常にこの境界を介した推論によってのみ、外界についての(暫定的で更新され続ける)モデルを構築できる。

この概念は、本稿にとって二重の意味で重要である。第一に、それは「自己」と「外界」の境界がいかに構成されるかについての、一つの形式的なモデルを提供する。第二に、そしてより重要なことに、この境界の概念は、発達の過程で他者との関係へと拡張されうる。すなわち、乳児の自己が単一の閉じたマルコフブランケットとして出発し、発達を通じて、他者という別個のマルコフブランケットとの間に、相互に相手をモデル化し合う入れ子的な関係を築いていく――この構造変化こそが、第4章で扱う他者の構成的寄与を理解するための、一つの計算論的な骨格を与えることになる。

2.1.4 予測符号化の位置づけ――何のための翻訳装置か

以上に述べた予測符号化の枠組みは、本稿において特殊な役割を担う。それは、以下の各節で導入される現象学的な時間論(2.3節)や、情動に関する神経科学的知見(2.2節、2.4節)を、単に並置するのではなく、共通の構造として翻訳するための媒介言語としての役割である。すなわち、フッサールが「予持」と呼ぶ現象は、内部モデルに基づく予測生成として、デリダが「痕跡」と呼ぶものは、過去の情動的評価を経て内部モデルに刻み込まれた構成要素として、それぞれ再記述されることになる。この翻訳可能性そのものが、本稿が目指す統合の技術的な基盤をなしている。

2.2 ダマシオの意識階層論

2.2.1 emotion と feeling の区別

ダマシオの理論は、まず**情動(emotion)と感情(feeling)**という二つの概念の峻別から出発する。情動とは、自律神経系・内分泌系・骨格筋系にわたる身体的変化そのものであり、これは意識を必要としない。実際、意識を喪失した状態においても、生体は刺激に対して情動反応を示しうる。これに対して感情とは、この身体的変化が脳内で表象され、意識的に経験されたものである。「私は今、恐怖を感じている」という自己帰属的な経験は、情動の意識化としての感情の水準においてのみ成立する。

この区別が個体発生の理論にとって重要なのは、それが意識の出現そのものを、身体状態の表象化という具体的な神経過程として記述できるようにする点にある。意識は抽象的に「生じる」のではなく、身体状態のモニタリングと、それに基づく統合的な表象の形成という、特定できる過程を経て出現する。

2.2.2 自己の三層構造

ダマシオはさらに、自己を三つの層として提示する。

**原自己(proto-self)**は、脳幹・視床下部・島皮質による、身体状態の前意識的・持続的なマッピングである。これは生命的恒常性(ホメオスタシス)の維持を担う、意識に先立つ基盤であり、主体性の感覚を伴わない。

**中核自己/中核意識(core-self/core consciousness)**は、対象との相互作用によって身体状態が変化していることを「知る」という構造――ダマシオ自身の定式化を用いれば「対象が自己を変化させていることを知ること」――において成立する、瞬間的だが強烈な「今・ここ」の自己感である。この自己感は、言語や長期記憶を必要とせず、その持続時間は極めて短い。

**自伝的自己(autobiographical self)**は、自伝的記憶――エピソード記憶の蓄積とその物語的統合――に基づいて構成される、時間的に拡張された自己である。それは過去の経験と未来への予期を統合し、「私の人生の物語」という統一的な形式を獲得する。この自伝的自己こそが、本稿全体を通じて追跡する現象の中心的な到達点にほかならない。

2.2.3 一次感情と二次感情

ダマシオはまた、感情を一次感情と二次感情に区分する。一次感情(恐怖、怒り、喜び、嫌悪、驚きなど)は、生物学的に普遍的であり、脳幹や扁桃体を中心とする古い神経回路に基づき、生後まもなくから機能する。これに対して二次感情(羞恥、誇り、罪悪感、共感など)は、社会的学習と記憶を介して形成される、より複雑な感情であり、他者の内的状態を推測する能力(心の理論)と、過去の経験を現在の文脈に適用する能力(エピソード記憶)を前提とする。したがって二次感情の発達は、前頭前野と海馬の成熟を待たなければならない。

この一次感情から二次感情への移行は、後に第3章で詳述する発達的階層構造において、身体的・現前的な情動経験から、社会的・時間的に拡張された情動経験への質的転換に対応する、重要な指標となる。

