第4章 他者の構成的寄与
4.1 序――なぜ他者を独立した問題として立てるのか
前章では、自伝的自己の成立を、記憶・社会性・言語という三つの独立した発達的次元の相互作用として跡づけた。この三次元のうち、社会性の次元は、これまでの記述においては主として「共同注意の成立」という一つの出来事に集約されてきた。しかし、発達心理学および精神分析の知見を仔細に検討すると、他者が自伝的自己の構成に寄与する経路は、共同注意という単一の経路には還元されない、少なくとも二つの独立した系列からなることが明らかになる。
第一の系列は、自己と他者とが、共通の対象に注意を向け合うという、いわば現前を基盤とする社会的な系列である。これは前章で既に扱った共同注意の成立を中核とし、二項関係から三項関係への移行として記述される。
第二の系列は、養育者の不在という経験――そしてその不在に続く再来という反復――を通じて構成される、いわば非現前を基盤とする系列である。この系列は、対象恒常性の獲得という、前章で既に導入した現象と深く関わりながらも、それとは異なる理論的な位相――倫理的な次元――を開く。
本章の課題は、この二つの系列を、それぞれ独立したものとして丁寧に検討したうえで、両者がいかに異なりながらも、いずれも自伝的自己の成立にとって不可欠であるかを明らかにすることである。ここで強調しておかなければならないのは、この二つの系列のあいだに、理論的な優劣関係を設定すべきではないという点である。共同注意に基づく社会的基盤と、不在・再来に基づく系列とは、対等な、しかし機能的に異なる二つの経路として理解されるべきであり、いずれか一方を他方に還元したり、いずれか一方をより根源的なものとして特権化したりすることは、本章の立場ではない。
4.2 第一の系列――共同注意と社会的基盤
4.2.1 二項関係から三項関係へ
第一の系列の出発点は、出生直後の乳児と養育者とのあいだに成立する、情動的な共鳴関係である。この段階における乳児は、養育者を、明確に自己から分離された対象として表象しているわけではない。しかし前章3.3節で確認したように、これは「自己が存在しない」ことを意味するのではなく、自己と他者とを安定的に区別する表象能力が、まだ十分に発達していないことを意味する。
この二項関係的な段階において重要な役割を果たすのが、養育者による情動的同調である。ダニエル・スターンが**情動調律(affect attunement)**と呼んだこの現象は、単なる模倣ではない。それは、乳児の行為(たとえば玩具を叩くリズム)が持つ情動的な質――強度、時間的な輪郭、リズム――を、養育者が、しばしば異なる感覚様相(声、身振り)を通じて再現するという、様相を横断した共鳴の過程である。この情動調律を通じて、乳児は、自己の情動状態が他者と共有可能であること、そして他者が自己の情動状態に応答的であることを、学習していく。
生後9か月前後に生じる転換――トマセロが「9か月革命」と呼んだ共同注意の成立――は、この二項関係を、質的に異なる三項関係へと変容させる。自己と他者が、単に情動的に共鳴し合うだけでなく、共通の対象へと、共に注意を向けていることを、相互に理解するようになる。やまだようこが記述した「共感指差し」――単に対象の存在を知らせるための指差しではなく、その対象への注意と喜びを他者と分かち合うことそれ自体を目的とした指差し――は、この三項関係の成立を示す、典型的な行動である。
4.2.2 対象への他者の痕跡の内在化
この三項関係の成立が持つ、理論的に最も重要な帰結は、対象そのものの存在論的な地位の変化である。共同注意が成立する以前、対象は「私の対象」として、乳児にとって単に知覚的に与えられたものにすぎなかった。しかし共同注意の成立以後、対象は「私たちの対象」となり、他者の視線・指差し・注意という痕跡を、内在的に帯びるようになる。
この構造は、次段階における言語獲得において、決定的な役割を果たす。養育者が対象を指し示しつつ、それに言語的なラベルを付与するとき、その語は、単なる音声記号としてではなく、その対象への注意を、かつて他者と共有したという経験の痕跡を伴って、記憶される。後にその子どもが一人でその対象を見るとき、そこには、対象そのものだけでなく、かつてその対象を共に見た他者の――声のトーン、指差しの記憶――が、微かに伴われている。
さらに、ヴィゴツキーが論じた内言の発達も、この系列に位置づけられる。他者との対話が内面化され、自己との対話として機能するようになる過程――「これはこうだ」という養育者の言葉が、子ども自身の思考の内的な声として反復されるようになる過程――は、共同注意という社会的な経験が、個体の内的な思考構造そのものへと組み込まれていく、長期的な帰結である。
4.2.3 承認による自己連続性の維持
この社会的な系列は、発達の後の段階においても、その機能を持続させる。前章3.8.3節で触れたように、レベル5(自伝的自己の確立)以降、この系列は、家族・友人・共同体からの承認と役割付与という形態をとる。「あなたは頼りになる人だ」「あなたは絵が得意だ」という他者からの評価が、自己概念の核を形成し続ける。ジョージ・ハーバート・ミードが論じた「一般化された他者」――社会全体の規範や期待を内面化したもの――は、この系列の、成熟した形態として理解できる。
この系列全体を貫く共通の論理は、次のように要約できる。他者は、自己と共に、あるいは自己に対して現前することを通じて、自己の対象世界を共有可能なものとし、自己の物語を承認し、自己の連続性を、社会的に検証可能なものとして支える。
4.3 第二の系列――不在と再来、そして倫理的基盤
4.3.1 対象恒常性の情動的な内実
