はじめに
本稿は、吉岡洋「ありえたかもしれない、<音楽>」(詩と音楽のための「洪水」第3号 特集「三輪眞弘の方法」(2009, 洪水企画)所収)と岡田暁生・三輪眞弘・吉岡洋 「討論:いま「癒し」を超える芸術は可能か」(季刊「アルテス」Vol.01 特集「3.11と音楽」(2011, アルテスパブリッシング)所収)への応答として書かれた論考、「地球外からの「極東の架空の島」の眺望---三輪さんと吉岡さんの「ありえたかもしれない<音楽>」への応答の試み---」(2011.11.13初稿、2024.8.28更新)の中で、ありえたかもしれない、地球外の極東の架空の島の一つとして取り上げた、火星についての記述を、元の文章を核にして独立させて展開した、謂わば「外伝」に相当する文章です。本稿作成にあたっては、著者が原文および基本的な着想や構成を与え、研究パートナーとして、構想段階では主としてChatGPT 5.2との対話を繰り返し、執筆段階では主としてClaude Sonnet 4.5およびSonnet 4.6 との対話を繰り返すことを通じて作成されました。校正および改訂・増補にあたってはClaude Sonnet 4.5、Sonnet 4..6、ChatGPT 5.2 だけではなく、Gemini 3 の助けも借りて行いました。下記のテキスト中には、Claude Sonnet 4.5、Sonnet 4..6、ChatGPT 5.2 、Gemini 3が生成した文章およびそれを編集したものが含まれます。
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| 2005年5月19日グセフ・クレーターで、ローバー「スピリット」が撮影した火星の夕暮れ |
序章 赤い点から風景へ
一枚の写真がある。
火星探査ローバー、スピリットが撮影した夕暮れの光景だ。低い地平線の向こうに、小さな太陽が沈もうとしている。地球で見慣れた夕焼けの赤ではなく、太陽の周囲には淡い青の光が広がっている。手前には暗い岩の影。空はやや褪せた橙色から灰色へと変化している。そこには人間の姿はない。カメラを据えたのはローバーであり、シャッターを切ったのもアルゴリズムである。
それでも私たちは、この風景に心を奪われる。
なぜだろうか。そこは私たちが生きることのできない場所だ。大気圧は地球の約1パーセント、主成分は二酸化炭素、平均気温はマイナス60度。宇宙服なしでは一歩も歩けない。呼吸することも、素肌で風を感じることもできない。それなのに、私たちはこの地平線に、説明のつかない静けさを感じる。
火星は非人間的である。だが、その非人間的な風景に魅かれるという事実こそが、逆説的に、人間という存在の輪郭を浮かび上がらせるのではないだろうか。
なぜ火星なのか。
それは火星が、地球と似ているからである。同時に、決定的に異なっているからである。
火星は実在の惑星であり、想像上の架空のものではない。だが、その実在は永らく地球の地表からの、地球の大気を通しての観察に基づくものでしかなく、望遠鏡による観測が行われるようになってからも、却って放恣な空想の対象であり続けた。もっともそれは、火星探査が進んだ今日の視点に立つことで漸く為しうる断定である。
20世紀中葉のマリナー計画の成功以降、火星に対する認識は決定的に変化した。未だに人間が直接訪れることはできないが、その後のヴァイキング計画、20世紀末から21世紀初頭にかけて再開された火星探査の成果により火星についての知識は増大しており、これまでも以前の仮定のあるものを誤りとして訂正してきたし、今後もその作業は絶え間なく行われるであろう。
そしてそうした知識の増大は、そこを人間が直接訪れることによってではなく、絶え間ない技術の向上による、人間の知覚の大幅な拡張によるものである点は興味深い。現時点での火星の特異性は、火星の上空を周回するオービター、火星の地表に降り立つランダー、更には人間の代わりに自律的に火星の地表を動き回り、風景を撮影し、試料を採集し分析するローバーといった多様な手段によって膨大な情報が蒐集されている点にあるだろう。