2.2.4 ダマシオモデルの発達的読み替え――予告

ダマシオ自身の理論は、主として成人における自己の共時的構造を記述するものであり、明示的な発達段階論を提供しているわけではない。しかし本稿が第3章で行うのは、この三層構造(原自己・中核自己・自伝的自己)を、単一の連続的な成熟過程としてではなく、独立した発達的起源を持つ複数の次元――記憶機構、社会性、言語性――の相互作用の帰結として、発生的に読み替えるという作業である。この読み替えにおいて、自伝的自己は出生時に潜在的に存在し徐々に「開花」するものではなく、生後数年をかけて、複数の異なる発達的系列が収束することによって初めて構成される、文字通りの達成物として理解される。

2.3 フッサールの時間意識論とデリダの差延

2.3.1 フッサールの三契機――原印象・把持・予持

エドムント・フッサールの時間意識論は、意識における「今」が、決して点的な瞬間ではなく、時間的な幅を持つ構造であることを示した。フッサールはこれを、原印象(Urimpression)・把持(Retention)・**予持(Protention)**という三つの契機の統合として分析する。

原印象とは、感覚的所与が最初に現れる、「今まさに」の核心である。把持とは、直前に過ぎ去った印象を、なお「ちょうど過ぎ去ったもの」として保持し続ける意識のはたらきであり、フッサールはこれを、意図的な想起(二次記憶)とは区別して「一次記憶」と呼ぶ。予持とは、これから到来するものへの、まだ空虚な予期的意識である。

この三契機が統合されて初めて、「幅のある現在」――フッサールにおいてはおよそ数秒とされる時間的な厚みを持つ「今」――が構成される。メロディを聴く経験がその典型例として用いられる。一つの音を「今」聴いているとき、我々は直前の音をなお把持しつつ、次の音を予持している。この統合なしには、音楽は個々の音の断片的な継起としてしか経験されえない。

2.3.2 デリダによるフッサール批判――差延

ジャック・デリダは、フッサールのこの分析を受け継ぎつつ、根源的な批判を加える。フッサールは原印象を、把持と予持に先立つ、時間意識の「源泉点」として位置づけた。しかしデリダによれば、この原印象という「純粋な現在」は、実現不可能な理論的抽象にすぎない。なぜなら、原印象が意識に現れるためには、既に把持と予持のはたらきが作動していなければならないからである。把持は「過去」を、予持は「未来」を、それぞれ「現在」のうちに組み込む。したがって、現在は本質的に、非現前(過去・未来)によって、常に既に「汚染」されている。

デリダはこの構造を**差延(différance)**という造語によって表現する。この語は、フランス語の動詞differerが持つ二つの意味――「異なること(différenciation、差異化)」と「延期すること(délai、遅延)」――を同時に含意する。意味は、他の記号との差異によってのみ生成され(差異化)、その確定は常に未来へと先送りされ続ける(遅延)。したがって、純粋な現前は構造的に不可能であり、あらゆる現前は、痕跡(trace)――既に不在でありながら、なお効果を持ち続けるもの――に依存して初めて成立する。

2.3.3 差延の階層構造

この差延の構造は、単一のレベルにとどまらない。それは、パルス内の差延(予測と感覚入力の即時的な差異、数百ミリ秒の水準)、ワーキングメモリ的差延(把持-原印象-予持が構成する「幅のある現在」、数秒の水準)、そして長期的・エピソード的差延(過去の経験・現在・未来への予期が構成する「延長された自己」、生涯にわたる水準)という、入れ子状の階層を成す。この階層構造は、第2.1.2節で述べた予測符号化の階層的構造と、直接的に対応する。

2.3.4 時間論の位置づけ――予告

本稿がこの現象学的・脱構築的な時間論から引き出す最も重要な帰結は、次の点である。自伝的自己は、その定義上、不在の過去に本質的に依拠する構造を持つ。「私」を構成する過去の出来事――「私は去年これを経験した」――は、現在において直接にアクセスできるものではない。我々が持つのは、過去についての現在の表象、すなわち痕跡のみである。過去の出来事そのものは、原理的に、永遠に不在である。しかし自己同一性は、まさにこの不在の過去に依存して成立する。この逆説的な構造――現前しないものへの依存によって初めて自己同一性が可能になるという構造――は、第4章および第5章において、他者の構成的寄与と、情動における現前性・非現前性の不可分性を論じる際の、理論的な支柱となる。

2.4 情動=意識テーゼ

2.4.1 パンクセップの原初情動システム

ジャーク・パンクセップは、哺乳類の脳幹・辺縁系に共通して存在する、七つの基本情動システム――SEEKING(探索)、FEAR(恐怖)、RAGE(怒り)、LUST(性欲)、CARE(養育)、PANIC/GRIEF(分離不安)、PLAY(遊戯)――を同定した。これらは新皮質に先立つ進化的に古い神経回路に基づき、パンクセップによれば、単なる反射的機構ではなく、それ自体が**原初的な主観的経験(原初意識、primal consciousness)**を伴う。すなわち、動物が痛みや快を「感じる」とき、そこには既に、思考や言語に先立つ、最も基層的な形態の意識が成立している。