第二の系列の出発点は、第3章3.5.2節で既に導入した、対象恒常性の獲得過程にある。しかし本節では、この過程を、認知的な達成としてよりも、情動的な構成過程として、より詳細に検討し直す。
養育者の不在という経験は、乳児にとって、単に「対象が視界から消える」という中立的な事実ではない。それは、空腹や不快といった内受容的な状態と結びついた、強い情動的な負荷を伴う経験である。メラニー・クラインが記述した「良いおっぱい」と「悪いおっぱい」という区分は、この情動的な負荷の初期形態を捉えている。ここで重要なのは、乳児がこの二つを、単一の対象(母)の二つの側面としてではなく、別個の対象として、分裂させて経験しているという点である。この分裂(splitting)は、病理ではなく、この発達段階における正常な認知的制約の帰結である。
このプロセスにおいて生起するのが、渇望される不在の対象という、独特の現象である。授乳という充足の経験が繰り返されることで、乳児の内部には、「空腹→充足」という予測モデルが構築される。空腹という状態が生じたとき、このモデルに基づき、「充足対象があるはずだ」という予測が、高い精度をもって生成される。しかし実際には、その対象は不在である。この予測と現実とのあいだの齟齬は、単なる情報処理上の誤差信号としてではなく、渇望という、強い情動的な質を帯びた経験として立ち現れる。
この現象が理論的に示唆するのは、次の点である。すなわち、対象は、それが現前しているときよりもむしろ、その不在が情動的に経験されるときにこそ、対象としての存在論的な重みを獲得する、という逆説である。乳児にとって、母という存在が、単なる知覚的な所与を超えた、独立した実在性を帯びたものとして構成され始めるのは、まさに母が不在であるという経験、そしてその不在を耐えなければならないという経験を通じてなのである。
4.3.2 移行対象――不在を耐える技術
この不在の経験に対する、発達的な応答として現れるのが、ウィニコットの言う移行対象である。特定のブランケットやぬいぐるみへの愛着は、単なる代償行為ではない。それは、「完全に現前してもおらず、完全に不在でもない」という、独特の中間的な存在論的地位を占める対象を介して、乳児が、養育者の物理的な不在を、内的に処理する能力を獲得していく過程である。
移行対象が持つ機能的な本質は、それが外部化された情動的な痕跡であるという点にある。ブランケットに養育者の匂いが染みついている場合、それは文字通り、養育者の痕跡である。しかし匂いという物理的な手がかりがなくとも、それを抱きしめるという行為そのものが、「養育者に抱かれる」という、過去の情動的な記憶を喚起する機能を持つ。
この移行対象の獲得が示すのは、乳児が、完全な現前への依存から、痕跡を介した自己安定化へと、段階的に移行しつつあるという事実である。この能力の獲得は、対象恒常性の確立――養育者が視界から消えても、なお存在し続けているという理解――にとって、決定的な基盤をなす。
4.3.3 レヴィナスの隔時性という視座からの理解
この不在と再来の系列は、エマニュエル・レヴィナスが「隔時性(diachronie)」と呼んだ構造と、興味深い理論的な共鳴を示す。レヴィナスにおいて、他者は決して完全には現前せず、常に既に「過ぎ去った」ものとして、痕跡としてのみ主体に触発を与える。この構造をそのまま乳児期の発達に当てはめることには、慎重さが求められる。乳児が倫理的な主体として振る舞っているわけではないことは、明らかだからである。
しかし、この系列が発達論的に示唆するのは、レヴィナス的な図式の文字通りの適用ではなく、より控えめな、次のような対応関係である。すなわち、不在の経験の反復を通じて構成される「対象への応答」という構造そのものが、後の発達段階において、より明確な倫理的次元――他者からの呼びかけへの応答責任――へと展開していくための、発生的な土壌を提供しているという対応関係である。この意味において、不在と再来の系列は、後にレベル5b(第3章3.8.3節)で触れた、社会的な承認とは異なる、応答責任という次元の、発生的な起源をなすものと位置づけられる。
4.4 二つの系列の哲学的な特徴づけ
以上に検討した二つの系列は、しばしば異なる哲学的伝統によって、それぞれ独立に特徴づけられてきた。ハイデガーの共存在(Mitsein)――他者と並び立ち、世界を分かち合う存在様態――は、共同注意に基づく社会的な系列の哲学的な定式化として理解できる。これに対して、レヴィナスの顔(Visage)――視覚的な対象としてではなく、応答を要求する倫理的な呼びかけとして現れる他者――は、不在と再来に基づく系列の、哲学的な定式化として理解できる。
ここで強調しておくべきは、この二つの哲学的な特徴づけが、対立する二つの他者論としてではなく、発達的に実証される二つの独立した経路に対応する、二つの記述として位置づけられるという点である。共存在としての他者と、顔としての他者とは、いずれも自伝的自己の構成にとって不可欠であり、いずれか一方に理論的な優位を与えることは、経験的な発達過程の複線性を見誤ることになる。
4.5 二つの系列の独立性と相互作用
4.5.1 独立した発達的起源
第3章で確認した記憶・社会性・言語の独立性と同様に、本章で扱う二つの系列もまた、独立した発達的起源を持つ。共同注意の系列は、上側頭溝、頭頂皮質、前頭前野を中心とする神経基盤に基づき、他者の視線方向の検出と、注意状態の推測を可能にする。これに対して不在・再来の系列は、内受容感覚の処理(視床下部、島皮質)と、情動的な価値づけ(扁桃体)、そして――対象恒常性の初期形態を可能にする――ワーキングメモリに基づく短期的な状態追跡(前頭前野-帯状皮質-脳幹)に基づく。