ローバーが撮影した火星の写真は、非常に奇妙なものだ。地球のどこかにありそうなのに、実際にはその風景の中に私は本質的に属していない。そしてどこかで私から決定的に断絶しているそうした風景を、それでも眺めることができるのは、まさに「テクノロジー」の力、「メディア」の力によるものなのだ。それは私が生きたままでは決して見ることができない風景を見ることを可能にしている。かつての人間、生物としての人間には不可能であったはずのことが、人間と機械の複合的な存在である、現在の人間には可能になっている。
火星は、地球と良く似た経過を辿りながら、規模・質量が小さいために急速に冷え、プレート・テクトニクスが停止し、大気が散逸して早くに年老いたと考えることができる。近年の火星に関する科学的な知見は、そこに地球の、或いは「人間」の未来の姿を見るという志向を、直観的かつ想像力に富む仕方で把握することを可能にしている。
火星は地球と同じ物理法則のもとに形成されたが、質量と内部ダイナミズムの差によって持続的生命圏を維持できなかった。火星は地球の他者ではない。それは、同じ条件から出発し、別の運命を辿った惑星である。この関係を、本書は部分同型的実在と呼びたい。
火星は、構造的には地球と同型圏内にありながら、持続性のレベルで非同型となった惑星である。そしてこの部分同型性こそが、火星を思考の対象として、想像力の対象として、そして改変の対象として特権的な位置に置いている理由なのだ。
本書の目的は、火星を、神話としてでも、空想としてでも、単なる未来計画としてでもなく、実在の構造として捉えることである。そのために、観測史を辿り、進化史を整理し、生命論を検討し、部分同型性を定式化し、想像力と芸術を照射する。
本書の中心概念は三つである。
第一に、部分同型的実在としての火星。火星は地球と同じ枠内にありながら、同じ運命を辿らなかった。
第二に、早く老いた惑星としての火星。火星は進化の脆弱性を示す具体例である。
第三に、想像力の縁としての火星。火星は実在でありながら、常に想像力の投影面でもある。
そして最後に明らかになるのは、火星は人間の条件を映す最も近い鏡であるという事実である。
本書は、非人間的なものへの魅惑についての書物である。
火星は非人間的である。その空気は薄く、重力は軽く、水は凍りつき、人間は宇宙服なしでは一歩も歩けない。それでも私たちは、ローバーが送ってくる一枚の夕暮れの写真に、理由のない静けさを感じる。そこには都市も森も海もない。ただ岩と砂と、沈みゆく小さな太陽があるだけだ。火星は私たちを歓迎しない。だが拒絶もしない。ただ、そこにある。
その非人間的な風景に魅かれるという事実こそが、人間という存在の輪郭を浮かび上がらせる。火星は地球の未来ではない。火星は地球の過去でもない。火星は、人間が自らの条件を外側から見つめるための、最も近い他者である。そしてその赤い地平の向こうには、火星ではなく、私たち自身の姿が静かに映っている。
火星は赤い惑星と呼ばれる。
遠くから見れば、夜空に浮かぶ赤い点にすぎない。だがその地平に立てば——正確には、ローバーが撮影した画像を通して眺めれば——沈みゆく太陽の周囲には、ときに淡い青の光が現れる。
地球の空の青さや夕暮れの赤さはレイリー散乱の効果だが、火星では大気中に浮遊する微細なダストが太陽光をミー散乱させるために、火星の夕暮れは、地球とは逆に、太陽の周囲が青く見えることがあるのだ。
赤い惑星の地平の向こうに、青が現れる。この反転は象徴的である。
遠くから見れば赤い点にすぎなかった惑星の内部には、私たちがまだ知らなかった色がある。赤い地平の向こうには、青い夕暮れがある。そしてその青を美しいと感じる存在こそが、火星を見つめている。
本書は、その視線の意味を問う試みである。


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