この理論にとって特に重要なのがSEEKING系である。このドーパミン作動性のシステムは、報酬そのものよりも、報酬の予測と探索に対して強く反応する。この特性は、SEEKING系が本質的に、欠如と予測に基づくシステムであることを示している。この点は、第4章で検討する、不在の対象への情動的な志向性――発達初期における「渇望される不在の対象」という現象――を理解するうえで、重要な神経科学的基盤を提供することになる。

2.4.2 ソームズの「意識とは感情である」というテーゼ

マーク・ソームズは、この情動を意識の根源とする立場を、より徹底した形で定式化する。彼の中心的な主張は、「意識とは感情そのものである」という命題に集約される。ソームズはフリストンの予測符号化理論を基盤としつつ、次のように論じる。すなわち、脳における予測と現実の齟齬(予測誤差)が主観的に経験されること、それ自体が意識の本質である。誤差が「感じられる」とき、そこに意識が生じている。したがって意識は、外界の高次な表象としてではなく、内的な誤差検出プロセスの主観的側面として理解されるべきである。

この立場において決定的なのは、情動が予測誤差に対する精度の割り当てとして機能するという点である。ある種の予測誤差(たとえば脅威に関連するもの)には高い精度が付与され、それが強く「感じられる」。別の誤差には低い精度しか与えられず、それは意識に上らない。情動とは、いわば、どの誤差を重視し、どの誤差を無視するかを決定する、動的な重み付けの機構そのものである。

2.4.3 情動=意識テーゼの位置づけ――予告

パンクセップとソームズの理論は、本稿にとって二つの重要な機能を果たす。第一に、これらは意識の発生を、身体からの内受容的シグナルの評価という、具体的かつ実証可能な神経過程に基礎づける。これにより、意識の起源を高次認知能力(言語、抽象的思考)に求める伝統的な見方が退けられ、意識は発達のごく初期から――厳密には出生以前から――、原初的な形態において存在するものとして位置づけられる。第二に、そしてより重要なことに、情動が精度の割り当てとして機能するという理解は、第2.3節で導入した差延の理論と、第2.1節で導入した予測符号化の理論とを、直接に接続する結節点を提供する。すなわち、予測誤差(差延における差異)がいかに「感じられる」かを規定するのが情動であり、この情動的な重み付けを通じてこそ、ある経験が痕跡として記銘され、後の自己構成に寄与することになる。第5章では、この「痕跡は情動的な評価を経て初めて痕跡たりうる」という論点を、自伝的自己の成立条件として、より詳細に展開する。

2.5 四つの理論的資源の予備的統合

以上、四つの理論的資源――予測符号化、ダマシオの意識階層、フッサール/デリダの時間論、情動=意識テーゼ――を、それぞれ独立に整理してきた。ここで、第3章以降の議論を先取りする形で、これらの相互関係を簡潔に見取り図として示しておく。

予測符号化は、他の三つの理論を翻訳するための共通言語を提供する。ダマシオの階層論は、この予測処理システムが、身体(原自己)から瞬間的な自己感(中核自己)を経て、時間的に拡張された物語的自己(自伝的自己)へと、いかに段階的に構築されるかについての、発達的な骨格を与える。フッサール/デリダの時間論は、この構築が、なぜ本質的に、不在の痕跡への依存という構造を伴わざるをえないかを、哲学的に基礎づける。そして情動=意識テーゼは、この痕跡がいかにして形成され、いかにして現在に効果を及ぼし続けるかを、情動的な精度づけという神経科学的な機構として説明する。

次章では、これらの理論的資源を統合し、自伝的自己が個体発生の過程においていかに段階的に構築されていくかを、記憶・社会性・言語という独立三次元の相互作用として、具体的に跡づけていく。


第3章 発達的階層構造――レベル0からレベル6までの統合モデル

3.1 基本原理――三次元独立仮説と発生的階層の二重性

自伝的自己の個体発生を理論化するにあたり、まず明確にしておかなければならない方法論的な前提がある。それは、発達において観察される時系列的な段階性と、その段階性を生み出す発生的なメカニズムとを、区別して捉えるという前提である。