これら二つの神経基盤は、部分的に重なりながらも、機能的には明確に区別される。移行対象の利用には、必ずしも他者との対象共有(共同注意)は必要とされない。むしろウィニコット自身が強調するように、移行対象はしばしば「私だけの対象」として、他者との共有性を必要としない仕方で機能する。逆に、共同注意の成立には、必ずしも不在の経験の情動的な処理は必要とされない。この機能的な独立性が、二つの系列を、理論的に区別することの根拠をなす。
4.5.2 発達的な時間順序――何が何に先行するか
とはいえ、両者は完全に無関係に進行するわけではない。発達的な観察からは、いくつかの時間的な順序性が確認できる。
移行対象の出現(生後6か月から9か月頃)は、共同注意の成立(生後9か月頃)に、おおむね先行する。この順序性は、次のように理解できる。すなわち、自他の区別が、対象恒常性の獲得過程を通じて、ある程度確立されていくことが、他者を、自己とは独立した、しかし共に対象へと注意を向けうる存在として認識するための、前提条件をなしているという理解である。完全な自他未分の状態から、共同注意という高度に間主観的な能力へと、一挙に移行することは考えにくく、その中間に、部分対象や移行対象を介した、自他の漸進的な分化の過程が、必要とされているように見える。
4.5.3 経験的な絡み合い
理論的には区別可能なこの二つの系列は、しかし、現実の発達過程においては、常に絡み合いながら進行する。共同注意的な関わりが反復されるなかで、養育者の「顔」――その固有の表情、その情動的な現れ――が、単なる知覚対象を超えた、応答を要求する何かとして立ち現れる瞬間がある。逆に、不在と再来の経験もまた、しばしば共同注意的な文脈のなかで生起する。「いないいないばあ」という遊びそのものが、対象の不在と再来という主題を、養育者と乳児とが共に注意を向け、共に楽しむという、共同注意的な枠組みのなかで演じられる、典型的な例である。
したがって、両系列の関係は、次のように定式化できる。**理論的には独立した二つの発達的経路として区別されるべきであるが、経験的には、両者は常に相互に浸透し合いながら進行する。**この二重性――理論的独立性と経験的な絡み合い――こそが、他者の構成的寄与を正確に理解するための、鍵となる視座である。
4.6 「自他未分」概念の理論的な整理
以上の議論を踏まえ、発達初期についてしばしば用いられる「自他未分」という概念を、改めて整理しておく必要がある。
第一に確認すべきは、第3章3.3節で既に述べたように、身体的自己(原自己)の水準においては、自他未分は成立しないという点である。脳幹・視床下部・島皮質を介した身体状態のマッピングは、出生時から機能しており、そこには既に、最小限の「自己の位置」が確立されている。
第二に、「自他未分」という語で通常指し示されているのは、他者を、安定的に外部対象として構造化する表象能力の不在である。新生児は、養育者の声や匂いを、他の刺激から弁別することができる。しかし、それを「私とは異なる、独立した存在」として明確に対象化する能力は、まだ発達していない。
第三に、この意味での自他未分から、他者の明確な対象化への移行は、単一の出来事としてではなく、部分対象の分裂的な経験、移行対象を介した漸進的な分化、そして共同注意による三項関係の確立という、複数の段階を経て、段階的に達成される。
この整理は、本章で検討した二つの系列が、いずれも、この漸進的な自他分化のプロセスにおいて、それぞれ異なる仕方で寄与していることを示している。不在・再来の系列は、対象を、情動的に価値づけられた、独立した実在として構成する。共同注意の系列は、対象を、他者と共有可能な、間主観的な構成物として構成する。両者が組み合わさることによって初めて、他者は、乳児にとって、単なる知覚対象でも、単なる欲求充足の手段でもない、独立した、しかし関係可能な存在として、確立されるのである。
4.7 小結
本章では、自伝的自己の構成における他者の寄与を、共同注意に基づく社会的な系列と、不在・再来に基づく系列という、二つの独立した経路に分けて検討した。第一の系列は、対象の共有と、他者による承認・証言を通じて、自己の物語を、間主観的に検証可能なものとして支える。第二の系列は、対象恒常性の獲得と移行対象の利用を通じて、自己が、他者の不在を情動的に処理し、内的な表象によって代替する能力を獲得する過程を担う。
両者は独立した発達的起源と神経基盤を持ちながら、経験的には常に絡み合って進行し、いずれもが、自伝的自己の成立にとって不可欠な、対等な構成的契機である。この二重の系列という理解は、次章で検討する差延的な時間構造の議論――とりわけ、痕跡の情動的な形成と、その現在への持続的な効果という論点――にとって、重要な発達論的な基盤を提供することになる。
第5章 差延的時間構造と情動的自己の統合
5.1 序――なぜ改めて時間構造に立ち返るのか
第3章では、自伝的自己の成立を、記憶・社会性・言語という三つの発達的次元の段階的な収束として跡づけた。第4章では、この収束過程において、他者が二つの独立した系列を通じて構成的な役割を果たすことを示した。本章の課題は、これら二つの章で個別に検討してきた発達的な事実を、第2章で導入した理論的資源――とりわけフッサール/デリダの時間論と、情動=意識テーゼ――に立ち返ることによって、単一の時間構造の理論として統合することにある。