自伝的自己の獲得過程を外側から観察すれば、そこには明瞭な時系列――出生後まもなくの反射的行動から、生後数か月における社会的微笑、生後9か月前後における共同注意の成立、1歳半前後における語彙爆発、2歳から3歳にかけてのエピソード記憶の確立、そして7歳前後における物語的自己同一性の確立――という、観察可能な「事実」としての順序が存在する。この時系列性そのものは、あらゆる発達心理学的研究によって確証されており、本稿もこれを、理論構築の出発点となる経験的な足場として尊重する。

しかし、この時系列的な段階性を、単一の連続的な成熟プロセス(たとえば「知能の発達」のような一元的な尺度の向上)として理解することは、誤りである。本稿が採用する立場は、これとは異なる。すなわち、自伝的自己の成立に関与する神経基盤は、記憶機構・社会性・言語性という、独立した発達的起源と発達時期を持つ複数の次元へと分解できるという立場である。これらの次元は、それぞれ固有の神経回路と、固有の成熟スケジュールを持つ。記憶機構(とりわけエピソード記憶を支える海馬系)の成熟、社会性(とりわけ共同注意を支える上側頭溝・頭頂皮質・前頭前野のネットワーク)の発達、そして言語性(シンボル的言語の獲得)は、それぞれが独立変数として進行する。

このとき、観察される「事実としての時系列」とは、これら独立した複数の次元が、それぞれ固有の速度で発達しつつ、特定の発達段階において収束し、相互に作用し合うことによって生じる、創発的な帰結にほかならない。したがって、レベル0からレベル6までの階層構造は、単一の直線的な梯子として理解されるべきではなく、複数の並行する発達的系列が、時に離れ、時に交差し、ある時点で決定的な統合を遂げる、複線的な過程として理解されなければならない。

この理解を支持する最も重要な経験的証拠が、共同注意の成立(生後9か月前後)とエピソード記憶の確立(2歳から3歳)とのあいだに存在する、約1年半から2年の時間的な隔たりである。共同注意の神経基盤(上側頭溝、頭頂皮質、前頭前野)は海馬を必須としない。逆に、エピソード記憶の神経基盤(海馬、内側側頭葉)は、共同注意に特化した回路を必須としない。両者がこれほど異なる時期に、異なる神経基盤に基づいて成立するという事実は、社会性と記憶機構とが、独立した発生的起源を持つことの、明確な証左である。

もう一つの重要な並行性が、シンボル的言語の獲得開始(1歳から2歳)と、エピソード記憶の確立(2歳から3歳)とのあいだにある、およそ半年から1年のずれである。この時間的な近接性は偶然ではなく、両者のあいだに機能的な連関があることを示唆する。すなわち、言語がエピソード記憶の確立を可能にする一つの条件として機能している可能性である。この点については、後の3.10節で改めて検討する。

3.2 時間スケールの階層とダマシオ対応

第2章で導入した理論的資源を踏まえるならば、発達の各段階は、単に「できることが増える」過程としてではなく、各段階に固有の時間スケールにおいて、差延的な統合が達成される過程として記述できる。第2章2.1.2節で述べた予測処理の階層性、および2.3.3節で述べた差延の階層構造(パルス内・ワーキングメモリ的・長期的エピソード的)は、以下のように、発達的な段階と対応づけられる。

ダマシオの概念

時間スケール

対応する差延の層

神経基盤

原自己

前意識的(<300ms)

パルス内差延の基底

脳幹・視床下部・島皮質

中核自己/中核意識

300〜500ms

パルス内差延の点火

前頭-頭頂ネットワーク、島皮質

延長意識・短期

数秒〜数十秒

ワーキングメモリ的差延

背外側前頭前皮質、後部頭頂皮質

延長意識・長期(自伝的自己)

数分〜生涯

長期エピソード的差延

海馬-側頭葉系、内側前頭前皮質

この対応表が示すのは、単なる用語の言い換えではない。それが示すのは、意識の各階層が、それぞれ固有の時間的な窓を持ち、その窓の広さこそが、その階層で何が統合可能であるかを規定しているという構造的な事実である。中核意識のパルス(300〜500ミリ秒)は、リベットの実験が示した、意識的経験の成立に要する遅延と符合する。この短い窓のなかでは、「今この瞬間」の自己-対象関係のみが統合される。これに対し、ワーキングメモリに基づく延長意識・短期は、数秒から数十秒の窓を持ち、直近の経験の保持と統合を可能にする。そして、海馬系に基づく延長意識・長期は、原理上、生涯にわたる時間的な広がりを統合の射程に収める。

発達とは、この意味において、利用可能な時間的統合の窓が、段階的に拡張されていく過程として捉え直すことができる。以下、この理解に基づいて、各発達段階を順に検討する。

3.3 レベル0――前意識的身体自己(出生〜3か月)

発達の出発点に位置するのは、ダマシオの原自己に対応する、前意識的な身体自己である。出生時点において、新生児は既に、脳幹・視床下部・島皮質を介した、身体状態の統合的なモニタリング機構を備えている。心拍、呼吸、体温、血糖値といった内受容的なパラメータは、持続的に監視され、恒常性維持のための自動的な調整が行われる。

ここで一つ、理論的に重要な確認をしておかなければならない。すなわち、「自他未分」という、この段階についてしばしば用いられる表現は、慎重に解釈される必要がある。新生児において、「自己が全く存在しない」という意味での自他未分は成立しない。ダマシオが示すように、脳幹や体性感覚系の統合的な作動により、「自己の位置」――身体的自己――は、既に出生時において確立されている。したがって、心理学や精神分析の伝統において語られる「自他未分」とは、自己そのものの不在を意味するのではなく、自己と他者とを、安定的に区別して表象する能力の不在を意味するものとして理解されるべきである。新生児は母の声や匂いを他の刺激から弁別することができるが、それを「私とは異なる独立した存在」として明確に対象化する能力は、まだ持たない。

この段階における差延は、パルス内(数百ミリ秒)の水準にとどまり、感覚入力の離散化(エッジや対象の検出)は、極めて不安定である。社会性は前社会的段階にあり、言語性は音韻識別能力の萌芽的な存在にとどまる。この段階は、それ自体として自伝的自己の構成要素をなすわけではないが、以降のすべての発達段階が、その上に構築される生物学的基盤を提供する。

3.4 レベル1――瞬間的自己(3か月〜9か月)

生後3か月から9か月にかけて、島皮質と前帯状皮質の成熟に伴い、情動(emotion)が意識化された感情(feeling)へと転換し始める。ダマシオの中核自己・中核意識が成立するのが、この段階である。

この転換の核心は、「対象が自己を変化させていることを知る」という、自己-対象-変化の三項関係の成立にある。乳児が養育者の顔を見て、それが自己に快の変化をもたらしていることを「感じる」とき、そこに中核意識が成立する。しかし、この意識は瞬間的であり、その持続時間は、第3.2節で示した300〜500ミリ秒という窓に限定される。数秒前の自己と現在の自己とのあいだの連続性は、まだ確立されていない。

この段階における社会性は、二項関係的な段階にある。すなわち、自己と他者(養育者)との、対象を介さない直接的な情動的交流である。ここで決定的に重要な役割を果たすのが、養育者による**マザリーズ(母親語、infant-directed speech)**である。マザリーズは、誇張されたプロソディ、高いピッチ、緩やかなテンポ、リズミカルな反復を特徴とし、言語的な意味内容に先立って、乳児の情動状態を直接的に調整する機能を持つ。神経科学的には、この韻律的特徴の処理は右半球に優位であり、言語的処理を経由せずに扁桃体系へと到達する経路を持つ。

この段階の言語性は喃語にとどまるが、重要なのは、マザリーズという音響的パターンが、養育者の不在時にも内的な痕跡として保持され始める、その萌芽である。この痕跡は、まだ明確な「亡霊」――不在の対象として情動的に構成されるもの――としては機能していない。しかし、後続の段階における対象恒常性の獲得に向けた、決定的な準備段階をなす。

3.5 レベル2――流動的連続自己(9か月〜18か月)

3.5.1 発達的転換点としての9か月革命

生後9か月前後は、複数の意味において、決定的な転換点である。この時期に生じる変化は、少なくとも三つの異なる次元にまたがる。

第一に、記憶の次元において、ワーキングメモリが確立し、延長意識・短期の水準――数秒から数十秒にわたる直近の経験の保持――が可能になる。第二に、社会性の次元において、トマセイの言う「9か月革命」、すなわち共同注意の成立が生じる。第三に、この二つの変化に先立ち、あるいは並行して、対象の恒常性という、より根源的な認知的達成が進行する。

3.5.2 対象恒常性の獲得――部分対象から移行対象へ

対象恒常性の獲得過程は、二つの局面に分けて理解することができる。

第一の局面(おおよそ生後6か月から9か月)においては、養育者の不在と再出現――典型的には「いないいないばあ」という遊びに代表される経験――の反復を通じて、乳児は、不在という経験そのものを処理し始める。この局面において重要なのは、この経験が単に「対象が視界から消える」という中立的な事実としてではなく、情動的に評価された欠如として経験されるという点である。空腹という内受容的な不快の経験と、授乳による充足の経験とが反復されることを通じて、対象は「良い/悪い」という情動的な両極性を帯びて構成され始める。ここで働いているのは、第2.4.1節で確認したSEEKING系の予測生成機能である。すなわち、過去の充足経験に基づき、「充足対象があるはず」という予測が高い精度で生成され、この予測と、実際の不在という感覚入力とのあいだの齟齬が、渇望という情動として経験される。