この統合作業が必要とされる理由は、次の点にある。第3章および第4章の記述は、しばしば「痕跡」「記憶」「予測」といった語を、いわば直観的な意味において用いてきた。しかし、これらの語が、正確にはいかなる構造を指しているのか、そしてなぜ、これらの語によって記述される現象が、自伝的自己の成立にとって論理的に必然的であるのかは、まだ十分に基礎づけられていない。本章では、この基礎づけの作業を行う。すなわち、なぜ自伝的自己が、その本性上、不在の痕跡への依存という構造を持たざるをえないのか、そして、この依存がいかなる意味において「情動的」でなければならないのかを、理論的に論証する。
この論証は、三つの段階を経て進められる。第一に、差異の検出という機構が、いかにして「感じ」――主観的な質を伴う経験――を生成するかを明らかにする(5.2節)。第二に、離散化という機構が、いかにして情報論的な利点をもたらし、自己という単位を可能にするかを検討する(5.3節)。第三に、これら二つの機構を踏まえたうえで、現前する感情と、過去の痕跡とが、実のところ存在論的に分離不可能であることを、差延の徹底という観点から論証する(5.4節)。そして最後に、以上の議論を、自伝的自己が本質的に持つ「亡霊的構造」という結論へと集約する(5.5節)。
5.2 差異検出と「感じ」の生成
5.2.1 神経系における差分演算の普遍性
第2章2.1節で導入した予測符号化の枠組みにおいて、脳が処理するのは、感覚入力の絶対値ではなく、予測との差異である。この構造は、抽象的な計算理論としてのみならず、感覚神経系の生理学的な組織化の様式そのものにおいても、広範に確認される。網膜神経節細胞は、中心-周辺の対比構造を通じて、輝度の絶対値ではなく空間的な差異を検出する。聴覚系は、周波数間の差異や両耳間の時間差・強度差に反応する。触覚系は、静的な刺激に対しては急速に順応し、動的な変化にのみ持続的に応答する。この普遍的な傾向は、神経系が本質的に差分演算子として機能していることを示している。
この差分演算という原理は、情報理論的な必然性からも説明できる。感覚入力を、その絶対値において全て符号化しようとすれば、莫大な情報量が必要とされる。これに対し、隣接する信号との差異のみを符号化する方式は、大幅な情報の圧縮を可能にする。ウェーバー・フェヒナーの法則――感覚強度が刺激強度の対数に比例するという古典的な心理物理学的知見――もまた、感覚系が絶対量ではなく相対的な変化(比率)を符号化していることの、経験的な裏づけである。
5.2.2 差異検出から情動へ
この差分演算という神経系の基本原理は、第2章2.4節で検討した情動=意識テーゼと、直接に接続する。ソームズが論じたように、予測と感覚入力とのあいだの差異(予測誤差)が主観的に経験されること、それ自体が意識の――そして情動の――本質をなす。ここで重要なのは、この経験が、単なる情報処理上の信号としてではなく、質的な経験として立ち現れるという点である。
この接続を、より一般的な原理として定式化するならば、次のようになる。すなわち、「感じ」とは、階層的に組織化された差異検出プロセスの、主観的な側面にほかならない。ある知覚経験――たとえば「この赤い色の感じ」――は、単独では存在しえない。それは、「赤」が「青ではない」「緑ではない」という、他の可能な色との差異の束として、そして、現在の感覚入力が、過去の予測(何色であるはずかという内的な期待)との差異として評価されることを通じて、初めて特定の質を帯びた経験として構成される。
この理解が持つ理論的な帰結は重要である。従来の意識研究がしばしば、「なぜ物理的な情報処理に、主観的な質が伴うのか」という形で提起してきた問い(いわゆるハードプロブレム)は、この観点から見れば、その問いの立て方そのものを再考する必要がある。むしろ問われるべきは、「差異検出のプロセスそのものが、主観的な質を伴わないとすれば、それは一体何であるのか」という、逆向きの問いである。差異検出と主観的な質とを、別個の二つの現象として捉え、両者のあいだに橋を架けようとする発想そのものが、両者の内的な同一性を見誤らせている可能性がある。
5.3 離散化の情報論的機能と自己という単位
5.3.1 なぜ経験は離散的な単位へと組織化されるのか
差異検出のプロセスが、連続的な流れとしての経験を構成するとすれば、次に問われるべきは、なぜこの連続的な流れが、対象・出来事・自己といった、離散的な単位へと組織化されるのか、という問いである。
この離散化には、複数の情報論的な利点がある。第一に、連続的な情報を有限のカテゴリーへと圧縮する、情報の圧縮という利点。第二に、カテゴリー内部での変動をノイズとして許容することによる、頑健性の向上という利点。第三に、有限個の離散的な単位の組み合わせによって、事実上無限に近い表現を生成できるという、組み合わせの効率性という利点である。第3章3.6.2節で確認した、言語獲得におけるカテゴリーの離散化――「犬」という語が、無数の個別の犬を単一のカテゴリーへと統合すること――は、この一般原理の、発達における具体的な現れである。
5.3.2 自己という最大の離散化
この離散化の原理は、対象のカテゴリー化にとどまらず、自己という単位の構成にも適用される。第3章3.6.2節で見た、「わたし」という一人称代名詞の獲得は、それまで流動的で明確な輪郭を持たなかった経験の流れに対して、時間を超えた同一性の錨を与える、離散化の一つの極限的な事例として理解できる。
自己という離散的な単位の成立は、複数の機能的な利点をもたらす。第一に、行為の帰属という利点である。離散化された自己が存在しない場合、「何かが動いた」という経験にとどまるが、離散化された自己が存在すれば、「私が動いた」という、学習可能で責任を帰属できる経験へと変換される。第二に、時間的連続性という利点である。離散化された自己を欠く場合、経験はばらばらの断片にとどまるが、離散化された自己が存在すれば、「私」という単位のもとに、経験は累積的に学習され、蓄積される。第三に、社会的相互作用という利点である。離散化された自己が存在することで初めて、「私」と「あなた」という区別が可能になり、他者の心的状態を推測するという、より高次の社会的認知が可能になる。
5.3.3 離散化と差延の弁証法的な関係
一見すると、離散化(不連続的、統一的、同一性)と差延(連続的、分散的、差異の戯れ)とは、相容れない、対立する原理であるように見える。しかし、両者は実のところ、相互に依存し合う関係にある。
離散化は差異を前提とする。「犬」というカテゴリーは、「猫ではない」「狼ではない」という差異によって、初めて定義される。逆に、差異は離散化を前提とする。「AとBが異なる」という判断が成立するためには、AとBが、あらかじめ離散的な単位として同定されていなければならない。
この相互依存の関係は、ある種の反復的な過程として捉えることができる。ある時点において、経験は「これは一つの対象である」として離散化される。しかし次の瞬間、新たな感覚入力との差異が展開され(差延化)、その差異は、さらに次の瞬間において、新たな統合――再離散化――へと至る。この離散化と差延化との反復的な往還こそが、意識の流れという現象の、微細な構造をなしている。
5.4 現前と痕跡の存在論的な不可分性
5.4.1 デリダの差延の徹底――方法論的区別と存在論的統一
ここまでの議論を踏まえたうえで、本章の中心的な理論的主張へと進む。それは、現前する感情(今・ここで経験される情動的な質)と、過去の痕跡(記憶、予測の基盤)とが、方法論的には区別可能であっても、存在論的には分離不可能であるという主張である。
第2章2.3節で確認したように、デリダの差延という概念は、あらゆる現前が、本質的に非現前(痕跡)によって構成されていることを示す。この論点を、情動という具体的な現象に即して、改めて検討してみよう。
いま経験されている喜びの感情を分析すると、そこには複数の層が識別できる。第一に、心拍の変化、微笑、開放的な姿勢といった、身体的な変化そのもの――これはダマシオの区分における情動(emotion)に相当し、一見すると、最も「現前的」な層であるように思われる。しかし、この身体的な変化は、瞬間的に流れ去るものであり、それが「一つの持続する喜び」として経験されるためには、数秒前からの身体状態の把持(第2章2.3.1節)が、既に働いていなければならない。さらに、この喜びが「この種の喜びである」という、質的な特定性を帯びるためには、過去の類似した喜びの記憶――二次的な把持、あるいは想起――が、暗黙のうちに参照されていなければならない。「以前もこの感じを経験した」という、既知感を伴わない、純粋に「新しい」喜びというものは、構造的に存在しえない。
さらに、この喜びが「続くだろう」という予期(予持)もまた、この経験を構成する不可欠な要素である。もし、この喜びが次の瞬間には消え去るという予期しか持てないとすれば、経験される質そのものが変わってしまう(たとえば、不安を伴う脆い喜びへと変質する)。
5.4.2 予測符号化による基礎づけ
この現象学的な分析は、第2章2.1節で導入した予測符号化の枠組みによって、神経科学的にも基礎づけることができる。ある情動が「感じられる」とき、それは、内部モデル(過去の経験に基づいて構築された予測)と、現在の感覚入力(内受容的な信号)とのあいだの、照合のプロセスとして記述される。この照合において、内部モデルは、過去の情動的に評価された経験――すなわち痕跡――の集積である。したがって、現在の感覚入力が意味を持つのは、この痕跡に基づく予測との対比においてのみである。痕跡なしには、感覚入力は、いかなる情動的な意味も持たない、中立的な信号にとどまる。
この構造は、次のように定式化できる。**痕跡(過去)は、現前(現在)を可能にする条件であり、同時に、現前の純粋性を不可能にする条件でもある。**現前は、痕跡への依存なしには成立しないが、まさにこの依存ゆえに、現前は決して「純粋」ではありえない。それは常に既に、非現前によって、内側から構成されている。
5.4.3 方法論的区別の意義とその限界
以上の議論は、しかし、「現前」と「痕跡」という区別そのものが無意味であることを意味するわけではない。両者の区別は、分析的な明晰さをもたらす、有用な方法論的な道具である。現前性に焦点を当てることは、身体的な基盤、リアルタイムの動態、意識の出現点についての理解を深める。痕跡・非現前性に焦点を当てることは、記憶と学習、時間的な持続、そして――第4章で検討した――他者の構成的な寄与についての理解を深める。
しかし、この方法論的な区別には、明確な限界がある。第一に、存在論的には、両者は分離不可能である。第二に、発達的には、両者の比重は段階的に移行する連続体をなす――第3章で見たように、レベル0-1では現前的な側面が優位であるが、レベル2以降、痕跡の寄与が段階的に増大する。しかし、これは質的な断絶ではなく、程度の問題である。現前性は、いかなる発達段階においても消失することはない。成人においてもなお、原自己は瞬間ごとに機能し続け、中核自己は瞬間ごとに更新され続けている。自伝的自己は、これらの現前的な基盤を消去するのではなく、それを統合し、時間的な連続性を付与する、上位の構造として理解されなければならない。
5.5 自伝的自己の亡霊的構造――結論的定式化
5.5.1 「亡霊」という語の理論的な位置づけ
ここまでの議論を踏まえ、自伝的自己の成立条件について、理論的な結論を導出する。この結論を定式化するにあたり、本稿は「亡霊」という語を、限定的かつ厳密な意味において用いる。すなわちここでいう亡霊とは、超自然的な存在を指すのではなく、情動的に評価された、他者あるいは自己自身の過去の痕跡が、その物理的な不在にもかかわらず、現在の経験を構成する条件として作用し続けるという、構造的な事態を指す。