この意味において、対象恒常性の獲得過程の初期局面は、単なる認知的な発達ではなく、情動的に評価された不在の経験を通じて、対象についての内的な予測モデルが構築されていく過程として理解されるべきである。この過程の詳細な情動的・他者論的な含意については、第4章で改めて検討する。

第二の局面(おおよそ生後9か月から18か月)においては、いわゆる移行対象――特定のブランケットやぬいぐるみなど――への愛着が出現する。この移行対象は、完全に現前してもおらず、完全に不在でもない、中間的な地位を占める対象として機能する。この機能の獲得は、乳児が、養育者の物理的な不在を、内的な表象によって代替的に処理する能力――不在を耐える能力――を獲得しつつあることを示している。

3.5.3 共同注意という質的転換

この対象恒常性の獲得と並行して、あるいはそれをある程度前提としつつ、共同注意という、社会性における質的な転換が生じる。共同注意とは、自己と他者とが同一の対象に注意を向け、かつ、「私たちが共に注意を向けている」ということ自体を、相互に理解する能力である。これは、それまでの二項関係(自己-他者)から、三項関係(自己-他者-対象)への構造的な転換を意味する。

この転換の神経基盤は、上側頭溝、頭頂皮質、前頭前野のネットワークであり、これは海馬を必須としない。したがって、共同注意の成立は、エピソード記憶の確立に先立って進行する、独立した発達的系列に属する。

三項関係の成立は、対象そのものの存在論的な地位を変える。それまで「私の対象」であったものが、「私たちの対象」へと変容する。この変容は、対象が、他者の注意という痕跡を宿すようになることを意味する。すなわち、対象は単なる知覚的な所与ではなく、他者による関与の痕跡を伴う、間主観的な構成物となる。

この段階の言語性は、初語の出現(おおよそ12か月前後)にとどまり、まだシンボル的言語の本格的な使用には至らない。しかし、三項関係の成立こそが、次段階における言語獲得のための、決定的な前提条件をなす。重要な点として、この段階における記憶は、依然としてワーキングメモリの水準にとどまり、エピソード記憶はまだ確立されていない。この時期の経験の多くが長期的に保存されないという、いわゆる幼児期健忘の現象は、この記憶的制約に由来する。

3.6 レベル3――言語的概念自己(18か月〜3歳)

3.6.1 語彙爆発とシンボル的言語

生後18か月から24か月にかけて生じる語彙爆発は、単なる語彙数の量的増加ではなく、コミュニケーションの様式そのものにおける質的な転換を意味する。それ以前のコミュニケーションが、状況依存的で対象の現前を必要とするシグナル的なものであったのに対し、シンボル的言語は、対象が不在であっても機能し、かつ、個別の対象を超えた抽象化・一般化を可能にする。

この転換の発達的な前提条件が、前段階で確立された共同注意である。養育者が対象を指し示しながら、それに言語的なラベルを付与するとき(たとえば「わんわん」)、子どもは、養育者の視線と指差しを追跡し(共同注意)、対象を知覚し、音声を聞き、これらを統合して、対象への言語的ラベルの付与を成立させる。このプロセスにおいて重要なのは、対象が、他者による命名という痕跡を伴って記憶されるという点である。言い換えれば、シンボル的言語の獲得は、それに先立つ共同注意という社会的な達成なしには、成立しえない。

3.6.2 カテゴリーの離散化と自己の離散化

言語の獲得は、経験の離散化を、それまでにない水準で可能にする。「犬」という語は、目の前にいる個体だけでなく、過去に見た犬、未来に出会うであろう犬をも、単一のカテゴリーへと統合する。この離散化は、情報論的な観点から見て、複数の利点を持つ。連続的な経験を有限のカテゴリーへと圧縮すること、カテゴリー内の変動をノイズとして許容すること、そして有限の単位の組み合わせによって、事実上無限の表現を可能にすることである。

この離散化の機能は、対象のカテゴリー化にとどまらず、自己そのものへと及ぶ。この段階(おおよそ2歳前後)において、「わたし」「ぼく」という一人称代名詞の獲得――自己の離散化――が生じる。これは、それまで流動的で明確な境界を持たなかった自己経験に対して、言語的なラベルという、時間を超えた同一性の錨を与える、決定的な出来事である。

3.6.3 記憶の発達――エピソード記憶へ向けた準備

この段階において、海馬の成熟が急速に進行し、エピソード記憶が発達し始める。しかし、この時点でのエピソード記憶は、まだ断片的であり、生涯全体を統合する能力を欠く。したがって、この段階は、次段階における自伝的自己の確立に向けた、決定的な移行期として位置づけられる。差延の観点から言えば、この段階における差延は、「短期エピソード的差延」と呼ぶべき水準にあり、言語による経験の固定化が、その安定性の鍵を握り始める。

3.7 レベル4――エピソード的物語自己(3歳〜7歳)

3.7.1 エピソード記憶の確立と心の理論

3歳前後、幼児期健忘の終わりとともに、エピソード記憶は確立の段階に入る。この確立には、海馬の成熟という神経学的要因と、言語による経験の符号化という認知的要因の、両方が寄与する。すなわち、「動物園に行った」という経験が、言語的なラベルによって固定されることで、その経験は検索可能な単位として保存される。言語なしには、経験は流動的に変容し続け、長期的な保存が困難になる。

この段階ではまた、4歳から5歳にかけて、心の理論――他者が自己とは異なる信念や欲求を持つことの理解――が確立する。これにより、他者の証言や視点を、自己の経験の理解に組み込むことが可能になる。

3.7.2 共同回想と物語的統合

この段階における最も重要な発達的機構が、養育者との**共同回想(joint reminiscing)**である。子ども単独では、断片的な経験を、時間的に秩序づけられた物語として構造化することは困難である。しかし、「覚えてる? 去年の夏、海に行ったでしょう。あなたは波が怖くて泣いたけど、最後は楽しく遊んだよね」というような、養育者による語りかけが、曖昧な記憶に対して、時間、場所、因果関係という枠組みを提供する。この共同回想を通じて、断片的なエピソードは、統合的な物語へと変換される。

この機構が示すのは、次のような、理論的に重要な事実である。すなわち、自己の過去は、自己の記憶だけによってではなく、他者の証言によって、決定的に構成されるという事実である。この論点は、次章において、他者の構成的な寄与を論じる際の、中心的な出発点となる。

3.8 レベル5――自伝的自己の確立(7歳〜成人)

3.8.1 ダマシオの自伝的自己との対応

7歳以降、心の理論の確立、時制と物語能力の完成、そしてエピソード記憶の精緻化という、複数の発達的系列の収束を経て、ダマシオが想定する意味での自伝的自己――すなわち、生涯にわたる連続性の感覚を持ち、統一された「私の人生の物語」として構成される自己――が、初めて完全な形で成立する。

ここで確認しておくべき重要な点は、自伝的自己が、ダマシオの理論において成人における完成形として提示される一方、本稿が展開してきた発達的読み替えにおいては、この自己は一挙に成立するのではなく、レベル0からレベル4に至る、複数の独立した発達的系列の段階的な統合を経て、初めて構築される達成物であるという点である。

3.8.2 自己の本質化――離散化の最終段階

この段階における離散化は、「私は〇〇な人間だ」という性格特性による自己の本質化、そして「学生時代」「社会人になってから」というような、人生の章立てとして現れる。これは、レベル3における「わたし」という一人称代名詞の獲得(自己の最初の離散化)を継承しつつ、それをより複雑な、物語的な構造へと発展させたものである。

3.8.3 社会性の分岐――承認と応答責任

この段階に至って、社会性の系列は、二つの側面へと分化することが確認できる。一つは、家族・友人・共同体からの承認と役割付与を通じて構成される、社会的アイデンティティの側面である。もう一つは、他者からの――時に不在の、あるいは応答を迫る形での――呼びかけに対する応答責任という、より根源的な倫理的次元である。この後者の側面については、第4章において、共同注意とは異なる系列として、詳細に検討する。

3.9 レベル6――文化的-歴史的自己(成人期)

自伝的自己は、その完全な成立(レベル5)の後もなお、拡張の可能性を持つ。個人的な物語が、共同体の物語や文化的記憶と接続されることによって、自己は世代を超えた歴史的な時間性へと位置づけられる。この段階は、個体発生という本稿の主要な焦点からはやや外れるが、レベル5で確立された自伝的自己が、閉じた個体内的な構造としてではなく、原理的に、より大きな時間的・社会的な構造へと開かれうるものであることを示す点で、理論的な意義を持つ。

3.10 臨界的統合(2歳から3歳)の理論的意義

以上、レベル0からレベル6までの発達的階層を概観してきたが、この階層構造全体のなかで、とりわけ理論的に重要な意味を持つのが、2歳から3歳にかけて生じる、複数の独立した発達的系列の収束である。