第5.4節で確立した論点――すなわち、あらゆる現前が痕跡への依存なしには成立しないという論点――を、自伝的自己という現象に適用すると、次のような帰結が導かれる。「私」を構成する過去の出来事――「私は昨日これを経験した」――は、現在において、直接にアクセスできるものではない。我々が持っているのは、その出来事についての、現在における表象、すなわち痕跡のみである。出来事そのものは、原理的に、永遠に不在である。しかし、自己同一性は、まさにこの不在の過去に依存することによってのみ、成立する。
この意味において、自伝的自己は、その存在論的な構造そのものにおいて、本質的に「亡霊的」である。これは、比喩的な言い回しではなく、第5.4節で論証した差延の構造から、論理的に導出される帰結である。自伝的自己は、現前する要素(身体、現在の経験)だけによっては構成されえず、非現前の要素――過去の痕跡、未来への予期、そして第4章で検討した、不在の他者の痕跡――によって、本質的に、その成立を支えられている。
5.5.2 他者の痕跡と自己の痕跡の構造的な同型性
この結論は、第4章で検討した他者の構成的な寄与という論点と、直接に接続する。第4章4.3節で見たように、不在と再来の系列において、養育者の不在は、単なる知覚的な欠落としてではなく、情動的に評価された痕跡として、乳児の内部に構成される。この構造は、いま本節で論じている、自己自身の過去についての痕跡の構造と、形式的に同型である。すなわち、いずれの場合においても、不在の対象(過去の自己の経験、あるいは不在の他者)が、情動的な評価を経て初めて、現在に対して構成的な効果を及ぼす痕跡となる、という点において、両者は共通の論理に従っている。
この同型性が示唆するのは、他者の不在の経験を処理する能力の発達と、自己自身の過去を痕跡として保持し、それに依拠して現在の自己を構成する能力の発達とが、同一の、あるいは少なくとも密接に関連した、基礎的な情報処理能力に基づいているという可能性である。対象恒常性の獲得(第3章3.5.2節、第4章4.3.1節)において確立される、不在対象への情動的な志向性の能力は、後にレベル4(第3章3.7節)において確立される、自己自身の過去のエピソードへの――やはり不在の対象としての――志向性の能力の、発生的な先駆けをなしていると考えられる。
5.5.3 情動的評価という必須の媒介項
以上の議論を通じて、本章が繰り返し確認してきたのは、痕跡が痕跡として機能するためには、単なる情報の保存では不十分であり、情動的な評価という媒介項が不可欠であるという点である。第2.4.1節で確認したパンクセップのSEEKING系の機能――報酬そのものよりも、報酬の予測と探索に強く反応するという特性――が示すように、扁桃体系を介した情動的な評価は、単に記憶されるべき情報に「感情的な色づけ」を付加するのではなく、そもそも何が痕跡として記銘されるか、そして何がその後の予測モデルにおいて高い精度を割り当てられるかを、根本的に規定する機能を担っている。
したがって、次のような定式化が可能である。**痕跡とは、必然的に情動的な痕跡である。中立的な情報のみが、記憶として保存され、後の自己の構成に寄与することはない。**この原理は、第4章で検討した、対象恒常性の獲得過程――空腹という不快な内受容状態と、充足という快の状態との、情動的な対比を通じて、初めて対象が意味のある痕跡として構成されるという過程――において、既に確認された原理の、より一般化された定式化である。
5.5.4 統合的な結論――自伝的自己の成立条件
以上の議論を総合するならば、本章、そして本稿全体を通じて追跡してきた自伝的自己の成立条件は、次のように定式化できる。
自伝的自己とは、(1) 差異検出という神経系の基本演算が、情動的な評価を経ることによって「感じ」を生成し、(2) この情動的に評価された経験が、離散化という機構を通じて、対象・出来事・そして自己自身という、時間を超えて同一性を保持する単位へと組織化され、(3) この組織化のプロセスが、第3章で検討した記憶・社会性・言語という独立した発達的次元の、段階的な収束を通じて、生後数年をかけて構築され、(4) この構築の過程において、第4章で検討した他者――共同注意を通じて現前する他者と、不在と再来を通じて痕跡として構成される他者――が、構成的な役割を担う、という、複合的な過程の帰結として成立する。
そして、この成立過程全体を貫く、最も根本的な構造的原理が、本章で確立した差延の徹底である。すなわち、**自伝的自己を成立させる現在の経験は、それ自体として自足的に存在するのではなく、常に既に、情動的に評価された過去の痕跡――自己自身の痕跡であれ、他者の痕跡であれ――への、構造的な依存を通じてのみ、成立しうる。**この依存は、欠陥や不完全性を意味するのではない。それは、時間を超えて持続する自己同一性という現象そのものが、その定義上、要求する、論理的に必然的な構造である。
5.6 小結
本章では、第2章で導入した理論的資源――差異検出、離散化、差延、予測符号化――を、第3章および第4章で跡づけた発達的な事実へと、改めて接続することを通じて、自伝的自己の成立条件を、理論的に基礎づける作業を行った。
その帰結として得られた結論は、次の一点に集約される。自伝的自己は、現前する身体的・情動的な経験と、過去の――そしてしばしば他者に由来する――情動的な痕跡とが、差延的な構造のもとで不可分に統合されることによって、初めて成立する現象である。この統合は、単一の瞬間において完結するものではなく、第3章で詳述した、記憶・社会性・言語という独立した発達的次元の、生後数年にわたる段階的な収束のプロセスを通じて、達成される。
次章では、以上、第2章から第5章にかけて展開してきた理論的な考察の全体を総括し、本稿が到達した統一的な理論の要点を、改めて整理する。
第6章 結論
6.1 本稿が到達した統一理論の要点
本稿は、自伝的自己を備えた意識が、個体発生の過程においていかなる条件のもとで成立するかという問いを一貫した焦点として、これまで独立に展開されてきた複数の理論的伝統――神経科学における予測符号化理論、ダマシオの意識階層論、現象学における時間意識論とその脱構築的徹底、そして情動神経科学における情動=意識テーゼ――を統合し、これらを、発達心理学的に検証可能な階層構造と接続することを試みた。以下、各章で確立した論点を、相互の連関を明示しつつ、改めて整理する。
6.1.1 翻訳可能性としての統合
第2章で確立した最も基礎的な方法論的成果は、一見して異質な語彙を用いる複数の理論的伝統――フリストンの予測誤差、フッサールの把持・予持、デリダの痕跡、そしてソームズの精度づけとしての情動――が、実のところ単一の構造を異なる記述水準において捉えたものであるという認識である。予測符号化は、この統合において特殊な地位を占める。それは独立した第五の理論としてではなく、現象学的な時間論と神経科学的な情動論とを、相互に翻訳可能にする媒介言語として機能した。この翻訳可能性の確立こそが、本稿全体を通じた議論を可能にした、理論的な前提条件である。
6.1.2 発達的階層の二重性
第3章では、この理論的基盤に立脚し、自伝的自己の個体発生を、単一の連続的な成熟過程としてではなく、記憶・社会性・言語という独立した発達的起源を持つ三つの次元の、段階的な相互作用の帰結として再構成した。この再構成において決定的であったのは、共同注意の成立(生後9か月)とエピソード記憶の確立(2歳から3歳)とのあいだに存在する、約1年半から2年の時間的な隔たりという経験的事実である。この隔たりは、社会性と記憶機構とが、独立した神経基盤に基づく、独立した発達的系列に属することの、明確な証左であった。
この認識に基づき、レベル0(前意識的身体自己)からレベル6(文化的-歴史的自己)に至る発達的階層は、単一の直線的な梯子としてではなく、複数の並行する系列が、時に離れ、時に交差しながら進行し、**生後2歳から3歳にかけての「臨界的統合」**において、言語・記憶・社会性という三つの独立した達成が収束することによって、自伝的自己という統合的な達成物が、初めて構成される過程として描き出された。ダマシオの原自己・中核自己・自伝的自己という三層構造は、この発達的読み替えを経ることによって、成人における共時的な構造の記述から、生後数年をかけて段階的に構築される発生的な達成の記述へと、その理論的な位相を転換した。
6.1.3 他者の二重の寄与
第4章では、この発達的階層の構築過程において、他者がいかなる役割を果たすかを検討した。ここで確立された最も重要な論点は、他者の構成的な寄与が、単一の経路には還元されない、二つの独立した系列からなるという点である。第一の系列――共同注意に基づく社会的な系列――は、対象を「私たちの対象」として構成し、他者による証言と承認を通じて、自己の物語を間主観的に検証可能なものとする。第二の系列――不在と再来に基づく系列――は、対象恒常性の獲得過程を通じて、不在の対象を、情動的に評価された痕跡として、内的に構成する能力の発達を担う。
この二つの系列は、独立した神経基盤と発達的な起源を持ちながら、経験的には常に絡み合って進行する。両者のあいだに理論的な優劣関係を設定することは、発達過程の複線的な実相を見誤ることになる。むしろ両者は、対等でありながら機能的に異なる、自伝的自己の構成にとって、いずれも不可欠な条件である。
6.1.4 差延の徹底と亡霊的構造の論理的必然性
第5章では、以上の発達論的な知見を、第2章で導入した差延の理論へと、改めて接続することによって、自伝的自己の成立条件を、その最も根本的な水準において基礎づけた。ここで確立された中心的な論点は、次の三点に集約される。
第一に、差異検出という神経系の基本的な演算が、情動的な評価と結びつくことを通じて、初めて主観的な「感じ」を生成するという点。第二に、離散化という機構が、情報論的な利点――圧縮、頑健性、組み合わせの効率性――をもたらし、対象のカテゴリー化のみならず、自己という単位そのものの構成をも可能にするという点。そして第三に、これら二つの機構を踏まえたうえで、現前する感情と過去の痕跡とが、方法論的には区別可能であっても、存在論的には分離不可能であるという点である。
この第三の論点から、本稿の中心的な理論的帰結が導かれる。すなわち、自伝的自己は、その定義上――時間を超えて持続する自己同一性という現象である以上――、不在の痕跡への構造的な依存を、論理的に必然的な条件として要求する。この依存は欠陥ではなく、自伝的自己という現象そのものの、存在様式そのものである。本稿はこれを、限定的かつ厳密な意味において、自伝的自己の「亡霊的構造」と呼んだ。そしてこの構造は、自己自身の過去の痕跡についても、第4章で検討した他者の痕跡についても、共通の論理――情動的な評価を経て初めて痕跡が痕跡として機能するという論理――に従う、構造的に同型な現象であることが示された。
6.2 統一理論の全体像
以上の各章で確立された論点を統合すると、本稿が到達した自伝的自己の生成理論は、次のように要約できる。
自伝的自己とは、身体的な予測処理システムが、情動的な評価を媒介として、自己自身および他者の非現前的な痕跡を、差延的な時間構造のもとで反復的に統合していく、発達的なプロセスの帰結である。