この時期において、以下の三つの独立した発達的達成が、ほぼ同時期に集中する。

第一に、言語の次元において、シンボル的言語が確立し、時制が獲得され、一人称代名詞「わたし」が獲得される。第二に、記憶の次元において、海馬の成熟が進み、エピソード記憶が成立可能になる。第三に、社会性の次元において、心の理論が萌芽し、他者の信念・欲求の理解が始まる。

この三者の収束が、単なる時間的な偶然の一致ではないことは、それらのあいだに存在する機能的な相互依存関係から明らかである。言語は記憶を固定化する――流動的な経験が、言語的な記述を経ることで、長期的な保存が可能になる。記憶は言語を意味づける――語の意味は、それが指し示す過去の経験との結びつきを通じて、豊かなものとなる。社会性は両者に文脈を提供する――他者と共有された経験としてのみ、記憶は物語としての意味を持ちうる。

幼児期健忘の終焉という現象は、この臨界的統合の、最も明瞭な経験的指標である。それは、単一の神経学的要因(海馬の成熟)にのみ帰されるべきではなく、認知的要因(言語による符号化)との、二重の必要条件の充足として理解されなければならない。両者が揃って初めて、豊かで検索可能な自伝的記憶が可能になる。

この臨界的統合の理論的な意義は、次のように定式化できる。**自伝的自己とは、記憶・社会性・言語という、独立した発達的起源を持つ複数の次元が、生後2年から3年のあいだに達成する、特定の収束の産物である。**この収束が生じなければ――あるいは、いずれかの次元の発達が著しく非定型的な経路をたどれば――自伝的自己の成立は、質的に異なる様態をとることになる。この論点は、次章における他者の構成的な寄与の議論、および第5章における差延的な時間構造の議論において、繰り返し参照されることになる。

3.11 マルコフブランケットの入れ子構造――計算論的補足

第2章2.1.3節で導入したマルコフブランケットの概念は、以上の発達的過程に対して、一つの計算論的な補足を与える。

中核意識の段階(レベル1)において、マルコフブランケットは、おおよそ身体の物理的境界と一致する。予測誤差の最小化は、身体内部の調整によって完結する閉じたシステムとして機能する。

これに対し、共同注意が成立し(レベル2)、他者が「私たちの対象」を共有する存在として構成されるようになると、自己のマルコフブランケットは、拡張されるのではなく、入れ子状の構造へと変化する。すなわち、自己と他者は、それぞれ独立したマルコフブランケットを保持し続けながら、互いに相手の内部モデルを、自己の内部モデルのなかに組み込んでいく。「自己の中に他者のモデルがあり、他者の中に自己のモデルがある」という、この再帰的な構造は、自己の境界を単純に他者へと拡張するモデル(自己が他者を包含するように広がるというモデル)よりも、対象関係論や愛着理論といった心理学的な知見と、はるかに整合的である。なぜなら、この入れ子構造こそが、他者の予測不可能性を保持したまま、なお相互的なモデリングを可能にするからである。他者が完全には予測できない独立した存在でありながら、なお自己の内的世界に深く組み込まれているという、この一見逆説的な構造こそが、次章で検討する他者の構成的寄与――とりわけ、他者の不在という経験がなぜ自己構成にとって本質的でありうるのか――を理解するための、重要な計算論的基盤を提供する。

3.12 小結

本章では、自伝的自己の個体発生を、記憶・社会性・言語という独立した三つの発達的次元の、段階的な相互作用として跡づけてきた。この過程は、単一の直線的な階層としてではなく、レベル0における前意識的な身体的統合から出発し、レベル1における瞬間的な自己感の成立、レベル2における対象恒常性と共同注意という、独立した二つの達成の並行的な進行、レベル3における言語的な離散化、そしてレベル4における他者の証言を介した物語的統合を経て、レベル5において、複数の系列が臨界的に収束することによって、初めて完成される達成物として理解された。

この理解において、決定的な理論的意義を持つのは、次の二点である。第一に、自伝的自己が、単一の能力の量的増大としてではなく、質的に異なる複数の発達的起源を持つ次元の、特定の時期における収束の産物として捉えられるという点。第二に、この収束の過程を通じて、他者――養育者の声、養育者の不在、養育者との共同注意、養育者の証言――が、単なる外的な促進因子としてではなく、自伝的自己の構造そのものに深く組み込まれた、構成的な契機として機能しているという点である。

次章では、この他者の構成的な寄与を、共同注意に基づく社会的な系列と、不在・再来の経験に基づく系列という、二つの独立した経路に分けて、より詳細に検討する。(続く)


(2026.7.20 公開)

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