この統合は、単一のメカニズムによって一挙に達成されるのではなく、以下の複数の条件が、生後数年にわたって段階的に満たされることを要求する。
第一に、神経基盤の成熟という条件である。脳幹・視床下部・島皮質による原初的な身体状態の統合(レベル0)から出発し、前頭-頭頂ネットワークによる中核意識の成立(レベル1)、ワーキングメモリを支える神経回路の成熟(レベル2)、そして海馬系の成熟によるエピソード記憶の確立(レベル3-4)に至る、神経基盤そのものの発達的な変化である。
第二に、独立した三次元の相互作用という条件である。記憶機構、社会性、そして言語性は、それぞれ固有の発達的起源と成熟スケジュールを持つ独立変数として進行しながら、生後2歳から3歳にかけて、臨界的な収束を遂げる。この収束――言語による経験の固定化、記憶による語の意味づけ、社会性による両者への文脈の付与――こそが、自伝的自己という達成物を可能にする、直接的な条件である。
第三に、他者の二重の関与という条件である。共同注意を通じた対象の共有と承認という社会的な経路、そして不在と再来の経験を通じた対象の情動的な構成という経路の、いずれもが、自己の構築に不可欠な仕方で寄与する。
第四に、そして最も根本的な条件として、差延的な時間構造である。いかなる現在の経験も、それ自体として自足的には存在しえず、常に既に、情動的に評価された痕跡――過去の自己の経験、あるいは他者の経験――への依存を通じてのみ、成立する。この依存の構造が、瞬間的な中核意識から、時間的に拡張された自伝的自己へと至る、すべての発達的な移行を、その根底において支えている。
6.3 本稿の理論的到達点の意義
本稿が試みた統合作業の意義は、次の点に見出される。
第一に、意識研究における諸伝統――神経科学、現象学、発達心理学、ポスト構造主義――が、しばしば相互に排他的なものとして提示されてきたのに対し、本稿は、これらが実のところ、単一の現象を異なる記述水準において捉えたものであることを示した。予測符号化という翻訳装置を介することによって、フッサールの把持は内部モデルとして、デリダの痕跡は情動的に評価された内部モデルの構成要素として、ダマシオの自己階層は発生的な達成物として、そしてパンクセップとソームズの情動論は、この全体を貫く精度づけの機構として、相互に整合的な仕方で再記述された。
第二に、ダマシオの三層構造――原自己・中核自己・自伝的自己――を、共時的な構造記述から、独立した発達的次元の相互作用に基づく通時的な発生記述へと読み替えることによって、自伝的自己が、出生時に潜在するものが徐々に開花するのではなく、複数の独立した発達的系列の収束を通じて構築される、文字通りの達成物であることを明らかにした。
第三に、他者の構成的な寄与を、単一の経路にではなく、共同注意に基づく系列と不在・再来に基づく系列という、対等で独立した二つの経路に分けて理解することによって、社会性の発達を、より precise な仕方で――いずれの系列にも理論的な特権を与えることなく――記述する枠組みを提示した。
第四に、そして最も根本的な理論的到達点として、自伝的自己が本質的に持つ亡霊的構造――現前が非現前への依存なしには成立しないという構造――を、単なる哲学的な思弁としてではなく、差異検出・離散化・情動的評価という、神経科学的に基礎づけ可能な機構の、論理的な帰結として提示した。
自伝的自己の個体発生とは、身体という最も基層的な現前から出発しながら、その成立の最終的な条件において、常に既に、不在なるものへの依存を要求する過程である。この逆説――現前することを可能にする条件が、非現前であるという逆説――こそが、本稿が一連の理論的考察を通じて到達した、自伝的自己という現象の、最も根本的な構造的特質である。
6.4 むすび
本稿は、自伝的自己を備えた意識が、個体発生の過程においていかなる条件のもとで成立するかという問いを一貫した軸として、序論において提起した四つの問い――成立に必要な神経基盤・情報処理原理、発達的段階とその論理、他者の役割、そしてこれらを貫く時間構造――のそれぞれに、理論的な回答を与えてきた。
到達した結論を最も短く要約するならば、自伝的自己とは、身体的な予測処理システムが、情動的な評価を媒介として、自己と他者の非現前的な痕跡を、差延的な時間構造のもとで、生後数年をかけて反復的に統合していく、発達的プロセスの帰結である。この統合は、記憶・社会性・言語という独立した三つの発達的次元が、それぞれ固有の速度で進行しながら、生後2歳から3歳にかけて臨界的に収束することによって可能になり、この収束を可能にする条件として、共同注意という現前を基盤とする経路と、不在と再来という非現前を基盤とする経路という、対等な二つの他者関与の系列が働く。そして、この全過程を根底で支えているのが、いかなる現在の経験も、それ自体としては自足しえず、常に既に情動的に評価された痕跡への依存を通じてのみ成立するという、差延的な構造である。
この結論は、本稿が出発点とした問題設定――断絶した諸理論的伝統をいかに統合するか――に対する、一つの応答である。神経科学的な実証性と、現象学的な記述の精緻さと、発達心理学的な段階論の具体性とを、いずれも損なうことなく接続する道筋を示すこと、それが本稿の企図であった。この統合が、今後、より広範な理論的・臨床的な考察――感情の現前的な側面、病理的な破綻の詳細、そして音楽をはじめとする文化的実践との関係――へと展開されていくための、一つの基礎を提供しうるとすれば、本稿の目的は達成されたことになる。(結)
(2026.7.20 公開)
0 件のコメント:
コメントを投稿